はてなキーワード: 暴走とは
ワールドトリガーがジャンプSQに移籍して連載再開するらしい。全く別のジャンルの作品で繋がったTLが、連載再開の報に一気に湧いているのを見てその報を知り、自分も嬉しくなった。熱い支持を受けていて、掲載順もそれなりに安定していた連載が、作者の身体的都合で休載を余儀なくされてしまった事態は傍から見ていても心が痛むものがあったからだ。
なので、だからこそ、今のタイミングでこの作品に対して自分が思っていることを吐き出しておきたい。……といってもタイトル通りなのだが、どうしても自分はこの作品にどうも熱狂的になれる面白さを感じることが出来ないのだ。TLの複数の愛読者曰く、「基本的に地道な展開で最初は地味かもしれないが筋が通っているので話が繋がってくると気持ちよく読める」とか、「登場人物がしっかり集団の一員としてそれぞれ思考して動いているので、キャラクターの言動にストレスを感じることが少ない」とのことで、実際自分も作品を読んでいてその要素は強く感じている。話の筋が通っているというか全体的に物語の筋が丁寧に描写されていて、登場人物もそれぞれ自分の立場をわきまえた上で動くので、とにかく話の進みがスムーズで、読んでいてストレスがない。だが何故かもやついた、どこか居心地の悪いものを感じてしまって、それが払拭できないままランク戦中盤あたりで挫折してしまった。ストレスなく話を読めて、楽しめているはずなのに、どこかでもやもやしていて、それがずっとひっかかっていた。
もやもやした居心地の悪さというのが長らく自分の中で言語化出来なかったのだが、最近それが「登場人物がしっかり思考して動いている」ことに起因するのではないかと思い当たり、少し愕然としている。
主人公含めメインとなる登場人物は、確かに社会人を迎える年齢を越えた大人もそれなりにいるが、基本的に中学生から年長でも大学院生ぐらいの歳だ。それなのに皆しっかり思考して、組織のために、任務のために、理性的に動いている。感情に突き動かされて理性や思考を放棄し全体の足を引っ張るような「危うい」登場人物が、主人公の対立的立場にあるキャラクターを含めてもほとんどいない(肉親の死の件で敵方や主人公サイドに確執を抱えている三輪秀次は例外と言えなくもないが、その設定の割には彼も随分物分りが良いように思える)。どうもそれが自分の中で引っかかっていて、いまいちTLの愛読者達のように盛り上がれないのだ。
暴走したキャラクターによって足を引っ張られるように展開していく物語が好きかと問われればむしろ苦手と言ってしまうタイプで、シン・ゴジラなんかはむしろゴジラ版お役所緊急事態お仕事もののノリでかなりのめり込めたしよく出来た映画だと思ったのだが、思春期の少年少女もそろって「物分りの良い」「良く出来た」キャラクターとして描かれてしまうと、ストレスの無さが行きすぎてむしろ居心地の悪さを感じてしまうのかもしれない。自分自身中学生や高校生の頃はおろか、一応の社会人になった今でも彼らのように理性的に動くことができる自信は全く無い。
だが、ワールドトリガーの物語自体は面白いのだろう。登場人物への居心地の悪さを抜きにすれば、キャラクターがちゃんと思考して動いているが故に話自体は見事に筋が通っていて、きちんと盛り上がるべきところで盛り上がっている。大規模侵攻編の話の運び方とケリの付け方は、自分の好みに合った方向性だった。何度も言うが、本当に話自体は好みに近いのだ。
なので、もしも「感情優先で動いているキャラもいるよ!」とか「三輪君順調に復讐者として成長してるよ!」とかあったら教えてください(ランク戦中盤以降読んでいないので)。実はこの機会にもう一度この漫画再チャレンジしてみたいんです……。
※追記
一夜明けたら思ってた以上に反応いただけていて驚いています。本当に単なる吐き出しですので!
