はてなキーワード: 初恋とは
夜中に急に思い立って書いた文だったし、投稿したのも初めてだったので、こんなに沢山の人の目に触れているのに驚いています。お昼休みに「一つくらいコメント来てるのかな?」と思って開いたらこんなことになっていて、それからずっと心臓がバクバクしてる。
推敲もせずに書いてしまった文だから、長いしまとまってないしタイトルと中身が一致していないね。それでも読んでくださった方、コメントを下さった方、本当にありがとう。
もしかしたら『恋がしたい』んじゃなくて、『自分の価値観を決定的に塗り替えてしまうような衝撃』に出会いたいのかもしれないなと思い至りました。
『恋がしたい』、『恋をしなくては』という考えが私の中にあるのは『しかるべきときに初恋を経験してこなかった人間はおかしい』というような趣旨の発言をされた方を見たからで、今から考えると『自分はまともである』という証左を得たいが為に恋をしようとしていたのかもしれません。
婚活についても同じことが言える気がします。配偶者がいる人間は少なくとも『まとも(=致命的な人間的欠陥は見受けられない)』である、という考えが私の中にありました。
でも婚活から二年たって、色々な人を見てきて『結婚していてもまともかどうかはわからない』という結論に至っています。
『誰かを一番に出来ないから誰かの一番になれない』ことは私自身よくわかっていて、本当ならそこまで書くべきでした。中途半端に終わらせてしまったからよくなかった。
『誰の一番にもなれない』。この事に関しては、後ろ向きに表現するなら『諦めて』いますが、前向きに表現するなら『納得して』います。
長くなりましたが、頂いたコメントに対してのお返事をさせてください。全部にはお返事が出来ないのを許してください。
『長い』
→ネットを使っていてこんなことをいうのは馬鹿げているけど、正直誰も見ると思ってなかったから冗長になってしまったんだ。長いのに読んでくれてありがとう。今回も長くなってしまうからここで読むのをやめるのをおすすめします。
『23で結婚焦るって特殊だろ。いきなり婚活ではなくまず彼氏作ろうとする、ってなら分かるけど』
→その当時同い年の友人の結婚式に招待して貰ったこともあって、ちょっと焦ってしまった。恋人じゃなくて婚活から始めたのは、相手と自分の時間を無駄にしたくなかったからなんだ。もし恋人になったけど結婚しなかったとして、その分の時間を相手に無駄に使わせてしまうことに抵抗があったんだ。
『この手の誰かを好きになったことがないのに、男と付き合ったり婚活に参加したりするクソ迷惑な女~(一部省略~)てめーの世間体のために男を利用するな』
→世間体のために相手を利用するのは不誠実だなと思ったから、そこで婚活から手を引きました。
→当時から一人暮らしを満喫していました!家族関係に問題があるんじゃないかって心配してくださった方も多くて大変ありがたいのだけど、家族とはちゃんとした関係を築けているのでそこは大丈夫です。仲良い家族だねってよく言われる。
→素敵で一緒にいると楽しい友人がいます。友人が多い方じゃないけれど、その分丁寧に接することができていると思いたい。趣味もちゃんとあります。多趣味かも。趣味を仕事にしたようなところもあるから、その点も大丈夫です。心配してくれて本当にありがとう!
→私も『二次元ならときめくかも?』と思って乙女ゲームをやったり少女マンガをみたりしたけど、前者はキャラが迫ってくる感じが距離感つかめなくて怖くてダメでした。少女マンガはみてて気恥ずかしくなってしまってちょっと読めない……
『逆にどういう人だったら自分の一番にしたいのか考えてみては』
→このコメントをいただいてからずっと考えているのだけど、全く思い浮かばないんだ。もしかすると『誰も一番にしたくない』のかもしれないなって、ちょっとそういうことも考えてしまった。
→この言葉、とっても嬉しかった。そういえば親やきょうだいの存在を視野に含めていなかったなって。
『"自分が一番楽ならそれでいい"はずなのに、それでもなぜ"恋人がいないことに悩む二十代のふり"をしようとしているのか。そこに本質があると思う』
→『恋人がいないことに悩む二十代のふり』をしていた方が余計な詮索をされなくて楽な部分が多少ならずあるんです。恋人を作らない人・人を愛せない人を変な目で見ない社会になるといいな。自分が一番楽でいるために私がとった方法が『恋人がいないことに悩む二十代のふり』です。
いい男かどうか判定の対象にする男が少なすぎるのではないか?という話。
勤め先でめちゃくちゃ好きな彼氏が出来てから気付いた。私の初恋はYくんだった。
小学生の頃の話だ。
ずっと茶髪で足が速くて、反抗的なのに教師に気に入られていて、喧嘩もドッジボールも強くて、愛嬌と言える程度にバカで、誰とでも仲が良かったMくんが、私の初恋だと思っていた。
あらためてアルバムを見ると言うほど綺麗な造形だとも思わないが、イケメン!と女の子みんなが言っていたし、私も思っていた。女の子が5人集まったら3人はMくんが好きだった。
もう1人Nくんという弁護士を両親に持つ秀才で運動もでき、教師の覚えもめでたい子がいた。5人のうち2人はNくんが好き!と言っていた。その2人で人気を大体2分していた。(余談だが、Nくんはアルバムで見ても美少年だった。人づてに1000万はかたい大手に就職したと聞いた。Nくん派だった子達は見る目があると思う。)
