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はてなキーワード: 成就とは

2019-06-21

生きづらい人向けの漫画を読んでの雑感

最近やたらはてなをにぎわせているので、いっちょかみしてみる。

生きづらい男性主人公漫画

僕の小規模な生活

まず思いついたのはこれ。いつもくだらない事でウジウジ悩んだり暗い事ばかり考えている福満しげゆきエッセイ漫画

初期の方は学校中退フリーター童貞漫画も売れない…とまさに「生きづらい男性」そのもの

だがこいつは後に美人の嫁さんと結婚し家を買い子供も2人できわかりやす社会的成功をおさめている。

ルサンチマン

印刷会社で働くさえないおっさん主人公。友人のすすめで「アンリアル」の世界での恋愛にのめり込んでいく。

これも最終的にはアンリアル世界美少女月子と、現実の同僚の女性長尾さんに惚れられ取り合われるようになる。

最後は親の後を継ぎ、現実世界で小さい弁当屋になる。

最後に、長尾さんの生んだ月子がお弁当屋さんに来て終わる。

最強伝説黒沢

建設会社で働くさえないおっさん黒沢主人公。良かれと思ってやったことが殆ど裏目に出たり、公園にいるだけで不審者と間違われたり、

職場でも後輩にコケにされていたりと、今でいう「KKO」の先駆け。

最後まで金を手に入れることも無く、唯一出てきたレギュラーの女キャラホームレスのおばあちゃん

作中では最終的にホームレス達のリーダーになって、暴走族集団をやっつけたりはするので、完璧に何もないという事はないが、

社会的には最後まで「KKO」だったのだろう。

続編では若い子に慕われたりしているのでそれは微妙

生きづらい女性主人公漫画

・凪のお暇

節約けが趣味のさえない事務員主人公が、仕事を辞めてボロアパートに住み始める話。

ドラマ化するので一応入れてみたけど、凪は「顔がかわいい」「巨乳」「20代」という最強カードを持っている。

元カレもいるし、アパートの隣に住んでいる男とも男女の関係になる。

引っ込み思案すぎる性格や、収入面では生きづらいのだろうけど…。

ガチで生きづらい女性から見ると「ふざけるな」と思われるのではないだろうか。

漫画としては面白いが、「生きづらい」人目線だと微妙ではないか

・その女、ジルバ

スーパー倉庫で働く冴えない独身40歳の新が主人公貯金もないと作品内でしっかり明記されている。

近所の「熟女バー」で働き、人生の大先輩のお婆様たちとかかわり、前向きになっていく。

プロフだけだとかなり「生きづらそう」だが、性格が穏やかで倉庫の仲間やバーの御婆様達とも仲がいい。

実家とも良好で、お正月などは家で両親や弟夫婦と仲良く過ごしている。

割と「生きづらい女性」が楽しく生きる答えに近い生活なように思える

最後まで結婚もしないし、何か大きな事を成し遂げるわけでもないけど、「居場所」を見つけられている。

・たそがれたか

社員食堂厨房で働く、暗い性格の45歳バツイチ女性主人公

ガチ生きづらい勢としては、一度でも結婚できて子供がいるんならいいだろ…と思うが、

たかこが人生を器用に渡っていくリア充には全く見えない。

息子ほどの年のバンド男の子にハマり、初めてライブに行ったり、お洒落をしたり、ギターを買ったりしている部分はとても良い。

が、なぜか途中から同じアパートに住む中学生男子を好きになり、最終的には告白までしてしまう。

これは読者の間でもかなり非難囂々だったようだ。当たり前のようにフラれた所だけは救い。

・SEX

男性向けは全員最初童貞だが(黒沢素人童貞)、女性向けは全員非処女

女性若い頃がモテピークな為、いい年して処女キャラリアリティが無くなるからだろうか。

男性黒沢以外は作中で童貞を脱する。

女性は凪のみ元カレや隣人とのSEX描写があるが、他二人は無し。

モテ描写

魅力的な異性に取り合いされる程モテたたくろー

最終的には美人結婚した福満

ヒロインがお婆ちゃん黒沢

元カレはまだ凪を引きずっているし、婚活パーティーにいけばモテモテの凪

熟女バー若者扱いされたりはするが、モテという感じではない新

元旦那若い女と再婚し、ショタにはこっぴどくフラれるたかこ。

はいわゆる「雑魚モテ」というやつだと作中で説明されるが、少なくとも元カ宇レはイケメンだし、恵まれている部類にしか見えない。

仕事

男性向けはみな薄給ぽい仕事をしているが、多分正社員

福満は漫画もそれなりには売れ、家も買っているので現代でいえば確実に勝ち組だろう。

黒沢は続編ではホームレスになる。

女性向けは凪は無職。新は正社員かはわからないが倉庫バーの掛け持ち。たかこは調理員。

一番金がありそうなのは福満だが、安定のしない自由業なので不安はあるだろう。

たかこは同居している母がアパート経営しているので、それなりに余裕はあるのではないだろうか。

・友人関係

男性向けだとたくろーは学生時代から友達とかなり仲が良さそうなので、そこは充実している。

福満は友達がいないという割には結構色んな人と遊んでいる非リアぶりっこおじさん

黒沢は多分、仕事以外の人間関係が無い

凪は元職場では気が弱い人としてちょっと見下されていたが、無職になった後ハロワ友達ができたり、隣の母子家庭と仲良くなったりする

新は倉庫でもバーでも友達がいて、さら実家とも関係が良好

たかこは友人描写皆無。さらには学生時代不登校だったというエピソードもある。

ガチ人生積んでる勢の感想としては、黒沢以外はなんだかんだ全員リア充じゃねえか〇ね!と言いたくなるエピソード結構ある。

女性の生きづらい系漫画は、意外と恋愛成就することを結末には持ってこない傾向があるように見受けられる。凪はどう転ぶかわからんが。

対して男性の生きづらい漫画は、結婚でひと段落したり、女(お婆ちゃん)を守る事で自尊心を高めようとしたり、女に執着するエピソードが多い。

一般的には女のほうが恋愛結婚に拘りそうなものだが、生きづらい界隈だと逆の傾向なのだろうか?

anond:20190621121131

そこで年金払えデモですよ

香港の方々のデモ成就しつつある

次は我々日本人の番だ

2019-06-17

メディアネットの過剰な偏見社会精神ストレスを増幅させ、予言自己成就的に作用する

という暗い気持ちになった

anond:20161001201454

少女漫画恋愛って頑張った方が負ける傾向ない?

