はてなキーワード: 心が折れるとは
見ていると時々はそういう人にも遭うが、まあどちらかといえば日本じゃ少数派だろう
それに加えて運の悪いことに、俺は帰国子女だった
小学校低学年で日本に帰って来て、学校ではいじめというほどじゃないが微妙にからかわれた
何かっていうとすぐ「これ英語で言ってみろよ~w」とか「お前日本人じゃないしな~w」とか
それがやっぱり地味にトラウマだったらしくて
未だに「白米好きじゃないなんて日本人失格だなw」みたいな言葉には心が折れる
まあこっちも年とったから、そのくらいの心の折れ方は慣れっこで聞き流すが、愉快ではない
たぶん言ってる方に悪気は全然ないと分かるだけに、こういうのは決してなくならないんだろうなと思う
どうしようもなく追い詰められてる人間にこの言葉で迫るのはまじでやめろ。まあ俺は追い詰められてる人代表ではないから、他の人はどうかは知らんけれど。少なくとも俺はこの言葉を言われただけで、「ああ、こいつとは分かり合えない」と断絶を感じる。こいつに何を言っても無駄だと思ってしまう。
それは周りの人間からしたら、その人がどうしたいのかがわからないから出てくる言葉なのはわかるけどさ。追い詰められてる人間は何がしたいかなんてわからんわけよ。わかってたら追い詰められてたりしないからさ。
で、なんでそこまで追い詰められてるかを説明しなきゃ、どれだけ辛いかを周りの人間に理解してもらえないんだが、この説明自体が難しい。単純でわかりやすいきっかけがあれば説明もしやすいし理解もされやすいだろうさ。でも些細なことでも、長い間の積み重ねで心が折れることがある。それを「ちゃんと言ってくれないとわからない」なんて言われても、こっちだってどう説明しようかわからんし、そもそも心がくじけてしんどいところをどう説明すればいいのよって思う。
でさ、この間心療内科に行ったんだけど、行ったことを後悔したわけさ。ああ、結局理解されないんだなって。
そこでも結局何がしたいのって聞かれるわけだが、そんなの一言で説明できるかよ。うまく説明できるほど口が達者でもないし、口が達者ならここまで追い込まれてねえし。
でもさ、心療内科行ってみて得たこともある。俺が欲しかったのは寄り添ってくれる人なんだと思う。現状分析してアドバイスしたり解決策を提示してくれるような人はいらないわけ。もうこれ以上何もやりたくないのに、さらにあれをやりなさい、これをやりなさい、今のままじゃだめだとか、そういう追加のタスクを投げられても、すでに抱えきれない状態なんだ。死ぬよ。
俺自身は追い詰められてるけど、振り返ってみると逆の立場で「それはこうすればいいじゃん」とかアドバイスしてたことがあったし。そのアドバイス、相手は馬鹿だなぁ、そんなこともわからないのか、俺ってできる男、みたいな気持ちでアドバイスしてなかっただろうか。今の自分が強く思ってる「そんなのいらない」ということを俺自身がやってるわけさ。
「こうすればいいじゃん」ていう解決策はさ、追い詰められてる人間にだってわかるさ。わかってない場合もあるけど。でもそれを行動に移す気力がないわけよ。追い詰められてる状態の人間にさらにがんばれって言ってるもんだよ、それ。がんばれないからつらがってるわけじゃん。その状態が理解されないから追い込まれるわけじゃん。
だいたい「そんなのこれやるだけじゃん」と簡単そうにアドバイスをするやつは、現状を知らないから言えるだけというのを理解して欲しい。同じ立場・状況に置かれてその現状を実感した上でのアドバイスなら聞いてやれなくもないけど、そんなこちらの状況をまるで知りもせずにする上から目線アドバイスなんて、さらなるストレスでしかない。気分としては安全地帯から石投げられてる気分よね。
介護問題で悩んでる人に、それはもう施設に入れるしかないじゃんとかアドバイスするのは簡単だろうさ。でも、その施設に入るまでの間は何も変わらないわけよ。あんたが面倒見てくれるわけ? 違うよね。