さて話を戻す。私はYくんが好きだった。
Yくんは、Mくんの右腕的な子で、バスケをやっていた。とてもお調子者で面白く、気遣いもでき、優しく、よく食べ、話題に上がらない程度には勉強をこなす、とても愛嬌のある子だった。
みんなYくんのことが大好きだったし、ムードメーカーとして欠かせない存在だった。
でも、びっくりするほど恋愛的な人気がなかった。バスケチームのコーチの方針で少年野球みたいな、ほぼ坊主みたいな髪型をしていたが、ブスでもデブでもなかった。
Yくんは言わば2番手の男であった。男の子も女の子も、みんなYくんのことを「いいやつ」として評価し、分類していた。でも恋愛とか、付き合うとか、そういう対象として見る相手ではなかった。
社会性が未発達だったメスの私は、みんなが恋愛対象として評価していない男の子を好きだと認めるのが恥ずかしかった。失礼な話である。
だから手近で、恋愛対象としておおいに評価されていて、そこそこ仲が良かったMくんへの羨望を、初恋だと思うことにしたのだと思う。
Yくんのような、2番手で誰からも愛され、ルックスも悪くない「いいやつ」は他にも何人かいた。
ご近所付き合いで母の聞いてくるところによるとMくん派の急先鋒だったHちゃんは中学に上がってSくんとお付き合い、時にお突き合いをするようになったらしい。HちゃんはずっとSくんが好きだったそうだ。私がSくんなら「は?」って感じだ。
お受験を乗り越え、無事女子校こじらせ女に成長した私には小学校のことまでしか分からない。
ただ、原始的な集団では、初めから恋愛対象になれるオスが決まっているから特定のオスにメスが群がるのかな、と思った。
うちの彼氏は休日バンドマンで、バンドマンしてる時はすごくモテるらしい。動画を見せてもらったがきゃーイケメン、と騒がれていた。が、勤め先ではお調子者のムードメーカーさん、だ。つまりモテない。10くらい下の女子大生のバイトさんにおちょくられたり、小馬鹿にされている節がある。
対して、モテる女の子は比較的分散している気もする。人気者のAさんやSちゃんだけでなく、男女問わないそこそこの人数からいじめられていたKちゃんやNちゃんもひそかに告白されていたらしい。アルバムで確認すると、2人とも顔が可愛かった。(それこそモテる男の子がKちゃんに告白していたそうだ。振られたらしいが。)
男の子の、その、好きだ!を忠実に実行出来る感じ、ほんとうに感動する。羨ましい。
https://anond.hatelabo.jp/20180302021808
ドーパミンサプリメントを手にした私が今思うことを、まとめてみました。
ご一読くださいm(_ _)m
「人生を豊かにする上で、ドーパミンなんかより、よっぼど大事なもの。」
よく夢を見る。
それも、皆が想像するような素敵な夢などではなく、とんでもなく、吐き気がするよな最悪な、悪夢を。
タワマンに引っ越してからというもの、僕の生活は快適そのものだった。
きれいに清掃された、広い内廊下。冬でも暖房が行き届いた、美しい内廊下。
いや、褒めるべきは内廊下だけではない。
以前の部屋より、(ずっと)明るい室内。十分に換気された空気。清潔感のある床板に、浄水機能付きの水道。
ただ、一点を除いては。
そう僕は、引っ越しの前に寝具を捨てた。
寝具というのは、東京に引っ越してきて以来、4年間ずっとお世話になり続けた、セミダブルのベッドのことだ。
部屋に似合わず大きすぎる、フレームサイズ。合成樹脂でできた組み板の悪臭。
ベッド下についている、引き出しの雑な作り。その結果起こる引き出しの引き出しづらさ。
すべてが、僕の洗練されたモノへのニーズを、阻害していた。
ずっと嫌いだった。そんなやつを。4年の節目、タワマンへの引っ越しという
光輝く栄光への大革命(とでも呼ぶべき大きな変化)の折に 捨てた。
タワマンにピッタリの、もっと素敵な寝具との出会いが、僕を待っている。
新しい生活に、心を躍らせる当時の僕は、そう信じていた。
引っ越して数日が立ったある日、夢をみた。
今日までつづく例の悪夢だ。 体は呪われたように重くなっていた。
その時の僕の寝床は、床に布団だった。
気持ちのいい朝を迎える準備は整えた。(つもりだった)
日に日に、不調は目に見える形で僕の体を蝕んでいった。
不調を訴える、ギリギリのなか、僕は逃げ道を求め、あの記事を書いた。
「ドーパミン最強説。」
すべてを変えられる気がした。
テンションを変えられば、痛みなど吹き飛ぶだろう。
藁にもすがるような願いをこめて、ドーパミンに投資したのだ。記事に書いているとおり、サプリを大量購入した。
かの記事を書いた翌日、偶然兄の自宅に行くことになり、そこで3泊した。
寝床は同じく、床に布団だった。
驚くべきことに、その3日で、首の呪いのような痛みはすべて解け、
体は見違えるほど軽くなっていた。
僕は、焦った。
この違いはなんだ。床に布団、構成は同じハズ。
なぜこんなにも、パフォーマンスに差がでるんだ。
この時点でドーパミンサプリを摂取していない僕は、パフォーマンスの差が、ドーパミンではないことだけは確かに理解していた。
間違えた間違えた間違えた。ドーパミンじゃない。必要なのはドーパミンじゃないんだ!