非常に面白いなと思っているので少しまとめてみる。少女マンガを色々と読んでいて登場人物の男にせよ女にせよ、頑張った方は負ける。これはシンデレラの時からすでにそうで、王子様に気に入られようと努力をしているのは姉達の方で、シンデレラにはそういう努力がない。そうあったらいいなぁという気持ちけがある。『運命がすべてを凌駕する』というのが少女マンガの骨格のようで、そのために色々な意地悪をされたり困難が訪れたりするのだが、これをひっくり返すのは自分努力ではなく運命的な出会いであるようだ。また主人公女にしても、いじめブサイクおっちょこちょいなどマイナス属性からスタートし、やはり出会いによってそのマイナス解決され運命成就する。賢い女性主体とした物語を探しているのだが、賢い女性場合、その人が興味を持つ対象ファッション読書ダンス音楽仕事など様々あるが、その人の賢さが発揮されればされるほど、その人の人生はその対象にのめり込んでいき運命的な出会いはむしろ離れていく傾向にある。これは想像上においても賢い女性運命的な出会いから離れていってしまうのか、それとも新しい出会いの形を見いだせていないのかはまだ分からない。

2019-06-15

anond:20190615131333

真正から要求するとむしろ成就しないように嫌がらせリアルから

攻撃し、かつその意図がわからないようにしてだ

忖度させる立場に何とか移動するのが一番ただしい

急がば回れ

2019-06-10

[]anond:20190610220140

■年上の同期に恋をしている

笑顔可愛い年上のあの人が大好きだ

仕事はできるけど年上の男性とは思えないほど柔らかくふわふわした雰囲気で、目を見るとドキドキしてしま

まっすぐな瞳をみると心が揺さぶられる

言葉の選び方とか物腰の柔らかさ、それからぱっちりした目とにこやかな表情と、爽やかで文武両道なところとか、似合うものを身につけているところとか、品良く穏やかなところとか

通勤バスが同じ便のとき、隣には座らずお互い1人席に座る暗黙の了解があるので私はいつもその人の少し後ろに座って姿を見たりしている

その手に持っている図書館バーコードがついた、分厚い単行本はどんな本なのかとか雨の日耳につけたイヤホンからはどんな曲が流れてるのかなとかそんなことをいつも考える

職場恋愛なんて仕事しづらくなるに決まってるから成就を望まない方がいいなんてわかってる

だけど、二十代も半ばにさしかかって出会いの少ない職についた人生であと何回恋に落ちることができるだろう

恋心を表には出さないようにするから遠巻きに眺めたり、ひとりの時にすこしにやにやするぐらいは許してほしい

年上の同期に恋をしている

笑顔可愛い年上のあの人が大好きだ

仕事はできるけど年上の男性とは思えないほど柔らかくふわふわした雰囲気で、目を見るとドキドキしてしま

まっすぐな瞳をみると心が揺さぶられる

言葉の選び方とか物腰の柔らかさ、それからぱっちりした目とにこやかな表情と、爽やかで文武両道なところとか、似合うものを身につけているところとか、品良く穏やかなところとか

通勤バスが同じ便のとき、隣には座らずお互い1人席に座る暗黙の了解があるので私はいつもその人の少し後ろに座って姿を見たりしている

その手に持っている図書館バーコードがついた、分厚い単行本はどんな本なのかとか雨の日耳につけたイヤホンからはどんな曲が流れてるのかなとかそんなことをいつも考える

職場恋愛なんて仕事しづらくなるに決まってるから成就を望まない方がいいなんてわかってる

だけど、二十代も半ばにさしかかって出会いの少ない職についた人生であと何回恋に落ちることができるだろう

恋心を表には出さないようにするから遠巻きに眺めたり、ひとりの時にすこしにやにやするぐらいは許してほしい

2019-05-31

気持ちはよくわかる

強い言葉他人攻撃、反撃すると、周囲にいる関係ない人の方が罪悪感を抱えて苦しむ

それを見て反撃する人が出てくる意味理解できないとますます言葉は激しくなり、最近攻撃正当性を補強する言説や愚かな極端な敵がいくらでも湧いてくるので予言自己成就というべき状況になる

2019-05-24

anond:20190524232209

財政再建派は数十年前から「もうダメ連呼し続けてるから

ずっと予言成就しなくても主張を変えない一貫性評価するかしないかは人それぞれだろうが

2019-05-10

マスゴミは無くならない。何度でも蘇る。

ミイラ候補ミイラ捕りは沢山いる。

被害者への取材に対する批判が盛り上がっている。内容はまあおおむね正論だ。でもその書き込みをしてる人たちに聞きたい。そのツイート、少しも「バズって欲しい」「共有されたい」という期待を込めなかっただろうか。

改行を工夫したり、改元に絡めてみたり、被害者への共感を煽ってみたり、上手いたとえ話を入れてみたり。その文面を作るとき何を考えていた?

youtuberクラウドファンディングパトロンサービス投げ銭、バズったら宣伝、欲しいものリストnote…、今や拡散承認欲求成就だけでなく金になる時代が来た。一時期過激youtuber問題視されたが、もうその時のようにyoutube企業対応すればいい話ではない。

一般人がみな情報発信フォロワーの数で人の価値を測るとき、「とにかく注目を集めなければ始まらない」というマスコミ理屈がすべての人にのしかかる。そんな時代に当たり前の道徳倫理をもって埋もれる自分を許容できるだろうか。正道で目立てない人間邪道に手を出すだろう。

ここ数年で個人送金の支援サービスが大量に沸いた。「個人支援で今まで埋もれていた多様な製品コンテンツが日の目を見る」というようなお題目もあるが、なんてことはない「金の仲介は儲かる」からに過ぎない。実際には「目立つか否か」の要素がより大きくなったと言える。インフルエンサー拡散されるか否かが成功のカギと言っても差し支えない。結局これからも優位に立つのは「発信力のある者」と「右から左仲介する者」、つまり時代マスコミ中抜き業者である

恐らく若い層はそのことを本能的に察知している。だから炎上したい(目立ちたい)」というのだろう。これからネット個人分散されたマスコミ権力の欠片を奪い合うバトルロイヤルだ。勝ち残るのは容赦を捨てて新たなマスゴミになれるような奴に違いない。

2019-04-28

夢見りあむはアンリマユの夢を見るか

いやー、今回の総選挙面白いですねー。

なんといっても台風の目となっているのが「夢見りあむ」。

はてなブログでも様々なお気持ちが渦巻いていて、

この総選挙の全ての感情の中心を担っているといってもいいでしょう

しかし、いくつかのブログを読んでいて気づいたのですが、

彼女総選挙トップになることに否定的ものが多くあります

その中で「彼女ストーリーがない」ことを挙げているものが多くあります

曰く

総選挙というのは、上位になるべきキャラクターであるバックボーンがあり、

ストーリーがあるから輝くのだと。

翻って夢見りあむはどうだ。

ストーリーなどない

なるべきキャラクターバックボーンもない

それどころかクズというただ一点しか見ていない有象無象面白がって投票しているだけではないか、と。

からあいつが上位になるべきではなく、もっとふさわしい人がなるべきだと

なるほどー、確かにバックボーンがないぽっと出の新人がなるべき場所ではないかもしれませんねー。

それこそ格というものがあるのでしょう。

シンデレラガールズ世界に対しての正義がそこにあるのかもしれません。

でも、そんな言説こそがあの子炎上の燃料です。

いや、そんな言葉があの忌子ともいうべき存在を生み出したといっても過言ではないです。

もしそれが正義だというなら

夢見りあむは、シンデレラガールズの「この世のすべての悪」を背負った存在になり始めています

シンデレラガールズはもう7年目になるそうです。

思えば遠いところに来たものですが、コンテンツというのは長くやっていくと停滞していきます

シンデレラガールズ最近の展開としてどのようにすればいいのかという停滞の中にありました。

自分が感じたのは5thライブが終わったあたり)

