はてなキーワード: 心が折れるとは
あるじゃん、差別煽ってゴミみたいな釣り投稿繰り返すアクセス稼ぎの匿名書き込みとか売名記事みたいなの。
そういうのを内容に応じて閲覧不可になるまで罵倒したり、アンケートとして役に立たないような意味不明POSTしまくったり、投稿者の心が折れるまで文章の瑕疵だけをひたすら指摘してくれるようなやつ。
理想としては投稿者個人を特定して、晒さずに本人のSNSとかメール宛てに延々と広告メールを送り付けて欲しい。
それでもやめなければ投稿者の知人宛てに「アンケートご協力ありがとうございました」とか「釣りアカウントに連絡乙www」とか送りつけて人間関係を破壊する。
いざ転職活動始めたが、いっぺんどこかで整理&吐き出さないと頭がパンクしそうなので、とりあえず書きなぐる。
これはわざわざ書くことでもないかもしれない。
空前の人手不足と大きく謳い、これみよがしに求人系の広告がそこかしこに出ていて、「これなら私でも今より良い環境で働けるかも!?」とパッと見思える。
実際はそんなことなく、企業はできるだけ安く使える優秀な人材を探し、労働者はできるだけ高待遇の職場を探すというミスマッチが置きているだけである。
企業は極力正社員での採用を避ける。契約社員やそれですらない請負業務の多いことよ。
労働者は(私も)ブラック企業は絶対避けたいので、待遇の良さそうなところを探す。
すると何が起きるのか。
せっせと書類を書いて送り、いざ面接だと始まった途端、「最初に断っておきますが、◯◯◯◯(何かしらの理由付け。多いのは転職サイト掲載担当にこう書けって言われた)だったのであぁ書きましたが、実際は××××です。」と詐欺紛いのことを平気で言ってくる。
わりと心が折れる。
ほんこれ。
「なんか分かりにくいこと書いてあるけど、面接で聞けばいいかー」
罠である。
採用情報に記載されている文面で納得(理解)出来ない場合は、もはや応募しないべき。なぜなら企業はそこで釣ろうとしていない(魅力がない)から。
実際に質問して返ってくるのは、「ぇ、そんなことあるんだ」というようなものばかり。
向こうもそこを気にするやつは長続きしないだろうなと思うのだろう、まず落とされる。
いや、受かっても確かに困るけど。
たぶん転職市場で一番売れやすいのは、大卒後1~2年経って最初の会社でビジネスマナーを学びある程度揉まれた20代前半~中盤である。
学生気分が抜けつつ、まだ若いから会社に染めやすく、そして働き始めだから待遇にも大きな文句は言わない、そんな時期。
「じゃぁ皆その時期に転職すればいいのに」
たぶんその通りだが、当人にとってはそうでもない。
3秒ルールならぬ3年ルールに今さら縛られる人は多くないだろうが、「働き続ければ報われる」とは考えるだろう。私は考えた。
そして働き続けて見えてくるのは、上がらない賃金、削られて新しい席の作られない役職ポスト、右肩下がりの会社の業績。
将来の不安感。
ようやく本題。
何か人手不足らしいし、ステップアップのために転職をしよう。エージェントに登録したらめっちゃオススメくるし。こりゃ楽勝じゃねーか。
罠である。
実際に置きたことは冒頭でも触れたが、ここではもう少し掘り下げる。
一応登録者は客的な立場で親身に応対してくれるが、エージェントは「いかに時間をかけず高く企業に売れるか」を考えるので、それを利用するぐらいの意気込みじゃないとステップアップには繋がらない。そして職を吟味しすぎると、どんどん対応が雑になる。「この企業、急に赤字になってるんですけど何でですか?」→「知らん。」 おいおい。 「ドラえも~ん」的なノリで頼ろうとするのは間違い。
何か武器を持ってないと通じない。そのひとつが年齢なのだが、得てして気づいたときには手元にはない。
・真面目は武器じゃない
