はてなキーワード: マルチとは
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
などの数々の悪行を行った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
自分の場合、特に気をつけているのは「自分の発見は蜜の味」ということ。
何かというと、自分で何かに気づいたり発見したりしたときって、めちゃくちゃすごいことのように過大評価しちゃうよということ。
例えば、何か考え事をしていて急に「世界で自分しか気づいてないんじゃないか?」って感じに真理に気づいてしまった気になってテンションあがってったりすることない?
それでしばらくして冷静になってみると、ものすごい破綻だらけだったり、1+1=2くらい常識的なことだったりして、恥ずかしくて死にそうになるやつ。
しかもこれ、煮詰まってる会議とかでも起こりやすくて、そういうときって参加者全員が同じようなテンションになってしまうことで、実際に行動してみるまでほころびに気づかなかったりする。
で、大失敗して冷静になってみると、なんで誰も気が付かなかったんだろうっていう感じになる。
どうやら人間っていうのは、自分しか気づいてないかもしれない結論を導き出してしまったと感じたときに、テンションで思考回路がストップして自分がものすごく万能になったような気持ちになってしまうらしい。
しかも、後で冷静になって振り返られればまだいいほうで、突っ走ったまま帰ってこられなくなる危険性もある。
自分の中では宗教とかマルチ、陰謀論とかって、わかり易い言葉ではっきりと言い切る!っていうのももちろんだけど、むしろこういうあたかも「自分しかしらない真理にたどり着いてしまった!」みたいに感じさせるのが上手くて、その気持ちよさで帰ってこれない人のほうが多いと思ってる。
そういうの他にある?
あのブログみてわかったけど、こういう系統の人って文字を文字でみて判断するんだね
「真っ当」といえば、その意味とか状況とか結果の例とかたとえとか字面とか雰囲気とか人の引用とか
「真っ当」とは何かという事についてまず一旦考えないんだよね
その言葉がどんな意味かということは別にして発言者は言語を情報として伝達したいわけではなくて
複合的な情報を判断基準の方向づけに選択肢の幅を広げたりするために例えて言語にしただけなんだよね
「真っ当」とは、辞書に書いてある意味はこうだがそれでよいか、などと聞き返す必要もないよね
いつか当たるかもしれないと親の金で宝くじを買い続けたりすることが「真っ当」なのか
自分が憧れたり役に立ちたいと考えている相手に対して何を行使すれば達成できるのかが「真っ当」なのか
私の思う真っ当はこれだ、という返答をもらったらそれ以上はなにも言えないわけだし
要するに喩えとか文字で伝わるかとか伝えやすいかとかで表現したりすることは余計にこじらせるようにみえる
なんでも自分の武器に取り込んで、それをつかえばマルチでもいいってことですよね、みたいにしてしまう
自分の口から自分の理解で言葉をつくらせないとアドバイスするたびに深みにはまっていきそう
・買わされるだけの客でいるのはエンドユーザーだけだろう
・売る側として成功するなら直営専属代理店ではなく雑貨屋くらいからではないか
まず売れもしない商品を買うのは自分がその商品の最終消費者になるものだけ
買ったはいいが使わないけど、売れないすなわち捨てるしかない、そんなものを買わされるのはどう考えてもおかしい
嘘でもいいから「売れすぎて入手困難、これ世に出したら大金になってしまうので転売禁止」とでも銘打ってる商品ではあるべきじゃない?
