はてなキーワード: コンシューマーゲームとは
ふと今の Web 界隈やエンターテインメント業界、ひいては現実世界に自分の居場所はないと悟った。
まだ小学生くらいの頃、実際にそうであったかはともかく Web 界隈やエンターテインメント業界では実社会を捨てたような人達が第一線で活躍していて、その姿が凄まじく眩しくて自分もこの世界に入りたいと思っていた。
ただ、自分がそこに辿り着いた頃にはもう当時の面影はなくて、 Web は誰もが使う「現実世界の延長線上」のものになっていたし、エンターテインメントに携わる人も「それだけに生きる」とか「命を燃やして何かをする」というよりかは携わりつつも人間らしく生きているみたいな感じになっていた。
一昔前のコンシューマーゲーム業界の人達や Web 界隈の人達が、明日食事にありつけるかも怪しいギリギリのラインで生きていたのがまるで幻だったみたいだった。
ゲームやアニメ、小説などのエンターテインメントに関しても、結局「不満やしがらみから生まれる屈折した何かを表現したもの」が好きだったのであって、段々と刺さるものが少なくなっていっているし、楽しめるには楽しめるけど想像でしか共感できなかったり後には虚無感しか残らないものが多くなっていっている。
もちろん純粋に楽しめるようになりたいという気持ちはあるし、実際そうなろうと思ったこともあったけど、なんだかんだでやっぱり無理な気がしている。
自分と似た人を見つけたと思ってもやっぱり自分とは決定的に違う部分がある。そういう人には迷惑をかけたくないのでなるべく関わらないようにしている。
当時の自分が憧れていた Web なんてものはもう存在しないし、現実世界にも自分の居場所はない。この先どうやって生きていけばいいのかもわからない。そして同時に死ぬわけにもいかない。
タイトルの通り。ネタバレありでデトロイトビカムヒューマンの話をさせてほしい。
いや、ツイッターとかでさ、「プレイヤー同士で話をしてもストーリーが違いすぎて話が噛み合わない」って聞いたんだけどさ、私の周り誰もプレイした人いないんだよ。友達が少ない&コンシューマーゲームをプレイする層の友人がいないっていうね。
みんなはどんなエンディングを迎えたんだろう?そんな話を聞きたいので、コメントお待ちしてます。
以下私のストーリー。
私の最初に辿った、なにも知識を入れずにたどり着いたルートは、
「運命の分かれ道」時点で
コナー…変異体を選びサイバーライフタワーへ。ハンクとも良い関係性。
というルート。
基本方針として
「犠牲を最小限に留める」
「友好的アプローチを優先する」
という感じで道徳的に進めたつもりだった。
ここまで結構上手くいったつもりだったんだよ。こっからがまあそう上手くいかないって話でね。
サイバーライフタワーでのハンクとのシーンは何度見てもグッと来る。
息子の名前を聞かれた瞬間に、ゲームシステムのルート解除の演出がいい味出してるんだよね。こういう何気ないゲームシステムが、演出に加わるの本当に好きなんですよ。今までのコナーとハンクの歩んだ軌跡はこの瞬間のためにあったのだと、そう感じられた演出でした。ハンクに殺されてたりハンクが殺されてたりするルートもあるんだろうな…観てみたいけど、最初に誰も犠牲にならないルートを見てしまったせいで悲しいルートへと向かうのに少し躊躇してしまう。
ところでコナールート、魂の夜でルーカスに殺されてたらどうなってたんでしょう?新型コナーによる機械のままルートで再開?
ルーカスも上手くいきましたよ。世論も味方につけて、ジェリコの主要メンバーも生存の上で和平を勝ち取りました。
噂では結構アレなんですね、ジェリコメンバーの生存は色んな人で別れるみたいですね。特にサイモン。サイモン、私屋上で打たれたけどコナー操作時に変異体に殺されて操作中断してしまったためにサイモン、逃げ切れたみたいです。後日ジェリコに帰って来てました。
結局は、愛の力か!!っていうキスで生存ルートでした。歌でも生存できるんですか?なんというか、歌の方が私は好みだったかもしれませんがキスにしちゃいました。でも、キスという2人だけの行動によって世論が動かされるよりも歌で、大勢で心を動かした方が美しいエンドのような気もするんですよね。これは完全に好みの話ですが。
でも、アメリカ映画っぽいな!って思ってしまった。愛は全ての根源、的なハリウッド思想。
そしてマーカスは追い詰められるも、最期の瞬間に恋人のノースとキス。その愛の様子に心を動かされた大統領が攻撃中止を命じる。
そこにサイバーライフから大勢のアンドロイドを引き連れたコナーが戻り合流。
アンドロイドたちはその「心」によって、人々の心を動かし、共存への道を歩んだのであった…。
うーんいい話。
で、終わらないんすよ。
カーラ編がどうにも救いのないエンディングで。
どこが運命の決め手になったのかな、と思い返すとあそこですね。バス停に行くために、検問を迂回したのが悲劇の伏線でした。
カーラ達はバスに乗れず、国境へと向かうことができなくなってしまいました。そこに現れたのがローズ。
ローズ達は川を越えて国境を越えるためのボートを用意してくれていたのでした。
ボートに乗り、水を切り裂くように進むと近づいて来るのはカナダの街の光、自由の灯火たち。
アリスがカナダでの自由な生活を想像しているのを聞いて、私もホッとしました。ルーサーからの問いにも、これからは穏やかに日々を過ごしたいとも答えたんですよ。
突如やって来たのが国境警備隊の船。
ルーサーは撃たれて倒れるし、アリスまで撃たれてシャットダウンまでのカウントダウンが始まってもうなにも考えられない。エンジンも捨てて、ルーサーも水へと沈め、向こう岸へと泳ぎボートを押すカーラ。
あの時のボタン連打ほど、私の想いのこもったボタン連打は無いだろう。
生きたい、生きたい、生きたい。
対岸へとたどり着き、アリスを抱きかかえるカーラ。その腕の中で、アリスは一言だけ残して、シャットダウンをしてしまう。
その一言は、想像が付くかもしれないけれどぜひご自身の耳でお聞きください。
というわけでカーラ編だけカーラのみ生存ルートという一番過酷なルートになりました。いや、みんな全滅の方がまだいいよ…。カーラだけ全てを背負わねばいけないなんて過酷な…。
というわけで、安全な道を選ぼうとしたが故に、より大きな危険を歩まねばならず、結局はその危険から逃れられなかったのでした。
もちろん、全主人公で全員生存のルートを歩む方が美しく幸せなのでしょうけれど。
これはこれで、一つのお話として、綺麗に閉じているなと思ったのです。
その中心にいるリーダー達の周りには大勢の仲間とともに歓喜の声が鳴り響く。
けれどもその一方で、生きようと懸命に歩みを進めた母と娘は、結局は幸せを掴むことができなかった。
強者と弱者、世間と個人、という対比が綺麗に成り立っていて、ルーカス達が喜びの声を上げるのを見た後だからこそ、カーラが密やかにアリスを看取る姿が一層惨たらしく胸を打つ。
私の選択では、世界を変えられたけれど、たった1人の女の子を救えなかった。
その、どうしようもない無力感が、胸に残るお話になったのでした。
皆さんはどう?皆さんは、どんなエンディングで、どんなことを感じたんでしょうか?
