はてなキーワード: 言葉にできないとは
http://anond.hatelabo.jp/20161219205129
思っていたより反応が返ってきたことが嬉しかったです。自己肯定感を持てると良いというコメントがあって、さすがその通りだと思いました。何をしても自分に納得がいかないのです。これだけでは社会で生きていけない、もっと頑張らなくては、そう思う一方で不倫がしたいとも考えてしまう。
旦那に浮気させたら?というコメントがあったけど、どちらかという他人を包丁で刺さすよりも自分を刺してしまいたいと考えているので私が不倫して辛くあったほうが良いと思います。
なんで幸せが怖いと感じるのか考えてみて、ブコメにACでは?と指摘があり確かにと思いました。母も父も厳しくて、私の姉はとても優秀でした。父は外面は良いけど酒を飲むとすぐ手がでるし、父が家にいる間ずっと緊張していた記憶があります。姉と比較され「お前ができないやつなのは豚小屋でひろってきたからだ」とよく言われました。
だからかわからないけど、そうやって乱暴に扱われることに慣れて麻痺しているのかもしれません。でも改善するにも何から手をつけたらいいのか。不倫は薬にならないとわかっているのになぜ。
追記
夫は多分相当なことがない限り浮気しないと思います。浮気するならそれは本気になるでしょう。それだけ自分のことを大切に思っているから直接相談なんて申し訳なくてできない、怖い。本当に大切にしてくれてるのがわかる、だから苦しい。私なんてそんな愛情をかけてもらう価値なんてない。少しは前向きになれるかと思って結婚を選んだけど、結局自己嫌悪、自分を認められない。自分を認められないから夫の好意を素直に受け入れることができない。自分のことで精一杯で夫が私を心配してくれてるのにいつもごめんと言ってしまう。ありがとうが言えたら良いのに申し訳なくて言葉にできない。夫ならもっと良い女性に出会えるはずなのにごめん。私は死にたいって毎日考えてしまう。つらい、消えたい、死にたい。本当にごめんなさい。
12月21日追記
ラグビーをやってたんだけど、職場の同僚に誘われてフットサルに参加した。
ボールは蹴れないので、ポジションはゴレイロ(ゴールキーパー)だ。
もともと、ラグビーでも、ポジションはプロップ(最前列)だったことも有り、そもそも試合中にボールなんてほとんど触らなかったんだけど、まあ、味方の足下に転がすことくらいなら。
ラグビーとフットサルの違いなんだけど、まず接触の練習をしない。
フットサルはサッカーと比べても接触が極端に忌避される。まして皆社会人だから、怪我が怖いのだろ。
まあその辺は割とどうでもいいんだけど、ラグビーとフットサルの一番の違いはなんかギャラリーが多いことだよね。
試合ならともかく、普段の練習は男だけが集まって練習して、酒飲んでだったけど、フットサルだとなぜか普段の練習から女性ギャラリーが多いんだよね。
なんなんだろう、なんというかうまく言葉にできないけど、華やかな世界もあったもんだな。
フットサルに人が集まるわけだ。
某うつ病ブロガーを見るたびにいらっとする当方うつ病+その他病気持ち患者。
私の場合は薬飲みながら働いているし、高校生で発病してから病歴10年近い。
最近「死にたい」で検索すると某うつ病ブロガーの死にたい気持ちを責めないでという記事がトップにきてこの人知ったんだけど
なのに普通に遊びにいったりゲームしたりブログにイラストまでつけて更新って本当にうつ病かよ……と。
まぁ本人は苦しいんだろうけど
こっちだって働きながら病気かかえてどん底から這い上がってきたんだ
誰にも見られてない、日々ここに吐き出した愚痴も苦しみも悩みも悲しみも苦しさも、言葉にできないドロドロなワケ分かんない感情も
これまで誰も何の返信もくれなかった
とか、あぁいやいいやアホらしい、ネット民に同情してもらえる自分を演じて、ちっさなお慰みをいただいて
それでチマチマ生きてもどうにならんかったや
どうしようもないどうしようない
もっと素直になればよかった
苦しいから辛いからお願いします。なんでもいいから「頑張れ」って言ってくださいお願いします「もっと頑張れ」って言ってください
リアルの人間関係破たんしてるんです。お願いしますだれか俺に「もうちょっと頑張れるよ」ってそんな言葉をケて下さい
お願いします。誰でもいいから誰か俺に「大丈夫だよ。頑張って」って言ってください。
お願いします。
はぁ、増田にこんな弱音吐く程度には生きるの辛い
http://anond.hatelabo.jp/20160825145023
@tikuwa_zero と @zairo21 か。
@tikuwa_zeroは自分のことを「ちくわさん」とか言ってて痛々しいことこの上ないな。
こいつのキモさを説明できる人がいたら、ぜひとも読んでみたい。
@zairo21はあれなんなんだろうな。句読点使えないのか。
こいつの面白いところは、頑張ってコメントしまくってるのに全然「いいね!」がつかないことだ。
まぁそもそも、こいつのコメントは的外れだから当たり前なんだけど。
あと気になるのは@ABzome だな。