だれでも定価で買えるものを頂くのに会員になる必要とかそれを売ることをチャレンジなんていう必要がない
次にその商品だけしか売れない商売ってそれこそ「売ったら確実に金になってしまうので売る人間を選定する」専売でないと意味がない
先述と同じくほかから安く必要なときに近くから買えばいいだけなのであなたが頑張る必要がない
似顔絵なりキーホルダーなり版権使用料を負けてくれるとかキャラクタの商用利用を許可してくれるとかあるべきが会員だろうし
その売り上げをプペるのはなにも問題ないでしょう
売り上げて返せる見込みがあるのなら、そのプランを言葉で説明して第三者に理解してもらって
信頼してもらって義務を果たせるならお金なんていくらでも借りれます
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自分の見た目という体一つで稼いできたお金でプペろうというのは生産をしないで自分の体を消費して稼いできたお金ですよね
お金を返す予定で借りる、返せるだけの努力をどこにできる、そんなプランがあってはじめて「なにかをできる人」ではないでしょうか
チケットさばいてきてと言われて「はい」と返事できることがクラブ内での「信用」でそれをしたから「信用」をつかって他の人にも自分のチケットを売れますか
自分がライブをするといえば西野クラブの人たちは買ってくれますか
そういうところだと思うんですよね
言葉でこれを伝えても「言葉はつたわった、だから私は絵本を買ってチケットを買って売るね」になるという事をなんと言えば伝わるのだろうか
たぶん伝わらない気がする
モンハンだろうとPC版って時点で日本人人口少ないから諦めなさい
Steamグループは受け身のやつが90割だからマルチしたいなら自分で開催しなさい。それでも見てないやつの方が多数だと思うが
どうしてもマルチしたいなら基本無料系のゲームのコミュニティに参加するのが一番手っ取り早い。有料のゲームでPC版でマルチっていうのはなかなか難しい
まずマルチできるぐらい有名なゲームは大体CS機にも移植されるので、非常にCS機の立場が強い日本ではどうしてもPC版人口は少なくなる
そして少ないPC版人口からアタリを引こうとするとソシャゲも真っ青の確率になるので、先に良さげなコミュニティを見つけておいてそこで布教するのが一番手っ取り早い
俺の経験談としてはアイボー発売直後にツイッターでマルチの募集かけてみたけど、誰も手を挙げてくれなかった。何故かいいねは30ぐらい付いてたが
それと俺はDiscordメインでVCもやるんだけど、Discordでゲームやってるやつらの4割ぐらいはまともにコミュニケーション取る気がないと思ってる
俺はどっちかっていうと一人でベラベラ喋るタイプなんだけど、質問しても返事ないし一人で喋ってても全然話に乗ってこないから
実は俺のマイクがオフになってるんじゃねえかと心配になることが結構ある
それと自分語りが長いやつ、いやに自虐癖があるやつ、すぐ怒るやつ、勝手に怒って勝手に凹むやつ、野良に向かって暴言吐くやつ
この辺を引くとハズレ引いたなって思う。あいつらは会話のキャッチボールじゃなくて、壁に向かってボールぶつけてるんじゃねえかと思う
それとマイクのボリュームなのか、声量の問題なのか分からないけど、声が異常に聞こえづらい奴らも割とハズレ枠としてよく出てくる
知り合い(といってもインターネットだけの繋がりだが)が鬱になった
毎日のようにVCを繋いでマルチをするぐらいには仲良かったし面白いやつだと思ってた
いつからかは忘れたがVCに入ってきてはつまらないつまらない何をやってもつまらない、自分つまらないならこうしたらいいんじゃないかって提案しても否定からはいるし、Discordの全チャで鬱がどうのこうの精神がどうので空気を重くするばかりでどうしたらいいのかわからない
確かに鬱が辛いってのは理解してるつもりで協力もしてあげたいと思ってはいるが、それを無理矢理他人に共有させようとするのは正直痛いし聞く耳も持たないなら気が失せるだけだしこっちまで鬱が伝染しそうで怖い
やっぱり縁を切るしかないのか?
