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はてなキーワード: 涼宮ハルヒの憂鬱とは

2020-07-04

エンドレスエイト破壊力

涼宮ハルヒの憂鬱小説は全部読みました。

アニメシリーズも楽しみにしてて、毎回リアルタイムで見てました。

エンドレスエイトの途中まで。

エンドレスエイトは2話までは真面目にみてたんだけど、3話目でこれいつまで続くの?とか思い始めて、

4話目はテレビをつけていたけどほとんど見てなくて、

5話以降はテレビすらつけなかった。

そして問題エンドレスエイトが終わった後。

終わった後も続きを見ようという気が起こらなかった。

続きは第1期にない話だったのに観なかった。

初めての経験だった。つまらないという怒りもなかった。原作を含めて興味を失っていて、何も残ってない。

昔に読んだラノベで、時間が経つと内容を覚えてないけど面白かった。もう1回読もうかな。という気持ちになることがあるのに、

現在でもそんな気にもならないし、キョンハルヒキスした話しか覚えてない。あの後現状維持で終わったんだっけ?

これは京アニ実験だったんだろうか。ファンにもアンチにもならない、コンテンツを終わらせる実験

2020-07-02

anond:20200701175011

そもそも宇宙塵』の半世紀前の号に載ってた短編やら30年前のマイナー雑誌に載ってた短編やらを発掘して誰でも手に入れられるアンソロにまとめたってだけでめちゃくちゃ偉いんだから、表紙を伴名練の好みに沿ったものにするくらいは当然の権利だろう。嫌ならそれこそ買わなきゃいい。

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

ヒョーロンカの人があれを「萌え絵」と呼んでたけど、は? 萌え絵? どこが? って感じだよなw 節穴アイにもほどがある。これでよく評論家が務まるな。

萌え絵ってのは『紫色のクオリア』や『ロケットガール』や『ふわふわの泉』や『スプライトシュピーゲル』や『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ある日、爆弾がおちてきて』や『イリヤの空、UFOの夏』の表紙みたいなやつのことを言うんだよ。

あ、『ふわふわの泉』はファミ通文庫で『ロケットガール』は富士見ファンタジア文庫の方な。ハヤカワ文庫JAじゃなく。『ある日、爆弾がおちてきて』もメディアワークス文庫じゃなくて電撃文庫な。

まあ節穴ヒョーロンカ様の目には『サマータイムトラベラー』あたりも「萌え絵」に見えちゃうのかもしれないけどねw シライユウコ絵が萌え絵に見えるマンマジで表象とか文化史かに口を出す資格ないと思うよ。思想信条じゃなくて能力問題として。

『なめらかな世界と、その敵』あたりが萌え絵オサレ絵の境界線上な感じしない? まあこのへんは人によって判断が分かれるところだろうけどさ。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。

時代遅れって切り捨てていいと思うよ。

俺、伴名練と同年代だけどさ、中学の頃って『アリソン』の表紙ですらオタクっぽくて敬遠されてたりしたんだぜ。『マリア様がみてる』すら堂々と読むの憚られる雰囲気あったよ。

そこから、あちこち萌え絵があふれて、多くの人がそれを受容する時代になったんだよ。いい年こいた大人が堂々と萌え絵の本を読む社会になったんだよ。マジで意識アップデートを実感するよ。

新しい表現が生まれ自由競争の結果覇権を握ることによって萌え絵駆逐されるなら進歩だけど、最近萌え絵がはびこってけしからん! なんてのはただの反動だろ。

そもそも発端のtweetした人、こんなtweetもしてるんだよね。

「オラ女性SF作家特集ブログ記事書くぞ!!!」どーせ「それはSFじゃない」とかボロクソ言われるんだろうけど知るかボケ~。ゼロスタートなのでオススメ教えてください!特に国内作家

国内女性SF作家ゼロスタートって、こいつ菅浩江新井素子高野史緒上田早夕里も読んでないの? って話だよな。

そばかすフィギュア』も『永遠の森 博物館惑星』も『アイオーン』も『ムジカ・マキーナ』も『華竜の宮』も読んでなかったんすね、っていう。

いや別に読んでないのは何も悪いことじゃないけど、それでSF界のジェンダー問題に物申しちゃう失笑しない? お前完璧門外漢やんけっていう話でしょ。何偉そうに「SFの表紙って女の子ばっか」みたいなこと言ってんの? アホなの? 2019年SF界隈で流行ってた作品のうち『天冥の標』と『三体』と『息吹』の表紙には美少女おらんやんけ。『アステリズム花束を』も『なめらかな世界と、その敵』もオサレ系の絵であってそこまで萌え萌えしてないよな。

SF1,000冊とか言うつもりないけど本屋でハヤカワと創元の棚の前に並ぶだけで吹っ飛ぶ固定観念後生大事に抱え込んだやつなんて最初からお呼びじゃねえんだよ。

最初からSFに興味なんてないんだろ? だったら「SFの表紙はどれも恥ずかしいから手に取れない!」じゃなくて「SFに興味ない」って素直に言えばいいんだよ。別にそれは何も悪くないよ。俺も海外文学とか(SFミステリを除けば)興味ないもん。興味ないくせに「SF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵の女の子ばっか」なんて言うからツッコまれるんだよバーカ、って感じ。

アンソロの表紙が美少女ばかりって真顔で言ってるってことは『年刊日本SF傑作選』の存在自体を知らないってことだよな。『傑作選』も知らないやつがSFの表紙は○○ばかりとか言う資格ある?)

アニメ絵が嫌いなSFファンSFに興味がないアニメ絵好きが口を出すならともかく、アニメ絵が嫌いでSFに興味のないやつがSFの表紙のアニメ絵に口挟む権利マジでどこにあるんだ? お前関係ないやろ、と、アニメ絵好きのSFファンとしては思うのです。

2020-06-20

anond:20200619230324

タイムリープとは少し違う部分もあるけど、「それい宇宙戦艦山本ヨーコ」と「涼宮ハルヒの憂鬱」は時間の新しい概念提示してくれるかも。どちらの世界観でも時間移動でタイムパラドックスは起きない。もちろん、作品としても面白い

anond:20200619230324

学生のころ、寮の友達お勧めされたブギーポップシリーズが話が過去未来を飛びながら続くやつだったけれど、世界線がわからない人はそういうのはわかるんだろうか...