青い髪のアイコンがゆらゆら動くので目に入るんだが、コメントがどうでもいいので注目して損した気分になる。
みかんにマジックで顔を書いた@yukon_px200 のオッサン感はすごいな。
どのまとめ、どのコメントでも寒い発言しかしていない。上手いこと言ってるつもりなんだろうが、見てるほうが恥ずかしくなるな。
あとは真偽マンか。最近のまとめにはいないらしく、IDを探せなかった。
togetter界のxevraだな。あるいはMidasか。毎回同じようなことしか言わない。
同じことを数年間も言い続けると、周囲は「真偽マン早く来てくれー!」とか「xevra先生」とか持ち上げるものらしい。
どうでもいいけどxevraはいい加減お得意の運動と瞑想でまともな精神を手に入れろよ。完全に壊れてるじゃねぇか。
また朝が来たら研究室へ行って、教員に何をしても嫌味を言われる時間に耐えなければいけないんだなと思うと、寝るのが怖い
やらないでよいと言ったことを忘れてなんでやらなかったんだと怒られたり、教官がイライラしてるタイミングで指示を仰ぎに行くと八つ当たりされたり、数えていたらキリがない
なるべく気にしないように過ごしているけど、最近時々ふと体の力が抜けて椅子から立ち上がれなくなったり、トイレの個室から怖くて出られなくなったりする
色々言われてきたけど、中でも「俺、〜さんの彼氏じゃないから」以来嫌いという感情を通り越して気持ち悪くて仕方がない
うまく言葉にできないけど、とても気持ち悪い。彼氏という発想が気持ち悪い。親と言ってくれればまだよかったのに。
前提として、全くこれっぽっちも死ぬ気はないです。
ただ躁鬱で何をやらかすかわからないのと(人様に迷惑はかけないようにとは心がけている)、遺書という形に今も気持ちをアウトプットすれば見えてくるものがあるのではないかと思って、このように考えたわけですよ。
さて、私が遺書に残したいことはなんだろう。
真っ先に出てこなかったのが情けないが、感謝の言葉も必要だろう。
死ぬ理由は訴えたら楽になるのだろうか。それを死ぬ前に言おうと言う気にはならないだろうか。
私が泣き言を言うなら、やはり理解して欲しかったという言葉が出てくる。
もう少し遡るなら、過去への恨み言になる。
私が躁鬱を発症した時、親はそれを認めてくれなかった。
親からしたらそれは優しさ…親なりの励ましだったのかもしれないが、私にはだいぶ堪えた。
「そんな子を産んだ覚えはない」という言葉は、「だから(私の子なのだから)躁鬱なんかではない」という意味合いだったと後から言い訳がましく言われたが(言い方に棘があるのを見て分かる通り、私はこのセリフをずっと根に持っている)その言葉に私は見捨てられたかのような絶望を覚えたものだ。
薬を飲んでいれば叱られ、取り上げられ、仕事を休めば「俺は仕事を休んだことなんてない」という励ましにもならないオヤジの自慢話だけを永遠と聞かされた。
その選択は間違っていなかったと信じたいが、やはり一人きりでの闘病生活は苦しい。
正直言えば助けて欲しい。
朝は起こしてほしいし風呂には入れて欲しい。
理解してもらえたら私の心は安らいでいたのだろうか。
わからないなーーー。
真っ先に出てくるあたり、根に持ちすぎていて笑える。
死を選ぶいうことは現状への不満があるはずだ。
現状の不満はなんだろう。
現状
・働いているがクビになりそう(出社率が悪すぎる)
・金がない
・食事は1日1~2食
・風呂は2日か3日に1度
・独り身
そもそもクビになっても生活保護とかまだ生きていく道はありそうだけど、そっちはどうなんだろう。メンタル的に耐えられるのかな。何か、道行く人全員に萎縮しそうだ。
多分、未知が怖いんだ。
状態…
よく幻聴がする…いや、独り身だから、実際に鳴ってるのか幻聴なのかわからないけど。
匂いもたまにおかしい。ものが腐った匂い(部屋が汚いから?)りんごの匂い。
見えるもの。視界の橋に虫。
夢見も悪い。家族の夢を見る。
改めて、これはわりかししんどい。死を選ぶ理由になりえる気がしてきた。
大きいのはなんだろう。周囲とのギャップかもしれない。
私が良かれと思ってやったものを怒られる。
考え方が違いすぎてしんどい。
異星に迷い込んだ気分。
何か中二病みたいなこと言ってるけど、本当に周りと別の生き物のような気がしてつらい。
うまく言葉にできないということは、私がまだこの問題を捉えきれていないのだろうか。
一旦、ここまでにします。
わたしもツレ(女)もゲイではない普通のパートナー関係である。
ツレはゲイに対して、まあ人それぞれの個性だと特別な感情はないそうだ。
実際、海外で生活してた時はゲイのカップルがいる風景は極めて日常的なものだったが、それも特に奇異にかんじてなかったようである。
ツレが知人に「けどさあ、もし自分の子供からカミングアウトされたら平静でいられるの?」と聞かれた時も、まあそれも本人の持って生まれた個性だからねーそれはそれでしょう、という反応だった。
じゃあ、もし俺がカミングアウトして他の男と付き合い始めたらどうする?浮気として普通に離婚と慰謝料請求してあきらめる?
