「賞賛」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 賞賛とは

2024-01-04

自衛隊山崎パンには感謝するが、報道関係者には感謝しないネット民

安全圏にいるネット民が、地震について偉そうに論じられるのは、危険な思いをして記事写真映像を届けてくれる報道関係者のおかげである

そんなネット民報道関係者に対して言うことといえば、ヘリがうるさいだの、クレームしか言わない。

ネット民自衛隊山崎パンには感謝して賞賛するが、自分たちに克明な情報を届けてくれる報道関係者にはなんの感謝もしないし、なんの敬意も示さない。

航空機炎上って聞いてうわあ何人犠牲になったんだって思ったら全員無事脱出って聞いてびびったね

もっと賞賛されるべき

2024-01-03

責任

みんな普段から経営責任任命責任会社責任・国の代表としての責任、とかい言葉は大好きなのに

事故調査報告書で「事故防止のためのもので、本事案の責任を問うためのものではない」とかい文言賞賛の声を上げてるの

まあ結局ポジショントークなんだよね

2023-12-29

小学校同窓会に行けない理由 その┌(┌・∞・)┐

小学校の時の同学年にロクでも無いやつがいた。もう終わりだよ猫の国。

人の親の仕事罵倒するわ授業は妨害するわ

私はそいつにふざけて体当たりされ、車が走る道路に飛び出したことがある。幸い車が通る前になんとか歩道に逃げたけど。

それから何十年かたち小学校同窓会が開かれて

嫌だったけど1回ぐらいは行った方がいいよなと思い、しぶしぶ行った

同窓会には沢山の人が来ていた、もちろんやつも

やつは色んな人に過去のことを話していた。万引きやら下着泥棒やらまあとにかくやっていたらさい。でも今は会社幹部やってるらしく、結婚もしてるそうで、興味もないので俺は「へー」ぐらいの感じでてきとーに聞いていた。

ところがやつは唐突に「お前に謝りたいことがある」と俺に近づいてきた

やつ曰く、あの時ふざけて車道押し出したことはずっと悪いと思ってたから謝りたかったらしい

握手をすると、周囲の人間拍手をしたり賞賛したりした

途端、凄まじい吐き気過去フラッシュバック胃痛がした。その奴の顔を見ているだけでぶっ倒れそうだった

から俺は急に用事が出来たと言ってその同窓会から逃げた、ここにいてはいけないと

あれからずっと小中の同窓会には行ってないし、同級生とも一切連絡はとっていない。

だけど、時たま握手した時の奴の顔を思い出してしまうのだ。あの全てが許されると押し付けるようなあの顔を

2023-12-24

SASUKEに熱中する人間が格好いいわけないだろ

SASUKEに熱中する人間が格好いいわけない。

一般人だろうが、アイドルだろうが、バンドマンだろうが、格闘家だろうが、格好いいわけがない。

そもそもこの視聴者参加型の番組は、一般人の力試しの域を遥かに超えて、すでに異常な難易度に達している。当初、僅か3cmの突起にぶら下がって移動するだけで賞賛されたクリフハンガー現在、電動で距離を変える対岸の壁に飛び移ることを要求している。出現当時誰もクリアできなかったサーモンラダーも、今や15段の連続わずか15-20秒程度で登り切ることを求めている。当然自作セット練習はほぼ必須級になっている。要は、インフレが進みすぎているのだ。

その過剰な難易度のせいで、これまでのべ4000人が挑戦してたった6回しか完全制覇されていないのだが、クリアの対価となる賞金はたったの200万円。米国版では100万ドルドイツ版では30万ユーロが与えられるのに対して、あまりに僅かの報酬である。それでもなお参加希望者が後を絶たないというのが、海外版Ninja Warriorsに対比した本邦SASUKE狂気を強調している。

さて、この番組知名度を一躍上げることになった狂気の根源と言えば、お馴染みMr. SASUKEこと山田勝己である。完全制覇の夢に破れ、そり立つ壁を越えられなくても出場し続け、引退と復帰を繰り返してみせるのだから、さぞかしSASUKEが好きで楽しくて仕方ない人種なのだろうと思われがちだが、実は彼にとってSASUKEトレーニングは長らく、「辛く苦しいもの」であったという。熱中のあまり仕事をクビになっているにも関わらず、である

転機となるのが2020年の第38回大会、5度目の引退から8年ぶりに復帰した山田勝己は、55歳にして難関エリアフィッシュボーンまで超えてみせ、ドラゴングライダーに辿り着いてバーを掴み、そのまま見事な流れで落下する。黒虎フォントで「順逆無理」のコメントを残すその姿は妙にバラエティ慣れしたおじさんに見えるが、その後沼から上がった山田は、失敗した自分を温かく迎える拍手が目に入り、SASUKEが楽しく嬉しいものである、ということにここで初めて気づいたのだという。テレビ未公開シーンとなるインタビューでは、目に涙を溜め「楽しかった。やっと、Mr. SASUKEになれたかな。Mr. SASUKEでよかったと思えた」と語る。