合わないのかなというのは実感していて、一度挫折した後は距離を置いていたのですが、今回こんなずらずら長文を書いてしまったのは、連載再開に伴って「オタクなら何かしら刺さるよ!」な言葉が再び自分の周囲から聞こえるようになって、以前挫折した時に思った「オタクなのになんで自分は刺さらないんだろう」という疑問が再び沸いてきてしまったからです。上にも書いた通りむしろ登場人物の感情IQの低さを頼りに進む話ってあんまり好きじゃないんですが、何故かこれだけは合わないっていう。人間味がないから不気味というよりは、皆さん出来過ぎているように見えて読んでるこっちが勝手に疎外感や劣等感持っちゃってる感じです。なのでそこを克服できたらと思ったんですよね。
香取ちゃんについては名前は聞いていました。せっかくなので彼女の活躍?まで目を通してみて、それでも合わなかったらそういうもんだと思うことにします。教えて下さった方ありがとうございました!
キズナアイを除いたランキング10位までのVTuberについて独断と偏見で考えてみた。
ポイントは ①見た目の性的さ ②ジェンダー的にどうか ③教育番組的にどうか の3点。
■輝夜月
■シロ
■猫宮ひなた
教育番組:×、アドリブに弱すぎるのもあって、うなずきマシンになりそう
■月ノ美兎
性的さ:○、一見学生服だし胸も普通だし見た目だけなら問題なし
ジェンダー:○、中身がサブカルおじさんでないかと言われてたくらいおじさん
教育番組:△、好奇心トークが暴走していらんことを言いそうで怖い
■ヨメミ
性的さ:×、肩と腹を出しすぎ
性的さ:×、残念ながらへそを出しすぎ
ジェンダー:△、わかって使うなら問題ないのだが、説明がすごく難しそう
■ときのそら
ジェンダー:△、いい意味で相槌マシン。でもそこがいいんじゃないか。
(番外)
■剣持刀也
というわけで、にじさんじの2人に任せるのが一番安定するのではないでしょうか。
「たちつてとなかにはいれ」なんてよく言われるけど、こんな話をいきなり他人に振っても「お前突然何いってんの?」と言われそうで喋れなくなる。
本当に、言葉を浮かべようとしても何も出てこなくなる。
普段浮かんでくる思考が無意識の海から水面下に上がってきたものの集合とするなら、無意識の海面が限界まで上昇して全ての思考が水面下のずっと底へと沈んでしまったかのような感覚。
本当に何も考えられなくなる。
いや、何かを考えているのは分かるんだけど、それが言葉という形を取れる状態にならない。
幼少期に誰もが自分の多動性を抑えるために、自分の心にかけるようになるブレーキ・手綱、そういったものが強くなりすぎる時がある。
何を考えようとしても、それが外に出していいものであるという承認が降りないので念の為に表には一切出てこないようにされる感覚。
あれをどう乗り越えればいいのか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/DA3S13709603.html
今やネトウヨ=排外主義者、差別主義者と言う状況じゃないし、そうして来たのはカジュアルに他者をネトウヨと批判して来た人々なのだけど、このブコメ欄を見ても一度ネトウヨと認識して仕舞えば差別されて然るべき差別主義者として扱い、全く話も聞かない人が結構な割合で居る。
それこそが差別性を含んでる事に何故気付かないのか。
自身がネトウヨだから自分達を擁護してるとかじゃないんだよ。どこに属すでもなく私は私だ。
私なりの意見として、ネトウヨと言う共通敵を作って暴走を見せるアンチネトウヨのファシズム化を危惧してるだけだ。
ネトウヨじゃないならほうっとけば良いと言う意見もあるけど、最近はよくネトウヨとされる人達のコメントよりも、ネトウヨならこうだろうと言った極端でステロタイプなネトウヨ像の妄想を基にした発言にスターが集まったりもするので辟易してる。
無論右派に差別的な人間はいる。しかし右派もそうだからと言って左派を腐すのはやめて欲しい。
差別主義者に対し反差別を訴えて来た人達が差別主義者のように腐っていくのは見たくない。
個人的にはネトウヨと言う言葉はもう捨ててしまえば良いと思ってる。
そればかりか多種多様な人を勝手なネトウヨ像を作り批判したことで、新聞なら一読者、政治なら一支持者になり得る人をずっと遠ざけて壁を作ったように思う。
使い勝手のいいカジュアルな蔑称はウヨサヨ論争を激化させ、右翼と左翼の溝を広げ、多くの人はその状態を敬遠して政治から遠ざかり、その実、日本の分断工作としてしか実を結んでいない。
今日ネトウヨと呼ばれた人はそのステロタイプからほど遠く、いろんな意見や思想を持っている。
新聞も政治もそんな一人一人と対話するように、基本に立ち返って自分達の利となるように言葉を届けた方が余程有意義じゃないかと思う。
息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンはロビンマスクにこう尋ねた。
「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」
ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。
「だれも笑ってやしないよ」
心から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。
それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。
こんな感動的な場面から始めたい。
これは漫画「キン肉マン」に登場する一人の超人、ウォーズマンについての一つの考察である。
ウォーズマンはロビンマスクの弟子として、漫画「キン肉マン」の第8巻、
人間とロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人」である彼は登場時、
針状の爪を発射する武器、ベアークローを使って対戦相手を惨殺、
練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害、
キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、
植物状態にするなど、攻撃の残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。
しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、
前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが
性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。
ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマンに
「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、
ここから想像されるのは、彼が故郷のソ連で置かれていた厳しい状況である。
この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。
そして、対戦相手のマスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、
