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はてなキーワード: モナリザとは

2022-05-19

anond:20220519172908

モナリザ著作権が切れないように定期的に著作権保護期間が延長されとるやろ。知らんのかいな。

anond:20220519171701

いや、モナリザ著作権は切れてるから問題ないんだよ

ちょっと著作権について勉強したほうがいいようだね君は

anond:20220519171201

構図パクリくらいでアウトやったら世の絵描きは全滅しとるわ。

モナリザと同じ構図の絵がどんだけあると思うねん。

2022-04-14

anond:20220414105040

例えばモナリザを見たいと思ったらレプリカを買うか画像検索すればいいだけだけど

レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた本物のモナリザルーブル美術館にある1個しか無いわけで、

美術品において「世界に1点の本物」であることは他の何物にも変えられない価値なのよ

から何十億とかで買う人が出てくる

そこでデジタルアートにおいて無理矢理「本物」の価値を作り出したのがNFTアートと俺は解釈している

あと今なら「NFTアートの先駆け」的な評価がおまけとしてついてくる

2022-01-23

ところで、ワイが持ってるイーサリアムってビットコイン、一枚50万円くらいで買ってくれる人おらん?

イーサリアムがあればモナリザとかのNFTっていう美術品も買えるらしいよ? これはビジネスチャンスだよ?

2022-01-17

anond:20220117223213

芸術作品を作る。

死ぬまでずっとモナリザを持ち歩いて加筆してたダヴィンチみたいに。

2021-10-07

anond:20211007071822

理想化された人間表象は、性欲の現れだ、性への願望だ、という点は同感。それがすべてではないかもしれないけど、まったくないということはあり得ないとわたしも思う。でもなぜそれが「歪んだ」と言われるんだろう。逆になぜダビデ像モナリザ理想化は「歪んで」ないとされるんだろう。

古代から近世までにかけてのヨーロッパ制作された理想化された人間表象が高尚なものとされ、現代日本制作されたそれはそうではないというのは、単に権威化されているか否かの差しかないのではと感じる。

anond:20211006093019

これは掠っているけれども本質ではないと思う。

人間の美しい身体容貌への憧れは、大昔から存在していて、ダビデ像やらモナリザやら、理想化された姿が描かれている。

ただアニメ表現の異質な点は、理想化の中にある種の偏った欲望の反映があると感じられる点。

そこに現れているのは歪んだ性欲、性癖だ、男性女性への歪んだ願望だ、と指摘された場合個人的には反論はできないと思う。

マンガアニメゲーム好きで時間を費やしているけど、何かおかしデザインが多く存在していることは事実だ。

2021-09-22

障害者の描いた絵に数百万の値が付く奇妙な時代

というよりも、社会的弱者の絵にバブルが起こっている。

まなみ工房という障碍者福祉施設があってそこに通う人がリハビリがてらに描いた文字を羅列しただけの絵に100万だかの値がついてる。

割と時間をかけた力作もあるがそれでも300万とか400万とかいう値がつくのは行き過ぎではないか

他にもNFTだかい技術の波に乗って小学生Windowsペイントで描いたようなクオリティの絵が万単位で売れていく。

その小学生は数か月で300云十万稼いでいる。どうにも海外有名人の目に留まりSNSアイコン作品の一つが使われたことによって価値が爆上がりしたらしい。

俺はなんでも鑑定団をよく見るがあの番組では芸術文字通り生涯を捧げた人達が紹介される。

画材などに財を全てなげうって、食べるものも切り詰める清貧生活の中で芸術家として大成していく様が伝えられる。

そんな人が描いた絵なのに、たとえ本物でも「150万円」という鑑定額だったりする。

前はそれを安いとか思ったことはなかったが今の風潮に照らし合わせると過小評価な気がする。

あるいは逆か。障害者の描いた絵が数多の芸術家達の歴史を踏まえず評価されすぎているきらいがあるように思える。

なんで芸術家と比べてしまえば本気度が低いに決まってる人たちが悠々自適に描いた絵に悠々と大金をかっさらっていくのか。これでは芸術家が報われないのではないか

別に障害者が作り出すものは劣っている」とか言いたいわけじゃない。障害者どころか健常者の平均的な画家と比べても、なんでも鑑定団特集される芸術家の芸術に捧げる熱量は、比較にもならないだろうが。

まあ作品一品物だからということもあるわけで、たまたま金持ちがその障害者の絵を気に入ってそういう金額が買い取ったというだけの話かもしれない。

まりそういう金額は一個人にとっての価値であるだけで、客観的価値を反映したものではないのかもしれないというわけだ。

客観的」という言葉を途端に胡散臭く感じるだろう?「『客観的価値』ってなんだよ」と言いたくなるだろう?