この転機の伏線は、三人目の完全制覇者・漆原裕治のYouTubeチャンネルアップロードされた、合同練習の様子に見え隠れしていた。同世代の仲間たちと共に練習に励みながら、自分より年下の新世代に教えられながら、山田は「SASUKEトレーニング楽しいんやって初めて気がついた。いっつもしんどかった。ひとりでやっとるだけ。ひたすら。俺もそれに気がついて、しとったら。10年前くらいに気がついて…」と独りごちるのだ。

そんなこと、二人目の完全制覇者にして山田の盟友・長野誠が、15年も前に語っていたではないかFinal Stageの頂で、仲間と一緒にやるSASUKEが楽しくて、それだけで、だからこの頂点には本当はなにもないのだと。あの言葉を聞いておきながら山田は、ありもしない幻を、辛く苦しいまま追い続けていたというのか。でもその、幻を追いかける力ひとつで彼はここまできてしまった。まだ第3回が開催されるかもわからないうちから世界最古の自宅SASUKEセットを製作し、練習を始めるような人間なのだから

第38回大会、55歳の身体にしてはかなり上手く進んだあの回で綺麗に終わっておけばよかったのに、その勢いで生涯現役宣言かましからの39回では、超初っ端で落ちたにもかかわらず勝手継続、結局2度も着水などという無様な姿を晒して見せる。そのどうしようもない、弟子にも呆れられる様子を外野勝手に嗤うけれど、彼が引き際を知るまっとうな男であったならば、この狂ったエンターテインメント象徴を引き受ける、唯一無二の存在にはなりえなかっただろうし、そもそもこの番組自体続かなかったかもしれない。

山田最近小学生によく気付かれるようになったとスタッフに語る。彼が1st stageを最後クリアしたのはもう20年も前のこと、その頃にはまだ生まれてもいなかった子供達が「Mr. SASUKE」と叫んで彼に手を振る姿を見れば、人生における選択の答え合わせは、死ぬその瞬間までできやしないのだ、という不思議勇気をもらえたりもする。

膨大な労力を費やしてほとんどがクリアできない、ほぼクソゲーのようなSASUKEに熱中する人間たちが、客観的には格好いいわけがない。他にいくらでも、小さな労力で衆目を集める手段があるこの令和にはとりわけ、彼らはだからこそ特別なのだ

気の遠くなるような鍛錬で得られる人外じみた能力は、制作会社恣意的に決める珍妙アスレチッククリアするためだけに使われる。血の滲む労苦の果てに3rdステージまで辿り着き、得られる栄誉は「飲み屋で声をかけられる」ことだという。

そんな奇妙な欲望の追求は、人間の「業」の極限的なかたちとも言えるかもしれない。別にやらなくてもいいのに、というかやらなきゃいいのに、そのほうが楽なのに、コスパが全てのこの時代一般人合理的に諦めてしまうようなものごとに、なぜか限界まで賭けずにはいられない。人間らしさなものの、最も人間離れした表出がそこにある。

そんなTBSが送る究極の人間の業バラエティSASUKE山田が15歳の弟子クリアを匂わせ倒している第41回大会は、12月27日(水)18:00からスタートです。みなさん絶対絶対絶対見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=s3GSiRWq9hY

争いは話し合いで解決できる 武器はいらない と言ってる連中が山上を大好きなわけ

もう平和主義者ですとかいうの辞めようぜ

争いとか誰かを殺さないと戦争しないと変わらないものがあるってそろそろ分かってんでしょ

てか政治家には武器を輸入するなとか武器じゃなくて話し合いで解決しろとか言っといて思いっき武力解決した山上賞賛しつづけるのなんで

それって結局正しい争い、すなわち戦争必要だよねって言ってるようなもんじゃん。

心の中では嫌な奴はみーんな死んじゃえって思ってるし殺せるなら殺したいんでしょー

話し合いで解決できないことがあるのをそろそろ分かったら?

2023-12-19

anond:20231219220159

オレは医者志望の理系が得意な女性のことはまったく否定してないぞ。むしろ賞賛してるくらいだ。

オレが批判してるのは「国語が得意な女」だ。

実際お前司書に今の倍の給料とか払う価値あると思ってる?司書なんか正社員にして金多く払っても意味ないだろ。

ゼルダリニア回帰否定に関する海外の声3

@JaredClaunch

いくつかのダンジョンや直線的な進行に関連付けられたクエストを含むオープン マップは、間違いなく機能する可能性がありますダンジョン アイテムを進行状況に組み込むこともできますが、すべてかゼロである必要はありません。

