はてなキーワード: 深い闇とは
腹の底では思ってるけど、大っぴらに声に出すと周りの人間と揉めそうなことを増田に吐き捨てたい
溜まってきたら追記する
私はスキが多く、人に付入られやすい性格だと自分がいちばん分かっている。
ただそれを、自分が「演じている」、「まだ御せる」と思ってしまったのが今回の敗因にいちばん近い。
気がつけば私に付け行ってきた奴らに聞きだされた情報が勝手に立ち歩き始め、尾が付きヒレがついて私は孤立してしまった。
いや、孤立したと感じた時点で負けへの道をひた走っていた。
強くあろうと決めた自分の心に背を向け、守りに入ったところですでに勝負が終わっていた。
ぎたぎたにしてやれば良かったのに。
失うものなど何もなく、人間関係は勝手に雑草みたく生えてくるものだと信じていた強さが私にはもう無かった。
ぎたぎたにしてやれば良かったのに。
孤立したことがこれほど心に痛みを与えるのなら、私はもっと早い段階で誰かに助けを求めるべきだったし、
それでも今も「じゃあ誰が助けてくれるっていうんだよ?」という猜疑が消えない。
実際。ただの内輪もめだよ、そこに猜疑なんて表現を使うのもおこがましいけれど。
ただコトがデカくなりすぎて私の手には負えなくなってしまった。
喧嘩を売ったのは確かに自分だったんだけど、見境がなさすぎた。
今になればもう少し受け流して耐えるべきだったのに、私の辞書には「耐える」項目が無い。いつだってすぐ逃げるし、目をそらす。それでも瞬間的に逃げてる自分がイヤで、目をそらしている自分がイヤで立ち向かってしまう。それがいけない。
逃げるなら時速150キロぐらいで逃げ続ければいいし、受け流す方法もそろそろ学んだほうが良いと、わかっては居るんだけどねぇ。
なんか人間性を否定してくる女とは全くうまくいかない。アドバイスおじさん、おしゃべりクソ女、井戸端会議。
黙って仕事しとけ、ボケが…お前らにそれぞれ悩みがあるように私にも深い闇があるんだよ。障害者は免罪符ではないが障害者の気持ちが誰にわかる?
夜の明かりのない雨の高速道路をひたすらかっ飛ばしてるような気持ちで3ヶ月ぐらい過ごした。障害物やカーブに気をつけて運転するだで精一杯だった。
だったのになあ。
あの女、終生忘れることはないだろう。
「私は悪くないし何も知りませーん!」そういう最終奥義みたいな自己防衛が出来る態度、どっから出てくるの?
愛されて育つと自己肯定感が爆発するの?承認欲求とのカクテルで須らくメンヘラになるの?
メンヘラは社会に出てこないで欲しい。褒めるためにもリソースがいるし。
正直わかりません。
「誰かは見ててくれると思うよ」
はい。
抜けないってそういう意味ではなく。
愛も知らず 君を信じて 夢も知らず 僕は泣いていた
アダルトゲーム『水夏』の主題歌、FRAGMENTの歌詞である。僕はこの歌詞を折に触れて思い出す。その度に良い曲だな、と思う。
僕にも当然、かつて愛というものがよく分からない時期があった。
そして愛というものがよく分からないにも関わらず、誰かを愛していた時期があった(なおかつ、その事に無意識でいられた時期があった)。
誰かを愛しているのに、愛が何かも分からない。そして、誰かを愛しているにも関わらず、その事に気付いていない。
それは、何だかまるで夢の中を彷徨っているかのような時期だった。確かに夢を見ている。でも、それが夢であることには気付いていない。夢というものがどんなものなのかも分かっていない。
今でもそんなことを繰り返しているのだろうか?
