はてなキーワード: 隠蔽とは
弱者がガン細胞となるなら取り除かねばならないし、かといってなりえるからといって弱者を排除するわけではない。
積極的に弱者の一部を強者として格上げすることもない、弱者を最低限は必要としているからだ。
しかし、右翼が弱者の味方であるように振舞う、また助ける存在として現れることがあるのはなぜだろうか。
以下に引用する。
左翼系の団体や文化人は一貫して「貧困者を社会の敵にしている」と主張し、同番組の放送中止を求めたが 変容してきたのは右翼・保守系の論調である。 ふだんは、豪邸をあてがわれた生活保護需給家庭がいかに地域住民に迷惑をかけているだの 子供ばかり産む下層女はけしからんだの書いているウヨク新聞『デイリーメイル』紙でさえ 「『Benefits Street』は貧困者のモラルのなさを描いているのではない。彼らを作り出した社会制度がモラルに欠けていたということを示している。」と書いた。
一見して、Benefits Streetという番組を介して、
左翼は事実を隠蔽する弱者の敵として、右翼は真実を明るみにし、弱者を擁護する味方として出てくる。
私は右翼は国家有機体説をとっており、左翼は構造主義をとっていると考えている。
左翼からみても構造を維持するために奔走しているので弱者のためではないのではあるが、右翼から見てもそうなのである。
弱者から見れば右翼による構造主義の批判は、現実問題として弱者すなわち私を生み出している構造である。
そうであるならばその否定は歓迎されるものであり、味方のように見えるだろう。
問題は右翼により新しい構造に作りかえられたとして、弱者にとって改善は見込めないだろうということ。
今回はなぜ味方のようにみえるのかということで、正解とは何か思いつかないが。
時間課金だったり、萌えキャラで結構オススメされている事が多いVPS。
ただその実態としては、非常に悪徳な業者なので、軽く触ってみる程度だと問題ないだろうけれど、それ以上の利用は強くオススメ出来ない。
諸条件あると思いますが、CPUを100%使い切りする処理を継続していたら、事前警告なく、サーバを止められました。
こんな利用をしていたのは、CPUは共有ではないとされていたからなのだけれど…
https://megalodon.jp/2018-0114-1653-36/https://www.conoha.jp:443/faq/vps/
そんな事はお構いなしに停止させられました。それも夜中にね。
まぁ専有可能なリソースを100%使い切っても問題はないわけで、サーバの停止に対して不服を申し立てるも一切の応答なし。サーバ停止の事後連絡に対し返信をしようが、サポートへの問い合わせをしようがなしのつぶて。なので、利用者側に過失がある場合はもちろん、事業者側に過失があっても、お構いなしに機械的にサーバを事後連絡でばんばん止めてくる。
CPUの件は、全く以て対策になっていないと思うけれど、以下のFAQをしれっと削除していました。(「basic認証はできますか?」の下にあった)
CPUは共有ですか?
https://megalodon.jp/2018-0204-2144-52/https://www.conoha.jp:443/faq/vps/
いやー、せこすぎるよGMO。
しれっとFAQを共有のCPUですに書き換えるだけでも十分過ぎるくらい悪質だけれど、不都合だからと、いくらなんでも掲載を下ろしてしまうとは…
いやー、早急な改修というのは、隠蔽なんですね。GMOすごい。
一般的な仮想環境の場合、CPUをオーバーコミット(簡単にいうと、8個のCPUに9個以上のvCPUを必要とするゲストOSを起動してしまう)しているケースです。今更、共用云々ということを言ってきたので、この点具体的に聞いてみました。
ご担当者 様
いつもご利用いただき、まことにありがとうございます。
はい、見事に答えてもらえていません。
こちらとしては、契約するときのスペックに関わる重要事項だから聞いているのだけれど、どうやら、ご案内できかねる内容らしい。
厳密なことをいうと、HyperThreadingを利用していると厳密には1vCPUで0.5コアの共有割り当てな一方で、1vCPUで1コア近い処理が出来てしまうので影響がなくはないのですが、こちらの件だとHTに配慮して2コアのサーバを借りていたので、それも関係なかったりね…
ご担当者 様
いつもご利用いただき、まことにありがとうございます。
お問い合わせの件につきまして、すでにVPSの削除を
大変恐縮ではございますが、ご料金の調整につきましては
今後ともConoHaをよろしくお願いいたします。
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FAQ/よくあるご質問 https://www.conoha.jp/faq/
お問い合わせ info@conoha.jp
