はてなキーワード: ベッドタウンとは
在宅勤務とVRChatのために実家を出てアパートを借りたんだけど、夜がびっくりするぐらい静かだ。
ある増田のいう「東京」が立川や八王子だとすれば、生活様式上はここも「東京」である。通行手形が求められるようだが。
大きな駅に直結でうるさいし変な訪問も多いしボイスチャットでの世迷言を家族に聞かれたくないしで、
実家を出て、一軒家と雑木林に囲まれて静かなアパートに居を移した。
聞こえるのはお隣さんの入出庫の音、子供が路上で遊ぶ声、灯油の曳き売りぐらいだ。
ただし夜になるとこうした人気すらなくなるのが驚いた。
何か物音を立てても闇に吸い込まれるような、「しん」という擬態語が似つかわしい空気を初めて覚えた。
なにせ21時には周りの家々の電気が消えるのだ。この文をしたためている23時半の今はとうに寝ているのだろう。
我を張ろうとも張ったそばから闇に吸い取られていくようなそういう不安がある。
ある増田も幼いころから人の多いところで育ったから、そういう心地なんだろう。
その心地をベースに文化資本へのアプローチ難度の高い点が上積みされてああいう独房で遠吠えするような増田文学が成り立ったのだろうと推量する。
藤井風って岡山のどこ出身なんだろうと思ったら、都市圏じゃなくてそこそこ中途半端な田舎のあたりなのね。ベッドタウンといえばベッドタウンだけどかなりのどかな感じで、電車が1時間3, 4本。山陽本線沿線だから良いほうだけど。
地方の公立高校の音楽科ってお世辞にも風向きよくないと思うけど、こういう人もまれに出てきてくれることだし無くなってしまったら悲しいよなあ。
だいたいそういう人って普通科通ってても頭角現すし、公立の芸術系高校の授業がどのくらいあてになるのか、みたいな話も聞いてるけど、それでもさ。
そういう学校の存在自体が土地に及ぼしてる影響みたいなものって、絶対あると思うんだけど。どうやったら可視化できるんだろうな。
この1年で感じたことは、多くの親が感じていることだと思うけど、あまりに現代社会は育児するには環境が厳しすぎる。
近くに頼れる人がいない。
地元で就職できればよかったが、内定出た企業は一つだけ、地元は離れた。妻の実家はさらに遠い。
交通網、技術の発達で親元から遠く離れて住むことも多くなった現代、新幹線や航空機があるとはいえ
頻繁に、すぐに親に来てもらえる環境ではない。
保育園に入れない。
政令指定都市近くのベッドタウンに住んでいるのだが、周りにマンションとかが急増していて
まったくもって保育園が足りていない。
自分自身も住んでいるから人のことは言えないのだが、あまりにも鉄道沿線に人が集まりすぎていないか。
鉄道会社、不動産会社はこの戦略が儲かるんだろうけど、あまりにも過密に感じる。
日本国民もほとんどは声を上げてない、そういう私もインターネットの片隅に愚痴を垂れ流すだけ。
一人が立ち上がったところでたかが知れている。
自治体もしょうもない観光センターなんて作ってないで保育園に金を回してくれ。
まず妻の仕事先の上司が醜悪な人間らしく、仕事復帰の不安が募っている。
そんな職場ならそもそも辞めてもいいと言っているが、人出不足やら逃げたくないやらで続けることにこだわる妻。
出産後のホルモンバランスの崩れでただでさえイライラが募っているのに余計なストレスを生んでいる。
感情、もとをたどればホルモンだとか神経伝達物質だとかのごく微量の体内物質に帰着するのだろうが、
そんなちっぽけなもので普段の行動を大きく左右されてしまう人間。
人間は理性というものがあって感情、行動をコントロールできるのだろうが、
助けを求めるためのハードルが高い。
心を病んでいる人に、自治体の支援やこころの電話窓口やら地元の団体やら心療内科を調べて助けを求めるという行為はなかなかできない。
妻自身は全くできなかった。代わりに私が助けを呼ぶにも、平日の仕事は忙しい、家で気力はない。
家にいるときでも妻は不機嫌で、助けを求めることについての相談さえできないことばかり。
そんな中でも自分が動かなければと思って、近くの心療内科に予約のために電話した。複数の医者に電話したが、予約埋まりすぎ、混みすぎ。
コロナの関係もあるだろうが、なかなか都合がつかずに予約ができない。
でもわかる、こんなに複雑化した現代社会で、不完全な存在である人間が生きていくのは本当にしんどい。
ほとんどの一般市民は苦しみながら細々と生きて死んでいくだけだ。
そんなの大昔からそう。現代じゃなくてもそうだっていうのはわかっている。
でも、この数十年は46億年の地球の歴史の中でもあまりにも劇的な変化が起きた年代だったはずだ。
中抜きとは
もともとの「中抜き」
取引の中間に入って、取引自体と直接関係のない事で金銭をうけとる方法
取引に中間業者が入ることを「取引とは直接関係ないのに料金とって生意気」でバッシングしようというのが今の流れ
法人(登記上人間:単位的に個人)-取締役・役員(資金と計画)-社長以下社員(実務)
この形の違いだけでまず役員など資金の部分と労働してる人との間で契約がある
