はてなキーワード: 世界で初めてとは
高額医薬品として注目されていたスイス製薬大手ノバルティスの遺伝子治療薬「キムリア」(一般名:チサゲンレクルユーセル)の国内での薬価が1回の投与で3349万3407円に決まった。厚生労働省が5月15日に開催した中央社会保険医療協議会で、原価計算方式に基づいて算出した案が了承された。5月22日に保険適用され、施設基準を満たした医療機関において治療が受けられるようになる。
キムリアは患者の免疫細胞を取り出して、がん細胞に対する攻撃力を高めるために特殊な遺伝子を導入した後、細胞を増やして患者の体に移植するという製品だ。米国で2017年9月に世界で初めて承認され、日本でも2019年3月に厚労省が承認していた。
臨床試験では、通常の治療では治らなかった難治性の白血病やリンパ腫などの血液がんに対して高い有効性が確認されている。ただし、一定の割合で効かない患者がいるほか、非常に重篤な副作用が生じる場合があることが分かっている
マサバがいらっしゃいましたわ!マサバがいらっしゃいましたわ!
いや終わりませんわ!
今日は新潟市水族館 マリンピア日本海に行ってきましたわ。2~3度目ですわ。
イトウの水槽の隣にシロウの水槽がありましたわ。伊東四朗の水槽には……いやそんな水槽はありませんわ。
なんでも世界で初めて稚魚までの人工飼育に成功した水族館とのことでしたわ。お昼はのどぐろの天ぷらにしましたわ。のどぐろ自体はうまかったですが衣か油はあんまりでしたわ。
フンボルトペンギンがたくさんいましたわ。フンボルトペンギンは日本に1800羽くらいいて80だか90だかの水族館や動物園だかにいらっしゃるそうですわ。
イルカショーも見ましたわ。カマイルカでしたわ。誰がカマじゃですわ。イルカは哺乳類だけあって人間に似ているところがあって、毛が一本も生えてないところなんてそっくりってやかましいわ!あとショーで知ったのですがイルカの尿道とおまんことおアナルとおっぱいが近くに密集していましたわ。
そしてマリンピア日本海にはなんと風の丘があるんですの。冬が過ぎたらみんなで風の丘に行こうって思ってましたの。でもラッカももう巣立ってると思いますの。それどころか年少組もみんな巣立ってるくらいの時が経っていましたわ。カナが巣立った後の親方が心配でしたわ。
経験的にはウニャウニャよくわからんこと言ってる会社は受託やコンサルだと思うんだけど
今まで一番分からなかったのはSpeee(だっけ?)
さっきVISITSって会社をWantedlyで見かけたんだけど
組み込まれる日も近くなっています。同時に、AIは私たちの仕事の多くを自動化し、
人間はより付加価値の高い「創造的な仕事」に時間を使う事になります。
ところが、そのようなAI共存時代に最も重要な「創造性」を定量化する手法は、
私たちは、ideagramという独自の合意形成アルゴリズム(特許取得済)を開発し、
世界で初めて成功しました。この技術を活用すれば、「創造性」だけでなく、
「センス」や「スキル」、「人脈」といった本来価値があるはずにも関わらず
ブロックチェーン技術と組み合わせ、価値移転が可能になります。
現在アナログに集積されている世の中の資産をデジタル化、分散化し、
価値移転可能にすることで、私たちは「社会価値創造の最大化」のための
新たな資産の組み合わせ最適化問題を解き明かすことが可能になり、
同時に、私たちはこれまで不可能だと思われていた「イノベーション創発」という領域を
>弊社のコンサルタントが、導入から運用まで丁寧にサポートいたします。
>Wikipediaが、オンライン上に過去の事実をまとめた「『知識』の共有プラットフォーム」を構築したのに対し、私たちは未来の創造的アイデアを提示する「『知恵』の共有プラットフォーム」を構築します。
>具体的には、DODA内に蓄積された求人、求職者のビッグデータを弊社が解析し、求職者のキャリアの将来可能性を多次元空間でマッピング、人材紹介エージェントの業務の多くをAIで自動化する取組を進めています。
>現在は、その中でもコアになる合意形成アルゴリズムの研究を中心に行っており、今後はこのような世界観を共有できる企業との協業、共同開発も積極的に推進し、世界中のUXのアップデートを共創により実現していきます。
若干わかってきた
AI系目指してる人は、まずその会社が何やってるか読み解くスキルも必要になるのかね
それこそAIで読み取ってくれw
世界で初めて複数の衛星を利用して中継放送されたテレビ番組が「OUR WORLD」だ。日本も番組に関わっていて「赤ちゃん誕生」
というテーマで登場する。放送27分前に札幌にある北海道大学で生まれた新生児の出産が取り上げられた。
ここは北海道大学。この赤ちゃんは今から27分前に、自動車販売会社にお勤めの鎌倉さんご一家の長男として生まれました。体重は3050g。
(中略)
将来、この小さな足型が月の表面に再び着けられるかもしれません。
Wikipediaにはこう書かれている。
1967年6月26日、北海道札幌市生まれの鎌倉一さんは、日本の赤ちゃんとして世界で初めて放送されたテレビ中継に登場したというわけだ。
本人が知っているのか、物凄く気になった。おしまい。
「ヤーボイ(YERVOY)」(一般名:イピリムマブ[ipilimumab])は、ブリストル・マイヤーズ株式会社が製造販売する
ヒト型抗ヒトCTLA-4モノクローナル抗体。
ヤーボイは、近年がん治療において大きな注目を集めているがん免疫療法と呼ばれる免疫チェックポイント阻害薬として
免疫機能は、がん細胞を「異常な細胞」と認識し、T細胞という免疫細胞が司令塔となって攻撃します。
攻撃を開始したT細胞には、自ら攻撃を終了する機能もあり、その役割を担うのがT細胞上に発現するCTLA-4と呼ばれる分子です。
これが「免疫機能へのブレーキ」となります。ヤーボイは、「免疫機能へのブレーキ」を解除して、免疫機能の活性化を持続します。
また、T細胞にはいくつかの種類があり、その一つに免疫機能による攻撃が過剰にならないように調整する役割を持つ制御性T細胞
(Treg)があります。ヤーボイはTregの機能を低下させたり、がん組織中のTregの数を減らすことで、さらに、がんに対する攻撃力を
高めると考えられています。
https://www.bms.com/jp/media/press-release-listing/press-release-listing-2015/20150831.html
出品者は数百万円を予想していた。
それを遥かに上回る値段がついた。
気になるのは、その次出されたAI絵画の値段はどうなるのか?ということだ。
絵画とはその絵自体に価値があるというよりも、投資資産としての側面が強いように思う。
ここで高額がついたことにより、2番目に出てくるAI絵画の値段が変わるのでは?という話。
そもそも絵に数億の価値がつきまくってる村上隆だって本人が執筆しているわけではなく、学生などのアルバイトがかなりの部分を担当して描いている。
村上隆は監督としての役割で絵画を制作し、出品しているだけだ。