そういえば、涼宮ハルヒの憂鬱1話ごとに時間が飛んでる話だったな。

2020-05-29

朝比奈みくるキョンの妹同一人物説についてSF読者が思う。

増田は何者?

大学生時代に「涼宮ハルヒの憂鬱ブーム経験した三十代。当時はひねくれた人間だったので、ハルヒ流行っている真っただ中に、原作ではなくそ元ネタとなった「ハイペリオン」に手を伸ばした。当時の自分きらきらとした学生生活にあこがれていたくせに、そういう青春テーマにしたラノベを避けていた。みんなと同じものを読むのが嫌だったのと、そういうきらきらしたものを読むと、自分灰色生活と引き比べてしまうからだ。そういうわけで、「涼宮ハルヒの憂鬱」の知識は、書店で一気読みした第一巻と、ウィキペディア情報、断片的に見たアニメの数エピソードに頼っている。おそらく粗があるので、話半分に聞いてもらいたい。

増田目的は何?

そもそもハイペリオン」って何?

ハイペリオン」とはダン・シモンズ1989年に発表したSF小説である邦訳1994年出版された。ヒューゴー賞ローカス賞星雲賞を受賞している超大作で、登場人物である長門有希が読んでいる。

ジャンルは一応スペースオペラなのだが、あえて言うならばSFジャンル英米文学ごった煮である。というのも、七人の登場人物がそれぞれの身の上を語るのだが、それぞれがホラーだったりサイバーパンクだったり時間SFだったりで、しかもそれぞれの出来がいい。

続編として「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオン覚醒」がある。作者の思想がややうるさいところもあるが、絵になる場面が多くて楽しい。また、人類の各文化多様性を高らかに褒めたたたえているのが、やや西洋アメリカ中心主義ではあるが、気持ちがいい。

長門と「ハイペリオン」の共通する設定

長門は「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」であり、言い換えるならば「宇宙人が作った人間の形をした存在」ということになる。「情報統合思念体」には「主流派」「急進派」「穏健派」「革新派」「折衷派」といった派閥存在し、それぞれの思惑ごとに動いている。

一方、「ハイペリオン」には、英国詩人ジョン・キーツ人格再現したサイブリッド(人造人間みたいなもの)が登場する。これは、人類に様々な助言をするAI群「テクノコア」によって、ある目的のために作られたものである。彼は長門ほど万能ではないが、この背後にいるテクノコアには「穏健派」「急進派」「究極派」が存在していることが共通している。ちなみに、それぞれの立場としては、当面は人類とは共存する、さっさと人類を滅ぼして自分たちが覇権を握る、人類自分たちも滅んでもかまわないので究極の知性を創造する、である。このAIたちはとっくの昔に人類を超えており、人類を裏切ろうとしている。というか、作中ではすでにある方法人類をひどく搾取しているのだが、これは読んでみてのお楽しみだ。

設定の上ではよく似ているけれども決定的に異なるところがたくさんあり、よくできたオマージュだと思う。

ハイペリオン」にみくるのような未来人は登場するのか

結論から述べると登場する。そもそも舞台となるハイペリオンという惑星には「時間の墓標」なるものがあり、そこの封印が開くと未来から様々な事物情報が送られてくる。同時に「シュライク」という殺戮マシーンが封じられているが、シュライクは時折人間の願いを叶える、とされているのだ。七人の登場人物ハイペリオンまで巡礼に向かうのもそれが理由だ。

ここで未来と述べたのだが、実は未来は確定していない。「テクノコア」が作り出す究極知性が宇宙支配するか、人類の集合意識が生んだ究極知性が覇権を握るか、この二つの間で揺れ動いている。ここでいう究極知性とは神と言い換えてもいい。つまり、遠い未来で行われる人類テクノコアの戦いが、現代にも影響を及ぼしているのだ。なんといったって彼らは神なのだから、なんでもありなのである

この状態は、まさに朝比奈みくる(大)の周囲の事情とよく似ている。現代干渉し、自分たちの望む形の未来を確定させようと活動している点が近い。

みくるキョンの妹は同一人物か?

涼宮ハルヒの憂鬱」の全てを読破したわけではない自分が、本文から有効証拠をあげることはできない。というか、いくつかのブログでそれを示唆する記述が十分に述べられており自分が付け加えることは何もない。

よって本記事では、「ハイペリオン」で行われたテクニックを間接的な証拠として用いたい。以下、「ハイペリオン」のネタバレに触れる。読みたくない方は引用部分を読み飛ばしてください。

ハイペリオン」の七人の登場人物は、旅の無聊を慰めるため、それぞれの出自を語る。一人はフィドマーン・カッサードという兵士である仮想訓練の度に謎の美女モニータと遭遇し、そこでむさぼるように体を重ねるが、彼女とは仮想空間とでしか会うことができなかった。やがてアウスター(人類連邦所属しない宇宙の蛮族)の襲撃を受けるが、そこで彼女と再会し、殺されかける。カッサード彼女との再会を目指している。

もう一人の人物はソル・ワイントラウブという学者である。彼は娘である赤ん坊を抱えて巡礼に来た。彼の願いは、娘であるレイチェルの病を治すことであるレイチェルはかつて学者としてハイペリオンを訪れた際、シュライクによって年齢を逆行する呪いをかけられてしまった。父と同じ聡明学者であったレイチェルは日に日に幼くなり、とうとう赤ん坊にまで戻ってしまった。レイチェルが「誕生」の日付を迎えるまで、あと数日しかない。

さて、結論を簡潔に述べよう。レイチェルの病は癒される。そして彼女未来世界へと連れていかれ、そこで再び大人へと成長する。やがてレイチェルはモニータと名乗り、カッサード出会うのである

まり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のオマージュであるハイペリオン」では、意外な二人の人物が同一人物であった、そしてその片方は未来人であった、というギミック存在するのである

もちろん、年齢遡行までオマージュしているのかどうかはわからない。記憶に蓋をしているだけかもしれない。ただ、妖艶な美女と無邪気な赤ん坊が同一人物であった、という驚きを、朝比奈みくる(大)とキョンの妹が同一人物であった、というかたちで本歌取りしている可能性は、検討される余地はある。

