自分が言いたいことを書くということをとにかく意識する。少しでも魔が差して意図的にバズらせようとする下心が生じるといつのまにか本当に言いたかったことよりもふんわりとしたキャッチーなことを書き連ねるになっていきそうだから。
分かりやすさは大事。ただその傾向が度を越すとこれまたバズらせる方向に足を突っ込んでいくことになる。パソコン読者に忖度したような不必要な改行。内容とは無関係な文章のリズムの追求。俺はそういうことがしたいんじゃない。句点で文を区切ること自体は文章をひらがなだけでなく漢字も交えて書くような最低限の様式というものだと思うが、そういうことも度を越すと単に読まれることを目的としたあざとさを帯びるようになるだろう。わかりやすさとバズりやすさは一方が後者を兼ねるような関係ではない。重なる部分もあるが位相がずれている。そこを意識してわかりやすさ、つまり自分の言いたいことが一番正確に伝わるような文章のみをときどきに応じて追及しなければならない。俺の言いたいことに関心があってついてこれる人だけが読めばいいのだ。
バズらせることが目的に混ざっていてはいやしないかと思ったら改行とかしないで書くようにしている。一番分かりにくく書いてる位置まで戻ってきて、もう一度分かりやすさを追及していく方向へ純化していくことができると思っている。
増田には求めなければ親切な人がおおい
そして親切心が書き手に正しく役立つにはそもそも書き手の書いた文と言いたいことが照応してなきゃいけないんだよな。でも少し油断するといっちょまえにタイトルつけてみたり小賢...