ロールプレイングゲームの「ロールプレイ」って何だろうって私はずっと不思議だった。
STGの主人公だってACTの主人公だって皆それぞれの役割を演じているんだ。
それなのにRPGゲームだけがどうしてロールプレイを名乗るのかが不思議だった。
TRPGをコンピューター上で再現してマスター不要で進められるようにしたのが大本の始まりだったとして、そこから何十年たってるのに何時までたってももっと相応しい名前を考えないのは何故なのだろうと思いながらRPGを遊んでいた。
アクション要素が薄いor成長要素が強いからRPGですと言われても、果たしてそれはロールプレイなのかと納得出来ないでいた。
コンピューターRPGは確かにロールをプレイするゲームなのだと理解した。
最初のうちは神の目線でコントローラーを握っていたはずの自分が、いつの間にか主人公と一体化していたんだ。
高揚感のあるBGMが鳴り響く最終決戦の中、一緒に冒険してきた仲間たちを救うためにラスボスを絶対に倒してやるという決意が何度も胸に湧き上がった。
何でラスボスを倒すのかと問われれば、それはEDを迎えたいからではなくて、この世界を救いたいからなのだと本気で思っていた。
その瞬間、確かに私は世界を救うヒーローとしての役割を演じていた。
そして自分がヒーローとなり世界を救うために、これまでの戦いで培った自分の戦闘スタイルを駆使して目の前の苦難を打ち砕くことに対して圧倒的な使命感を燃やしていた。
あの高揚感は何だ。
大切な人を守ろうとしていた。
人間の脳には、フィクションの体験と現実の自分の体験を混ぜ凝ぜにして錯覚を引き起こすような欠陥がある。
それは確実だ。
何故なら私が実際にそうなったからだ。
そして私はそれを喜んで受け入れ、あの世界の住人として最後の戦いに挑んでいた。
いいロールプレイングゲームは役割を演じるゲームである以上に、プレイヤーに進んでその役割を演じさせてしまうゲームなんだ。
間違いない。
人間が現実と空想を切り離せないバグった生き物である事を利用し、いつの間にか役割を本気で演じさせてしまうシステムなんだ。
私の中にあったコンピューターロールプレイングゲームという名前に対する疑問は長い時間をかけてようやく氷解した。
よく出来たRPGは、プレイヤーに思わず演じたくなる役割を提供し、そしてプレイヤーがその役にのめり込めるように創意工夫をこらし、最後にはそのゲームで起きた体験をかけがえのないものにしてしまうのだ。
その道が英雄か、殺戮マシーンか、聖人か、それはゲームによって違う。
だが、完成度の高いRPGは、そのゲームがプレイヤーに与えてきた役割をいつの間にかプレイヤーに納得させ、プレイヤーの側が進んでその役になりきろうと自分の心を動かしていくように仕向けてくれる。
ありがとうUNDERTALE。
私の長年の疑問が1つ解き終わった。