と、聞いたら意外なことに「たぶん立ち直れないと思う」とな。
なんでも、女に寝取られるほうがまだ諦めがつくが、男に寝取られるとなると、女として自分自身の存在が否定される気がするんじゃないかと言う
あれ、ゲイは個人の個性でなかったの?男に寝取られたとしても悪いのはわたしか寝とった奴なわけで、感情を自分に向けることないじゃん。逆の立場なら、まあ自分の不甲斐なさは感じるだろうがそれは絶対に受け入れられないものでもなかろう、と思う。
どうやらツレには、その感情は自分でもうまく言葉にできないらしい。
他者の場合は、仮にそれが家族であっても理解できるのだが、自分と直接つなかっているわたしに場合については理屈でも理性でもそれは整理できないらしい。
名作駄作問題作など問わず、なんとなくみんなに見てほしいものを挙げていく。
この映画の話で盛り上がりたいって感じのノリで。
TVシリーズの劇場版とかもあるので単体で見て面白いかとかもあまり気にしてないので御承知を。
寝たきり老人・高沢喜十郎はある日突然最新型介護ロボット「Z-001号機」のモニターに選ばれ、ボランティアで介護を行っていた看護学校生の晴子はお役御免となるが、介護ロボットに全てを世話される喜十郎をかわいそうに思い、彼の救出を決意する。ところが介護ロボットが暴走をし始めて……。
という高齢化社会を痛烈に批判したSF作品……かと思いきや、作品自体は完全なるコメディで、見ていて超楽しい。
大友克洋がメカニックデザイン、江口寿史がキャラクターデザインという豪華なコンビで、作画的にも沖浦啓之、今敏、黄瀬和哉、井上俊之、鶴巻和哉、本田雄、森本晃司、大友克洋、中澤一登、松本憲生……と挙げきれないほど有名なアニメーターが参加していて、クレジットだけで作画オタクはご飯3杯は余裕である。
江口寿史によるキャラクターがとてもよく、まず主人公の晴子がめちゃくちゃかわいい。そして元気な老人たちの存在感、さらには晴子の友達の絶妙なブサイクさ。
80分という時間も絶妙で、気軽に見てほしい。社会問題を扱いながらも妙に心が温まる不思議な作品。
いわずと知れた夭折の天才・今敏監督作品。彼の監督したアニメ映画は4つしかなく、1日あれば容易くファンを名乗れるのですぐツタヤで借りてファンになりましょう。
彼の映画はどれもが90分前後という上映時間でありながら、非常に濃い。
その中でも東京ゴッドファーザーズは視聴後の多幸感にかけてはピカイチで、一番エンターテインメントとしてわかりやすい作品と言えるかもしれない。
次々と転がり込む御都合主義のような幸運。これが気持ちいいのだ。
メインキャストを務める江守徹、梅垣義明、岡本綾といったメンツも、非常にいい仕事をしている。
近年では四畳半神話大系やピンポンなどの監督で有名な湯浅政明の初監督作品。初監督でありながら、文化庁メディア芸術祭でハウルの動く城、イノセンス、スチームボーイをおさえて大賞を手にした。
何よりすごいのは映像で、イマジネーションに溢れたその映像はどんな言葉よりも説得力がある。
後に著作・四畳半神話大系が湯浅監督によってアニメ化されることになる森見登美彦氏も、「迫力でちょっと怖がった」そうである。
最初はその独特な世界に戸惑うかもしれないが、終盤の脱出シーンを見ればもはや何も文句は言えまい。
説明不要のうる星やつら劇場版。押井守監督の最高傑作として名前が挙がることも多い。
映画としての評価は大変に高いが、これがうる星やつらなのかといわれると、別の何かなのかもしれないという感じがしてくる。
お祭りのわちゃわちゃの中に、不意に違和感を感じさせるものが入ってきて異世界に入り込んでしまったようになる。そういう描写がたまらなく好きである。
意味がなさそうでありそうな、哲学的な長セリフも本作の特徴で、言葉にできない不思議な魅力が詰まっている。
宮崎吾朗の才能を信じてもいいかもしれない、と感じさせてくれた一作。ジブリファンも本人もどうしても宮崎駿の影を追ってしまわざるを得ない環境の中、よくこれを作った。
そもそも脚本に宮崎駿が参加しているし、プロデューサーも鈴木敏夫だし、どう考えても往年のジブリ作品の系統として作られたのは間違いない。
おそらくは宮崎吾朗が制作を完全に仕切っていたわけではないのだろう。しかし、映画の端々には宮崎吾朗の味が感じ取れる気がするのでこの映画は何かすごい好きである。
カルチェラタンの描写には明らかに押井守の影響が感じ取れるしね。
『ローニャ』国際エミー賞子どもアニメーション部門受賞おめでとうございます。
眉村卓の小説『ねらわれた学園』を原作としたほぼオリジナルのアニメ。
原作のSFっぽい感じは薄まっているが、逆に薄めたことでSF的な部分がわかりにくくなった。
『あいうら』『灰と幻想のグリムガル』でおなじみの監督:中村亮介、キャラデザ:細居美恵子のコンビと言えば映像目的だけで見たくなる人もいるだろう。
ふとももに注目せよ。まずはそれだけでいい。
健康的なフェティシズムに溢れたキャラクターと美麗な映像を堪能あれ。
ポニーキャニオンが開催したアニメ化大賞という賞で大賞を受賞した『D.backup』を原案にしたオリジナルアニメ。
原案の拡張性ある世界観と、(おそらくは)予算的にギリギリだった1時間という枠と、とにかくキャラクターのかわいさを押し出したいポニーキャニオンと、映像の美しさを追求したい石浜真史監督とが相乗効果を生んだような生んでいないような作品。
序盤はありがちな魔法少女的なSF作品かと思うかもしれないが、終盤には急展開が続き、頭が追いつかない。
それもそのはず、脚本の志茂文彦によれば、映画の後半部分はほとんどコンテ段階で監督が構成したものらしいのだ。
序盤の丁寧な世界観説明と比べて、終盤がややこしいのは、監督がセリフに落とさず映像に込めた部分が多かったからなのである。