老人が運転してた車で若い人が命を失う。免許を返納させろ、それをしなかった家族も同罪だなんて、無責任に言ってる奴ら。それだって現状を見てないわけよ。免許を返納したあと、その老人の世話を周りの家族が見なきゃいけなくなる。それどうすんのって視点が欠けてる。返納させればいいじゃんって言ったあなた、あなたが面倒見てくれるんですか? タクシー使えばいいじゃんって? そのお金はどこから出てくるのよ。タクシーくるまでの間、どうすればいいのよ。口でいうだけなら簡単なんだよ、それちゃんと実行できるの? 正論のつもりで言ってるのかもしれんが、それめちゃくちゃ無責任な発言だぞ。
・・・ああ、ちなみに。俺は介護で追い詰められてるから、老人に若者や子供の命が奪われる現状が憎くて憎くて仕方がないよ。老人なんて等しくこの世から消滅してしまえと思ってるよ。老人の肩を持つ気はさらさらない。自分のばばあ憎しから拡大して、世の中の老人全部が憎悪の対象だよ。
ただ、老人なんてみんな死滅してしまえと思うのと同じように、現状をよく知りもしないくせにアドバイスのような、その実相手を追い込めるだけでしかない呪詛をばらまく奴らも同じようにこの世から消滅してしまえと思ってる。
別にさ、俺の状況知ってるわけでもないやつに、なにかアドバイスしてほしいなんて欠片も思ってねぇよ。ただ話を聞いてくれよ。
とりあえず現時点で、同じ境遇に置かれてる家族と傷のなめあいして心を紛らわせてなんとか耐えてるよ。紛らわせたところで俺を追い詰めるものが消えてなくなるわけじゃない。本当にクソみたいな世の中だ。
ああ、気がついたら呪詛が出るな。すまんすまん。
まあこれで何が言いたいかって言うとさ、追い詰められてる人間、疲れてる人間にさ、「お前はどうしたいんだ、どうしてほしいんだ」って聞くときはさ、ちゃんと本人に寄り添ってからにしてやってほしいってこと。
本人がどうしたいのかってところはさ、すげえ大事な部分だし、それを聞かないと周りも何もできないんだけどさ。それを聞き出すのが第一声なのは、少なくとも俺はめちゃくちゃ傷つく。ああ、こいつには時間がないんだなって思うもん。そんな単刀直入にすぐ説明できるようなもんじゃないし、そもそも自分でもわかってないのに、開口一番それってことは、お前の相手してる暇ねえんだよってことなんだなって思うもん。ああ、こいつには理解されないんだなってその時点で無力感感じるね。
追い詰められた人間が自ら助けを求めに行くのって、めちゃめちゃハードル高いの。そんなのが簡単にできるのであればそんなに追い詰められてないだろうしね。
それでも助けを求めに来たときは、まずアドバイスじゃなくて話を聞いてやってくれ。溜まりに溜まったものが渦巻いてて、本人はどこからどう話したらいいかよくわかんない状態だからさ、急かさず、ただそばにいるだけでいいさ。お前の話はしなくていいよ。ただ本人のそばで、うんうんって聞いてやってくれ。それだけでだいぶ救われる。
絶対に、そのプロセスを飛ばしてアドバイスなんかしないでくれ。ああ、やっぱり何を言っても無駄なんだ、伝わらないんだって絶望感しか残んねえから。
何がしたいのか、どうしたいのか、ってのはとても大事なこと。追い詰められてる本人には見えてないもんだからね。だからどこかのタイミングでそれを切り出さざるを得ない。でもそれは、どっちかっていうと、追い詰められてる人と一緒に見つけるくらいのスタンスでやってほしいのよね。まあそれができりゃ誰も困らないんだけどね。
追い詰められてる人に対してもなんか書いとくかね。
とりあえず、貯め込むのだけは良くない。絶対に良くない。これだけは間違いない。だからどこかに吐き出すのだ。吐き出す際、王様の耳はロバの耳方式が良い。返信を期待しないところに吐き出すのが一番だ。何も解決しないけど、溜め込んだものを吐き出すのは大事だ。
増田に書くのもいいし、怪文書としてマスコミに送りつけるとかでもいいんじゃない、知らんけど。誰に見せるでもなく、紙に書き出すとかもありよ。吐き出せ吐き出せ。
そんなことしたって何も解決しないけどさ。少なくとも頭の中でぐるぐるぐるぐる悪い感情がループしてるのからは気が紛れると思う。
誰かに助けを求めようとする人は偉大だ。追い込まれてる状態なのに、拒絶されるかもしれない・理解されないかもしれないという恐怖を抱えながらも、助けを求めに行ける君はすごい。俺は尊敬するね。