「真面目に粛々と働いていれば評価される」そんな風に思っていた時期が私にもありました。企業は意外と真面目さは評価しません。着々と積み重ねた経歴よりも、バカみたいな趣味の話とかしたほうが通過率が高いです。私の場合、バカみたいな趣味の話は全部ヤケの盛った話なので、役員面接でなんやかや化けの皮が剥がれて落ちました。
これがね、笑えない。新卒のときの「何か自分の考えが答えられればいい」とは訳が違う。ガチで聞いてくる。必死に考えた答えも「そういうことじゃないんだよね」「そんなのは今いる社員なら誰でも出来るんだよね」と一蹴される。確かに「勇者・魔法使い・僧侶」が居るパーティに2人目の魔法使いや僧侶は要らないだろう。募集要項に戦士募集と書いて欲しい。
ぶっちゃけ私は新卒のときから面接が苦手だった。質問を真正面に受け止めてそのまま返してしまうからである。大学の就職課やらでパターンを覚えてようやく対処できたレベルである。なんで転職活動しようと思ったのか。
なぜ冒頭に「◯◯が知りたいのですが、」と一言付け加えることができないのか。それが推理できることにどれだけの価値があるのか。
「その手の質問は中途採用で聞かれることはめったにない」と書いていたどっかの転職サイトを信じた私もアホウではあるが。
そんなことを続けて頭に浮かんできたのは、逆ヘッドハンティングという言葉。
「私はヘッドハンティングされてもおかしくないはずの人材なのに誰も声をかけてくれない。じゃぁ自分から行くしかない。」
間違っても私のような「真面目に働いて仕事を積み重ねたけど報われない、でも大した武器は持ってないありふれた従業員A」が、CMや広告に釣られてうへへと手を出すものじゃなかった気がする。
「何か私、会社で凄い頼られてるから優秀なんじゃ!?」他所の企業様には知ったことじゃねーって話であった。
馬鹿な犯罪をやらかして捕まる大手企業会社員のニュースとかを見ると「自分がいかに真っ当な人間か」と思うことも少なくないが、ぶっちゃけ真っ当であるかどうかなんて企業の求める人材像の中では箸にも棒にもかからないんだなと、痛感する。ま、そんなの犯さない前提だから、いざ事が起こっても運が悪かった程度の話なんだろうけど。
時間の猶予も大してないので数を応募しないといけないが、かといって1社1社しゃぶり尽くすように調べないと選考を通らない。
そんなことをしてると毎夜色んな会社に勤めている自分の姿を夢に見るが、結局暫くすると落選の連絡が来て無意味に終わる。
商品を扱う会社であればもちろんそれも調べるし、エンターテイメント系のものであればそれで楽しんで、それぞれ好感的な印象を自分の中で築いていき、打ち砕かれる。
別に嫌いになったとか呪ってやるとかそういうことはないが、ひとまず視野に入れたくなくなる。若者の消費渋りはこういうのが原因じゃないかとか思うくらいには。カゴメのやってた落選者への対応は別に神とかじゃなく、リアルに切実な問題なんじゃないかと、今は思う。
・・・まぁ「今は思う」って通り、新卒の時は何か落ちて当たり前の気がしてたし、今ほど追い詰められるように企業に向き合ってなかったから、大してショックじゃなかったんだけどね。
もはや転職活動を続ける気力は枯れつつあるが、会社の方も枯れつつあるので、間に合うかどうか知らんが転職が成功しうるだけのスキルを上げるしかない。
とりあえず脳内でうようよしてた気持ちがこうして文章になったので、時間を置いたら自分の恥ずかしいところが見えてくると思うし、どこかの誰かが親切に辛辣な指摘をしてくれることもちょっと期待している。
なるものがツイッターで回ってきたけどあああいうの困るんだよね
ハイハイ子供最高ですね既婚者最高ですね一度は体験するべきもの?ハイハイそうですね
ってみんな死ねよ
気軽にいいやがるけどさ
さも当たり前のようにいいがかるけどさ
既婚者様がおられる素敵な世界と俺たち独身底辺者がたむろする荒んだ世界と
苦労が将来幸せになるって?