誰か僕にあった仕事を探して欲しい
・スケジュールを立て、それを守りながら業務を遂行する能力を求められない
・コミュニケーション能力(相手の考えを正確に読み取り、自分の考えを正確に伝える)を求められない
・コミュニケーション能力(誰とでも良好な人間関係を築ける)を求められない
・完全在宅勤務が可能
・転勤なし
・残業なし
・ノルマなし
・年収700万円以上
・年間休日140日以上
ないかな
こんなことを書くと批判されるのはわかりきっているのだけど、最近のゲームは道中に時間がかかりすぎる。
RPGにしてもアクションゲームにしても、数少ない可処分時間しかない身としては、「敵が強くてやり直し」というものがとてつもないストレスになる。
いいんだよ。「なるほど。そうやってプレイヤーの行く手を阻むのね。」っていう意思だけ感じられれば。
トライアンドエラーで解決するまで取り組まなきゃいけないのは人生だけでいいから。
せっかく面白そうだと買ったけど、難しいというよりは面倒くさい(取り組むだけの時間がない)ことを理由に中断してしまったゲームが山のように積み上がっている。
時間だけの問題ではなくて、昔ほど情熱を持てないというのも大きな理由だということもわかっている。
年を取ると、大好きだったゲームさえできなくなるのか。
そう思うと割と本気で落ち込んだ数日だった。
「自分のゲームだけキャラクターが無敵になればいいのに。」そう思ったときにふと頭をよぎったのがチートという言葉だった。
ダメ元で検索してみると、PC用ゲームに限っては当たり前のようにチートツールが引っかかった。
ウィルスとか怖いので、いつでもクリーンインストールしても構わないPCで試してみる。
苦戦したボスが紙っぺらのように一撃で倒れ込む。
こいつを倒すまで、来た道を戻ってコツコツレベル上げをした苦労を、もう二度と味合わなくてよいのだ。
だけど、それが面白さの一つになってしまったゲームを、もう自分ではプレイする余力がないのだ。
金策して強い武器を買うべきか悩むストレスもない。そもそも金策すら必要ない。
嫌いになりかけていたゲームを再び好きになれそうな気がしてきた。
マルチブレーには相手がいて、その人間に迷惑をかけるようなことをしたいとは思わないし、開発者側に余計な仕事を増やしたくもない。
最近ではイージーモードなんかも実装されているゲームも多いが、通常難易度でプレイして製作者側の意図は一度は汲んでおきたいというエゴもあるのだ。
プレイした時間も無駄にならないし、やり直しという無駄な時間を過ごすこともない。
もちろん良くないことだとはわかっているが、開発側だってユーザーを失いたいだなんて思ってはいないはずだ。
私は恋愛傾向がややバイ寄りのヘテロ女性。大体のセックスもジェンダーも一致していると思う。ヘテロ男性と付き合った経験も何度かある。
成人してから気がついたが、好みの男性のタイプが、所謂オネエ系である。最近、誰かを好きになると、その男性は悉くゲイの方なのだ。
オネエという呼称が差別的であるかもしれないが、他の言い方がわからないので、この場ではオネエとさせてほしい。マルチジェンダーの身体男性といえばいいのだろうか。よくわからん。
中性的男子でもなく、男装女子でもなく、男の娘でもなく、成熟したオネエ系が大好き。芸能人でもオネエや心が女性で身体が男性であるとカムアウトしている人をついつい追ってしまう。
で、問題はこの感情が「好き」「好みである」「ファン」を越えて「劣情」に育ちやすいということだ。オネエの方に性的欲求を抱いてしまう。私にちんこがあったらしょっちゅう勃起しててパンツ内が大騒ぎだろう。事実、クリが立つという感覚を、オネエの方にしょっちゅう抱く。
これは、オネエの方、ゲイの方からしたらとても迷惑だし、失礼であることだ。自覚している。しかし、どうしたらいいかわからない。オネエ芸能人の方も、こんなファン困るだろう。でもインスタとかを汚い目で見てしまうのだ。
完全なる恋愛対象外の人間がこんなネジくれた汚い感情を抱いているというのは、非常に脅威であることだから。誰にもいわない。