そういうことで、数億の値段がつくのだ。
AI絵画も、AIを道具として捉えて、出品者が監督という立場ということか?
「何がどう描かれているか」の方に注目が集まるのか?
うーん
色々考えてしまう
いつしか「経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。
アベノミクスの大黒柱である日本銀行の異次元緩和はお札をどんどん刷って国債を買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。
思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。
希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札「マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。
政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。
だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である。
そこで疑問が浮かぶ。ゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。
その間、日本のミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。
若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。
スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能の機能となると、25年前ならSF映画の世界の話だった。
ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産(GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。
そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクスの思想である。
人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。
実は、いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代の大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。
昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁の内閣府に日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。
きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部の意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。
数字ひとつで財政や金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。
世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代に英国、米国で大恐慌の対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDP』ダイアン・コイル)
一般的には1760年代の英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代の世界の成長を人口や歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。
その理由を投資理論家で歴史研究家のウィリアム・バーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度や資本市場が整い、迅速で効率的な通信や輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデアを評価する文化や制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。
社会思想家の佐伯啓思・京都大名誉教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」
冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界や弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。
1970年代初頭、世界の科学者や経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書『成長の限界』は、経済成長を謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。
いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。
佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題の重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争や格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。
紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国のイングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正で中央銀行に進化した。
つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。
いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックでマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。
サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国は簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。
日米欧の中央銀行はまるで自分の存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和、マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。