知らねえよクソが
たとえ大金が入って全世界から羨ましいと言葉にされても(でもおまえには彼女も家庭も子供もいない孤独な不完全で惨めな生き物だ)と思われてるはずだ
俺だって結婚したかったし子供を育てるという苦労もしてみたかった
孤独と向き合うこと誰からも必要とされないこと生きてても誰からも声もかけられないこと、なんの未来にも繋がらない苦労だけを背負って向き合い心が折れる寸前で現実を直視しないことでなんとか生きている
どんなに苦労があっても、自分の命を差し出しても構わない子供がいる
せっかく現実から目を逸らしてるのに容赦なく殺しにかかけにきやがる
「大量に質問に返して心が折れる」って前提としておかしくないか?
自分のできる範囲で答えられる確信がある、自分も過去に同じ経験がある、
そういう質問に返答して質問者と問題解決したらいいだけの話だろ?
脊髄反射的に返答したところで結局、問題解決しなかったとしたら単なる自己満足的行為にしかならない
大量に脊髄反射で返答してるってことは別に質問者が解決しようがしまいがどうでもいいってことじゃん
心が折れた時点で自分が関われる数を限定して興味ある質問に絞るのが自然だと思うんだけど
質問に対する回答者はそいつ1人だけじゃないんだよ、他にもたくさんいるからそんな無駄なことしないでいい
あえてどうしてもやるんだとしたら
妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます。
2009年春に妹が地方の大学へ進学し、それからアパートで一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約だけが残る状態が続いていた。
丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。
大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造。自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りのアパートを借りていたので、。
開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水の臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリかカマドウマの死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。
最後に居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。
その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫・洗濯機のリサイクル家電を処分した。
片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。
事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。
二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対に心が折れる。
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーでマスク・ゴム手袋・軍手・ウェットティッシュを調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いから独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。
できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越しや祖母の遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。
車も必須。可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能な自治体の清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときにタイムロスになるため)。
土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山も可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋・マスク・メガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズがホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。