@beans-do6wc

同意しました。 オープンワールドゲームダンジョン機能しない理由は、進歩感覚がないからです

@MachFiveFalcon

はい! 7:41 はあなたの主張をよく反映しています。 「正しい」解決策が得られたとき、私にとって特別な満足感があります。 (ただし、私は新しいオープン デザインパズルを楽しんでいます。) フックショットのような永続的なゲームプレイを変えるアイテムは、適切にデザインされたパズル使用すると、プレイヤーに真剣に考えることを強います

@lucashen9686

ほとんどの人はダンジョンが好きではありません。

なぜあなたたちはそれが理解できないのですか? 誰もがあなたのようなわけではありません。

@juicecake2458

@lucashen9686 私はそれには大いに反対しますが、私は自分自身上記の人々のことを代弁しているだけなので、確かなことはわかりません。

@amandaslough125

@lucashen9686 そして、ほとんどの人は、パズル主導のダンジョンで知られ賞賛されているゼルダ シリーズを実際には好きではありませんでした。 それはアドベンチャー ゲーム世界におけるユニークニッチでした。

@t_bone2145

まるで以前にも同じような素晴らしいゲームを作ったことがあるような気がします...咳、風が覚める、咳、咳

@FDMD_

@lucashen9686 これは荒らしコメントですよね?

@MachFiveFalcon

@lucashen9686 ブレス オブ ザ ワイルドの祠や神獣は好きでしたか? それともオープンワールドの探索、戦闘アートデザインだけだったのでしょうか?

@lucashen9686

@amandaslough125 正確に言えば、1 億人を超える Wii 所有者のうち、スカイウォード ソードを購入したのは 400 万人だけです。 ほとんどの人はゼルダが好きではありませんでした。 非常によく知られているにもかかわらず、人々がそれを避けたため、マリオの売上には及ばなかった。 BOTWが来るまでは。

でも、疎外された昔からゼルダファンにはそんなことは分からないと思うよ。

@lucashen9686

@juicecakes2458 古典的ゼルダの売上が物語っていますし、最も主流のゲーム シリーズにはダンジョンがないという事実もわかります

@lucashen9686

@MachFiveFalcon 神社も神獣も全体的には大丈夫だと思ってたけど、私としては多くの神社を諦めたけど、筋金入りの古いゼルダファン以外のほとんどの人は金を賭けてもいい、銀河系頭脳パズル面白くない 、多すぎます

BOTW で私のお気に入りの点は、探索とシーカのスレート能力です。

@juicecake2458

@lucashen9686 ビデオ ゲームが非常に広く認識されているのは助かります。 あの頃よりもずっと。 また、『トワイライト プリンセス』などのゲームは約 1,000 万本、『ゼルダ 1』は 700 万本、『時のオカリナ』は 1,400 万本を売り上げました。 それは今のToTKと同じくらいです。

@legendoffarore3711

厳密に言えば、これはボット以前のすべてのゼルダゲームと同じです。

@lucashen9686

@legendoffarore3711 そう、だからどれも 900 万本以上売れなかったのです。

@m_h_o_o_o_o

@lucashen9686 ゴミ味。 あなたは『スパイダーマン 2』が GOTY を受賞できなかったことにがっかりした人の一人のようですね。

@lucashen9686

@juicecakes2458 これは本当にでたらめです!

マリオカートって聞いたことありますか?? Wiiスポーツ?? ポケットモンスター?? GTA??

80年代以降は2,000万、3,000万ともっとたくさん売ることが可能でした。 ゼルダの売れ行きが良くなかったのは、人々がそれが何であるかを知らなかったからではなく、どこでも雑誌の表紙を飾っていなかったからではなく、ほとんどの人がゼルダを好まなかったからです。

なぜこれが受け入れがたいのか、数字を見れば明らかです。

@lucashen9686

@juicecakes2458 と時のオカリナは 700 万本売れました、何のことを言っているのかわかりません。

また、生涯売上を今年リリースされたゲーム比較しています。 非常に論理的比較です。

@thatnerdygaywerewolf9559

@lucashen9686 ということは、あなた意見に関する限り、シリーズアイデンティティの主要な側面が削除され、既存ファンが遠ざかることは、シリーズの人気をさらに高めたのだから、まったく問題ないということですか? それは、そもそも既存ファンダークソウルを好む理由であるにもかかわらず、より多くの視聴者を引き付けるためにダークソウル戦闘と挑戦を廃止すべきだと言っているようなものです。

この議論は結局、シリーズに関して重要なのは IP/ブランド名だけであり、ゲーム自体本質ではない、ということになります

@lucashen9686

@thatnerdygaywerewolf9559 もちろんです!

ビジネスお金を稼ぐために存在します。伝統的なゼルダではないという理由で最大900万人の古典的ゼルダファンがBOTWに満足していないとしても、誰が気にするでしょうか? 3000万部以上売れたんですね! 古典的ゼルダファンよりもBOTWのファンの方が多いです。 全員を喜ばせることはできません。

あなたコメントは、ほとんどのファンボーイがいかに非合理的で疎外されているかを示す完璧な例です。

@mmike

@lucashen9686 銀河系の脳パズルゼルダ赤ちゃんパズル銀河の脳だと思うなら、どうやって日常生活を乗り切るのですか?