本当に、オネエの方と友達になりたいのではなく、恋人になりたい。セックスがしたい。でもこんなことは言えないからここに書き捨てるしかない。
そもそもセックスといっても、自分が普通に入れられる方なのか、ペニバンで入れることになるのか……
裸で抱き合うだけでもいいかもしれない。でもそれをやったら性的に交わりたくなるよなぁ。
こういう好き(劣情込み)の気持ちを、オネエの方本人に告白したことはまだない。それでいいと思う。
好きになった人がゲイだった、だから告白しない。友達のまま。それでいいと思うし、それが普通。
事実、今、ゲイの友達が何人かいて、その中の子の一人が好きだ。その子はもう同じくゲイのパートナーがいるので、完全に私の負けというか、そもそも勝ちってなんなのだという状態。遊ぶときは普通に楽しく友達できるが、不意にクリが立っている自分に気がついたりすると、逃げ出したくなる。たのしい時間を過ごしているのに。そしてご飯食べてバイバイして帰ると、劣情を抱いたという事実の情けなさに涙が出るのだ。
私は、好きな人をこうやって心のなかで侮辱することしかできない。それが辛い。
こんなこと誰にも話せないからここに書いておく。
200万ぐらい。20年間のサーバ代。
EC2とかAWSとかLambda GCP 無駄金つかって がんばった。
いらね。無料のサイトなら無料だった。頑張る必要がないことを、がんばったんだなぁと察した。
おれでは、金にならない。RDSもいつのまにか、マルチAZからシングルAZになてた。
wordpressなら、SQLいらね。ファイルだけのほうがはるかにいい。
殺してくれっておもうから、戦争が必要だったんだなぁとわかった。若い子は大丈夫。
それで幸せになれるよ
嘘みたいだが本当の話だ、笑ってくれ。
バイデンは人身売買をして子供の血を吸っている、ヒンドゥー教は悪魔崇拝、トランプはそれを全て知っていて悪魔と戦っている
うろ覚えだが大体こんな内容のことを語る姿は統失そのもので悲しかった。
父は昔からそうだった。
父はとにかくアホで自惚れだ。
60間際にもなってまだ職を転々としている。なんとなく軽度の知的障害か発達障害があるようにも見える。
母は祖父母の代から創価信者で完全に洗脳されていて、勤行(念仏を唱えること)で望みが叶い幸せになれると本気で信じている。
両親はマルチ商法やスピリチュアル色んな物に騙されてまともに働かず金が無かった。
母は選挙が近くなると色々な人にお願いをしに行く(察し)のを、同級生の親に対してもやっていて、それが原因かわからないが同級生や教師から距離を取られいじめを受けた。
共働きだったので親戚に頻繁に預けられていたが、母方の祖父母は疲労で愛想を尽かしていた。
マルチが失敗して家計が破綻し、母が祖父に頭を下げてお金を借りている姿は子供ながらにショックだった。
そのうち物心ついてこれまでの環境が異常だと気付き、宗教は辞めて家族とはなるべく距離を取るようにした。
もちろん家族から良く思われていなかったが、とにかく普通の人間になろうと頑張った。
変わりたくて、無理してでもレベルの高い友達と連むようにした。
言葉遣いや箸の持ち方を正し綺麗な服を着た。
学力はずっと底辺で塾にも行けなかったため自力で勉強して、やっと普通レベルに追いつき普通の高校と大学を出た。
周りが結婚したり子供を産んでいく中、俺は誰ひとり理解し合える人がいないのだと気付かされた。
父とはまともな会話は出来ない。
母は滅多に連絡は取らないが相談したとしても結局は勤行をしなさいと言われるだけだ。
母親側の家族とは、信仰しないと公言したため気まずく何より勧誘が煩わしい。
これまで何度も親に説得を試みたが全て失敗に終わった。
仕事中は、失敗して怒られるのが怖く常にビクビクして過ごし、八方美人で頼みを断れず同僚と上部だけの関係を作り、気を遣いすぎて毎日とんでもなく疲れている。その弱さを見抜いてつけ込んでくる輩はたくさんいる。
そのため仕事が長く続くことはなかった。
壁に気付いた人は離れていく。