作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間のゴミ処分が作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦が必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボールや分別が必要なものの解体や、分別が必要なゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミは玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線が干渉せず、効率的に作業できた。
進捗は正義。
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミも無限ではなく作業に意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍の兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。
一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後の生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から数千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。
延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分の一人暮らしの経験とも照らし合わせながら、整理したい。
ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュ、ビニール袋、綿棒、割り箸、から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシート、アイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。
あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分の一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定のゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。
捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボールは処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボールの処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分も定期購読した雑誌を、未開封状態で積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。
仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのものが散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときにほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しかも調理しないと使えないようなものなど邪魔でしかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らしの栄養状態を心配する母なのだからなおさらだ。ありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷のトリガーとなっていたと思える。
これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。
初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分の大事な荷物をユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。
意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域の特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。
賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単。乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。
グロッタは被害受けたのは格闘家達だけで(それも死んだかどうかは不明、名が出てる人は全員死んでないので多分誰も死んでない設定だろう)、一般人が犠牲になった訳じゃない。
クレイモランは一度目は一般人は凍ってただけで死んでないしそもそも自分が氷漬けだった事すら気付いてない。
二度目は犯人の事を知ってるのは神父とシスターだけで他の一般人はそもそも知らない。
何の事なのかは予想つくが。
グラフィックでごまかしてるけど、心理描写全然できてないし、リアリティが完全に崩壊している。