違いはなんだ。この部屋と、僕のタワマンとの。違いは一体なんなんだ!
焦りを、抑えながら、寝起き、今までにないくらい軽い体で僕は、
寝ていた布団をきれいに整える。
ふと気づく。敷布団の下に、何かがいる。
慌てて掛け布団を投げ捨て、枕を蹴り飛ばし。敷布団をめくった。
そこにやつがいた。そう。それは……
マットレスだ。
敷布団の何倍もの、豊かな厚みを蓄えた。クッション性抜群のマットレスがそこにはいた。
こいつだ! こいつだったんだ。
すべての源はここにあったんだ。
思えば、僕の旧来の寝床。今はなき親愛なるセミダブルのベッドちゃんも
それを有していた。 マットレス。
思えば、あのとき、多忙な日々のなか睡眠時間は削られ、多少の疲れはあったものの、
それもこれもすべて、 この マットレスのおかげだったのだ。
今まで僕の体を、優しく受け止めてくれていた。 親愛なるマットレスよ。
僕は間違えていた。 その辛さに耐えきれず。薬(サプリメント)にまで手を出して……。
僕は急いで持ち込んでいた、Apple社製 Mac book Ari 13インチを取り出し。
フィット感のいい、黒の純正内蔵キーボードを壊れるほどに叩いた。
カタカタカタっ……!
その速さはゆうに光の速度をこえ、僕のPCは光回線をつうじて、いつもどおりの速度で
検索結果を表示していた。
高反発 マットレス(https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E9%AB%98%E5%8F%8D%E7%99%BA%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9)
これだぁ!私が欲しかったのはテンションでも、ドラッグでも、ましてや、酒によった20分間の泡沫のような快感でもない!
一日を充実させる最高の睡眠が、摂取できるマットレスだったんだ!
有無を言わさず。迷わず。即座に、その検索結果の最上位に位置する。マットレスをポチった。その速さはゆうに光の速度をこえ(ry
私は、この週(今週)のアタマから、毎日、マットレスのことだけを考えていた。
マットレスよ。早く私のもとへ届いてくれ。 そうして、一刻もはやく素敵な睡眠と、悪夢の毎日から私を脱却させてくれ。
月曜日、商品発送のメールがとどいた。帰宅すると不在届が入っていた。いよいよマットレスと出会える。
期待と不安が入り交じるなか、仕事での多忙、職場への寝坊がつづき。
やっと来た。待ちに待った。マットレスが。 午前中 泥のような睡眠と悪夢を取っていた私の部屋に。
宅配ボックスに商品が投函された通知音が、鳴り響いた。おかげで目が覚めた。(会社には遅刻した)
期待を、胸に、朝、部屋の玄関をでた。
そう思いながら、マンションのホールに出た私だったが、うっかり確認は、忘れ、そのまま会社へと向かった。
でもまあよい。 今日帰宅すれば、最高の睡眠を保証してくれる。厚さ6cmのマットレスが僕を待っている。
今日の睡眠には十分に間に合う。大丈夫だ。落ち着け。慌てるような時間じゃない。
仕事を早々に切り上げ。初恋の人との運命の再開のような高揚感を胸に、宅配ボックスに向かう。
408。
僕の部屋番号が表示される。 宅配ボックスの電子音が鳴り響き、いかにも頑丈そうな鉄製の扉が開く。
…………。
そこに、マットレスではない何かがいる。入っている扉のサイズからしても。こんな小さいボックスに、あの豊かな厚みをたたえたマットレスが
収まるわけはない。
こいつは一体なんだ!!