約束を超長期的に結ぶことで正社員とかしたりしてるわけだけど毎月のお給料を支払う必要がある
今月の売り上げの料金でいつのタイミングに仕入れで現金をつかうかお給料を振り込むかで会社の資産量がかわる
マイナスになるわけにはいかないので支払いタイミングをずらすので締め日とか支払い日とかでてくる
仕入れでお金がなくなってしまうタイミングでお給料日がきて支払えないとなるわけにはいかないのでできるだけ安全マージンをとった日付の余裕と計画をすることになる
そうすることで都合のいい日とよくない日ができてくる 生産側と中間業者の間で都合のよいサイクルで取引をするように契約することになる
個人なら全力で貯金を使い切ってしばらく我慢しても自業自得なので我慢しつつ現金化していくということもできるし消費者ローンで即日お金も借りれる
法人を代理店とかみたいな中間業者として個人を転売ヤーとして話をすると
法人にしてそんな大きな量と額で取引する必要があるのかっていうと そのメリットは
・社員一人一人が「品物を見極める選別眼」「利益計算のプロ」「仕入れの交渉上手」「新しい方向性への調査が得意」のすべてを備えていなくても一部が担えればその流通に関与できる
・よりたくさん仕入れることや長期的に約束をすることで原価を安くすることができる より安く消費者に提供することで同業の市場で差をつけることができる
上記2点で売り上げを伸ばして個人の能力依存にならない人財形成で労働から得られる収入をみんなでわけることができる
好きな業界で自分にできる範囲で生活資金を得られるので職業の選択の幅が広がる
できないことをさせられて怒られる会社の社員っていうのも嫌なものだけど上記のとおり足りない能力を伸ばさなくてもいいのが会社なので怒られる仕事を頼もうっていう時点で会社がおかしいことに気が付いていないところが多いので残念なことは多い
個人でするなら品物の仕入れから売り上げまでに必要な能力や知識は個人次第
馬鹿みたいに売れるのが確実なものは貯金のある限り買って売ったらいい
もしそれが複数人同じ考えで行われて売り切れがでたら値段を吊り上げたらいい
目論見がはずれたら自己責任 だけど失敗しても怒られない
ならば特価していなくても有能でなくてもできる業務に分解して構成しよう
あわせて一つの目的を主たる業務としてそれ以外には私たち集団は威力を発揮しないということを役所に届けて登記して法人になろう
その土地や地域から経済活動ができるものを一人の法人として地域のみんなで運営できるので分配もできる
土地を利用してとのことなので運営と無関係な住民や地域についても還元していこうというCSRなどもある
だれも助けてくれはしないが だれも助けなくていい
個人が個人のことをまかなって一人で生きていくのは勝手だけど地域ってその人の生活圏も含めて地域なので税金は投入されてるしサービスも提供してるし税金も使われてる
一人で生きていくために社会と断絶できるほどに還元しているわけでもない人が個人でそこにいる事自体にもコストはかかり続けている
ので個人だけで個人のことを完結させてる人は地域としてはあまり放置して無視というわけにもいかない
やってる事個人とかわらないし全員個人で税金おさめたら法人も個人も中間取引してるのかわらないんじゃね?って思う人は
一日何件問合せの電話がきたら個人と法人では動作がしなくなるのか考えてみてほしい
動作を止めると商売が止まるとかお金が入らなくなるとか以前に 利用してる客が迷惑することを
激安スーパーとかでもそうだけど 仕入れ業者が会社の運営のながれとは逆に売る側として資金の調整タイミングをはやめたい 現金で取引してほしいというところはある
条件を必要とする程度に資金がほしいか品質に問題があるかなどあって安く仕入れることができたりする
これをみんな定価でうるならば仕入れ業者選びと価格交渉が商売の要となる けれどもこれは独自ルートを使って各社商売をしてる 価格にみあう条件に合わせて法人をおいてる
山の上なら移送する手段とか 学校前なら割引率が多く商品が限定的とか ベッドタウンが近ければコアタイム以外販売をしてないとか
タイミングと場所で消費するタイミングも量もちがうので最適にあわせた時点での原価がきまるし 定価を変えた商品が売れることにもなる
個人の場合入荷が販売の商品を購入してからなので最低価格は定価であるため実質定価の確定になる
販売方法がネットによる「全国にいるどこかの必要なだれか」がいつか買ってくれるかもしれないという「商品の価値に100%依存」することにもなる
売れ筋消費を扱う業界で働きたいとか それがある土地に住みたい 住んでるところで不足した能力を補わずに社会生活したいとなると生産者から買い取って消費者に売るという中間業者に就職することになる
生産者が消費者に直接売るとなると生産者側が生産以外に販売や顧客管理や経理といったところから取引の仕方ややり取りについて担当する仕事を処理できる部署が必要になる
