はてなキーワード: 心が折れるとは
昨日テレビでやってたプロフェッショナル仕事の流儀の佐賀の包丁研ぎの職人の放送にとっても感動した。
でも、包丁研ぎの料金がいくらなのか、ステンレスのただの板を削って一からオーダーメイドで作った包丁がいくらなのか、教えて欲しかった。
包丁研ぎの料金は一律じゃなさそうだから一概には言えないのかもしれないけど
オーダーメイドの包丁は料理人が「これは間違いなく一生ものだ」と言っていて、相当高いんだろうなと思った。あの番組に出てきた料理人は貧乏人には入れないような高級料理の店の料理人ばっかりで、そういう人の包丁を予約2年待ちで研いでいる坂下さんはめっちゃ儲けてるんだと思う。
いくら仕事のやりがいがあっても、やはりそれなりの報酬がなければ働くことはできない。難しい仕事なのに給料が低いと人間はやる気が出ない。心が折れる。
ガイアの夜明け?だったっけ?
プロフェッショナル仕事の流儀は、働く人の年収も公開してほしいわ。
先日、声優の神谷浩史が出てきたけど中堅層の神谷浩史がどれだけ年収があるのか興味があり、教えて欲しかった。これから声優を目指したいと思う若者はたくさんいるんだから参考までに神谷の年収を公開するべきだった。
君は「物を作りたい」のじゃなくて「物を作ってチヤホヤされているような人のような状況になりたい」だけなんじゃないの?
本当に物が作りたいというのなら、もう手を動かしているはず。ただし、作った物は簡単には受け入れられない。そこでああでもないこうでもないというのを積み重ねて、人気がでる物になる。
だけど、まず先にチヤホヤされている状況を望んでいる状態であれば、受け入れられない段階で心が折れることでしょう。
ましてや、起業みたいに儲けやチヤホヤされうる状況であれば、ますます自分を利用して他人の承認欲求やら他人の利益を出すための生け贄、
そもそも起業を増やすためのパンダとして利用しよう奴が現れる。ますます心が折れる。
単に君はまず今疲れているだけだ、余計な考えにとらわれて疲れていると理解して、休むこと。ついでに言うとマインドフルネス周りの本を読んでみて特に休む技法を身につけるほうがいいよ。
元編集増田です。「発注を受ける絵描きさん」から「増田の視点にはなかった、的を射た異論」をいただいたのはこちらの方だけだったのでせっかくながら返信させていただきます。
女性向けなんて300部でたらすごいほう
200であそこは多いと噂になる
で、実際はだいたいが50~100部でオンデマンド印刷(安くて荒い)
女性向け界隈の雰囲気に関しては無知なので言える事は何もないのですが、この辺りに関しては男性向けでも変わらないと思います。同人誌で文庫本100冊売れることはそうそうない。プロ作家が寄稿したら紙で即完売するかもな、くらいのレベル。n*100円で出して100冊売れたらn万円なわけで、イラスト発注5万円で計算すると最低1000円からですよね、でも同人小説で1000円の値段がつくもの買ってもらおうとしたらどれくらい気合いの入ったものになるんだろう。
つまり、実はこの話って「5万円で小説同人のイラスト発注無理でしょ」問題が根本に横たわってるんですよね。発注側の視点からその言葉を言うわけにはいかない(精神論として)ので書かなかったんですが、現実問題、上記の計算で行っても5万円を捻出するのって大変じゃないですか。いくら作品に愛があっても赤字前提になる価格帯でずっと同人小説出し続けるの心が折れますよ。自分なら心が折れる。
結局のところ、「理想の価格帯-現実の発注価格」の間に生まれる差額をリカバーするためのものって、最終的には友人価格とか、作品愛とか、そういうものにならざるをえない。その前提の元で可能な限り受注者に対して最高のパフォーマンスを発揮してもらえるよう、ノウハウでどうにかなるサポート方法を可能な限り書いたのがあの増田だったのです。
で、自分が完全に見落としていたのが「金額の差分が発注者や作品/ジャンルに対する愛を瀬踏みする行為にならざるをえない」という視点。同人ってたしかに同じジャンル同士の交友関係が前提になりますもんね。そこは自分が無知というか、ビジネスでのイラストレーターさんとのつき合いしかなかった=お互い完全に初対面の状態から発注せざるをえない=みんな特につきあいのないイラストレーターさんに発注していると思い込んでいました。失礼しました。