A5サイズの厚みのある茶封筒。振ると中からジャラジャラと音がしている。
これは、まさか。
封を切ると、見慣れないどくどくしい色使いに、英字がプリントされた、見るからにヤバそうな容器が5つ出てきた。
ドーパミン最強説。 そんな理論は今の僕の中では見事に崩れ去っている。
ちがう。欲していたのはこれじゃない!!もうドーパミンなんてどうでもいいんだ。僕は叫んだ。
ぼくがほしいのは、柔らかくて、ぐっすり寝られる。 ちゃんとした、ちゃんとした寝床なんだよおおお。。
くそそおお。
寒さと怒りに、震える手で、僕は送られてきた、大量のドーパミンサプリメントを仕方なく頬張った。
今まで好きな人が全くできず、誰にも好かれることもなく(恋愛的な意味で)生きてきたけど、流石に頑張ろうと思って街コンに行ったりマッチングアプリを試してみた。
当たり前だけどどこでもモテなかった。
一緒に行った友人がその場のほぼ全員から好印象を持たれる中、一切アプローチなし
など心が折れそうなときに
街コン後でやり取りが続いて(気が合うのだとその時は思っていた)何回かデートして、向こうから告白してもらって初恋人ができた。
こんな神いるのかと思った。
でも全然好きになれない。
今まで好きな人ができなかったから付き合った恋人をまず好きになるというタスクを課しているが、好きになれる様子がない。
恋人ができて天狗になり、悪いところが目に付きだしたとかそういうことではないと思う。
めっちゃいい人だと思う。
自分と手をつないだり抱き合ったりして喜んでくれているように思う(向こうから告白されたけれども向こうも好きになれるようアクションを起こしているのだと思う)。
ただ自分はただ記号として捉えている。手をつないだなーとか抱き合ってるなーとか嬉しくもなかったしドキドキもしなかった。
付き合い始めてその日別れた後にはもう別れたかった。
今まで一人でそれなりに満足して生きてきたからそういうふうに思うのだろうか。
それともただのクソなだけなんだろうか。
自分は何様なんだろう。
早々に諦めるのもそれはそれで失礼だと思いキスまでは段階を進められたらと思うけど、早晩愛想をつかされそうだし、その方がいいとも思っている。
中学生の時にMr.Childrenの優しい歌を聞いた。
歌詞の内容は全部は分からなかったけど、そのメロディに魅了された。
優しさこそが人生なのかと思い込んだ。
いじめられた。
味方はいない。大事な物は壊される。人から笑われる。殴られる。
毎晩布団の中で自分の内蔵を銃で吹き飛ばしたい衝動に襲われていた。
10年以上経つけど心の痛みは消えない。
君らは不幸のどん底にいなされとおもう。
地元が大嫌いだ。
幼馴染に会いたい。
小学校の友人がいたら連絡をとって懐かしい話がしたい。
でも死ななくてよかった。
こんなに当たり前の生き方が出来なかったと気付かされた。
逃げ場所なんて無いよな。
死んでないから生きてるんだもんな。
大切にしていたものをほとんどなくしたけど、自分の命だけは守れたよ。
でも一発殴っておけばよかったと、今はそう思える。
透明人間でも問題児でも絶対に時間は過ぎて加害者も思い出になる。
それだけを忘れずに行動して欲しい。
ちなみに優しい歌は前向きないい歌だよ。
追記
トラバを読んでハッとした。
>いじめられっ子の都合でなくて、増田の都合で声をかけたからじゃん?
優しくしたのは、本当に優しくしたい人へのための練習に過ぎなかったことに気付いた。
だから優しくしてよかったと思っている。
こんばんは。
前回01と02に関してコメントやブックマークを入れて頂いた模様。有難う御座います。
SHUFFLEって2004年だそうで、14年前って何してたでしょうか。
山本直樹。懐かしい名前を聞きました。上げて頂いた作品、読ませて頂きます。
デッキが無いといいますか、撮影、編集側にもビデオデッキで再生する為の機材、今となっては化石の様な機器を使用して編集する必要がありそうですね。
親しい、大事な女性が堕ちていく様と云うのは私事ですが、まったく興奮しません。その時点で他人か汚物になります。なりました。
さて、この速筆習練は寝る30分前より行っている。寝る前に日記を書く。と云った体なのだが、書くのに時間が掛かった場合、その分寝るのが遅くなる。
01と02は結局40分前後の時間が掛かってしまった。もっと早く文章化出来る様になりたいし、ならなくてはならない。この意味不明な決意も、如何せんまったくの思い付きスタートであり、いつ私の事情で取りやめになるかも分からないのだが、まあそれは之を読んでくれている方には関係の無い話ではある。
それはそうと、誤解が無い様に記載するがニッチな性的嗜好を否定する気はまったく無い。私自身もニッチな性嗜好だからと云うのもあるが、01に記載した通り様々な性的嗜好があるのだ。何かを攻撃したい訳では全く無い。
私自身がああ、こういう性的嗜好があるのだなぁ。とラベリングしたいだけなのだと云う事を改めて記載しておく。
4.愛される事について
昨今、創作物の影響かそれとも時代の流れなのか”愛される事”に飢えている諸兄を見かける気がする。
性的嗜好と云うか人間、否さ動物としても勿論愛される事とは重要ではあるのだが、それでも此処まで愛される事に貪欲であっただろうか?