脱線するがアレイスタークロウリーなる魔術師自称した実在人物は法の書という出版物のなかで「真の意志」という概念について説いている。

「真」という言葉も、客観性と同じようなうさん臭さを持っていると思う。

たとえば惰性で好き勝手振る舞うことを真の意志とは異なるというようなことが書かれている。でも見方によっては、好き勝手振る舞うとは何かしら律するものの影響下にないということで、そこで発現されている行動はありのまま意志の反映なのではないのか。

ありのまま「真」という言葉で言い替えれるとするなら結局それはそのまま真の意志という概念に対する反論になる。

それを退けるためにはこのような「ありのまま」が真というものに対する言い替えとはならないわけとともに、では真という言葉は具体的にどのような性状を指しているのかを説明する必要がある。

真とか客観かい言葉を使う人たちは往々にしてそこらへんを「当たり前のもの」として、分かっているものとして論を進めてしまうから胡散臭いのだと思う。

とはいえ、こうも当たり前のように客観かい言葉が飛び交っていると、その中身は素人にはブラックボックスながらも客観というもの自体幻想ではなく確かに存在すると思うことこそが妥当健全生き方なのかなとも思えてきてしまう(こういやって長いものに巻かれる感じで客観や真などのような概念存在を信じることにしたのは俺だけだろうか?)

俺は気象学が好きでその勉強をしているなかで「予報精度はモデル計算の不確実性に依存する」という文言が出てきたのだが、まあ不確実性って言葉もまた客観とか真という言葉と同等なあいまいさ、抽象性を帯びているったらない。

そりゃ人間が作ったモデル現実物理法則に完全に依拠したものではないだろうことはわかるが、不確実性って単語一つで言いくるめられてもしっくりこないわけよ。それでもまあ「モデル計算の不確実性」が在るものとして、そらんじれるぐらいに自分にとって真実になるように努力するわけ。科学的な文脈で語られていることまでいちいち無いものとして疑ってかかるよりも、とりあえず丸呑みにする方が妥当な態度な気がするから学術的な文脈でも「客観」という言葉をよく見るから、とりあえず客観というもの存在するものとして妥協しておくというのと同じ。

話を戻すが、たとえば俺がモナリザとかひまわり価値ないといったところで、それらの絵画価値には微塵も傷がつかないだろう。

そう言うとき価値客観的価値だ。逆に言えば、一人の人間いくら熱狂的に特定の絵を愛して大枚を叩いたところで、ただちにその絵の客観的価値がそれに相当する客観的価値もつものとして裏付けられるわけではない。個人好き嫌い客観的価値はいうまでもなく独立したものであるはずである

ダヴィンチとかピカソみたいな大芸術家、あるいはバンクシーも含めてああいう人たちに作品の絵の価値客観的価値を反映しているといえる。

それは同じ絵が(何度も)オークションにかけられるという過程を経てその経済的価値民主主義的に固まっていっているからだ。これを実勢価格ともいう。

一方で障害者の絵に対するにわか景気はある個人にとっての価値の反映でしかない。それを指標としても客観的価値は見えてこない。

からまあ結局、このような状況は五体不満足障害者にせめて富がもたらされる機会が作り出されているだけであって、芸術家より評価されているというわけではないから、まあ誰も(故人も含めて)実体的そして精神的な被害者はいいからこのままでいいかなと思う。

2021-09-09

ある最後キス

忘れられない人(村上隆59歳)

燃えるようなキスをしよう(中年の涎まみれのケガレMAXキッスで二度と消えない汚れをつけよう)

忘れられない人(メディアによるセカンドレイプで二度と加害者である村上隆を忘れないようにしよう)