たとえば村人を多数犠牲にした事件があって犯人が改心するのだけど、みながそれで許しちゃうとか。
おーい。沢山死んでる!遺族が許すわけないだろ!みたいな感じ。
現実的な意味でのリアリティではなくて、空想の中におけるリアリティさえも感じられない。
要するに雑。
もしかしたらキャラクターの見た目が妙にリアルだからよけいギャップに感じるのかも。
ただ、なんというか旨味ばっかりしかないような、見た目だけのインスタント食品をずーっと食べさせられてる感じ。
胸焼けがひどい。
そこから垣間見えるのは、作ってるときに誰もシナリオに対して口出しできない状況だということ。
ファイナルファンタジーがとっくにたどった崩壊の道を、とうとうドラクエも歩み始めてしまった。
ネタバレになるから具体的に書かないけど、終盤で一番心が折れる事件が起こったからというのもある。
もうやめるわ。エンディングまでたどり着ける気がしない。
このかた恋人なんてできたことがないのだけれど、これから生活環境が変わるのでいい機会だと思ってここ数ヶ月恋人探しに奔走している。
心労がとてつもない。
なんだ恋の駆け引きって。
心労でしかない。
動いた甲斐あって自分を好いてくれる人は何人か現れたけれど、ルックスも内面もハートに突き刺さって将来が薔薇色に見える、だなんて相手はその中にいない。
そしてまたあれこれ考えて心労を抱えてしまう。
私自身チキンなので会っても優しい人を演じるだけで終わってしまって、終わった後に自分ってほんとダメだなと心が折れる。
恋愛ってお互いの気持ちを確かめ合ってる間が楽しい、とか好きな人の顔を浮かべると元気になれる、とかそういう良い話多いんじゃないの?
心労にしかなってないんだけど今のところ。
やっぱり全部断っていつも通りにたまに嫉妬するけど楽しく生きてる自分に戻った方が心労もなくて良いのかもしれない。
ほんと疲れるわこれ。
はぁ。
91年生まれと言うとゆとり教育の影響を色濃く受けた世代らしい。
テレビでは毎日のようにゆとり世代の出来が悪い、円周率は3!若者の〇〇離れ!とやっていた。
あまり頭の出来は良い方じゃない子供時代だったので、当然周りからはヤンヤヤンヤ言われた。
ムカついたので絶対に良い結果を出すと子供心ながらずっと思っていたし、今のままだと生きていけないかもしれない、っていう危機感は子供の頃からずっと持っていた。要領が悪かったってのもあるだろうが、子供の頃にあんまり遊んだ記憶が無い。
その後一浪こそしたがそれなりに難しいレベルの大学に入り、大学院まで進んだ。
幸いにも大学には真面目な人が比較的多く、毎日しっかり自分の専門を勉強できたように思う。
実習が多い学科だったからというのもあるが、座学中心の学校を出た人よりかは割といろいろ出来るだろうという自負はある。座学の理論をしっかり学んだかといえばまあ、若干怪しいところはあるが...
就活では自分の専門をしっかりと伝えて、それなりの規模の会社のある部署に、今年の4月に新卒としてはおよそ10年ぶりの人材ということで入れた。
ここまではまあ順調だった。
ところが会社に入っていろいろ雲行きが怪しくなってきた。
初対面のおじさんたちから「ゆとり世代だから」という決めつけから全てが始まるのだ。
もちろん「ゆとり世代」という言い回しは、おじさんも気にしているのか今の所聞いた覚えは無い。
ただだれも、今目の前にいる自分よりも若い人間を相手に会話をしてないのだ。
おじさんの頭の中にあるステレオタイプだったり、おじさんの若かりし頃に向けて会話しているのだ。
(あなたたちもやったでしょうって言われても、雀荘で徹マンとかやったこと無いぞ....徹夜で課題ならたくさんしたけど...自己紹介乙です〜って感じ。)
あなたは私の一体何を知っているんだ。
私が25,6年の人生をどう過ごしてきたかなぜ知った気になって語っているんだ。
何をあなたは知ってるんだ。
いつもそう思いながらも適当に相槌を打っていた。
まあおじさんの昔の苦労話を聞くぐらいだったらまだよかった。
が研修が終わって、自分の部署に赴任してからいろいろまずいことが起き始めた。
どんどん自分の考えたことを出してどんどん行動してくれ!と言われて入社したのでまあ自分の考えるようにやっていた。
大学で学んできたように、渡された仕事を効率的に進めていった。
ところがおじさんたちの表情は明らかに嫌がっていた。
新しいことを生み出すんじゃなくて、自分たちの思い出話の方に興味を持っているようだった。
かつての夢の焼き直しみたいなアイデアばっかり見せられた。
答えの無い問題にぶつかった時、それでも手を動かして試して考えてみるってことをおじさんたちは出来なかった。
答えの無い問題を考える能力に関してはゆとり世代のほうがあるように思う。
ただおじさんたちの嫌な顔を見る限りは若いのは黙ってろっていう空気をなんとなく感じてしまう。
まだ心が折れるような状況では無いけど、この先もこのままなのかと考えるとしんどい。
会社の偉い人たちが「どんどん行動してくれ」って言っていたのは、おじさんたちがこうだからなのかもしれない。
が、その会社の偉い人たちと話してても「わけえのは黙ってろ」っていう空気を出しているように感じた。