今、他のエンディングを探してループを繰り返している私に、こんなお話があるよ、とか、こんなストーリーでこんな風に感じたよ、とか、お話ししてみたいです。
ぜひ色々教えてください。
付記
その後私は、アリスを救う&全く違うルートを見たい!ということで
マーカス反乱、コナーアンドロイド、カーラはバスに乗れて国境へ向かうルートに行ったんですがもう完璧に悲惨で、マーカスは反乱に失敗してしまうわ、カーラは誰も犠牲にせず審査官の良心に語りかけるも、反乱のニュース速報によって良心訴えも無駄になりカーラ達は国境直前で全滅、コナーが最期マーカスを追い詰めるも、私がマーカスを殺すのをためらってしまい、そしてマーカスは化学兵器を使用、デトロイト壊滅という最上級のバッドエンドになりました。
コナーはね。変異体を選ばなかったルートだけどどこか人間味のあるルートになりましたね。敵対することになっても、ハンクの過去を思いやり、マーカスのことを最後の最後で見逃したり。
でもマーカス街爆発させるし(私が選んだんだけど)カーラ達も全滅だし(アリスの最期の言葉はどのルートでも変わらないのがまた苦しい)めちゃくちゃ鬱ルートになってしまいました。
その後、コナー変異体、マーカスデモ、カーラ国境ルートで誰も犠牲にしないエンドを見た時はめちゃくちゃに泣きました。いや、泣くでしょアリスとカーラがようやく自由を掴みとった姿。
ゲーム機におけるオンラインサービスはそのメーカーの収益の根幹なので、競合機種との接続を許可するかどうかはそのゲーム機メーカーの自由
あらゆるハードとの相互接続を目指しているのはあくまでもFORTNITEの開発元であるEpicGamesの都合であって、別にゲーム機メーカーに課せられた義務でも何でもない
どこのゲハ臭いサイトの請け売りか知らんけど、お前の言ってる事は「iOSをオープンソース化しないAppleはクソ」と大差ない
そもそもコンシューマーゲーム機のカテゴリではPS4は今現在ぶっちぎりで独走状態なわけで、勝ち組が2番手3番手のために譲歩する必要性を感じないってだけ
日常生活でちょっと重い気分の時に、女性向けソシャゲがばたばた終わっていることについてのツイートが回ってきたので思ったことをつらつら書いてみる。初めて書くので読みづらいかもしれない。すいません。
まずこんな題にしたけれど、私の好きなソシャゲは今のところ終わる気配はない。ライブが決まっていたり、CDもグッズも出る予定があったり、そもそも別のコンテンツがソシャゲになったものもあり、どちらかと言えば賑わっているものばかりだと思う。
基本的に私がはまるソシャゲは後者、元々別の媒体のコンテンツが、ソシャゲとして配信を開始されたもので、ソシャゲとしての収入がメインではなく、ドラマCDやコンシューマーゲームがメインの収入源である。
けれど、私が応援しているコンテンツで一つだけソシャゲから始まったものがある。
ソシャゲから始まったコンテンツは、前述したものと違い、ソシャゲが終わってしまうとコンテンツとしても終わってしまう。つまりこのコンテンツの生命線は結局のところ課金になってしまうわけである。
私は元々一度に高いお金を払って好きなときに好きなだけ遊べるコンシューマーゲームが好きで、体力が制限されていたり、欲しいキャラが確実に手に入るわけではないソシャゲがあんまり好きではなかった。そのせいか、欲しいキャラがいてもあまり課金の意欲に繋がらず、どんなに応援しているコンテンツでもほとんど課金をしてこなかった。
上述したソシャゲも例に漏れず今のところ無課金でずっとプレイしている。けれどコンテンツとして大好きなので、発売されたCDは全て買っていて、ライブなどもほとんど欠かさず参加していた。もちろんライブの時にグッズなども買うし、ライブのDVDも購入していた。
でもどんなにCDを売り上げても、満席御礼のライブを行っても、ソシャゲとしての売り上げがたたなかった場合、ソシャゲは終わってしまう。そして、ソシャゲから始まったコンテンツはその時点でコンテンツとしても終わってしまうのだろう。
そうなったとき、コンテンツの終わりを悲しむ資格は私のようにソシャゲ自体に1円も出さなかった者にはないのだろうか。1円も課金しなかったのに、終わってほしくなかったなんて言えないのだろうか。ソシャゲ自体に課金してなかったら、CDを全部買って、グッズを買って、ライブに行ってても、大好きだったって言う資格はないのだろうか。
どれだけ応援しているコンテンツでも、私はどうしてもソシャゲへの課金を戸惑ってしまう。CDやグッズは躊躇わずに買うのに。けれどコンテンツが終わって欲しい訳じゃなく、末長く続いてほしいと思っている。だから余計にやるせない。一番コンテンツを支える方法にどうしても踏み切れないでいる。きっと今まで終わってきたソシャゲ発のコンテンツでも同じような人はたくさんいたんじゃないかと思う。