生産のコストとリスクと取引の作業をする事業のコストとリスクをひとつにしたところでまったく別のコストとリスクが2倍になるだけなので一緒にしないようがお得なのはあたりまえ
いろんなベストが点在していて 苦労を少なくつなぎ合わせて生産を消費していくサイクルをつくるのが中間取引のあるしくみ
消費者が消費するためだけに先に自分で消費してその機会価値をほかの中間コストを乗せたそのまま請求して取引するのが個人
これだけではないけど とりあえずこれだけでも転売ヤー個人のやってることと法人のやってることは違うんじゃない?
結婚相談所とか派遣とかなんの苦労もなしに人紹介するだけで金とってる中間業者って抜いてるだけじゃんってところだろうけど
あれはリストを売ってる商売だからその人の情報をもって連絡とか対応をして仕事先に仕事だけさせにいく業務負荷の低減をしてる分で手数料をとってるんだ
たとえば派遣経由で現場に入ったとして 次の日から派遣通さずに自分と勤め先で直接契約してもいいと思うよ
だけどもいやな事があったとき次の派遣先を自分で探さないといけないとか 必要なときに電話を直接取ることになるので会社の現場以外からも会社の対応として電話にでたり対応したりしないといけない
継続的に人数まとめて作業をするので 一人で個人事業主として会社と仕事でつながる作業を派遣の人にまるなげして まるなげされた派遣のほうは1件あたりの対応量は少なくてもそれだけならまとめてできるって役割分担
一人で受付応接作業会計納品請求ができるならフリーランスでやるのがいちばんだよ それができないからできる人ができる作業をもちよって団体になってる
料金の設定とか手数料とりすぎってところはあるけど それは競争がないところを付けいられてる現状があるので 高い手数料をふんだくってるやつの競合をつくればそこも下がっていくよたぶん
B:経済を止めるような対策はしない。Go ToもGWまで続ける。
Bは老人達が、現役世代の為にお金を使って経済回して死んでいってくれてる。
医療崩壊してもこの割合がひっくり返る事は無いんじゃなかろうか。
・何もする気がない
・太平洋戦争の敗北を認めなかった時と同じ
とかなり辛辣だけど。
今まで通り密を避け、マスク、消毒、体調悪けりゃ自宅待機で、Go To続けた方が全体で見たら得でしょ。
何にしろどっかの属性が損をするんだから、それならBがベストだけどな。
けど、そんな事は口にも出せない空気感。
ブコメの人たちは太平洋戦争時代になぞらえるけど、アタシからみたらそっちが当時「戦争賛成で盛り上がってた人達」に見えるな。
実家のある昔は少し高級なベッドタウンだった所に帰ると、60-70坪の大きくて立派な戸建てには老人が1人で住んでて、子供2-3人いる4-5人家族は5千万とか払って30坪のペンシルハウスに住んでるの。
Bのがイイと思うけどなー
全部読んでないけど。
俺も地方都市のベッドタウンにある実家で育って、たぶん元増田の実家ほどひどい田舎じゃなかったかもしれんし、元増田ほど勉強熱心じゃなかったけど無名私大でそこそこ真面目にやって、氷河期終わり際の卒年だったから運良く就職したってのが学生の間の経歴。
その後、色々ジョブホッピングした末に今個人事業主で、事業主って括りでは大したことないけどサラリーマンの平均収入は余裕で超えるくらい稼いでるし、健康とプライベート犠牲にしない程度で満足行くくらい稼げれば学歴コンプなんか吹っ飛ぶよ。
誰々がどこの会社勤めてるとかしょーもない比較だよ。雇われてる時点で8割くらいのやつは稼ぎで言えば俺より下だと思ってるし。そのうえでQoLもろくに確保できてないみたいだし。
環境さえ良ければ自分はまだまだ頑張れたって思うなら今からでも環境整えて社会人なりの頑張りをすればいい。ただ努力の仕方は考えなきゃいけない。雇われに甘んじるなとまでは言わないけど、なんかしらコンフォートゾーンから出た方が可能性広がるよ。
地方在住者は東京の自動車事情舐めてるし、東京在住者も地方の自動車事情舐めている。両方住んだことある身として、今後上京して車維持したいと思っている人にも参考になれば。
簡単に言えば東京とは「車を買う」という選択肢を取る際に強い意志や理由が必要な街。
地方といっても関西のベッドタウン出身。車ないと死ぬっていうような地域ではないがまぁみんな車持ってたよね。感覚的には一家に1.5台。大学生で自分個人の車も買い与えられていたタイプ。上京後は千代田区・港区・渋谷区で通勤/在住をしてる。
東京の家は高い、と同時に駐車場ももちろん高い。千代田区・港区・渋谷区あたりだと月4〜5万前後。つまり年間50万は駐車場。ローン払い終わろうが、親からタダで車を貰おうが保険・税金・ガソリン代・修理費以外にこれがかかりつけるということ。この駐車場代でやっすい車置く気にならないよね。もちろん、世田谷区、目黒区とすこしずつ安いけど、それでも3〜4.5万でしょうね。
マンション居住者用の駐車場でも別に安くはならない。というか、そもそも駐車場がついてるマンションを探すのがかなり苦労すると思う。賃貸だとかなりすくないし、駐車場があるマンションなんて家賃自体結構なお値段だと思う。そしてマンションの駐車場より外の駐車場の方が安いから結局、外に借りたり。ちなみに賃貸だと自転車駐輪場すらないことも多い。歩け。