自分ではよく分からないけれど、昔よりは誰かへの愛情に自覚的になったことは確かだと思う。かつてのように、まるで夢を見ているように、無自覚に誰かを愛することはなくなった気がする。
FRAGMENTの歌詞は次のように続いている。
何も見えず 君と歩いた 深い闇の中を歩いていた
僕は初めてこの歌詞を聞いた時に、歌詞を聞き間違えた。次のように、聞き間違えてしまった。
何も見えず 君と歩いた 深い闇の中を歩けた
全然意味が違ってしまっている。それでも、僕は深く何かに打たれた。
深い闇の中を歩いているということは、深い闇の中を歩けるということなのだ。そう思った。
僕はこの歌詞を折に触れて思い出す。
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話題の映画「ジョーカー」を観た。3日間もの間、印象的なシーンが鮮明に再生され、日常生活を送りながらも映画の中の世界が頭から離れなかった。観賞中は息が詰まるような緊張感が続き、ショッキングな描写に気持ちは激しく動揺した。
これは一体どういう映画なのだろう。なぜこんなにも強く私の脳内を占拠したのだろう。これは議論を呼ぶ名作なのか、はたまたただのトラウマ体験なのか。作品に散りばめられたエッセンスから頭をよぎった監督たちの紹介とともに答えを探っていきたい。
まず系譜としてはマーティン・スコセッシなしには語れない。スコセッシは言うなれば妄執の父である。社会が見せる夢に取りつかれた青年が現実と妄想の間でもがく、という題材をひとつのテーマとしている監督だ。アメリカンドリームを皮肉たっぷりに描き、鬱屈した現実とポップな理想を同居させ、若者が狂信的な思いを貫くことで結果的に社会がカウンターパンチを食らう、という内容に特徴がある。主人公にはしばしば常識や倫理観が欠如しており、それが社会との隔絶や陰惨な事件を起こす引き金となる。「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」でうだつの上がらない妄想癖の男を演じたロバート・デ・ニーロが「ジョーカー」で今度は人気番組の司会者を演じているのも意図的な皮肉だろう。社会の片隅で生きる男が自意識を肥大させて全能感を獲得するという構図は明らかにスコセッシに倣ったものだ。
だが、スコセッシ作品と比べると「ジョーカー」の方が観ていて受けるショックは大きい。はじめから狂気じみたスコセッシの描写する青年と違い、「ジョーカー」の主人公アーサーは特殊な障害こそあるものの、それなりの分別を持って慎ましい生活を送る恵まれない男なのだ。尊大さよりも不遇を強く感じさせる分、彼が段々と堕ちていくのを見るのはつらい。
似たような余韻を残す作家で連想するのはダーレン・アロノフスキーだ。アロノフスキーは絶望の職人である。こちらも現実と妄想の対比によって物語が進行するが、えげつないほどの乖離や物理的に後戻りのできない状況を生み出すことによって観客もろとも登場人物を絶望へと叩き落とす。往々にして個人における心理状態の変化に焦点が当てられ、描写に肉体の変容を伴うのが特徴だ。職人と称したのは、映像や音楽を神経質なまでに駆使して恐怖や落胆、憧れといった感情を煽っていく技巧派スタイルからだ。その画面は暗く、重く、そして美しい。「ジョーカー」を観て「レクイエムフォードリーム」や「ブラックスワン」を想起した人も多いだろう。アロノフスキー作品同様、「ジョーカー」には喪失そのものを賛美する鎮魂歌のような要素がかなりある。観客に登場人物と同じ夢を見させた上で、それが緊張とともに深い闇に飲まれていく過程をただただ美しく映し出すのだ。
では、「ジョーカー」の監督であるトッド・フィリップスの独自性はどこにあるのか。それは、社会的にインパクトのある題材を濫用し刺激的すぎるほどリアルな描写にこだわっているにも関わらず、全体として悲壮感を打ち消しにかかっているところにあるように思う。まさにジョーカー的とも言える、悲劇か喜劇かは主観次第、というのを地で行くような趣きがある。スコセッシが愛に飢え、アロノフスキーが闇を愛でる一方で、フィリップス節はなんとなくはじめから終わりまで人々の孤独が平行線のまま、深刻なのにどこか表面的で、楽観していて投げやりなのだ。