私のモナリザとっくに出会ってたから(モナリザ=性犯罪者村上隆59歳)

忘れられない人(念押し)

おっ

おっ

おっ

おっ

おっ〜(慟哭)

2021-05-13

一生金髪にならず終わる俺の人生

一生モンゴルに行くことなく終わる俺の人生

一生DJをやらずに終わる俺の人生

一生骨折せずに終わる俺の人生

一生全国大会に出場することなく終わる俺の人生

一生制服デートをすることなく終わる俺の人生

一生ひつまぶしを食べずに終わる俺の人生

一生一億円を手にすることなく終わる俺の人生

一生アラビア語を喋らずに終わる俺の人生

一生モナリザを見ずに終わる俺の人生

一生誰かを本気で愛することもなく終わる俺の人生

しょーもな

2021-04-18

私だけのモナリザはなんてことなかったわ

初めてのルーブルもう出会っていたか

2021-03-31

anond:20210330104136

東京の話をするなーーーーー」ーーーーっっっっっつ!!!!!!!!!!!!!!!


  ← これを見て、村野四郎の詩「モナリザ」を思い起こすなど。

2021-03-24

anond:20210324023148

夫にとってのモナリザが間女だったら妻の脳こぼれそう

2021-01-15

キュレーターとは,現代美術文脈において展覧会企画運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトル展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。

今日クラシックにおける自主企画演奏会は,多くの場合プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートマネジメント演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないかクラシック音楽にも,お客さんと作品キュレーション架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。

ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。

目次

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

3.キュレーション差別化手段になりうる

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

5.まとめ

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

繰り返しになるが,現状のクラシック自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家選曲プログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。

でもね,正直クラシックコンサート演目って似たり寄ったりじゃないですか。

コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去音楽再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。

ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり技術で劣る演奏家演奏会に行く理由がなくなってしまうのである

このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽特に文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須レパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベル結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。

結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツ東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要西洋音楽技術結構低いんですよ。川谷絵音東京事変King Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスクラシックに比べて多角的評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価観点として強烈に幅を利かせているのである

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

プロ世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。

例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。

このゲームでは,プレイヤー最初ガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身活動への俯瞰的視座」とか「個性的音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初キャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…

まともなゲーム運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。

…まぁでも現実世界にはゲーム運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである

3.キュレーション差別化手段になりうる

そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会プログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものデザインできれば,技術トッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。

モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会デザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。

また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。

一方,クラシック音楽演奏会はどうだろうか。そこに「体験デザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツ演奏楽曲)のクオリティ,そのほかはあくま付属品」だと考えているし,むしろ演奏クオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。

キュレーター自分作品を作れない。その代わりに,個別作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験デザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイート意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。

具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

はいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験デザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!

…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤーキュレーターになれ,もしくは②プレイヤークリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。

クラシック演奏家って特殊立場なんですよね。CDスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手自動運転にとって変わられるように,中途半端演奏家オーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊イノベーションだと思っている。

からこそ,演奏家は「他者作品再現」以外の価値を作らなければならないのだ。

こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏聴くより,自宅のスピーカートッププロ演奏聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯時間丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCD中の人の方が上でしょ?…これが一般人残酷本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験デザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。

また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやす価値提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者作品再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコーピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。

ちなみに,「自分作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latin.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-wonder-woman-pelicula-completa-en-espanol-latin.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-Los-Croods-pelicula-completa-en-espanol-latino1.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-Mujer-Maravilla-1984-pelicula-completa-en-espanol-latino1.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-Mujer-Maravilla-1984-pelicula-completa-en-espanol-latino2.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latino.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latino2.pdf

2020-12-23

ゲームお金を払うという行為について前から言いたかたこ

冬休み始まって(年末また出るけど)少しヒマなので前から言いたかたこと書くわ。

おっさんの昔話

いつからだっけな。

多分DLCが本格化しだした頃からなんだけど「ゲームは一度お金払ったらずっと無料で遊べるべき」みたいな勢力が出てきたんだよ。

アップデート無料が当たり前って価値観

その昔からオンラインゲームだとアプデのたびにちょっとずつ課金要素追加されてくとか結構あってユーザーも「まあ金払わねえと潰れるし大型アプデ来んのは歓迎だわ」ってことで割と好意的に金払ってた。