君はどうかはしらんが、俺はようやくわかったよ。アドバイスがほしいんじゃなくて、現状を理解してもらいたいってのが俺のしてほしいことだってね。だから理解されないかもしれないけど、助けを求めに行動をすることにも意味はあるとは思うよ。そのせいでさらに傷つくことになるかもしれないけど、そこから見えてくることもあるかもしれない。
まあ悩みの大本がさっさと消えてなくなってくれるのが一番なんだがね。
頭の回転が速い、芸術的才能がある、
最近、誰かの頑張りや、誰かの才能に触れることが多い。
その度に「すごい!憧れる!カッコいい!」と強く思うと同時に、「私はそれと比べてどうなのだ?」「こんなに輝けているか?」と自問して無駄に苦悶。
側として見えるブランドにのみ価値を見出して意味なく心が折れるばかり。足りないのは、誰かと比べる必要などないと理解して初めて得る自己肯定感かも。
人に優しいとか、気遣いができるとかっていう思いやりの部分に価値を置かずに、ステータスしか見てこなかったことの浅はかさ。
嫉妬なんてしてないで、漠然と誰かと比較してないで、日々の小さな優しさや、思いやりを集めてたら、ほっこり幸せになれる気がする。
誰かの優しさに気づけるようになりたい。
新潟のアイドルだかの暴行事件?かなんかが問題になってるらしい。自己顕示欲ビジネスは搾取の温床、みんな自己顕示欲を満たしたくて満たしたくてたまらないのかなって思う。俺もそうだし。ちょっと前に流行ったゴルスタとかめっちゃ懐かしくない?
いま大学生だからそろそろ新入生がキャンパスに溢れる。入試突破したからかわかんないけどドヤ顔が張り付いてて見るのが苦しい。
小さい頃は仮面ライダーとかプリキュアとかに憧れてたけど、世の中の厳しさを知って、現実を知って、小市民として生きていくんだ!みたいな社会人。ほんとのほんとにそう思ってんの、正当化するためにそうあるべきだって思い込もうとしてるだけなんじゃないの、だってそれでもやっぱ自分は特別だって思いたくない?
特別ってなんなんですか。前述のちやほやされるとかは特別の一類型ですよね。みんな知らない情報を知りたいとか、大金持ちとか、なんか「「「個性」」」っていうの欲しいんですよね。中二病だよ。
でも悲しいかな俺らの99.9999%は凡人で、別にいい大学行ったとかいい企業に勤めたとか起業したとか本書いたとか海外勤務したとか語学が得意とかイケメンとか美女とかとかとか大体誤差の範囲で、結局一瞬全能感を獲得しても結局心が折れる。よぉ凡人。
二十歳過ぎて俺は知ってる。俺は凡人で、でもそれが嫌でなんとなく尖ったことやってみて、でもそれも誤差の範囲内で、でもやっぱり特別でありたい。なんとかして自分は特別だって思い込みたい。ゴールはないのに、やりたいこともないのに、すっからかんなのに。
Python:環境構築に罠が多すぎる。インデントブロックでも言うほどコードが綺麗になるわけではない。
Ruby:書き方が自由すぎて読めなくなりがち。ライブラリがPythonに比べると貧弱。
Java:環境構築で初心者は心が折れる。構文が冗長すぎる。書いてて全く面白くないどころかストレスが溜まる。
JavaScript:環境構築不要で誰でもいつでも始められる。構文は多少複雑だがエディタで十分補える。その気になれば滅茶苦茶な書き方もできる自由度の高さ。ライブラリが豊富。実行速度も非同期処理を使えば速い。資料もダントツに豊富でつまづいてもコミュニティに聞けばどうにかなる。書いてるうちに楽しさが分かってくる。
婚活してしててそんなに条件絞ってるわけじゃないのに、介護して子育てしてセックスできるママ探してる人とマッチングばかりしてうんざりしてる。
全部ワンオペでって。
別に高望みもしてない地味なアラフォーなんだけど、ここまで言われるもんかな?おまえの面倒見るくらいなら、同じ大型なら犬の方が癒されるのでましですって思うので、一生独身だろうなって思ってるけど。