過去作の「ハングオーバー」でもトッド・フィリップスはそんな調子だった。いたずらに過激なモチーフを画面に持ち込み、場当たり的に対処していく。物語は緻密に構成しながらも強いテーマ性は内在させず、作り手としての態度はどこか楽観的だ。調べてみるとドキュメンタリー出身とのことで合点がいった。おそらくは観客を引きつけておく演出は最大限発揮しながら、事象としてはすべてありのままを受け入れる、ということである。男子寮、バチェラーパーティー、そして今回のジョーカー誕生といい、悪ふざけと相性の良いトピックを選んでいるのもきっと彼らしさなのだろう。待てよ、よくよく考えれば彼の切り口は「やりすぎ男子」そのものじゃないか。
だとすると、やはり「ジョーカー」という作品は社会的意義を議論するには不向きな映画だろう。映像表現に長け、社会をありのままに捉え、悪ふざけを好むトッド・フィリップスという監督が、人々にトラウマを植え付けるほどやりすぎてしまった結果できた映画なのではないか。社会問題全部盛り、過激表現マシマシでありながら「そういうこともあるさ」と爽やかに言わんばかりの演出にはそれで説明がつく。それは確かに時代を反映しているかもしれないが、風刺の意図や分かりやすいメッセージはおそらくそこにはない。
新時代のやりすぎブラックジョーク、それが私の「ジョーカー」に対する結論である。
※ 本当はクリストファー・ノーランにも言及したかったが、うまくまとまらなかったのであえて割愛した
グラブルが好きだったオタクの自分語り。大体愚痴。グラブルが好きな人はこんなもの読んでないでグラブルやってください。
オチから言うと、グラブルすごい好きだったけどここ2,3ヶ月くらいで一気に冷めた。
グラブルやってる人ならなんとなくわかると思うんだけど、まあ最近すごいよね。自分の場合はやっぱ6月これグラでのキャラ調整中止がトドメを刺した。
何にってそりゃボーダー爆上がり古戦場からの軽量版削除からの鯖落ち古戦場でほぼゼロになってたモチベにね。
グラブルを始めたのはたしかモドリカツウォヌスのイベントの時だった。サポーター石の加護はフレンドじゃないと効果がなかったし、サポ石欄には属性40%石とかがゴロゴロ転がってた。
風はほとんどアナトだったしフレンドのヱビスによく世話になった。
マグナ編成完成とかどれだけかかるんだって思ってた。十天加入なんて夢のまた夢みたいな話だった。
ティアマグが最初に確定流し出来るようになった。よく語られるグラブル一番楽しい時期、マグナ確定流しの時期だった。正直それでも周回きついと思ってたけど。コロ短剣、ユグ拳、その他SR方陣武器、ガチャ産武器、ありがとうな…
アンチラ事件とかコルワハレゼナとかもあったな…DOもちょっとだけやった。ザ・ワールドとも2回くらい戦った。
その後ブラック企業に就職してゲームをやる時間が取れなくなり、しばらくブランクを空けて、転職を機にグラブルを再開した。
これが去年の2月頃。
それはそれは浦島太郎だった。
まず140石にビビった。必死こいて確定流ししてたマグナをワンターンキルできるようになっていた。え?バハルシは?130%?あ、そう…セラフィックウェポン?アーカルム?新石マルチ?なんそれ…
よくわからんけど復帰前に自分には手の届かないコンテンツだと思っていたバハ武器がイベントで貰えると知ったのでとりあえずバハ短剣を貰った。
まあマイペースにやろうと気が向いたときにちょっとずつ触っていた。いつのまにか日に5時間ほどグラブルをプレイする、一般的な騎空士になっていた…
ストーリー見るのも楽しかったし、イラスト集も全部買ってたし、サントラも買ったし、二次創作も楽しかったし、友達や団員と編成の話とかキャラの話するのも楽しかった。コラボカフェにも行った。たぶんものすごい脳内物質が出てたと思う。
グラブルに、運営チームに、KMRに、感謝していた。3月までは信者だったと思う。
4月、エイプリルフールのナゾブルはストレスと10000石を残した。
普通にクイズがわけわからんのに加え、先着順で10000石配布とか言うので、絶対に無理だとわかっていながら夜中に謎解きを始めた。
ナゾブルの答えを見たときと「先着順は嘘でした!」というお知らせを見たとき、完全に同じ顔をしていたと思う。は?という顔。は?しか残らなかったコンテンツ。深い闇は普通に楽しかった。
ルシNはまあいいとして、ルシHはもともとやる気はなかった。じゃあセラフィック4凸するか!と勇ましくマルチに向かうも、まあその…あれだろ。
初めての四大天司連戦部屋は途中で悲惨なことになってきたので(時間がかかりすぎてて退出者がポロポロ出ていた)退出した。自発はしてない。