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おかげさまで22周年 すべての人にインターネット
■ GMO INTERNET GROUP ■ https://www.gmo.jp/
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機密情報に関する注意事項:このE-mailは、発信者が意図した
上記の使い方ですが、別に他のサーバに対するクラッキングをしているわけではないし、停止させられることはありません。念のため…(似た使い方をメジャーなA社、G社のパブリッククラウドや、S社のVPSでやってみましたがいずれも問題なし)
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180131155044
もちろん、人間と動物は違うし、白人と黒人は違うし、男と女は違うし、わたしとあなたは別人です。では、わたしはあなたを差別してもいいのでしょうか? もちろんよくないですね。違っていることは差別の理由にはなりません……という話です。
1)他でもいっているが人間中心主義的なフェミニズムは十分にありえる 2)倫理的ヴィーガニズムは、「苦しみを感じる能力」を基盤とした能力差別主義といいえる 3)利己的遺伝子論の取扱 あたりをどう考えるか
「人間中心的なフェミニズムはありえない」って誰も言ってなくないです? 「人間には動物を支配し搾取する権利がある、なぜなら人間と動物は違うからだ」と「男には女を支配し搾取する権利がある、なぜなら男と女は違うからだ」って論理的にまるっきり同じですよね? その理屈を無邪気に肯定していいんですか? っていうのが大元の問いでは。
人間も動物も同じであるというのは「生物学的正しさ」ではあるが「政治的正しさ」ではないだろう。この2つの正しさを直結するのは危険な気がする。
「生物学的に男女は同種だけど女は政治に向かないから選挙権は男だけでいいよね」っていうのが政治的正しさだった時代もあったんですよ……
権利を持つべき存在が日々虐待され殺され店に並び、多くの人が喜びながらそれを消費し、彼らの権利を守ろうとする主張が反差別運動をやっている人からも冷笑・嘲笑される状況って、そりゃ実際の性暴力・性差別被害とは比べ物にならないとは思いますが、「混ぜっ返し」といわれるほど軽いものじゃないと思いますよ。それを軽いといわれたら、性暴力被害とは縁遠いけど性暴力被害者の話を聞いてなんて酷いんだって憤ってる人の義憤には立つ瀬がないです。
「僕は人種差別に反対だから黒人奴隷は使わないけど、君が黒人奴隷を使ってる分には構わないよ」なんてニコニコしながら言う「寛容な」人がいたら頭おかしいと思うでしょ? 「おれが肉を食うのは自由だろ?」って言われた時のヴィーガンの気持ちがそれだと思うんですよ。
その理屈だと重度の知的障害者は差別してもいいってことになっちゃうのでは……? あと、「アフリカ人の奴隷は何考えてるかわからん」って言ってる南部人たくさんいましたよね。
面白いし似たようなことを考えてもいた。でもね、どんな崇高な思想であっても、他人との差異を認められない人や思想を他人に押し付ける人が主張してるかぎりはどうでもいいもんなんですよ。
「黒人は奴隷にしていい」「女は好きに犯していい」という思想って、考え方の違いで認められるんですか? 「僕は女性に性暴力をふるうのは反対だけど、君がふるうのを尊重するよ。個人の自由だからね。僕の思想を押し付けることはしない」って言ってるやつかなりサイコパスみがありません? 賛同しろって言ってるんじゃなくて、ヴィーガンにとってはそれくらい切実な問題だって理解したらどうだ、って話です。
どうしてそうすぐに正しいだの敵だの言い切ってしまうのだろう。グレーでいいじゃないの、心に留めて無言でいてもいいじゃないの、日和見主義でいいじゃないの。
こんなのヴィーガニズムへの最大の侮辱ですよ。奴隷にされている黒人と奴隷主のあいだに立って、戦闘的奴隷解放論者は極端だなあ、日和見主義でいいじゃない、なんて言うのは奴隷制の肯定にほかならないでしょう。ヴィーガンの問題意識をちょっとでも想像したらこんな無神経なこと言えないですよ。正々堂々と、あなたたちはわれわれの敵だ、と言明するべきなんですよ。
その理屈に乗ると男性優位社会の信奉者が女性を差別するのもOKって話なわけで、まあ事実その主張って根絶できないわけだが、ええんかいなではある。
せめて「おれは男性優位主義者であり女は男と対等ではないと信じているので確信を持って女性を差別する。この差別は正しい」と堂々といえよっていう話ですね。そっちのほうが、別に差別じゃないしwwwwwとか苦しい言い訳をして差別とそれによる敵対を隠蔽しようとするより遥かに誠実な態度でしょう。
権利は社会を形作るもので、その社会という人間が無法から身を守るツールと、その外と内をどう分けるのかが、等価に思えてしまう人がこんなに多いのはなんでだろうか。そんなに引っかかることか?