今の私には課金に代わるソシャゲ発のコンテンツを支えるアイディアはない。だからせめて、直接ソシャゲに課金していなくても、大好きだった、終わらないでと悲しむぐらいは、どうか許して欲しいと思う。
でもそのソシャゲー(スマホゲー)のおかえげでコンシューマーゲームを作る会社は潤ってきてるというやるせなさ
そう思っています。
私はアイマスが好きです。その中でも最近はミリオンライブという作品に特にお熱です。一応、アイマスは知ってからそろそろ10年が過ぎようとしています。ミリオンライブはソシャゲのサービス開始からプレイしていますし、今のスマホゲーム版にも多少なり時間とお金を費やしています。よくアイマスについて話をする知り合いも、大体そんな感じです。
そんな中で、時折思い出したように話題に浮かぶものとして「いつアニメ化するの?」というテーマがあります。
まずそもそも、アニメ化をするとどういったメリットがあるのでしょうか。アニメを主戦場としない漫画、小説、ゲームなどのオタクコンテンツにおいて、アニメ化というのは通常の展開とは一線を画するインパクトがあります。それまでそのコンテンツに触れることがなかった人の目に触れる機会が増えたり、テレビの電波やインターネットを通じて誰の目にも明らかなように映像化がされます。そのコンテンツのもともとの形態が映像から離れていればいるほど、革新的なコンテンツ展開だといえるでしょう。
アイドルマスターも、本家コンシューマーゲーム、シンデレラガールズ、sideM、スピンオフ作品等がこれまでにアニメ化をされ、それなりに話題になっていると私から見ても感じることができます(ゼノグラシア?知らんな…?)。その中でよい影響もたくさんあったでしょう。特に、アニマスといわれる原作ゲームのアニメ化や、シンデレラガールズのアニメ化は、作品展開の急激な拡大に大きく寄与していたのではないでしょうか。
要するに、おそらくミリオンライブのアニメ化を期待している人たちは、それらと同じような効果を期待してアニメ化を待ち望んでいるのだと思いますが、果たしてそううまくいくでしょうか…?
まずそもそも、ミリオンライブはまだ正直コンテンツに真剣な人が少ないです。現在配信されているスマートフォンゲームのアクティブユーザー数からそこはある程度察することができます。ゲーム内のイベントでは、上位5万人にはいることができれば、そのイベントでの限定カードをもらうことができます。普通に考えれば、そこに達するかどうかがプレイヤーにとってのひとつの目標ラインとなるでしょう。現状では、その5万位のラインには「ほとんど楽勝」で到達することができます。ものすごく甘めに見ても、このゲームをプレイしている人は10万人もいないのではないでしょうか。ほんの少しの課金やコンスタントなゲームプレイすらしない人たちが、1枚1万円もするアニメのブルーレイディスクを買うでしょうか?買わないと思いません?事前登録100万人とはなんだったんでしょうね…。ある程度軌道に乗る前に、新規大量獲得のための初手として売っていれば、まだ話は違ったかもしれませんね。そういう意味では、もうすぐサービス開始のシャニマスなんかはいきなりアニメ化してもよさそうな気はしますね。
それからもうひとつ、これはアイマス特有の話なのですが、ミリオンライブはまだまだユーザーが少ない一方で、ユーザー一人ひとりのキャラクターへの愛着は人一倍強いです。それこそ、もし仮にお気に入りのキャラがコンテンツから消えれば、それと一緒にコンテンツから去ってもおかしくない人たちの集まりです。それの何が問題なのかというと、アニメ化をするとどうしてもスポットの当たるキャラクターは限られてしまうという、ストーリーテリングの作法上避けられない問題にぶち当たります。
端的に言うと「アニメをどう作っても、俺のお気に入りがでてこねぇ!」という話になる人が絶対に出てくるという話です。ミリオンライブにはメインキャラクターが今39人います。そのすべてにさまざまな人の思い入れが乗っかっており、ぞんざいに扱うと間違いなく傷つく人がいます。「めんどくせぇなだったら39人全員等しく出せよ!」って、そんな縛りの上でまともな作品、作れますか?ちなみに、もしも仮に39人を全員等しく出した上で面白い作品を作れたとして、今度はその39人とは別の本家765プロアイドル13人の担当たちが怒ります。「ミリオンライブは52人全員でミリオンライブじゃなかったのか!?」と。まあ、そろそろ詰みですね?