ちなみに最近野良の四大天司に入ったら途中からどんどん速度が落ち、ふとログを見たら自分ともう一人しか殴っていなかった。というかおそらく自分が殴ってるからもう一人も抜けるに抜けられず、その人が汁飲むから自分もこいつだけ残して抜けられないなと思っていた…四大天司にいい思い出、無し…
まあそれで、軽量版削除だ。その少し前に雫ステージを廃止すると言いながら中止したことを覚えていたし、ネットが荒れたこともあって軽量版削除も中止されるものだと思っていた。実際に削除されるその時まで…
削除前は「ボイス聞きたいから通常でやってることも多かったしまあなんとかなるやろ」と思っていたが、周回とマルチで通常強制はかなりストレスだ。
連戦に参加するのをやめた。
土はマグナ4凸程度だったし上述の諸々でモチベが下がっていたので気合いはそんなに入っておらず、鯖落ちしたときも少し祭りのような浮かれた気持ちでジオがトレンド入りするTwitterを眺めていた。
ただメンテ明けの告知が雑だったことと2日目の補填無し、予選延長なんかに対して不誠実だなと感じた。
この古戦場関連で一番アレだと思ったのが、プロデューサーの特例対応だった。あっふーん、そうなるんだ。なるほどね。そういうのあるんだ。
プロデューサー飲み会の件については自分には不明な点が多いので特に言及するつもりはない。
そして来るこれグラ6月号。
古戦場への言及が無かったことと予告していたキャラ調整中止を見て、なんというか、ついていく気がなくなった。ああそういうスタンスなのかと。
ゲームに不満は多いがいつか何かしら改善されるだろうから、と期待していた部分が瓦解した。これ何も改善される余地がないなと悟った。
それから武器集めも石強化もランク上げも面倒になって、ログインだけするようになった。ちょっと気が向いてやろうと思ったりしたこともあったけど、渋いドロップを見るとやっぱやんなくていいなと改めて思うだけだった。
そのあとは別のゲームを始めたり新しいことを始めたりして、怒濤のようなスタレサプチケ乱発や謎のBAN(BAN自体はいいことだと思うけど)なんかを眺めたり、月末イベのイルカにドン引きしたりして今に至る。
ここ数ヶ月で色々なことがあって、その時は憤ったこともあったと思うけど、特に自分の中で印象的な上述のこと以外はもう盛り沢山すぎて忘れた。
おわり。
タイトルについては、「アルジャーノンに花束を」の主人公が手術でものすごく頭がよくなって最終的にもとの状態に戻った、というストーリーの読後の感情(小説の内容ではない)と、熱中したグラブルに急激に冷めた自分の今の感情がなんとなく似てるなと思ってこういうタイトルにした。好きな人を不快にさせたらごめん。エタラヴは初めて最終したリミ武器だった。
「マンガ大賞2019」を受賞し、テレビアニメ化も発表された「彼方のアストラ」だが、
改めて読み返してみるといろいろ気になる点があったので、増田に書いてみたい。
なおネタバレ全開なので未読の人はぜっっっったいにこの先を読まないように。
以下本文。
3巻#22~23で、ルカ・エポジストはインターセクシャル(男性性と女性性両方を持つ人間)であることが明かされる。
そのあと4巻#33で、B5班メンバー全員が実はクローン人間であり、ザックの父、ジェド・ウォーカーの研究である「記憶の移植」技術で、オリジナルの人間が記憶の移植を行って若返りを行うために人為的に作られた存在であることが明らかになる。
このとき、記憶移植は同じ遺伝情報を持つ体でないといけない、とザックによって語られている。
ところが、そのあと#34で、ルカのオリジナルであるフェリーチェ・ジェンマが登場し、ジェンマは、「男女両性のクローンがほしい」というリクエストを出したので、キトリーの母であり医師であるオリーヴ・ラファエリは遺伝子操作を行ってジェンマのクローンのルカを作った、と語られている。
そうすると、ジェンマとルカの遺伝子は完全には一致しないわけだから、作中の情報に従えば「記憶の移植」はできないことになる。
もしかすると作中で語られていないだけで、規定値以上の遺伝子一致率があれば移植可能なのかもしれないが、少なくとも「仮に移植に失敗すれば我々は死ぬ」と作中で語られており、慎重に事を運んだような描写があるのに、なぜわざわざ移植成功率を下げるような遺伝子操作をしたのかについて明確な記述がない。
