はてなキーワード: 言葉にできないとは
ライトノベルの女性キャラを指して、こんな話し方の女、現実にはいねえよという意見をネットで見かけた。
それ以来、ラノベを読むときには、登場人物の口調に注意して読むようにしているが、たしかに現実とはちがう気がする。
「~するわ」とか「○○よね」とかいう語尾をつけてしゃべる女性は、僕の観測する範囲では見られない。
さらに「女性語」でググってみると、おばさんやおばあさんの年齢だと使うひともいると書かれてあった。ということは、ラノベに出てくるような十代、二十代の女性キャラがそんな口調で話すのはおかしいということだ。
……まあ、小説では、映像と音声のない中でセリフを表現しなくちゃいけないから口調には誇張が入っているのだろう、ということはわかるのだが。
だから、ラノベの口調がおかしいとか、おかしいから悪いとか言うつもりはない。
僕の興味は、〈じゃあ、どんな口調ならおかしくないのか?〉というところにある。
上にも書いたとおり、僕は女性と接点がない。
そういえば、リアルの女性がどんな口調でしゃべっているのかも、僕ははっきりとは言葉にできない。なんとなくの感じは想像できるんだけど。
なので、これを読んでいるひとがいたら、「こんな口調ならおかしくない」とか、「リアルの女性はこんな口調だ」とか、「この小説のこのキャラの口調ならおかしくない」とかいう意見を教えてください。
俺の嫁が書いたのかと思ったw
うちの場合もテレビのニュースなどを見ていて、その内容に俺がツッコミを入れてる時に、嫁と険悪な雰囲気になる事が多い。
俺が何かを言うと嫁が「そうかなー」みたいな反応をする。10回中9回はこんな反応。素直に同意してもらえる事はほぼ無い。
俺としては俺の意見に反対ならその理由を言って欲しいのだが、そういったものは無い。
何故反対されているのかわからずモヤモヤするので「え?反対なの?なんで?」などとつい聞いてしまう事がある。
(3回に1回ぐらいは聞いてしまう)
そうすると出てくる答えがどう考えても論理的なものじゃなく、反対する為だけにとってつけたようなものに感じられる事が多い。
当然全く納得できないので「じゃあ○○だったら××なの?」みたいに元増田の配偶者のようなことを言って追いつめてしまう事がある。
何回もこのパターンを繰り返した結果、
とお願いした。
俺の方は、何か意見を言われて、それに納得できなくても、あまり追求しないようにお願いされている。
しかしここに落ち着くまで、かなり色々と話し合った。
俺「反対だけされるとモヤモヤするから、せめて理由を言って欲しい」
嫁「無理。うまく言葉にできない」
俺「だったら、いきなり反対するんじゃなくて、まず質問するなりして欲しい」
嫁「質問したら、ペラペラ興味の無いことを色々説明されるからしんどい」
俺「じゃあどうすれば良いの?」
嫁「できれば何も言わないで欲しい」
嫁「できれば」
俺「それはツラ過ぎる」
嫁「じゃあ私が反対しそうな事は言わないで欲しい」
俺「それも難易度が高過ぎる」
嫁「じゃあ俺君が何か言い始めたらチャンネル変える」
俺「それはやめて欲しい。何がそんなに嫌なの?」
嫁「興味の無いことについて色々追求されるのがしんどい」
嫁「ない。近所にできた美味しい食べ物屋さんとかなら興味ある」
俺「わかった。じゃあ、できるだけ追求しないようにする。でも反対されたら、やっぱり気になる」
嫁「じゃあ反対しないようにする」
だいたいこんな感じ。
そんな中この増田を見つけた。
嫁に見せたら最初「あんたが書いたんじゃないの?」という反応だったw
俺はおまえが書いたのかと思ったと言ったら「私があんたの事を『社会情勢に詳しくて賢い。頭も口もよく回る。』と思ってると思ったの?w」と言われた orz
「雑談(だよね)なのに、たたみかけてきて論破しようとする感じのひとって、ちょう苦手。よく我慢できてるなあ、すごい。」
といったブコメを読んで「ほらやっぱりあんたがおかしいんだよ」みたいに嬉しそうにしてた。
うちの嫁は元増田のように
「ニュースやその背景をろくに理解していないくせに曖昧な立場からふわっとした感情論のようなものを吐いてしまうのがいけないのだと今日気付いた。」
などと反省している様子は無く、ただただ俺の方が悪いと思っているようだ。
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追記
別に責めている訳ではない、と私も何度も口にした。怒ってない、あなたの意見を否定したくて聞いてるんじゃない。本当にただ純粋に、あなたがどうしてそう思うのか知りたいだけで、思って居る事を言っても怒ったり責めたり否定したり絶対にしないから、感じたことをなんでもいい、話して欲しい。
すでに書いてるけど、興味のない話をとにかく聞きたくない、という感じ。
「言語化する自信がない場合は、とりあえず同意しといて」←この言葉にすべて現れてる気が。異なる意見が聞きたいとか言ってるけど、結局は批判されるのが嫌なだけなんじゃないのかという印象。
なぜちゃんと俺の文章を読み取れていないブコメに一番多くスターが付くのか不思議。
もう一度ちゃんと読んで欲しいんだけど、嫁が否定的な反応だけして意見を言ってくれないのでモヤモヤするの。
ちゃんと言ってくれる時もあって、そういう時は納得する場合も多いから、特に問題ない。
今唐突に思い付いたのだけど、俺の嫁が俺に否定的な反応をする時って俺がニュースに対して怒ったような態度を取っている時が多い気がしてきた。
べつに怒っているわけじゃなくて、批判(非難?)してるんだけど、嫁はその怒りを鎮めようと本能的に「そんなこと無いと思うけどなー」みたいな態度を取るのかも。
停止された連中のメンツ見てると「あーはいはい」と思う共通項があるんですよね…。うまく言葉にできないから、Googleがどうやってそれを基準にして規制したかわからないですが、「そっちがダメなのね」という方向はなんとなく見えます
しっきーはクリーンになればやまもといちろう2世になれると思うんだけど、なんか安直なことするからなぁ…。アレがあるからはてなブログの人気ブロガーというフランクであんまりお金にも威信値にもならない位置づけなんよな…。しっきーがライターに?…うーん、できると思うが力が半減しそう。不向き
kanose 本当に自分が何を基準に人を観てるのかわかりやすい。人を軽々しく評価する人間は己も同じ目にあう。インガオホー
“アナリティクスの画面キャプチャーがそのままアドセンス停止の理由にはどう考えてもならないんだよな・・・・。”そうそう。それがダメなんだとしたら、もっと被害に遭ってる人が多いはずなんだよね…