そういう界隈にまで奴らは攻め込んできて「基本無料なんだから全部無料だろ!」みたいなレベルで暴れ始めた。

それが最近ソシャゲ叩きに移行していって「ガチャゲーはクソ。最後まで無料で遊ばせろ」みたいな事言うようになった。

いやおかしいだろ。

趣味じゃなくて仕事で作ってんだからどっかで金稼がないと無理だわ。

『誰かが仕事でやってることは、誰かが給料を手に入れられるようになってないとおかしい』って当たり前のことを理解できてない人は昔のインターネットにはほとんどいなかった。

ADSLが出来た辺りから接続の苦労も知らず親の用意してくれた環境に丸ごと乗っかって全てが無料であるはずと思い込んだ経済観念の壊れたネット住民が生まれだした。

彼らが大きくなって立派な嫌儲民となり、購入厨という意味不明概念まで生まれて10年ぐらい経ってる。

そうして今やそういった概念ネットでは「歴史のある党派」に数えられるような扱いでやたら堂々と振る舞ってる。

でも一度落ち着いて考えてほしい。

単にネットで長年騒いできた連中が大勢いるってだけで、自分らの言ってることが正しいと保証されることなんて無いってことを。

最近の話

最近だと特に目につくのが「新作ゲームガチャが渋い!許せねえ!」ってやつなんだよな。

まあ確かにガチャ誘導まみれのゲームって全くおもしろくはねえんだけど、それならレビュー一言「クソでした☆1」とだけ書いて去っていけば、多くの人が同じ感想ならそれが集まって凄い勢いの低評価レビューとして十分な破壊力を持つと思うんだよな。

これはインターネットの基本として覚えてほしいんだが、10人に1人が帰り際にキレてワンパンかましていくとユーザーが10万いるなら1万発のパンチが叩き込まれることになる。マジでヤバイ威力になる。(そしてそれで相手死ぬと1万人全員に「最後の一発を入れた可能性」が出てくるので、誰かを殴る時はよく考えたほうがいい)

わざわざ必死になって「このゲーム本当にクソでしたよ[会社名]は本当にクソゲーしか作らないから皆で攻撃しましょうー!!」って呼びかける必要なんてねえわけだ。

ガチャの渋さも含めてゲームの一部なんだからそれに耐えられないならゲームを辞めればいい。

運営に対して一言言いたいならメールを送るって手もある。

さっき10人に1人が10万集まると1万発のパンチかますことになると言ったけど、1000人に1人でいいか手紙ちゃん運営に送ると10万いれば100通の手紙が届く。

100通来てその中の半分に同じ内容が書いてあったら運営もそれなりに動く。

これはとあるソシャゲサイトマスコットキャラクターが返金騒動が起きた際のことで口にした言葉なんだが、『あいつら騒ぎ立てるわりに意外と泣き寝入り体質で、Twitterとかゲームコミュニティかには「コインだけ奪われた!」とか書き込むのに、問い合わせて補填を受けようって発想がないんだよね。にじよめのゲーム以外でも、観察してると「まぢ詐欺だし。ホント最悪の運営です!」みたいな書き込みがちょくちょくあるわけ。そういう叫びを目にして、「おまえらそこであきらめるんだ!? 取り返しに行かないんだ」と最初は目を疑ったよ。』ってのがある。

堂々と請求できる場面ですらこうなんだから、そういう状況でなかったらマジで多くの人は文句たらたらの癖に本人には言わずに帰っていくんだろうなと思うよ。

でもそれって違うだろ?

「言いたいことがあるなら直接言う」ってのは基本じゃん。

お前らの大好きなゲームでもそれテーマにした話いくらでもあるよな?