アニメを一本作ればそんなのは当たり前だというのは重々承知で、それでも自分のお気に入りキャラの陰が薄いのは、許せない。許せないとは行かないまでも、どうしてももやっとしたものが残ってしまうんです。アイマスPというのはそういう人たちなんです。
二点書きましたが簡単にまとめると、「作っても売れるかどうかはわからず、数字だけを見ればどちらかというと分の悪い賭け」であり、「見る側にはどうやってもしこりが残る」という状況です。要するに、今この状態でミリオンライブをアニメ化して幸せになる人は誰なんですか?ということです。
アニメ化の成功失敗を何で決めるのか、という話をしだすとそれはバンナムさんや製作委員会の内部事情になってくると思うので、客であるわれわれがそれを知る方法は実質ありません。知ってる人がいたらその人はコンプライアンスガバガバマンの可能性があります。それを差し引いても、アニメ化をする以上は何らかの目標達成を通じて功績を残すべきですし、逆にそれができなければあのドケチなバンナムさんが本気を出せば、落ち目コンテンツだと判断されて息の根を止められる決め手にもなりかねません。
じゃあどうすればいいんだよというのは私が考えることではありません。われわれにできることはただ粛々と、自分に出せる範囲のお金を財布から取り出すだけです。
ただ少なくとも、私は今この瞬間にミリオンライブのアニメ化をされても、困ります。悪手だと思うからです。
拡大のためのスタートダッシュには遅すぎた。コンテンツの到達点とするにはまだ早い。今はたぶん、最もタイミングが悪いのではないでしょうか。
PCだとOSによっては対応してないってあっても、よっぽど古くなければOSが新しくても対応してますよね。
コンシューマーもある程度は一つ前か二つ前くらいの世代くらいは対応しても良いと思うんです(対応していたものもありますが)
例えばPS4なんかでPS3とPS2くらいは対応しても良かったんじゃないかなと(ソニーの話ですいません。他のハードはWiiくらいしかないので)
そのまんま対応が難しくても、何か拡張機器でも取り付けられたら対応できるとか
PS4で遊びたい場合は、遊びたいディスクをPS4に入れて実際にソフトを持っているという認証を行った上で
PS3のソフトを遊べるというPSNowも大した人気も出ずに、なんかとりあえず置いてあるってだけのサービスに成り代わってますが、
そもそもPS4で遊べるように互換性があれば、PS3のスペックとPS4のスペックを見比べた時に「これならPS4買ったほうがどちらも遊べるし得だな!」と思うんじゃないかなと。
PS3が壊れてしまって、PS3のソフトが遊びたいのにPS3を今更買うなんて考えたら、互換性があるというだけで少し高くてもPS4を買おうってなると思います。
互換性があるなら新しい方を選びたい。自然な流れじゃないでしょうか。
しかし、現実では互換性がないのでPSNowという高いだけのサービスを使うしかありませんし、それも完全にカバー出来ているわけではない状態です。
そもそもソニーはあれができる!これができる!とアーカイブスを宣伝することもあるのですが中途半端なアーカイブスばかりで面白味が無い。
とはいえ、Nintendo switchも互換性がないのでちょっとさびしいです。
こうやって見てみると、やはり新世代機には私は互換性があって欲しいなぁと思います。
互換性を付けても旧世代のゲームに利益なんてほとんどないと考えるでしょうし、
そもそもそれを互換させる為の必要なものを組み込むという事自体がメーカー側の負担にしかならないのかもしれません。
結局の所、互換を付けることでハードメーカー側のデメリットが発生するので付けることもなければ、
付けるための労力を考えるくらいなら割り切って互換性が無い方がいいのかもしれませんね・・・。
あればいいなぁと思うものは、きっと実現しないのでしょうが・・・
それでもやっぱりあってほしいかなぁと思ってしまうのが、互換性でした。
一番初めに書いたPCだとOSがよっぽど古くなければ互換性があるという内容ですが、
そんなとりとめのない話
自分の中ではもうは○まが個人ではなく企業でやってることがわかって終了したとおもってた。
任豚、GK、痴漢なんて蔑称は、新ハードの到来と共になくなったと思ってた。
スマホゲームの到来でゲームハード(コンシューマーゲーム機)そのもので三国志をする時代は終わったと肌で感じていた。
でも、久しぶりにモンハンを買って、いろいろ情報を集めると「SONYハードが」「SWITCHで出すほうが」「美麗グラが」「進化してないグラ」みたいなゲハの争いがあった。
違ったんだ。
ゲハ終わってなかった。
自分からゲハを離れただけなんだ。ゲハを離れたから肌で感じられなくなった。
それでもこうやって、存続させてきた人がいる。
スマホゲームが到来しようと、新ハードがこようとも、彼らの中では「任天堂」「SONY」「マイクロソフト」の三国志なんだ。
いままで崩れずにいてくれて。
プロレスから逃げた男だけど、誠心誠意、SONYが最強と言い続けることにする。
昨今、インターネットの片隅で話題になっている「『おそ松さん』が2期に入ってつまらなくなった/人気が壊滅的に落ちた」問題を考える。以下の内容は、1期の途中で松にハマり、今現在2期を楽しく観ている人間の個人的な見解である事に留意されたし。
※長いよ!