さらに、後のトークイベントでは、コンテにすら描かれず、スタッフにしか伝えられていない裏設定が大量にあることが明かされ、「偏差値70のアニメ」との烙印が押された。
監督:舛成孝二、脚本:倉田英之、キャラデザ:石浜真史という『R・O・D』トリオで制作された劇場アニメ。
舛成・倉田は『かみちゅ!』というTVアニメを手掛けていて、劇場公開に合わせてNHKBSでかみちゅ!が再放送されたりBDが発売されたりした。
黒沢ともよの声優デビュー作品でもある。当時はまだ子役であった。
夏休みの子供向け映画といった趣であったが、子供に136分は明らかに長すぎる。ある程度のアニメファンならばこの尺は耐えられるし、楽しめるだろうと思われる。
作画がぶっ飛び過ぎていて、作画的にはスペースダンディ劇場版とでもいうべきレベルである。
そして、主人公の少女の健康的なエロさがなんとなくにじみ出ていて、制作者はロリコンなのか?という疑惑が湧いてこないこともない。
海外の映画祭に出品されたりして、結構アニプレックスが期待していたのが窺えるが、やはりなかなか商業的には上手くいかなかったようだ。
上映時間の長さや、超新星爆発についての描写などの細かい部分を除けば、十分に面白い作品であるといえる。
3時間弱。長い。が、しかし、エンドレスエイトを経験したファンの不安を一掃するほどの高クオリティでアニメ化された作品である。
それまでの京アニの集大成といってもいい。内容については特に言うことはない。
けいおん!で注目された山田尚子監督によるオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』の劇場版。
『たまこまーけっと』ではいまいちヒットせず微妙な評価に留まっていたが、これが公開されるとたちまち好評となり、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では新人賞を受賞した。
TVシリーズは、舞台となる「うさぎ山商店街」の絶妙で温かな空気感を楽しむ作品であったが、本作ではわかりやすくラブストーリーにしたことで、デートムービーとしても見られる非常に間口の広い作品となった。
どちらの方が良かったとかではなく、単なる魅力の伝わりやすさの違いである。
とはいえ『たまこラブストーリー』は卓越した作品であり、山田尚子の代表作として語り継がれるのは間違いないと思われる。
『イヴの時間』などで知られる吉浦康裕監督作品。彼の作品の特徴は何といっても「発想」にあると思う。
独特の間も特徴ではあるが、基本的に彼の作品はある「ギミック」が作品の根本となっていることが多い。
なので、下手に前情報を入れて見に行くよりは、何も知らずに見て新鮮な驚きを感じた方が良い。
この作品もあるギミックが重要なのでそこを面白いと思うかどうか、そこが評価の分かれ目である。
つい先日無期限の休養を発表したヤマカンこと山本寛監督の、いわずと知れたアイドルアニメである。
彼についての悪評やバッシングは絶えないが、個人的には彼の作品は好きである。
この『Wake Up, Girls!』というシリーズは、まずTVシリーズの前日譚として『七人のアイドル』という中編映画があり、続いてTVシリーズ全12話、そして続劇場版の中編2作といった流れである。
TVシリーズ放映時は緊迫したスケジュールによる作画の乱れで物議を醸したが(BDでは修正された)、続劇場版(特に前篇)では非常によく動く。
このまま彼がアニメ制作の現場に戻らないとすれば本作が彼の遺作となってしまうが、遺作の呼び名に恥じない出来の作品であるということは声高に主張したい。
「ハイパーリンク」と称してキャラクターの中の人のパーソナリティや実際の出来事を反映する手法の効果は、続劇場版で見事に結実した。
アニメの創作性と現実の偶然性が合わさってとても気持ちの良いサクセスストーリーになっているのだ。
後篇の『Beyond the Bottom』は田中秀和による同名の主題歌も相まって、非常に神々しい輝きを放っている。
神前暁も「これを超える曲をこの先作るのは大変」と太鼓判を打った。
アニメ界の王子、イクニこと幾原邦彦が初めて監督を務めた劇場作品である。
この時点から彼の演劇的な作品づくりの手法は発揮されている。
庵野秀明は映画館で本作を3度も観たらしく、緒方恵美が演じた衛の少年時代の声を聴いて『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ役に抜擢したというのは有名な話である。
TVシリーズの再構成ではなく、全く新しい解釈で制作されたオリジナル作品。
作画的な制約もあったTVシリーズと比べ、かなり大胆に脚色され、より過激となった映像美はまさに唯一無二。
突き抜けすぎて、終盤の車のところでは何が何だか分からなくなってポカンとしてしまう人も少なくないという。
「王子」こと及川光博がゲスト声優として出演しているのもポイント。
『京騒戯画』『血界戦線』などで知られる東映アニメーション出身の気鋭の演出家・松本理恵の監督デビュー作品。当時25歳。
『ハトプリ』はプリキュアシリーズでも人気の高い作品のひとつだが、この劇場版も非常に人気が高い。
パリを舞台にしていて、OPでのスタッフクレジットが背景に溶け込んでいる演出の時点で何かが違うぞと感じさせる。
メインキャラクターのTVシリーズでの成長・感情の変化をきちんと物語に取り入れつつ、本作オリジナルキャラクターであるオリヴィエとサラマンダー伯爵の切ない関係を描き、多くの視聴者の胸を打った。
『劇場版アイカツ!』でなくてなぜこれを挙げるのか、疑問にお思いだろう。
というのも、私は熱心な『アイカツ!』フリークで、アイカツ!を見始めたのなら劇場版アイカツ!を見るのはもはや自然な流れで、あえて挙げることではないという認識でいるからだ。
ということで、あえてアイカツ!を見る入り口として薦めるのであれば、CGステージをかき集めたこれが良いだろうと思い、挙げた次第である。