キャラ絡ませる展開で超王道だし。

つうわけでありがちな「このゲーム課金きつすぎますよ!」って愚痴あいは言う相手間違ってると俺は言いたい。

ツイッターや5chで反対運動を呼びかける前に運営に投書しろ

だいたい本気で投書するとそれで燃え尽きてもう他所愚痴エネルギーはなくなってたりする。

完璧を求めすぎてる

ガチャゲーのガチャ批判はある程度分かるんだが(ゲーム性クソになりやすいし)、買い切りDLCにまで批判が行くのはちょっとからない。

「買うほどじゃないなら買わなきゃいいじゃん。買いたいと思ったなら買えばいいじゃん」で終わる話でしかないはずだと自分は思ってるからだ。

モナリザの顔を切り刻んで「最近ゲームは作りかけ」って批判する画像が一時期流行ってたけど、別にアレはDLCが悪いんじゃないと思う。

実際バラで売ってるゲーム普通にあるしな。

有名なのは.hackとか軌跡シリーズとか。

軌跡シリーズなんてもう海外ドラマと同じような感じでどこまでいっても終わりが見えないモードに入ってる。

DLCに対して皆複雑に考えすぎてるんだよ。

単に追加コンテンツが用意されて、それの制作費を改めてユーザーが支払うってだけ。

無料のほうが嬉しいって人もいるだろうけど、俺は作り手に金払いたいから有料なら有料でいいと思う。

コラボキャラクター1体数百円とかを高いと思う気持ちもあるけど、でもそれ作る過程で色んな人の作業があったろうし、要らん人は買わんってこと考えるとこれぐらいにはなるなと納得はしてる。その上で金出すかどうかは気分次第。

本当どこまでも気分次第でいいと思うんだよ。

本編が30時間クリア6000円なのにDLCマップ時間クリア1000円ってコスパ2倍以上悪化してんじゃねえかゴミかよって思うのもユーザー勝手だし、それでも買いたいって思うなら買うべきなんだよ。

結局俺たちは「欲しい物に金を払う」以上のことは考えなくていいと思うんだ。

文句言うところがあるとしたら看板に偽りがあるパターンだけで、たとえばDLCマップクリアに20時間かかるぞ!って言われて買ってみたらしぶとくアイテムドロップ粘ったら20時間ぐらい遊べるかもねのレベルだったときは、まあ愚痴っていいしレビューに書きなぐって「皆気をつけろよ!」と言ってもいいよ。

でもそういうパターンだけでしょ。

金払う価値がどれぐらいあるかが外から見て明白で、そして値付けがしっかりしてるんだったら、あとは買いたい人間が買うでいいんだ。

そもそも完璧ゲーム体験を求めすぎてると思う。

他人に「でもお前そのバージョンだと◯◯出ないじゃん」って言われても「そうなんだ。でも9割方差はないっしょ?」で終わらせりゃいい。

なんでそれが出来ないのかが不思議で仕方ない。

ゲームガチャにしたって「俺は持ってないけどアイツは持ってる」って状況でも「じゃあアイツの上げた動画見て満足すっか」とかで終わらせりゃいい。

なんかこう自分幸せにならない方向に完璧主義拗らせることを「正しい」って思いすぎてねえか?

多分これってオタクの持つある種の「実力主義階級主義」による悪影響なんだよな。

結局の所オタク社会って体育会系かつヤンキー系な社会で、野球部エース女子マネに肩もみ強要させつつ後輩に100円渡してハーゲンダッツ買いに行かせても許されるみたいな世界観なのかなって。

カラスが白いかどうかを決める権利は誰も持ってない」ぐらいの感覚で生きちゃダメなの?

それはそれとしてゲームに金を払う幸せ

前置きが長くなりすぎたな。

暇にあかしてって奴か。

今回本当に自分が言いたかったのは「好きなゲームお金払えるのって幸せじゃね?」ってことだったはずなのに。

最初からそれ書いてろ?

いきなり言っても共有してる世界観のすり合わせが出来てないと噛み合わないじゃん?