結局のところ、同人って「商業より安い発注になりがち」問題って絶対発生するものだと思います。ただ、その分融通が利くというか、「同人だからできること」をやってもらえるのが一番いいのかなと。
たとえば、商業と同人の一番の違いって、「厳密な締め切りがない」「イラストに対する細かなリテイクがない」「好きなものを描ける」あたりだと思うんです。だから、そういった「イラストレーターさんにとっての片手間・息抜き」になるような発注ができると、多分喜んで描いてもらえるのでは、とは少し思っています。基本的に、イラストレーターさんは描くことが好きなひとたちだと思うので、「描くのが苦痛」にならないような発注ができると、お互いにとって幸せな依頼になる。これは商業だとやりがい搾取になるからできない=同人だからできることだと思います。
こちらの方の異論には痛いところを突かれたというか、この前提を語らなかったのは不誠実な気がしたので、答えになってない反応ながら書かせていただきました。あくまで部外者として思うのは、発注する側はあんまり気負わないで発注したらいいし、ただ発注するならするでイラストレーターさんへの気遣いを忘れないで発注するのがいいのではないか、ということです。
朝晩は冷えるようになって、ああ今年の夏も何もせずに終わっちゃったなあと思う。結局毎日昼過ぎまで寝て、クーラーの効いた部屋でダラダラとスマホを眺める。それだけで一日が終わるのもなんだかなーと思って惰性で出かける時は夜。完全に社会に適応できない。
Twitterの垢消しをした。諸々の事情で、全部のアカウントを消すことはできなかったんだけど、メンタルが死んでいる原因になったアカウントを消した。すっきりした。できれば表活動をしているアカウント全部消して身内垢に引きこもりたいけど、それをやると後々苦しむのは自分だからやめた。それができないから、今苦しいってのもあるけど。
結局わたしみたいなやつは誰とも関わらない方が自分も相手も傷つかずに済むんだなって感じ。一生ROM専でいいや。
子供の頃ってなんだか生きていたらそのうち何かしらを成すことはできるって思ってたけど、案外自分なんて大したものではないのだ。日本人だけでもウン万人いる中で、例えば全国に名の知れてる人なんてほんの一握りだ。全国誰でもじゃなくても、ミステリー小説が好きな人にはとか、漫画好きな人にはとか、そういう一界隈に名の知れてる人にしたって少ない。
結局大きな理想を掲げないことって省エネに生きる上ですごく大事だ。もちろん大きな理想を掲げて、それに向かって努力して、叶ったならすごい人だし、叶わなくても心が折れない人は「努力できた」という点がすごい。
わたしみたいなのは努力もできないし、目標作って達成できなかったら一生引きずるレベルで心が折れる。だからゆるく底辺で生きてた方が楽だなあと思うのだ。
絵や漫画と違って文章なんかに個性ないから字書きは消えればいいのに、みたいな話を見て、悲しいことに腑に落ちてしまった。すごい文豪とかガチの小説家さんは、確かにその人っぽい文体を持っているし、それが好きだなあとか思う。
けど結局2次小説ってそんなもんだよな、ってなんか、納得しちゃって。結局何も残せないならやっても意味ないなって。わたしは勝手に思っちゃった。
しばらく書くことから離れようと思う。疲れた。1次2次に関わらず創作界隈に疲れちゃった。
来年の夏はもう少しマシな夏になるといいな。
見ていると時々はそういう人にも遭うが、まあどちらかといえば日本じゃ少数派だろう
それに加えて運の悪いことに、俺は帰国子女だった
小学校低学年で日本に帰って来て、学校ではいじめというほどじゃないが微妙にからかわれた
何かっていうとすぐ「これ英語で言ってみろよ~w」とか「お前日本人じゃないしな~w」とか
それがやっぱり地味にトラウマだったらしくて
未だに「白米好きじゃないなんて日本人失格だなw」みたいな言葉には心が折れる
まあこっちも年とったから、そのくらいの心の折れ方は慣れっこで聞き流すが、愉快ではない
たぶん言ってる方に悪気は全然ないと分かるだけに、こういうのは決してなくならないんだろうなと思う
どうしようもなく追い詰められてる人間にこの言葉で迫るのはまじでやめろ。まあ俺は追い詰められてる人代表ではないから、他の人はどうかは知らんけれど。少なくとも俺はこの言葉を言われただけで、「ああ、こいつとは分かり合えない」と断絶を感じる。こいつに何を言っても無駄だと思ってしまう。