PV報告(アナリティクスのスクリーンショット)自体が問題というよりは、煽り立てるタイトルからPV自慢をするSEO屋さん・プロブロガー系の人が増えてブログの人気記事を埋め尽くしたからナタを振るったと予想。 (僕が人気記事に乗らない。邪魔)
恋愛・男女カテゴリを設置したからそこだけゲスめ広告を貼っていこうwフリーゲームと躁うつ病はなるべく潔白に運営していくけど、恋愛は飢えた狼が多そうだから「そんなにがっつくなら出会ってらっしゃい」と婚活とかマッチングサイトの広告やろうwwネタをネタだとわかってくれるかどうかは知らんが
あ、僕のスタンスは「頭の弱そうな女性向け恋愛コラムサイト」と「研究すればするほど気持ち悪がられるモテ本の真似をする男」の両方にはアレな広告をさわって、僕の知らないところで勝手に幸せになってほしい派です。僕もあなた方のおかげで幸せに
kanose 自分が思ったとおりに世の中が動いてると考えていなければこの発言はありえない。googleさんは僕のために行動してくれるんだという発想。いつもそんな風に都合よく考えているから思い通りにならなかった時に暴れだす。幼児。なんでほとんど自分の思い通りにならなかったのに全く学習しないのか脳を解剖して確かめたい。
絶対に実行に移したり顔や口に出したりはしないけれど、なんだこの欲求は。
なんなんだーーーーー。
以下整理。
①親友が本当に素晴らしい人説。
みんなにやさしい。
ただしほかの男の人も知りたい興味はあるが、彼氏は処女厨(死語?)なので、
私の穴がなくなろうとも絶対にそんなことはしない。
(でも、友人の経験を聞くと驚いたりうらやましかったりする。)
絶対にない。
彼氏と私はそれぞれお互いに足りないところを補い合って生きている。
それはもうパズルの凹凸がはまるように、言葉にできないけど、こう出来ている。
④夢に出てくる説。
何回も夢に出てくる。
そのたびに何故かやさしくしてくれる。
心が弱っている時に出てくる。
<結論>
親友の彼女には失礼な話だが、でもやっぱりよくわかんないから一度抱いてくれはしないだろうか。
私は彼氏が大好きだ。彼氏の親友もおそらく彼氏を好きだろう。(友情的な意味で)
もうそのどろどろの集合体になったら彼氏はもっと私を好きになったりしないだろうか。
PS.
ノンフィクション作家の安田峰俊氏が、ツイッターでこう仰っています。
月サンは困ってます 第4話 http://yuekoma.blog.jp/archives/24859440.html … 毎回のブコメが個人的にはすごく不快。計算は5点だけど他に120点の能力持ってるスペシャリストを、全能力35点のコモディティ化した人たちが無能者呼ばわりして集団で殴る構図。
https://twitter.com/YSD0118/status/577631743739457537
要するに「何の能力もない貧弱一般人どもがクリエイター様を批判してんじゃねえよ」ってことで、反論したいけどうまく言葉にできないから批判した人を『全能力35点のコモディティ化した人』と悪口を言うしかないのでしょうね。
井上氏は安田氏の著作「境界の民」や「和僑」についてツイートし、「和僑」では宣伝イラストまで描いています。同じ角川系で本を出している身、今回の安田氏の擁護に「大人の事情」を勘ぐりたくなりますが、事情にせよ本気にせよもうちょっと具体的にした方がよろしいのではと思います。
はてブのコメントには事実誤認や誤読も多いです(私もやられたことがあります)。でも批判的な意見を言う人を「全能力35点のコモディティ化した人」と否定するのはいかがなものでしょうか。
……だいたいこんな内容のことをツイートしたところ、安田峰俊氏にブロックされてしまいました。
リプライを飛ばした訳でもないのにわざわざエゴサーチしてブロックするなんて、案外デリケートのお方なのかもしれませんね。
ブロックされなければ二度と話題にすることも無かったのですが、全能力3点の私ごときに反応して下さったのでせっかくだからツイートと日記にまとめてみました。
ともあれ、全能力95点のブランド化したノンフィクション作家、安田峰俊氏の今後のご活躍を期待したいと思います。
第1話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/21927636.html
第2話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/22232353.html
第3話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/23632037.html
第4話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/24859440.html
第5話
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuekoma.blog.jp/archives/25251335.html
※追記
元の記事( http://anond.hatelabo.jp/20141231004329 )は比較的多くの方に読んでいただけたようで非常によかったです。特に、寄せられたコメント等に目を通してみますと、「Guilty Gear Xrd は初心者向けではない」という記事の主旨を真っ向から否定するご意見はほぼ見受けられず、むしろGGシリーズが玄人向けであることを当然視する内容のものが多かったため、自分の感覚は他の方々から大きく乖離していなかったのだと安心するとともに、そのような感覚を既に共有されていた皆様の見識の深さに感心した次第です。
今回の記事では、元の記事に寄せられたご意見からいくつかピックアップし、返信したいと思います。
このゲームを購入するよりも前に、全く格闘ゲームに触れていなかったわけではありません。スーパーファミコン時代に、友人の家でストリートファイターIIシリーズで遊んだりはしています。最近のゲームに関しては、動画サイトで上級者のプレイを観戦するなど、いわゆる動画勢と呼ばれるような立場でもあります。しかし格闘ゲームをやり込んだ経験はありませんし、用語等も動画などを通じて覚えたものであって実感を伴わない知識に過ぎません。したがってスキル的には初心者を自称しても問題ないかと思っていますが、それが不適当なら初級者とでも言い直したほうがよいでしょうか?