ジェンマは変わり者の芸術家という設定なので、「どうせ若返るならインターセクシャルになりたい。その結果移植に失敗して死んだら死んだで別にいい」という、享楽的な思考の持ち主なのだ、と解釈すれば一応矛盾はないが、疑問が残ることは確かである。
ルカの戸籍上の父親マルコ・エスポジトは、闇献金疑惑が語られ、ウルガーの兄の死にも関わっていることが示唆され、いかにもなにかを握っていそうな描写がされていたのに、結局のところ(作中の情報だけを見ると)クローン人間作製にもクローン抹殺計画にも関わっていない。
ジェンマから「お金あげるからこの子引き取って」って言われたから引き取っただけの人だ。
というか、本作の終盤で明らかになるように、世界政府がまじヤベーやつ(歴史を改竄したり過去の文化を葬り去ったり)なので、むしろ「ゲノム管理法」反対派だったというエスポジトは逆にいい奴なのでは? という気すらしてくる。
そもそも、「ゲノム管理法」も作中どういう法案なのかについて詳しく語られないのでよくわからないが、字面だけ見るとかなりヤバイ法案にしか見えない。
最終話で断片的に語られている描写から想像を膨らませてみると、「世界政府って、実はちょっとやばいんじゃね? なんか隠してることあるんじゃね?」ということにうすうす気づいていた側の人間なのではないかと思える。
ただ、上記の話は、振り返って冷静に考えてみるとそうかもって思えるというだけで、普通に本作を読むだけだと、ルカにも冷たいしウルガーの兄も殺したかもしれないしで悪い奴にしか見えない。
どうしてこういう描写になったのだろうか。
いかにも悪そうな奴という感じでミスリードを誘うためのキャラとして出しておいて、かといってわざわざページを割いて名誉回復を図るほどの重要人物でもないのでそのまま描写を省いた、という解釈でいいのだろうか。
もうちょっといろいろ気になるところがあるんだけど長くなったのでいったんここまで。
https://www.asahi.com/articles/ASM2W4FSFM2WUTIL01J.html
うーむ。これは医師免許剥奪ものだな。これとちょっと周辺状況は違うんだが、俺の体験した話を書いておく。
もう10年以上前、あるバーで飲んでいたときのこと。俺と、このバーでちょくちょく出喰わす若い医師しか客がいなかったのだが、二人連れの女性が入ってきた。片方はちょっとキツめでしっかりめ、20代後半という感じ、もう片方は丁度アナウンサーの田中みな実(が演じてる?)みたいな男受けの良いブリブリっとした感じの20代前半。
20代後半が俺の隣に、田中風が医師の隣に座った。このバーはいわゆるオーセンティック・バーで、カジュアルに話して騒いで盛り上がって、とかいう店ではないのだが、田中風はすぐに医師に話しかけ、医師の方もまんざらでない様子だった。俺はうるさいのが厭だったので、ぽつりぽつりと20代後半と話していた。
医師は自分の仕事のことを話していた。いやー夜眠りもせずに徘徊したり、暴れたり、まあ色々あるんだよねー、みたいな話ね。
「でさあ、そういうときにはこんなの出すんだよね」
と、医師は懐から錠剤のパウチを取り出して、田中風の手に取らせて見せていた。
「べ……べげたみんびー?」
薬の名前を田中風が読んでいるのが耳に入った。おいおい、それマズいだろう。このベゲタミンBって薬、2年半程前から使われなくなったのだが、クロルプロマジン、プロメタジン、フェノバルビタールのカクテルで、普通の人が飲んだら二日位は寝たまんまになるという代物だ。俺は自分がうつになったことがあって、そのときにこの手の向精神薬を徹底的に調べていたので知っていたんだが、医療従事者以外だとそういう経緯のある奴かクスリマニアでなければ分からんだろうが。
そうしたら、田中風……やおら錠剤を取り出すと口に放り込んだのだ。俺が田中風と薬をガン見していたので、20代後半もこれを見ていた。俺が「アカン」と言った刹那、20代後半は田中風の首根っこを掴んでトイレに引き摺っていった。
しばらくして戻ってきた20代後半、俺に、
「口に手突っ込んで吐かせました。飲んではいないと思うけど」
「まあ……でも酒飲んでることもあるから、家に連れてってやった方がいいと思うよ」
と言うと、20代後半は俺に礼を言い(いや、礼を言われるようなことは何もしていないんだが)、田中風を連れて店を出たのだった。