繰り返し行われる総選挙ルーチンワーク

そこでストーリーが展開されることはあったとしても、

それは今までの積み重ねの延長でしかありません。

もちろんそれは長くなってやってきたことの利点でもあるのですが、

それと同時に積み重ねの中ではじかれてしまったストーリー存在します。

シンデレラの中ではじかれてしまったストーリーには少なくないファンもおりました。

いま存在を多くの人に届けられていないストーリーは取捨選択の結果として選ばれなかったものでした。

土台シンデレラの物量が物量なのでそれは致し方ないことなのですが、

新しい風を入れる総選挙があっても、順当なキャラが選ばれ、予定調和的に一位が決まる。

そう感じてしまった人たちでシンデレラを去った人も多くいます

そういった選ばれなかったストーリーは少しずつ少しずつガラスの靴の底で溜まっていったわけです。

その積もり積もったストーリーの「泥」は時たま漏れしましたが、シンデレラの中では見ないふりをされてきたものでした。

しかし、それも限界がきた。皆その泥の存在空気感として見え始めてしまったわけです。

それにより、シンデレラはある種の停滞をしていました。

人は変わらずいる。しかし、やる景色や見栄えが大きく変わることはない状態でした。

このまま変わらないまま徐々に人が減っていくのではないか

そんなループする停滞感の中、今回の新キャラ追加があったわけです。

そして、夢見りあむが現れたのです。

夢見りあむはザコメンタルであり、くずであり、炎上癖のあるどうしようもない存在です。

でも彼女本質は「空っぽ自分」を持ったまま「承認欲求を満たそうとする」ところにあります

彼女彼女が把握している限りにおいて「自分」というものがありません。

自分がないけど認められたい。

自分がないのにちやほやされたい

承認欲求とは「自分というものがあって」初めて昇華されますが、それ自体がなければ彼女は何を人に認めさせるというのでしょうか?

彼女承認欲求という自動的意思によってその外形を保っているという稀有キャラなのです

じゃあ、その空っぽに何を詰め込まれるのか。

それこそが先ほど言ったストーリーの「泥」達です。

存在すら認識されなかった絶望

切り捨てられた可能

ふさわしくないと断罪された物語

それらの形にあまりにも、承認欲求だけ求めるりあむの形は最適すぎた。

彼女はそのストーリーたちの殻として今回の総選挙に殴りこんだわけです。

から彼女ストーリーがないという批判はあらゆる意味で悪手です。

だって彼女の中に詰まっているのは切り捨てられ、存在をなくしたストーリーなのだから

あなたたちがストーリーを追いかけて追いかけて追いかけた結果忘れてきたものなのだから

あなたたちの目の前には今あなたたちが捨ててきた可能性が現れただけです。

おそらく、今の夢見りあむが願いをかなえた後はぺんぺん草も生えなくなるでしょう。

なぜなら、彼女が勝ったとしてもストーリーの泥は存在を認められるわけではない。

それは今はもう変質して後戻りもできなくなったなれの果てだからです。

そのストーリーがそのまま成就するわけではない。

しかしたら、総選挙なんて願望機は破壊され、泥に覆われてなにも残らないかもしれない

ただ

そのストーリーが再度生えてくる可能性を夢見れるくらいには何もなくなるのなら

それも一つの選択なのかもしれません。

それは停滞と変わらないことを求めた何かに対しての悪のアンサーです。

さて、あなたはどう答えますか?

願わくば逆天の月の果てで解答を見たいものです。

あと千夜に、りあむに対して「あなたロックスターみたいね」と言わせれば完璧だと思う

2019-03-28

ゆっくりおやすみ

みんな幸せになって、ゆっくりおやすみ

つらいこと、嫌な事、投げ出したって構わない。

男だからと縛られて、本当はやりたくないこと。

女だからと縛られて、断れずにいたこと。

やらなくていい。断っていい。

欲望成就させる事が、夢を叶えることが、生きる価値だと、この世の幸せだと盲信させられてきた。

それももう、捨てていい。

欲にとらわれなくていい。

勿論、簡単に叶う欲ならどんどん叶えて、自分幸せにしてあげればいい。

自分自分を大切にしてあげることが出来てから、人の事に構えばいい。

でも本当は、人間自分自分を助けることしか出来ない。

こちらが言葉で伝えても、態度で示しても、本人が変わろうと思わなければ変わらない。

セクハラパワハラ虐待もなくならないし、戦争は続く。

人は絶対死ぬし、そもそも地球だって永劫破滅じゃない。

それでも自分自分を大切にすることが出来れば、不安の中でも生きられる。

あなた人生幸せ時間が、一分一秒でも増えたら、私は嬉しい。

2019-03-23

anond:20190323150819

増田さんが橋本さんの存命中に亡くなってしまい、しか増田さんの願いが成就したら、初代と二代目の橋本さんが併存することになるのかな。

2019-02-27

キャサリンフルボディはマジでLGBTへの偏見に満ちたゲームだと思う

キャサリンフルボディ。

同性愛者として、凄いイラついたゲーム

購入してプレイしたこと証明したくてamazonレビュー投稿したらamazonレギュレーションに反するとかで掲出されなかった。

日曜日に6時間もかけてせっせと書いたのにのらなくて超ショック。

まあ、性器だの肛門だのセックスだの書いたからか。それともジェンダー書き込みamazonさんNGなの?