そうであるにせよ、初級者にとって難しいものは初心者にとっても難しいはずで、元の記事の主旨を大きく損ねる要素ではないでしょう。どちらかと言うと、動画勢としての予備知識があるぶん、まったくの素人では言語化できなかった部分も記事に記述できたのではないか、という自負もあり、自分のような立場の者が書かなければ(初心者はうまく言葉にできないし、熟練者は当然視している内容ゆえに書かないから)可視化されない情報だったのではないか、という気がしています。
オン対戦ならプレイヤーレベル設定すれば同レベルで戦えるから解決する話。友人との対戦ならその友人が悪いとしか。 /上級者の対戦をオンで見れるからそこから学べばええやん。 /北斗よりはましじゃん!!!!!w
まず「プレイヤーレベル設定すれば同レベルで戦える」という点については、事実と異なります。このことは追記エントリの中でも詳述しましたが、ランキングマッチのマッチング設定を「自分と同じ強さ」にしていても、勝率のかけ離れた相手との対戦が避けられません。私の勝率はランキングマッチ200戦程度を通じて15%を超えたことがありませんが、勝率80%以上の相手と当たるのはザラでした(全勝の相手と当たったこともあります)。その理由は、マッチングが段位を基準にしており、(追記エントリにも書いたとおり)その段位は下位層ほど強さを反映していない、という問題に由来しています。
「上級者の対戦をオンで見れるからそこから学べ」については、様々な困難が伴います。
観戦機能が実装されているのはこのゲームのよいところだと思いますが、実際に観戦するにはその対戦が行われているルームに入室する必要があります。そしてルームは1地域あたり64個用意されているロビーの中に立てられます。したがって、自分の持ちキャラを使っている上級者の対戦を観戦しようと思ったら、64(×地域数・・・日本国内だけでも4地域)のロビーを出入りして、そのロビー内の各ルームの参加メンバーを確認し、目的のプレイヤーが見つかったら、そのルームの空き(1ルームに入れるのは8人が上限)が出るのを待って入室する、という労力がかかります。しかもこの方法でも野良対戦しか観戦できず、ランキングマッチを直接観戦することはできないので、ランキングマッチ中心でプレイしている上級者の戦いぶりを見ることはできません。ロビー・ルームの実装がこのようなままだと、気軽に観戦するというのも難しいでしょう。特に使用率の低いキャラの場合、リアルタイムでその使い手が野良対戦していないということもままあります。なので、リアルタイムで観戦させようとする設計はあまりよくなくて、今あるREPLAY機能を活用しリプレイ動画を後からプレイヤー間で共有させる方向性を促進させるべきではないかと思います。
ゲームに実装されている観戦機能を用いなくとも、動画サイト等で検索して対戦動画を見るという方法もあるのです(こちらのほうがゲーム内で観戦しようとするよりはるかに簡単)が、まったくの初心者が対戦動画を見て得られる情報量は非常に少ないです。というのも、対戦しているそれぞれのキャラの行動の理由が、行動を見ただけでは(初心者には知識がないので)推測できないからです。もともと強い行動が多く備わったキャラならばとにかくそれを振るだけのプレイ(いわゆるチンパン)を形だけ真似るということがありえますが、通常、差し合いや切り返しでとるべき行動はキャラ相性なので、相手キャラが変われば類似の場面でも異なる動きになることを説明なしに動画のみから学び取るのは難しいでしょう。やはり観戦だけでは不足で、wikiのような媒体によって各行動の裏付けとなる説明が示されるべきだと思います。
「北斗よりはまし」について、私は寡聞にして知らないのですが、北斗の拳も初心者向けを謳っていたのでしょうか?私としては、ゲームの難易度が高く初心者向けでないことそれ自体は別に問題ないと思っていて、しかしそのようなゲームが初心者向けを謳っていることに問題がある、と感じています。
追記エントリへのトラックバックもいただきました。要約すると「初心者狩り対策として、善良な強プレイヤーが初心者狩り狩りとして機能するよう低ランクをカオス化させる仕様は妥当」という話だと思いますが、私はこれに同意できません。
初心者狩りにせよ、初心者狩り狩りにせよ、初心者にとってはどちらも自分より圧倒的に強い相手であることに変わりないわけで、そういう相手との対戦を理不尽に感じる点では何も違いがありません。運営は「善良な強プレイヤーの同居によって悪意あるプレイヤーの抑止ができるから、悪意あるプレイヤーを野放しにするよりマシ」と思うのかもしれませんが、初心者からすると「いずれにせよ強プレイヤーと当たる環境だったら嫌だよ」という話です。
初心者狩り狩り同居によって初心者狩り野放しの場合よりも初心者が強プレイヤーに当たる率は減ってるはずだ、という論もありえますが、その実効性はプレイヤー視点では実感できない(というか大規模なA/Bテストでもしないかぎりその実効性は誰にも測定できない)し、何より、他のトラックバックにもあったブラックリスト方式を活用するほうが迷惑プレイヤー排除の目的では確実かつ効果が大きいのは明らかなので、下位ランクをカオスなままにしておくことの理由付けとして初心者狩りを持ち出すのはあまり説得力がないと思います。
会いたくて会いたくて震えるのが西野カナ
会いたくて会いたくて眠れぬ夜にあなたのぬくもりを思い出すのが松田聖子
会いたくて会いたくてあなたにいつも笑顔だけ見せてあげられないのがリンドバーグ