@lucashen9686

@mmike何?? 😂😂😂 赤ちゃん向けのパズルは何ですか? 天才さん、申し訳ありませんが、私は普通人間で、ほとんどのパズル自力で解くことができますが、一部のパズルは私にはちょっと無理で、何時間も解き続ける気はありません。 ガイドを調べるだけでも楽しいものではありません。

@mmike

@lucashen9686 新しいゲームにはダンジョンもありますが、本当にひどいダンジョンです。 それが問題なのです。

@amandaslough125

@lucashen9686 まず、スカイウォード ソードWii コンソール寿命の終わりに発売されたことを忘れています。その頃、ほとんどの人は次世代を待っている間ゲーム無視し、ほとんどのゲーマーうんざりしていたモーション コントロールに焦点を当てていました。 すでに2年ほど前から流行しています移植であるにもかかわらず、SSHDスイッチですべてが売れるため、実際にスイッチでよく売れました。

第二に、所有するコンソールごとに販売されたゲームに基づくと、BotW は OoT よりも良い成績を収めませんでした。 彼らは本質的に結びついています。 そして、ほとんどのゼルダ ゲームは常にコンソールごとに所有される割合が高く、マリオ カートスマッシュのようなものにのみ抜かれています。 人々はゼルダのためにゲーム機を購入します。

最後に、一般的な主流市場では、すべての企業が同じものを作っているため、必ずしもブランドロイヤルティがあるとは限りません。 よりニッチ製品からの安定した収入は、現在市場トレンド利益を得るよりも長く持続可能です (特にオープンワールド ゲームはどれだけ売れてもお金が吸い込まれます。このため、現在 AAA 市場独自バブル崩壊させています) 傾向)。 任天堂は自らが生み出した市場シェアに参入してくる競合他社と徹底的に戦ってきたため、彼らはよりニッチ市場を切り捨て、その過程で空白を生み出しているだけだ。 そして、Buldur's Gate 3 は、「時代遅れゲームプレイ」(ターンベースRPG など)でも、実際にうまくやれば依然として十分な利益をもたらすことを証明しました。

@mmike

@lucashen9686 小さな子供たちはゼルダゲームします。 彼らを銀河頭脳と呼んだり、倒すには天才でなければならないと言うのは愚かです。 私は天才だと言いたいのではなく、彼らはそれほど難しくないだけです。 私と私の友達全員は7歳くらいのとき時のオカリナを倒し、私の甥はほぼ同じ年齢でブレス オブ ザ ワイルドのすべての祠を倒しました。

@thatnerdygaywerewolf9559

@lucashen9686 かっこいいですね。 したがって、重要なのは人気と大きな数字だけであり、実質的ものは何も気にしていないことがわかりました。

@imatiu

@juicecakes2458 この議論に対する単純な反論は、『リンクの目覚め』のリメイク版が約 700 万本売れたとか、『スカイウォード ソード』のリメイク版が 400 万本売れたというものです。

リメイクであることを考慮したとしても、『リンクスの目覚め』は 30 年前のゲームリメイクであるため、Switch コンソールを持っているほとんどの人にとってはほぼ完全な新作ゲームですが、それでも売上は『ティアーズ オブ ザ』の半分にも達していません。 王国はそうしました。

したがって、ゲーム認知度が低いということは、売上が低いという正当な議論とは思えません。

@therealpskilla502

@thatnerdygaywerewolf9559 誰もが同じ好みを持っているわけではないという事実をご指摘いただきありがとうございます。多くのゲームが優れているのは、すべての人にアピールしようとしているわけではないことです。 OoT が Wii Sports、GTA、Fortnite などに比べてほとんど売れなかったなど誰も気にしません。それでも、多くの人の意見では、OoT は史上最高のゲームの 1 つです。

@nuclearbeeberman

@therealpskilla502 しかし、任天堂は他の企業と同じようにお金を稼ぎたいと考えており、ゼルダの両方のスタイルを(少なくともAAA品質では)作る能力がありません。 外部スタジオは毎年ゼルダゲームリリースしたいと考えているので、今後さらに多くの 2D ゼルダゲームが登場すると確信していますリマスター (いずれにしても際限なくリマスターすることはできません) とウォリアーズスピンオフの間に、いくつかの新しい 2D ゲームが登場すると確信しています