もう、結婚したいと思うのが女性かオカマになってきた。まだ同姓婚ができないので、アラフォーのおばさんと結婚してもいいオカマのおじさんいませんかね。
オカマのおじさんにも選ぶ権利があるのは知ってますよ。でも、本当に疲れたんだ。
面白いテレビを見たときとか、ご飯がうまく行ったときとか、そういうときに何気ない会話をする人が欲しいんだ。
【追記】
こんな内容なのにそこそこのレスをいただいてありがとうございます。
勢いで書いたので、言葉足らずだった。
ほかの方のレスにも書いてあった通りのことがまさにって感じなんだけど、
こっちは婚活相手の両親と相手の介護も含めて面倒見る覚悟はあるので、
でも、探してみるとそういう人片方に負担を強いる癖に
自分は一ミリも金銭的にも肉体的にも精神的にも負担したくないっていう人ばかりで
疲弊してしまってます。それでいて敬ってほしいっていう感じで。
まともな人に会う前に心が折れる。
【追記その2】
こんな愚痴の吐き出しに様々な意見を下さりありがとうございます。
しんどいからといっていきなり傷つける言葉を使ったにもかかわらず、
こんな私にまでお気遣いありがとうございます。
否定されたとしても優しくされたかったんだと思って少し泣きました。
オカマ=ゲイの方やトランス女性の方と思っていたわけではなく、
男性側に妥協してやるんだありがたく思えという態度で接せられるくらいなら、こっちだってむちゃくちゃ条件をしぼってやるぞ!!女性に物理的・精神的にも加害しない女性的な部分があり女性に嫌悪感を持っていない、人間だと思ってくれる、性的な役割を女性に求めない男性というドラマや漫画にいそうなタイプのオカマ像が理想だぞ!どうだ、いないだろ!
決して、ゲイの方ならチャンスありそうとかは思っていないです。
オカマという発言についてもゲイでない、トランスでもない、ファッションの一環とか、女装が好きとか、ゲイだけど結婚という契約は世間的にしたいけどとか、断定した意味だとそれしかなくなるので広義の意味合いを持たせたつもりでした。
タイトルにするには長すぎたし、勢いで書いたのでうまく説明できなかったのと、どうせ反響ないと思っていたので省いた部分でした。もう少し説明するべきだった思います。
気づいてくれた方もいましたが、大多数の方をむやみに傷つけてすみませんでした。
いくつか指摘の通りなんですが、私は元々ぼんやりと男性的な部分嫌いなところがあり、婚活で悪化したと思っています。
アラフォーでメリットのある婚活は無理だよってご意見も理解しています。でも、ここまでか・・・と思ってしまったんですよね。
元々アラサーから婚活を始めいて、最近までお付き合いをする男性もいました。
ただ、スタイルも背格好もよく似た年下の女性に乗り換えられたことがあって。
育てた末に年下の人に持って行かれるのかとか
仕事をして毎日風呂にはいる男性くらいなら婚活の場にいるだろうと思って婚活再開したら、
顔も洗ってない歯も磨いてない仕事してないお風呂入ってないみたいな男性ばかりで
大人の赤ちゃん育てる体力無いな・・・婚活やめたいな・・・と思ってしまいました。
結婚はゴールでは無いことについて
どうしても結婚したいというわけではなくて、でもパートナーはほしいと思っていました。
同性なのもダメではなく、同性と同居って楽しいだろうなと思います。もっと年齢を重ねた時に同性同士で暮らすのもいいと思いました。
ただ、同性だと相手か私に何かあったとき何もしてあげられないんですよね
遺産がどうかとかじゃなく、病院の入退院の手続とか葬儀の手続とか、
血縁者の許可がないと何にもしてあげられないし、何も残せないんですよね。
そういう一緒にいたい人がいた時に、
でも、これってそういう友達とか仲間とかパートナーがいた上の結果ですね。
特に今、そういう相手もいないですし、これからも出来ないと思いますので、
一人で終末を迎える準備を続けたいと思います。
ありがとうございます。大丈夫です。
友人も多いですし、趣味も充実しているので毎日楽しくすごしています。
なので十分楽しく過ごせています。難易度の高いことに挑戦したりと楽しいです。
でも少しルーチンワーク的になっていたのかもしれません。