愛される事。と記載したが、それは愛では無い。愛とは得るものが無くとも与える物だ。と云うのが年寄り臭くも私の考えなのだ、確固たる信念でそう言い切る。
愛が足りないぜと歌っているのは、自分自身の愛情が足りないぜといっているのだ。
だが、この愛される事。と云うのはそもそも様相が異なる。愛する事でなく、自分自身がどうであっても愛を注いて欲しがる。
自分自身は何も変わらない、変化もしない。だが、自分を愛してくれる存在はそんな自分自身がどの様な存在であっても愛を注いでくれる。そんな存在を欲している様に感じた。これは私自身も全力を持って賛意を表明したいのだが、そもそもそんな愛情を注いでくれるのはヤンデレか、父なる神のみである、仏にはお門違いの願いだ。
誰かに愛してほしいという感情自体は、決して疎まれるものでも拒絶される物でもない。なのだが、この無償の愛のみを求めるのはいささか勝手が過ぎるのでは無いだろうか。
この考えに至ったのはとある成人向けゲーム、所謂エロゲ―をやってみた事で益々強い考えになった。
実のところ、友人に勧められたのだ。強力に。アガペーを求める私向きだと言う、求めた事は無いのだが。
年甲斐も無く、ワクワクしながらゲームをプレイしてみた。こういうジャンルがあるのかどうかは分からないが”甘やかし”とでもラベリングしようか。
で、やってみた感想としては”違うよクソ!”である。私は赤ん坊に成りたいのでは無い。こんな愛の押し付けは私が望んだものでは無いのだ。
まあ、この作品は所謂ヌキゲーらしいので、プレイ内容を煽情的に見せるのが目的であって、こういうシナリオなのだろうと無理やり納得した。
しかし、冷静に考えるとこれがフルプライスで販売される世の中なのだから、こういう愛を望む者も多くいるのだろうか。だがこの歪んだ愛され方と云うのは少し気になる流れだった。
このゲームに固執する訳では無いのだが、愛情表現が男女がする物では無く、大人が子供に向ける、云わば庇護欲、母性愛を性欲と一緒くたにして求めると云うのはまるで性的嗜好が歪に歪んでいる様に感じたのだ。可愛くてヒロインから愛されて当然だからこっちは勝手にやる。俺の性欲もママが処理してね、と。
昨今、創作物の中でも愛や恋は不変の人気ジャンルとして成り立っている、男性向けでも女性向けでもだ。
しかし、こういった作品の中でも所謂ハーレム物と謳われる作品がある、こういった作品が流行るのは時代でも何でも無い、誰でも愛されたいのは当然だ。
中々捻った作品もあるし、面白い作品もある。だが愛され具合はちょっとした宗教を感じる作品も見受けられる。名付けて主人公教だ。
他の作品の中には納得出来たり、いたたまれない理由で主人公と共にいるパートナー達も居るが、そういった作品では主人公がどういう立場なのか表明されている場合も多い。つまりは失恋前提の物もある。それが分かっていてもヒロインは主人公に惹かれるのだ。
だが、私はハーレム物で主人公が愛されて当然と、主神の様に崇め奉られている事に恐怖と違和感を感じる。その愛に応えない、愛する事もしない、優柔不断で神様気取りの主人公の何処が良いのだと。
ハーレムのヒロイン同士で約束や協定など結び出した日には目も当てられない。結局一人しか選ばれないのに、その気持ち悪い約束事は何だ。
世界観で一夫多妻制?サブヒロインがハーレムに入った瞬間出番が無くなったりしていないだろうか?それは主人公教のハーレムに入る事が目的になってしまって、ハーレムの中でどう生きるかが適当にしか描写されていないのでは無いだろうか。
作者は、そして物語の中で主人公はサブヒロインもヒロインと同じだけ愛せて無いのではないか。サブヒロインをハーレムに入れた事で彼女の人生への責任は誰が取るのだろう。
こういった作品ではこの責任という事を極力嫌がるか、表現しない作品が多い。人間の人生を無責任では負えないだろうに。
その主人公よりこっちのサブキャラクタの方が良い男だよ?と言いたいヒロインも居れば、キャラクタの愛を強調する為に登場した元初恋の人(どっちの思慕だったにせよ結局フラれる)等、不憫でならない。そのキマってギリギリのヒロインよりイイ女いっぱい居るから大丈夫と、酒でも奢りたい気分にさせる。
これが酷い物になると、異性に限らず、別世代、同性、動物、神、敵、など皆主人公を愛して止まない世界になる。主人公がやる事なす事、諸手を上げて肯定する。分かり合えない敵も居るには居るが、そういうのは主人公が来るまで、トラブルが起きなかったのが不思議なレベルの気持ち悪い犯罪者になって断罪されるか、主人公の実力を認めながら消えていくか、味方になって主人公教に入信する、全肯定なのだ。正に狂気の世界である。