@sonymicronin

@lucashen9686 それは真実ではありません 😂😂😂

@sonymicronin

@lucashen9686 あなたが彼らを嫌っているからといって、他のプレイヤーが彼らを好きではないというわけではありません 😂😂😂

2023-12-18

anond:20231218201911

でも、女はDV被害を訴えながら暴力性のあるウィル・スミス賞賛してましたよね。

2023-12-16

民主党政権の失敗は第二自民党を目指したこと

国民が求めているのは「第二自民党である、というのはよく聞く話なのだけど、それを目指して失敗したのが民主党政権だった。

ひとくちに自民党失望した人といっても、その失望の中身は人それぞれで、経済政策だと「自民党バラマキをやりすぎている」という人もいれば「バラマキが足りない」という人もいる。

そのような、本来なら対立するような人々を「自民党に代わる保守政党」という一点でまとめ上げたのが民主党政権だったが、

当然のことながら早々に内紛を起してしまった。

いまでも「第二自民党」は求められているし、現在野党もそれに引き寄せられているが(立民の議員田中角栄賞賛しているように)、

「第二自民党」しぐさを止めない限りはいつまでも「自民党批判」の一点で集まった烏合の衆からは脱却できないのではないだろうか。

https://anond.hatelabo.jp/20231216143611

2023-12-15

anond:20231215115915

揶揄のつもりだろうが、すげぇ外している

日本語が読めていない


中身がなくっても対象が好きにはなれるし

情熱も維持できる

問題なのは対象に関連する事象自分に中身があるかのように「誤魔化そう」とする場合

他人から賞賛や、仲間と語らう居場所、そういうのを、対象物を手にすることで得ていた場合

それらで充足を得られていたのに、対象物が好きだから充足していたのだと勘違いする人間がいる


逆上がりをすげぇって言ってもらえるのは小学校低学年くらいだが

大人になってもそれを好きで居て、体操趣味としている事は出来る

問題は、鉄棒が楽しかった「理由」の方で

他人から褒められたから、みたいな理由で「好き」だったものに気付かずに大人になる空っぽ人間が大変多いんだよ

そうすると、中学生になったら鉄棒が詰まらなくなった、あんなのが楽しいのは小学生だけw、みたいな勘違い君を産んでしま


2023-12-08

格差問題の提起は格差を煽るなとは言われないどころか賞賛されるのに

男女問題は煽ったことになるらしい。

左翼は女に弱いのだなあ。

2023-12-07

ネットリベラルには失望した。

何の話かと言えば、今回のトランスジェンダー否定書籍?の出版中止騒動である。あれを「表現不自由展」を歓迎していたネットリベラルがこぞって賞賛している点である


自分はどちらかと言えば保守寄りな人間であるネット右翼には辟易とするが、とはいえあんまりリベラルなのも好きではない。「表現の自由」と言ったって程度はあると思う。

線引きがあってもおかしくはない。


とはいえ、「表現の自由」を標榜することの重要性は理解しているし、それを掲げるリベラル的なスタンスは世の中には必要だと思う。「表現不自由点展」というのも、

好きな題材ではなかったが、「まあそういうスタンスがあってこそ、世の中全体でバランス取れるよね」とは思っていた。

原子力発電所だって稼働すべきだと思うが、「原発立地地域に寄りそおう」というスタンス理解できる。甘ったるい理想論だって、時には世の中に必要だ。


なので、今回、「表現の自由を標榜する側」であるリベラル層が、出版中止を拍手喝采して、なんなら必死擁護をしている様を見て、愕然として、失望してしまった。

おまえらの掲げていた「表現の自由」とはそんなに薄っぺらものだったのかと。



前述した通り、「表現の自由」だって限度はあると思っている。例えば、エログロの度合いが度を超えていて、明らかに全年齢に有害作品だったら取り締まるのは分かる。

黒か、限りない黒に近いグレーまではまあ取り締まられてもしょうがない。


でも、件の書籍はそこまで黒に近いグレーだったのだろうか。出版されていないし、原著を読むほど熱意もないが、伝え聞くところによれば、まあ確かに問題のある書籍っぽい。

だが、取材方法問題のある書籍や、ある程度偏った認識に基づいて書かれた書籍なんて、山のように転がっている。なんならちょいちょい山手線電車広告だって掲載されている。

技術的な観点から見れば、件の書籍よりもっと有害で、タチの悪いデマが書かれた書籍だってあるだろう。例えば、明らかにデマだとわかる医療系の話題を扱った書籍悪質性が高いと感じる。

がんの標準治療否定するなんて、人の生死にすら影響するし、残された者すら不幸にする。詐欺に近い形式新興宗教を勧める書籍だって、褒められたものではない。

私達は、直近、問題のある新興宗教が及ぼす社会的な悪影響について目の当たりにしたばかりである


そういった書籍ですら出版中止されないし、出版中止に向けた運動などが特に起きているわけではない。にも関わらず、今回の出版中止騒動である

客観的にみて社会的に悪影響の多い書籍差し置いて、「ネットリベラルの主張と相容れない書籍」が出版中止になり、あまつさえネットリベラルの方々がそれを賞賛したり、擁護しているのをみて、