どうなのだろう。キョンの妹は小五だが低学年にしか見えないという記述もあるので、実は成長がストップし、年齢が逆転し始めているのかもしれない……。

長門みくるは決別するか

鶴屋さんは「宇宙人未来人だったら、どっちがいい? そろそろ決めといたほうがいいかもにょろよっ!」と発言したそうだが、これは今後の展開を予測する大きな鍵となる可能性がある。というのも、「涼宮ハルヒの憂鬱」が「ハイペリオン」をどこまでなぞるかははっきりしないが、もしも設定を強く意識しているのなら、「ハイペリオン」で「テクノコア」が人類を裏切ったように、「情報統合思念体」が最後には人類敵対する可能性があるからだ。そして、みくる人類と「情報統合思念体」との争いの中で、少しでも人類に有利な未来へと導こうとしているのではないか。となると、長門みくるの決別は避けらないことになる。みくる長門を幾分苦手としている描写を考えると、興味深い。

ついでに古泉超能力について

少しだけ触れておく。「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」のなかには、超能力は出てこない。出てくるのは「エディミオンの覚醒」以降であり、主人公たちがある能力に目覚めることで、クライマックス人類の命運を大きく変えるのだが、これも読んでみてのお楽しみだ。

それからハルヒ能力について

ハイペリオン」であらゆる願いを叶えるとされるのは殺戮者シュライクである。実に気まぐれな神なのだ。そういうと、ハルヒが悪役シュライクだということになってしまうのだが、自分は違うと思う。明るい青春ラノベにこの設定は似合わない。願いが叶う、ということだけを拝借したのだろう。とはいえ物語全体を通しての謎の一つ、ということは決定している。

それと、実はシュライクの正体は作中でも若干ぼやかされている。テクノコアが作った殺戮マシーン人類側がのっとったことが示唆されているが、時間を行き来できるのだから時系列がはっきりせず、筆者の記憶も確かではない。

キョンにまつわるいくつかのこと。

エンディミオン」「エンディミオン覚醒」の語り手はいたって普通青年ロールであり、彼は破天荒少女アイネイアー守護者に任命される。とはいえ物語の大半は奔放な彼女の振り回されながら進む。それこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」の本編のように。

しかし、ロールとアイネイアー最後にはひどくつらく悲しい別れ方をしなければならない。この設定が本編のキョンハルヒ関係に輸入されていないことを願う。

それと、ジョン・キーツジョン・スミスではないが)のサイブリッドは二つ存在し、片方が殺される運命にある、とだけ述べておこう。

おまけに、ダン・シモンズ最近作品について

彼は「ハイペリオン四部作ののちに「イリアム」「オリュンポス」を発表している。トロイア戦争世界、遠未来の没落した人類機械知性たちの話が入り組んでいて、文学SFマッシュアップ具合が楽しいのだが、残念ながら「ハイペリオン四部作で述べた人類多様性を寿ぐ姿勢から後退し、明確なイスラム嫌悪が出ているのはいただけない。さらに、邦訳されていない最近シリーズは、ヒラリー・クリントン大統領になったパラレルワールドで、国民皆保険で怠け者になったアメリカ人が薬物におぼれているというすごく政治的偏向した作品なので、翻訳されないんじゃないかな……。

追記】最新作ではないのだが、2011年の「Flashback」という作品シリーズではなかった。失礼。

【もう一つ追記】その薬物は、いつでも自分人生の最高の瞬間を追体験できるというしろものだ。そして、世界ほとんどがイスラム過激派支配されている。経済日本に牛耳られ、南西部の州はメキシコギャング支配され、作中では地球温暖化否定されている。アメリカ保守的世界観を煮詰めたような感がある。

ヒラリー・クリントンについての記述記憶いかもしれない。ただ、イスラム嫌悪が強いのは間違いない。

と、こここまで書いてネットを探していたら

みくるとモニータの類似性について述べた記事があった。

https://sosbrigade.miraheze.org/wiki/ハイペリオン

最後

おそらく、ハルヒ全盛期の頃に、こうした議論は出尽くしていると思う。だが、検索をしても類似した意見が見つからなかったため、ここに記録した。

それから、ろくに原作を読んでいないのに、そして記憶もいい加減なのに、好き勝手言ってどうもすみませんでした。

追記

多数のコメント感謝しております。また、「全部読んでいないのに書くなんてずうずうしい」との指摘、まったくもってその通りです。ファン気持ちを逆なでするような行い、お詫び申し上げます。また、立ち読み迷惑でしたね。未成年の頃とはいえ、今にして思えば赤面ものです。

自分としては、「ハイペリオン」を読んだ人間からは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の設定はこう見える、と伝えたかったのです。笑ってやってください。また、類似した意見ネットになかったので、記録しておこうという思いもありました。

ただ、ブクマカにもあるように、ジオシティーズインフォシークヤフーブログなどの一斉削除が原因の可能性のほうが強いですね。はからずもアーカイブ問題にも思いをはせることになりました。

それでは、失礼します。

2020-04-27

杉田ハレ晴れユカイから見る今後のYoutube

杉田ハレ晴れユカイが急上昇1位になった。

涼宮ハルヒの憂鬱というコンテンツの強さを改めて感じるとともに

杉田のクソダン需要も感じた。

コメント欄はただのニコニコ動画だった。

ここにインターネッツが確かにあったのだ。消えてはいなかった。

まりここから、もう一度侵略戦争が始まるというわけだ。

Youtubeをクソダサいオタクコンテンツにしてしまおう。

そのほうが、きっとYoutube長生きするし、将来の夢はYoutuberとかいう頭の悪いガキも生まなくて済む。

僕たちは、世界を救うためにハレ晴れユカイを踊るのだ。

決して人を傷つけるためではなく、誰かを守るために作品を愛してきたのだ。

コロナが終わったらコミケで突発ダンスするから覚えておくように。

2020-04-14

二次創作をしている

腐女子自分語りです

二次創作をしている。もう十年。私は作文が好きだったし国語の成績だってかなりよかった。それで、オタクになったと同時に二次創作を始めた

初めて書いた文章は「涼宮ハルヒの憂鬱」の国木田くん夢であるほとんどト書きに近いもの小説と呼べる代物ではなく、褒められるところがあるとするならば、あのとき、だれかに読ませることを踏み止まった自分判断だけだろう。閑話休題(この「閑話休題」の使い方、あまり腐女子らしい)