アイカツ!の楽曲のジャンルの幅広さ、CGステージでの綿密に練られたカメラワーク、そしてアイカツ!という作品世界の持つ空気感を少しでも感じてくれれば後は言うことはない。
少女向けアニメの最高傑作との呼び声も高い『カードキャプターさくら』、その集大成となる第2弾劇場作品。
ラストシーンでは年齢性別問わず多くのお友達をキュン死させ、多くの大きなお友達はそのままゾンビとなった。
ポケモンの映画といえばミュウツーの逆襲だったり水の都の護神を挙げる人が多いが、私はこの作品を挙げる。
70分という短さに詰め込まれた「家族愛」というテーマは、子供よりもむしろ親の方に深く響いたことだろう。
当時劇場で見てリザードンに興奮した子供たちも、今改めてみればまた別の感動を味わうに違いないはず。
テレビアニメ『楽しいムーミン一家』の劇場版であるが、本作はテレビアニメの前日譚となるエピソードの映画化である。
『楽しいムーミン一家』はもっと語られていい傑作アニメであり、本作ももっと多くの人に知られて欲しい。(旧ムーミンのファンには申し訳ないが……)
子安武人演じるスナフキンによるシュールな悪口が聴けるのもこの作品。
いわずと知れた名作『ルパン三世 カリオストロの城』と同じ1979年に公開されたアニメ映画である。
実はこの年の邦画の配給収入で1位を獲得している。
70年代を生きたアニメファンにとっては有名も有名だが、今では知名度はカリオストロよりも低くなってしまっていて、金曜ロードショー恐るべしといった感じである。
エンディングに流れるゴダイゴのあの有名な主題歌を聴いた時、あなたはきっと涙を流しているはず。
90分弱に詰め込まれた圧倒的な熱量!THE出崎統!
世界はもっと出崎統を評価せよ。
BD・DVDがプレミア化し、配信・レンタルでも見られなかった傑作が、ようやく今年BDの再発売によって見やすくなった。
7月22日発売です。
実家にお金入れて、奨学金返還して、父の車のローン払って、もういっぱいいっぱい。
友達との縁も切りたくないから交際費もかかるし、ぎりぎり切り詰めて月々貯金に回せる額が6万円(自立の為に3万+将来の為に3万)
家ではちょっと贅沢して新作DVD借りてヱビスビール買って、家で飲みながら見るような週末。
私には2年付き合ってる彼氏がいるんだけど、まーなんというか、お金に困ったことの無い人というか、高収入ゆえの金銭感覚の違いみたいなものを凄く感じる。
名門中高進学校→有名私立大→大手メーカー総合職→特待生、な順風満帆な社会人生活。
手当も沢山もらって、家賃も光熱費も全て会社持ちの、利便性の高い立地のマンションに住んでる。
具体的な金額は聞いたことがないけど多分相当貰っていると思う。(趣味はバイクとウイスキー集めで、そこらへんにお金を注ぎ込んでもまだ十分貯金できるくらいの余裕があるらしいので)
そんな彼だが、私にもその金銭感覚でもって話しかけてくるのが最近苦痛になってきた。
「一緒にツーリング行こうよ!たった10万あれば免許とれるし!ほらこのバイクなんか中古で68万だって!安くない?」
「この25年もの、すごく美味しいよね?最近よく飲んでるんだー。増田ちゃんも今度お薦めのお酒持って来てよ!安いのでいいから!」(それって鏡月とかでもいいわけ?)
「これ安くて品質いいし衝動買いしちゃったー!」(と言って3万円もするジャケットを見せてくる)
極め付けは「仕事でイタリアに行くことになったから遊びに来て!30万あればいけるから!」(一体どこから30万円を捻出すれば良いのやら)
それ相応の給料を貰っている人はその分消費して経済を回す方が良いのだろう。高い収入は彼の能力の一つでもある。そこはとても、とても尊敬する。
でもその金銭感覚を私にまで押し付けないで欲しい。まぁ、押し付ける気は全くないんだろう。彼の中での10万円って、多分そんなに高くない金額だと思うし「たった10万」は彼にしてみれば気遣いの一言なのだ。
彼の周りもボンボンから大企業に入った人ばかりだし、多分、手取り12万の正社員が存在していることすら知らないんじゃないかと、私は最近思っている。なんかむかつく。
そんな彼氏に最近プロポーズされた。イタリアから帰ってきたら結婚したい。考えといてね、だって。こんなに金銭感覚が違う人と結婚して、果たして大丈夫なんだろうか。
勿論彼のことは総合的にみれば本当に尊敬してるし、こんな奴にプロポーズしてくれる人なんてめったに居ないと思うので、受けるつもりでいるのだが。
「高収入の男性と結婚」てすごく世間的には憧れの対象かもしれないけど、私はどっちかというと、彼と私の格の差を生活レベルで毎日見せつけられるような予感がしてて、とてもじゃないが舞い上がる気持ちになれない。
高収入の男性と結婚→私が高収入になるわけではない。私は私で手取り12万の女のままだ。
だから私自身の生活レベルが変わるわけでは無いし、このみみっちさも変わるわけではないのだ。
かといって貧乏な男と結婚したいかと言えばそうではない。上手く言葉にできない。夫の収入で賄うことが何だか「負け」の様な気がしてしまって甘えられない。
私だってさぁイタリア行きたいんだよ。彼に会いたい。でもいきなり30万ポンと出せるわけないだろ。15万ならなんとか捻出できそうだけど…30万って…。
「15万円負担してください」って、言いたいなー……でもやっぱ、言えない……
なんでこんなやるせない気持ちにならなきゃいけないんだ。
○朝食:サンドイッチ
○昼食:チョコ
○夕食:寿司
○調子
むきゅー。
今日は洗濯と掃除を頑張った、午後から近所に住んでいる叔母さんと買い物に行ったりした。
その後、一週間頑張ったご褒美にお布団の上で貰ったチョコを食べてた。
食べてたんだけど、いつの間にか布団の上にコボしていて、しかもお尻で踏みつぶしていたせいで、
布団がチョコまみれに!