ウォーズマンは自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人」であることを嘆き、
どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄の生活」だったと称した。
いつしか自分は超人やロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。
やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、
それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。
彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、
それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。
ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。
醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、
いわば配慮のリアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、
ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである。
彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。
残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、
「黄金のマスク」編においては作品舞台として(「黄金のマスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、
仲間を支えながら友情を深めていく。
そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである。
彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。
この時の対戦相手はネプチューンマンとキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、
ロビンマスクは仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、
やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由にロビンマスクを殺そうとする。
ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマンに仮面を外されてしまう。
彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。
彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。
ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」
ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまりに残酷だ!!」
ネプチューンマンがウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したとき、ロビンマスクは特にそれを否定しない。
それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。
これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、
それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。
当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンはロビンマスクに、
そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである。
この場面において我々が再確認しなければならないのは、
そしてそれを“笑われる”ことをいかに忌避しているかということだ。
過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、
ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困と生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。
しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場、
すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄の生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。
ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。
アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、
その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。
彼の陰を知るロビンマスクがウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、
仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを
突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。
彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。
それから少しの時が流れ、「キン肉マン」24巻に始まる「王位争奪編」において
脱出に必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、
超人専門の医師であるドクター・ボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、
この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、
再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。
この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。
平和になった世界の中、ウォーズマンはアイドル超人の一人として、
「メディカル・サスペンション」と呼ばれる特別な治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。
そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、
宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである。
しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手、
対戦相手であった”完璧超人”ネメシスはロビンマスクを破った後、
塔状に組まれたリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。
「墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシスの言葉を聞き、
慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである。
この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、
続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、
戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、
もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、
対して師匠と弟子の関係にあったウォーズマンとロビンマスクとの関係の違いを示している。
その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。
ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。
テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、
「ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである。
キン肉マンにとって、ロビンマスクはあくまで自分と共に成長していく超人の一人であり、
彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。
しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ。
結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、
ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、
「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。
ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティング・コンピューター」だと笑った。
実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。
「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」
「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」
回想の中で、ロビンマスクはウォーズマンに攻撃の仕方を教えている。
もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。
ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマンが攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。
ウォーズマンの意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…
「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」
「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」
「オレハキカイナンカジャナイ」
彼の言葉はこの場面で、機械と人間が何を基準として分けられるのか、
そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。
普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、
その背後にある考えを、彼はこのように説明した。
「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」
「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」
戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、
「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマンは
彼自身が「機械でない」との自覚をもつにはまだ足りないものがあった。
それが、ロビンマスクがウォーズマンに伝えた、「誇り」である。
体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。
「オレハキカイナンカジャナイ」、
そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナで表記されているのは、
「あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という
“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか。
ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、
心は変えることができるのだと我々に伝えるが、
「ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り
幼少のころ、自身を「地獄の生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い
――憎しみ、悲しみ、怒り――、
それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、
最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、
すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。
ロボ超人である自分を理解するとともにしっかりと受け入れている。
ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、
「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、
彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。
