2016-01-12

匿名ということ

 ツイッター匿名性が心地よいと感じていたのに、気づけばそうもいかなくなってしまった。ブログをやっていた時代も、気づけばコミュニティ形成されて「これを書いてしまったら、○○さんが傷ついてしまう可能性がある」と頭をよぎり、あえてぼやかすことが何度もあった。でも、それを悩んで三日くらいして何も告げずブログを削除し、アカウント自体を消した。なかったことにしたのだ。それによって、何かが起こることはないし、その期待はなかった。知らない間に知り合いのブログが消えたり、親しい人が何も言わずブログを消すのだって自由だよな~と思いながら去っていく人をみていたからかもしれない。

 ここ最近ツイッターである本音を書いてしまった。我慢していたことを、あえて言うには理由があった。けれど、画面の向こうの人はそれを知るわけがないし、知ってどうなるわけでもない。そうなると、私の言葉に対して「これだから~」と空リプもどきをしてくる。被害妄想といえば、それでいい。それでも、なんだか居心地が悪くて、ツイッターをやる意味コミュニティとは何かを考えてしまった。

 ブログもこうだったし、ツイッターもこうなると、一体どうなるのだろうか。今後私はどこに思いを乗せれば良いのだろうか。そう思うと、言葉にできない感情で押しつぶされそうになる。共感同意が欲しいわけじゃない。むしろ批判されたっていいと思っている。だって匿名から、それが大きいのではないだろうか。

 けれど、文字にすることでしか発散することが出来ないからという理由で書き続けてしまう。ネットにあげてしまう。もういっそ紙に書いて捨てるようにすれば、このモヤモヤとは切り離されるのだろうか。そもそも、共感とか欲しくないといいつつネットにあげる時点で、私はもうだめな人間なのだと思ってしまうのだ。

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