「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身で金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。
中央銀行が政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金の価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事だからだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行に独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。
経済史の泰斗である猪木武徳・大阪大名誉教授は、成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近の政策に異を唱える。
「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」
成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのものの役割が変質してきたからだ。
「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近は国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」
主要国の成長戦略、金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層、低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。
19世紀の経済思想家ジョン・スチュアート・ミルはゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学は事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。
むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。
四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。
博報堂生活総合研究所の定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さらに身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。
同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。
いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。
成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人)
元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
ブコメ: http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
Appleが嫌われてるのと全く同じような構造になってきた。似たようなアイディアはもっと昔から誰かがやっていた事で、Appleはそれをパクったに過ぎないのに、まるでAppleが世界で初めて発明したことのように絶賛し、持ち上げ、持て囃す。この情弱っぷりをバカにされてるのに、当人はそれに気付かない。世界の最先端を突き抜けてるつもりでいる。痛すぎるでしょう…。
最近の任天堂の持ち上げ方は本当に目に余るし、正直言って憐れにすら感じるよ。BotWもやっと和ゲーが洋ゲーの水準に追いついたくらいのものなのに、全世界を牽引する最先端のゲームだと信じて憚らない。その情弱っぷりが痛い。痛すぎる。
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で、情弱どもの為に俺がNintendoLABOに魅力を感じない理由を具体的に書いてやる。
具体的な話を書くと、あれソフトウェアの側を自由にプログラミングできるのでない限り、Nintendoの規定した遊び方しかできないよね。それで何が創作だよ。段ボールは確かにその辺にある奴で完全自作できるよ?できるけど、ソフトウェアは?SDKが公開されて、全部自由にプログラム書けるわけ?多分それはないと思うわけ。対象年齢一桁でそこまで自由にやらせるのはむしろ悪手だろうし。決まった通りの形を作って、決まった通りにしか動かない。別に創作でも何でもないし、無限に可能性が広がるわけでも何でもない。ファミリーベーシックの再来だってコメントも見たけど、違うでしょ。
関西人はオウム真理教のもろもろの事件、特に地下鉄サリン事件に対して本当に関心がない。
関心がないどころか恨んでいるし忌み嫌っている。その負の感情は東京の人が持つものと全然違って子供っぽい理由で。
1995年1月に阪神淡路大震災が起こった。当時は未曾有の災害で本当に大変だったし東日本大震災と同じく毎日報道されていた。
だけれど3月にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件でニュースの内容が地下鉄サリン事件一色になった。
天災と人災の違いであったり、世界で初めてのバイオテロだったこともありニュースがそれ一色になるのも仕方なかったと思う。
でも震災から2ヶ月しか経っておらず余震もまだ続いていた最中だったので「忘れ去られてしまった」という感覚がしたのを覚えている。
死者6000人以上なのに。オウム真理教の被害で死んだ人の数十倍なのに。やっぱり東京は東京で起こったことじゃないとどうでもいいんだよな。と思った。
こないださ、
美容院行ってきて横でネイルやってる人の話に聞き耳立ててたの。
なんでも、
クリビツドッキリね!
なにしろ、
マンガのコマをどう読み進めていっていいか分からないらしいのよ。
ほんとかしら?って思っちゃうわよね。
基本右から左な感じで、
そこまで教えてあげなくちゃいけないのかしらね?
漫画の中でボールペン習字通信講座の勧誘を忘れちゃうレヴェルだわ。
でさ、
絵本とか本のページをめくれない子どもも多くなってるんだって、
紙の上で、スワイプ!!!ピンチイン!!!ピンチアウト!!!しちゃうって。
これもクリビツテンギョウね!
でもさ、
紙や本が開発されたとき、
もちろん、
石版かしら?
当時深刻になった若者の石版離れ!
けしからん!なっとらん!って怒ってる人がいたのかもね。
歴史は繰り返されるわ。
うふふ。
信じあえる喜びだわ!
すてき!
なんて素晴らしい朝食なのかしら。
だんだん暖かくなってきて、
冬なのにさまぁーずの勢いで、
水出し麦茶を季節先取りで
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!おー!