それは周りの人間からしたら、その人がどうしたいのかがわからないから出てくる言葉なのはわかるけどさ。追い詰められてる人間は何がしたいかなんてわからんわけよ。わかってたら追い詰められてたりしないからさ。
で、なんでそこまで追い詰められてるかを説明しなきゃ、どれだけ辛いかを周りの人間に理解してもらえないんだが、この説明自体が難しい。単純でわかりやすいきっかけがあれば説明もしやすいし理解もされやすいだろうさ。でも些細なことでも、長い間の積み重ねで心が折れることがある。それを「ちゃんと言ってくれないとわからない」なんて言われても、こっちだってどう説明しようかわからんし、そもそも心がくじけてしんどいところをどう説明すればいいのよって思う。
でさ、この間心療内科に行ったんだけど、行ったことを後悔したわけさ。ああ、結局理解されないんだなって。
そこでも結局何がしたいのって聞かれるわけだが、そんなの一言で説明できるかよ。うまく説明できるほど口が達者でもないし、口が達者ならここまで追い込まれてねえし。
でもさ、心療内科行ってみて得たこともある。俺が欲しかったのは寄り添ってくれる人なんだと思う。現状分析してアドバイスしたり解決策を提示してくれるような人はいらないわけ。もうこれ以上何もやりたくないのに、さらにあれをやりなさい、これをやりなさい、今のままじゃだめだとか、そういう追加のタスクを投げられても、すでに抱えきれない状態なんだ。死ぬよ。
俺自身は追い詰められてるけど、振り返ってみると逆の立場で「それはこうすればいいじゃん」とかアドバイスしてたことがあったし。そのアドバイス、相手は馬鹿だなぁ、そんなこともわからないのか、俺ってできる男、みたいな気持ちでアドバイスしてなかっただろうか。今の自分が強く思ってる「そんなのいらない」ということを俺自身がやってるわけさ。
「こうすればいいじゃん」ていう解決策はさ、追い詰められてる人間にだってわかるさ。わかってない場合もあるけど。でもそれを行動に移す気力がないわけよ。追い詰められてる状態の人間にさらにがんばれって言ってるもんだよ、それ。がんばれないからつらがってるわけじゃん。その状態が理解されないから追い込まれるわけじゃん。
だいたい「そんなのこれやるだけじゃん」と簡単そうにアドバイスをするやつは、現状を知らないから言えるだけというのを理解して欲しい。同じ立場・状況に置かれてその現状を実感した上でのアドバイスなら聞いてやれなくもないけど、そんなこちらの状況をまるで知りもせずにする上から目線アドバイスなんて、さらなるストレスでしかない。気分としては安全地帯から石投げられてる気分よね。
介護問題で悩んでる人に、それはもう施設に入れるしかないじゃんとかアドバイスするのは簡単だろうさ。でも、その施設に入るまでの間は何も変わらないわけよ。あんたが面倒見てくれるわけ? 違うよね。
老人が運転してた車で若い人が命を失う。免許を返納させろ、それをしなかった家族も同罪だなんて、無責任に言ってる奴ら。それだって現状を見てないわけよ。免許を返納したあと、その老人の世話を周りの家族が見なきゃいけなくなる。それどうすんのって視点が欠けてる。返納させればいいじゃんって言ったあなた、あなたが面倒見てくれるんですか? タクシー使えばいいじゃんって? そのお金はどこから出てくるのよ。タクシーくるまでの間、どうすればいいのよ。口でいうだけなら簡単なんだよ、それちゃんと実行できるの? 正論のつもりで言ってるのかもしれんが、それめちゃくちゃ無責任な発言だぞ。
・・・ああ、ちなみに。俺は介護で追い詰められてるから、老人に若者や子供の命が奪われる現状が憎くて憎くて仕方がないよ。老人なんて等しくこの世から消滅してしまえと思ってるよ。老人の肩を持つ気はさらさらない。自分のばばあ憎しから拡大して、世の中の老人全部が憎悪の対象だよ。
ただ、老人なんてみんな死滅してしまえと思うのと同じように、現状をよく知りもしないくせにアドバイスのような、その実相手を追い込めるだけでしかない呪詛をばらまく奴らも同じようにこの世から消滅してしまえと思ってる。
別にさ、俺の状況知ってるわけでもないやつに、なにかアドバイスしてほしいなんて欠片も思ってねぇよ。ただ話を聞いてくれよ。
とりあえず現時点で、同じ境遇に置かれてる家族と傷のなめあいして心を紛らわせてなんとか耐えてるよ。紛らわせたところで俺を追い詰めるものが消えてなくなるわけじゃない。本当にクソみたいな世の中だ。