自分の顔を見られること、
そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。
敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。
「キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。
そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、
その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。
しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。
そんな葛藤や劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求を
ウォーズマンは常に抱えているが、
そのような「変わらない」ロボットの体が他方、
静かに受け入れるだけの強さを持っている。
先日、お任せ録画で取られていたNHKノーナレの「裸に泣く」という番組をチラ見した。
最近ストリップ劇場で女性客が増えているというのはなんとはなしに知っていたし、別の番組でも何度か取り上げられるようになってきているというのも知っていた。
ただ、この番組の中での鑑賞をしている女性の感情は、少々危ういなという気がしてしまった。
現状の規模でなら、さほど問題にはならないだろう。
ただ、だんだんと流行の兆しを見せているとなると、ちょっとどうだろうか、という危惧を覚えるのだ。
当然TVに出る機会も増えていくだろう。
そして場合によってはストリップタレントのようなものが出てくるかもしれない。
そうすると、ふと、AV女優タレントのブームと、その終焉の仕方と、そして現在の状況を思ってしまうのだ。
そうした中で、そもそも「見世物」として人間を使う業態の場合、それも、なにかしらの矛盾を抱えるような稼業の場合は、色んなものが吹き出す瞬間がきてしまうんではないのか。
個人的には女性がそういったものを見るという現象自体は肯定的に捉えたい。、
けれども、そこで「見る」という行為で感じる感情の内容を、それもああいう危うい部分のあるものを見ている場合は、きちんと危険性の部分を見極めておいた方がいいと思うのだ。
単なる拡大期はいいけれど、暴走し始めた時、出てしまう矛盾や場合によっては非道な部分は、もう止められないだろうから。
そんな事を、少し思った。
日本の世帯年収ってさ30代の中央値は500万円~550万円の間で、20代ではは300万円~350万円くらいなわけ。
(この年代をチョイスしたのはこの年代が子供を作るか作らないか考えてるメインの世代だと考えたから)
すげえざっくりと500万から350万円でそのまんなかくらいを425万だとしてみるよね。んでもって、相対的貧困を更にその半分だとする(本当はもっと違う計算なのだけど、ここでは話を丸める。誤差が数百万なんてことはないので)。
とすると年収425万円付近が「結婚&子作り世代の普通(中央値)」で、425万未満だけど213万以上くらいが「結婚&子作り世代の下流だけど相対的貧困ではない」で、213万未満が「結婚&子作り世代の相対的貧困層」だということになる。
この辺は別に俺の気持ちや考えの話じゃなくて、今のデータだとこうですよねって話ね。もちろん細かくソースに当たれば数値は変更されると思うけれどかと言って数十万動くことはないんじゃないかな。おおよそこんな感じなのが今の日本の姿。
んでもってさ、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが、子供を作れないってのは、やっぱり国造りとしておかしいよね。おかしい話なんだけど「だから所得を上げろ」ってのがもっともっとおかしいでしょ。だって現実に俺らの収入はそうなんだからさ。
いやもちろん、国に対して「国民の所得を上げろ」って要求することそのものはおかしくないよ。でも「まともな子作りや子育てできないので上げろ」ってどう考えてもおかしいでしょ。だってその「まとも」っての基準を勝手にでっち上げてるのは国民側なんだからさ。マッチポンプないいがかりもいいところじゃない。
結論から言うと、いまの子作り&子育て収入直結論がおかしいのはここで、子作り&子育てのハードルを一方的に上げて、そのハードルを超えられないとギャーギャー喚くっていう論理の組み立てでさ。
もちろん上を見れば上があるってのは前提の上でだけど、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが子育てしようと思ったら、その収入にふさわしい子育てがあるでしょ。「普通の世帯収入の子育て」なんだから、それが「普通の子育て」なんだよ。習い事に複数行かせるのとか、毎年海外旅行に行くとか、お金がかかるスポーツをやらせるとか、予備校に行かせるとかは「普通じゃない」わけ。もうちょっと下を見れば、いまWebで公表すればネグレクトだと叩かれるような育児(もしくは育児放棄)――たとえば購入する衣類の数が少ないとか、昼間の間子供を放置するとか、公教育以外の教育をスキップするとかも、それが年収に基づくものであれば「当たり前」だと認識すべきなわけ。年収250万くらいでも子供を作って子育てして、その金額なりに首元がだるくなったTシャツとかで放任教育するのは「やって良いこと」なんだよ。そういうのを汚れた何かのように社会から滅却しようとすれば、子供なんて減って当然なんだよ。
それが普通ではないなんだか暴走した議論の渦中にあるのは、バブルとか少子化によって子供にかける投資が加熱して、それがマスコミやWebっていう偏った虫眼鏡で歪んで拡散されたせいで、「これくらいは子供にしてあげるのが普通だよね」みたいな風潮が蔓延したせいだよ。すげえ露悪的に言っちゃえば、意識の高いママ&パパが、うちの子自慢(に見せかけた自分自慢)をする道具として「わが家ではこんなふうに贅沢な子育てしてます」ってのをSNSで発信して、それを見てる側が真に受けちゃったみたいな話だ。SNSのグルメ自慢とおなじで、ある人が3000円のランチの写真を投稿してたとしても、その人が毎日3000円のランチを食ってるわけではない。のだけれど、なんか、「その程度の生活水準が普通」という共同幻想だけが肥大して、3000円のランチを食べられない人たちの怨嗟と劣等感だけが膨らむみたいな話だよ。
「この程度のお金はかけてあげないと子供がかわいそう」「子供の将来に禍根を残します」とかはっきり言ってほとんど全部詐欺でしょ。そらまあ、大学出たほうが生涯年収上がるとか、そういうのはあるよ。あるけれども、そうであるからといって「そうであるのが当たり前で、そうでないものは当たり前未満でマウントして良い」とはならない。夏休みなどの長期休暇で子供を旅行(特に自然の中に)連れ出してあげないと情操教育上で「問題がある」みたいな触れ込みで、昨今、キャンプスクールとかが流行ってるわけだけどさ。そういうのに申し込みしてお金かけないと子供が劣った何かになるとか、どこの寝言だろう。みんなが大好きな高度成長期をささえた日本人は別段キャンプスクールも大学も前提とはしてなかったわけでしょ。回顧ってわけじゃなく、今の時間軸に問題を限定したところで他国とそこに差は対してない。