キュレーションの件でDeNAやCAが炎上してるけど、似たような話でトヨタ自動車も相当に酷いと前々から思っている。
一昔前、ホンダが「ストリーム」というミニバンを出してヒットさせたことがあったが、トヨタはそのストリームとなんと全長全幅全高が全く同じ「ウィッシュ」というミニバンを出してストリームを見事に潰してしまった。そして今年、今度はスズキの「ソリオ」というコンパクトカーのサイズ感やコンセプトをほぼ丸ごと真似て「ルーミー」「タンク」という車を出してきた。トヨタには圧倒的な販売力があるので、サクッと他社の後追い車種を出すだけであっさりとライバルを駆逐できてしまう。
資本力を背景にしたモラルのない商いのやり方って、まんま今回のDeNAやCAの話と同じなのではないかと思う。トヨタは世界最大級の自動車会社だし、ハイブリッドカーを世界で初めて実用化して普及させたことなど本当にすごいなと思うポイントも沢山ある。でも、だからこそ「他社の売れてる車種を訴えられない程度に真似して、国内で小銭稼ぎしちゃおう」というDeNAパレットのようなズルい商売のやり方はいい加減やめてほしいと思うのだ。世界を引っ張る自動車会社なのだから、誇りを持って車を作ってほしい。
博士をとってから大学で博士研究員として1年ほど働いたが、先日、民間企業から内定をいただいて大学を去ることになった。転職の活動をする中で思ったことを書き残しておきたい。自分と同じ程度に何も考えず、ちゃらんぽらんに博士課程に進もうとしている人の参考になればよいと思う。
1.スペック
男29 バイオ系 医学研究科所属(non-MD) 特筆すべき業績は無い
いわゆるピペド的な分野だけど、医学系に所属していたことが就職にプラスとなった模様。
1日6時間勤務で時給1670円。つまり日給1万円。額面20万程度なので、手取りは16~17万ほど。残業手当や休日出勤手当についての規定はいろいろ事細かに書いてあるが、残業や休日出勤は存在しないことになっている。生物相手の仕事なので6時間の中で全ての仕事を収めることが不可能である。場合によっては夜中に始めなければいけない実験もある。また、生物には曜日も関係ない。大学院生の頃、研究室に行かない日は年10日ほどだった。卒業前、ポスドクになってもそのペースで仕事ができると思っていたのだが、お金をもらう身分になるとそれができなくなった。給料が発生しないのに研究室に行くことが馬鹿らしくなってしまった。こういうことを言うと、休みがほしいと言ってるようでは研究者に向かない、と言われたりするのだが、そういう問題ではないだろう。だって、こちらは契約書を交わして雇用されている身分なのである。そういう意味では民間企業で働く人と同じだ。上の言い分がまかり通るなら、サービス残業ができないような会社員だって、その会社の仕事に向いてないと言ってよいことになるのではないか。少なくともこれまではてブ等で言われてきた基準から考えれば、即退職すべき職場と言えるはずだ。
これはうちの大学だけの問題ではなく、どこの大学でも聞いてみると似たような人が居る。教授たちはポスドクの生活について特になんとも思っていないし、月20万も出してやれば逃げていかないと思っているらしい。「サイエンスにサティスファイ」していれば飲まず食わずでやっていけると思っているのだろう。
それでも、百歩譲って、自分の好きな研究をしているなら、お金をもらわずに働いてもまだ納得がいく。しかし、雑務に追われて研究ができない大学教員同様、ポスドクも上でオーバーフローした雑用をこなしているだけで時間が過ぎていく。毎週末出張に行かされたり、インターンの学部学生の面倒を見たり、他大学の学生やスタッフに技術指導をしたり、シンポジウムの運営を手伝ったり、種々の書類を書かされたり、というのが日々の業務である。それでいて、世間からは、研究者なんて劇団員とか芸人とかそういう類なのだから待遇が悪くても仕方が無いだろう、お金がもらえるだけいいでは無いか、というようなことを言われるので腹が立つ。
活動期間はトータル4ヶ月。ただそのうち一ヶ月半ほど忙しすぎて何も動けない期間があった。覚えている限り、13社応募した。うち、3社は転職エージェントと音信不通になった。2社は転職エージェントから応募を断られた。残りのうち、4社は書類で落ちて、4社で面接に呼ばれた。最終的に2社から内定をもらった。
専門知識が活かせそうな職であれば、研究職、非研究職に関わらず応募した。そのため、最初は何がやりたいのかもはっきり固まっておらず、書類審査に通りにくかった。後半は、希望の業界や職種が絞れてきたことと、求人票から書類審査に通りそうなものがある程度わかるようになってきたので、思ってたよりもあっさり終わった。