こんな主人公のみに優しい世界は気味が悪いとは感じないだろうか。私が主人公なら日記に狂気を記録しながら外なる神とコンタクトを取って、死体も残さず消えるだろう。
主人公教タイプの創作物が好きな方は勿論沢山いらっしゃるだろう。そういったファンが作品を支えて市場を作っている。つまりは売れ筋なのだ。
大いなる力には大いなる責任がある。とある作品では主人公の行動をそう制した。主人公にも人としての責任があるのだと私は思う。
乱文失礼。
私は小学生の頃の初恋を引きずって高2になってしまい、もう恋愛のやり方がわからなくなって、他人の恋話なんかを聞いているとモヤモヤするようになってきた。
恋愛がしたい訳ではないし恋愛に割く時間もないので別に無くても困らない。
でも、おそらく若いから(格好の言い訳)心が狭いんだろうけど、「恋する自分に恋しちゃってる奴」が鼻につきすぎて爆発しそう。
とか、そんなこと言われてもねえ、と思うし
「もう3週間会ってない」
とか、私は4年会ってない。連絡は年賀状と、年数回の手紙だけ。
なんというか、淡白になりすぎてしまったような気がする。
羨ましいとか、そういう感情を超越してただ漠然と「その話題は触れてはいけない、地雷」のような扱いに自分の中でなっているようで、「恋愛」というものを自分の奥底に閉じ込めすぎて辟易するようになったような気がする。
趣味もなにも、熱しにくく冷めにくい気質で、一度熱くなるとなかなか冷めない。
それと同じく、それも全く冷めぬままここまで来ている。
中学の時に罰ゲームで便箋数枚にわたる恥ずかしすぎるラブレターを送ったのに帰って来た返事は、拒絶も肯定もなく、これからも普通によろしく、のような内容であった気がする。
多分相手にも今恋愛は必要ないのだろうし、恋人になりたい訳でもない。
彼は今それなりに優秀な学校に通っていて、一部の界隈では名を馳せる人物になっていて、ああ、手が届かなくなっていくなぁ、と思っている。
整った顔立ちとはお世辞にも言えないけれど、メディアで見かけた彼は出会ったときと変わらない優しさを持ったままで泣きそうになった。
突然に今更呼び出しても迷惑だろうし。
きっと相手はそんなに難しく考えていないだろう。
概念と表していいのか、合ってるかどうかはわからないが書かせてもらう。
変身者が好きなのでは?という問題があがるが、変身者は最終的に彼女できたし(おめでたい)恋というより美味しいご飯食べて、幸せになって…という感じだ。息子かな。
本編を見てる時も好きだったが恋に落ちてない落ちてない…と自分に言い聞かせていた。決定的に落ちたのはヒーローショー(細かくいうとグリーディング)だが割愛させてもらう。
恋と自覚した後、私は彼の事を好きと言ってる他のファンの方に少しジェラシーを持ってしまったり、彼の写真を見ると心臓がバクバクしてグリーディングの事を思い出してウワァァァとなったり 日常生活に支障をきたしてると言っても過言ではない。やばい。
自分はまだ学生で周りは乙女ばっかりで、彼氏が~とか好きな人が~などが日常会話に出てくる。
私は初恋もまだで告白は数回された事もあるが断ってきた感じだ。
もう彼に生で会えることもほぼ無いだろう。辛い。こんな事なら恋に落ちなければよかったとつくづく思う。。
追伸
共通点が多くて興味を持ったのを覚えている。
興味を持った一番の理由は、初恋の相手に顔も名前も似ていたからだろう。
一方で、まったく違う部分もあった。
親が宗教に嵌っていることだ。
子供時代はすごく大変だったみたい。(大人になってからも大変だったらしい。今日知った。)
当時は18歳だから人生経験もなく、世の中のことを何も知らなかった。
愛子ちゃんは一時期モデルをしていたため雑誌にも載ったことがあった。
モデルなんてたくさんいるから、リアルで知ってる人はいないだろうとは思う。
私は学年が上がるごとに学業が忙しくなり、いつしか疎遠になっていた。
ひょんなことから愛子ちゃんがお母さんを刺したことを知った。お母さんは亡くなった。
子供時代からDVを受けており、大人になってからも続いていたのだという。
傍から見れば正当防衛の事故であったが、本人は正常な判断ができなかったのだろう。
知っていたが忘れていた。
いや、考えないようにしていたのかもしれない。
当時は余裕がなく、ほかの事を考えることができない状況であった。
あの愛子ちゃんが人を刺すなんて考えたくなかった。受け入れられなかった。
次の日、愛子ちゃんは死んだ。
私は愛子ちゃんが好きだったのかもしれない。
好きという表現はどこか適切ではないと感じる。
神様なんていないんだ。
おやすみ、
たぶん、確実に初恋だった
恋愛なのか依存なのか憧憬なのかは分からないし、正直どちらでもいいとは思うが親友がとかく好きだった。