会いたくて会えなくて唇噛み締めるのがEXILE
会いたいのにいつもうまくいかないのがL’Arc-en-Ciel
会いたくて会えなくて揺れまどうけれど目覚めた翼は消せないのがL’Arc-en-Ciel
会いたいから会えない夜にはあなたを思うほど Uh UhするのもGLAY
会いたくて会えなくて長すぎる夜に光を探しては一人たたずんでいるのがGLAY
会いたくて会いたくてせめて声が聞きたくて用もなく電話するのが浜崎あゆみ
会いにきて会いニージューなのがゴーバンズ
ぬーん。
おそらくADHDだと思うんだけど(スケジューリング以外にもhttp://www2.ocn.ne.jp/~psyche/addult_diagnosis.htmこの手の基準には非常によく当てはまるし、子供の頃の行動もそのものだった)、とにかく計画を立てたり見積もったりするのが苦手だし苦痛で仕方が無い。
ここまでやれば終わり、みたいなゴールが決まっている仕事ならまだいいのだけど、研究開発みたいな仕事をしているため「そもそもできるのかどうかも分からないしどんな困難が見えてくるか分からない」という状態が常だ(と感じる)。でも企業にいる以上常に計画しろとか進捗管理をしろとかいう話になる。これが非常に苦痛だ。
「よくわからないものに無理矢理線を引く」という計画を立てるときの行為自体がまず苦痛で、それに何か理屈をつける作業が苦痛で、やってみて(想定通りに)想定外だったときにそれを説明するのもまた苦痛だ。正直に言えば、ゴールが明確なタイプの仕事であっても細かく計画していくこと自体が苦痛だ。何が苦痛かというのがうまく言葉にできないが、細かいtodoリストのようなものそのものに生理的に嫌悪感を感じているかもしれない。小さい変な虫が密集していて蠢いている様子に感じる嫌悪感に近いような気がする。
仕事をすればそれなりに(場合によっては凄く)評価されたり転職もうまくいったりするので、何もできないわけではないはずだ。でもスケジューリングは全くダメだ。きちんと計画してその通りに仕事してきっちり終わった、という経験が無い。
意識の高いライフハック的な方法は大体試したか挫折した(チロシンとかも試したが効果はなかった)。理屈はわかるが、実行するのはとても苦しいし無理にやっても持続しなかった。整理整頓するのも苦手(小学校の頃机の中はぐちゃぐちゃだったタイプだ)なので、ざっくり一カ所に集めて全文検索でなんとかするくらいが限界に感じる(俺の甘えかもしれない)。evernoteやmendeleyの全文検索にはかなり救われている。iosのpdf管理ソフトがことごとく全文検索できない(APIが提供されてないっぽい)のがとても困っている。
世では計画性高く仕事をして効率的に定時で帰る!みたいなのが流行のスタイルだ。みんなそんなに苦もなくスケジュールを組めるものなのだろうか。どうやってゴールを見出して、かなり取り組んでみないと分からないような不確定性を見積もっているのだろうか。細かいスケジュール通りに毎日動くということ自体が苦痛ではないのだろうか。
仕事と家庭を両立して云々というのも流行のスタイルであるが、この辺りが苦もなくできる人でないと(それは普通のことなのかもしれないが)とてもそんなことは不可能に感じる。俺はどうしたらいいんだろう。今は、俺はどちらか一方は捨てるしかないのだろうなと思っている。
先日、身体を壊したのですっかり諦めて卒論に励んでいる。
それでもまだ、昨夜は自棄酒をして満足して寝た。
吐き出す人がいないので、ここに記しておく。
何かにつまづくと、自分のせいにしてきた。
例えば、
テストで満点がとれなかったのは、詰めの甘かった
自分のせい。
発表の日に体調を崩したのは、管理できていなかった
自分のせい。
自分のせい。
だから、就職活動が終わらないのも本気で働こうという気力の起きない
その矢先に、ストレス性の神経痛を発症した。
誰もが一度は発症するものだろうが、
わたし自身、それほどまで追いつめられていたのは知らなかった。
わたしはその時でさえも、自身の肉体を
「甘え」だと思った。どれもこれも、体調管理できなかった
わたしのせい、なのである。
生活がままならなくなり、病院に行った。2日も薬を飲めば完治した。
一日部屋から出ずにアニメを見る、起きればゲーセンへ行く、夜は吐くまで飲む。
リーダーを任され、友人も慕ってお付き合いをしてくれるような
真面目系クズだった。学校の成績も良かった。奨学金もドッサリもらった。
だから、趣味のスポーツもやめて引きこもり、ゲーセンへ行っては金を浪費し
酒に弱いのに吐くまで飲むようなことはしなかったし、できなかった。
太陽さえ出ていれば家を飛び出し、友人と走りに行くような
元気で明るく真面目だった娘が突然寝込んで号泣しだせば、そりゃ驚いたのかもしれない。
夜は眠れず、寒いのに汗をかいて、飯はリバース、頭痛に悩まされる。
自律神経をおかしくするのは、誰にだってある、お前だけじゃない。
そんな強迫観念をわたしは持っているし、それを当たり前だと押しつけるこの社会では
というコメントに、少し傷付いた私が、明日の京浜東北線を止める。
と、反応があれば、そりゃ年間3万人が自殺するのも納得する。
わたしはまだまだ療養中と称して、遊んでいる。
ただ、とりあえず絶望感はなくなった。
それだけでも良い数ヵ月だったと思っている。
よい会社にはいって、よい給料をもらって、あわよくば結婚して…
その先でどうしたいの?と思ったときに、何もない。