とにかく親密な関係になると、嫌われるのが怖くて何かと誤魔化してしまう。
異常な家族と異常な環境で育った異常な人間だと知られるのが怖い。
大体家族間のコミュニケーションがうまくいかずに血の繋がってない奴らと理解し合うなんて無理な話だ。
愛し方も愛され方も分からない。
もちろん結婚はとっくに諦めた。子供は好きだが収入も低いし虐待の連鎖が怖いので作らない方が良いと思う。
いっそ、母の信仰を引き継いで教団のコミュニティで生きていくほうが幸せだったかもしれない。
グレて地元のヤンキーと連んで土方にでもなってデキ婚するような人生の方が見合ってたかもしれない。
でもそれが嫌で逃げてきた。
だが違った。望んだ環境に入ろうとするた度に周りとのギャップに傷を抉られ、選択する意思を奪われ、結局得られるものは何もなく全てが中途半端になってしまった。そしてその環境からも逃げだそうとしている自分に嫌気がさしている。
そんな綺麗事を言ってる奴は、生まれた環境が良く、同級生にちょこっと虐められたことを辛い過去として語っているような恵まれた奴らだ。
そんなの分かっている、それが出来るなら精神を患う人なんていない。
なんだかんだ人は独りはで生きていけないんだ。
他人のことも自分のことも大切に出来ず生きた先に何があるのだろうか。
何かを成し遂げたとしても誰のために?何のために?
もし病気をしたら誰か助けてくれるのだろうか、看取ってくれるだろうか。
例えばな
主戦場をネットでのアプリケーション・サービス・プロバイダとしようか
そうすっとな
仮にそこを無視するとしてもロードバランサでの負荷分散やデータベース設計の方がクリティカルに速度に影響する
もうアセンブラでゴリゴリ書いたから速くなりましたなんてのは幻想だよ
仮にLinuxカーネルやWindowsのドライバ開発に携わるとしても
もうCPUがマルチスレッド前提で生半可なコーダーがアセンブラで制御できるような状況じゃねぇよ
行は為替業を行う商
実質等価交換 金本位制でなくなった後は金以外の国家管理財も担保の扱い
銀は代替通貨で債権や証券といった信用(担保に貸付を含む)を銀行の判断によって発行する商なので銀行
銀行は企業などの営利活動について金になるとか返してもらえそうといった所を選び抜いて金を貸す
信用はその企業の成長や結果に合わせて返済する旨を契約しその契約は国によって保証されその履行のために税金が集められるもの
銀行の貸付が返ってくる率は6~8割で実際それだけで利益が出せてるとは言い難い所が多い
そのため銀行は保険商品や金融派生商品を取り扱い預金目的の個人からも銀行資産を集める
信用金庫は金庫 現金を持ち歩かずに取引をする手段(預金や手形)を利用するための商
ほか金融業務もできるので貸付やローンなどもある(信用も扱う)
地元の少年サッカーチームの運営や町内会の趣味の集まりなどにも団体名で口座を作ったりできる
かつてはどこでも作れたが振り込め詐欺対策によって個人でない口座の作成難易度が
となっている
【信用について】
信じてくれと訴えることや信じるということを利用した何かといった日常的な自分の価値基準の表現のそれではない
信用というのは「取引において現在不足している分を最悪の場合法的な手段(国家の助力)によってでも解決することで貸付側が負債を持つこと」
信用を受けるというのは「貸付を行う側がその条件なら約束が出来ると見込んで貸し付けをしてくれるもの」
信用があるというのは実際には意味的におかしい いうなれば「与信枠が高い」
与信とは「貸付側が信用を与えてよい枠」
貸付側が「もし約束が破られたなら損失を被るリスクを被って自分の金庫から通貨を貸し出す(帳面上目的を明記した貸付だが現金の利用は借受側の判断に沿う)」ものが信用 実質現金
現金に時間経過で補填されるべき約束を含んだ金融商品が「信用(担保+不足部の約束)」
簡単に例えると
A「金かしてくれ」(与信)
A「2万借りたい 財布には200円だが財布はブランドもので15000円はする 返せないときは財布とあわせてうちのゲーム機(3万円相当)をあげる(担保)」