ときを待たずして腐女子になった私は当然のようにBL作品も書き始めた。FC2nano個人サイトを作ったし、専用の掲示板投稿もした。高校生にしてはうまい方だったと思っている。残っている作品を読み返すとびっくりするので。なんなら今よりも当時の方が丁寧に書けているし、比喩表現も的確かつ適切で、これだけのものが書けていれば楽しかっただろうと納得する

そう、今はもう、まったく楽しくないのだ

これは腐女子自分語りだ。それもかなり気持ち悪い。繰り返した上で書き進めるけれど、私は今、とあるメジャージャンルマイナーカップリングに心底ハマっている。彼らは、まだ、原作において人物の掘り下げがさほど行われていない。公式エピソードが少ない。仲がいいというそれだけが確かなのだ。そういう状態なので、彼らのことを妄想するときは明らかになっている数少ない設定をひたすらに拡大解釈する必要が出てくる。どうしてその性格形成するに至ったか理由、つまりは背景を捏造までもする。そうすると必然的に「私の理想のA×B」が誕生するのだけれど、これは自家製ハーブがもたらした私だけの認識であるから私が書くしかない。それなのに、なにを書いたところで一向に理想に届かない

私、下手なんだなあ、と思った。このカップリングで思い知らされた

もともとは自分文章力に自信がある方だった。中傷されたこともあるけれど、ファンだと言ってくれる人の方が多かったし、なによりも自分小説が他のだれが書いた作品よりも好きだった。書くことも、読むことも、創作にまつわるすべてが楽しいのだから苦に感じたことなんて一度もなかったのだ

自分文章力のなさを思い知らされながらのタイピングがこんなに苦しいなんて知らなかったし、知りたくなかった。上手に書けないことは書く資格がないことのように感じられて、そうすると、二次創作をしていること自体にいよいよ罪悪感を覚えてくる。泣きたい。それなのにカップリングに対する執着に似た愛情は増すばかりで理想はいっそうに膨らんでいくのだ

理想がなければ、もっと軽い気持ちで好きでいられたならばよかったのだろう。実際にこの前、かわいいなと感じただけの別のカップリングを書いてみた。驚くほどに筆が進んだ。一度喪失した自信はかんたんに取り戻せないらしく、読み返したらやっぱり下手だと感じたけれど、申し訳なさは抱かなかったし、さすがのメジャーカップリング評価も好きの言葉もそこそこにもらえた。私があれほどに苦しんで書いた作品たちよりもよっぽど、たったの一日であっさりと。反応自体は嬉しかったのに虚しくてたまらない。もう私、君たちのこと、うまく書けるようになるまでは嫌いになりたいよ。このままだと君たちをうまく書けない自分のことが嫌いになりそうで。私の文章力のなさが全部悪いとわかっていても。十年間も書いてきて、一体、今まで、なにをしていたんだろう

2020-04-11

願いが叶ってしまった

自分大学生時代小売店バイトしていた。

まあ大学生アルバイトの8割ぐらいは小売か飲食かのどちらかではないだろうか。それで自分も例によって小売店で働いていた。

接客業で働いたことがある人は頷いてくれると信じたいが、自分もまた老人に常日頃困らされていた。

暴言を吐いて怒鳴るジジイ

ねちねちと因縁をつけてくるババア

クレームマナー違反、書いてある文字が読めない、他のお客様への迷惑行為etc

加えてガタイのいい店長が飛んでくると一気にへらへらし出す。クソみたいだ。

筋肉ゴッリゴリで色黒でサングラスしてて腕に派手な刺青があるような、明らかにヤバそうなオニイチャンの方がよっぽど優しいものだ。そういうオニイチャンに限ってにこやかにお礼をいってくれたりするのだから

このような状況に置かれ、自分はすっかり老人嫌いになってしまった。

「それはいけない」と言い聞かせつつ、老人差別的思想がわいて止まらない。

既に祖父母4名全てが星になってしまった後だったので「おじいちゃんは好きじゃないの?」的なストッパーも上手く動作しなかった。

から自分はこう思ってしまった。

「老人が一掃される出来事があればいいのに」

「例えばそう、老人ばかりが死ぬウイルス日本中流行するとか。」



社会人になった自分は、十分な勉強が出来ない環境に悩んでいた。

から好奇心旺盛な自分はなんでも勉強するのが好きだった。

特にパソコンというやつは凄い。

プログラミングオーディオビジュアル編集作成が出来る。

調べれば大抵のもののやり方は触りとして見ることが出来る。詳しい人に教えてもらうことだって出来る。

加えて今はインターネット上にオンライン学習用の動画問題集が山のようにある。

はあ、時間があるのならば片端からやってみたい。

しかブラック企業でもないのにちょっと残業して家に帰るともう夜遅い。出来るタスクは気力の面でも時間の面でもほんの僅かしかない。

どこかでガッツリ勉強できる休息期間が欲しいと思った。

だが今の会社は気に入っているし、そもそもそれを理由に職を失う勇気はなかった。休職制度も手薄だった。

「なんか突然仕事いかなくて済むようにならないかな」



涼宮ハルヒの憂鬱」という作品を知っているだろうか。

10年前ぐらいに流行ったライトノベル、そこからアニメなども製作されていた事で著名である

自分も頭の方しか話を知らないので、最新な設定がどうだかは分からないのだが、内容としてはこんな所だ。

活動的ヒロイン涼宮ハルヒは神のような力を持つ。だが自分が神の力を持つことは自覚していない。

であるハルヒ自分の願望を成就する力があり、無意識のうちに自分が思った通りに世界に影響を与えてしまう。

そんなハルヒ世界の為に様々な能力者たちが奔走する話。

自分はふとこの作品を思い出しながら、今この増田を書いている。

涼宮ハルヒ」が自分でなければいいと思う。

2020-03-11

anond:20200309211602

さほど心配しなくていい

というか、マルチエンドを開発したエロゲ業界はその後どうなったかというと発展したわけじゃなく小さくなった

 

STG格ゲーRPGマルチエンドと、ノベルゲームマルチエンドって実はかなり別物で

なぜならノベルゲームは「異なる展開」を作ろうとすると、その別ルートをまるごと新しく作り直さないといけない

RPGエンディング分岐なんかは、戦闘デザインバランス等々が本体

全体の労力からしたらシナリオちょっとした分岐程度はそこまでの作業量じゃない

それが、ノベルゲームで二つルートを作ると単純に作業量が倍になる

 

いやいや共通する部分はリソース共有すればいいじゃないかと思うかもしれない

けど、同じ文章なんて誰も読みたくない。だからスキップで読み飛ばす

 

じゃあ、スキップで読み飛ばせないような他のメディアで似たようなことをやったらどうなる?