面接をしてくれる人事の顔を見て「この人生きてて楽しいの?」と
不思議に思い、その途端にどうでもよくなる。
「何してるんだろう」と思う。
それだけ。
きっと言葉にできないどっかの部分で、そういうものを抱えている。
そう思って、大義名分を掲げて甘やかして、どうしようもなくさせているのは
わたしのせい。
伝えたいことが伝わる気がしないとしか思えない経験と関係があって なので電話だと何も発声する気にならなくて(たぶん今更な話だとは思うのだけど) 何から書けばいいのかわからないけど、思いついた言葉からつらつらと書いていきたい 絶望的な気持ちはあるけど、誰にも安易に理解してほしくないし安易に同意されたくもない 自分にできることは他人にできないし、同じ人種だとは思いたくないし思われたくもない。そう思うしかなかった どうしても守りたかったものがあって、それの信憑性がどんどん薄れていく悪夢しか感じない。嘘じゃないのに。守ってきた潔癖さを維持できない。なんのために守ってきたのかがわかんない。 自分が人間として生きる目的は、人間として自分が感じるものを大切にすることだった。感じるものを否定してまで生きる意味がわからない。 価値観は人それぞれ。 価値観の違いだと認識する物事もあれば、価値観の違いだとは認識するわけにはいかない物事だってあるはず。 価値観の差異を包括するレベルでの価値観の差異はどうにかしてほしい。 生きた環境によって価値観が生まれてて、それはいいのだけど、なんで現実主義者は存在するものを否定するのかがわかんない。ぐるぐる 自分の価値観において、日々の選択肢があるのだけど、すべてを聞いてくれるのならすべて説明してやりたいけど。 価値観形成のお話とか本音の話とかしたいなっておもうけど、信頼できる相手がいない。 自分に自信ある点ではたぶん幸せなんだけど、世の中の価値観と全く次元が違うのでつらさしかない 価値観は人それぞれだけど、皮肉でそれを言いたくないよね。人には意図があって、会話である。人間を人間だと信じてて何が悪い(皮肉) 不愉快に感じていることの表明行為には意図があり、様々な議論の余地が別にあるけれど、不愉快に感じる事象に関しては存在する事象と価値観 勝手に人間であることを放棄しないでほしい。悲しい。 自分で自分(の認識空間)に満足しているから誰よりも幸せ。自分は自分を尊敬しているし、生まれ変わっても自分になりたいし、そう言えるように生きた。 人間は退化しかしない。昔は人間を人間だと信じていて、感じていたはずなのに、みんなそれを捨てていく。 自分自身が世界に存在できる価値観を人は持ち、価値観を守るために、人はみな日々の選択肢を選び、一生懸命に生きている。 価値観が極めて偏っている自分だけど、数年前のネット上の振る舞いや表現内容よりは現在の方が、より他人には近づいているものであると思う 伝えたいことを言葉にできない。小学生の時からいろんな考え事と努力があって、取り戻したい気持ちがあって、未だにこんな話しかできない現状があって またふつうの人は自分の人生に興味があって、現実的なことを考えると思うけど 自分にはそういうのを放棄せざるを得なかったことがあって、自分が自分ではないような自分の人生には興味がなくて、 たぶん何言ってるのかわかんないだろうと思うけど、この点でまず生きていける気がしないよねって思う話もあったりして。 他人が使った言葉がとことん嫌いであり、わざと違う言葉を作ってきたのが実際なのだけど。 小学生の時に将来の夢とか書かされたけども、純粋にそれの言葉の意味がよくわからなかった。 けど、今なら当時の夢という言葉の意味は少しわかって、それでなんだったのかというと、 自分の心からの完璧主義思想と美意識と価値観と信念と、自分の伝説を理解されたいだけの人生 それは小学生の時の思いで、具体的な自己表現にはいろんな自己表現があると思うのだけど。 人間を人間だと信じてるけど、誰にも理解されないのは生きてる意味を感じなくて。 生きてる意味を感じないのに生きろとか無責任に言わないでほしい。 例えばまず日本語がさっぱり分からないので、使えたらいいなとか思ったりするわけ。 でもそんなこととか言いにくかったりするし。
http://anond.hatelabo.jp/20140812024445
の続き
「よし、今から1週間排便を禁ずる」
「その間は俺と行動を共にしてもらう。もちろん便所の中もだ。自分でプラグを抜かぬとは言い切れんからな」
「そんな…そんな自分ではしません!お願い!信じて!おトイレくらい一人でさせて下さい!!」
「ダメだ。俺もついていく」
1週間が経過して
「ついに封印を解く日がやってきたな」
「やっとうんちができます」
「ふふふ、君も楽しみのようだね。俺も楽しみだよ。
一週間熟成させた君のうんこがどれほどかぐわしい匂いを放つのか。
いや、それ以上に君の穴からうんこが出てくるところを見たいんだ
どのように穴が広がって皺が伸ばされ、どのように盛り上がって出てくるのか
「プラグを抜くぞ」
チュッ!
「この机にまたがりなさい」
女は机にまたがった
徐々に皺が引き伸ばされ、
そして少しずつ盛り上がっていく。
その姿は悠々とそびえたつ富士のように堂々と、
「美しい…」
そして、その先がぽっかりと広がっていく。茶色い何かが顔を見せた。直後、
ぽとり…
ウサギの糞のようなものが落下した。男は思わず口で受け止めた。
ぽとり…ぽとり…
じれったい…男はそう思いながらも期待と興奮で頭がいっぱいになっていた。
そして、
ズボボボボ!!