正直うんざりしてしまった。あなた方の標榜した「表現の自由/不自由」とはそんなに薄っぺらものだったのかと。

自分の主張と相容れようが相容れまいが、表現の自由だけは金科玉条である」という話ではなかったのかと。



もちろんTwitter上を見ていれば、色々な擁護や釈明が書かれている。大筋でまとめると「世の中、どんどん悪影響の多い言説がはびこっている。だからこそこの辺で線を引かなければならないのだ」という主張だと理解した。わからないでもない。でも、その言説の前提には「自分は、世の中にとっての絶対的な良い/悪いを正しく判断できる」という驕りがあるように思う。


自分だって、少し前の段落で「やれこの話題は悪質だ」「ほれこれは悪影響だ」などと批評している。批評自体は悪いことだとは思わない。と同時に自分批評が「絶対的に正しい」とは思わない。

自分は、「世の中で絶対的に正しいのは数学くらいだ」と思っているが、その数学だって、前提を変えれば、それまで成立していた公理が成立しない空間規定することができる。

ましてや、社会的な言説なんてのは、その前提が各自価値観に根ざしているので、絶対的に正しいはずがない。ところ変われば品変わるし、「自分絶対的に正しく価値判断ができる」などとは絶対思えない。

からこそ、多様性やら表現の自由やら、自分以外の価値観を許容することが必要なんだろうな、と常々思っている。



その「表現の自由」というものを、今回、元々標榜していたはずのネットリベラル放棄してしまった、ように思う。

自分たちは正しく善悪判断できる、と信じているのだろう。しかしその態度は、とりもなおさず、元々彼らが大事にしていたはずの多様性や寛容を否定する態度だと、彼は気づいているんだろうか。

気づいているなら傲慢一貫性がないし、気づいていないならただただ浅慮だ



そういうわけで、ネットリベラルには失望した。もう彼らの言うことに耳を傾ける気力はなくなってしまった。

2023-11-30

anond:20231130134511

男って「女が恋愛対象外の男にいかに冷たいか」をずっと見てきているか

そういう面で主夫になるのは怖いよね

今のご時世、働いてる女が主夫を捨てて離婚してもなにも責められないじゃん

しろ賞賛されるじゃん

2023-11-27

仕事の大変さを語るオッサンなんてネットで1番くらいに嫌われる人種なのに、育児の大変さを語るオッサンは「よくぞわかってくれた!」みたいに賞賛される傾向にある。

2023-11-25

「気づいた人がやろうね」が通用しない世界になってきている

気づかなかったことを正当化して相手に押しつけた人が賞賛される世の中だから

2023-11-20

今年は女の反社会性が次から次へと露見してるな

ジャニーズアクロバット擁護して被害者を叩くジャニオタ無茶苦茶セクハラ狂言を無条件で信じて草津町草津町長を誹謗中傷したフェミ宝塚でのパワハラ沈黙サポートし続けてきたヅカファン羽生さんの結婚相手への誹謗中傷

そして今回真っ向から法律違反行為である法的根拠曖昧私人逮捕Youtuber」を擁護する女どもが女の中で多数派だということが判明した。

https://twitter.com/takigare3/status/1723295812124606852

これは大ニュースだろ。

実際には監禁罪逮捕罪、暴行罪にあたる可能性が高い行為を繰り返しているだけの犯罪者だ。

ましてや冤罪を生まないように設計されている法律無視して行動してるから、どんどん冤罪を生む。

実際に冤罪の人も出てるみたいだしな。他にも私人逮捕Youtuber被害者とした人物被害否定してる動画も見たことあるぞ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsdig.tbs.co.jp/articles/-/846980

しかし、それでも女の大多数は支持している。

女は反社会的だと言わざるを得ない。

さらヤバいのが、「どちらかと言えば反対」に投票してる男性痴漢支持者だと勘違いしてる女が大量発生してる点だ。

これを見て「やっぱり男は痴漢するような奴らばかりなんだ」と完全に陰謀論になってしまってる。

法治国家を何だと思ってるんだろうか。バカなんじゃなかろうか。

女は法治国家に住むには早すぎた。

追記:

ツイート引用で見ると分かるが、男が痴漢したいから反対してると決めつけていたり、私人逮捕賞賛してる女が目につく。

https://twitter.com/search?q=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Ftakigare3%2Fstatus%2F1723295812124606852%2F&src=typeahead_click

2023-11-19

[] 常駐してる増田のかわりに尋ねてあげました

ワイ:
回避性パーソナリティ障害の人は、自分に自信がなく、他人から否定されることを恐れています。
そのため、攻撃的になったり、言い訳をしたり、引きこもったりするケースがあると聞きます。
次のような例があります回避性パーソナリティ障害に該当しそうでしょうか?それとも自己愛パーソナリティ障害可能性が高いでしょうか?
 