有名どころだと「涼宮ハルヒの憂鬱」の第二期が、他にもいろいろな事情があったが、見事に沈没した

似たようなことを繰り返してたら、人間は飽きる

 

では、と飽きないように前と違う要素、異なる展開を入れるとすると、当然ながら労力がかかる

異なる展開、二つめ、三つめぐらいは、元々の作品ポテンシャルが高ければアイデアも湧いてファンもついてくるだろう

四、五、六、と続いていくとネタ重複も気になりだしファンも飽きがくる

 

そもそも同じ時間を反復するのは時間が先に進んでいくのより考えるのが難しい

新しい要素が極端に入れづらくなる

新たなエピソードを重ねていくのも難しい、新キャラを投入するハードルも上がる

唐突に降ってわいた過去エピソードや、ポッと出の新キャラが話の展開で重要、なんてのを何回も繰り返してたら、

最初のうちは許容してたファンも次第に無言になってく(あるいは信者化して批判を耳にいれなくなる

 

僕勉の作者の前作はニセコイリブートだったが、ニセコイ人間関係や記憶は受け継がれていない

エロゲーのマルチエンドみたいに分岐する複数エンディング」は、そういう作劇しやすくするための都合よいリセットが使えない

「人気が出たから、ちょっとオマケでくっつける」以上のシナリオ分岐は、定番化して労力に見合うものじゃない

2020-03-07

眠れないおたまじゃくし

下駄文。



恋なんて面倒くさい。


恋は嫌いだ。

ただただ鬱陶しくて面倒くさいだけ。


恋愛感情なんてものは一時の気の迷いなのよ」とは私がこの世で1番好きな作品涼宮ハルヒの憂鬱に書かれていたセリフだ。

正しいと思ったし、恋愛感情に振り回されて本当にやりたいことをやらなくなった人をたくさん見てしまったために、絶対恋愛なんてしないと誓った。

両親にも、頼むから結婚とか子孫とか期待しないでくれと伝えたほどだ。

近年、結婚した友人を何組も見てきた。

結婚した友人たちはとても幸せそうであった。

ただし私にそれは幸せの頂点に見えた。

結婚はゴールではない」誰もが耳にするお決まり言葉だが、見てきた結婚式は全てゴールにしか見えなかった。

ゴールしたらその後は?

ゴールした後に目指すものなんてあるのか?

目指すもののない人生には暮らす意味があるのか?

充実しているのか?

趣味を通して繋がった友人たちだが、結婚してからもうしばらく会っていない人たちも多い。

趣味も行っていないのだろうか?

あれだけ本気で取り組んだ時間を置いていくのだろうか?


恋は嫌いだ。

から私は誰の事も好きにならない。


異性とは距離をおいた。

誤解をされても困るから「好き」という言葉はどんな状況でも異性には言わなかった。

ディタッチも無し。

お酒の場でも、どれだけ酔っ払っていても徹底して異性との接触を避けた。

恋や愛について人が話しているのを聞くのも嫌になった。

いつしか、人との強い繋がりを全て避け、インターネットに繋がりを見出すようになった。

インターネット上にいる名前も知らない誰かたちは、恋だの愛だの、もっと面倒くさい政治だの宗教だの語らなかった。

ただ永遠に下らない話をして、好きなアニメゲームの話をして、笑ってるだけで時間が過ぎ去るそんな人たちだった。

しかし、数年経ち、その人たちが恋や愛の話をしていることに気がついた。

徐々に恋や愛や恋人結婚やと話題が増えていったようだ。

書いてないだけで恋をしていたのだ。

何か裏切られた気分だった。特に約束とかしてないけれども。

恋愛話以外にも、インターネットの発達、万人が使うようになってからというもの、私の理想インターネットは消え去ってしまった。


インターネットも嫌いになった。


孤独を感じた。


本心の状況とは裏腹に、趣味として行っていた活動は徐々に成功していった。

友人も増えた。

しかし、本心からの付き合いはしなかった。

会場での付き合いだけ。

他に遊んだり飲んだりはしない。

そんな選択をした。


正直、嫌になった。


楽しいから始めた活動が楽しくなる時も増えた。


生きてても楽しくないって思う時さえあった。


そんな時に君は現れた。


最初は避けた。

みんなに対して距離を置いていたし、君は異性だ。


しかし徐々に話すうちに、君とずっと喋っていられる気がした。

それはずっと喋りたいという思い、願いにすぐ変わった。


それって恋じゃん。

ある日気が付いた。

声に出した。

涙が出た。

恋なんて面倒くさい。

恋は嫌いだ。

そう言ったはずなのに。


君が別の子と話しているのを見た。

お酒の場だった。

付き合ってはいないはずだが、仲が良さそうだ。

ディタッチしたな。

知らない人だけど、無性に腹が立った。

同時に焦った。

誰かとこれからすぐ付き合ったら。

嫌だ。それは嫌。

せめて気持ちは伝えておきたい。

すぐに告白をした。

日程を取り付けて、それまでにも何回も会って、いい感じと言っても良かったのかな。


「今は誰とも付き合ったりする気はないから、ちょっと無理かな」


OKではないがそれはつまり暫くしたらOKなのだろうか、いやそれとも肝心な本心を何かはぐらかしているだけか、いやでも何だろうそ微妙な表情は、私ではダメ理由が他に何かあるのだろうか、というかつい先週もうこれはいわゆる脈ありみたいな発言あったがあれは何だったのですか。