その「人間社会」の内外をどう区分するか、って、自明じゃないですよね。アボリジニは人間以下だから追い散らしてハンティングしてやるぜ! アフリカ人は貨物だから船に詰め込むし伝染病が流行りそうになったら生きたまま海に放り込むぜ! っていう時代があって、その頃は「人間=キリスト教徒の白人」だったわけで、そういう時代には「あいつら『人間』じゃないから差別して搾取してよくね?」っていうのが「社会」を維持することだったんですよ。「社会の構成員」の権利を守るためにアボリジニを虐殺しインディアンを強制移住させアフリカ人を誘拐してきた歴史があるわけですよ。で、「ホモ・サピエンスのみに権利を与え、他の種は差別・搾取の対象としてもよい」というのはあくまで現在の社会におけるコンセンサスであって、自明でも自然でもないですよね? 未来にはその内外の線引きが動く可能性があって、ヴィーガンはそれを積極的に外に動かそうとしてるわけです。……これ、そんな引っかかることですかね。わたしには極めて明瞭な論理だと思うんですが。
フェミニストが乳製品を摂ることは矛盾か、という議論が喧しい。
https://togetter.com/li/1194767
http://sutaro.hatenablog.jp/entry/2018/01/29/162209
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/152800
はじめに言っておくと、わたしはヴィーガニズムやアニマルライツには明白に反対である。しかし、それらを一部のバカによる寝言だとは思わない。むしろヴィーガニズムは正しいと思っている。いや、より正確に言うならば、ヴィーガニズムは正しすぎるがゆえに問題なのだ。
ヴィーガニズムへの反対に理屈をつけようとすると、かなり高い精度でブーメランとなって戻ってくる。人間と動物は違う! 白人と黒人、男と女を代入して同じことが言えるだろうか? 人間は他の動物より賢い! 男が力強いことを男性が優越していることにしたい性差別主義者は、古今東西どこにでもいる。人間が動物と違うのは社会の常識だ! アメリカ南部の奴隷主たちも、同じことを思っていただろう。
10年ほど前、はてなで「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない」というフレーズが話題になった。まったくその通りだ。「同じ人間を差別してはいけない」にも理由はない。理由はないが、道徳律とはそういうものだ。差別はいけない、なぜならそれは差別だからだ、という主張は空虚だが、しかしその正しさを疑う人はいないだろう。差別は正しくない、これは自明です。
ところで、「同じ動物を差別してはいけない」という主張は、「同じ人間を差別してはいけない」と論理的に同型である。空虚である。空虚であるが、ではそれゆえに正しくないと主張することは可能だろうか?
人類の平等への闘いは、「同じ○○」の範囲を広げてゆくことだった。「同じキリスト教徒を差別してはいけない」という議論に対して異教徒が声を上げることは必要だった。「同じ成人男性を差別してはいけない」という主張では、無産階級の男性のことは救えても婦人参政権は実現できなかった。ようやく今、人種差別や性差別が「同じ人間を差別してはいけない」として斥けられる時代になったのだ。
しかし牛や豚からすれば、その「人間の平等」は、「白人のなかでの平等」や「男性のあいだでの平等」と寸毫変わらぬであろう。
それがヴィーガンやアニマルライツの訴えの核心である。これを安易に「人間と動物は違うんです。以上」で切り捨てることは、安易に「だって男と女は違うじゃん」と切り捨てることと、いったいどこが違うというのだろうか? このふたつの主張をまったく別物だと切り分けること、それ自体が彼らの批判する種差別なのだ。
何でフェミニストにばかりそういう要求や追及がなされるのか? と疑問を呈する人もいる。断言するが、それは最悪の戦略である。
第一に、ヴィーガン界隈を見ればわかるが、彼らは一般人に対しても肉を食ってさえいれば無差別にマサカリを投げつけている。それが今回たまたま件のフェミニスト氏に向けられただけであり、構図としてはセクシーな萌えキャラの出てくるポスターをフェミニストから批判されたオタクが「何でオタクばっかり叩くんだ?」と過去の女性運動の蓄積も知らずに愚痴っているのと寸分違わない。やめておいたほうがいい。