うう、せっかく洗濯したのに……
3DSのバッチ(ホーム画面を飾るアイコンみたいなもの)を集めるゲーム。
なんだけど、ちょっとプレイ回数が余ったのでFEifのバッチもゲット。
というわけでクリアした。
これは凄いな。
というテーマで、カオスヘッドノアのファンディスクであるラブチュッチュという名作があるんだけど、
リアルとネット上の虚構という二つをテーマにしているのが面白い。
こうして、はてな匿名ダイアリーで自分をある種演出?している僕としても、
本当の自分とは? みたいな答えのでない問いを考え込んでしまう程度には、
こう、正直リアルに絶望して、ネット、しかもはてな匿名ダイアリーっていう匿名式ブログで
何故だか実質コテハンみたいなことしてて、
のわりに、回文使いの増田プロや常に議論を呼び寄せる大学生とかと比べるとイマイチパッとしないポジションで、
頑張って仕事をしてても、何度も駄目になって、中々リアルに戻れない。
そんな自分を振り返って、
こう、
なんていうか、
「このままでもいいんだ」という自己肯定を感じられた。
上手く言葉にできないんだけど、
トリックロジックで始めて公式サイトに自分のIDが乗ったとき、
428、通じてCANAANで、カナンとマリアの二人が先進的な渋谷区に感謝するとき(※CANAANのブルーレイを全巻購入したチュンソフ党員にのみ配られた限定ソフトの話だよ(真顔))、
シュタゲで紅莉栖とまゆしぃの二人を同時に救えないことがわかったとき、
そういう、数々の自分の中で名作として心に残っているノベルゲームの一シーン。
それらは感動したよ、
感動したけど、
(いや、書淫とかRemenber11とかそういうアレじゃなくてね)
自分自身を振り返ってどうのこうの、っていう作品ではなかったんだよなあ。
なんだけど、このネットハイはあまりにも、自分を重ねてしまう。
しおりちゃん(バナージ嬢曰くのキャラ)のいう「強烈な読書体験」っていう奴を、
やばい。
やばい。
今ここはてなで何か「もやもや」を抱えている人たち全員にプレイしてもらいたい。
そして、感想を言い合いたい。
本当、名作です。
ツイッターの匿名性が心地よいと感じていたのに、気づけばそうもいかなくなってしまった。ブログをやっていた時代も、気づけばコミュニティが形成されて「これを書いてしまったら、○○さんが傷ついてしまう可能性がある」と頭をよぎり、あえてぼやかすことが何度もあった。でも、それを悩んで三日くらいして何も告げずブログを削除し、アカウント自体を消した。なかったことにしたのだ。それによって、何かが起こることはないし、その期待はなかった。知らない間に知り合いのブログが消えたり、親しい人が何も言わずブログを消すのだって、自由だよな~と思いながら去っていく人をみていたからかもしれない。
ここ最近、ツイッターである本音を書いてしまった。我慢していたことを、あえて言うには理由があった。けれど、画面の向こうの人はそれを知るわけがないし、知ってどうなるわけでもない。そうなると、私の言葉に対して「これだから~」と空リプもどきをしてくる。被害妄想といえば、それでいい。それでも、なんだか居心地が悪くて、ツイッターをやる意味やコミュニティとは何かを考えてしまった。
ブログもこうだったし、ツイッターもこうなると、一体どうなるのだろうか。今後私はどこに思いを乗せれば良いのだろうか。そう思うと、言葉にできない感情で押しつぶされそうになる。共感や同意が欲しいわけじゃない。むしろ、批判されたっていいと思っている。だって匿名だから、それが大きいのではないだろうか。
けれど、文字にすることでしか発散することが出来ないからという理由で書き続けてしまう。ネットにあげてしまう。もういっそ紙に書いて捨てるようにすれば、このモヤモヤとは切り離されるのだろうか。そもそも、共感とか欲しくないといいつつネットにあげる時点で、私はもうだめな人間なのだと思ってしまうのだ。
こういった問題になるとまず間違いなく「オタクカルチャーが差別されてるから叩かれている」という言説が飛び出す。
また、例の楽器が男根と言い出した人の例を引くまでもなく、萌えキャラ・アニメキャラを嫌う人というのは存在する。
しかし、そういう人は決して多数派ではない。もしそうだとしたら、各地にいる無数の萌えキャラはすべて大なり小なりの炎上をしているはずだろう。
実際にはそうはなっていないのだから、炎上したキャラには「ほかのキャラにはない(問題)点」が確かにあったと考えるほうが妥当である。
美濃加茂市の『のうりん』良田胡蝶、志摩市の碧志摩メグは共通して、そのイラストの性的アピールが過剰であるという意見が多く見られた。
自治体、それに準じる第三セクター(=ここでは「お役所」とする)の表現にふさわしくない、公共の場に掲示していいものではない、一般人の羞恥を呼び起こすセクハラである。
それらに対する反論も噴出している。
客観的な基準が示せない、個人の「不快である」という感情の言い換えに過ぎない、ファンに向けたイベントなのだから問題ない。
そのどちらも決して間違いとは言い切れない。
理論上は、R-18に相当する表現がなければ、子供が見ようが女性が見ようが問題はないはずだ。
だが実際には女性の乳房や肢体を強調するのは「公共の場にふさわしくない」し「お役所らしくない」。
つまり、我々はいつの間にか、暗黙のうちに、お役所にふさわしい「表現の範囲」を定めていたのだろうか。
それを逸脱したことが今回の問題の核心であり、今後、その「範囲」を明確化して、その中に納まる表現だけが認められるのだろうか?