今はまだ同性同士で婚姻は認められないですし、
同性婚が認められる世の中になっても、
契約婚ともちょっと違う同性の友達婚が許されるのはまだ先だろうな思います。
というのは流石に話がずれ過ぎですね。
そんなことないでしょ。観念的ではなくその人のポテンシャルを見抜いているからこそ言える言葉だよ。
筋力や持久力など身体的には飛び抜けた素質があるけれど技術がまだ伴わずに結果が出ていない荒削り状態の人に対して「伸び代がある」と言うものだし、「君ならもっとやれる」という褒める言葉だ。
「心が折れる」にしてもそうだ。身体や技量は優れたものを持っていて、継続して競技していれば大成する器も持っているのに、人間関係や勝ち負けのような社会的・心理的要因で辞めてしまいそうな人に「もったいない」と惜しむ言葉で、激励の意味合いが込められている。心持ちさえどうにかすればポテンシャルは大いに評価しているし君に期待し注目しているんだよと伝えるポジティブな言葉だ。
自分の中で他人の言葉をネガティブに捉えるだけでは人の心を推し量る能力がどんどん衰えていくよ。確かに上から目線な印象も含まれる言葉ではあるし、本来は指導者だけが掛けるべき言葉かもしれないが、そうでない立場でも激励・応援したい外野の人はたくさんいるのだ。
ADHD持ちは、決められた手順をそつなくミスなくこなすということができない。
いろいろな手順全てにおいてミスが許されない年賀状作成は本当に鬼門だ。
安全作業の講習のように何度も指差し確認をしないと正しく印刷されない。
③手書きメッセージ→印刷だけでは味気ないので、一言添えなければならない気がして、
書いてみるが、これが最悪。当然に誤字脱字はあるし、何回も何回も
「去年は・旧年は」と書くべきところを、「今年は・本年は」と書いてしまう。
修正テープという訳にはいかないので、たったこれだけの間違いでも新しい年賀状を
作成しなければならない。しかも一生懸命書いても字は下手。悲しいほどに。
④複合技→「宛名を間違えていたので印刷すると、差し込む方向を間違えていて、
また新たに印刷をかけなければならない」・「折角刷り直した年賀状で誤字脱字をやらかす」
④が襲いかかってくると、本当に自分はダメ人間だという意識に苛まれ、
世間の普通の人は難なくこなしているけど、本当に僕にとっては、
年賀状は苦痛なんだ。もうSNSもあるし、ペーパーレスの時代なんだから、
習慣は本当に無くなって欲しい。少なくとも止めた時に、
出したい人は出す。出さない人は本当に何のプレッシャーもなくださなくていい。
親の都合で中学校を3回転校して、3つ目の学校できっちりいじめられた。
私以外にも何人かターゲットになっている子がいて授業中泣き出した子もいたし、たまりかねていじめのグループのボスみたいな子に椅子を投げつけた子もいた。
学校に来なくなった子もいた。
私は適度に仮病を使って休んだりはしたけど、それなりに学校には通っていた。
こういう事で不登校になって進学に差し障る方が将来自分が困る、と思った。
いじめのグループの子たちは勉強が全くできなかったので、自分はそれなりに勉強しようと決めた。
そんな時はいじめのグループの子たちをどうやって殺すか、1人ずつ細かく細かくノートに書く、という事で乗り切っていた。
こう書いてても「病んでるなー」と思うけど、自分が死にたいとか自殺したいとかは全く思わなかった。
本当にどうしようもなく辛くなって耐えられなくなった時にはノートに書いた事を実行しよう、と思っていた。
それを心の支えにしていた。
職場は病院だけど先日出勤すると自分が働く病棟にあのいじめのグループのボスが入院していた。
私は整形疑惑を持たれるほど顔が激変したし仕事中はマスクを着用しているので向こうは全く気がついてない様子だった。
ひさしぶりに見たその子はガンでもう歩けなくなっていて車椅子生活になっていた。
まさかこんなところで再会するとは思ってなかった。
何もかもがたまたまだと思う。
たまたまだけど、やっぱり思った。
ざまぁみろ、と。
とある界隈で2次創作をしている。小説らしきものを書く、ただそれだけの人間だ。