今回の被害者は純然たる被害者だと思うんだけど、こういう女性もいるんだよな。何故わざわざ自分からいっちゃうのか分からないんだが……あの田中風、実は深い深い闇を抱えていたのかもしれない。
↑日本人とは言ってない
時給400円で深夜まで奴隷労働 「メイド・インジャパン」は外国人技能実習生の犠牲の上に成り立っているhttp://b.hatena.ne.jp/entry/342894528/
「助けて下さい」技能実習生が”手紙”で日本政府に訴えhttp://b.hatena.ne.jp/entry/329265267/
岐阜縫製のベトナム人女性が相談できない理由、孤立する技能実習生(1)”奴隷労働”でも「相談先ない」http://b.hatena.ne.jp/entry/320813017/
愛媛のアパレル工場“蟹工船”中国人研修生http://b.hatena.ne.jp/entry/20959910/
京都の繊維工場に時給「25円」で月400時間労働させられたバングラの技能実習女性http://b.hatena.ne.jp/entry/139778470/
熊本の縫製会社で人権侵害や強制労働http://b.hatena.ne.jp/entry/24881874/
厚生労働省“ブラック企業リスト”が見せたアパレル業界の深い闇http://b.hatena.ne.jp/entry/338534491/
「幸色のワンルーム」が批判されている理由って、自分が「魔法使いの嫁」を好きになれない理由とおおむね一致する。
あの漫画、魔法使いの男が奴隷をお金で買って嫁にするなんて話だもん。しかもそれで、買われた女の子が居場所を得て満たされる。とても似たような話だよね。
金銭で奴隷を買って嫁にするっていうのは、比喩でも何でもないそのまんまの意味で、海外では現在進行形で行われてることだからな。
そして、「魔法使いの嫁」を取り立てて批判する気にはならないのと同じような理由で、「幸色のワンルーム」を取り立てて批判する気にはならない。
同じような理由で好きになれない作品というのはいろいろあるが、それらはかなり高い割合で女性向け。「魔法使いの嫁」だってグッズ展開とか見る限り女性受けが強く意識されているし、件の「幸色のワンルーム」も女性受けがいい作品だし。
これは、女性が奴隷になりたいとか誘拐されたいと思っているという意味では全くないと思うんだけど、その論理を理解することができない人はたくさんいるんだよね。真面目に話を進めたところで、人間は相互理解不能なのだ、という結論しか得られない。
そうなると、事件を揶揄する人たちが悪い! 被害者を守れ! という、それはその通りなのでは? という話しかできないし、それ以上に突っ込んだ話は絶対にできない。突っ込んだ話をするには、女性の欲望をいかに理解するのか、という話が不可欠だから。これは、少なくとも公に議論することは無理だろう(特にネット上では不可能だ)。
当たり障りない範囲で書くなら、例えば「魔法使いの嫁」について、男が女奴隷を金で買って嫁にしようという(しかもそれで女の子が居場所を得て救われる!)漫画なんて読むもんじゃありません、という説教を子どもは果たして聞くのであろうか? ということだね。あるいは、現代における奴隷の売買がリビアあたりで現実にどういう感じで行われているのかを子どもへ詳細に話してあげたとして、そういうのが子どもにとって良いことなのかどうか、とか。
そんな説教を素直に聞いて読むのを止めてしまう子どもは、別の意味で大変な問題を抱えていそうだなー、と思うわ。
その居心地の悪さにどう対処すればいいのか、という問題への現実解が、被害者を守れ、なわけだ。それはそれで大変いいことで、被害者を守れという呼びかけには、反対する要素も、議論すべき要素もなにもない。まったくもってその通り。被害者を責めるのはダメに決まっている。
この考え方を採用すると、文字通りの意味で「男が金で奴隷を買って嫁にする」ということは日本でほぼ起きていない(比喩であればいくらでも言えるだろうが)ので、日本で「魔法使いの嫁」を読むことは許される。よかったね! ……あー、やっぱ嫌いだわ、あの漫画。