第二に、差別に反対する運動の中で別の差別が行われていたとき、それを厳しく追及してきたのはフェミニストたちだったではないか。人種差別に反対する運動の中で性差別が起きたとき、人種差別だけでなく性差別にも反対すべきだ、そうでなければ真の反差別とはいえない、という主張はそれなりの説得力をもって受容されてきたように記憶している。であるとすれば、性差別だけではなく種差別にも、という主張が向けられることは自然な話であろう。
つまり、既存の反差別運動の側は、迂闊にヴィーガニズムを揶揄しているとブーメランが帰ってくるわけだ。反差別、正確には、反人種差別および反性差別を支持する者として、味方がブーメランに撃ち抜かれて斃れていくのを見るのはやるせない。
ではどうするか? わたしはまず、敵対関係を認識すべきだと主張したい。
フェミニストは男性優位社会の敵である。奴隷解放論者は南部社会の敵であり公民権運動の闘士は白人中心主義社会の敵である。それと同様に、ヴィーガンは人類社会の敵である。
このことは、現在のヴィーガニズムの支持者が全員人類であることと何ら矛盾しない.家父長制と闘う人びとの中には男もいた。奴隷を逃がしたり黒人とともに座り込みに参加した白人もいた。そして彼らは、男でありながら男性中心主義の敵であり、白人でありながら白人至上主義の敵だった。ゆえにヴィーガンが、人類でありながら人類社会と敵対するのは何ら矛盾ではない。
わたしたちにはふたつの選択肢がある。ひとつめの選択肢は、敵が提示する平等のテーゼを受け入れることであり、つまりはジャイナ教徒のように虫の一匹も殺さぬようマスクをし箒で道を掃きながら歩く生活を選び取ることだ。もうひとつが、平等と敵対することである。種差別の何が悪い、人間は動物とは違うんだ、人間の都合で動物を搾取することは当然だ、と傲然と言い放つことである。
最悪なのは、この敵対性に対して目を瞑ることだ。敵を「なんか頭のおかしい人たち」として片付けることだ。そうではない。彼らは正しいのだ。彼らは正当な抗議者として、つまりはわれわれの敵として扱われるべきなのだ。
この敵対性を隠蔽してしまったら、他の敵対性が隠蔽されることに抗えなくなる。それは平等への闘いの自滅だ。敵対性がそこにあることを明るみに出すことは、常に闘いの出発点なのであるから。
なのでわたしは宣言する。肉うめぇ。これはヴィーガニズムが提示する平等への敵対だ。朕はたらふく食ってるぞ、汝畜生食われてろ。数百年後、あの世代は動物差別と動物大虐殺を何とも思っていなかった民度の低い連中だ、人類の進歩を阻害してきた、と糾弾されるかもしれない。それでもわたしは、種差別を正しいと信じる。人間は動物とは違っており、この差別は当然だと主張する。未来の子供は、わたしのこの言明を醜悪なスピーシシストの声明として読むかもしれない。ユダヤ人は劣等だと言い放ったちょび髭の指導者や、女は男よりも劣った生き物なのだと公言してきた家父長たちが扱われるように、動物を殺して恥じなかった我々現代人も扱われるかもしれない。ひょっとすると数十年後に革命が起きて、人道に対する罪で訴追されるかもしれない。自己批判を強要されるかもしれない。それでもわたしはヴィーガニズムに敵対する。この差別は正しい差別だからだ。
さあ、みんなもそう叫ぼうじゃないか。種差別は必要だ! 種差別は正しい! 今ここで種差別を! 明日も種差別を! 永遠に種差別を!
不思議なんだけど、例えばうちの会社だとしたらこれ書いた記者と上司にほとんどの責任かぶせて尻尾の足切りすると思う。
もちろん監督者として会社として謝罪はするだろうけど、それで自浄作用がある程度機能していることをアピールして「ダメな組織だけど改善する可能性はある」って評価を狙ってブランド価値の損切りすると思う。
これが発生したのが10時間ほど前なので、一連のことが謝罪までそろそろ終わってるぐらいのペースで。
能力的にも、正直この記者やチェックした人に改善の余地はまぁない。
おそらく倫理観なども壊れているが、それよりも根本的に能力が足りない。
見ている世界を自分の中で咀嚼する能力もだし、咀嚼するための経験もない。
根本的に才能もなければ経験も積んでいない。定年までに改善するにも時間が足りないだろう。
共同通信社は未だに音沙汰ないけど、それがもしかしてこの会社は未だに昭和をやっているのでは?と疑念を抱いてしまう。
今の私の関心事はそこである。
本気で「人の噂も75日。騒がなければ隠蔽できる。」と思ってるんだろうか?
実際できるかもしれないけど、それを繰り返して短期的な利益ばっかりを得ることができると考えているんではないだろうか?
成長せずに昨日と同じことを繰り返す組織になってしまっているんじゃないだろうか?