どちらにせよ、書いたのが無駄になるのが嫌なのではてなさん初投稿

誰か読んでくれることを祈る。

以下投稿した内容をコピペ

___

エンディングまでのネタバレまで書いているので、ネタバレが嫌な人は読まないでください。

セクシャリティに関して語りますので、性的用語も書き込むと思いますので、その点もお許しください。

私は同性愛者、性別女性です。

以下の感想は私の主観に基づくもので、全ての同性愛者やトランスジェンダーの方がこのゲームに対してそう思うというものではありません。

ですが、プレイした結果、私はこのゲームシナリオはとても差別的だと思ったし、私(とプレイを傍らで見ていたパートナー)はアトラスゲームが大好きな者として、とても悲しく思いました。

レビューでは主にどこが差別的だと感じたかに関して書きますので、シナリオへのレビューが主になりますパズルゲームとしてのレビューをご覧になりたい方は他の方のレビューをご参照ください。ちなみに本編パズルよりラプンツェルのほうが私は好きです。

リンとの恋愛成就するルートクリアしました。(初回は恋人ルートだったので、たぶん、リンルートかと思います)

最後まで一緒に見ていたパートナーはとても悲しい思いをしました。主にどこに感じたかというと、リン同性愛者として描かれていますが、その描かれ方にとても差別的もの同性愛者へのステレオタイプ偏見を感じたからです。

詳細を書いていきます。ここからネタバレが沢山書いてあります

リン記憶喪失ヴィンセント出会い、寄る辺がなくヴィンセントに世話になり、親しくなっていき、惹かれあっていきます

リン自分のことをワタシと呼称していて、どうやら記憶喪失ではあるものの、自分セクシャリティに関しては自覚があったようです。なので、自分同性愛者というか、ワタシというからには自分トランスジェンダー認識していたのでしょう。

その上で、ゲーム中盤でリン男性器がついていることをヴィンセントに目撃されます

コミカル描写の上で、リンを拒絶し、リンを押して転倒させてしまう、というシーンがあります。全編コミカル映画ならまだしも、真面目なトーンのキャサリンのようなドラマなら、欧米ではこんなシーンはもう流せないですよね。日本は遅れてるな、こんなシーンがあるなんて、と思いました(同性愛者は自分セクシャリティを隠して異性愛者に近づくものだという偏見ですよね。そんな同性愛者は今時いないと思うんだけど)。強い違和感がありました。

ゲームを徐々にすすめるにつれて、これは製作者の偏見で、つまり差別なんじゃないか、と少なくとも私たちカップルはこのシナリオがとても差別的だと思いました。感じたことを書いていきます。まとめる能力がないので、ちょっと支離滅裂かもしれません。その点はお許しください。

リンはその後、ヴィンセントの前から姿を消すのですが、その後電話で「私、受け入れられてると勘違いしちゃってました。ごめんなさい」とヴィンセントに言います。このセリフにすごく違和感を感じました。

エロ目の携帯写真を送ったりして気を引き、明らかな恋愛眼差しを向けていたにも関わらず、リンヴィンセント自分セクシャリティを語りませんでした。何故だろう。普通、言うよね?なんで言わないの?と疑問に思いました。恋愛なんですからヴィンセント同性愛かどうかなんてわからないんだから意思の疎通を図ると思うんです。意思疎通しないで恋愛しないでしょ?自分恋愛対処相手確認とるでしょ?リンのしたことはヴィンセントへの不義理であり確かに謝罪するべきかもしれません。けど、そもそもになんで謝罪するようなことになってしまったんでしょう?なんで、自分セクシャリティを言わなかったんでしょう?

違和感はまだあります。「(男性であることを)受け入れる」っていう言葉が私にはわかりませんでした。私はパートナー人間としては受け入れてもらってますが、恋愛としては受け入れる入れないではなくて、私とパートナーにとって同性を好きなことは当たり前のことで受け入れる入れないということではないのです。だって両方とも同性が好きなんですから

そういった、リンセクシャリティはなんなのか?意思のようなものはなんなのか?が物語ではこの時点では明かされなく、そして最後まで明かされないというか、存在しないように思います

なので、このあたりから先ほど書いた「同性愛者は自分セクシャリティを黙っていて、異性愛者を騙して寄ってくる」という作り手側の偏見からも、このゲームでは偏見によって物語がつくられているのではないか?と感じはじめました。

ヴィンセントはその後、リンを選ぶべきだと仲間から促される形でリンを選びますが、その選ぶ理由がとても希薄です。ヴィンセントダメ自分リンは受け入れてくれた、と言いますがその程度で異性愛者であった彼がリンとの恋愛を選ぶことはとても抵抗がありますヴィンセントバイセクシャルでだったということでしょうか?多くの同性愛者は異性愛者が恋愛をするように自然に同性を愛していると思います

あと、全編にわたってエロというか性愛が凄く大切かのようにゲーム表現されていますので、ヴィンセントリンと付き合うということは、リンセックスをするということかと思います。が、セックスのシーンはリンに限ってのみないように思えました(他のルートであったらごめんなさい)。ヴィンセントセクシャリティ確認し、リンセクシャリティ確認し、どうお互いがセックスするのかということがリンルートにはありません。男性同士のセックスにも多様性があると思うので一概には言えませんが、通常は肛門による性器接触かと思いますが、ヴィンセントリンとの行為ができるということなのでしょうか?リンに限っては出来る、ということでしょうか?リンが口内による行為を求めたらヴィンセントはできるということでしょうか?セクシャリティとかセックスってそういうお互いのしたいことの調整だと思うんですが、この流れの恋愛の上でそれがヴィンセントにできるとは思えませんでした。

セックスを題材にしているゲームなのに、リンだけセックスがぽっかりと抜け落ちていて、それが凄く凄く違和感があり、偏見というか、差別を感じました。恋人に関しては初夜のシーンすらあるのに。

描写したり言ったりしたら世の中の多くの人は引くんじゃないか、とか、そういう同性愛の性を描くことがグロテクスと感じているかのような、そんな空気をこのゲームからは強く感じますリンセクシャリティを軽んじている感じをとても受けます。そういったことを異性愛と同列に扱えないならばこのゲームテーマと反するので軽々しく同性愛を扱わないで欲しかったです。

ここから先は同性愛者としての感想というよりは、個人的なことがらなのですが、その後、リンは様々あって人間ではないということが判明します。それが判明したときの私のパートナーは絶叫して泣き出しました。パートナーは親兄弟同性愛理解されず、化け物、人間じゃない、宇宙人だ、などと散々と言われてきて、ようやく都会に出てきて自分と同じ同性愛コミュニティに入り、平穏を取り戻しました。そんな彼女が、このゲームの終盤にリン宇宙人であることを知ったときの悲しみはとても深かったと思います。大好きなゲーム会社ゲームからすら、同性愛者は人間扱いされないのか、と、泣きました。

そのほかにも、記憶がもどったら一人称がボクになったり、宇宙人のお兄さんたちと再会したさいに、女装をしている理由もお兄さんたちが好きな格好をさせていた、という理由で、それもリンセクシャリティのなさを感じ、強い違和感を覚えました。

あと、お兄さん宇宙人容姿がお尻のカタチなのも同性愛テーマにしているリンルートにおいて悪趣味だなと思いました。

映画の「モールス」のように恋愛対象が性別を超えた性器存在しない者で、それとの恋愛ということであれば納得できたのですが、そこにセクシャリティが絡むと、全てがチグハグになり、製作者の偏見が全面に感じられて極めて不快に感じられました。