色んな思いが頭をよぎったが、君の考えを大事にした。


恋なんて面倒くさい。


その後何度も会っているし、これまで通りに喋っている。

機会があれば私が君を好きだと分かる発言もしている。

君が私と共通の友人たちと遊んでいるってツイートを見かけた。そこに私はいない。

私が告白したことを知っている子もいる。

私がそこにいないことに苦しくなった。

告白しなければそこに呼ばれたのかな。

そんな考えがずっと繰り返しよぎって悲しくなった。

羨ましいって嫉妬してる私自身が嫌いになった。

どうしたらいいのかも分からなくて普段飲まない度数の強いチューハイを飲んで。でも眠れなくて。涙が出て。


恋なんて面倒くさい。


もう断られるのかなって思って来月、2人きりで飲み行くように誘った。

OKだった。

ますますからなくて、どうすればいいのかも分からなくて、でもチャンスがあるならなんとかしたくて、君にいいよって言われたくて。


恋なんて面倒くさい。


私をこんな思いにさせる君はなんなのだろう。

ひたすらにかき乱されて。

夢にまで君は出てきて。


恋なんて面倒くさい。


こんなに苦しいならやっぱり

恋は嫌いだ。


付き合ったところで、その後どうなるかも分からない。

万が一結婚したらそれはゴールだから、その後何をすれば良いのだろう。

何も前は見えないのに、付き合ってもないのに考えてしまうね。面倒くさいな。


恋なんて面倒くさいよ。


恋なんてしたくないよ。


今も強めの缶チューハイ

おいしくない。眠れない。


眠りたい。


恋は嫌い。


でも君が好き。

2020-01-13

涼宮ハルヒの憂鬱』っぽいエロ小説をおしえてくれ!さい

 もう10年以上前に『涼宮ハルヒの憂鬱』って流行ったじゃないですか。破天荒ヒロインハルヒが、微妙なさじ加減で好き勝手する話。私はそのハルヒが好きで。

かなり人気があったんで、色々インスパイヤ作品があったと思うんですよ。商業ラノベ的なエロ小説で、ハルヒ的な女がヒロインの話もあったと思うんですが、小説には疎くて探し様もなく、悶々と何年もすぎてしまいました。

 SSは若干よみましたが、接ぎ木的な翻案でなく、雰囲気のある違う作品を読みたい次第。

例えば高校生でなくてもいいし、キョン的な男が主役でなくてもいいです。ただ『これ、ハルヒパクリだろ?』ってのが読みたいです。

 はてなエロ小説好きの方々の見識を拝借したいです。

よろしくぺこり

2020-01-07

TVアニメ年代代表10本ずつ

1960年代

鉄腕アトム(1963)

鉄人28号(1963)

オバケのQ太郎(1965)

ジャングル大帝(1965)

魔法使いサリー(1966)

ゲゲゲの鬼太郎(1968)

巨人の星(1968)

タイガーマスク(1969)

サザエさん(1969)

アタックNo.1(1969)

1970年代

あしたのジョー(1970)

ルパン三世(1971)

科学忍者隊ガッチャマン(1972)

マジンガーZ(1972)

ドラえもん(1973)

アルプスの少女ハイジ(1974)

宇宙戦艦ヤマト(1974)

キャンディ・キャンディ(1976)

銀河鉄道999(1978)

機動戦士ガンダム(1979)

1980年代

Dr.スランプ アラレちゃん(1981)

うる星やつら(1981)

キン肉マン(1983)

魔法の天使クリィミーマミ(1983)

キャプテン翼(1983)

北斗の拳1984

タッチ(1985)

ドラゴンボール(1986)

聖闘士星矢(1986)

らんま1/2(1989)

1990年代

ちびまる子ちゃん(1990)

美少女戦士セーラームーン(1992)

クレヨンしんちゃん(1992)

幽遊白書(1992)

スレイヤーズ(1995)

新世紀エヴァンゲリオン(1995)

名探偵コナン(1996)

ポケットモンスター(1997)

金田一少年の事件簿(1997)

ONE PIECE(1999)

2000年代

NARUTO -ナルト-(2002)

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(2002)

機動戦士ガンダムSEED(2002)

鋼の錬金術師(2003)

ふたりはプリキュア(2005)

涼宮ハルヒの憂鬱2006

コードギアス 反逆のルルーシュ2006

らき☆すた(2007)

けいおん!(2009)

化物語(2009)

2010年代

魔法少女まどか☆マギカ(2011)

Fate/Zero(2011)

ソードアート・オンライン(2012)

ガールズ&パンツァー(2012)

進撃の巨人(2013)

ラブライブ!(2013)

妖怪ウォッチ(2014)

おそ松さん(2015)

けものフレンズ(2017)

鬼滅の刃(2019)