これは書き捨てたいと思って、書いただけの話だ。とりとめのないことを心の赴くままに吐き捨てた。私の話で、私以外の何者にも関係ない話だから読み流してほしい。思うがままに何の順序も考えず、適当に書き連ねただけのものだ。
大まかには1次創作から2次創作に移った時の話と感想が苦手って話だけど。
昔1次創作をしていた頃がある。その時は2次創作なんて物は知らなくてただひたすらに1次創作に耽っていた。2次創作を知ったのはなんとなく始めたツイッターだった。なんとなく自分の好きなラノベのタイトルを検索して、引っかかったのが2次創作だった。
ああこういう創作もあるのかと思った。
私が知っているはずの世界と、根を同じにして別の花を咲かせた世界と思った。だけど大樹になることは出来ずに、ただ大樹に寄り添うように花を咲かす創作だと思った。
初めて2次創作を書いたとき、2次創作に逃げるんですか?という内容のことを言われたことがある。
その時1次創作をやっている方に少数ながら2次創作を見下している方がいることも知った。「自分で世界を創造できないくせに」といった種類の言葉を何度か見た。
その時、彼もしくは彼女の言うことが理解できなかった。今も理解できない。2次創作が何故「逃げる」ことになるのか理解できなかったのだ。今では少しだけその方の言いたかったことはわかるけれど、共感することも理解を示すこともできない。
私は1次創作をしていた身として世界を創る難しさも楽しさも苦しさも少しは味わった身ではある。
私は2次創作を行なっている身として他人が描いた世界に自らの書きたいことを表現する罪深さと難しさと楽しさを少しは知っている。
確かに世界があるというのは書きやすいことを認めよう。世界観やキャラクターといった大樹がしっかりと根付いている世界で行う2次創作は書きやすい。だけどそれだけだ。
だけど1次創作だって世界を創った私には世界観、キャラクター、ストーリーは分かっている。私の中には世界観やキャラクターといった大樹は根付いている。ストーリーという枝葉まで理解できている。だから書きやすさは変わらないと思った。
だけど誤解しないでほしい。
読んでもらった時に理解されやすい、評価されやすいというのは2次創作だと思う。だけど書きやすさについては変わらないと思うと私の意見を述べてるに過ぎないのだ。
それに1次創作にしろ、2次創作にしろ、私は書きたかった話を書いただけだ。
私にとってはただそれだけのことだったから、なんで「逃げ」と言われたのか理解できなかった。
私は感想を貰いたくない人間だ。そのくせ承認欲求は人並みにある。支部に小説をあげて、ブクマされたら嬉しい。n人があなたの小説をブックマークしましたって通知が来たら嬉しいのだ。
だけど私は感想が読めない人間なのだ。支部の感想の通知も切っている。
感想を書くのにはかなりの労力が必要だと分かってるから悪いとは思う。だけど私は読むことができないから貰いたくない。その労力に見合う何かを私は受け取れない。付け加えていうのならば、私はその労力に値する何かを返すことも出来ない。
端的に言えば怖いのだ。心が弱い。私は自分の心が豆腐以下だと知っている。何でポッキリ心が折れるのかわからない。
感想というのは基本的に善意によって書かれたものだろう。だが中には罵詈雑言を入れる人間もいると知ってるからだ。
私は弱小物書きだから、誹謗中傷がガンガン送られてきたとかそんなことはない。
一度、二度ぐらい誤って感想を見たときにちょっとした私の柔い心に針が刺さったことがあるから見たくない。それだけだ。
でも小説は読んで頂けたら嬉しい。楽しんで頂けたのなら嬉しいのだ。
だけど私は自分の心の弱さを知っている。
書くことが好きだという気持ちを無くしたくないから、感想は読めない。
申し訳ないなとは思う。
悪いと思う。
詳しく言うと怒鳴ってくるお客さんとネチネチ嫌味言ってくるお客さんと影でせこいことしながらプレッシャーかけてくるお客さんにジェットストリームアタックくらって
頭痛目眩吐き気耳鳴り貧血腹痛倦怠感食欲不振喉の閉塞感の症状が出て仕事いけなくなったのでこのままだと鬱になると思って降ろさせてもらった