アトラスゲームPSPペルソナ3vitaペルソナ4、真女神転生4とファイナルプレイしたことがありますペルソナ3と4は特に社会に馴染めない悩みを抱えた若者たちにより添い、共に歩んでいく弱い人間によりそうような優しさがあり、とても好きでした。こんな感情ゲームから得られるなんて思っていなかったので、本当にアトラスという会社はすごいゲームを作る会社だと、大好きになりました。プレイステーションの3も4も持っていないため、ペルソナ5プレイできていませんが、アニメは見ていて、同じような優しさを感じるので、やっぱり好きなだなぁと思い、vitaでこのゲームが出たので買いました。ですが、このゲームにはそういった優しさは一切感じません。同性愛者をただゲームネタセンセーションな一部として扱っているような感じと、製作者の偏見が全面に出ていて凄く残念です。

リンのみならず、ゲームの本筋ではないですが、エリカトビー関係でのエリカの扱いがトランスジェンダーへの偏見というか不理解助長する扱いをされていると同様に感じました。

とくにトビーエリカとのはじめてのベッドインをバーで報告するシーンのセリフで、「経験がないからわからないけど、なんか入れた時に違和感あったんだよね」というようなセリフがありましたが、ゲームを終えて考えてみるとエリカトランスジェンダーとして劇中では扱われているので、まるでトランプ大統領が話すような最低なトランスジェンダーへの差別ギャグのようだったんだと気づき極めて不快でした。

私の疑問はエリカトランスジェンダーで性転換を行なっていたとしたら、性転換後の女性であることを言うでしょうし(セックスに潤滑オイルのようなもの必要なはずなので)また、アナルセックスをするならば男性器はまだついているということでしょうから、ベッドインした段階で気づくでしょうし、性器がついていることが不快で除去したとしても、はじめてのセックスといえど女性器と肛門を間違えるとかありえないし、エリカ男性器がついているなら、豊乳手術をうけて胸を作っているのはどうしてなのかとか、よくわかりません。エリカという人のセクシャリティが極めて不明瞭でかつ、エリカもまた自分セクシャリティ恋愛相手に共有していないことに強い違和感を覚えますし、エリカへの扱いはこれ以外にも一つ一つが彼女存在を軽んじていて、オヤジギャグネタのために存在させているような偏見不快感を感じました。

私自身はLGBT権利を声高に主張するようなことはしたことはありません。(そもそもに私はLGBTというくくりも好きじゃないです。)が、同性愛者としてまた一個人として、お金を出して買ってプレイしてとても不快な思いをしたので、その不快を書き込む権利はあるはずだと思って書いていたら長文になってしまいました。読んでいただきありがとうございます

2019-02-06

アイドルを好きになるということ。あらかじめ失われた恋愛

アイドルを好きになったとき、僕たちは同時に失恋している。

僕が自覚的なのはいわゆる「ガチ恋勢」ではないからかもしれないが、これは誰にとっても同じだ。僕たちはあらかじめ失恋している。

ステージ上の彼女たちの笑顔歌声に覚える胸の高鳴り、チェキサインをもらう間わずかに言葉を交わしたときの嬉しさ、次のライブの待ち遠しさ、

どれを取っても紛れもなく恋愛感情といえる。けれど、アイドルファンという関係性が横たわる限り成就することのない感情だ。すなわち僕たちは初めから失恋している。

これは悲しいことのように思えるけれど、僕たちにとっては救いでもある。彼女たちと僕たちの関係性は容易く崩せるものではないのだから、僕たちは誰もが平等片想いしていられる。

もっとも、距離の近さを売りにしている場合には崩れることもありそうだけれど、そこに適応しているファンは「ワンチャンある」ことを織り込み済みで、あるいはそれを狙っているのかもしれない。

彼女たちが文春砲轟沈させられるような行いをしない限りにおいて、恋心を抱き続けることができる。圧倒的な現実を突きつけられてなお、片想いし続けられる自信が今の僕には無い。

これはエゴ押し付けと思う向きもあるだろうけれど、アイドルとして輝くことを望んだ時点で恋愛する自由彼女たちには無い。彼女たちの小さな肩には無数の叶わない片想いがへばりついている。

まるで呪いのようだけど、そのことには自覚的であってほしい。

僕やあなた推しアイドルである責を果たしてステージを降りるその時まで永遠片想いを続けられることを祈るばかりだ。

anond:20190206004029

自分相手の受け入れられない部分に対して耐えられないと自衛理由に拒んでるのに自分場合理由があるしそれは相手のせいだから、と正当性をチラつかせながら相手には自分自身相手にとってそういう対象になっている可能性の余地を許さないで自分から関係性への期待も含め成就されなかった苛立ちを自身想像根拠押し付けるように半ば攻撃的になる辺りの自己中心的さが文面からだけでも伝わるけど自覚ないみたいだからそういうとこだと思う

でも別にそれで人生楽しいならいいと思う

2019-02-05

「よりもい」の舞台南極でなければならなかったか

最近1年遅れぐらいで「宇宙よりも遠い場所」を見ている。

無駄がなくテンポのいい展開、教育的になりすぎることな南極という舞台を散りばめ、各キャラ葛藤と成長をまとめ上げた名作である

しづか監督以下製作スタッフには感謝気持ちしかない。また新しい作品で感動を届けてほしい。

 

既に何百回も論考されたことを自分言葉で書いてみたくなったので、下記は読み飛ばして構わない。

 

さて、本作品舞台南極である

南極という行き先と閉鎖空間舞台とすることで、各キャラの絡みや掘り下げを上手に演出できていたように思う。

 

では南極でなければならなかったのかという側面ではどうか。

例えば日本から遠い南米アフリカだったらどうだったか

しかしたら同じような話をかけるのかもしれない。

しかし、南極という極地だからこそ、彼女たちの「別れ」への問題解決を後押しした側面はあるように感じた。

 

「よりもい」は「別れ」の物語だった。

日向や結月の旧友との別れ、報瀬の母との別れ、キマリめぐみの別れ。もちろん、古い自分価値観との別れの物語でもある。

「別れ」というのはエネルギーがいることだ。

「別れ」を乗り越えるには新しい価値観必要でもある。

 

南極渡航というジャイアントステップ彼女らに勇気を与え、異なる意見を戦わせるきっかけとなり、新しい認識が芽生え、「別れ」が成就した。

 

そんな風に捉えると、南極という極地は巧妙な場所だったように思う。

 

南米アフリカは思っているより近くなり過ぎた。飛行機一つでいつでもたどり着くことができる。

我々がジャイアントステップを踏むためには、それだけエネルギーがいるとも言える。

2019-01-30

ハム太郎アンチのその後②

先週投稿した「ハム太郎アンチのその後」が思いのほか見て頂けたようだったので、さらにその後の目立った動き・追った私感を雑に書いてみる。前投稿を見ていない人はそっちからどうぞ。

ハム太郎アンチのその後(https://anond.hatelabo.jp/20190123222824

まず一応、ワッチョイスレ仕様も含めた注意点。

ハム太郎アンチ氏の書き込んでいるスレワッチョイ表示スレのため木曜日基準として1週間は強制コテハンが割り振られるが、逆に1週間経ってしまうと当然ながらコテハンリセットされてしまう。