ああ、気がついたら呪詛が出るな。すまんすまん。
まあこれで何が言いたいかって言うとさ、追い詰められてる人間、疲れてる人間にさ、「お前はどうしたいんだ、どうしてほしいんだ」って聞くときはさ、ちゃんと本人に寄り添ってからにしてやってほしいってこと。
本人がどうしたいのかってところはさ、すげえ大事な部分だし、それを聞かないと周りも何もできないんだけどさ。それを聞き出すのが第一声なのは、少なくとも俺はめちゃくちゃ傷つく。ああ、こいつには時間がないんだなって思うもん。そんな単刀直入にすぐ説明できるようなもんじゃないし、そもそも自分でもわかってないのに、開口一番それってことは、お前の相手してる暇ねえんだよってことなんだなって思うもん。ああ、こいつには理解されないんだなってその時点で無力感感じるね。
追い詰められた人間が自ら助けを求めに行くのって、めちゃめちゃハードル高いの。そんなのが簡単にできるのであればそんなに追い詰められてないだろうしね。
それでも助けを求めに来たときは、まずアドバイスじゃなくて話を聞いてやってくれ。溜まりに溜まったものが渦巻いてて、本人はどこからどう話したらいいかよくわかんない状態だからさ、急かさず、ただそばにいるだけでいいさ。お前の話はしなくていいよ。ただ本人のそばで、うんうんって聞いてやってくれ。それだけでだいぶ救われる。
絶対に、そのプロセスを飛ばしてアドバイスなんかしないでくれ。ああ、やっぱり何を言っても無駄なんだ、伝わらないんだって絶望感しか残んねえから。
何がしたいのか、どうしたいのか、ってのはとても大事なこと。追い詰められてる本人には見えてないもんだからね。だからどこかのタイミングでそれを切り出さざるを得ない。でもそれは、どっちかっていうと、追い詰められてる人と一緒に見つけるくらいのスタンスでやってほしいのよね。まあそれができりゃ誰も困らないんだけどね。
追い詰められてる人に対してもなんか書いとくかね。
とりあえず、貯め込むのだけは良くない。絶対に良くない。これだけは間違いない。だからどこかに吐き出すのだ。吐き出す際、王様の耳はロバの耳方式が良い。返信を期待しないところに吐き出すのが一番だ。何も解決しないけど、溜め込んだものを吐き出すのは大事だ。
増田に書くのもいいし、怪文書としてマスコミに送りつけるとかでもいいんじゃない、知らんけど。誰に見せるでもなく、紙に書き出すとかもありよ。吐き出せ吐き出せ。
そんなことしたって何も解決しないけどさ。少なくとも頭の中でぐるぐるぐるぐる悪い感情がループしてるのからは気が紛れると思う。
誰かに助けを求めようとする人は偉大だ。追い込まれてる状態なのに、拒絶されるかもしれない・理解されないかもしれないという恐怖を抱えながらも、助けを求めに行ける君はすごい。俺は尊敬するね。
君はどうかはしらんが、俺はようやくわかったよ。アドバイスがほしいんじゃなくて、現状を理解してもらいたいってのが俺のしてほしいことだってね。だから理解されないかもしれないけど、助けを求めに行動をすることにも意味はあるとは思うよ。そのせいでさらに傷つくことになるかもしれないけど、そこから見えてくることもあるかもしれない。
まあ悩みの大本がさっさと消えてなくなってくれるのが一番なんだがね。
頭の回転が速い、芸術的才能がある、
最近、誰かの頑張りや、誰かの才能に触れることが多い。
その度に「すごい!憧れる!カッコいい!」と強く思うと同時に、「私はそれと比べてどうなのだ?」「こんなに輝けているか?」と自問して無駄に苦悶。
側として見えるブランドにのみ価値を見出して意味なく心が折れるばかり。足りないのは、誰かと比べる必要などないと理解して初めて得る自己肯定感かも。
人に優しいとか、気遣いができるとかっていう思いやりの部分に価値を置かずに、ステータスしか見てこなかったことの浅はかさ。
嫉妬なんてしてないで、漠然と誰かと比較してないで、日々の小さな優しさや、思いやりを集めてたら、ほっこり幸せになれる気がする。
誰かの優しさに気づけるようになりたい。
新潟のアイドルだかの暴行事件?かなんかが問題になってるらしい。自己顕示欲ビジネスは搾取の温床、みんな自己顕示欲を満たしたくて満たしたくてたまらないのかなって思う。俺もそうだし。ちょっと前に流行ったゴルスタとかめっちゃ懐かしくない?