降りるときに上司にはなんか色々言われた気がするけど心が折れるよりマシだと思って耐えた
1ヶ月前の出来事
ようやく手元を離れたと思ったけどもう私のもとに戻ってきやがった
なんでもみんな忙しくて人が足りないから入ってくれと
だが待ってほしい、私も忙しいんだ
病気になるのは嫌だからと思ってギリギリでなんとかこらえたけど、こらえられたからこそ「こいつその時だけ辛そうにしてたけど大したことないじゃん」みたいに思われてるのを感じる
関係ないはずだけど「でもあなた達私よりひとまわりもふたまわりも長く生きてるし私よりひとまわりもふたまわりも多く給料もらってるんだから多少頼るくらい許してよ」って思っちゃうくらい心に余裕がなくなってる
言い訳のために病名欲しがる人いるじゃん?あの人たちの気持ちちょっと分かったわ
いっそ再起不能になったほうが楽かもなー
あるじゃん、差別煽ってゴミみたいな釣り投稿繰り返すアクセス稼ぎの匿名書き込みとか売名記事みたいなの。
そういうのを内容に応じて閲覧不可になるまで罵倒したり、アンケートとして役に立たないような意味不明POSTしまくったり、投稿者の心が折れるまで文章の瑕疵だけをひたすら指摘してくれるようなやつ。
理想としては投稿者個人を特定して、晒さずに本人のSNSとかメール宛てに延々と広告メールを送り付けて欲しい。
それでもやめなければ投稿者の知人宛てに「アンケートご協力ありがとうございました」とか「釣りアカウントに連絡乙www」とか送りつけて人間関係を破壊する。
いざ転職活動始めたが、いっぺんどこかで整理&吐き出さないと頭がパンクしそうなので、とりあえず書きなぐる。
これはわざわざ書くことでもないかもしれない。
空前の人手不足と大きく謳い、これみよがしに求人系の広告がそこかしこに出ていて、「これなら私でも今より良い環境で働けるかも!?」とパッと見思える。
実際はそんなことなく、企業はできるだけ安く使える優秀な人材を探し、労働者はできるだけ高待遇の職場を探すというミスマッチが置きているだけである。
企業は極力正社員での採用を避ける。契約社員やそれですらない請負業務の多いことよ。
労働者は(私も)ブラック企業は絶対避けたいので、待遇の良さそうなところを探す。
すると何が起きるのか。
せっせと書類を書いて送り、いざ面接だと始まった途端、「最初に断っておきますが、◯◯◯◯(何かしらの理由付け。多いのは転職サイト掲載担当にこう書けって言われた)だったのであぁ書きましたが、実際は××××です。」と詐欺紛いのことを平気で言ってくる。
わりと心が折れる。
ほんこれ。
「なんか分かりにくいこと書いてあるけど、面接で聞けばいいかー」
罠である。
採用情報に記載されている文面で納得(理解)出来ない場合は、もはや応募しないべき。なぜなら企業はそこで釣ろうとしていない(魅力がない)から。
実際に質問して返ってくるのは、「ぇ、そんなことあるんだ」というようなものばかり。
向こうもそこを気にするやつは長続きしないだろうなと思うのだろう、まず落とされる。
いや、受かっても確かに困るけど。
たぶん転職市場で一番売れやすいのは、大卒後1~2年経って最初の会社でビジネスマナーを学びある程度揉まれた20代前半~中盤である。
学生気分が抜けつつ、まだ若いから会社に染めやすく、そして働き始めだから待遇にも大きな文句は言わない、そんな時期。
「じゃぁ皆その時期に転職すればいいのに」
たぶんその通りだが、当人にとってはそうでもない。
3秒ルールならぬ3年ルールに今さら縛られる人は多くないだろうが、「働き続ければ報われる」とは考えるだろう。私は考えた。
そして働き続けて見えてくるのは、上がらない賃金、削られて新しい席の作られない役職ポスト、右肩下がりの会社の業績。
将来の不安感。
ようやく本題。
何か人手不足らしいし、ステップアップのために転職をしよう。エージェントに登録したらめっちゃオススメくるし。こりゃ楽勝じゃねーか。
罠である。
実際に置きたことは冒頭でも触れたが、ここではもう少し掘り下げる。