今回の件はそれを試す試金石だと思っている。
明日中に何もなければ、潰すべき組織の一つだと判断すると思う。
怒りとか嫌悪とかその辺の感情は正直薄く、別に謝罪だって求めていない。山中先生にだけ謝ればそれでいいと思う。
ただ、将来のことを占う出来事だと感じている。
https://anond.hatelabo.jp/20170410000627
https://anond.hatelabo.jp/20170702225355
どうも、バイトのおじさんです。
とはいえ12月~1月は閑散期なので年末年始はおかげさまで、大晦日でビール、あけましておめでとうビール、ニューイヤー駅伝見ながらビール!箱根駅伝見ながらビール!!と飲んだくれておりました。
さて年も明けると、そろそろ確定申告の季節ですね。
おじさんもバイトの収入はきっちり申告が必要なので、いろいろと調べ中です。
これまで普通なリーマン人生を歩んで来てましたので確定申告とか詳しくないんですよ。
まあ、でも最近はWeb上で出来ちゃうみたいなんで楽チンですな。
それよりもおじさんの悩みどころは、住民税ですよ。
バイトしてなければ普通に本業の給与から会社経由で支払われるわけですが、バイトしてる場合、何もしないとその収入分も本業の会社に請求されるらしいんだよね。
そうすると、会社の社長さんとか経理の人とかに、あれ?こいつ住民税多くね?となり副業バレする仕組みらしいですよ。
おじさん一応、会社役員なので別に副業は問題ないんだけど、積極的にはバイトしてる事知られたくないわけですよ。
本気でほぼ趣味でバイトしてるようなもんなだし、なぜ?とか聞かれても困っちゃうし。
逆に、増田さん借金でも抱えてるのかな?それとも...とか変な心配されたり、「えーマジバイト?」「バイトが許されるのは学生までだよね!」「キャハハハ!!」とか言われそうでも怖い。
てなわけで、インターネッツで調べてみたら確定申告で普通徴収にチェックしとけとか、市役所行けとか出てるけど、結局、市区町村で違うっぽいから市役所に聞くしかないらしい。
市によっては、会社経由での徴収しかしない所もあるらしいので、そうなったら覚悟完了するしかないなーと思いつつ市役所に電話。
「かくかくしかじかで副収入分を個人で収めたいんですが可能ですか?」
「できますよー。具体的には2つの手続きが必要でして、まずは確定申告の際に住民税の徴収方法の選択という項目がありますので、そこで自分で納付にチェックして下さい。それから、会社とバイトの源泉徴収票を市役所にお持ち頂いて市県民税申告の手続きをお願いしますー。2年目からは郵便とかでも手続きできるんですが、最初は間違いがあると大変ですので窓口にお越し下さいー」
以上、よろしくお願いします。
その中でもデータの隠蔽とその強要は完全にアウトです。証拠となるメールを集めておいてください。学内の誰か信頼できる研究者に相談してください。似たようなケースを知っていますが、「外部からの指摘があった」として学生の存在を隠したまま調査、発表がなされました。
下記に示しますのは自分が受けたこと及び周りが仕打ちを受けているのを目でみたものです。
まずはアカハラ。
・指示に不確定な点があるので尋ねると「俺のいうことが聞けないならいらない」という
→結果指示通りにやって失敗すると「なぜ俺に確認しなかったのか?」といわれ怒鳴られる
・卒業の権限を握っているようなことをいう(俺が教授会で言えば云々と)
などなど…
次にセクハラ。
・女子生徒に対して「この資格は嫁に行った後パートするのに便利だ」などという(男女雇用機会均等法とは?)
などなど…
・成果の出ない学生に対して精神的攻撃をし続ける→結果辞めた学生も過去にはいる
・学生に対して「人ではない」「穢多非人だ」などの差別用語を言い続ける
などなど…
現在正月休みですが、また大学がはじまるのが怖くて仕方ありません。
ハラスメント対策室もありますが、他のラボの教授が責任者をやっており、情報保護はなされていないのが現状です。
このままやられっぱなしではいずれ自分か仲間の誰かに最悪の事態もありえると思っています。
助けてください。
日馬富士暴行事件で度々名前が上がる高野利雄危機管理部長は、名古屋高検の元検事長である。
つまり検察官の中でも有数の実績を持つ人物であるが、その高野利雄の仕事ぶりは見ての通りの
公平性の欠片もなく、ただ自らの雇い主を慮り、有利に取り計らうだけであった。
2014年からつい最近までプロ野球のコミッショナー職に就いていた熊崎勝彦も最高検察庁の
公安部長に上り詰めた人物であるが、彼がコミッショナーとして関わった賭博事件では、調査に
素直に応じて罪を認めた福田、笠原、松本計3選手に対して無期失格処分の厳罰を課した一方で
虚偽の報告をして事実を隠蔽していた高木京介に対しては前3選手よりも格段に軽い1年の失格