巷では博士まで行くと就職が無い、特にバイオ系は終わっているというような話が多かったので、活動を始める前は心配していたが、別にそんなことはなかった。ただ、研究職に絞っていたらそう早く決まらなかったかもしれない。自分の実験技術はニッチな職人芸で、企業の研究で活かせるかというと微妙だったし、業績も研究職を目指すには寂しいので書類選考がかなり厳しかった。それに、やっぱり分子生物学を直接活かせる分野はまだそんなに無いというのも思った。
博士課程で身につけるべき専門性やスキルは、研究以外にも活かせる道があると思うので、研究以外のことにも興味を持てる人だったら、博士まで出たからといって特に就職で不利になることはないと思う(能力的に博士として平凡な人でも)。
4.博士進学すべきか
私は博士進学したことを全く後悔していない。ポスドク期間は精神的につらかったが、大学院生の間は、研究を通じてエキサイティングな経験ができたと思う。
博士を取るのは、学士や修士に比べたらかなり大変ではあるが、その分、達成感がある。私は基礎研究分野なので、その視点に絞って言うが、博士というのは世界で初めて誰も到達してない場所まで登り、そこから新たな景色を見せることができた人に与えられる称号だと思っている。博士課程で行う研究なんて、そうたいしたものではないけれども、でもどんな小さなことであれ、世界で一番になる経験というのはなかなかできるもんじゃない。だから、もし学部や修士課程で研究を面白いと感じているなら、その先の山まで登ってみることは悪い経験にはならないと思う。
もちろん、リスクやデメリットはいろいろあるし、向いている向いていないもあるけど、条件が合えばリスクは限りなく小さくできる。博士課程に進学しようと思ったらお金が必要であるが、親から全く援助が受けられなくても、プラス収支で博士課程を卒業することは不可能ではない。最近、貧困の原因になっているとも言われている学生支援機構の奨学金だが、大学院で借りた奨学金は3分の1の確率で半額または全額が免除されることはあまり知られていないのではないか。免除されなかったら大きな借金を背負うことになるのでハイリスクな賭けではあるが、単純なギャンブルではないので勝率を上げることはできる。免除される枠は大学ごとに割り当てられているので、学内の相対評価で勝てれば良い。背伸びして良い大学院に入ると大変かもしれないが、小さな大学でアクティビティの高いラボに入れれば免除される可能性はかなり高くなる。私もこのパターンで、日本全体では平凡な大学院生だったと思うが、所属大学では上位に入れた。それから、最近はお金を出してでも学生を囲いたい大学院もあるから、この辺をうまく使えればお金がなくても進学は可能である。卒業後の就職のことに関しては上に書いたとおりである。実感として、そんなに不利だとは思わなかった。研究を続けるか別の道を歩むかの決断はあるかもしれないが、仕事を見つけること自体は難しいことではない。
優秀な人が将来の懸念から、博士過程を避けるようになっているという話をよく聞く。それがどの程度本当なのか私はよく知らないが、本当だとすれば残念なことである。真に優秀な人はおそらく研究者として残っていけるだろうし、別の道を探すことだって難しくはないだろう。重要なのは進学前の情報収集だ。良い指導者(色々な意味で)に出会うことは極めて重要である。
5.学術界に言いたいこと
それはそうと、博士課程を卒業した後、ポスドクの待遇は酷い。なんなら、学生のころよりも生活が苦しくなったりする。私の待遇でも、社会保険と厚生年金に入れるだけ全体としてはマシだと言われるようなレベルである。
博士まで取った人なら、仕事くらい自分で見つけてこられるだろう。だから、別に今いるポスドクをみんな救済しろと言いたいわけではない。ただ、せめてルールくらい守れと言いたいだけだ。大学や予算枠の規定で仕方がないのか知らないが、秘書や実験補助員と同じ枠でポスドクを雇用し、ポスドクにだけ特別な暗黙のルールを適用することはいい加減やめた方がいい(秘書や実験補助員は定時で帰るし、定時で帰れるように配慮される)。本来、研究者を時間給で雇うのが間違いなのだが、全員を正規雇用できないというのもわかる。だから、正規雇用されなくてもいいから、パートタイムで雇うならその規定をきっちりと適用してほしい。そんな中途半端な研究者は要らないと思うなら雇わなければいい。自分だって、ボスからポスドクとして残ってほしいと言われたから残ったのである。必要だと思うなら、必要性に応じてお金を出せばいいし、出せないなら逃げられても文句は言わないでほしい。
6.まとめ
大学院は超エキサイティングだったが、ポスドクの待遇が酷いため研究をやめることにした。
博士進学および研究は人生を賭けた博打であり、勝つためには運が多大に必要である。しかし、単に運だけで決まるわけではない。そこそこ得たいものを得て降りることは可能である。研究の過程を楽しく思えてかつ優秀な人には博士進学を勧める。