まず「ゲームお金払うの反対って意見が多いけどさ」があってからの「でも、ゲームお金払うのっていいじゃん?」なわけよ。

好きなゲーム課金要素が出来るのってユーザーとしては「プラス」だと思うんだよね。

だってそれはユーザーに金を払わせようと思えるだけの何かがその世界に追加されたってことなんだから

作り手が何らかの作業をした結果として、その代金を徴収してきてるってことは、そこに商品があるってこと。

まりその世界でまだまだ遊べるってことなんだよね。

フルプライス商品だと「未来ユーザー購入を見越して企業が人を雇って商品を作る」ってのが見えるし、クラウドファンディングなんかだと「商品がこの世に生み出されるための準備金としてユーザーお金を集める」って行為可視化されるからわかりやすいけど、ゲーム課金要素でもそういうの見えにくいだけで結局一緒だと思うんだ。

新しいコンテンツ提供されるから、それをお金払って購入するっていうだけでいい。

ソシャゲで新キャラガチャに追加されるのも、それはそのキャラを作るのにかかったお金と、そのキャラが出てくるまでの間そのゲームサーバー借りたりメンテしたりするのに使った諸々の費用を払ってるだけなわけで、そこに納得するならそれに金払えばいいんだよ。

まあ困るのはPvPゲーで課金するとやたら強くなるパターンだね。

アレはもう「金を払うと強くなれる」まで含めてのゲームだと割り切るしかいね

でもそういう例外を除けば大部分のゲームは「納得したかお金を払う」って形を取れるようにしてると思うんだよ。

から「納得できないかお金を払わない」をユーザーが選んでもいいし、それについて他人がとやかく言う必要もないと思う。

そして、その両者についてやたらめったら本人以外がわーわー言うのはおかしい。

それでも納得ができないなら、そのときは作った側に投書だな。

趣味なんだから楽しくお金使おうぜ。

そしてお金使ってない人でも楽しんでいいって思おう。

自分が使ったお金については自分が納得さえすればいい、他人が使ったお金については他人が納得してればいい。

そして、好きなものお金を使えることは幸せなことだよ。

2020-11-21

科学芸術、どっちが大事なの?

絶対科学だと思うんだけど

芸術はさ、やりたい人が自分の金で勝手にやりゃあいいじゃん。材料とかもあるもん使って創意工夫すりゃいいじゃん。芸術家は「描かずにはいられない」「作らずにはいられない」「演奏せずにはいられない」生き物なんでしょ。

ほんなら、国から支援されなくたって発表の場をわざわざ用意されなくたっていいんじゃないの。普通に就職して、寝食削って作りゃあいいじゃん。追い詰められた人間が魂削って描いた物の方がいいのできそうだし。

まあ、建築系の人ぐらいはいてもいいかなと思うけどさ、画家とか彫刻家とか1人で勝手にやっててくれって思うよね。

美術館とか黒字ならあってもいいけど大抵赤字だよね、大赤字

絵が飾ってある空間、要る?

博物館はいいよ。学びが深まる。科学館もいい。図書館大事だ。小さなコンサートホールも町に一つぐらいあっていい(異論は認める)。でもさ、美術館、圧倒的に要らないよね。

必要な人はいるんだろうけどさ。「じゃあ、買えば?絵。」って思っちゃうよね。2000円のチケットで見に行ってないで、市井絵描きの書いた絵を買った方がいいんじゃないの?芸術振興ってそういうところじゃないの?

貧乏人にも手が出せるように?じゃあサイゼみたいに壁にデカデカ印刷しとけよ。とか思うけどね。中国からレプリカ仕入れて、モナリザでもピカソの絵でも飾りまくりあいいじゃん?贋作価値がないのって結局偽札価値がないのと一緒だよね。「本物にもなんの価値もないから」でしょ。どこぞの大金持ちコレクター(とそこから金を引っ張り出したいバイヤー)の付けた値段を芸術価値だと思い込んでるなんておめでたい話だよな。

税金無限にあるわけじゃないんだよね。ちょっと子育て支援ちょっと障害者福祉を、って話になったら途端に財源が〜なんて話になるのに、芸術の話になると黙るよね。国が貧しくなりゃ芸術どころの話じゃないんだけどね。既存のもの存在意義は熱っぽく説明するけど、これから必要ものの話はできないんだよね。そういうところが日本ダメにしたんじゃないかな。俺は芸術みたいな贅沢品を身にまとって先進国ぶってないで、全部売っ払って(ってのは比喩として)なりふり構わず這い上がる努力をすべきだと思うよ。