厳罰を課された選手の中には高卒4年目の22歳という若さで事実上の追放処分となった松本竜也
のような人物もいた。つまり、素直に罪を認めた最年少が、それより4歳も年上で事実を隠蔽した
高木京介よりも重い処罰を受けるという、あまりに不条理なものであった。
このように、検察官として大きな出世を果たすような人物というのは、本来検察官が持っているべき
昨今のマスコミ批判において、頻繁に取沙汰される問題の一つに「報道しない自由」がある。
この語は「報道の自由」に引っかけた単語であるが、要するに「メディアは自分たちの主義・主張にとって都合の悪いことは報道しない」というものである。最近の例では、加計学園の獣医学部新設をめぐる一連の報道の中で、マスメディアは前川前文部科学省事務次官の国会発言ばかり取り上げ、加戸前愛媛県知事の発言はごく短い時間しか取り上げないか、あるいは存在すらしなかったかのように無視したことが問題視された。「放送法順守を求める視聴者の会」がテレビ報道の在り方について新聞に意見広告を出した他、主に右派系のネットメディアでも頻繁に取り上げられていた。同様の批判は安保法制や共謀罪に関する報道でも行われた他、日常の事象においても「犯罪報道において犯人が報道関係者だったら追及が甘い」など、「報道しない自由」の事例は枚挙に暇がない。
この問題に対しては「マスメディアは自分たちの都合の悪いことを隠蔽せずに報道しろ」という旨の批判がなされることがあるが、私はそれは不可能だと思う。何故なら、媒体を問わず、偏向しないメディアなど存在しないからである。
ある事象において報道がなされる際、メディアが割ける報道資源には限りがある。テレビであれば一つの番組の中で数十秒~数十分。特番を組んだとしてもせいぜい2時間程度だろう。新聞であれば紙面の数%~全面、マックスでも広告欄を除いた全ページである。イラク戦争開戦の際に、新聞がほぼ紙面の全てをイラク戦争に割いていたのは、非常に印象的であった。
一方で、報道の元となる一次ソースは、膨大な量となる。行政機関が発行する資料では、少ない物でもA4で1枚、多い物なら数百枚にものぼる。これらの内容を、テレビや新聞で一字一句逃さず報道するのは不可能であろう。ネットであれば可能かもしれないが、そんなに大量の情報に全て目を通す人はそう多くはない。これが事件報道になれば、事件の経緯、加害者の背景、被害者の背景、関係者の証言、その他諸々…「事件に関わる全ての情報」を挙げていけば、際限が無くなってしまう。
そもそも全ての人が一次ソースを参照するのであれば、報道など不要である。一次ソースをかいつまんで分かりやすく説明したり、内容を解説して理解しやすくすることが、報道に求められることであろう。それがいわゆる「編集」と呼ばれる作業である。
そして、編集の過程において、どう頑張っても排除される情報というのは生じるものである。その事象にあまり関係のない情報、専門的過ぎたり限定的過ぎたりするために掲載しない方が理解しやすくなる情報などは、むしろ省いた方が視聴しやすくなる。また、編者の意見に会わない情報は、意識的か無意識的かに関わらず、省かれてしまうこともあるだろう。すなわち、一次ソースをそのまま掲載しない限り、テレビだろうが新聞だろうがネットだろうが偏向は必ず生じるものなのである。掲示板の書き込みを編集した「まとめサイト」などはその典型例で、記事の主旨とは異なる書込みは省かれるし、管理人の主義主張に反する書き込みも、もしかしたら排除されているかもしれない。いくらメディアが「公平公正」を標榜していたとしても、それを100%成し遂げることは、到底不可能なのである。
だから私は「報道しない自由」自体は全てのメディアが持っているものだと思うし、それ自体を批判することは的外れであると考えている。その批判は容易にブーメランになり得るからである。テレビにおいては放送法第4条を根拠に公平性を求められるケースもあるが、放送法自体問題が山積みの法律であるため、早急な改正が必要と言える(テレビ局の人間が「倫理規範だからセーフ!」とか言ってる時点で機能してない)。
では、マスメディアの持つ本当の問題点とは何か。当たり前すぎて今更語るまでもないことかもしれないが、今一度整理したみたい。
ネットとの比較という意味で、最も顕著なのはこの点だろう。テレビ、新聞などの既存メディアは、発信者と受信者が固定されており、受信者が発信者に対して同じ立場で発言することができない。テレビは総務省の許可が無ければそもそも放送できないし、新聞なら発行すること自体は誰でも可能かもしれないが、一般人が大手メディアと同じ量の情報を発信するのは、現実的ではない。