■議題その1「つまらなくなったのか」
さて、1期と2期の違いを考えてみる。1期は実験的ギャグアニメとして、様々なパターンの話が作られた。その中でも、派生松の元になりやすい、パロディ系(例:F6、女子松、デリバリーコント、なごみ)は、腐女子の燃料として発火性が高い。また、感動モノ系(例:エスニャン回、十カノ回)も、男性的というより女性的な感性に訴えかけるものに思える。
しかし、2017年末現在、2期に入ってからの、パロディ系『げんし松さん』『三国志さん』は、腐女子人気が出やすいテイストではない。また、感動モノ系は『松造と松代』の1本のみ。内容も「松造が松代とご無沙汰」という下ネタがベースになっているので、シリアス度は低め。また、女性の共感が得やすい内容でも無い。
(勿論ギャグも求めているだろうが)1期の様な、女性向け萌えも求めている人にとって、2期は今一つ物足りなさがあるのではないか。
放送がない間、アプリゲームや雑誌等で、派生松の元ネタが量産された。けれど、2期発信の派生松はほぼ盛り上がっていない。そして、2期に入り、女性が抱く萌えには繋がらない要素(例:照英さん、1話でのファン描写)も多くなった。これらの要因が「つまらなくなった」「2期に入って変わった」という感想を抱かせる理由だと思われる。
2期1話で分かる通り、『おそ松さん』というアニメ作品(各種コラボは除く)は、女性向けを意識して製作されていない。2期に入り、下ネタ・不条理ギャグについてこられる人だけをターゲットにした「自己責任アニメ」へと完全に舵を切った。故に、ついてこられない人は置いて行かれてしまったのだ。
面白い/面白くないは、あくまで個人の感性に基づくものなので、算数の解答のように、明確な答えを出す事は出来ない。とはいえ、上記のような要因は、批判の理由の一端として挙げられるだろう。
ただ、個人的にはF6が女性向けに作られたものというより、女性向けコンテンツをデフォルメ化した笑い(いわばコロッケのモノマネのようなもの)だと思っている。それは2期1話のファン描写の視点と、何ら違いは無い。そういう意味で、1期と2期で変わったとは、私は感じないし、1期も2期も変わらず面白い。なんなら2期の方が好き。『超洗剤』『返すだス』辺りが好き。
■議題その2「人気が壊滅的に落ちたのか」
答えはいいえ、だ。正確に言えば「1期のような乱痴気騒ぎは収まったが、いまだに根強い人気がある」だ。そもそも1期がおかしかったのだ。円盤が8万枚売れて、オタク以外にも認知され、流行語にもなった。そんなアニメ作品は、稀である。
それが2期に入って、むしろ正常な状態になったように感じる。そもそも、2期の円盤は1万枚売り上げている。普通にアニメ作品としてはヒットの部類なのに、何故「2期大爆死乙wwww」などというまとめサイトが作られなければならないのか。
とにかく、「2期までの長い2年間、何も動きが無かったから、ファンが冷めた」という意見には、真っ向から反論したい。
ますゲーム。アプリゲーム、コンシューマーゲーム、ブラウザゲームと乱立した。そのクオリティはまちまちで、ゲーム内イベント時期が被ったり、ゲームシステムが完全にあん●タだったりと問題は多かったが、それでも「派生松の最大手サークル」としての役割は無視出来ないものがある。
次に、リアルの公式イベント。2.5次元舞台、着ぐるみ松による6つ子バースデーイベント、おそ松EXPO、サンリオピューロランドでのコラボ記念イベント、センバツ上映会。私が足を運んだイベントだけでもこれだけある。他にも、(私が当選しなかった)『松野家のなんでもない感じ』リリースイベントなど、多くのイベントがあった。アニメが放送されていない間に、1つでも公式イベントがあればお祭り騒ぎになるジャンルが多い中、これだけイベントがあるのは、凄い事だ。また、「コラボビッチ」「多すぎてついていけない」と批判の声も多い、各種コラボもリアルイベントの中に含んで良いだろう。
そして何よりドラマCDや『おうまでこばなし』といった、公式監修の作品が世に出ていた事は大きい。アニメの本放送が無いだけで、公式からの供給も、断続的とはいえあったのだ。
2期記念イベントで、6つ子の中の人が、ゲームや『おうまでこばなし』などの収録で頻繁に『おそ松さん』の仕事をしていたので「久しぶりな感じがしない」と仰っていた。私もこの発言を聞いて、その通りだと感じていた。アニメが放映していなくとも、ずっと『おそ松さん』を追いかけていたからだ。だから、2期が始まるまで供給が全く無かったが故にファンが離れた、という指摘はいささか見当違いだろう。
ここまで「2期までの間に動きが無かったから人気が無くなった」という指摘には反論させて頂いた。ただ、2期までに人気が無くなった理由として、もう1点指摘されており、そちらに対しては一切の反論を持ち合わせない。
それは「『おそ松さん』ファンのマナーがなって無さ過ぎてファン人口が減った」という理由である。もうこれについては全面敗訴です。SNS上でもリアルでも、他の『おそ松さん』ファンと殆ど交流していない私ですら、自分の身に降りかかった「本当にあった『おそ松さん』ファンの怖い話」の3つや4つはすぐに出てくる。『おそ松さん』ファンが何かちょっとアレな件に関しては、見て見ぬふりは出来ない。皆様にご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。いや本当に。自分はちゃんとしてるって思ってるかもしれないけど、外野から見たら充分ヤバい奴だからな。言動には気をつけような。私も気をつけます。
では、そもそも『おそ松さん』ファンは、著しく減ったのだろうか。確かに、円盤の売り上げは減った。だがしかし、ネットで言われてるように、『おそ松さん』はオワコンでファンが全然いないアニメではない、と私は感じる。これは決して、私がファンだから擁護しているのでは無い。実体験としてそう感じるのだ。
前述したように、私は『松野家のなんでもない感じ』のリリイベに当たらなかった。松ステ第2弾の先行は全公演全落ちが当たり前だった(ただし、舞台に関してはキャストさんの人気も加味されるので、『おそ松さん』人気の有無だけでは語れないのも事実である)。センバツ上映会には複数回、色々な松の部屋に足を運んだが、どの回も席は殆ど埋まっていた。平日の昼間でも、ナンジャタウン来園者の多くは『おそ松さん』ファンだった。『おそ松さん』コラボ中のアニメイトカフェへ開店直後に赴いた時も、すぐに客席の8割が埋まった。ラストオーダー直前のタワレコカフェへ飛び込んだ時も、客席の大半が埋まっていた。直前に告知された上、平日だったにも関わらず、着ぐるみ松の撮影会には少なくとも80人は集まっていただろう。
本当にオワコンなら、チケットは百発百中で当たらないとおかしいし、各種コラボは閑古鳥が鳴いていないとおかしい。けれど実態としてはそうではないのだ。そう、『おそ松さん』はまだまだ人気のあるアニメなのだ。
「○○持ってないやつおる?」
「○○は人権」
クソである。
こいつらが課金を促して日本のガチャはアクティブユーザーを取ることに躍起になった。
アクティブユーザーが多い所におおよそ「人権」になりえそうなキャラを投入するだけでガチャが回るものだからチョロいものである。
もちろん、常に「人権」になりえそうなキャラを出してしまうと某猫みたいに「インフレゲー」に突入するので、実際に弱いキャラも混ぜ込む。人権になりえそうな事を書いて。