一軒家、という選択肢もあるけどこのあたりのエリアじゃ新築で基本1億円前後だし、それでもガレージがついてないか1Fはガレージと階段だけの狭小住宅になりがち。
まず、でかい商業ビル(デパートとか)ならもちろん駐車場がついてることは多い。でも、そのほかのお店で駐車場がついていることはコンビニ含めて稀。地方のロードサイドみたいに、コンビニ、花屋、歯科なんかに駐車場なんてない。近場のパーキングに停めるしかないわけだけど、これがまた高い。参考までに西麻布だと15分300円。つまり1時間1200円。そしてだいたいの最大料金が12時間2000円代とかか。
ただ意外と商業施設のパーキングは普通に5000円買い物したら2時間無料とかなので、車に乗るとミッドタウンとか行きがち。
東京であればそこかしらにカーシェアステーションがあるので、タイムズやらオリックスやら契約しておけば日頃の買い物もこまらない。平日乗らないなら金の面ではこれ一択。なんせ駐車場月4万以上するんだから、月4万カーシェア使ってもコスパはいいってことになる。ただし、もちろん趣味性は皆無。
結局、東京はすべて電車で事足りる&タクシーがいくらでもいる&カーシェア多い。だから、基本は「車いらない街」なのはそのとおり。地方みたいに、「無いとやばい」とか「なくてもなんとかなるけどあったほうがいい」なんてレベルには到底ない。保育園の送り迎えが〜みたいな話もでるけど、年収1000万前後が当たり前の街じゃみんな自転車送迎。車もてようが持てなかろうが会社は電車でいくしね。
結局は「趣味性」の話だと思う。一つはもちろん車自体への趣味。こだわった車乗りたい、ステータスとして見せつけたい、とか。あとは別の趣味のために意味あるパターン。ゴルフ、サーフィン、キャンプここらへんは趣味費として選択できる。あとは子育てでももっと広い世界見てほしいみたいなので、いろんなところに連れていきたい人。
もちろんこれは超都心ど真ん中パターンで、北区やら荒川区やら江東区とかぜんぜん違うだろうし、世田谷区や目黒区品川区なら自動車フレンドリーで駐車場があるお店も少し増える。まぁご参考までに〜。
田舎がどうこうという話題になると、田舎の認識が人によってズレがあって、噛み合ってないことがよくある。田舎でも駅前なら大丈夫だろうとか。
なので、街のランクを考えてみたけど、田舎と感じるのはどの辺からになるんだろうか?東京以外全部田舎という過激派は置いておくにしても、やはり個人個人でどこかにラインを持っているはず。
なお、自分は関西住まいのため、例に挙げているのはすべて関西の都市になるのであしからず。
RANK A:大都市・・・大阪市、神戸市、京都市などの100万人以上の都市。公共交通機関が発達しており、車がなくても困らず、娯楽も揃っている。
RANK B:大都市のベッドタウン(大)・・・枚方市、高槻市、尼崎市など人口の多いベッドタウン。町の規模も十分に大きいので、町中でも暮らせる。
RANK C:中都市・・・姫路市、和歌山市、奈良市など、大都市からは離れているが県庁所在地等である程度、独自の経済圏を築いている。この辺から車がないときつそう。
RANK D:大都市のベッドタウン(小)・・・向日市、生駒市など人口の少ないベッドタウン。大都市に出るには困らないが、町中には何もなく、何かするには大都市に出る必要がある。
RANK E:小都市・・・福知山市、田辺市、豊岡市など、人口はそこそこあるが大都市からは距離が離れており、電車が1時間に1本あるかないかレベル。個人的に田舎のラインはここから下。
地方へ移住した当初は マジで RANK B が田舎だと思ってた
というか中核市くらいの規模感・利便性でもそう思ってた。引きこもりの物知らずのアホでしたわ
現在は、夕方以降、懐中電灯を持ってないと出歩けない地域を田舎としている
田舎がどうこうという話題になると、田舎の認識が人によってズレがあって、噛み合ってないことがよくある。田舎でも駅前なら大丈夫だろうとか。
なので、街のランクを考えてみたけど、田舎と感じるのはどの辺からになるんだろうか?東京以外全部田舎という過激派は置いておくにしても、やはり個人個人でどこかにラインを持っているはず。
なお、自分は関西住まいのため、例に挙げているのはすべて関西の都市になるのであしからず。
RANK A:大都市・・・大阪市、神戸市、京都市などの100万人以上の都市。公共交通機関が発達しており、車がなくても困らず、娯楽も揃っている。
RANK B:大都市のベッドタウン(大)・・・枚方市、高槻市、尼崎市など人口の多いベッドタウン。町の規模も十分に大きいので、町中でも暮らせる。
RANK C:中都市・・・姫路市、和歌山市、奈良市など、大都市からは離れているが県庁所在地等である程度、独自の経済圏を築いている。この辺から車がないときつそう。