一応登録者は客的な立場で親身に応対してくれるが、エージェントは「いかに時間をかけず高く企業に売れるか」を考えるので、それを利用するぐらいの意気込みじゃないとステップアップには繋がらない。そして職を吟味しすぎると、どんどん対応が雑になる。「この企業、急に赤字になってるんですけど何でですか?」→「知らん。」 おいおい。 「ドラえも~ん」的なノリで頼ろうとするのは間違い。
何か武器を持ってないと通じない。そのひとつが年齢なのだが、得てして気づいたときには手元にはない。
・真面目は武器じゃない
「真面目に粛々と働いていれば評価される」そんな風に思っていた時期が私にもありました。企業は意外と真面目さは評価しません。着々と積み重ねた経歴よりも、バカみたいな趣味の話とかしたほうが通過率が高いです。私の場合、バカみたいな趣味の話は全部ヤケの盛った話なので、役員面接でなんやかや化けの皮が剥がれて落ちました。
これがね、笑えない。新卒のときの「何か自分の考えが答えられればいい」とは訳が違う。ガチで聞いてくる。必死に考えた答えも「そういうことじゃないんだよね」「そんなのは今いる社員なら誰でも出来るんだよね」と一蹴される。確かに「勇者・魔法使い・僧侶」が居るパーティに2人目の魔法使いや僧侶は要らないだろう。募集要項に戦士募集と書いて欲しい。
ぶっちゃけ私は新卒のときから面接が苦手だった。質問を真正面に受け止めてそのまま返してしまうからである。大学の就職課やらでパターンを覚えてようやく対処できたレベルである。なんで転職活動しようと思ったのか。
なぜ冒頭に「◯◯が知りたいのですが、」と一言付け加えることができないのか。それが推理できることにどれだけの価値があるのか。
「その手の質問は中途採用で聞かれることはめったにない」と書いていたどっかの転職サイトを信じた私もアホウではあるが。
そんなことを続けて頭に浮かんできたのは、逆ヘッドハンティングという言葉。
「私はヘッドハンティングされてもおかしくないはずの人材なのに誰も声をかけてくれない。じゃぁ自分から行くしかない。」
間違っても私のような「真面目に働いて仕事を積み重ねたけど報われない、でも大した武器は持ってないありふれた従業員A」が、CMや広告に釣られてうへへと手を出すものじゃなかった気がする。
「何か私、会社で凄い頼られてるから優秀なんじゃ!?」他所の企業様には知ったことじゃねーって話であった。
馬鹿な犯罪をやらかして捕まる大手企業会社員のニュースとかを見ると「自分がいかに真っ当な人間か」と思うことも少なくないが、ぶっちゃけ真っ当であるかどうかなんて企業の求める人材像の中では箸にも棒にもかからないんだなと、痛感する。ま、そんなの犯さない前提だから、いざ事が起こっても運が悪かった程度の話なんだろうけど。
時間の猶予も大してないので数を応募しないといけないが、かといって1社1社しゃぶり尽くすように調べないと選考を通らない。
そんなことをしてると毎夜色んな会社に勤めている自分の姿を夢に見るが、結局暫くすると落選の連絡が来て無意味に終わる。
商品を扱う会社であればもちろんそれも調べるし、エンターテイメント系のものであればそれで楽しんで、それぞれ好感的な印象を自分の中で築いていき、打ち砕かれる。
別に嫌いになったとか呪ってやるとかそういうことはないが、ひとまず視野に入れたくなくなる。若者の消費渋りはこういうのが原因じゃないかとか思うくらいには。カゴメのやってた落選者への対応は別に神とかじゃなく、リアルに切実な問題なんじゃないかと、今は思う。
・・・まぁ「今は思う」って通り、新卒の時は何か落ちて当たり前の気がしてたし、今ほど追い詰められるように企業に向き合ってなかったから、大してショックじゃなかったんだけどね。
もはや転職活動を続ける気力は枯れつつあるが、会社の方も枯れつつあるので、間に合うかどうか知らんが転職が成功しうるだけのスキルを上げるしかない。
とりあえず脳内でうようよしてた気持ちがこうして文章になったので、時間を置いたら自分の恥ずかしいところが見えてくると思うし、どこかの誰かが親切に辛辣な指摘をしてくれることもちょっと期待している。