あとはユーザーが勝手に「○○は人権」と論調を合わせて宣伝してくれるのだから。
ごもっともだ。でも、残念ながらそんな強い心を持った人間は結局強い心を持ってしてゲームをやめられるので必然的にゲームに残るのは心が弱い、今までの課金を無駄にできない、そういう人間なのだ。今までの課金を無駄にしないために。思考が完全にパチンコをやめられない人間だということをガチャゲームのユーザーは理解しなければならない。
君たちが運営をクソの象徴として掲げる。なんとか本社爆破、指定暴力団○○。君たちがずっと期待をしてそれらに接しているのは理解できる。だけど、いまの何をやってもガチャがまわる現状をやめない限り、なんとかゲームスはグランサイファーを作るし、なんとかワークスは不具合も直さずイキるし、コンシューマーゲームなのにガチャみたいなのが実装され続ける。
子供の頃から経営・歴史・育成・競馬等のSLGばかりやって来て、このジャンルが自分は大好きだと思ってた。
最近いい加減コンシューマーゲームで出るソフトに頭打ちを感じるので、Steamを使って海外の傑作とされるSLGに手を出してみることにした。
実際にプレイしてみて、膨大なデータは凄いと思ったし、シミュレータとしての完成度が和ゲーの比じゃないのは良くわかった。
でもHearts of Iron より提督の決断、Football Managerよりサカつくの方がより楽しいと感じたことで、今更ながら自分が好きなのはライトなSLGだということに気づいた。
考えてみると、信長の野望で一番楽しめたのも天翔記なんだよね。
どうやら自分はシミュレーション自体じゃなくて、ゲーム内の特定の人物を重用してみたり、登場人物同士の会話を妄想したりするお人形遊び的な部分が好きみたいだ。
直近ではDQIX、DQX(途中で挫折)とやってんですが、久々のDQはなんか違う感。
戦闘テンポの悪さも相まって、敵の攻撃を受けながら待つのが苦痛。
エフェクトだけでもなんとかならなかったのか?
ホワアトアウトっぽく逃げられるかと思わせての戻って→「にげられなかった」、もう一行メッセージで「にげられなかった」だけでいいよ。
特に難易度も高くなくレベル上げれば余裕で倒せる、むしろレベル上げすぎると余裕で倒せすぎて面白味にかけてしまう。
しかしながら、その時間をかけたレベル上げが苦痛、DQってこんなゲームでしたっけ。
すばやさをまだ意識してないだけかもしれないけど、すばやさ影響のあるターン制が自分の中でのDQの戦略性?を欠けさせてるのかなと小考。
自分としては、ネット対戦とまではいかなくてもそのくらいのヒリヒリ感がほしいわけですよ。
イカを買おうかな…というかそっちにいきそう。
いや面白いよDQXI、あとカジノとか無駄に作り込まれてて笑った面白い、高レートはよ。
以上、久しぶりにコンシューマーゲームやった社会人のぼやき。
いろいろな雑誌やウェブサイトによって優れたPC・コンシューマーゲームに与えられる賞。
昨年に引き続いて一覧ののち、ざっくり感想を。
・Uncharted 4: A Thief's End - 165
The Critics' Picks - 89
The Readers' Picks - 76
The Critics' Picks - 90
The Readers' Picks - 12
・DOOM - 29
The Critics' Picks - 26
The Readers' Picks - 3
・Battlefield 1 - 16
The Critics' Picks - 6
The Readers' Picks - 10
・The Last Guardian - 15
The Critics' Picks - 15
The Readers' Picks -
The Critics' Picks - 12
The Readers' Picks -
・Dark Souls III - 12
The Critics' Picks - 9
The Readers' Picks - 3
Final Fantasy XV - 9
The Witcher 3: Wild Hunt - Blood and Wine - 9
Dishonored 2 - 8
The Witness - 7
Titanfall 2 - 5
Hitman - 3
Pokemon GO - 3
XCOM 2 - 3
SUPERHOT - 2
Call of Duty: Infinite Warfare - 1
Firewatch - 1
Forza Horizon 3 - 1
Monster Hunter Generations - 1
Owlboy - 1
Sid Meier's Civilization VI - 1
Thumper - 1
Tom Clancy's Rainbow Six Siege - 1
※
The Critics' Picksは批評家賞
さて、今年も賞を獲得したのは例によって例の如くアンチャーテッドシリーズ最新作アンチャーテッド4になります。
これでアンチャーテッドは3と続けてその年のGOTYを総なめということになりました。
ゲームとしての完成度についてはどのナンバリングも図抜けた出来であるのは認めるので
個人的には何か不満があるわけではありません。
グラフィックやプレイング、ストーリー、演出、キャラクター描写など
圧倒的に完成されたシリーズなのは誰もが認めるところでしょう。
とはいえあまりにも完成されすぎていて面白みが無いので今回はそれ以外のゲームについて言及します(笑)
個人的に注目を引いた点を上げると変化球的なFPSゲームが多数受賞した点にあります。
・バトルフィールド1
・DOOM
上記3つのゲームはGOTYの数的には2,3,4位のゲームですが、そのどれもが一人称視点シューティングというジャンルです。
オーバーウォッチはMOBAの要素をふんだんに取り入れたゲーム性とPOPなキャラクターデザイン
バトルフィールド1はFPSで日の目の当たることがなかった第一次世界大戦をテーマに
ドゥームに関しては強烈なゴア描写と異常なまでのハイスピードさが売りになっている
こういった、「現状に対して変化球的なゲーム」が多数受賞したのは欧米のコアゲーマー界隈でも
COD的なゲームだけが注目されるのにいい加減飽きてきたのかもしれません。
ゲームシステム的に革新的というよりコアゲーマーの市場自体がそういう停滞打破的なゲームを求めてる感じがあります。
「今までどおりのゲームを高い完成度で」
という今までどおりの要望以外に
「少し違ったゲームがやりたい」
という点が目立ちつつあるような気もします(まぁこの辺は歴史の繰り返しのようなものですが
あれだけ問題の多かったFFXVが多数受賞している点からも、完成度以外に革新性を重視する人が増えているのがわかります。
2017年初頭からの日本製ゲームの異様な高評価もその延長線上にあると見てよいと思います。
そういった市場の要望とPS3/360時代にできていなかった和ゲー界隈のHDゲームへの対応不足にようやく目処が立ち始めた時期が合致したということでしょう。
PCをベースに製作しコンソール機にアジャストするという製作手法や大規模開発ゲームへどうのように挑戦するか?