RANK D:大都市のベッドタウン(小)・・・向日市、生駒市など人口の少ないベッドタウン。大都市に出るには困らないが、町中には何もなく、何かするには大都市に出る必要がある。
RANK E:小都市・・・福知山市、田辺市、豊岡市など、人口はそこそこあるが大都市からは距離が離れており、電車が1時間に1本あるかないかレベル。個人的に田舎のラインはここから下。
生粋の田舎者である自分にとって「広告の汚さ」が東京の第一印象だった。新卒でようやく都会に触れる人間というのも今時珍しい気がするので記録しておきたい。
都心に向かう電車から見えるのは、もはや慣用句と化している「高収入バイト」の嵐を手始めに、クソデカ極彩色で0(ゼロ)の文字が並ぶ謎の不動産屋、いつ切れたのかもわからないのにこちらを向いているラブホのネオン管など。漫然と見ていると不意に現れたTENGA(正確にはエムズ)の看板がオアシスに見えた。
車窓から見えるそれは、地方都市の駅周辺では地元の大企業が手掛けた綺麗なものが多く、都心へのベッドタウンに近づくにつれ汚さを増し、都心の周縁でピークに達し、そこから急速に金の塊のような意匠の凝ったきれいな広告に置き換えられる。元から規制が厳しそうな屋外広告という条件に加え、おそらく携帯やスマホの普及でボーっと窓の外を見る人が減り元から低い広告価値が下がりきっているのだろう。内容の低俗さよりも「更新の無さ」のほうが印象的だった。
その中で、一番自分の目を引いたのはボロボロの「日本一のテレクラ」の看板だった。
さぞかし有名なのだろうと検索してみてもほぼヒットしなかった。自分の感性を否定されたようで悲しい。が、これやこれなど、数件はあった。だいたい似たようなことを感じてる人も一応居た。安心。看板のみてくれからその実態にも興味が湧いてきた。
まず「テレクラ」というワードからして高ポイント。一応若者である自分にとって、ほんのり聞いたことがあるだけで実態は全く分からないが"古い"ことだけは伝わる。Wikipediaのテレフォンクラブの項目を見ると、テレクラの個室に入って待ってると女性から電話がかかってきて成年未成年関係なくセックスに発展しまくってたらしい。草。どんな時代だよ。流行ったのはバブルの前後?で、法改正と規制条例で一気に廃れたようだ。平成初期のtinderといったところだろうか。ただこの辺の基礎知識は老人の巣窟であるはてなの住人の方が余程詳しいだろうから割愛する。
看板の下部に社名らしきものがあるがイマイチ読めないし、勿論フリーダイヤルも検索に引っかからなかった。ただこのツイートにそれらしき社名がある。規模感が分からないが34店舗というのは大きい部類に入るのだろうか。18歳未満の利用を禁じる記述があるので、先述のwikipediaと照らし合わせるとツイートにある店舗は2002年の風俗営業法の改正以後まで営業していたということになる。意外と最近の話で草。とはいえ20年近く前で自分は小学校にも入ってない時代だけど。
このグループ名で検索すると2002年の2chのスレ(正確にはbbspinkか)が出てきた。レスはどれもテレクラを完全に過去の存在として扱っている雰囲気だが、この時点でもまだ一応現役の存在だったというのは興味深い。各レスが業者の宣伝という可能性も全然あるけど、間接的にではあるが過去の盛り上がりのようなものが伝わってくる。
このスレの44に、まさにボロボロ看板の主たる店舗の記述がある。
『またーり、ほんわか、かつ、しゃきしゃき』がどんな状態なのかは私の想像力が及ばないところであるが、ともかく看板の店は実在し「日本一」かは分からないにせよある程度の盛況を極めた場所であったようだ。
なぜか後で寄った四ツ谷駅で、いかにも上級な雰囲気を纏った小学生たちを眺めていると(犯罪)、都会はこんな広告がいっぱいで子供たちが見たらどうするんだろうとか思ったが、中央線で都心に出てくる人間なんて長い通勤でくたびれたおっさんか、金は無いが都会への夢に満ちた田舎の若者くらいかもな、という偏見もあり、それなりにターゲティングされた広告なんだろうなと勝手に納得した。怒涛の高収入バイトを見る限り今も昔も変わらない傾向なのかもしれない。
ボロボロ看板の出元を探るのはそこそこ面白かったが、この調べものごっこのせいで自分の中での「都会の第一印象としてのテレクラ」がゆるぎないものになってしまったのはかなり後悔している。
タイトル通り。
元々祖父宅で飼ってる猫が保護猫だったこと、ペットショップでの生体販売に抵抗があったこと、生体の額も高いことがあって保護猫を引き取ろうと考えていた。
コロナ禍のため保護猫探しはネットで行ったが条件が想像以上で結局挫折した。その吐き出し。
主に断られた理由は下記の通り。
①猫のお留守番時間が長い(1日7.5時間勤務で通勤や残業を考慮すると平均留守番時間は10時間)
③独身(今後のライフイベントで猫が買えなくなる可能性がある)
④転勤がある
⑤部屋が狭い(1K11畳)
⑥多頭飼い不可だと猫の社会性が育たない(住居の規定で1頭まで、また多頭飼いはもう少し収入を増やしてから行いたい。)
