布団の中でスマホをいじってSNSで世相を斬っている限り、『正しい』アカウントでいられるでしょう。また、フォロワーが影響を受け、『正しい』認識を身に着けるようになるという点では、社会に対して良い影響力をもたらすこともあるでしょう。しかし、かねてより左翼が多いとされる『はてな』のユーザーであれば共感できるかもしれませんが、ここ15~20年の、個人発信の環境がブログやSNSと変遷してきた状況において、左翼の課題は『現場にどうつなげるか』や『運動をどう継続していくか』ということに結局帰着します。
社会運動を組織し、地方議員とのつながりを築き、多様な生活困窮者と接触するようになると、原則論だけではどうにもならない場面が出てくることや、運動内マイノリティ問題が発生し、運動が疲弊していくことがあります。それでも、原則を参照して進むしかないのですが、このような困難はかなり重たいものです。実際に、メンタルとフィジカル両面の健康を害し、リソースをSNSでの『論争』にまで割けなくなり、SNSではほとんど沈黙するようになった友人を数多く知っています。回復のためには『布団の中』まで退却する場面があっても、『SNSだけの正義の人でいいや』というところまで後退しないだけの、尊敬すべき精神を持っているがゆえの沈黙であるとも言えるかもしれません。
こうしたもどかしさをここ数年感じていたところで、『布団の中から蜂起せよ』が華々しく刊行されました。一読させていただきましたが、このSNS時代に『正しい』とされる在り方がことごとく踏まえられており、見事に『正しい』本でした。SNS左翼がこのように『純化』されつつある気配は感じていたのですが、こんな題名は単なる開き直りであり、一種の自死のように思えて受け入れがたいものです。SNSを見渡し、『正しい立ち振る舞い』を学んで、布団の中からSNSに発信する限り、ほとんど間違わないでしょう。「運動」「現場」に関わらなければずっと正しくいられるのです。
思えば、反原連は国会前に数万人集めましたが、体制はそれを脅威にもしませんでした。決まった時間に解散するのがわかっていたからです。「蜂起」がもはや布団の中にまで後退した時代となれば、体制は永遠の春を享受することでしょう。
ジャンプ関連で騒いでた痛い女って印象しかない
AIによる書評?
思えば、反原連は国会前に数万人集めましたが、体制はそれを脅威にもしませんでした。決まった時間に解散するのがわかっていたからです。「蜂起」がもはや布団の中にまで後退した...
高島はアジることしかしないけど運動の現場でうっかり「ターフ」と同席したりしたら容赦なく潰しにかかってくるからね。「国」が誰かを支援するのにもリソースが必要なんだけど、...