いま大学生だからそろそろ新入生がキャンパスに溢れる。入試突破したからかわかんないけどドヤ顔が張り付いてて見るのが苦しい。
小さい頃は仮面ライダーとかプリキュアとかに憧れてたけど、世の中の厳しさを知って、現実を知って、小市民として生きていくんだ!みたいな社会人。ほんとのほんとにそう思ってんの、正当化するためにそうあるべきだって思い込もうとしてるだけなんじゃないの、だってそれでもやっぱ自分は特別だって思いたくない?
特別ってなんなんですか。前述のちやほやされるとかは特別の一類型ですよね。みんな知らない情報を知りたいとか、大金持ちとか、なんか「「「個性」」」っていうの欲しいんですよね。中二病だよ。
でも悲しいかな俺らの99.9999%は凡人で、別にいい大学行ったとかいい企業に勤めたとか起業したとか本書いたとか海外勤務したとか語学が得意とかイケメンとか美女とかとかとか大体誤差の範囲で、結局一瞬全能感を獲得しても結局心が折れる。よぉ凡人。
二十歳過ぎて俺は知ってる。俺は凡人で、でもそれが嫌でなんとなく尖ったことやってみて、でもそれも誤差の範囲内で、でもやっぱり特別でありたい。なんとかして自分は特別だって思い込みたい。ゴールはないのに、やりたいこともないのに、すっからかんなのに。
Python:環境構築に罠が多すぎる。インデントブロックでも言うほどコードが綺麗になるわけではない。
Ruby:書き方が自由すぎて読めなくなりがち。ライブラリがPythonに比べると貧弱。
Java:環境構築で初心者は心が折れる。構文が冗長すぎる。書いてて全く面白くないどころかストレスが溜まる。
JavaScript:環境構築不要で誰でもいつでも始められる。構文は多少複雑だがエディタで十分補える。その気になれば滅茶苦茶な書き方もできる自由度の高さ。ライブラリが豊富。実行速度も非同期処理を使えば速い。資料もダントツに豊富でつまづいてもコミュニティに聞けばどうにかなる。書いてるうちに楽しさが分かってくる。
婚活してしててそんなに条件絞ってるわけじゃないのに、介護して子育てしてセックスできるママ探してる人とマッチングばかりしてうんざりしてる。
全部ワンオペでって。
別に高望みもしてない地味なアラフォーなんだけど、ここまで言われるもんかな?おまえの面倒見るくらいなら、同じ大型なら犬の方が癒されるのでましですって思うので、一生独身だろうなって思ってるけど。
もう、結婚したいと思うのが女性かオカマになってきた。まだ同姓婚ができないので、アラフォーのおばさんと結婚してもいいオカマのおじさんいませんかね。
オカマのおじさんにも選ぶ権利があるのは知ってますよ。でも、本当に疲れたんだ。
面白いテレビを見たときとか、ご飯がうまく行ったときとか、そういうときに何気ない会話をする人が欲しいんだ。
【追記】
こんな内容なのにそこそこのレスをいただいてありがとうございます。
勢いで書いたので、言葉足らずだった。
ほかの方のレスにも書いてあった通りのことがまさにって感じなんだけど、
こっちは婚活相手の両親と相手の介護も含めて面倒見る覚悟はあるので、
でも、探してみるとそういう人片方に負担を強いる癖に
自分は一ミリも金銭的にも肉体的にも精神的にも負担したくないっていう人ばかりで
疲弊してしまってます。それでいて敬ってほしいっていう感じで。
まともな人に会う前に心が折れる。
【追記その2】
こんな愚痴の吐き出しに様々な意見を下さりありがとうございます。
しんどいからといっていきなり傷つける言葉を使ったにもかかわらず、
こんな私にまでお気遣いありがとうございます。
否定されたとしても優しくされたかったんだと思って少し泣きました。
オカマ=ゲイの方やトランス女性の方と思っていたわけではなく、
男性側に妥協してやるんだありがたく思えという態度で接せられるくらいなら、こっちだってむちゃくちゃ条件をしぼってやるぞ!!女性に物理的・精神的にも加害しない女性的な部分があり女性に嫌悪感を持っていない、人間だと思ってくれる、性的な役割を女性に求めない男性というドラマや漫画にいそうなタイプのオカマ像が理想だぞ!どうだ、いないだろ!