ちなみに、奴隷やら誘拐やらの男バージョンがいわゆる異世界転生だと思う。男の場合は死んで世界を変えてしまうところまで行かないとならないあたり、真面目に考えるとけっこう深い闇なのだとは思うが、だからといって批判する気にはならない。気晴らしの空想すら許さないようでは息が詰まってかえって良くないし、実際に異世界転生するために死んだりしたらダメだぞ、って話をする気にもならん。カルト宗教での洗脳環境ならともかく、小説を読んだだけで「俺は死んでファンタジー世界に行くのだ!」とか、「アイツは死ぬことでハーレム世界へ飛び込むことに成功したんだ!」と本気で考える精神状態なら、必要なのは説教ではなく病院での診察だし、環境も変えずに本を読むのを止めるだけで良くなるという発想は大変危険である。
そうそう、こないだの先行上映で見た「万引き家族」は、話の作りが上記の作品群よりだいぶ良くないと思うんだよね。こっちは批判する気になる。
あの映画も幼児誘拐の話で、ストレートにそれを肯定するわけではなく、どう評価すればいいのかわからない、という体を取ってしまっているのね。
いや、それダメだと思うんだよ。どう受け取ればよいのか分からないという体を取れば、加害者への同情を誘うような見せ方をしても許してもらえるだろうというスケベ心が見え隠れしてる。妄想丸出しの「幸色のワンルーム」などよりも遥かに巧妙な描き方をしているだけに、結果的によりたちが悪くなっている。
もし仮に誘拐することによる「救い」が実際にあったとしても、そんなもんは社会には不必要なものだし、そういうのは政府機関とか、法的に許可を取った団体とか、個人がやるにしても分をわきまえた形でやることだ、ってのが現代社会の結論だよね。
仮に捨てられた人が捨てられたまま死んだとしても、それは政府とかが悪いのであって、見かねて法を破って救うとかありえないから。法を破らないことで死んでしまった人が居るんだとしたら、安らかに死んでくれという祈りを捧げるくらいしかやれることはない。誘拐が人を救うなんて9割9分9厘9毛はウソだし、もし1毛あったとしても、それは少数例外なんだから忘れた方がいい。そんな人たちは存在しないと思っておいた方が「健全」だ。
だからあんな中途半端な描き方をしているのは大変によくない。最初から「幸色のワンルーム」みたいな甘い空想の世界にしてしまうか、でなければ観客を寄せ付けないほどの厳しさが必要な物語だった。どっちつかずが一番困る。
もう少しきちんというと、そういう1毛未満の例外者を描いているにしては、描写が観客寄りすぎるんだよね。ボロボロ涙流して感情を吐露し始めるところとか、言ってることの内容は観客の期待するまんまな上に、演技が上手すぎる。あれはもう少しどうにかならなかったのか。観客が加害者を理解するための筋道の提示が巧妙すぎて、映画に没入しながら見る分には加害者の複雑な心情を見ている気分になるんだけど、客観的に考えれば安易で危ういものになっている。
もし「幸色のワンルーム」が被害者の居場所をなくしているというのであれば、「万引き家族」もその批判から逃れられるようなものではないだろう。
とはいえ、映画としての評価は別。映画は話の内容ですべてが決まるわけではないからね。
「万引き家族」は役者の演技も撮り方も凄まじく上手くて、(幼児誘拐をダシにはしているが)家族の絆のあり方を問うという目論見はうまく実現されており、全体として主題の表現の仕方が優れている。だからパルムドールも納得だし、自分も好きではないが大変良い映画だと思っている(一応書いておくが、嫌味ではなく本当にそう思っている)。
「幸色のワンルーム」は、そういう評価軸では特に思うことが何もない。ドラマでも何でも好きにやればいいと思う。批判するのもされるのも自由だし、そっちの方がいい。
自分が見下す人間が自分より惨めな生き方をしてほしい、と願う時点で、そこから自分の生き辛さが生まれているんじゃないかなぁ。
他人の幸せと自分の幸せの価値基準は違うから、同じ尺度で測ろうとして消耗するのは自分で自分に理不尽な枷をはめるようなもので。
楽して暮らしてるように見える人にもきっと自分の想像の及ばないところで深い闇と絶望に覆われている。
あれを得るには知る由もないトレードオフがあって、自分が当たり前に持っている大事なもの、家族や心身の健康や財産や情報収集力や知性や感性のような自分並の豊かな「脳の力」を持っていないかもしれない。
そういう体で生きていて、未来を諦めているからこそ幸せそうに見えるんだ、自分にはまだ選択肢がある…。
みたいな感じで前向きにネガティブな斟酌をしてあげれば、他人を妬む発想は湧いてこなくなるし、他人に囚われずもっと自由な生き方ができるんでないかな。