2020-01-03

2010年代傑作アニメ10

https://anond.hatelabo.jp/20191227121330 を見て自分とも趣味嗜好が違うので自分でも書いてみた。

もちろん独断偏見

魔法少女まどか☆マギカ

ほとんど誰から文句がでない傑作。

STEINS;GATE

2chなど時代背景を取り入れてるため今は古く感じる可能性があるがちゃんとわかりやす伏線をいっぱい用意してくれてて回収も楽しい

ソードアート・オンライン

初期のMMO世代であればやはり楽しい背景満載だったと思う。

恋物語

化物語10年代ではないので代わりに物語シリーズファースト以外で選ぶならこれ。

貝木のかっこよさとひたぎの可憐さが光る。

PSYCHO-PASS サイコパス

1期は名作。

げんしけん 二代目

時代に合わせて腐女子版にしたこんな青春送りたかった傑作。

みんな大好き斑目さん。

※ 初代げんしけんおもしろいよね

キルラキル

勢いと作画がかっこいい。グレンラガンを思い出す。

SHIROBAKO

万策尽きた。

みんな大好き?本田デスク

幼女戦記

かわいいしかっこいい。中身がおっさんということはいつも忘れられる。

けものフレンズ

現代の求められてるものが詰まったキャラアイデンティティを感じる名作。

私たち友達だよねなどとは言わない。

10選には入らなかった選考候補たち

2009年って豊作だったよね

2019-12-27

訃報2019

大山高男:舞台方面がメイン?の声優エヴァのゼーレ(豆腐)の一人とか

有本欽隆声優ワンピースの白ひげ、サイコパスのとっつぁん

鬼八頭かかし漫画家ヤングガンガンで連載中だった「たとえ灰になっても」が絶筆になった。

北尾光司プロレスラー。元相撲取り

内田裕也歌手俳優

白石冬美声優ガンダムミライさん、パタリロオバQドロンパなど

萩原健一歌手俳優

WOWAKAボカロPミュージシャンローリンガールとか。

モンキー・パンチ漫画家

関田修:アニメ演出家ガンダム(1979)~ムヒョロジ(2018)までコンスタント活躍

川久保潔声優サラリーマン金太郎社長など

小池一夫漫画原作者子連れ狼など

荻野真漫画家孔雀王など

藤本譲声優ミスター味っ子味皇など

ジャニー喜多川音楽プロデューサー

木上益治アニメ演出家京アニ作品絵コンテで多数参加。

武本康弘アニメ監督。らきすた氷菓小林さんちのメイドラゴンなど

池田晶子アニメーター、キャラクターデザイナーキャラデザ涼宮ハルヒの憂鬱(一期)、響け!ユーフォニアムなど

西屋太志アニメーター。作監日常氷菓、Free!など

大野木宣幸:作曲家ニューラリーXマッピーなど初期のナムコサウンドを支えた

森永あい漫画家ユンカース・カム・ヒア僕と彼女の×××など

中村和子:アニメーター。手塚治虫に認められて鉄腕アトムなどを手掛ける。三つ目がとおるの和登さんのモデル

園田小波漫画家りぼんチョコミミ連載中に逝去

三ツ矢新:eRONDO(エロゲメーカー社長ゲームデザイナー

和田誠イラストレーターエッセイスト

吾妻ひでお漫画家失踪日記など

八千草薫女優

中村正:声優。らんまのナレーションなど

大野木宣幸氏の訃報がびっくりした2019年だった

ご冥福をお祈りします

2019-11-16

https://anond.hatelabo.jp/20191116072907

涼宮ハルヒの憂鬱

いや、タイトルもいいんだけど、その後タイトルにかなりオタイメージついて回って損してる気がする。

小説1巻目、両作だと思う。

2019-10-29

涼宮ハルヒの憂鬱の作者は未だに憂鬱だってマ?

貯金も無かろうに、何して生きてんの? バーチャロン

2019-10-25

涼宮ハルヒの憂鬱原作読んでたら小泉ホモネタが気になる

お話キャラクターも今でも十分通用するだけにホモネタの部分で(まだこんなことやってるのかよ)と理不尽に思ったりする

まあ20年も前の作品だし仕方ないのかなあと思いつつ

2019-10-20

anond:20191020124807

現代少女漫画絵と現代オタク絵は同祖(80年90年代少女漫画絵)だからだよ

旧来の少年漫画絵は手塚治虫赤塚不二夫ライン、これは現代コロコロコミックあたりが引き継いでる

手塚治虫赤塚不二夫ライン少年少女漫画絵はよりリアリティを求め、従来の絵物語で有名だった永松健夫(黄金バット)あたりと合流し劇画絵に発展した

劇画絵は石ノ森章太郎(仮面ライダー)や車田正美(リングにかけろ)あたりが有名かな

劇画絵の影響は少女漫画にまで波及して有名な池田理代子(ベルサイユのばら)や美内すずえ(ガラスの仮面)などの作家が有名になる

その後、篠原千絵(闇のパープル・アイ)が登場し劇画絵の印象を残しながらも線が徐々にシンプルになっていく

よりシンプルな線となる流れを決定付けたのが池野恋(ときめきトゥナイト)の人気が白熱したことだろう

池野恋から活躍から従来の劇画ベース少女漫画絵はレディースコミック継承することになる

このあたりから少年漫画雑誌に線がシンプルになりつつもリアリティを残す少女漫画絵調の作品が増えてくる

代表的なのが桂正和(電影少女)やあらいずみるい(スレイヤーズ挿絵)など

更に線がシンプルになる流れへ拍車をかけたのが武内直子(美少女戦士セーラームーン)やCLAMP(聖伝-RG VEDA-)や吉住渉(ママレード・ボーイ)の人気

そして全漫画業界パラダイムシフトと主張して過言ではない種村有菜(神風怪盗ジャンヌ)が登場する

種村有菜の登場以降、それまで人気だったスレイヤーズ主人公リナの元々大きかった目がより大きくなり線も柔らかくなるなど強い影響を見せた

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まりまとめると篠原千絵池野恋劇画絵を整理して少年漫画少女漫画から絵柄を輸入しつつも種村有菜が完成させた

現在萌え絵(オタク絵)は少女漫画ベースで出来ており、2000年代以降の雰囲気が変わったオタク業界で人気だったいとうのいじ(涼宮ハルヒの憂鬱挿絵)などはCLAMPの影響を受けたと明言している

もし萌え絵少年漫画ベースとしているなら現在コロコロコミックの絵柄に近くないと説明が付かないんだよ

そのラインを引き継いでる作家を敢えてあげるなら吉崎観音(ケロロ軍曹)あたりであり、萌え絵(オタク絵)としてイメージされる絵柄とは一線を画す。けものフレンズは大ヒットしたけどね

4コマ漫画へ強い影響を見せたあずまきよひこ(あずまんが大王)も武内直子などに影響を受けていると明言している

少女漫画絵とオタク萌え絵意図的混同

意図的混同というか実際のところ少女漫画絵と萌え絵(オタク絵)の境界線曖昧グラデーションであり混同するとかしないとかそういう話じゃないんだよ

anond:20191020033039

ライトノベルはそれまで児童文学とかジュブナイル小説とかファンタジー小説とか言われていたジャンルなんだよ

児童文学と呼ぶには大人びてる、ジュブナイル小説と呼ぶには日本サブカルの影響が強すぎる、ファンタジー小説(ハイファンタジー)と呼ぶには設定の練りが甘いなど、言葉にするには何とも言いようのないものだった