そもそもお役所がアニメとコラボしたり萌えキャラをつくること自体、今までの「表現の範囲」から脱却しようとする動きではなかったか。
無難で、地味で、つまらないお役所イメージから飛び出そうとするからこそ、オタクカルチャーを取り込もうとしたのではなかったか。
その意味で、じつはこれは「お役所の表現の範囲」のなかにはそもそも収まらない問題なのではないだろうか。
この関連の論争を眺めていると、「じゃあ○○もだめになるな」という言葉が散見される。
家族の楽しげな写真は、ぼっちに配慮がないよ。猫が嫌いだから子猫の写真で精神的苦痛を受けるんだけど。
それに対し、「それとこれとは違うだろう」と思う向きは多いだろうと思う。
あたりまえのことだ。
単なる個人であったとしても、ブログを書くたび、一言ツイートするたび、一言喋るたび、視線を誰かにぶつけるたび、
もしかしたら誰かを不快にするかもしれないし、「不快になった誰か」が多数になれば叩かれるかもしれない。
今までの「お役所らしさ」は、そのリスクを最小限にしていた。だから「無難」だった。
しかし、いくつかの町が萌えというカンフル剤を手に入れ、そして成功した。
各地が我も我もと続き、ご当地アニメという言葉が生まれ、萌えキャラが量産された。
今やどこでも見るメジャーな戦略になったから、一部のお役所の皆さんは忘れているのではないか、と思う。
「無難」にほんわかしたイラストは、目に留まりにくい代わり、どんな層にも受け入れられやすい。
対して、萌えキャラというのはそもそも、ごく一部のオタクに対してのアピールに特化してできている。
そこには女性に対する性的視線が織り込まれている。既存アニメならば、アニメ視聴者しか知りえない文脈が隠れている。
オタク以外には不快かもしれないし、ついてこれないかもしれない。でも確実に『一部』は喜ぶ。
「無難」ではなく、リスクが高い代わり、リターンが見込めるからやるはずのものなのだ。
そう思ったとき、表現する側に必要なのは「ディレクション」だ。
ターゲットは誰か。ターゲットにリーチするために、どんな方法を取るか。
そして、もちろん、苦情が出ないかどうか。苦情が出るリスクが高い部分は、先んじて対策を取る。
リスクが高くとも、コンセプトとして譲れない部分はどこかを見極める。
「攻めた」表現をする人たち――広告や出版や放送にかかわる人たち――は、当然それを考えて動く。
今回、美濃加茂市の観光協会は、苦情が出たことに「困惑した」という。
「支給された素材を順番に使っただけだ」と。
はっきり言うと、つまり、考えが足りなかったのだ。
苦情を言うほうが悪いのではない。苦情が出ることを想定できないほうが悪い。
そして、苦情に対し「これこれこういう理由でこの表現は適当です」と、きちんと説明できないのが悪い。
萌えおこしに頼らざるをえないような田舎の観光協会に、そんなことを求めるのは酷だろうか。
わかってもらえないとしても、それでも、この戦略は間違ってない。
でも、仕事ってそんなもんではないだろうか?
全体的に「のうりん」ポスターや碧志摩メグを肯定する書き方になったが、
私個人としては、やはりあれは「性的アピールが行きすぎで、TPOを弁えておらず不愉快だ」と感じているし、
いくつかの場でそれを表明してきた。また、そう感じている人が少ないとは思わない。
だがしかし、今回の二つのバッシングに、一切問題がなかったか、と言われると、それも首肯しかねる。
ツイッターで似たような意見をまとめ、センセーショナルな見出しをつける。
同じ意見の人がたくさん見えるから、自分の意見が「常識」「良識」の側であると信じる。
だからそれをかさにきて叩く。
ネットでは非常にありがちな光景だけれど、しかし、これが正しい状態だと私は思わない。
私は「個人の不愉快」を表明することを擁護するし、「常識」が結局は多数決の結果であることを否定しない。
しかし同時に、他者が「多数」「常識」に従わない自由を、いつも頭の片隅に置かなければならない。
いかに自分が「多数派」で「常識」で「正しい」と信じようが、法に反さない限り、何を採用するかの決定権は相手にある。
それを尊重する態度を忘れてはならない。
叩きはネットの華だ。きっと今後もなくならない。
頑張らねばって思っていたけどボッキリ
怒られたり嫌われるのが怖いからって良い人のフリをするのに限界がきている
自分のことで精いっぱいなんだよ
皆どうやって普通に生きているんだろう?毎日ぐるぐる考えて生きて死にたくなったりするんだろうか
やっぱADHDってやつなのか、もしかして鬱とかにでもなってるんだろうか
言いたい事なんてあっても言葉にできない
なんて言えば正解なのかわからないから大丈夫です、とかしか言えない
どんどんモヤモヤが溜まってきて辛い
頑張らねばって思ってたけど、思ってただけでほんとうは頑張ってなくて逃げてるんだろうなと思う
真面目だねって言われると、真面目系クズの間違いですって言いたくなる