蛇が通り過ぎた直後、一陣の風が吹きあげた。
男の精神が崩壊していく。彼は見てはいけないものを見てしまったのだ。
男は狂い、蛇を食べ尽くし、菊を睨め付ける。匂いなど嗅ぐ余裕はなかった。
女は言った。
「ケダモノ!」
しかし、男の耳にはもう届かない。彼は壊れ、すでに廃人と化してしまっていたのだ。
呆然と立ち尽くす男は、その後、精神病院に入れられることになった。当然だろう。このような美しいものをまざまざと見せつけられては…
美しい女の究極の羞恥。それは時に人を狂わせる魔物なのかもしれない…
終わり
ご存知の通り、躁病の時は何も怖いものがなくなり、すごく爽快な気分になり、なんでもできるような気になる。
具体的には親の居ない若い娘を彼女に欲しいと思ったので孤児の支援をするボランティアに参加し、
そこで知り合った娘を強引にゲットした。
親が居るとたぶん親は俺を受け入れることが出来ないだろうということから思いついた計画だったが、うまくいったのだ。
(なんせ無職&40歳という高齢だ。親がいる18歳の女の子は俺と結婚してくれないだろう)
その子は親に性的暴行を受けていたせいか、めちゃくちゃ可愛いのに父親以外の男性を全く知らないという、俺的には処女な感じな子だった。
「なぜ親が居るのに孤児のボランティアで知り合ったの?」など疑問は多いと思うが、
かなり特殊な(俺にとっては幸運な)状況で知り合ったので身バレ防止からこれ以上具体的に書くのは自重する。
で、本題だが、普段の俺は全く積極性がなく人見知りでおどおどしていて、お察しの通り童貞だった。
しかし躁病の時の俺は異様に人懐っこく、誰とでも仲良くなって、いわゆるリア充である。かなりモテた。
複数の女性と関係を持ったが、その中から一番若くて可愛い子を選んだのが今の彼女だ。
しかし彼女いわく、当時の俺はかなり怖かったそうで、すぐに別れたいと思うようになったそうだ。
しかし俺はその後すぐに躁病が治り、普段の俺に戻った。
俺的には躁の時のような全能感や積極性がなくなり最悪の気分なのだが、彼女に言わせるとこの俺の方が大好きなのだそうだ。
おいおいって感じがしないか?
万が一なにかの間違いで話すきっかけができたとしても、たぶん挙動不審&キモい必死さで彼女からしたら気持ち悪くて付き合うなんて不可能だろう。
逆に躁病の俺は自信満々でぐいぐい彼女を引っ張って、色んなところに遊びに連れて行ったりして、
自己満足かもしれないが、彼女は色々経験できて充実した日々を送れていたと思う。
(海外旅行やスキューバダイビング、乗馬や陶芸教室、北海道一周旅行、洞窟探検、牧場めぐり、などなど)
しかし、今では収入は彼女の生活保護費のみなので俺は貯金が減るのが怖いからひきこもり生活。
もちろん彼女はそれに不満で、昔のように色々遊びに連れて行って欲しいという。
「躁病の俺だったらできるよ」と言うと「それだったらいいや」と答える。
今の生活は退屈で不満らしいが、昔の俺に戻るぐらいなら今のままで居て欲しいそうだ。
彼女からしたら、躁病の俺は怖くて嫌いだったが、強引だったので、流されるまま彼女になった。
たまに図書館に行って家をあけるとめちゃくちゃ寂しがるし、
俺はひとりじゃないと眠れないので寝室を別にしているのだが、しょっちゅう俺の部屋に来てすりすりしてくるし、
俺以外の彼氏など考えられないと言うし、間違いなく俺のことが大好きなんだと思う。
つまり、なんというか。普段の俺は30歳後半まで童貞なぐらい女にモテない人生だったのに、リア充になったとたん童貞喪失し女に不自由しない生活になった。
しかし実はそんな俺は人間的には魅力がなく怖い人だった。実は普段の俺の方が彼女からしたら魅力的である。
えーっとつまり、若い女をこましたいだけの悪い男を女は好きになるが、実際に付き合ってて幸せなのは、俺のようなおどおどビクビクしたキモい男である、という事が分かった。
うーん。うまく書けない。言いたいことは明確なのにうまく言葉にできないのでこれで終わり。
超能力者が俺の言いたいことをうまくまとめてくれる事を祈る。
スペック:
■友人A 一番強烈 私はダウン症が少し入っているのではないかと疑っている。
骨格とか顔の作りとか少しおかしい気がする
■友人B 歌手の「秦 基博」に激似 性格はしっかりものなのが救い。
だけどその容姿に似合わぬふわり羽のようなフリフリな服が大好きで無駄な女子力の高さが悲しい。
■友人C 唯一、普通。ただ身長が高くデブなのでこのグループでいると必然的にデブスになる。
私はデブではなくどちらかというとやせ型。顔は判断に困るけど普通だと思う・・・
このグループで旅行いった写真とかを他の友達に見せると以下の反応。
「うわっわたしこの人無理っ(友人Aを指差す 私の友達じゃないと思ったらしい)」
「なんか、この子達 私ちゃんとあわないよね?」
「特にAはヤバイ なんか他の2人はよくいる感じかもだけど Aはヤバイ」
以下、旦那の反応。
「これ、ただの森三中やないかいっ!!」「ブス達の新作写真、はやくみせて!」
旦那はさんざん話してわかってくれてるので、面白がってくれててまだ気が楽です。
森三中バリにおもしろい感じならよかったけど、本人たちは大真面目に女子の道を生きてるもんだから
目の前で「ブス」「デブ」なんて間違っても言葉にできないですが。
3人とも昔からの付き合いだから一緒にいると楽だし、好きなんだけど
旅行行っても写真とかを周りに見せると友達がデブスすぎて引かれるのが悲しい。
写真見せないようにしても友人Bがフェイスブックに写真勝手に上げちゃうし。
類は友を呼ぶなので結局のところ私がその3人で一緒にいることを恥ずかしく思うのは
○朝食:ナポリタン
○昼食:ナポリタン
○夕食:のり弁
ナポリタンを作りすぎて、朝昼にわけて食べた。
○調子
正直よくない。
ゴールデンウィークなんて関係ないのに、ゴールデンウィークが開けたと思うと憂鬱で仕方が無い。
なんていうか、休む言い訳が立たないというかなんというか、かんというか。