そもそもさ、ルーベンスの絵の価値がわかる国民よりも、水素水に騙されない国民のがよっぽどいいよね。美術時間とかあったら、科学教えたほうがマシだと思うよ。トレードオフじゃない、比べるものじゃないとか言うのかもしれないけど授業時間なんて普通にトレードオフだしさ。小学生図画工作なら楽しみにあってもいいかも知れないが、中高生に2時間美術要らないだろ。その2時間理科でも数学でも社会でもやったほうがマシだろ。

美術館も要らないか科学に回せばいいし、美術時間も要らないから理数に回せばいいよ。将来的に本当に役に立つものは何かよく考えるべきだよ。救われました〜とか個人的体験談じゃなくてさ。芸術がなくなったから衰退してるんじゃなくて、衰退してるから芸術がなくなってんだよ。で、芸術にこの衰退をなんとかできますか?って話だよ。

2020-10-13

博物館/美術館/図書館っていらなくね?360映像4Kで見る方がコスパいいよね

でっかい箱物作ってモノ集めてそこにわざわざ人間が移動して見るってバカバカしくないか

縄文土器360映像とかモナリザ4K写真アップすればいいだろ どうせ見るだけなんだから

学芸員解説プロ映像編集してクオリティの高いものYoutubeにでもアップすれば一回ですむよね 何度も何度も同じ話をするために人間雇うとかアホすぎ

そんな施設アクセスすることもできない貧乏人や田舎者が払った税金が都会の文化資本豊かなエリートや暇なジジババのために使われるのは逆再分配

どうしても生で見なきゃ臨場感がないとかいう贅沢な人は税金ではなく民営化して自分の金で楽しんでください

図書館小学校図書レベルの所蔵しかないド田舎日本出版された書籍の全てが納められる国会図書館に行ける東京とでは格差ありすぎだし全部ぶっ潰して電子書籍化したデータインターネットで見られるようにしたほうがいい

公共の福祉とかなんかの特例で著作権なんて無視してスマホから見られるようにすれば、地方民や貧乏人、忙しい社畜にとっては今よりはるか文化知識アクセスできるようになる。しかもローコストで。

これで困るのはリアル箱物文化知識を閉じ込めておかないと税金で飯が食えない役人学芸員、そして都会の施設アクセスできるという特権を失ってしまエリートぐらい。

金持ち個人コレクションではなく国が集めて国民に公開するというのはその時代にとっては画期的ですばらしいことだったんだろうけどさぁ、いつでもどこでもインターネット簡単情報アクセスできる現代では、その美術館だとか博物館自体文化知識牢獄になってるんだよね

あと大学原則すべての授業をYoutubeにアップするよう義務づけよう。国立大学はもちろん私立も膨大な助成金経営してるところはすべて公開すべき

象牙の塔の中に高等教育を閉じ込めるな

さすがにYoutube学位付与できるわけないか大学を潰せとは言わないけど

ついでに田舎者不登校引きこもりのためにスタディサプリみたいな感じで小中高や予備校の授業もアップしよう 東京お受験して超進学校に通ってる子供が受ける教育治安の悪い地域公立動物園全然同じじゃないしな

俺はわりと本気で言っている。さっさと箱物ぶち壊してインターネット大海解放しようよ

知識は水だ独占してはいけない

2020-05-23

anond:20200523105854

ところで「アニメキャラ白人」とは思わない立場だが、元増田の「マンガアニメキャラ白人と思い込む人のほうがレイシスト」というのは、それはそれで前段をすっ飛ばしてる感じがする。

日本人と違い特徴を強調されたアジア人キャラ」って、少年マンガ少女マンガとかでは特に思い浮かばないけど、えらが張ってたり吊り目だったりするアジア人って描き方は青年マンガではわりとある

ギャラリーフェイク』の主人公フジタはわりと二枚目日本人だけど、出てくる中国人とか東南アジア人はわりとそういう「アジア人的」な誇張が目立った気がする。フジタの同じアパートの人たちとか、美術品を横流ししてた人民解放軍軍人とか。

これが女キャラだと、中東出身ヒロインライバル女性美術館長、女怪盗(アジア系)、自称モナリザ末裔である昔の恋人とその娘の顔の造形がそれぞれ大して変わらないのに比べれば、男キャラ人種的特徴を誇張されてはいた(もちろん日本人の男にも「アジア系の特徴」で描かれていたキャラはいる。ニンベン師とか)。一方でヨーロッパ系の男キャラは「白人符号」で描かれていた。