決して、ゲイの方ならチャンスありそうとかは思っていないです。
オカマという発言についてもゲイでない、トランスでもない、ファッションの一環とか、女装が好きとか、ゲイだけど結婚という契約は世間的にしたいけどとか、断定した意味だとそれしかなくなるので広義の意味合いを持たせたつもりでした。
タイトルにするには長すぎたし、勢いで書いたのでうまく説明できなかったのと、どうせ反響ないと思っていたので省いた部分でした。もう少し説明するべきだった思います。
気づいてくれた方もいましたが、大多数の方をむやみに傷つけてすみませんでした。
いくつか指摘の通りなんですが、私は元々ぼんやりと男性的な部分嫌いなところがあり、婚活で悪化したと思っています。
アラフォーでメリットのある婚活は無理だよってご意見も理解しています。でも、ここまでか・・・と思ってしまったんですよね。
元々アラサーから婚活を始めいて、最近までお付き合いをする男性もいました。
ただ、スタイルも背格好もよく似た年下の女性に乗り換えられたことがあって。
育てた末に年下の人に持って行かれるのかとか
仕事をして毎日風呂にはいる男性くらいなら婚活の場にいるだろうと思って婚活再開したら、
顔も洗ってない歯も磨いてない仕事してないお風呂入ってないみたいな男性ばかりで
大人の赤ちゃん育てる体力無いな・・・婚活やめたいな・・・と思ってしまいました。
結婚はゴールでは無いことについて
どうしても結婚したいというわけではなくて、でもパートナーはほしいと思っていました。
同性なのもダメではなく、同性と同居って楽しいだろうなと思います。もっと年齢を重ねた時に同性同士で暮らすのもいいと思いました。
ただ、同性だと相手か私に何かあったとき何もしてあげられないんですよね
遺産がどうかとかじゃなく、病院の入退院の手続とか葬儀の手続とか、
血縁者の許可がないと何にもしてあげられないし、何も残せないんですよね。
そういう一緒にいたい人がいた時に、
でも、これってそういう友達とか仲間とかパートナーがいた上の結果ですね。
特に今、そういう相手もいないですし、これからも出来ないと思いますので、
一人で終末を迎える準備を続けたいと思います。
ありがとうございます。大丈夫です。
友人も多いですし、趣味も充実しているので毎日楽しくすごしています。
なので十分楽しく過ごせています。難易度の高いことに挑戦したりと楽しいです。
でも少しルーチンワーク的になっていたのかもしれません。
今はまだ同性同士で婚姻は認められないですし、
同性婚が認められる世の中になっても、
契約婚ともちょっと違う同性の友達婚が許されるのはまだ先だろうな思います。
というのは流石に話がずれ過ぎですね。
そんなことないでしょ。観念的ではなくその人のポテンシャルを見抜いているからこそ言える言葉だよ。
筋力や持久力など身体的には飛び抜けた素質があるけれど技術がまだ伴わずに結果が出ていない荒削り状態の人に対して「伸び代がある」と言うものだし、「君ならもっとやれる」という褒める言葉だ。
「心が折れる」にしてもそうだ。身体や技量は優れたものを持っていて、継続して競技していれば大成する器も持っているのに、人間関係や勝ち負けのような社会的・心理的要因で辞めてしまいそうな人に「もったいない」と惜しむ言葉で、激励の意味合いが込められている。心持ちさえどうにかすればポテンシャルは大いに評価しているし君に期待し注目しているんだよと伝えるポジティブな言葉だ。
自分の中で他人の言葉をネガティブに捉えるだけでは人の心を推し量る能力がどんどん衰えていくよ。確かに上から目線な印象も含まれる言葉ではあるし、本来は指導者だけが掛けるべき言葉かもしれないが、そうでない立場でも激励・応援したい外野の人はたくさんいるのだ。
ADHD持ちは、決められた手順をそつなくミスなくこなすということができない。