という点をようやっとクリアできるようになりはじめたように見えます。
(Yakuza 0, バイオハザード7, Gravity Daze2, 仁王, Nier:Automata, Persona 5, ゼルダの伝説BoTW etc...)
Steamへの和ゲーの販売タイトルも急速に増加しており、PCへの対応が和ゲーでも当たり前になる日が来るかもしれません。
また、オープンワールドタイトルも停滞の時期に差しかかり始めています。
Mafia3やマスエフェクト:アンドロメダの散々な評価を見るにSkyrimとGTAから伸びてきたオープンワールドゲームの線が若干止まってしまっているようにも見えます。
ゼルダBoTWが大絶賛と共に迎えられた理由はそういった背景も存在するでしょう。
ベセスダがエルダースクロールズの続編を一向に露出させない点も、次世代型のRPGをどのように作るべきなのか悩んでいるのかもしれません。これ以上に欧米型RPGが進化するにはAIやプロシージャルな作り方など技術的な観点を一気にレベルアップさせる必要を感じています。(その点ではXboxのAnthemが気になっています。
一方で現在は目新しさから比較的好調な日本産ゲームも(ゲーム全体の出来ではなくメカニズム的に)完成されすぎていて発展性に欠けているようにも見えます。
次作辺りまでは比較的好意的に受け止められるような気もしていますが、次々作も同じようであれば現在の欧米系ゲームと同じパターンに陥る可能性もあります。
e-Sports関連やwitcherやゼルダなど和洋問わず発展の芽を感じさせるゲームから如何にヒントを得られるかが次世代ゲームにおいては重要かもしれませんね。
ではまた来年。
「ニンテンドースイッチはスマホから客を奪えない」
なんて前評判はイマイチなニンテンドースイッチだけど、逆に大ブームになって任天堂大勝利になる可能性ってないの?
確かにニンテンドースイッチはスマホと比べると辛い点がたくさんある。
スマホの課金システムが収益強すぎて、サードはわざわざリスクを背負ってコンシューマーゲームを作らない。
ゲームに金を払う層の減少。価値観の変化。選択肢の増加。それ伴う市場の衰退。
でも、本当にニンテンドースイッチは「ブームを起こせない」のか?
もしスプラトゥーン級のオンライン対戦ソフトが5本6本出てきたらどうだろう。
スマホでは出来ないハイクオリティなオンライン対戦ゲームともなれば、皆スイッチを買うだろう。オンライン有料であっても年2000円程度なら安いものだ。
ニンテンドースイッチは『オンライン対戦専用ゲーム機』としてブームを起こすかもしれない。
VCのオンライン対戦が出来るといっていたが、レトロゲームがすべてオンライン対戦出来るようになったらどうだろう?
かつて家でワイワイやっていたゲーム対戦がオンラインで出来るようになる。
3万出せばレトロオンラインゲームが無料で遊べる最強のゲームハードの誕生だ。
コンシューマーゲームのクオリティで無料オンライン対戦ゲームとなれば、新たな時代の幕開けになるだろう。
任天堂はやる気だぞ! …というのが私の予想なんだが、他に「ニンテンドースイッチがブームになる仮定」をお持ちの方はいますか?