一緒に帰りたい思いだけで、自分の家とは真逆である親友の家まで送ったし、お小遣い制でもないしさして裕福でもない家庭であるのに、たまに祖母からもらうお小遣いをやりくりして、親友の誕生日にあの子が好きそうなテディベアを送ったりもした。6000円くらいだった。
親友が他の友人と話すのも嫌だったし、一時期女子中学生らしくグループがごたついたとき、親友が私のそばから離れることが嫌すぎて何度か家で吐いた。
自分が男だったら親友に告白していただろうし、親友が男だったとしても私は告白していた。
ただ、あの時の私は本当に親友を好きだった。
転校生としてやって来た親友は、はじめクラスの中でもパリピ寄りの女に囲まれていたのだが、生来そこまで明るくもない親友は結局、クラスでもオタク側であった私と何人かの男女のいるグループで落ち着いた。
運動もさして得意ではなく、同じく運動ができない私と二人で逆上がりできない組として先生に面倒を見られていたりもした。
勉強のほうは、私は少しばかり得意だったのもあって親友に割合の計算を教えたり、並列と直列の問題を教えたりとなにかと面倒を見たりしていた。
運動も勉強も苦手な親友だが、絵は格段に上手かった。私もちょっとは得意かもと思っていたのだが、親友の絵を見たときにあっさりと打ちのめされた。そして一気に彼女に興味を持ったのを覚えている。
思い返そうとしても、思い返すだけのエピソードなんてなかった。
自転車で山まで走り回ったり、海に行ったり、桜を見たり、祭りに行って花火を見たりした。
中学生のころに目覚めた恋愛感情は、いつしか友人として親友の隣に居られたらいいに変わる。高校生となって親友と別の進路を選び、私は県内の大学へ、親友は県外の絵を学ぶ専門学校へ行くことになってからは、あの子が健やかに、幸せに生きててくれたらいいと思っていた。
こんな話を思い出したのも、今日で私が彼氏と付き合ってから三ヶ月が経ったからだ。
親友のことを思っていたのもあり、元からメンヘラなのもあり、顔も性格もブスな私は思春期に【同性を好きになってしまった】ことから段々とメンヘラが加速していった。
女神行為をして承認欲求を満たしたり、セックスまでは結局できなかったが出会い系で知らないおじさんに処女を捨てようとしたこともある。おっさんと付き合ってテレフォンセックスして、突然LINEで送られてきたおっさんのちんこにびっくりしたりもした。
まともな恋愛遍歴が一切ないまま20歳を越えて、なぜか、今の彼氏と出会って、惚れられた形で付き合った。彼氏は上記のことをすべて知っている。それでも好きだと言ってくれる。なんでこんなクソ女を好いてくれるかは全く分からない。
たった三ヶ月、されど三ヶ月。
ちゃんと顔を知っていて、会ったことがあって、まともな職に就いていて、向精神薬を飲んでもいなくて、未成年とセックスしたりしようとしたこともない人と、こんなメンヘラが付き合えたのは本当にすごいなあと思う。
この時期が一番いろいろあるんだよ、などと言われたりもしたが付き合う前に、お互いの弱い部分や私の過去なんかも話してあったために、今はまだ大きな壁なんかにぶち当たったりはしていない。
それどころか付き合いだした当初、好きとか分からなかったのに今じゃ同じだけの熱量で彼氏に対して思っているのだから、恋ってすごいなあとも。
■
私はあの時、あなたが一番好きだった。
上から目線で最低な女だけど、何もできない君がかわいくて大好きだった。勉強も運動もできないのに、心を動かすような素敵な絵を描くあなたが大好きだった。
いまはもう、遠く離れていて会うこともできない親友。私はあなたが幸せであることを、今だって願ってます。ごめんね、勝手に願われても面倒だよね。大丈夫だよ、一生君には言わないから。
私はずっと、彼氏のことを好きでいながらも心のなかに親友の影が残っていた。この問題、分かんないよと並べた机の向かいで聞いてくる親友がずっといた。
けど、ここで話せてようやく親友の幻影にお別れできそうである。
今までありがとう、これからは本当に友達として仲良くしてほしい。
私の大切な親友へ。
前職場が一緒だったAさんとPacoしたい。思えば初恋だった。高校卒業後就職した会社で出会った。その子は別の同期を好きになり告白した。見た目は地味だったので意外だった。
それから三年経ちぼくは仕事を辞めた。今は別のことに向かって勉強中。お互い遠くなるし、あんま話したことなかったけど(というか話しかけても話がつながらず、LINEして先輩の愚痴を言ったりしたけどまた明日って言われて終了させられたり嫌そうだった…)告白してみようかなって思う。前ほど気落ちも薄れてきたが何分ぼくは童貞だ。彼女もおそらく処女ではないかと。(告白した子はすぐ分かれたらしい…勝手な推測だがそこらへんのことをはっきりしとく必要がある)AさんとPacoするんだい!