放置していた、肝になるロジック周りを整理して、バグを修正してと色々やった。
まあ休み明けにしてはほどほどにやれたと思う。
やっぱりプログラミングは好きだけど、仕事って感覚もあって、なんだかちょっと疲れてきた。
休むために傷病手当を貰って休んでいるのに、仕事みたいなことをしていていいのか? という疑問すら沸いてきた。
大人になって、頭の中で考えごとをするとき、声を出してしゃべるときみたいにはっきり言語化して考えることが子供の頃に比べて増えたなぁとふと思った。
で、それが増えるってことは、その分頭の回転が遅くなってるってことなんだろうなと最近実感する。
もちろん言語は他人とコミュニケーションをとるためには必要なツールであって、思考を整理するためには言語化するのがいちばんなわけだけど、自分の頭の中で考えごとをして物事を処理するときにあれこれ言語化してしまうと、ホントは脳がちゃんと捉えているはずのイメージや情報を、言語化することで削ぎ落としてしまう気がする。さらにそれを頭の中でしゃべるように考えると、本来はイメージで瞬間的に処理できるはずのものが、一言一句を発音するようになぞるのに時間を取られて思考が遅くなってしまっているんじゃないかと。
子供は直感で動くけど、大人になると直感力が鈍るのって、この辺りが原因なんじゃないのかなぁ。
他人とコミュニケーションを取る上で頭の回転を早くするには、非言語で考えたものを瞬発的に適切な言葉や行動に置き換えるという付加的要素も必要になると思うんだけど、こればっかりはそういう置き換えの経験をたくさん積んで、よりよい反応ができるように感覚を磨いていくしかないんだろうな。
言葉にできない怒りがふとした拍子に噴出する。いつまでも持ち続けるのはしんどいという理由で手放したはずの親に対する怒り。書き起こすにもしんどいが、心の奥底には確かにあって煮えたぎっていることを久々に確認したので整理をつけるためにも書き留めねばならない。
多分、私は無条件で親に愛されている自信がない。いつだって、いい子だからとかキリスト教信者でいるからだとか、そういう条件つきな気がしていた。25になって、そうではない自分、自分らしい自分をおずおずと見せているのだが、それに対する親の対応に過剰反応してしまう。
親が自分たちに非があると考えていないところが憎い。自分たちの子育てが正しかったと盲信しているところが憎い。教会の中だけで寛容なキリスト教信者を演じている感がとてもあるのが気色悪い。それでいて自分たちは善人だ、私たちのようにキリスト教信者であれと他人を断罪しているのが納得いかない。
周りのキリスト教信者の子供たちは、幸せそうに同じキリスト教信者として生きている。それに引きかえ、うちはデキ婚・酒・タバコ・異性交遊・夜遊び・キャバクラ通い・パチンコと、子供全員がキリスト教信者とは真逆の生活を送っているが、その発端は自分たちの教育だと自覚しているのだろうか。
きっと分かっていない。罪のせい(笑)とか思ってそう。悪魔もいい迷惑だ。だから私の子育てに対して批判的なのだ。あんたたちの子育てでどんな子が育った?どっちにしろ泣き喚いたりするのは子供によくあることだろうに、私たち姉弟も通ってきた道だろうに、私や娘の人格否定までしてそうで悔しい。
無自覚に排他的な偽善者たち。あなたたちを見ていて、キリスト教信者になりたいとは思えない。非信者の方がよっぽど寛容で親切で真摯で家族思い。それらを切り捨てることはかみさまの教えではないはず。私がかみさまに願うことは、彼らが自分たちの矛盾と向き合う機会がくること。そうならないのならば、彼らの信仰する形での「かみさま」を信じることはないだろう。
思っていたよりもそのスピードが速い。
そもそも僕はこれまで縁が無く、実際に体験したのははじめてなので、混乱している。
何がいけないのか?楽しそうな後輩に僕はうまく説明できなかったのだ。
でも直感が僕に「それはやめとけ」と言っている。
自分の頭を整理するために書きだしてみる。
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・巧妙さについて
・周囲の人間への若干のバレと溝について
・僕が後輩を止めようと少し思っている判断の迷いについて
はじめに書いておくけど、僕はねずみ講は好きではないが嫌いでもない。しつっこく勧誘されたこともなく、どうでもいいものだと思っている。
ただ、考えてみたくなっただけなのだ。
(ねずみ講に入ってるから嫌いになるってことはないよ、嫌いになるとしたら、しつこいあなたのことが嫌いになった時だけだ。って感じ。)
ねずみ講にまつわる被害や苦労やとばっちりやネタ話や都市伝説や防衛反応なんかも、ひとつだけを鵜呑みにしたくはない。
だから、良い機会だと思って、自分の経験から考えてみることにした。
( )内にたまに、書いた時に分かった自分の感覚をメモしておく。
読みにくいけど、基本は自分のために書く文章なので、大目に見てほしい。
その基本以外は、後に同じような出来事に出くわした誰かの参考になれば、と思う。
それは、その人の現状にとても関わりがある。
その人は一言で言ってしまえば、生活が孤独だった。まわりに同年代の友達がいないと嘆いていた。
一人暮らしで、親とは別居。
社員として暮らしているが、遠くから引っ越してきたので、職場と家との往復の日々。
ここまでは、まぁ苦労人だなぁ、たまにいるかなぁといった感じである。
ある日から、その人は嬉しそうに、豪華なマンションに遊びに行くことが増えたという報告をしてくるようになる。
この時点で僕はただ、「同年代の友達ができたのはよかったね」という認識でいた。
しかし、数回その話を聞くうちに、段々とその集団が組織がかっていることに気がつく。
しかしその人(以後Aとしよう)はまぁ、本当に楽しいのだろう。バーベキューやパーティーだの、はしゃいでまわりたい年頃ならば至れり尽くせりである。
豪華な持ち部屋でパーティー。真剣に話せる友達もできた。まぁ、それは今までから考えれば最高でしょう。
美味い話には裏がある、という、親から口酸っぱく言われた言葉のせいかもしれなかった。
なんたってAは、本当に嬉しそうなのだ。本当に嬉しいのだと思う。なぜ僕がAの心からの笑顔に水を差さねばならないというのか。
「高いのだけども、良い品だ」というのだ。それは僕に興味のない品だったので、「そうなのか」と返した。
ついでに、「ローンを組むための、カードの審査を通したい」と言っている。
「なんで?」と僕が聞くと、Aは「空気清浄機が欲しいけど、高いから」という。
その時確かに若い人には、数万は一括で買える値段ではないか、と思うだけであった。
その3日後、「水の浄化機を買った」とその人は言う。
水を一口もらった。水道水よりかは美味いな、と思ったが、僕は元々味に鈍感なので「美味いね」とだけ言った。
「いいんですよ。これが。」
あ、この人はなんかにハマってきてるな、と思った。
(僕は生活用品に高い金を払うのが嫌いだが、明らかに用途が不明なものでも趣味の雑貨を買う癖があって、それの健康志向バージョンかなーと思っていた)
符に落ちた。この時僕はすっきりした気分さえ感じた。知らない部分のブラックボックスのようなひっかかりが、謎がただ一言に集約されていた。きみ、そりゃねずみ講が仕事の企業だ。
「ありゃだめだ、っていう人多いし、評判は悪いけど、ものはいいんですよ」
そりゃそうだろうな、という気分だった。
たぶんAは高級な消耗品を使ったことがない。値段のわりに質が良かろうが悪かろうが比較できないだろう。
っていうか、宝石の原価がバカに安いという話を聞いたので、それなりの物に値段を上乗せするのはお茶の子さいさいだろう。
「秘密にしておいてください」
ごめんね、書いちゃったわ。
(追記:この時僕は「ふうん、よかったね。でも、カード作る時は金利に注意しなよ。ねずみ講の危ないところは、友達をなくす可能性があることだ。「こいつは、自分の金儲けのために自分と友達になろうとしている、そういう下心がある」と思われたら、友達がいなくなるよ」と伝えた。この対応が良かったかどうかは、分からない。ただ、若干キツめに言っておいた方がよかったという反省がある。なにせその後の展開が早かった。)
(そして、ぼくの最大の勘違いは、Aにとっての友達というのが組織の人間だったってことに気がつかなかったことだ。Aにとってこの一言は痛手ではなかった。もちろんある組織に属している人間は問答無用で避けるべき人格の持ち主だ、と断言できる組織を僕は知らない。ただ、友達関係でいることに、組織の力が噛んでいると、その組織から離れられなくなる。そして僕は何がしかに縛られるのが大変嫌いなのだ。買え、食え、入れ、ともっともらしく命令されることに腹がたつ性分だから、そういう意味で、自分が関わるうえでの組織の強制力というのはあまり好きではない。友達との関係に一枚噛まれるなどはもってのほかである。ただ他人の幸せに口をはさむのもなぁ、と思うから、どこまで言おうか迷う。)
その1週間後、複数人で一緒に食事をした時に、その人はサプリメントを飲んでいた。
人にも勧めている。まぁ、と飲んだ知人に、「それならこの水で」という。
おい、秘密にしたいんじゃないのか。なんかの雰囲気がバレバレだぞ。
(同席した知人Bは「水にはまるのは、やばい(信仰宗教的な意味で)」と言っていた。勘が鋭いやつはたまにいる。)
その次の日に「ダイエットでもするかな」と僕が言うと、「あのサプリメントがいいんですよ」という。
「昨日飲んでいたやつか」と僕が言うと、「いや、また別のやつ。野菜一日分が摂れるサプリメントがあって」という。
僕(油と砂糖を絶ってお茶でも飲んでおけば健康体並みには減るだろうと思っているから、サプリメントに興味はないなぁ。)
で、「野菜ジュース好きだから」と返すと、「いいのになぁ」という。
しつこいな、と僕、思う。
言ったこと忘れてるだろ。
ここまでで、僕が、手口について気がついた事はいくつかある。
・組織の人間は多分マジで悪人ではない。(下心の有無はともかくとして←これがまた曲者で、下心などは信じたくないんだろう。楽しく遊べる唯一の友達なのだから当たり前だ)
・徐々に商品を買わせる(方法は不明)
そして、
これは重要だ。
つまり、「ねずみ講だから、やめろ」というだけの説得は無力なのだ。
生活の中の孤独という問題の根の深さと共に、なにが問題なのかということが僕への課題になった。
ところで、僕はAを心配している。元々不安定な状況にあった人間だということは本人から聞いた。
どこまでハマるかわからない。まぁ、それだけといえばそれだけだから、僕はAがあっちにいこうかどうかなんてどうでもいい、と思ってもいいのだ。
そして、引力に逆らう理由も、考えなければ言葉にできないな、と思った。それは、ぼく自身についても危険かもしれないな、と思った。
で、いまは、周りの人間の反応をみているところだ。
ともかく、そんな感じでバレバレなので、まぁ勘の鋭い知人はチョっと検索して「おやこれはあの企業」というところまでたどり着いてしまった。
こうなればあとは時間の問題である。僕が一番危惧しているのは、Aがあるグループ以外からはますます孤立を深めてしまうことだ。
(ある集団と「しか」繋がれないというのは、どこにも繋がらないよりかはマシだが、相応に孤独なものだと思うから、できるだけ僕個人はそれを避けたい。僕は個人として「会いたい」と思ってくれる人間と話すのがとても心地よく好きだし、呑む時にできるだけ今ある組織や社会性に干渉されたくない。)
そうなればAは集団の中にグングンのめりこんでいくであろう。すでに若干Aの一言一言がしつこいので、僕に売り込みという「実害」をもたらすのも時間の問題である。
僕はその時Aを嫌ってしまうだろう。致命的に嫌ってしまえば、その人間と一緒にいることは苦痛になる。僕はそれが嫌なのだ。