一方でネット上は、基本的に誰でも平等に発言することができる。もちろん、発言の影響力は立場によって異なるが、例えばツイッター上で批判されたら同じくツイッター上で反論することも可能だし、ブログの意見に対して別のブログを自分で立ち上げて反論することも可能である。グーグルなどのポータルサイトやSNSの運営会社が強い影響力を持つことは否めないが、利用者はそれらのサービスが気に入らなければ、容易に他のサービスに切り替えられる。また、例えば国が法律によってネット上の情報発信を規制したとしても、法の及ばない海外のサーバーを利用することだってできる。ネット上には絶対的な情報発信の強者は存在しないのだ。
これは利用者にとって、単一方向メディアにはない大きな利点である。今までは情報発信はマスメディアが独占していたが、現在では個人が自由に発信者になれるのである。その一方で憶測や捏造に基づいた情報を発信すれば、簡単に批判を受けてしまうというリスクも負っている。これまで独占的な情報発信者としてその恩恵を最大限に受けて来た既存メディアにとっては、到底受け入れがたいことだろう。だが残念ながら、どんなに望んでも時代が遡ることはない。
いわゆる「記者クラブ」に関しての問題点である。マスメディアの記者のほとんどは業界団体で作る「記者クラブ」という組織に属している。記者クラブには、行政組織や大企業の記者会見に優先して参加でき、クラブに属さないフリーランスの記者などはそもそも会見に参加すらできないことが多い。すなわち、日本ではマスメディアによって、ジャーナリストに対する言論弾圧が行われているのである。
また、記者クラブの中で、異なる報道機関の記者同士が取材した内容を互いに確認し合っているという問題も指摘されている。取材メモの内容を他の記者と「答え合わせ」し、内容に漏れや間違いがないかを確認しているという。これは関係者が著書などにおいて発言した内容であるため、事実か否かを確認する術を私は落ち合わせていないが、もし事実であるとすれば、報道機関としていかがなものかと思う。扱うのが情報だという点を除けば、他業種における「談合」と何ら変わりない。
記者クラブの存在を別にするとしても、報道内容が画一的であるという点は批判されるべきだろう。特にテレビ報道においてその傾向は顕著で、芸能人のスキャンダル、政治問題、相撲界の不祥事、どの事象においても、全てのチャンネルにおいて、まるでコピー&ペーストのように同じ論調でしか報じていない。ワイドショーだけならまだしも、ニュースにおいても同様である。そして、同業他社であるマスコミ各社の不祥事については、どの報道機関も一斉に口を閉ざすのである。これではマスコミ同士の相互チェックは全く機能せず、業界全体が腐敗してしまう。
さらに、冒頭に挙げた前川氏にまつわる報道では、読売新聞が「前川氏が未成年が働いている出会い系バーに出入りしていた」ことを報じ、他のマスメディアから一斉に批判がなされた。全く意味不明である。読売新聞は報道の自由に基づいて報じただけであるし、元文科省の役人が、任期中に児童買春を行っていた疑いがあるのだとすれば、報道すべき大問題であろう。マスメディア各社の中で前川氏に関する報道姿勢について合意がなされており、それを読売が「抜け駆け」したことに対して怒っているのであろうことは、想像に難くない。前川氏自身は(苦しい言い訳をしながらも)出会い系バーに出入りしたいたこと自体は認めており、読売の報道内容は事実であった。事実を報道したことに対して批判をするのであれば、日本のマスメディア各社は報道機関として終わっているとしか言いようがない。
もはや誰がありがたがっているかよくわからない年中行事の一つとして、自由国民社という一出版社が数人の選考委員会を集めて勝手に決めている「新語・流行語大賞」というものがある。最近では野球業界以外では全く流行っていない言葉や、日本に対するヘイトスピーチに当たる言葉を流行語として選び、物議を醸している同賞だが、先日発表された2017年の流行語のトップテンの中に「フェイクニュース」という言葉が選ばれた。その定義は、新語・流行語大賞のホームページを引用すれば、「ネット上でいかにもニュース然として流布される嘘やでっち上げ。」だそうだ。
このように、マスメディアがネット批判を行う際の常套手段として、「ネット上には嘘や質の低い情報が多く含まれている」という主張がある。「それに対して新聞やテレビは、社内で十分に内容を確認・検証しているから、正しい情報である」と言いたい訳であるが、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがない。
ネット上の情報に嘘が多いというのは事実であるし、そんなことは普段ネットを利用している人であれば十分承知の上である。一部の情報弱者が、良く調べもせずにその情報を鵜呑みにしたり、タイトルだけ見て記事の内容を読まずに早合点したりして、騙されている訳である。ネットを使っていれば関連する情報をその場ですぐに参照することは容易だし、先述した通り間違った内容であれば他者が指摘することも容易である。