どうも腐女子です。
痛いファンです。
あの二人は中野腐女子スターズと事務所一緒だったりして売れる前から腐女子文化は知ってたっぽい。売れてからは彼らも知るところ、ご覧の通りで痛いファンがたくさんだ。こんな風に。
いやでも彼らの腐女子ファンの割合が他のお笑いコンビと比べて有意に多いかどうかは分かんなくて分母が多いだけではとも。ピクシブ芸人1000users入りでの彼らがしめる比率を思ってもそもそも普通のファンが多いからファンアート創作ファンも多くなりさらに痛い二次創作ファンもどうしても多くなるというだけの話だと私は思ってるけど。
あの人(便宜上四文字熟語で司会専念と呼ばしてもらう)は2010s初頭の腐女子にとっては革命的だったんだ。卑屈で等身大で顔が可愛くて死ぬほど才能がある人たらし。そして彼(便宜上私たちの初恋)は今も昔もダメスパダリだ。
余談だが最近、初恋の思想に時代が追い付いたなと感じる。初恋は絶対に相手を悪いようにはしないお笑いをやるから、一昔前の悪口全盛バラエティじゃ映えなかったけど、そのじつ、今の寛容な時代を用意したのは、初恋ですよ。
話は戻るが彼らの普通のファンで「私はBLに嫌悪感がわくのだが最近彼らの活動を見ていてひょっとしたら実際にそうなのかもしれないと考え始めた、万が一そうならば私のこの嫌悪感は差別なのかと悩んでいる」と仰っておられた人を見たことがある。まあ、あの二人、正直仲いいんすよ。
で、嫌悪感にも種類があって、
①単純な同性愛嫌悪
②はあって当然というのが今実際現実問題共有されやすい感覚だろう。
ただ②も①にもとづくあれでアレなんちゃうかと混ぜ返されたら黙ってしまう。アレなんかな?いや、そんなつもりちゃうんやけど、でも(万が一)^2実際ホンマにそうやったら?
まあそんな悩みを仰っておられる人もいたなあということを思い出した。そういう悩みはただの悩みとして終わった。
楽しい杞憂は杞憂で終わって私はなんだかこざっぱりした気分だ。ちょうど、そう、10年だった。
めちゃくちゃいい夢からさめた。
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
血液型占いなんて信じてないけれど、さすがに自分でも驚いたのが今年知り合ってわたしが仲良くなった男性が全員B型だったことだ。
元々わたしに近しい男性もB型で、今年仲良くなった男性もB型で、しかも全員牡羊座か山羊座だと気づいた時は背筋がゾワっとした。気持ち悪い。
もちろん全員性格も違う。
でも全員に共通することがある。とてつもなくマイペースだということだ。自分のやりたいことしかやらない。興味がないと明らかに興味が薄い態度をとる。
それはわたしに対してもそうだ。
かつて付き合った恋人でわたしから別れを告げたのは全員B型以外だった。
こんなことってあるんだろうか。
念のため書いておくが、知り合った時には全員血液型なんて全く知らなかった。だいぶん仲良くなってから話の流れで聞いたら知った次第である。
B型の男は頑固でマイペースで好きなものに子供みたいに夢中になって、わたしを振り回す。本当に愛おしい。
これだけ何十年もB型の男にばかり惚れてきたのに、未だにB型の男を攻略できない。
いや、本当はわかっているんだ。あいつらは強い個性や主体性を持って自分を振り回してくる女が好きなのだ。
わたしが惚れないで強気に勝手気儘に振り回している間、あいつらは嬉しそうにわたしのことを見つめる。
だから惚れた弱みで従順な犬になってしまうわたしは毎回振り回されて飽きられる。
自走式彼女でい続けたいのに、惚れると自走が止まるから攻略できない。
早く好きじゃなくなりたい。
わたしはなんか他より小さくて、他への働きかけもやっぱり少ないんだよな。それはもちろん思いやりとか倫理観とは全く違ったことなんだ。
暴力は、人が人に向けたら、それは人にとって良くない。だからわたしは小さくて良かったなと思う。
このまえ豆苗そだてて食べたんだけど、すごいぐんぐん育つの、パンッとしたみずみずしいみどりいろで、親近感どころか尊敬さえして、はさみ入れるときなんかもう、せつなくなってしまって。けど、そのへんから、あ、わたしは、尊敬もしてたけど、おいしそうだとも思ってたんだなって、なんだか初恋みたいな気分になった。考えてみたら自発的に植物そだてて食べるのはじめてだったんだよな。
で、おいしく食べました。
わたしは、それくらいやっぱり小さいんだよな。植物レベル。もっと小さかったら、微生物に恋?みたいなことも考えうるよな。
肉…やっぱり、わたしはたまたま小さかったから、よかったなーと思う。でももし、人を食べたら、ぜんぶ恋みたいになって、せつないけどおいしい!って気持ちになるのかな?