そのため、「個人目線から見たハム太郎アンチである可能性が高い人」を複数人追っていることに理解頂きたい。

  ◆  ◆  ◆

※以下からレス引用元

リルリルフェアリル魔法ペンデュラム12https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/anime/1530634569

からとなっています

  ◆  ◆  ◆

今週の個人的に印象に残ったやりとり

前回記事投稿日の翌日木曜日コテハンリセットされるも朝一番でフェアリル叩きからサンリオ叩き。(やや早朝の同時刻帯に2つのIDで行なっているため、どちらもハム太郎アンチである可能性が高い)

887風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 81d7-FfZb)2019/01/24(木) 06:05:40.40ID:1EgPGB9P0

>>882

かに全部見たわけではないが、どうせ高が知れてるから残りの回を見たとしても感想は変わらん。

具体的な「何話のどこが悪い」の次元を超えているんだよ、フェアリルの失敗は。

サンリオの別のキャラでやったら、もっとまともな評価になってたかもしれない。

大元キャラデザが悪くて、世間の見る気を起こさせないからな。

888風の谷の名無しさん@実況は実況板で (アウアウカー Sa69-Nzzd)2019/01/24(木) 06:39:27.85ID:QhMxT3VXa

百万歩譲って、フェアリルアニメ内容はそこまでボロクソに言うほど酷くないものとしよう。

そもそもサンリオアニメに質を期待するのは野暮な話。

だが、仮に内容が良かったとしても、ジュエルペットから引き続き作品を見てもらえるようなキャラ運営ができなかったのは、問題点なんだよな。

まだ玩具が上位に入ってたジュエルペット唐突タイミングで切ったのだから、それ相応にハードルが上がるだろうし、

例え>>884に挙がってる作品以上にフェアリルの中身が良かったとしても、作品を切り替えるときの後始末を怠ったら誰からも見てもらえない。

ジュエルペット最終回2週間前に初告知は、さすがにユーザーをなめてるとしか思えないし、バンダイタカラトミーはそんなこと一切しない。

たまごっち→ここたま

プリリズプリパラ→プリチャン

と、世代交代成功させてる会社はそれ相応の工夫と努力をしてる。サンリオはそれを怠ったから、失敗した。

グッズが売れなかったと言う結果がその事実証明しているよ。

「全部見たわけでは無いが」と作品を視聴していない事をわざわざアピールしている点は面白い

  ◆  ◆  ◆

作品ファンリルリルフェアリルに「童話エッセンスを取り入れつつユニークな魅力がある点」を伝えても、「童話模倣」→「大元キャラクターに魅力が無い」→「キャラクターを頑張らなかったサンリオが悪い」と続けるハム太郎アンチ

まずはファン側のレスから

904風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワントンキン MM92-0BLB)2019/01/26(土) 02:42:55.94ID:4xmlzBfeM>>908

>>899

フェアリル1期2期では、複数のバディ(カップル)が結成され、人間×人間に変身した妖精、変身しない妖精×変身しない妖精 といったバディの友情カップル恋愛がそれぞれに発展していったけど、これらは

妖精の基本形態はちっちゃな人間形態

妖精は成長したら大きい人間形態に変身することができる

妖精から人間に恋することがあり、恋愛成就したり悲恋に終わったりする

という 本作特有ユニークな設定があるからこそ、発想でき発展させていけたストーリー と思う

ある程度は童話人魚姫や親指姫からモチーフを借りてはいるが、上記の3点の組み合わせがユニーク

ジュエルペット3期5期6期7期のカップルでは描ききれなかったアプローチ

‥‥まだ説明をうまくまとめられないので、そのうち次スレで少しずつ

次にアンチレス

908風の谷の名無しさん@実況は実況板で (アウアウカー Sa69-Nzzd)2019/01/26(土) 16:31:09.12ID:pwOv0uSaa

>>904

要は「童話模倣を魅力のないキャラクターでやったら誰からも受けずに失敗した」と。

アニメスタッフがどれだけ頑張って恋愛の描き方を工夫しても、

大元キャラクターに魅力がなければ誰の心にも響かない。

0点の材料で100点満点の調理法料理を作ったとしても、それは美味いものにはならん。

909風の谷の名無しさん@実況は実況板で (アウアウカー Sa69-Nzzd)2019/01/26(土) 17:32:55.12ID:pwOv0uSaa

じゃあ、そんなに良い作品()なら、コンテンツの良さが世間に伝わらなかった(売れなかった)のは何故か。

それはスタッフが頑張っただけで、サンリオは全く努力をしなかったか

キャラクターへの魅力の感じ方は人それぞれなのでそこに意見するようなことは無いのだが、「作品は見ない・レスも見ない・サンリオを叩くためにフェアリルを叩く」という一貫した流れには(おなじみの)狂気を感じさせる。

  ◆  ◆  ◆

狂気を振りまく様は遠目に見ている分には面白いが、困ったことに嘘も振りまいている。

キャプチャ画像を例に取り、それらしい語り口で作品解像度いかに悪いかを書き込んでいる。

(以下レス解像度に関する内容は嘘であり、スタジオ関連の話も無根拠です)

923風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 81d7-FfZb)2019/01/27(日) 19:55:44.35ID:+aB3ahOy0>>926

>>918

最近の子供向けアニメ映像美もクオリティが高いことを知らないな。

一時期、放送枠が連続していた妖怪ウォッチ比較してもかなりスタジオ規模の差を感じるレベル

http://s.kota2.net/1548586102.png

例えばこのシーンのひまわり輪郭線。最もこのシーンだけじゃないが、

フェアリルの絵は基本的に今時なラスタ形式ペインソフト作画してるので、

キャラ輪郭線も、ジャギードットの粗)が目立って目に余るし、

フルハイビジョンで画面を大きくすればするほど粗が目立つ。

(他のキッズアニメでも多少同じ粗は出ていることはあるが、フェアリルほど酷くはない)

これだと目に悪いアニメとして親も子供に見せたがらないよ。

一体何十年前の技術アニメ作ってたのか。3期でそこは改善されたが、手遅れ。

このレスを皮切りに複数IDから畳み掛けるような「作品の質」叩きも行われる。

ところがそれを見た識者が上記レスの嘘を看破する内容の返答をしている。

(返答はこちら普通に見ていてタメになる内容である。)

・・・なお、当のアンチはこの返答をされたことにはスルーをしつつ、大量の風説でレスを埋めている。

その最たる例が以下の書き込み

936風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ e59b-HHjK)2019/01/28(月) 09:45:35.73ID:i8mlv0v70>>938

>>925

どうやらキラでこっの頃から徐々に予算が削られていったらしく

最終的にコメットから撤退したといたことがある

マイメロの時も同様で予算が減らされてすっきりは15分になったとか

3~4年目から予算を削っていくのがサンリオ常套手段みたいなので

フェアリルもそうだったのかも

もはや情報量ゼロである

  ◆  ◆  ◆

上記以外にもまだまだ突っ込みたいレスはあるのだが、あまり量が多いと見るのも書くのも大変なのでこのくらいで。

気になる方は引用元スレに飛んでみると面白いかもしれない。

私感

ハム太郎アンチ」とツイッター上で検索をかけると、いわゆる各所にまとめられているような「作品に一通り目を通し、その上で事実を述べ批判するアンチの鑑」のような代名詞として使われている。

