2018-12-22

挿入するのがセックス

先週の金曜の朝、女の子と寝た。

その前夜、論文提出のお祝いに焼肉に行き、シャンパンを開けて、前に送っていたお酒を飲みたいと言って、家に行った。

そのまま帰るつもりだった気もする。

セックスしたくはなかったけど、セックスしそうになったときに失敗するのも嫌で、コンドームは一応カバンの中に入れておいた。

コンドームを買ったのはその前々日くらいで、それは1年ぶりだった。

焼き肉屋ではシャンパンだけじゃなくて、赤ワインボトルで空にした。

薔薇の花と、クリスタルの花瓶をプレゼントした。

帰りのエレベーター、知らない人と同じになって、そういう時間が一番恋愛感情を昂ぶらせる。

話したいことを話すとき、そこに辛抱がない、不足がない。

不足を埋めようとして、求めるとき、求める運動恋愛感情として存在している。

求める運動が徒労に終われば恋愛は終息に向かうし、激しく、長く求めて、それが成就すれば、その経験は反復される。

恋愛感情が、あるいは、相手の家に足を趣かせたのかも知れない。

タクシーの中では何を話したかおぼえてない。

何かの話を聞いた気もするけど、他愛もない話をした気もする。

相手の家では、焼酎を少し飲んで、薔薇の花と花瓶とに見とれて、寝た。

寝る前に、布団を出すよと言われて、それに甘えた。もっとここで強く断れば良かったのだ。

朝は、感覚が尖る。

横で好きな女の子が寝ているのを見て、唇を重ねてしまった。

相手が起きて、幸せそうな表情を見て、お互いがお互いを求めた。

まりに久しぶりだったけれど、経験記憶されていて、これまでのキスが思い出されたのを告白しておく。

服はもうほとんど着ていなかったし、お互いの体は存分に確認されたけれど、挿入だけは無かった。

私も強く求めず、また相手拒否した。

それは彼氏でない人に許された行為ではないと知っていたかである

それで満足した。

満足して帰って、次の会う予定を連絡した。

しかし振り返ってみると、それは充分にセックスであって、会う予定は浮気であるか、さもなくば恋愛感情への侮辱しかない。

間男と尻軽女の、あらゆる関係に対する侮辱的な行為なのだ

から何だと言うことはない。侮辱的な行為人間は平然とする。

『月と六ペンス』でのストリックランドを思えば良い。

彼は看病してくれた友人の妻を寝取ったあげく、その妻のヌードを描いたら満足して捨てたじゃないか

そうは言ってみても、まったく同様に人は倫理的であろうとする。良心の呵責に悩まされる。

次に会ったときの会話がどれほど楽しくても、どれだけ人間本性の理解があったとしても、罪の意識に対してあらがうことはできない。

ラスコーリニコフの如く、大地に接吻してゆるしを乞う。

人は贖罪のチャンスを求めている。

実際にはどれだけ大地に接吻し、また死を以て償いとし、謝罪言葉を重ねようとも、罪の意識だけは決して消えない。

罪は肉体に刻み込まれた傷跡である

おそらく冒頭の女の子とは二度と二人で食事をすまい。

話す楽しさは、挿入無きセックスから来る愛着と重なって、また深い苦しみを生む。

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