まあ、ここまでであれば多少納得もするのだが、私がクリアしたその他の条件としては下記のようなものがあった。
⑨未就学児がいる場合不可
⑩60代以上不可
ここで気づいてしまったのだが、ここまでの条件を揃えると下記のようになる。
「未就学児のいない50代までの夫婦で、夫婦どちらかの家の滞在時間が長く、転勤の可能性もなく収入も安定してること」
今時のダブルインカムが当たり前の日本でそんな家庭はごく一部だと思うし(これから在宅勤務が増えるかもしれないが)この条件は元から譲渡する気がないのではないかとすら思ってしまった。
もちろんもっと条件の緩いところもあったが、途中から独身は…転勤の可能性は…と断られることもあった。
しかも場合によっては結婚の予定や銀行の残高、勤務先名を聞かれることもあった。
また、猫のためには仕方ないと思うが猫の譲渡の際は性別未定のスタッフが家を訪れるとのことだった。正直女性の一人暮らしでそれは怖い。
結果として、私には合わないシステムだと思ったのでブリーダーさんから譲渡してもらうこととした。
ブリーダーさんにも上記の理由で断られたらどうしようや、上記の理由がある自分は猫を飼うのにも向かないのではと不安になったが、ブリーダーさんは親身に相談に乗ってくれて今度猫に会いに行くことになった。
言い方は悪いが、医療費等のみだけで譲ってもらえる保護猫と、20万程度で譲ってもらうブリーダーさんの猫では虐待されるリスクの高さが違うことは分かるので、保護猫を守るためのシステムとして理解はした。
しかし今回の件で保護猫を飼わない人間には自分のような人もいるんだなと理解した。
【以下追加】
いただいたコメで地域や団体によっても条件が大きく異なることが分かったので、参考までに私の状況を書いときます。
1匹で留守番の時間が長いこと、本来の親離れ時期を考慮し、生後4ヶ月以降、できたら1歳くらいの猫を探していました。
あと私の好みでできたら真っ黒か真っ白な猫。
・野良猫→実家、新居共にほぼ見かけない、見かけてもすぐに逃げてしまう
・動物病院→実家の犬がお世話になっている病院はいなかったらしい
・保健所→私の住んでる地域は保護猫0で代わりに保護団体のリンクが複数貼ってあったので、公共のHPに記載のある団体なら安心かと考え、その中の団体を2つ利用して複数の猫について問い合わせ。結果は書いた通り。
コメから得られた反省点は下記の通り。今後、また保護猫を迎えようとする時は参考にします。
・他の地域の保健所、地域のHP以外の保護団体、猫の里親HPに掲載されている保健所収納猫についても調べるべきだった。
私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。
とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生が放火をし、中学生が喫煙し、高校生がバイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。
私の家は紛うことなきホワイトカラー一家だ。元ボンボン・サラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しかし女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。
そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的はあくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年生から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験は小学校四年生から始まった。それもSAPIXや日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。
しかし、それでも学校の教員からの敵意からは逃れられなかった。
彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。
そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。
まずは保護者会で、担任の教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生の言葉は絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。
休み時間に円周率の計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強をしました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからのいじめが始まった。
帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。