先日、学生時代の友人が上京したので晩御飯でも、となった。彼は県庁職員で独身、私は都内のしがないSI屋で公共系、それこそ彼の職場を客として、薄利多売を重ねる日日だ。毎日、毎日作業予定なんてものはなく、ただ12時間働いても終わらないタスクだけが積みあがっている。
そんな中、久しぶりなので振り切って定時に上がると彼と合流した。よく打ち合わせで訪れるその街での待ち合わせだった。当然だが彼はそこに用事があったのだ。ずいぶん久しぶりで、話し歩きながらもさて、どこで食べようかと物色する。
そこで私の中に黒い気持ちが燃え上がった。彼は独身で地方公務員で実家暮らし。こっちは底辺SI屋で妻と子供とマンションのローンを抱えている。めずらしくもない条件だ。私はこづかいせいで月18000円を支給されている。これで昼食、交通費、ほかいろいろすべてを賄わなければならない。なんとか考えて今日は3000円なら使っても耐えられるだろう、と目算をしていた。当然、それは彼の金銭感覚とは異なるだろうと自覚している。今だって店を探すのに彼はiPhoneをつかっている。私はもう6年物のガラケーだ。こういったちょっとした差がある。SI屋がどうしてスラックスとワイシャツなのか理解に苦しむのだが、イトーヨーカドーでつるしのスラックスのわたしと彼とではそこから違うのだろう、とひがんでしまう心を止められなかった。
結局、話を上手く持って行って、はやりのイタリアンレストランへと入店した。もうこまかく描写するのも心がみじめになるだけだが、当然名がら注文内容はぜんぜん違った。結局割り勘だったので、4000円ほどだった。正直今日から厳しい暮らしだと、店を出て空を見上げてしまった。
すこし前に「ほとんどの人が趣味がないことにおどろく。なにをしてすごしているんだ」とツイッターで話題になっていた。そういう彼らはその趣味に、どれほどの金をかけ、時間をそそぎ、1人で没頭できる状況にあるからできるのだと想像したのだろうか。大多数の、その趣味のない人は、金も、時間も、1人になる状況も、手元にないのだ。だからテレビを見るしかないのだ。そのまとめと論調を見ながら、モニターにむかって叫びたかった。ふざけんな、ふざけんな、お前ら、ふざけんな、と。そりゃ結婚を選んだのも、子供を望んだのも、マンションを買ったのも、決めたのは俺だ。しかし、周り、両親から言葉にできない圧力をうけ、それから逃げるように上京した俺の気持ちがお前らに判るのか。なにが趣味がない人間がいることに驚くだ。ふざけんな。ふざけんな。うらやましい。うらやましい。だから黙ってその趣味に没頭してくれ。こっちをみるな、攻撃してくれるな。それだけで俺はみじめになるんだ。
今、俺が何をして時間を、仕事をしなくていい時間をつぶしているかと言えば、昔買ったままのPSPのゲームを遊んでいるんだ。金なんてほとんどかからない。PSPなら家族からなにか頼まれてもすぐにやめられる。すばらしい。
ネットの連中が、自身のライフスタイルを誇示すればするほど、俺はみじめさを抱えて、丸くなる。独身の友人が、俺より稼いでいる友人が笑顔を見せると、心に黒い火がともり、みじめさを炙る。もうはやく死にたいのだが、家族がいればそれもできない。ただただみじめさを抱えて、なだめながら、テレビを見るしかないんだ。
みじめに。
先日、幼い娘を公園で遊ばせていると、いかにもオタクとしか思えない男2人が娘に近づいてきた。
娘はプリキュアが好きで、まだ「ぷいきゅあ~」ぐらいしか話せないのだが、この日もプリキュアごっこをして遊んでいた。
オタク2人は、そんなプリキュアごっこをしている娘を見て、どうやら同士だと感づいて、この公園へ来たようだった。
「お嬢ちゃん、プリキュア好きなんだ~」という言葉を皮切りに、オタクたちは娘に質問を浴びせかけていた。
作画がどうたら、演出がどうたら、シリーズを通してどうたらとなかなかに手厳しい質問で、さすがオタクだと私は少し関心した。
しかし、私の娘もいちプリキュアユーザーだ。プリキュアユーザーの端くれとしてオタクどもをぜひ返り討ちにして欲しい。
しかし、私の望みも虚しく、「ぷいきゅあ~」しか話せない娘は、オタクどもの質問に上手く応えることが出来ず、戸惑っているようだった。
娘の言葉にできない悔しさを、私は感じた。
「おい、もう勝負はついてるだろ」と私はオタクたちを止めようと声をかけた。そしてオタクどもにお返しにと、両方の顔面にパンチをお見舞いしてやった。
オタクどもが訳の分からないことを喚きながら、のたうち回っているうちに、私は娘を公園の裏口から逃げるよう促し、娘をオタクから離すことに成功した。
私も娘と一緒にプリキュアを見ていたプリキュアユーザーの端くれだ。知識では勝てなかったが、パワーで娘の無念を晴らそうと思う。
その後、オタクたちと私は戦った。しかし、オタクたちの息の合ったコンビネーションの前に私はとうとう屈し、ボロ雑巾のようにされてしまった。
病院のベッドの上で私は反省した。彼らはオタクらしく、プリキュアを熱心に見て、息の合ったコンビネーションを完成させたのだろう。
知識でもパワーでも我が一家は敗れてしまった。完敗だ。