今のハム太郎アンチの姿はというと・・・


制作会社を叩くために作品を叩く。

スレ違いなどお構いなし。

他人レス理解していない。

作品には目を通さない。

根拠無しの推測ばかりを事実かのように並べたてる。

意味のない暴言の繰り返し。

嘘も使って叩き、バレるや否や大量のたわ言で覆い隠す。


ご覧の有様。

・・・元も子もない事を言ってしまえば「アンチなんてこんなもん」という話なんですが。

しか個人的に、自分自身を「ハム太郎アンチである公言しておいてのこの所業なのがどうにも納得行かず、こうして観察・報告しているという(自分でもよく分からない行動に出ている)訳ですね。


というわけで、もしこれからあなたが会話やつぶやき普段思考の中でふと「ハム太郎アンチ」の名前を思い出したときに、認識を「昔のハム太郎アンチ」と改めてもらえたなら、これ以上の報いは無いなあという心境です。おわり。

2019-01-29

美女と野獣へのルッキズム批判だとか

映画チラ見して当時の物申すみたいな勢いの美醜周りへの批判とか思い出して色々考えたから覚書き

その当時の批判の主流は心の美醜が見た目に繋がるような表現違和感があるみたいなのでそこに繋がる感じで野獣が王子に戻ったラストに心云々言っといて結局それかよ、美男美女かよだとか野獣の方がかっこいいしとか野獣のままでハッピーエンドでいいじゃん的なのが付いて回っててその時はあんまよくわかねえというか最初の以外はそれ批判以前のただの感想やんけ!(感想自由)ってなってて(最初違和感にも違和感があったけどそのままにやってた)それで今改めて考えたのはそもそも美醜で人間判断してた王子ベルという美しくはあるけどそれに囚われない知性ある女性と心で惹かれ合い醜い心の象徴とするその野獣の姿で愛を成就しなんてざっくり内容からし物語としての教訓は見た目で判断する事の愚かさ真の愛はそこに囚われない(ロマンチック)って事だろうしベルの美しさはディズニーにおいてのプリンセスヒロインに課せられるメタ的なルッキズム価値観によるものでも当然あるけれどそれは美女と野獣という作品への批判としては的が外れているように思うしむしろこの作品においては美醜を扱う上でベルが美しいとされ知性や冒険心と並び持つとする事でこそその中からベル自身が何を選び大切にするかの選択意味を持ち生きてくるように思うから王子の美しさと共に決して物語必然性のない美貌ではなく魔女のそれにしてもまさにルッキズム的な王子に対する皮肉としてで解ければそこを否定する事になる呪いを与えてるとこからもむしろルッキズムを悪としているようにしか見えなくて批判で言われてた違和感への違和感の正体はそこへの漠然とした何でこの話でそんな事思うんや…というやつだったんだと思う

それはガストンに顕著で元々アニメヒーロー的な外見でハンサムという設定ではあったけど見ようにはそうでもないキャラクターデザインだったガストンに実写でルークエヴァンスがあてられた事で美しい見た目に美しい心が宿るというようなルッキズム否定するキャラクターとして野獣との対比もよりはっきりとなってそのハンサムさはベルや野獣の心を引き立てる装置としてやっぱり皮肉的に使われたわけだから作品としてルッキズムに則るのならそれこそシンデレラ最初アニメ作品うごとにそうでなくなっている)のようにガストンルッキズム的美醜観において醜いか善い人間であるべきで敢えてそうしていないのはそれがメッセージの一旦であるという証拠でもあると思う(すごいぞガストン

じゃあ何でそんな批判を思うのかとも考えて単純に物語としてじゃなく表現の部分部分に気を取られちゃう形になっちゃったのかなっていうのと後はそういう発想それ自体が単なる美醜じゃなく絶対的客観的な美がカーストのように存在するというようなルッキズム的前提でもって無意識にでも恣意的になされているのじゃないかって事で冒頭で野獣のかっこよさを示す事を批判以前の感想としたのは王子という美しい存在に対する醜いとされる野獣という構図の上で野獣の見目を讃えて"美"であるとする事だけではただの作中における美醜の定義への抗議またはむしろ逆に作品ルッキズムであるという批判内容を否定する(野獣を客観的に美しいとするのは作中の醜いという定義は外見を指すものではないもしくはキャラクター主観を越えるものではないとする事で作品として見た目に心を比例させているという批判は当て嵌まらなくなるように思う)もので美を是とするルッキズムであるという前提に立った批判として体を為してないのではないのかと思ったからだけどもでもそれが野獣をかっこいいとする価値観ルッキズム的な本来の(あるとしている)美醜観に沿うものではないのでそこ自体への反発の提示批判の一旦になるのだという発想の元されたと考えれば批判としてはそこの意味に限るなら理解できるしまた野獣の姿を醜いと定義するそれこそをルッキズム的だという意味でのまずそこから違和感であるならとも思うけど批判とやってそこに客観性を持ち出すのであれば野獣をルッキズム的美醜観による被害者であるとするのはその見た目を作品内での単なる主観文化的役割としてでなくルッキズム的な定義によって作品を越えたとこで醜いとやっているわけで本来ルッキズム的美醜と美醜はイコールではなく真理として絶対的な美を定義するものでもないのに作品内での美醜についての価値観を語るのにわざわざそれを作品へ持ち込み批判材料としたのはその当人がそこにルッキズム基準における美醜を見たからに違いなく美女と野獣はルッキズム価値観において野獣を醜いものとしている、という批判はそういう事ではないのかという話で

それらは全部今回自分で当時を思っての単なる仮定であるんだけどそんな批判を挙げたのと同じ層からその後シェイプオブウォーター美女と野獣のアンチテーゼだとする意見が出て(監督否定してた)明らかにそれが"彼"をルッキズム弱者とする前提の上で敢えて美しさと定義しているとやって監督がただ美しいと思うものを美しいと描いているというようなルッキズムとはまさに反対にある主観的美醜観という視点が丸々端から欠如した美しいものをそう描く作品とそうでないものを美しいとする価値観で描く対比の構図と捉えたものだった事を思うとあながち間違いでもないように見えるし(客観的な美しさを定義するとしているルッキズムに美しさは一概には定義できず個人的宗教的文化的ものであるという主観的美醜観で対するのならアンチテーゼとし得るけどそういう論理での批判自分は見かけなかった)美女と野獣のラストを美醜に重点を置き"結局それかよ"と受け取るのも"見目の美しさは心の美しさに比例する"と判断するその過程でその醜さを作品における主観的な域のものでないとするまたそれを見出すのに野獣という存在が含む要素やその世界での立ち位置でなく外見のみに焦点を絞るその視点も(実際フランス版では王子の外見的な美醜より傲慢さが醜さの象徴としてフィーチャーされている)見た目が重要だとするルッキズム価値観に左右されてのものにも思えるし王子の姿にしても野獣の姿から解放作品で醜い心を象徴すると定義されている以上心の変化を客観的証明するためのもの言うなれば愛の象徴であって(野獣の姿はベルに真の愛が満たされていない事を示す)外見なんて関係ないのならそれこそ望まれものであるはずなのにそこを否定するのは"王子の美しさ"という見た目に囚われその他の要素より重要視している事に他ならないのだしそれはまさにルッキズム価値観に則ってまずわざわざ美醜を選り分けてそこからそれらを"美しいもの""醜いもの"という絶対的な前提において肯定否定する事がルッキズム批判になるというような無意識ルッキズムというかそれは言うなら

美しいかいかなんて誰が決めたの?ルッキズムなんて!見た目で判断とか最悪!