結局上の世代は私たちにステレオタイプ通りの「ゆとり世代」であって欲しかったんだろうな。
上の世代が逃げ切るまでの間のサンドバックとして存在して欲しかったのだろう。
自分で考えられない、積極性の無い、学の無い自分たちよりもさらに学の無い存在としての「ゆとり世代」であって欲しかったのだろう。
頑張ってもだめ、頑張らなくてもダメ、どうあがいてものけ者扱いされてきた。
いろんなことを我慢して生きるために専門性を身につけてきたはずなのに、なんだこれ。
「昔から若者はそう言われてきた」って言われても、「ゆとり教育を受けてきた」っていう根拠(笑)がおじさんたちの頭の中にある限り、私たちが適切な評価を受けること、適切なコミュニケーションが取れることは無いような気がしてならない。
私はもうダメかもしれない。
案外しょうもない切っ掛けで辞めるよね。
新しく支社を作るからそこの新規として雇われたんだけど体制整ってなくて片道2時間の本社に行って仕事してた。
3ヵ月くらいそんな感じでいい加減うんざりしてた所でようやく支社通いになった(といっても相変わらず月半分くらいは本社でうんざり)。
で、月末に交通費の請求はどうすればいいか本社に問い合わせたら「交通費はでない」って言われた時は意味がわからなかった。
求人票で交通費支給って書かれてるんだから当然出ると思ってたからね。
聞いてみれば支社→本社の交通費は出すけど、自宅→支社の交通費は出さない、と。俺支社採用なのに。
もう詐欺に近い。
「あ、そんなことすらちゃんと出来ないんだ」ってブラックな仕事でも耐えてたのにプッツリ切れた。
それ聞いた30分後には会社の荷物まとめて熱が出たから早退つって電話してハロワ直行して病気のフリして1週間転職の準備して一度も出社しないまま電話で辞めるって言って終わり。
検索避けを駆使した個人サイトを作って、そこに漫画や小説を連載し、メールで読者さんと文通し、拍手とかもらってた頃はよかった
今は個人サイトを作る人は少なく、pixivにおしながきがのり、漫画や小説がupされる
twitterを使うことで、いろんな人に話しかけられたりすることが増え、逆に話しかけられない人は全く話しかけられず、サークル間の人気が可視化される
昔は、サークルの実力が比較されるのは、イベント会場での列や、配置くらいだった
どのサークルも自分の城があり、読みたい人がそのお城に出かけていくだけだった
今は、同じ場所にお城がいっぱい並んでいて、お城の上にはそのお城の強さを表す数値がついている
自分の本が好きです、と言ってくれてた読者さんが、壁サークルさんにはその五倍くらいの熱量でツイッターで話しかけているのが見えてしまう
それだけじゃなく、pixivにアップすると、コメントが見える
褒めてくれるだけじゃなく、平気で「下手」とか「つまらん」と叩かれる
わざわざ探してきてくれる読者さんは、酷い言葉をかけず、やる気がでるような言葉を投げてくれていた
同人誌を作ったら、「どうしてpixivにのせないの。金が欲しいの」「売り切れてるんだけど、再版しろ」とお客様気分で叩かれる
あげくの果てには同人誌をスキャンして、ネットで公開するサイトが出る始末
多分スマフォのせいだ
若者は、家のPCを自在に使えなかった。だからPCを使うのはある程度年齢が高くなった人に限られた。
今はどう見ても中学生のような子が話しかけてきて、平気でお金がないから、ただで本を読ませろ、という
同人誌を作ることを、金の亡者と言われるなんて事は、昔は絶対なかった。
十年前に戻りたい
今は、本を出していても心が折れることが多すぎる
大学生のとき、昔から何もできない自分が嫌でせめて哲学書を読んで思想を理解しようと思ってサルトルを読んだりしてた。
その後大学の授業である女の子と知り合ったんだけど、その子は幼少期から父親のDV、両親の離婚、付いていった母親の統失発症、虐待、そこからの逃亡とかで苦労してきた人だった。
普通なら心が折れるような波乱の人生を乗り越えてきたからか物凄い努力家でめちゃくちゃ優秀な子だった。
ある時、その子の考え方を聞く機会があった。
その考え方っていうのは、物事は自分がやりたいかやりたくないかだし、選んだことに対しては責任を持って遂行するしか自分の気持ちが救われることは無いということだった。
自分はそれを聞いてびっくりした。
その子は本は全然読まないらしいから、多分哲学書を読んで得た思想とかじゃなかったんだと思う。
自らの経験を通してずっと考え抜いてきて、それに基いて行動していた。
自分はサルトルの本を読んで実存主義、というか人間がよく生きるということがどういうことか分かってた気になってたけど、結局それは行動に移してなければ意味がないんだなと理解させられた。
そのことで自分が主体性を持つということを学んで、自分はその当時他に比べると少しは興味のあった情報系の学問を究めることにした。
そして責任を持って色々な選択をした結果、今は情報系の研究職に就いている。
自分もそうだったけど、元増田は無駄な努力はせずにコスパ良く今の社会構造でできるだけマシとされるところに行きたい人なんじゃないかなと思う。