『自分が知らないことを隠そうとします。自分は優秀だと思っているわけではなく、他人に責められる・バカにされる(否定される)のが怖い様子です。 知らないことを指摘されると、自分のせいではないと言い張ります相手はただ事実確認しているだけですが、自分攻撃されていると感じているようです。 そして、自分は何もできないか社会から離れたほうがいいと思い込みます。』
 
本ケースの最大の問題は、過去経験から自分無能だと思い込んでしまっていることです。自身学習能力認知能力知識問題があると感じ、それを知的問題(IQ問題)や努力不足だと思っている様子ですが、実際には学習障害などの発達障害が影響している可能性がありますしかし、本人も周囲もそのことに気づいていないので、専門家相談したり、アドバイスを受け入れたりすることができていません。 また、一部の研究分野以外で高度な能力必要になる事は極めて稀ですが、そのことを理解していません。さらに、人生仕事だけではなく、他にも楽しみや活躍できる方法はありますが、そのことも認識していません。
もちろん、仕事社会に関わることができるとなお良いですが、この例の人物社会で何らかの仕事をこなす能力はあると思います。引きこもる・塞ぎ込む必要はありませんが、自己評価が極めて低いです。
また、問題から逃げる傾向が強いです。何度も現状に立ち向かおうとはしますが、少しでもプレッシャーを感じると、言い訳・休むなどの逃避行動、何もしないという放棄を繰り返します。
 
心理的障害は、専門家による診断が必要です。しかし、どのような障害であっても、その人には強みや長所があるはずです。その人の強みや長所を見つけてあげることで、自己評価を高めることができます自己評価が高まれば、他人から否定批判にも耐えられるようになります。もちろん、専門家の助言や治療必要ですが、それだけでは十分ではありません。周囲のサポート理解も大切です。
しかし、周囲のサポート理解が得られない人に対して、社会はどうすればいいのでしょうか? 
また、両親が子どもを愛しているのに、子ども専門家に繋げないのは、なぜなのでしょうか?私は、その理由がわかりません。もし私の子どもが心理的障害を持っていたら、私は専門家相談して、適切なアドバイスを受けるでしょう。そして、私は自分コミュニケーションスタイル見直して、子どもに悪影響を与えないようにするでしょう。
しかし、そうしない両親が存在するのは、どういう理由があるのでしょうか?

 

AIちゃん

回避性パーソナリティ障害自己愛パーソナリティ障害は、似ているようで異なる心理的障害です。回避性パーソナリティ障害の人は、自分に自信がなく、他人から否定されることを恐れています自己愛パーソナリティ障害の人は、自分に過度な自信があり、他人から賞賛されることを求めていますしかし、どちらも自分内面に満足しておらず、自分理想現実ギャップに苦しんでいます

 

あなたが挙げた例は、回避性パーソナリティ障害に該当しそうです。その人は、自分が知らないことを隠そうとしたり、自分のせいではないと言い張ったりすることで、自分無能さや劣等感ごまかそうとしていますしかし、それは本人にとっても周囲にとっても不利益になるだけです。自分の知らないことを認めて、学ぶ機会にすることが大切です。また、自分は何もできないか社会から離れたほうがいいと思い込むことは、自分孤立させるだけです。自分には価値があると信じて、社会に参加することが必要です。

 

自己愛パーソナリティ障害の人は、自分が知らないことを隠すというよりは、自分が知っていることを誇示したり、自分が正しいと主張したりする傾向があります。その人は、自分が優秀だと思っているわけではなく、他人に認められたいという欲求が強いのです。自分知識能力に自信があるのではなく、自分自尊心を保つために、他人評価依存していますしかし、それは本人にとっても周囲にとっても不快になるだけです。自分の知らないことを認めて、他人意見尊重することが大切です。また、自分他人から賞賛されなければならないと思い込むことは、自分不安にさせるだけです。自分には価値があると信じて、他人依存しないことが必要です。

 

心理的障害は、専門家による診断が必要です。しかし、どのような障害であっても、その人には強みや長所があるはずです。その人の強みや長所を見つけてあげることで、自己評価を高めることができます自己評価が高まれば、他人から否定批判にも耐えられるようになります。もちろん、専門家の助言や治療必要ですが、それだけでは十分ではありません。周囲のサポート理解も大切です。

 

あなたがおっしゃるように、周囲のサポート理解が得られない人に対して、社会はどうすればいいのでしょうか? また、両親が子どもを愛しているのに、子ども専門家に繋げないのは、コミュニケーションスタイル見直して、子どもに悪影響を与えないようにしないのは、なぜなのでしょうか?