こういうこと書くとWebでは虐待主義者みたいに言われるけれど、子供なんてほっといても育つよ。っていうか、そういう前提で、なおそこから「それでもできること」を積み上げるのが子育てでしょ。そうじゃない限り無限にハードルがあがって、失格両親狩りが繰り返されるだけだよ。まあ、いまそうだから少子化なのだとは思う。
だから少子化を解決するのに多少援助金を入れたところで意味なんて無い。マウンティング合戦が現在状況の本質なんだから、お金いれても収入上がっても、無限にハードルがあがっていくだけだよ。今までの歴史&海外の状況を見れば「海外留学に行かせるくらいがまともな教育で、それ以下の家庭は子供を作るべきではない」とかすぐにそこまで行くよ(発展途上国の富裕層の一般的発想だ)。「年収200万円以下は〜」なんてのはまさにその系譜だ。
問題なのは気の狂ったマウンティング欲求と、子育てを自己表現(で他所の家庭に自慢する道具)だと勘違いしちゃった両親と、そういうのに煽られて拡大報道しているメディアであって、もっかい「今の日本の実情に沿った、身の丈に合う子づくりと子育て」を考えない限り、何の解決もしないよ。
というチェックが最近増えていて、見かけるたびに舌打ちしているんだけど、
めんどくさいと思う一方、なんか不思議な感じだ。
だって、あの判定の過程に人は介在せず、すべてプログラムが処理するんだよね、あれ。
つまり、プログラム、ロボットに私という人間がロボットであるという疑義をかけられ
その反証として、チェックボックスに印をつけたり、文字を打ったり、パズルをしたりするんでしょ。
たまに間違ってるZE!とか再提出を求められたりして。
ロボット検査官にイラつきながらも「私は人間です!」と主張するも、
typoしたり、選び忘れたり間違えたりで
何度もその主張をロボットにしないといけないわけだ。
挙句の果てには間違えすぎると入場を断られるわけだ、ロボットに。
人間の私が。
週刊漫画雑誌「週刊少年サンデー」(小学館)で人気漫画『名探偵コナン』のスピンオフ漫画『名探偵コナン ゼロの日常』を連載している、漫画家の新井隆広氏のツイッターが炎上している。
新井氏は5日にツイッターを更新。「日付変わりまして午前零時、Next zero's teatime のお時間です」と前置きし、
(中略)このプロットのイラストが『名探偵コナン』ファンの間で物議に。新井氏のツイッターには、「安室さんと梓さんがいちゃついてるの辛い」「安室さんの恋人は国じゃないんですか?せっかく貢いできたのに梓さんとだけは恋人にならないでください」「安室さんと梓さんの絡みを見ると心が痛みます…」といった声が殺到し、炎上する事態になっている。
「さまざまなメディアを通じて行われるファンによる人気投票では、毎回のように1位に輝いている安室透。今年公開された映画『名探偵コナン ゼロの執行人』では、安室が『僕の恋人はこの国さ!』と宣言するシーンがありました。イケメンで何でもできつつ陰もあるという、完璧なキャラクターの安室の人気は年々勢いを増しており、彼と一番近しい距離にいる梓を敵対視する女性ファンは少なくないといいます」(映画ライター)
人気キャラ「安室透」ファンが暴走?『名探偵コナン』原作者のプロット公開“恋人疑惑”で炎上|ニフティニュース
2018年08月07日 13時00分 リアルライブ https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12184-41962/
124実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/08/19(日) 16:23:15.450>>130>>133
新井のクソツイにも期待しとるで
133実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/08/19(日) 16:26:10.300
わいもわいも
169実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/08/19(日) 16:47:13.210
983実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/08/19(日) 23:01:57.590
あむに触るなやクソが
https://phoebe.bbspink.com/test/read.cgi/pinknanmin/1534658088/
今週からnext zero's teatimeは安室さん自ら呟いてくださることになりました!ネクストコナンズヒントごっこというなかなか出来ない経験ができてとても楽しかったです!これまで見てくださった皆様ありがとうございました!— 新井隆広+8/8一巻発売 (@pyonpyon6) September 23, 2018
今号からは、こちらのアカウントでNext Zero’s Teatimeをお知らせします!
今週発売の「少年サンデー」44号は『ゼロの日常』が表紙!しかも、青山先生からプロット案を頂いた豪華2本立てです!
青山先生からの修正画を少しだけ公開します!
(担当より) pic.twitter.com/siueXsYEK8— 名探偵コナン ゼロの日常【公式】 (@zerotea_file) September 23, 2018
234実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 00:42:27.490
312実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 00:52:55.960
くっつける気ないにしても白湯婆への大燃料なのが許せんわ
318実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 00:54:40.000
これ
これからこちらではさらにゆるく「ハロの見守りカメラ」とか「鶴山おばあちゃまの銀ブラ日和」みたいな雑なやつを 気が向いた時にちょろちょろ出したり出さなかったり、ただ言ってみただけだったり あげられることがあったらいいなーと思っています!— 新井隆広+8/8一巻発売 (@pyonpyon6) September 23, 2018
おい新井やめろ
378実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 01:07:10.730>>382
いや白湯婆とか誰が見たいんだよ
574実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 01:48:26.690
鶴山ババアが白湯婆→梓に萌えるやつ白湯婆→一周回ってちゃんと鶴山のババアと呼ばれる流れ草
草…
401実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 01:09:50.480
新井ヤバない?
404実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 01:10:07.130>>409
あむと白湯くっついてほしいと思ってるあむの事を何も理解してない糞婆の話描いてどうしたいんや?