B「じゃあ来月までに返してくれるなら貸すよ(審査)」←信用の発行
A「ありがとう」←信用の借受
Aには信用があるわけではなく「Bの信用という名の現金」を「借り受けた」事になる
Bは自分の持っている「信用」をAに貸し付けている(Bはリスク)
信用がある人にお金を貸すことができる 信じることができる という意味ではない
信用という取り立て約束の名前であって「本当に返してくれるかまたは担保を譲渡してくれるか」どうかという想いではない
取り立てを確実に行うためには司法や国家機関の助力を要する その取引を確実なものとするために税金を払って国内の治安や司法を全員で支えているのが国家
【マルチ界での信用】
→借金のリスクは「貸す側の返ってこないかもしれない可能性」のリスク 借りる側は破産をすればいいだけでノーリスクといっても過言ではない
・信用を買う事でその信用を利用することができる
→一旦借り受けたカラ資産をそのまま貸付や迂回融資や二階建てにするのは違法になる程度に「損が出ることは確実」
・信用で信用を売ったり買ったり
国語的にも内容的にも社会的にもおかしいのがマルチ界の信用(おかしいので言い換えが必要)
破産しとけば何億でも逃げて「マルチ界の信用」という「信じられる人間(意味もなにもかも謎)に資金を移動しておいてあとから”信用”で返してもらう」という使い方の「信用」
これは与沢事業者が信用という名目で自分の全財産を貸付(形上譲渡で自己資産は消滅)して貸倒した計画倒産に近い
言い換えが多いところが民事的に貸し借りではないとか約定に証明がないとか現金に所有権がないところをついている
移動させると反社会組織認定されて人員構成を抑えられでもしないかぎり異性や同性をパートナーとして金銭の授受を明確に追えないため成り立ってしまう
西村博之も払えといわれた金を払わなくてもすんでいる
それら本人に「信用」があるわけではない 取り立て側や貸し付け側の「信用」を払い出して損をしている
実際追訴しない金融庁や司法機関が「信用を失っている」わけで与沢や西村は借り受けたり支払い命令の信用をそのまま流用し損などしていない
税金を支払ってる国民の保証金を「お金はらえなくなりましたw」と宣言することで吸い逃げしていることになる
マルチ界のトップが繋がるのはいざというとき破産するためと相手がもっているパネルがそのまま金になるから
破産はせずとも経営難として身内に資産を売却することで「実際お金を使わずに買い物ができる(信用で信用を売ったり買ったり)」こともできるため
はっきりいてほぼ詐欺でやくざで違法だが意思や意図だけではそれを明確に記録してあっても違法とはいえない
実質やくざとかわらないがやくざを取り締まるのが反社会的であるということにつけ団体を構成しそこで違法な活動を隠蔽している可能性があるから操作を必要とするもの
個人で大金をもっていてそれを「ポケットにいれていたから無くした」といわれてもそれを捜査したり罪に問うたりできないのを利用して少人数で組織化している状態
酒を飲んで女性を殺害しても犯罪にはならないし交通事故でだれかが死んでも運転手の業務上過失致死なので15年もくらわないしだれかが代行したとしてもそんなものはわからない
小学生の時、サッカーやドッジボールが下手で仲間に入れてもらえなくて悔しかった。
中学生の時、わけもなく殴ってくる奴がいて悔しかった。友達がモテて、僕は何もなかったのが悔しかった。
高校生の時、成績優秀者は学校案内のパンフレットに掲載する話があったが、僕は対象だったのに掲載されず、悔しかった。
大学2年の時、部活がんばったけど結局、記録伸びなくて悔しかった。資格試験で2点足りなくて不合格になって悔しかった。
大学3年の時、彼女ができたが手も繋がず、三週間で振られてしまって悔しかった。
就職活動して、何度も通って人事にも顔を覚えられた第一志望の企業に書類選考で落とされて悔しかった。
26歳の時、街コンにいったらマルチの勧誘だったので悔しかった。