対して新聞やテレビは、偏向や捏造があっても、個人が指摘して正すことはできない。サンゴ・グリコ・アジトや、椿事件、慰安婦問題などは、捏造が明るみに出たため、謝罪、訂正した例であるが、間違いを指摘されても訂正・謝罪していない例もいくらでも存在する。そもそも先に挙げた「フェイクニュース」という単語自体、元々トランプ大統領が言い出した言葉で、「テレビなどの既存メディアの捏造」を指す言葉であるが、マスメディアはこれを「ネット発の捏造・誤報」という意味に「捏造」しようとしているのである。
近年、「若者のテレビ・新聞離れ」を憂う声がメディアから上がっているが、若者に原因があるのではなく、自分たちに原因があることを理解しているのだろうか。メディアにとっての商品は「情報」である。その商品の品質が低ければ、顧客が離れるのは当たり前だ。提供する料理がマズい店は、客足が遠のくのと同じである。これまでは情報そのものが大手メディアにより独占されていたが、現在はネットの出現によってその独占状態も瓦解してしまった。既存メディアがいくら「ネット情報は玉石混淆だ!」と叫んでも、石しか扱っていない既存メディアは一笑に付されて終わりである。
徒然と書き殴ってしまったが、ひとまずここまでにしたい。他にも、視聴者が直接の顧客ではないこととか、テレビ局が国民の資源である電波を独占していることとか、新聞社が企業買収から守られていることとか、メディア自体が権力化していることとか、いろいろと問題はあるが、ともかく「既存メディアがネットよりも優れている」というのはまやかしでしかない。「ネットの情報ばかりでは偏る」という意見もあるが、それはテレビや新聞でも同じことである。メディアの媒体問わず、一つの報道だけを鵜呑みにせずに、様々な情報を加味して判断すべきなのだ。要は個人のメディアリテラシーの問題でしかないのである。
また、単一のメディアの情報だけを信じてしまう人の特徴として、「自分で判断することを放棄している」という点が挙げられる。そういう人ほど誤報・捏造報道があった時に、「騙された!」と叫ぶのである。もちろん、捏造したり、ちゃんと確認をせずに報道したりするメディアは悪であり、糾弾されなければならない。しかし本来は、何が事実で何が嘘かは、情報の受け手個人個人が、自分の責任において判断しなければならない。それができない人間が「情報弱者」と呼ばれるのである。
メディアはその媒体を問わずに「報道しない自由」を有している。だからこそ受け手は偏向・誤報・捏造に踊らされないように、一人一人がメディアリテラシーを身に着けることが重要なのではないだろうか。
報道見る限りだと、これ・・・、もしも元日馬富士が親方やってたら、死人がでる相撲部屋だったのではないかと思えうほど
相撲ってよっぽどヤクザ的な体力(体育会系なんてもんじゃないよな)、ヤクザ的な精神力がないと出来ないものなのかな
後輩を怪我させても謝らない人たちばかりで、この暴力事件を隠蔽しようとする協会がやってるのが、「国技」っていっていいのかどうか、疑問だな・・・
「相撲の素人が勝手なこと言うな」といわれそうだけど、素人からすると、そんなに暴力をふるっても隠蔽って異常だよね
過去、死人も出ているのに、直せない組織ってもうだめなんじゃないかと思うんだが、暴力をふるいあう競技?だからいいとかいう話なのか
女児がその場で騒ぐ(口塞ごうが声が漏れない訳ない)→周りの子複数や担任が気付くが担任は隠蔽→女児の母親経由で発覚
じゃないの
しかもそいつとは和解が済んでるのにそいつが空気読まずに倒れたから頭の硬い親方にバレて大ごとになっちゃって。
傷害事件として立件するだなんて、いやその前に相撲協会通せって話だよね!相撲協会なら穏便に話を済ませられるのに!
大体一度はアンタが居ないところで収まった話だし!何よりアンタの指導不足であんな礼節も守れない奴が表に出て来るんだもん、悪意を感じるよね!昔っから鼻持ちならない奴だし!
んでボコった奴も入院してコメントも無いし!何が刑事事件だからコメント出来ないよ!事実の隠蔽だわ!
それにしても日馬富士可哀想だわ…一生懸命相撲に命かけてきたのに別の部屋にお世話になってる同郷の後輩に指導しただけでこんな事になるだなんて…本当に、日本の常識って奴を知らないのかしら!体育会系なんだからこんなこと日常茶飯事なのよ!ボコられたって例え死んだって受け入れなさいよね!本当、こんなことで横綱だった人を失うだなんて相撲界の損失だわ!
でも、今日に間に合って本当に良かったわ!だって今日は大事な会議があるんだもの!横綱を引退してもらったんだから今回のことでぶつくさ言わせないわよ!むしろこれで矛を収められるわね!