あむ婆に何か良い事ある?
539実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 01:39:44.180
667実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 02:10:40.300
773実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 09:50:21.940
わかっててやってるしコイツ
764実況しちゃダメ流浪の民@ピンキー2018/09/24(月) 09:34:11.060
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私は2年耐えた。
暴走の果てに責任感のない行動をする部下を何度も指導し、許した。
が、とうとうキレた。
部長が勝手に物事を決めるのが嫌だ!と言ったのは、そもそもコイツらである。
なので、部長は彼らに決定権を委ねたんだが、一向になにも決めない。
それどころか、こちらが何も決めないから悪いんだ、というような言動を平気でしてきた。
部長の指示もあり、私も進める仕事に関しての決定権は部下に委ねている。
もちろん、大きな部分は私や部長が決定しているのだが、彼らに影響が多いもの、仕事の進め方などに関しては考えるように促している。
それは彼らが望んだからだ。自分たちで決めて進めないと、やる気が削がれると部長に言った結果である。
こちらに落ち度がないとは言わないさ。
しかしだな。
てめえらが遅延したり無視したタスク、全部部長と私で片付けたんだぞ!
私は本来担うべき仕事に集中できなくて、結果未決になったんだよ。
本当にこいつらクズなんだよ。
例えば、この部署が解体されることになった時、他の部員は行き先あるけど、こいつらにはない。
他部署とメンバーチェンジを打診してみたが、「今は面倒見きれない」と断れらた。というか、はっきり「嫌」とも言われたことがある。
人事からはストレス過多になってるから注意してくれと言われてるんだが、8時間だらだら仕事しても定時で帰れるほどなんですよ?有給も自由に取れるし、誰も怒らないし、怒鳴らない。仕事がうまくいていないとわかれば、他の部員がやってくれるんですよ?
責任も取らず、考えなしなことを平気で言ったり、わがまま放題して、なのにストレス過多ってどういうことさ(笑)
できる人間には仕事が集中して、ダメな人間は「やった風」になっている。
ウチの部が会社一の売り上げを誇っているのは、構成人数が少ない割に売り上げが多いからだ。
そして、その売り上げは部長と2人の優秀なメンバーのおかげなんだよね(私は違う)。
だが、管理職になりたかったわけじゃない。諸般の理由で異動したが、自分の意思はまったく考慮されてない。
他部署に配属されれば、今みたいな気苦労は少なかっただろうなあ…って手のひらをじっと見ている。
社内ナンバーワンの売り上げを誇り、毎年のように表彰されている部署だが、はっきり言って仕事には全然興味がない。正直、一番やりたくない仕事だった。部長も好きじゃないし。
ここまで言うと、社内でこの仕事を希望している人間に刺されそうだが、本当に興味がない。嫌いと言ってもいい。
それでも給料をもらっている身なので、仕事のいいとこ探しをしつつ、早2年が経過した。
昨年打診はあったのだが、どうしてもなりたくなくて、わざと自己評価を下げた。
上司からも何度か自己評価を改めるように言われたのだが、それを無視した。
結果、自己評価が低すぎて昇進会議にかけられないということになり、上司にはかなり叱られた。
まあ、結局のところは、役職ついてないのに管理職と同じ仕事させられてるんだから、割食ってるんだけどね。
この会社に転職してから、こう言った手を焼く部下が非常に多い。
この部署に異動する前も、社内でも有名な手のかかる部下を複数見ていた。一番手を焼いたのは、息を吐くように嘘をつく部下である。
自覚なく嘘をつく部下のことを考えたら、今の部下の方が数万倍マシなんだけどね。
ただ、今まで自立心旺盛な人たちが集まりやすい環境にいたせいか、依存や他責な人間が多くて少々驚く。
異動できればローテーションしてガス抜きをするんだが、ローテーションさせたい部下を引き取る部署はないし、自分が異動を希望すると部長が全力で引き止める。
お互いに逃れることができない地獄絵図だ。
この地獄絵図はどこまで続くのか。
もう禿げそうw