そこで新たな定義としてライトノベルというジャンルが生まれ

装丁は内容と合致するとは限らないという最近の例として「涼宮ハルヒの憂鬱シリーズの別の装丁verとかあるよね

https://image.itmedia.co.jp/l/im/nl/articles/1901/25/l_fsfigharuhibunko01.jpg

元々あいまいジャンルであるので装丁を直して再発行することがあるんだ

2019-09-08

おいおい大事な話を番外編にするなよ

先週金曜に劇場公開された、ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を見に行った。

やはり京アニは凄い。

正直、TVアニメ放送当時から作品の話そのものあんまりきじゃなかったし、それは今も変わらない。

それでも、見れば目が潤む程度には感動してしま

それくらい絵の表現ヤバい。絵とその動きだけでここまで胸に迫るのか!と見るたびに驚愕する。

そんな極上の絵を、声優の演技とBGMが更に盛り立てるところが、まさにこれ以上ないくらい、正しいアニメをやっている感じ。

これは本作品のみならず、響け!ユーフォニアム氷菓、古くは涼宮ハルヒの憂鬱を見たときも思ったことだ。


それで、帰宅してから久しぶりに本作品のことを少し調べ回った。

そしたら円盤収録(後にネット配信開始)の特別エピソードとして、時系列的に4話と5話の間に位置する番外編があるというではないか

あんまり好きな作品じゃなかったので本放送終了後は完全放置していて、そんなの全然知らなかったよ。

そして、そんな重要すぎる話を後で公開するなよと思わされた。


というのも、4話と5話の間は時間的に数ヶ月、つまりほぼ季節1つぶん空いているのだ。

そして4話のヴァイオレットは本当に良くも悪くも「ロボットみたいなお人形」感がまだまだ半端ないキャラだった。

それが5話では若き王族の男女の恋を取り持つという、相当に高度な仕事を「随分と手慣れた感じで」こなすプロの顔を持ち合わせるくらいになっていたと。

から当時見たときまりの落差

「おいおいこれ本当に同じキャラクターかよ、大きく成長したのは間違いないけど、その成長の過程をすっ飛ばしてどうすんだ」

と、我ながら相当に不快な気分になったというか、結構憤慨したのだ。

最も気になるというか、少なから応援する的な感情移入をしてしまうところだし。

そしてこの「成長を見せなかった」件が、今の今まで本作品をあまり好きになれなかった一番の理由なわけで(もちろんそれだけじゃないけど)。


ともかく、それでついさっきその「番外編」を見終わり、当時覚えた嫌悪感がようやく氷解した。

これまた感動的エピソードで、例によって目頭が熱くなったし。

もうね、絵だけで胸に迫るんだよマジで(大事ことなので2回言いました)。

でも、今後こういう後出しは勘弁してもらえますかね、京アニさん?



さて、以下は与太話というかオタの我田引水的薀蓄。


後出しNGでも、そもそもこういう「たった数ヶ月の間に、一体何があったんだ」的展開そのものは、個人的感覚として特に嘘くさいとは思っていなかったりする。

史実では、かの天才モーツァルトが、フランスロココ趣味かぶれまくっていた20歳の年に作曲した、全5曲のヴァイオリン協奏曲の話が、まさにこんな感じなのだ

具体的には初夏に書かれた第2番わずか数ヶ月後、初秋に書かれた第3番が前作から驚異的な進歩を遂げたことは、今でも評論家達の「天才のなせる業」という絶賛の対象となっていたり。

まあモーツァルト場合、「ひと夏のエピソード」が未だに謎ではあるのだが。

2019-07-29

涼宮ハルヒの憂鬱」の影響力

涼宮ハルヒの憂鬱放映当時、俺は高校生

人数も少ない田舎バカ校で学年の半分がヤンキー、もう半分がオタクみたいなところだった。

オタクグループハルヒを毎週楽しみにしてて、俺もそっちのグループに居たわけよ。

ある日トイレで同じクラスヤンキー鉢合わせた、学年を仕切ってるリーダーみたいな人。

突然「おい増田ぁ!」と声をかけられた。

なんか気に障ることしたかなぁ、と思ってるとそのヤンキーちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに…

長門ってよぉ、可愛いよなぁ!」

と突然のカミングアウト。とにかく驚いたよ。見てるんかい!と。

その人の影響かは分からないけど最終的にヤンキーメンバーの内7割くらいはヤンキーオタクみたいな状態になった。

グループ間にあった壁もほとんど無くなって、みんな和気藹々とアニメやらゲームの話をするような仲になっていったよ。

ひとつ作品田舎バカ校にちょっとした革命を起こしたよっていう話。

2019-07-26

「終わりなき日常の終わり」とかいう終わってるコラム

アニメなんてなくても生きていける。

そう論じるのは簡単なことだ。

だが

人間そもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。

それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。

アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ音楽アイドルスポーツ観戦、特撮映画小説

多くの人間一見生産ものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。

まずこういったもの批判をすること自体禁酒法時代アメリカ天保の改革風俗取締令のようなナンセンスさがある。

すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。

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終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/

まりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファン豹変し、本人を襲撃。アイドルアニメは、そのマーケットクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。

もとはと言えば、1973年手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映労働争議で多くの人材放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメ製作ノウハウはあっても、資金的制作能力に欠けており、広告代理店テレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働常態化していく。

そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本キティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおマンガ翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。

このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーション前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守映画オリジナルストーリーうる星やつらビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。

アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSFさらにはもっとタイト大人向けのものもある。

にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。

もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生サークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。

なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数共通体験からだ。入学式修学旅行学園祭卒業式教室体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分個人人生空っぽな者、いや、イジメ引きこもりで中高の一般的共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生ガイ制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタアラサーアラフォーファンを誑かすのと似ている。

夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。

『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメ主人公は、のび太カツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後希望は、自分永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。

起業する、選挙立候補する、アイドルタレント芸人になる、小説マンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ

いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。

まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニ惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事待遇業界のあり方、物語方向性ファンとの関係見直しあらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。

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京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人女性戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実劇場版企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。

また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。

日本オタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。

京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。

エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。

終わりなき学園祭としてひとつ象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、

うる星やつら漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、

近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパン基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。

しかアニメファンは常にコンテンツ新陳代謝さらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社からといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。

1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。

そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。

そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社非情なる現実

そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品供給できる会社を存続させてきた、業界良心の要石のような会社京アニであって、それはこういう批判俎上に上げるべき存在ではそもそもない。

事件からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。

このケースは犯人特性も含めて極めて異常であり、安易因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。

この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。

オタクにイキって食う飯は旨いか

まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造ものも見受けられる中、ひとつひとつ作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。

あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。


最後

人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである

そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。

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