ガチャはそんなに苦じゃない。俺はスタミナ制に疲れてしまった。
まだ個人ホームページがわいわいしてた頃に、FFAとかFFBっていうCGIゲームがあったわけだ。
それもたしかスタミナ制だったと思う。俺がまだ中学生の頃の話だ。
だからスタミナ制になにも文句はなかった。「スタミナ分だけ無料でプレイできちまう」ジョジョASBすらそんなに嫌悪感はなかった。
今まで苦でもなかったスタミナ制。寝る前にスタミナを空にして寝る。レベルアップしそうなら経験値は低い今更回るほどでもないクエストからでる低レア素材を集めてギリギリレベルアップしないようにするとか、そういうスタミナ管理に楽しみを見出すことすらあったほどだった。
俺はソシャゲだけじゃなくPCゲーやコンシューマーゲームもする。
今年、年末年始を潰すためにPS4のSkyrimを買った。XBOX360とPS3とPCで既に何千時間とやっているはずなのに未だにハマっている。
そうしていく内に、PS4はパッとやめれてパッと続きをやれるスリープモードがあり、そのおかでもあってかかなり自制してできている。
例えばだっるだっるいハイフロスガーでの和平会議中にPSボタンをおしてパッとやめてやる気がわいたらPS4つけてSkyrim選択するだけで続きからできる。
これはPCをSkyrim専用機にしていないとできない素晴らしさだ。
そんなぬるま湯につかっている内に、スタミナに振り回されて寝る時間を削ったり、どうやって効率よくスタミナを消費するかを考えることが億劫になってしまった。
ガチャよりもスタミナ制を問題にするべきだ。子どもがついついソシャゲをやりすぎるのももしかしたらスタミナ制故にやめ時が伸びてしまうからかもしれない。
今は、デレステ、グラブル、FGO、モンスト、ハース、シャドバをやっている。
昔のソシャゲっていうのは、強いカードをガチャで手に入れて編成して数字が大きい方が勝ちという課金=力だったが、今のソシャゲはだいぶマシになった。
あえて昔のソシャゲに駆け引きがあるとするなら、基本的には最高レアリティの運用方法かな。モバマスなんかの進化制は2枚手に入れればいいんだけど、ほとんどのシステムは同じで絵が違うゲームは4進化制を採っていて、最高攻撃力を目指すか、手早くそこそこの攻撃力を目指すかっていうのを決める。でも、結局は金の力だ。
それに比べて、デレステ(内容は違うけど、スクフェスも)は音ゲーがメインだから、クリアスコアに課金力は影響するものの単純にノーミスクリアを目指す場合は金は影響しにくい。完全に影響しないとは言えない。カードのスキルなんかにミスを減らせるようなカードがあったり、スタミナ制を採用してるから練習回数を増やすために課金アイテムを使うことがあったり。それでも、課金がゲームのうまさに直結することは無い。まぁ、当然スコアには影響されるが。
モンストやパズドラは中高生に人気なのは、無課金でもそこそこ行けるという部分にあった。パズドラはそんなにやってないので割愛。モンストの場合は、1匹目に強いキャラを引くリセマラをするわけだけど、そこから課金キャラ並の性能を持ったキャラを取りに行ったり、課金キャラよりは少し劣るものの、集めることで「運極」という報酬アイテムを増やす能力をもったキャラを作ることで、どんだけ課金キャラをもっているかではなくどんだけ運極キャラを持ってるかが重要になっていた。
過去形なのは、最近は露骨に課金キャラを優遇するようなクエストを実装したり、課金キャラしか対応できない仕掛けを作ったりしてるから。パズドラも同じように課金キャラじゃないと越せないような仕掛けをつくったりしてるとは聞いたことがある。まぁ、自分は課金者は優遇されるべきと考えているのでそれは良いと思っている。
ハースとシャドバは、まぁ、実際のTCGをやっていた身からするとTCG演ること事態が継続的な課金をすることと同意味なので変わらない。カード整理が楽なのと、無料でパックもらえるのがマシかな。まぁ、中古で掘り出し物見つけたり、トレードしたりっていうバトル以外の部分の楽しみはないが。
グラブルとFGOは少し毛色が違う。ひたすらの作業ゲーム。言ってしまえばアクションじゃないモンハンみたいなもんなんだけど、とにかく課金したからといって作業が格段に楽になるわけではない。基本的に周回前提のゲームになっている。最高レアが無くても戦えるが、その戦えるようになるまでに時間を多くつかう。どちらかというと一昔前のMMORPGで、そのMMORPGにもガチャがあるタイプ。金も時間もかかるタイプ。
言いたいのは、「金」だけじゃ解決しないようになってるのと、「時間」もしっかり使わせるようになってる。
例えば、無課金のニートが3000時間やったデータを100万ぐらい課金しただけのデータで抜かせるような作りではない。
これは、実はコンシューマーゲームもそうなりつつある。例えば、腕が一番出るFPSなんかも、ガチャがあるものは多い。今のは基本的にガチャから出た武器のほうが強いとかはなかったけど、COD:AWとかいうやつはガチャから出る武器で性能が違っていて一部は持っているだけで強くなるような武器もあった。FPSやってるやつならわかるけど、威力や距離減衰が変わらず発射レートが早くなった武器なんかが普通にあった。今は大体操作キャラクターの外見が変わるものが多いかな。これは当然課金で回せるようになってる。
あとは、PS4のアイマス。これも実際はガチャ制を採用している。普通にプレイしていく分には課金は不必要。アイマスは今まで課金がソフト価格より高いことが有名だったが、さらにガチャも入った。内容としては、ライブが終わった後にファンからプレゼントがもらえるのだがその内容がランダムだ。ここまでなら別にガチャとまではいえない。モンハンだって報酬はランダムだしな。ただのランダム報酬だ。ただ、このファンからプレゼントが不確定要素で結構来る確率が低いし、それを確定させるPドロップというアイテム(消費アイテム・リアルタイムの期限付き)が課金アイテムとして売っている。そのせいで完全なガチャとはいえないもののグレーなガチャになっている。
そして、なによりも昔は「アンロック課金」として悪名高かったバンナムも、ガチャのせいで「アンロック課金のほうがマシ」と言われているような状況。
結構いまはどんなゲームもDLCがあるように思えるし、DLCを待ち望む声のほうが多いように感じる。
任天堂のゲームはしらない。WiiUもってないから。そういう点で、あんまり課金の話を聞かず、スマホゲーでは良心的な1200円を求められただけで炎上するマリオランを見ている感じ、任天堂ががんばってゲーム業界をひっぱっていってくれないかなぁとは思っている。
正直な話、コンシューマーゲームも結構危ないところに来ている。それだけははっきりと真実を伝えたかった。