日本マンガは(単一民族とは言えないにせよ)人種的多様性の乏しいゆえに「人種(の衝突)」という概念をあまり意識しないお国柄によって「どのキャラも同じ人間(≒日本人)」という、「人種への無関心」で描かれている。

一方で少なから日本人には、逃れがたい脱亜入欧的な意識や、ヨーロッパ人種の体型への羨望といった価値観があり、それらが絡み合って「普通の、一般的存在である主人公まわりの日本人キャラが「目鼻立ちのすっきりした小顔で手足の長い(≠白人)」容姿になる一方、「異質な存在である外国人」を描くときに、「白人」と「黒人」と「日本人ではない、それ以外のアジア人」みたいな排他性が表現されてしまう面もある(あった)ということは、否定しえない。

美味しんぼ』で周大人の娘と子供を作って逃げた王という料理人は、いかにも「アジア人」みたいな容貌だったのが、中盤ぐらいで再登場したら好青年風の容姿になっていた。

マンガアニメ海外で売ろうという時代である。「日本差別意識いから!」という主張で好き勝手描いていくというのは難しくなり、特に大手は「両性の平等」「少数者の尊重」「人種的配慮」などPCへの目配りをしながら「無難安全な素材」を組み立てていくようになるのであろう。

2020-01-25

もうなにも鴨いや

人間一時的に嫌になったので箇条書きでイヤなことを綴ります

一通り書いたあと読み返したら、口が悪すぎた。

どれもこれも世界が悪い。私が悪循環に陥ってしまった、この世界に非があると思う。

(本当に口が悪い)

・嫌という言葉

漢字カタカナが入り混じった文

・ヒトなのに人間と呼んで誇らしげに生きること

上司の嫌なとこだけ見て良いとこを挙げない自分を含めた小数

・その陰口を聞いて呼び出しパワハラモラハラの末に同僚を退職させた上司

・狭い世界のしきたりを押し付けてくる会社の先輩

・一人〇〇ができな〜〜〜い!!と阿鼻叫喚する田舎まれヒップホップ育ちの元ヤンシングルマザーの先輩

・お昼の世間話の内容がずっとコロナウィスキーオーストラリアだった一週間

情報共有が下手すぎて、同じ内容のプロジェクトが3つ同時進行していた事

・ひとりで案件を抱え込み、挙句一大プロジェクトに失敗したのに何食わぬ顔で経費でクソ高い社服を購入する部長ジー

会社のジジーものために人間ドックの費用負担しようとか提案したやつ

・ジジーどもに頼ってばかりで中身からっぽの出張しかしない胡座ウンコ営業

・一丁前にマッチョな事言ってる癖に普段エクセルしか触ってない上、頭頂部の後退が進行し始めた部長

・そして、わざわざ席までやってきて"アルパカ進化”などの訳のわからない知識をひけらかすなやめろ業務ハックしたろか?

会議中に耳元でモナリザの正体について熱い考察を語り始める後輩のジジー

・終わった後「モナリザの正体は誰だったんですか?」と聞くと「仕事中に関係ない事言うな」とクソデカ声で急にキレるヒステリックジー

マッチングアプリで3回もデートしたのに友達でいようとか言い捨てた常識ナシ童貞アラサー教員

・で振った後にも関わらずおめおめと連絡を寄越しやがる。ふざけるな。鬼畜か?あなたのようなうけが道徳を教えるな愚か者

・で一週間音信不通にしたら返事がこなくなったこ

元カノの未練をつらつらとポエミーに語り挙げた末、初デートスシロー提案してきた男

・物が整理出来なくて部屋を脱出ゲーム風にアレンジした1ヶ月前の自分

・を攻略しすぎて電気付けなくても足場を把握している自分

芸能人なのに一般ピーと同じ内容のyoutube配信を始めた癖におもんないやつ

古戦場

・エデン持ってないだけで存在否定されたこ

マグナ

・東出

あんスタのイベントが無くなった事

セフレ欲しいと言ったら急に個別チャットしてくる大量の脳みそ直結チンポたち

・飽きた

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