でもその生き方だと元増田が言うように薄っぺらい人生に嫌気が差してくるんだよね。
もし少しでも元増田がそこから脱出したいと思うなら、少しこだわりを持ってみてもいいんじゃないかなと思う。
長くなったけど、元増田には今より少しだけ頑張ってみて欲しいと思う。
キラ付け良し、支援艦隊良し、さあ出撃だ → 1マス目で斜めの潜水艦に開幕でワンパンされて即撤退
もうね、何のためにゲームやってるのかって 1時間近くかけて準備したのがほんの数秒で水の泡にされたら99%の人は心が折れる
はい、アズレンはそんなものありません PSで魚雷避けながらボスまで行けるから、上手い人はほぼ無傷でボスまで到達できる 自信無い人はレベル上げてオートで頑張りましょう
・戦闘に介入できる
駆逐ばっかり狙い続ける自陣の無能戦艦や到底倒せない硬い艦ばかり狙うアホ駆逐 極めつけはしっかり中破を狙ってくる敵の有能AI
もっと言うと、誰がクリックしても結果は同じ 戦闘中は見てるだけだもの 当たり前
アズレンは接近した敵に撃つし、戦艦の砲撃は自分で合わせられるので自分の思うような展開に持っていくことが可能
当然、慣れた人とそうでない人が全く同じ編成で出撃したとしても結果は違うものになる
・失敗が次に活かせれる
ワンパン大破 悪いのは自分なのか?… ボスを狙ってくれない、そもそもボスに行けない 次どうすれば上手くいくの?…
艦これがゲームじゃない一番の原因 普通は失敗から学習して、次に活かせ、クリアできたら腕が上がったと感じる プレイヤーが充実してると感じる瞬間 しかし、艦これにはそんな瞬間は存在しない
アズレンは戦闘に介入できるので、もし失敗したら同じ戦略で挑むのはダメだと気付くことができる
・UIがとても親切
アズレンのシステム考えた人は艦これを実際にプレイして、欠点に気づいて改良したんだろう、って思うぐらい雲泥の差がある
ユーザーに不便な思いをさせないと気が済まないPは即刻更迭するべきである
・運営が誠実
イベントは必ずと言っていいほど遅れて開始 告知した時間を守れないというか守る気がない それだったら最初から提示するな 時間を守るのは社会人の基本だぞ まだFGOの終了時刻未定のが全然マシ
バグに対する姿勢も180度違う ユーザーに有利なバグは即刻修正するが、不利なバグは放置 お詫びは空襲() なんの恩恵もない掛け軸で許してね() ユーザーを馬鹿にするのも大概にしろ
一方、アズレン運営は逐一報告するから安心感がある そして、マップ移動で自動的に敵を避けて通るようになった なんて素晴らしい改良なんだ
単語を強調したいのはわかるが、【】を使いすぎて何が重要なのか全くわからない 教科書とか参考書にアンダーライン引きまくって勉強した気になったダメな受験生と同じ
多分、自分でも何が言いたいのかわかってないのだろう 適当にキーボード叩いてるだけである だから微差栗なんてありえないミスが発生するんだよ
一度成功しただけで自分はそれなりの人間だと思っていた節があったけど実はど底辺の人間なんだという事実
なまじ勉強ができて東大に入ってしまった発達障害の自分のことだ。
今思うと勉強は苦手なところを潰していく単純作業感覚だったので、発達障害気質の自分には合ってたのかもしれない。
細かいところを潰していくような作業、RPGの主人公のレベルを上げるような作業だ。
発達障碍者は飽きずに同じゲームを繰り返しやる気質があるらしいけど、勉強というゲームを飽きずに繰り返していただけかもしれない。
ただ生きていく能力がことごとく足りないので、社会人としてはど底辺だった。
どうして皆普通に夜眠たくなって朝起きられて約束に遅刻しなくて人付き合いめんどくさくならなくて自分の好きなことじゃなくても全力を出せているのかわからない。
夜中は2時になっても眠たくならず無理やり布団に入って苦労するし、その分朝は死ぬほど起きるのがきついし、遅刻はしてしまうし、時間の余裕をみていたはずなのに余裕を見ているという余裕が逆に遅刻につながるようなこともあるし、やりたくないことには心の底からやる気が出ないし、動きたくなくなる時もある。たまに行かなければいけないときも起きているのに布団から出られないとかやる気がなさすぎて体が重くて動かないとかある。
生きていくのに不自由しないのに家の掃除をするのとか、腹が減ってるわけじゃないのに自炊するのとか、見る人がいないのにオシャレするのとか、自分にとっては意味が分からないけれどこれは普通の人間の感覚じゃないのかなとも思う。一言でいえば家事が苦手。
最近は風呂に入るのも億劫になってきて、一人暮らしだと風呂に入らなくなってしまうので自宅の風呂でなくわざわざ漫画喫茶までシャワーを浴びに行くこともある。
あと、コミュニケーションが苦手なわけじゃないけど、人と長く付き合うのが苦手かもしれない。相手に対する後ろめたさや自分の不都合を感じると人間関係ごと切りたくなってしまう。謝罪したり逆上したりするより関係を断ち切りたいと思ってしまう。たちが悪い。
あとはなんだろう、自分では気付いていなくても普通の人間と違うところを探せばもっと出てくるかもしれない。
正直、いっぱしの大人としては欠陥品だ。
そんな烙印が押されても仕方ない。