いろいろな手順全てにおいてミスが許されない年賀状作成は本当に鬼門だ。
安全作業の講習のように何度も指差し確認をしないと正しく印刷されない。
③手書きメッセージ→印刷だけでは味気ないので、一言添えなければならない気がして、
書いてみるが、これが最悪。当然に誤字脱字はあるし、何回も何回も
「去年は・旧年は」と書くべきところを、「今年は・本年は」と書いてしまう。
修正テープという訳にはいかないので、たったこれだけの間違いでも新しい年賀状を
作成しなければならない。しかも一生懸命書いても字は下手。悲しいほどに。
④複合技→「宛名を間違えていたので印刷すると、差し込む方向を間違えていて、
また新たに印刷をかけなければならない」・「折角刷り直した年賀状で誤字脱字をやらかす」
④が襲いかかってくると、本当に自分はダメ人間だという意識に苛まれ、
世間の普通の人は難なくこなしているけど、本当に僕にとっては、
年賀状は苦痛なんだ。もうSNSもあるし、ペーパーレスの時代なんだから、
習慣は本当に無くなって欲しい。少なくとも止めた時に、
出したい人は出す。出さない人は本当に何のプレッシャーもなくださなくていい。
親の都合で中学校を3回転校して、3つ目の学校できっちりいじめられた。
私以外にも何人かターゲットになっている子がいて授業中泣き出した子もいたし、たまりかねていじめのグループのボスみたいな子に椅子を投げつけた子もいた。
学校に来なくなった子もいた。
私は適度に仮病を使って休んだりはしたけど、それなりに学校には通っていた。
こういう事で不登校になって進学に差し障る方が将来自分が困る、と思った。
いじめのグループの子たちは勉強が全くできなかったので、自分はそれなりに勉強しようと決めた。
そんな時はいじめのグループの子たちをどうやって殺すか、1人ずつ細かく細かくノートに書く、という事で乗り切っていた。
こう書いてても「病んでるなー」と思うけど、自分が死にたいとか自殺したいとかは全く思わなかった。
本当にどうしようもなく辛くなって耐えられなくなった時にはノートに書いた事を実行しよう、と思っていた。
それを心の支えにしていた。
職場は病院だけど先日出勤すると自分が働く病棟にあのいじめのグループのボスが入院していた。
私は整形疑惑を持たれるほど顔が激変したし仕事中はマスクを着用しているので向こうは全く気がついてない様子だった。
ひさしぶりに見たその子はガンでもう歩けなくなっていて車椅子生活になっていた。
まさかこんなところで再会するとは思ってなかった。
何もかもがたまたまだと思う。
たまたまだけど、やっぱり思った。
ざまぁみろ、と。
とある界隈で2次創作をしている。小説らしきものを書く、ただそれだけの人間だ。
これは書き捨てたいと思って、書いただけの話だ。とりとめのないことを心の赴くままに吐き捨てた。私の話で、私以外の何者にも関係ない話だから読み流してほしい。思うがままに何の順序も考えず、適当に書き連ねただけのものだ。
大まかには1次創作から2次創作に移った時の話と感想が苦手って話だけど。
昔1次創作をしていた頃がある。その時は2次創作なんて物は知らなくてただひたすらに1次創作に耽っていた。2次創作を知ったのはなんとなく始めたツイッターだった。なんとなく自分の好きなラノベのタイトルを検索して、引っかかったのが2次創作だった。
ああこういう創作もあるのかと思った。
私が知っているはずの世界と、根を同じにして別の花を咲かせた世界と思った。だけど大樹になることは出来ずに、ただ大樹に寄り添うように花を咲かす創作だと思った。
初めて2次創作を書いたとき、2次創作に逃げるんですか?という内容のことを言われたことがある。
その時1次創作をやっている方に少数ながら2次創作を見下している方がいることも知った。「自分で世界を創造できないくせに」といった種類の言葉を何度か見た。