「先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。
おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生」なのだ。クラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは「仲間意識の強い」彼らなのだ。
悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。
また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。
私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子の人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休みも図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校の教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれたメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。
一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこからか漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。
担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。
だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。
真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任に嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。
別の小学校に越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまったからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分の学校に問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。
私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分のオーディションに受かったら、自分の母親と隣のクラスの教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。
話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間に勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。
もし父親に先見の明がなかったか、私が過度のストレスで受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。
数年前の東大の入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生の意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれた人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。
エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実な場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。
田舎と言っても、県庁所在地の隣町で、映画館付きの大型ショッピングモールや有名どころのチェーン飲食店が軒並み並ぶベッドタウン。
この度子供も産まれたことなので、家を買おうと思って土地探しをしているが、なかなか予算と希望立地に見合う土地が見つからない。
そんな中、広さも駅からの距離もそこそこよく、価格が安めの土地を見つけ、地元工務店の営業マンにここの土地が気になると相談した。
数日経って、その営業マンから、「その土地、実は〝そういう集落〟なんですよねぇ」と、言われた。
言われた瞬間、あぁ。。。と値段の安さを理解したがなんだかとってももやもや。
地元の図書館でいろいろ調べるもそこがそういう土地だという確証は持てず。
そういう関係の本を読んでみたけど、不動産業者がそういうことを言うのも問題視されてるみたい。
何が正しいのかわからないけど、この令和の時代に、そこそこ栄えてる地方都市で、未だにそんなことを言われる地域がある事にびっくりした。