というのに次いでの

○○ちゃんだって素敵なのにね!

という言い様で○○ちゃんと○○ちゃん普通にかわいいと思う人間美的感覚ルッキズム基準でそうでないぞと正面から否定カースト内の位置を告げるみたいなものでシェイプオブウォーターにおけるそれは

××くん○○ちゃんのこと好きなの?見た目じゃなく中身で見るんだね!いい事だよ!

もしくは

××くん"には"○○ちゃんかわいいんだね!素晴らしいことだよ!

というようなやつでその上で自分は美醜で人を判断しない公平な人間だと主張するような話でそれは批判として果たしてというかルッキズムへの批判のためにはルッキズム価値観においての美醜を踏襲しなきゃいけないというパラドックスを思ってなのか(そんな必要には特にない)それこそ考えれば考えるほど違和感でいっぱいになるという話で

要はルッキズムとか言ってないでふたりとも愛を見つけてその証に野獣は呪いがとけてハッピーエンド万々歳やんけ!でいいと思ったという話

2019-01-28

anond:20190126210030

テキ屋自由気ままなわけもない。いろんなサヨナラがあるわけ。それで、父も母もない。

そんな寅さん。育ててくれたおじさんおばさんの言うこときいて真面目に生きていくって、そんなことはしたくない。

モテない寅さん。でも、たまにモテる。好きなのに好きとは決していわない。他人には好きなら好きと言えなんていっときながら。

自分だってがんばれば成就できた恋がたくさんあったのに。旅に出ていく寅さん

旅先でひとり、孤独な人たちやいろんな事情の人たちの話をちゃんときいて一肌脱ごうとする。なんの見返りもなしに。

まり、この時代高度経済成長からバブルバブル崩壊。

本当に好きだから結婚したのかわからない人たち、本音を言えないで社会の中で我慢してきた人たち

見返りのない手助けはしない人たち、取り繕って甘い言葉しかささやかない口だけの心がない人たちがたくさんいて

みんなうんざりしているのに、みんなそうやって生きてるから自分もそうやって生きる。

そんな中、世間に縛られずに生きる寅さんに肩を叩かれて励まされたんじゃないかな。

多分、嫌いだと言われて寅さんは傷つきはするだろうし、気にもするそれが寅さん

でも、腐ることはないだろうし、意味不明だとか言って無視しない、ちゃんと怒る。素直。それが寅さん

2019-01-18

東北では辛い思い出を残したくない、早く忘れたいという被災者に寄り添う形で、震災遺構が次々撤去されている

早く消し去りたいというのが被災当事者の思いだ

その点で阪神淡路大震災記憶自体の風化が進んでいる件は、ようやく当事者の願いが成就しつつあるんだなと感じられる

2018-12-22

挿入するのがセックス

先週の金曜の朝、女の子と寝た。

その前夜、論文提出のお祝いに焼肉に行き、シャンパンを開けて、前に送っていたお酒を飲みたいと言って、家に行った。

そのまま帰るつもりだった気もする。

セックスしたくはなかったけど、セックスしそうになったときに失敗するのも嫌で、コンドームは一応カバンの中に入れておいた。

コンドームを買ったのはその前々日くらいで、それは1年ぶりだった。

焼き肉屋ではシャンパンだけじゃなくて、赤ワインボトルで空にした。

薔薇の花と、クリスタルの花瓶をプレゼントした。

帰りのエレベーター、知らない人と同じになって、そういう時間が一番恋愛感情を昂ぶらせる。

話したいことを話すとき、そこに辛抱がない、不足がない。

不足を埋めようとして、求めるとき、求める運動恋愛感情として存在している。

求める運動が徒労に終われば恋愛は終息に向かうし、激しく、長く求めて、それが成就すれば、その経験は反復される。

恋愛感情が、あるいは、相手の家に足を趣かせたのかも知れない。

タクシーの中では何を話したかおぼえてない。

何かの話を聞いた気もするけど、他愛もない話をした気もする。

相手の家では、焼酎を少し飲んで、薔薇の花と花瓶とに見とれて、寝た。

寝る前に、布団を出すよと言われて、それに甘えた。もっとここで強く断れば良かったのだ。

朝は、感覚が尖る。

横で好きな女の子が寝ているのを見て、唇を重ねてしまった。

相手が起きて、幸せそうな表情を見て、お互いがお互いを求めた。

まりに久しぶりだったけれど、経験記憶されていて、これまでのキスが思い出されたのを告白しておく。

服はもうほとんど着ていなかったし、お互いの体は存分に確認されたけれど、挿入だけは無かった。

私も強く求めず、また相手拒否した。

それは彼氏でない人に許された行為ではないと知っていたかである

それで満足した。

満足して帰って、次の会う予定を連絡した。

しかし振り返ってみると、それは充分にセックスであって、会う予定は浮気であるか、さもなくば恋愛感情への侮辱しかない。

間男と尻軽女の、あらゆる関係に対する侮辱的な行為なのだ

から何だと言うことはない。侮辱的な行為人間は平然とする。

『月と六ペンス』でのストリックランドを思えば良い。

彼は看病してくれた友人の妻を寝取ったあげく、その妻のヌードを描いたら満足して捨てたじゃないか

そうは言ってみても、まったく同様に人は倫理的であろうとする。良心の呵責に悩まされる。

次に会ったときの会話がどれほど楽しくても、どれだけ人間本性の理解があったとしても、罪の意識に対してあらがうことはできない。

ラスコーリニコフの如く、大地に接吻してゆるしを乞う。

人は贖罪のチャンスを求めている。

実際にはどれだけ大地に接吻し、また死を以て償いとし、謝罪言葉を重ねようとも、罪の意識だけは決して消えない。

罪は肉体に刻み込まれた傷跡である

おそらく冒頭の女の子とは二度と二人で食事をすまい。

話す楽しさは、挿入無きセックスから来る愛着と重なって、また深い苦しみを生む。

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