その時、彼もしくは彼女の言うことが理解できなかった。今も理解できない。2次創作が何故「逃げる」ことになるのか理解できなかったのだ。今では少しだけその方の言いたかったことはわかるけれど、共感することも理解を示すこともできない。
私は1次創作をしていた身として世界を創る難しさも楽しさも苦しさも少しは味わった身ではある。
私は2次創作を行なっている身として他人が描いた世界に自らの書きたいことを表現する罪深さと難しさと楽しさを少しは知っている。
確かに世界があるというのは書きやすいことを認めよう。世界観やキャラクターといった大樹がしっかりと根付いている世界で行う2次創作は書きやすい。だけどそれだけだ。
だけど1次創作だって世界を創った私には世界観、キャラクター、ストーリーは分かっている。私の中には世界観やキャラクターといった大樹は根付いている。ストーリーという枝葉まで理解できている。だから書きやすさは変わらないと思った。
だけど誤解しないでほしい。
読んでもらった時に理解されやすい、評価されやすいというのは2次創作だと思う。だけど書きやすさについては変わらないと思うと私の意見を述べてるに過ぎないのだ。
それに1次創作にしろ、2次創作にしろ、私は書きたかった話を書いただけだ。
私にとってはただそれだけのことだったから、なんで「逃げ」と言われたのか理解できなかった。
私は感想を貰いたくない人間だ。そのくせ承認欲求は人並みにある。支部に小説をあげて、ブクマされたら嬉しい。n人があなたの小説をブックマークしましたって通知が来たら嬉しいのだ。
だけど私は感想が読めない人間なのだ。支部の感想の通知も切っている。
感想を書くのにはかなりの労力が必要だと分かってるから悪いとは思う。だけど私は読むことができないから貰いたくない。その労力に見合う何かを私は受け取れない。付け加えていうのならば、私はその労力に値する何かを返すことも出来ない。
端的に言えば怖いのだ。心が弱い。私は自分の心が豆腐以下だと知っている。何でポッキリ心が折れるのかわからない。
感想というのは基本的に善意によって書かれたものだろう。だが中には罵詈雑言を入れる人間もいると知ってるからだ。
私は弱小物書きだから、誹謗中傷がガンガン送られてきたとかそんなことはない。
一度、二度ぐらい誤って感想を見たときにちょっとした私の柔い心に針が刺さったことがあるから見たくない。それだけだ。
でも小説は読んで頂けたら嬉しい。楽しんで頂けたのなら嬉しいのだ。
だけど私は自分の心の弱さを知っている。
書くことが好きだという気持ちを無くしたくないから、感想は読めない。
申し訳ないなとは思う。
悪いと思う。
詳しく言うと怒鳴ってくるお客さんとネチネチ嫌味言ってくるお客さんと影でせこいことしながらプレッシャーかけてくるお客さんにジェットストリームアタックくらって
頭痛目眩吐き気耳鳴り貧血腹痛倦怠感食欲不振喉の閉塞感の症状が出て仕事いけなくなったのでこのままだと鬱になると思って降ろさせてもらった
降りるときに上司にはなんか色々言われた気がするけど心が折れるよりマシだと思って耐えた
1ヶ月前の出来事
ようやく手元を離れたと思ったけどもう私のもとに戻ってきやがった
なんでもみんな忙しくて人が足りないから入ってくれと
だが待ってほしい、私も忙しいんだ
病気になるのは嫌だからと思ってギリギリでなんとかこらえたけど、こらえられたからこそ「こいつその時だけ辛そうにしてたけど大したことないじゃん」みたいに思われてるのを感じる
関係ないはずだけど「でもあなた達私よりひとまわりもふたまわりも長く生きてるし私よりひとまわりもふたまわりも多く給料もらってるんだから多少頼るくらい許してよ」って思っちゃうくらい心に余裕がなくなってる
言い訳のために病名欲しがる人いるじゃん?あの人たちの気持ちちょっと分かったわ
いっそ再起不能になったほうが楽かもなー