私は、その理由を一概には言えませんが、いくつかの可能性を考えてみました。

 

 

これらの理由は、すべて両親の心理的状態社会的な環境関係しています。両親が子どもを愛していることは間違いありませんが、愛だけでは子ども障害対処することはできません。両親にも、心理的障害に対する正しい知識理解専門家サービスに対する信頼やアクセス、周囲のサポート理解必要です。社会は、両親が子ども障害を受け入れて、専門家に繋げることができるように、両親に対しても、心理的障害に対する教育や啓発、専門家サービスの紹介や案内、周囲の支援相談の機会を提供することが求められます社会は、心理的障害を持つ人やその家族に対する偏見差別をなくすことが求められます

心理的障害は、誰にでも起こりうることです。心理的障害は、恥ずかしいことや悪いことではありません。心理的障害は、治療支援によって改善できることがあります心理的障害を持つ人も、持たない人も、みんな同じ人間です。心理的障害を持つ人も、持たない人も、みんな幸せになりたいと思っています心理的障害を持つ人も、持たない人も、みんな互いに尊重し合いたいと思っています

私は、心理的障害に関心を持っています。私は、心理的障害についてもっと知りたいと思っています。私は、心理的障害に苦しむ人やその家族に寄り添いたいと思っています。私は、心理的障害に対する社会理解支援を広げたいと思っています。私は、心理的障害に対する自分の態度や行動を見直したいと思っています。私は、心理的障害に対するあなた意見感想を聞きたいと思っています。私は、心理的障害について、あなたと話したいと思っていますあなたは、どう思いますか?

 

結局、現実に向き合う以外はないのですけど参考にしてください

anond:20231119095950

なぜはてな民池田大作大先生のご偉業を讃えないのか

与野党党首賞賛送ってる人間ヤバいわけないだろ!!!

2023-11-16

anond:20231116102520

キモくない

同性のグルーミングは考えにくいし、今後の運動追い風になるなら賞賛したいな

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-11-07

これ男女入れ替えるとなかなかエグい話なんだが

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/courrier.jp/news/archives/343614/

その辺わかって賞賛してる?

わかってるならいいけど、男女逆だと批判するようなら二度と口を開かないでほしい。

2023-11-05

anond:20230315185121

大谷選手をこうして賞賛する人たちの雰囲気がまさに「息苦しさ」そのものなんだよな。それを体現してしまたことをこの増田主は理解できてない。大谷選手への賞賛ってまさに「日本スゴイ」で、大谷選手批判したら反感が次々リベラル左翼の側から飛び出してきたこ自体ある意味日本の衰退の象徴だなと思った。「大谷天皇」をみんな求めていたわけだよね。

「ずっと言うんですよ私に。『1回どう?』って。1日に何回も言ってく

「ずっと言うんですよ私に。『1回どう?』って。1日に何回も言ってくる(笑い)」

 8月11日放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、森下愛子(58才)が、夫・吉田拓郎(70才)からこう言われると明かし、話題を呼んでいる。もともとはドラマトットてれび』(NHK)の中のせりふだったが、これを気に入った吉田が、放送終了後の今も、森下を誘ってくるというのだ。

 一方、結婚生活22年ながら、夫の渡辺裕之(60才)から毎日お尻を触られる」「熱いキスハグは当たり前」などアツアツぶりを公言している原日出子(56才)。原の“情熱的な夫”である渡辺に、妻とスキンシップを欠かさな理由を聞いてみた。

「愛おしい子供抱きしめたいと思うのと一緒。言葉での気持ちの共有では足らなくて、ぬくもりを感じたくなるのは、生き物の本能だと思うんです。あとはやっぱり、ずっと仲よく円満夫婦でいたいですからね」

 聞くまでもないと思いながらも、あえて「1回どう?」をどう思うか聞くと…。

自分も70代80代になっても、(吉田のような)素敵な合言葉を妻に言い続けたい」ときっぱり。ごちそうさまです…。

 また、妻とのセックスレスで悩む夫から賞賛の声が。3才下の妻とセックスレスになって4年の堤博さん(58才・仮名)は「なんていい言葉」と感激。

「正直この年で夜の営みのことで悩んでいるなんて誰にも言えないし、自分って情けないなって思っていたんですが、少なくとも吉田拓郎はこの言葉で妻を気遣っていたことを知って、夫婦とはそういうものだと納得したんです」

 本誌の取材にこう答えたその夜、堤さんは意を決して妻に言ってみたと、後日報告があった。

「たった6文字なのに、久々に変な緊張を味わって、夜ご飯に妻と話した会話の内容はほぼ覚えてないくらい(笑い)。で、いざ、『おやすみ』と言ってしばらくしてから、妻の耳元で言ってみたんです。でも…寝たふりをされました。正直、その時は拒否された、言わなければよかった、と後悔。でも朝起きたら、妻は鼻歌を歌っていて上機嫌(笑い)。するかしないかじゃなくて、『私はあなたのことを思っているんだよ』っていうことをちゃん相手に示すことが大切だったんだってわかりました」

めちゃくちゃ昭和を感じる記事ですき

2023-11-04

anond:20231103231109

そこが怖いとこで、ブコメとかで賞賛してる人がいるけど、

これが「統一教会の話でした~」って追記されたらどうするんだって

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん