はてなキーワード: 宮沢賢治とは
日本アニメではなぜ徹底的に電線が描かれるのか?を海外メディアが推察
https://gigazine.net/news/20171225-why-anime-power-lines/
アニメにおいて背景・風景として電線が描写されることはエヴァ以前からもちろんあった。
そういった時代の記憶を引き写した風景の中であくまで添え物として、
あるいは便利なオブジェクトとして最低限の作画で描かれていたのが、電柱と電線。
鳥が電線にとまっている、ゲイラカイトが電線にひっかかった、犬が電柱に小便、電柱に隠れて尾行。
エヴァとは何か。
エヴァの深夜再放送の高視聴率が深夜アニメのパイロット版として働いた。
その後、エルフを狩る者たちから深夜アニメ放送の歴史が幕開ける。
異様なこだわり作画と作画崩壊との背中合わせも既にしてその内に秘めていながら自身は夕方アニメ。
一人のユダヤ教徒でありながら死して新しく宗教を作ったイエス!福音だね。
そのこだわりの一つに電線がある。
電線、無くてもいいですよね、そこ描く手間と映す時間をキャラに割きますよね普通。
そうじゃないのが、庵野。
ただの背景以上の電線。
2015年第3新東京市のツイッタラーは、揺れたら「電線」ってツイートするから。
そう、1995年に描かれた20年先の近未来、2015年の日本を描いてあの電線。
エヴァより先を生きている私達は知っている。
まだ相当に電線してる。
怪獣とスケールが合うのは高圧送電線の鉄塔、架線に接して火花散るインスタ映え。
なんて、俺が語るより本人がいろいろ語ってるし。
「庵野秀明の世界」トークショーレポート2回目 「電柱は積極的に残すべきだ」「特撮もやりたい」
http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-3368.html
庵野「同じ電柱はないんですよね CGでコピペしても違和感がある ナナメになっているのもいい」
氷川「エヴァ以降、電柱を描くアニメ作品も増えているが 垂直な電柱が多いですね」
庵野「電柱に対して愛情が足りない 表層だけ真似ても魂が入らない」
冒頭の無人漂流船内に残されていた本は、宮沢賢治の『春と修羅』。
「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」
『注文の多い料理店』所収の「月夜のでんしんばしら」も電柱モノのハシリである。
文明開化で産まれた、すき焼きやカレーライス、あんパンが現代日本の食文化であると言えるならば
日本最後に電気が来たのは宮沢賢治の故郷岩手の「タイマグラ」。
Fランに来てまで真面目っぽく振舞ってる自分にむなしさを覚えてしまう。
講義は一切サボらず、教室の真ん中少し手前の両端のどちらかに座り、頭の良いおっさんの話をふむふむと聞く。
テストが近づけば、少ない友達から少ない過去問を入手し、各教科成績が8割以上になるように適度に手を抜いて勉強をする。
ノンバイト、ノンサークル、少ない友達、もちろん彼女なんていない。
家と大学を往復するだけの日々。
時間あるし理系なんだから勉強すればいいじゃんという声、わかります。
本気で勉強すれば高学歴たちにも勝る力をつけられる、実際そういう人もたまにいることが大学にいてわかる。
でも、自分の中の逆プライドが邪魔をする、Fランでただ学問だけしてても結局Fランなんでしょう?みたいな
大学で遊びほうけてた東大生のほうが全然評価高いんだろ?みたいなね
だからといって高学歴になりたいってわけでもなく、そのポテンシャルが自分にないことも分かっている。
遊びたいということもなく、欲もなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。
そういう面も含めてすべてが空っぽだ、まるでちくわ人間。あ、うまい棒でもいいよ。
今頑張ってるわけじゃないけど、がんばらなくていいよって言ってくれる人に受け入れられたい。
自分の根本に頑張らなくてはならないっていう観念がこびりついてるから、頑張ってない自分に嫌気がさすのかもしれない。
頑張らなくていいマインドのほうが頑張れる気がする。
そんな頑固な心の汚れを落としてくれる人や物、それに出会いたいのかどうかさえ、本当のところ、よくわかっていない。
ダイアナ・ウィンジョーンズはハウルもいいけど「九年目の魔法」が素晴らしいラブストーリーなのでオススメ。
本をよく読む人ならグッとくると思う。大人向けのファンタジーです。
まだ上がってないもので重ためだと「ゴーメンガースト」や「新しい太陽の書」あたりは読み応えもあるけど世界観が重厚で圧倒される。
あと耽美もいけるならタニス・リー「死の王」というようなほぼBLの(頂点の)ような世界もある。
他に古典名作枠だと宮沢賢治やマクドナルド(「かるいお姫様」あたり恋愛ものとしてもキュンキュンくる)などの児童文学にも素晴らしい名作傑作がいくらでもあるし、「千一夜物語」の絢爛な世界はいつでも口を開いてあなたをお待ちしておりますというほどファンタジーの沼は広く深いのです。ようこそ!
元マスダです。
俺が評価しているのは、映像じゃなくて、作品の構成とか脚本の方なんだけど。
例えば、「リリィ・シュシュのすべて」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を元ネタにしているのに気づいた。少し前の「リップヴァンウィンクルの花嫁」は民話などの異類婚姻譚の構成をしている。好きなシーンでいうと、「花とアリス」の中でアリスが離婚した父親とうんざりした会食の後、やっと帰れると安心した時に父親が携帯電話で流暢な中国語で話し、アリスが「え、この人、こんな人だっけ?!」みたいに驚く、心くすぐるシーンがある。
これらどう見てもカメラマンの実績じゃないよね。
20年前からずっと岩井って映像じゃなくてシナリオ、構成の作家だと思っている。程よく整ったゴダールというと、さすがに言い過ぎだけど。
写研:
???:
クジラは海面に跳ねあがり、空中に身を躍らせた。彼らのコミュニケーションだ。
モリサワ:
武士道はそのシンボルである桜花と等しく、日本の地に固有の花である。
ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz?!1234567890
永
あたらしい朝が来た希望の朝だ
喜びに胸を開け青空仰げラジオの声に健やかな胸をこの香る風に開けよ
ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ@&(^^)!?abcdefghijklmnopqrstuvwxyz.
windowsでコンピューターの世界が広がります。1234567890
Mac:
あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。
いろは歌:
いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす
色はにほへど散りぬるを我が世たれぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
旧Google Font:
Grumpy wizards make toxic brew for the evil Queen and Jack.
Google Font:
All their equipment and instruments are alive.
―――フィリップ・ディック『Mr. Spaceship』より―――
アルファベットの羅列:
ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz.
よく使われる漢字:
永 東 国 鷹、鬱 愛
個人的にはアルファベットなら「g」とか、ひらがななら「な」とか「や」とか「を」とか個性が出るものは含めて欲しい気がする。
その1(http://anond.hatelabo.jp/20161223120406)からの続き。
ガリ勉でクラスの中で浮いていた霧里七華(十七歳)が、ある出来事をきっかけに心だけ六歳に戻ってしまった。心が子供に戻った彼女に幼馴染の凪原稔二や同級生の雨宮さんが振り回されたりもしながら、十七歳の七華と稔二と雨宮さんの三角関係を描く漫画である。ラブコメなんだけど普段のラブ成分は少なめで、大事なところでドバッとでる感じ。それと恋愛よりも人を思いやるという心の成長を主題にしているためか、幼馴染大勝利!とならない。
ヒロインはタイトルにも名前が入っているとおり七華なんだけど、十七歳の七華はたまにしか出ないレアキャラだし、雨宮さんかわいいし、雨宮さん優しいし、雨宮さん頼りになるし、はじめはいじめっ子として出てきたのに、あっという間に稔二との過去話が補完されたし、実質雨宮さんがメインヒロイン(ちなみに人気投票の下馬評ではぶっちぎりだった)。雨宮さんは、いつも赤面していて、だいたいいつも報われないんだけど、時々とても幸せそうな顔をする瞬間があって本当に応援したくなる。
でも本当はドミ子が一番かわいい。
あらすじ
どこにでもいるような普通の女子高生エルナは、普通の家庭で普通に暮らしていた。しかし都市部の工事現場から古代ギムレー期の伝説の聖剣が見つかったことで、彼女の血に隠された王族の魔力が彼女の運命を残酷に捻じ曲げていく。
携帯電話やインターネットが存在する現代的な科学世界の上で、真面目に魔法や空想の生物の力を扱ったらどうなるのか。魔法は通常兵器と異なり術者一人だけで大規模破壊や暗殺行為が可能になる。そんな力がテロリストに渡ったら政府はどう対応するのか。
既存の力を軽く超えた魔法の力が存在することの恐怖とはどんなものか。SFファンタジーである。
ギムレー期の伝説「エルナサーガ」を描いたIと合わせてどうぞ。
絵がかわいい。意外とストーリーがしっかりしている。ふわふわ。キャラが可愛い。
一応ストーリーを。天使が通う森の学園になぜか入学した悪魔のルカ。毎日愛天使ハニエルに振り回されながらどこかおかしい学園の真相に気がついていくストーリー。
軟派な大学生潤が、身元不明な女性から「あなたのこどもです」と一歳児スミレちゃんを押し付けられてシングルファーザーをする話。
はじめはスミレのことをうっとおしく思っていた潤だけど、日々の成長を見守っていくうちに一人のパパとして成長していく。スミレが通う保育園の優子先生との恋愛も子育てと並んでこの漫画の中心となるが、スミレが本当に潤の子供である可能性も出てきて、なかなか仲が進展しない。
スミレの戸籍上の父親で売れない俳優の椿吾郎が、愛のない家庭で育ったことで、子供の愛し方を知らなかったけれど、スミレと触れ合っていくことで過去を乗り越えていくながれがすばらしい。子育ては子供を成長させるのではなくて、子供とともに成長することなんだ。
つまり結局のところ、幼児のスミレちゃんが愛くるしいのでホオを緩めて愛でましょう。
玄奘三蔵の妹テンテンが、妖怪の総大将 孫悟空に殺された兄の代わりに、旅の仲間たちと共に天竺を目指すストーリー、つまり西遊記。ところが、西遊記を作者が思いっきりやりたいようにアレンジしてしまった。
仲間の悟空がオリジナル悟空のクローンだったり、悟空の師匠の悟浄が軍服の眼帯女だったり、昔の中国だって地の文にも書いているのに重火器や携帯電話が思いっきり登場したり大変自由。果てにはロボットまでも出てくる。
「あかりや」というどんなあかりでも揃っている店を舞台に、宮沢賢治の幻想的な香りに人の心のぐちゃぐちゃした猟奇臭を加算した奇妙な話の連作集。
例えば、子孫を残せずに死んでしまった渡り鳥が、鳥神様に許されるために渡り鳥の群れを導く光となる「第3話」のように残酷ながらも美しい話があるかと思えば、思いっきりカニバる「第2話」のような話があったりする。オススメは芸術家の業と歪な肉親愛が題材の「第4話」。絵を書かずにはいられない姉と姉が好きすぎる弟が、姉が事故で光を失ったことで尋常ではない共依存のような関係になってしまう話。
あらすじ
かつては浄水施設だった街で、街の一画と共に水の底に沈んだ家族に心を囚われるユィと貯水壁が壊れる夜を描く「水槽の街」、ツノと尻尾が生えた少女が、鬼に胸を貫かれてほぼ全裸になる「少女というより痴女だった」、真面目系とチャラ男系という完璧にタイプが違う中学生の芹沢と工藤が、偶然ビデオ店で出会ったことから共通の趣味を見つけ、友達未満になる話「友達だなんて思っていないんだ」などを収めた短編集。
作者である鈴木健也さんの描く人物は非常に肉感的なんだけど、特徴的な線かな。
一番のおすすめは「ジゼルとエステル」。サーカスの見せ物で美しいシャム双生児の少女ジゼルとエステルが、エステルが男の子に恋したせいで、(おもにジゼルが)物理的に精神的に引き裂かれる話。じつにえぐくて物悲しい。信じていたものに裏切られるつらさ。
こころがぐりぐりされる。
おばか変態ギャグ漫画。ここで紹介するのは、フレイヤ騎士団(ナイトクラブ)の美の化身こと鏡尋斗の必殺技、「男子魅了(読み: バンコラン)」効果: 男子を操る、に負けたから。ちなみに三巻の57-58ページ。あとブルマに対する作者の情熱がものすごい。
人々が天を忘れた時、地の底から邪なものが這い出してくる。その都度、神は大地へ天の使いを送った。そう…邪悪を祓い、人々の心に再び天を抱かせるために…。 時は現代、地上に邪なものが現れると、彼らが現れる。天に選ばれた戦士たち、そう、「天空特警 アヴァロン」と「美少女天使 パレストリーナ」!!!
特撮とアニメをリスペクトなヒーロー漫画。マッシヴなのに意外と理知的なアヴァロン(中身は不良)と目立つの大好きパレストリーナ(中身は生真面目生徒会長)のコンビがいい感じ。
面白いのが、天と邪なるものとのパワーバランスは天を信じる人々の数で決まるため、敵側が、現代が情報社会であることを利用した情報戦やイメージ戦略で攻撃してくるところ。現実でこれやられたらかなり人間不信になる自信がこの増田にはある。
もし怪獣に変身することができるお姉さんがいたらってお話。
時代は第二次世界大戦が終わってしばらく経った日本。主人公の間宮さんは興奮すると自分の意思に関わらず大怪獣に変身しちゃう厄介な体質の持ち主。大戦中はその能力に目をつけられて軍事利用されたり、戦後も政府の監視下に置かれたりと自分の体質に翻弄される。 しかし戦後は怪獣映画のメインキャスト(怪獣)を務めたり、自分の力に折り合いをつけだんだんと自分の幸せを見つけていく。
おすすめ場面は、変身しなきゃいけないのになかなか変身できない場面で、秘密兵器(美少年のいけない写真満載の雑誌)を見て「あかんわー」と叫びながら変身する場面。
毎日ラブを探してラブにラブする中学生 相田愛子(ラブ子)をはじめとして、サッカーに生きるラブ子の幼馴染 国立カケル、年の離れた弟たちの世話で大変な砂田素直(すなちゃん)、クールな勉強家 北王子学斗、おっとりして奥手の浦上麗(うららん)たちが好きな相手にドキドキしたり、意識していなかった相手を意識してドキドキしたりする固い蕾のような青春漫画。
他人のラブにはすっ飛んでくるのに、自分のラブにはうまく答えが出せないラブ子が素直でいいんだこれが。
あとラブ子のラブ暴走っぷりもいいんだけど、おっとりで学斗に一途純情のうららちゃんが、自分ではない女のことに頭を奪われてしまった男に興奮します。
「目の前の私をみていない 瞳」
「私以外の 誰かを 好きな瞳」
ふわふわ感がよかった人は「ふわふわカタログ」(www.mangaz.com/book/detail/115531)、変態感とエグみがよかったひとは「魔法少年マジョーリアン」(www.mangaz.com/book/detail/120131)と「姉さんゴーホーム」(www.mangaz.com/book/detail/120111)へ行きましょう。
前者は、月刊MOEで連載されていてもおかしくないフワフワポワポワな内容で、後者では、いたけない二人の少年がナイスバディなお姉様に変身して敵と戦う話と、大切な記憶を守るためにそれ以外を全て捨てて狂っていく女性の話が読めます。
古い村とその村に寄り添うようにしてある古城をめぐる一話完結型の牧歌的雰囲気の漫画。村の近くに見えるお城だけど、近づいても近づいても一向に近づけなくて、離れようとしたらお城に近づいてしまうこと、池で水遊びをしていたら、水面に映った逆さ城の中に入ってしまう、など幻想的で牧歌的な漫画。
絵柄がかわいらしくて、ますむらひろしのアタゴオルみたい。自身のHPで連載しているとのこと。
麻雀は絵柄を揃えたら役が出来るくらいしか知らないけど、この漫画は一戦いっせんに熱があって面白い。
単なる麻雀の漫画ではなくて、マジャンという麻雀のルールに加えて特殊ルール(トランプのジョーカーみたいな牌が入っているとか)があるので、単なる麻雀好きの学生だった主人公が特殊ルールに苦しみながらルールを解き明かす部分を読者として共有できて良い。
麻雀要素以外にも、閉じた村、おどろおどろしい伝承、そして表面上は普通なのに、ある事柄にだけ一様に口を閉ざす村人など横溝正史的成分も満載。
麻雀は門外漢だけど、主人公の打ち筋がデータ・確率重視なところが現代的で面白いと思う。まあそのせいで、麻雀と異なるマジャンの特別ルールをはじめ、村の奇習/因習に主人公は振り回されるのだけど。
こちらのレビューが詳しい「竜騎士07が震撼した漫画「マジャン~畏村奇聞~」」(http://blog.livedoor.jp/inoken_the_world/archives/51895567.html)。
以上。増田的には全部何度でも読み返せるくらい面白いけど、あえてオススメするなら「ゆめのかよいじ」(https://www.mangaz.com/book/detail/43881)が一番心に残ったかな。ちなみに連載期間調べるのめちゃくちゃ大変だった。
クリスチャンになると自然と自然科学に興味が湧く(ダジャレ事故)。
光文社からたまたま出てたダーウィン『種の起源』が分かりやすく面白かったため、自然科学の古典を読んでいきたい。
あと社会科学系の本ばっかり読み過ぎて飽きてきたのもある。
『星界の報告』の新訳。望遠鏡で観た星空の様を感動と共に書いた本、らしい。あと地動説が論じられてるとか。
ニュートンの『プリンキピア』を中学高校レベルの数学で平易に解説した本、らしい。別にこの本じゃなくてもいいんだけど、要するに『プリンキピア』に何が書いてあんのかをざっくり知りたい。
チャンドラセカール『「プリンキピア」講義』なる本も定評があるらしいが、難解らしいので警戒している。
図書館で解説だけ読んだら、あの難解な宮沢賢治の内容がものすごく分かりやすく解説されていて驚いた。本作はその解説(読み方)に従って作品を配列した全集。
といってもどう見てもキリスト教に引っ張られた解釈(「完全な自然と不完全な人間の対比」)で、どこまで鵜呑みにしていいのか分からんけど。
ちなみに有名な『雨ニモマケズ』は、昔からキリスト教っぽい詩だなぁと思っていたのだが、モデルの男と目されている人物(斎藤宗次郎)がクリスチャンらしい。ホントかどうかは知らんが興味深い。
ブコメで勧められたのを検索してたら発見。人生をやり直したいという主人公に神が答えるシーンがものすごく良い。
ドストエフスキーのデビュー作。といっても彼が社会主義者で、ゴリゴリのクリスチャンになる前の作品。なぜか光文社から新訳が出た。
どうも金と愛の話らしい。
クリスチャンになる前はマルキストだったので、この本には昔から興味があった。
古い訳で分厚くでかい本しかなかったので敬遠していたのだが、このたび何故か新訳された。マルクスブーム万歳である。
ついでにヒルファディングの『金融資本論』も新訳してください。
とりあえずこんなところ。
ネタバレあり
・前半は似たような展開が続いてちょっとだれた。からくりとかうしとら読んでなかったら読むのやめてたかも。
・青い鳥→雉も鳴かずば→宮沢賢治→かぐや姫のあたりが一番面白かった。ちょっと長いけど。
・孤立無援から一転、それまでのキャラが加勢する展開は、うしとらと似てるけど、王道展開で熱い。
・ラストはなかなか良い。
・からくりにしてもうしとらにしてもなんで主人公をハーレムにするんだろ。
・打ち出の小槌その他の便利グッズが便利すぎて、なんでこう使わないの?っていうところがあってもやもやする。
キャラを北極に隠すのに使うより、話を信じさせるために使って、他の便利グッズも使えたり、アイテムを借りたりできるようにした方が良かったんじゃないの。
下に書いた、同じ女子と狭い部屋でお互い裸でいる状況があって、
ケイコちゃんが「男の人のオナニー見たい!お互い見せ合いっこしようよ!」ってノリノリで提案してきて、
吝かではないのだけど、見せ合いっこは不毛に終わるのを知ってるから、どうかなーと考えてると、
「女の子もオナニーするんだよ」って言いながら、鞄からiPhoneを出して、
「このサイトいいの。いつもこれで見ながらしてる」って、女性のためのアダルト動画のサイトを開いて「見て見て」って。
そのときケイコちゃんは、仰向けに寝て左手でiPhoneを持っている。
見るために僕も横に寝る。右側に寝たけど左手が邪魔だ、腕枕する関係じゃないし、身体方向真っ直ぐに伸ばしてた。
この時お互い全裸だからね。あ彼女は22歳で上戸彩に似ている。
「どれ見る?どれにする?」って聞かれたけど、僕としては本当にどれでも良いし、
それは今回のオナニーの主体であるあなたが決めればいいじゃん、と思ってたけど、
執拗に聞いてくるので「この男優知ってる。格好良い系だよね」と、いま画面に出てるのを選んだ。
「女の子向けのは、最初から仲がいいんだよね~」。眼はうっとり。
んで、ドラマになってるんだけど、導入部を早送りしないでずっと見てるんだ。
男子とは違うんだな―。と考えながら、髪をくんかくんかしたり。
ケイコちゃんが「胸を触って。。」って言ったんだ。その大勢で触るには、
やはり左腕で腕枕して、左手でケイコちゃんの左乳房を揉むのが適当だと思ったんだ。
だから腕枕にしようとしたら、少しやっぱり「えっ」みたいな動きを感じたけど、
「こうするしか」とか言っちゃって肩を抱いたんだ。
その時彼女の右手は自分のお股なのね。でも「触りたかったら(お股を)触ってもいいよ」とか言うんだ。
んでケイコちゃんは「乳首つねって」とか「指入れてもいいよ」とか言うんだ。
宮沢賢治の作品を思い出しながら、指挿れるのはこっちがちょっと怖い。爪伸びてたらどうするんだろうとか。まあ挿れるんだけど。
んで、これは、彼女に女性にとって、最高のオナにー環境、それは
「人肌温かい手が、言う通りに自分を触ってくれる(家畜人かな)」
だと思ったんだけど、どうせオナニーだし「えいっ」ってわざとらしく掛け声出して、
重ならない69の体勢でお股をぺろぺろしたんだ、この時でも僕のおちんちんカワイソス。
半分ふざけてだから2分位で息をついたら、
「指を入れて、もう少しそのまま舐めてくれたらイキそう」
シドニィ・シェルダン作品並の超意訳で「そのまま続けてイキタイから」と解釈した僕は、
それでも(本当かよ)と冷めた心で、あ決して嫌ではない、なめなめゆびくちゅくちしてたら、
「あん。気持ちいい。」って言ってたけど、「あ、イキそう。。」の後、
30秒ほど静かになったのね。俺はなめなめしながらでも解ったね。彼女、気持ちを集中させてるんだって。
「あ、イクっ。。」って、普通に体をびくんびくんして、オルガスムに達した。へぇ。っと思ったね。
僕のこれまでの人生で、もっと女子とやればよかったと思うエロいことは、
唾液もとい、つばをもらうことだったと考えたよ。唾液交換はディープキスでいいんだけど、
上からある程度まとまった量が。でもコーラの口移しじゃないんだそれはそれでいいんだけど。
いまからでも遅くない、2020年の東京オリンピックは、涼しい10月に開催しようよ。
読み直してない悪しからず。
先日「毎日音読をすると言葉がすらすらと出てくるようになる」という記事を見て、いつも上手く喋る事ができないという夫に音読を勧めてみた。
直後から「美容師と会話する時に言葉が出てきやすくなった!」と効果を感じたそうで、会話も少しスムーズになってきたり、側から見ても良い感じに変化があったので、これからも続けていこうと思ってる。
でも大きな別の問題点が浮き彫りになった。
小学生用の音読ドリルを買ってみたら各種名文が使われていて、授業やなんかで一度は目にした事がある詩や小説の一文、枕草子や徒然草の古文など懐かしいものが沢山あった。
でも中学生の頃に家庭環境がひどくてほとんど学校に行ってなかったという夫にはどれも初めて触れるものだそうで、一応スラスラと読む事はできるし現代語なら概ね内容も理解しているようなのだが、感想はどれも「よくわからん」と言う。
特に詩みたいなものは全く心が動く事がないようで「で、何が言いたいの?」という感想ばかり。
「こんなにあちこち行って色々頑張ったり良い事をしてたら、デクノボウなんて呼ばれないでしょ?あと玄米4合って多すぎ。」
と言っただけだった。
ただ読書感想文が書けない子ども状態なのか、それとも元々何か大きく欠けたものがあって情緒的なもの感じる事ができないのか、どちらかわからない。
もう結婚して長いけれど、映画やなんかで泣いてるのを見た事がないし本人も泣いた事がないと言ってる。
でも可愛いキャラものが好きだったりふざけたりいたずらもするし、まるきりロボットのようなわけでもない。PCを使った複雑な仕事も日々問題なくこなしている。
でも文章の理解力の低さと、情緒の表現に理解が乏しいのは間違いない。
Twitterの短い文章でも、若い子の書く遠まわしな表現の文体とか、添付の写真を見てやっと意味が理解できるような文章とか、夫に見せてもなかなか理解してもらえず、説明してやっとわかってもらえる事がよくある。
普通に小中高と過ごしてきていてこうだったら、ただこういうタイプの人なのだと思えるんだけど、もし義務教育を受けられなかったせいだったら「今からでも何かできる事がないか…音読じゃなくて小学校の国語からやり直したらいいのか…」「できる事なら今から中学校に通わせてあげたい」とか考えてしまう。
※追記しました↓
モテない・積極性がない・勇気がないといった理由で自然と生涯童貞になってしまった人に魅力などないのは言うまでもない。
Twitterとかで童貞を貫く、一生童貞確定なんて自虐的に言ってる人は「そんなことないよ」と言われたいのかな?
「そうだね。あなたに抱かれたいと思う人は一人もいません」といってあげた方がまだ優しい。
しかしモテるのに宗教的な理由で生涯童貞の人も極僅かだがいると思う。
上の人達が勝手に自分と重ね合わせている偉人達(宮沢賢治など)の事だ。
こっちも称賛されるようなものじゃない。女に見向きもせず社会に貢献したというのは聞こえはいいがその人に惚れていた女性の気持ちを受け取らなかった冷血漢でもあるのだ。
★★★★☆
3巻6話。
六等星を見て小さいというピノコ。
BJは、じっさいは一等星よりも大きいかもしれないということと、六等星のような人間が世の中にはいくらでもいると言って、その例を語り出す。
ある大病院に院長をやってもおかしくないベテランの医者がいた。
しかし影が薄いことから他の者からはいないも同然に扱われていたため、院長選挙でも候補者にもされずに無視されていた。
あるとき医者が帰る途中で事故に遭遇し、迅速かつ適切な処置を即座に行う。
通りがかったBJがその技術を絶賛し、なぜ地位を望まないのかとたずねるが、医者は欲が優先してはおしまいだと答える。
その後、院長選に出馬していた医者が全員収賄で逮捕されてしまったタイミングで、病院に重症の患者が運ばれてくる。
病院からBJに手術の依頼がくるが、件の医者にやってもらえばいい、もしくは5千万だといって体よく断る。
病院のスタッフはようやく医者に頼み、そこで初めて、医者のスキルと本当に院長にふさわしい人間が誰かということについて認識を改めるのだった。
BJが見も知らぬ他人の医者の技術を率直に絶賛するのがすげー珍しく思った。
あとは医者が欲を優先しちゃおしまいだって言われて何も返さないBJがなんか面白かった。
それが最後にようやく伝わるラストのカタルシスは言わずもがな、
んで、BJも六等星だけど、ピノコが自分はそれを隣でわかっていてあげるというシーンがマジサイコーだった。
花火みてはしゃぐピノコと興奮して漏らしたピノコがめっちゃかわいかった。
一等星は あのでかい星だ
六等星は ほとんど目に 見えないくらい かすかな星の ことだ
だがな ちっちゃな星に 見えるけど あれは遠くに あるからだよ
じっさいは 一等星よりも もっと何十倍も 大きな星かも しれないんだ
………………
………………
いまごろ 病院の連中は 目がさめてるぜ
新院長を だれに するかって ことをね
れも そのかわい うちは にくまえちゃったじゃないのよさ
おまえには わからないんだよ………
先生って損よね… いつれも ひといぼっちで 人にきやわえて……
ね 先生 あのずーっと はなえて ひといぼっちで 光ってゆのが 先生よのね
ねー そいれ あの 先生の横れ くっついて ちっちゃーく光ってゆのは ピノコなのよのね
ピノコ愛してる
古和医院
六等星
二度死んだ少年
焼け焦げた人形
アリの足
えらばれたマスク
友よいずこ
めぐり会い
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
その子を殺すな!
閉ざされた三人
ある教師と生徒
万引き犬
奇胎
からだが石に…
っていう奴で。
『アクメツ』じゃねーか。って感じだけど。
なんでそんなことするのかっていうテーマがナカナカに感動した。
貧乏な生まれで、援助交際したり、虐待されてるの見ても見ぬふり、父親にバイトの金取られるなど嫌な団地から抜け出したいなあ。みたいな描写から。
援助交際して生きるのが辛い、金に殺されちゃうから、そういう実況しますみたいな。
なるほどなあと。
なんで俺はリア充っていうか、チャライのりが嫌いかって、これなような気がした。
宮沢賢治が、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」みたいなこと言ってたけど。
これだよなって。
リア充のノリって、どーしてもスクールカーストだの、恋愛至上主義だの、勝ち負けの上で成立している。
そういう気持ち悪さを、なかなかスカッとさせてくれているように感じた。
つーか、『シマウマ』って漫画もこの漫画家が描いてるけど。そっちはもう少し理不尽な暴力だけど。
そっちもとても好きだったしなあ。
やっぱ、リア充大嫌いだわ。
19時台の東北本線下り、盛岡行のボックス席に俺は乗っていた。
車窓は一面雪の風景だ。車内に人は少ない。俺しかいないんじゃないか。
東北美人というが、本当にきれいな顔立ちの女の子たちだった。わるくない。
グループは楽しげに談笑していた。声が通る。なんでも聞こえる。おおらかな連中だ。
駅に停車するたび彼らの仲間は何人かずつ下車していく。
グループの残りは二人だけになった。二人が俺の斜め向こうのボックス席に残った。
二人の会話が聞こえてくる。大半は先輩女子が話している。
俺の場所からは先輩女子だけが見える。美しい。すっぴんであれなのか。
あんな美人でやさしい先輩がいたら俺の高校生活も楽しかっただろうなとうらやんだ。
あの先輩って後輩の指導がうまいよね、誰さんはグリッサンドがうまいよね、などと
会話の内容が聞こえてくる。微笑ましい。
きっと先輩女子は後輩男子が好きなんだろうな、俺にはそう思えた。
そんな会話が、気が付くと聞こえなくなっていた。
「あれ、彼ら、もう下車したかな?」
そう思って斜め向こうのボックス席に俺が目をやると、先輩女子の顔に後輩男子の頭が
重なっていた。
「おっと・・・」
曇った車窓を俺は手で拭く。まばらな明かりが見える。
車外はきっと寒いと思うが、車内の暖房はしっかりかかっており暖かい。
そのまま次の停車駅まで二人の会話はなかった。
会話はないが、見つめ合ってはにかんでいるようなやりとりは聞こえてきた。
停車駅だ。後輩男子が立ち上がり「降ります。また、明日」と、言葉少なに降りていった。
http://anond.hatelabo.jp/20150520224717の追記として
それでも、自己犠牲に先はないよ
むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。
するとある日いたちに見附みつかって食べられそうになったんですって。
さそりは一生けん命遁にげて遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、
もうどうしてもあがられないでさそりは溺おぼれはじめたのよ。
そのときさそりは斯う云ってお祈いのりしたというの、
ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉くれてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。
それは彼の宗教観は仏教(特に法華経)やキリスト教に影響されている
私は、彼の作品を非常に好ましく思う
その一方で、酷く嫌悪もしている
どうして蠍が自分の身を食わしてやらねばならなかったと思い、食わせられなかった事に後悔しなければならなかったのか
蠍の存在価値も存在意義も存在理由も、いたちによって担保されるべき事柄ではないはずだ
蠍は蠍個人の理由によって生きればよいだろうし、それを他人がとやかく言うべきことではない
それなのに、どうしてさも、いたちに食べられなかった蠍には存在意義がないなどと言い放つのか
そうした極端な利他主義の辺縁に、本当の幸いや人生の意義はあるのか
そして何より、自分の存在意義を売り渡しているのが気に食わない
境界パーソナリティ障害ではないのだから、自他の境界くらいはっきりしたまえよ
誰が自分を許し、罰し、救い、貶めるのか
自分自身以外にあり得はしない
春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。自覚してゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心してゐるだけのことさ。夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。誰がそれを許したのですか。神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我!
坂口安吾著「余はベンメイす」より