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はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2018-03-28

結局堂々巡り

小説書くの再開したけど、やっぱり他人の目を気にしてしまう。

わたしの一挙手一投足が誰かに不快感与えてないか心配で、わたしの書いたものがあまり不快ジャンルの人たちに嫌われてやしないか心配で……。気になりすぎてツイッター2次創作用に作った公開のアカウント、鍵掛けたり外したりしてしまう。ただの被害妄想自己否定ってことは分かってるけどやめられない。

無言=否定と受け取ってしまう。わたし個人的には嬉しい?というかマシ?なのは「好かれる>嫌われる>いてもいなくても同じ」という感じ。好かれたら嬉しいけど、好かれないなら嫌われたい。いっそあなたの書くもの不快ですって言ってきてほしい。いてもいなくても同じ空気より、マシ。たとえマイナス感情でも誰かには見てもらえたんだからそれでいいや……って、思えちゃう

反対に、全然知らない人からいいねをもらえたらするとすごく嬉しくなる。相互さんだから……フォローしてるから……で見てあげてるんじゃない、検索タグからわたしを見つけて、何かしら反応をしたいと思ってくれたのかな……と舞い上がる。

自分評価他人に預けすぎなのかなあ、と書いてて自覚した。

誰にも見てもらえなくてもわたしが気に入ってるから良し!って言える人はすごい。わたし一時的にできても、後々寝る前とかに自己嫌悪とかがぶわーっと来て消したくなる。これ治せるものなのかなあ……。

精神身体一定に保つ薬や機械がほしい。

嬉しいも悲しいも一定基準値内では変動するけど、大喜びしたり、その大喜びした反動ドン底気分になることもない。今日はすこぶる体調が良くてバリバリ仕事/勉強捗る!なこともないけど体調不良ゲロゲロしたり些細な頭痛に悩まされることもない。極論、無機物が羨ましいに落ち着いてしまう。

昨日は結局朝起きれず迷惑かけた。自分が悪いのになんか、いろいろ、自分子供っぽすぎてつくづく嫌気が差す。いつまでも成長できない周回遅れだと思う。

自己肯定感増長して毎日ある程度幸せになれる薬が欲しい。世間ではそういうのは危ない薬になるんですけどね。幸せ錠剤とか欲しいね

2018-03-24

あのな

低スペは、他人と比べて「あいつはこんなの苦労とか思わないで、難なくやってんだろうな」って自己嫌悪自分崩壊するのを恐れながら日々生きているので、消耗が激しいの

なんもしないまま来ちゃった

夏休みとか楽しいことはすぐ終わるくせに、学校に行く毎日や授業は長かったような覚えのある今日この頃

卒業シーズンじゃん、もう。いや高校ならもうとっくに終わってるのかな。どっちにしろ、早すぎる。怖い。時の流れが早すぎて怖い。

去年の今頃は舐めてたなあ。今の生活がこんな苦しいものになってるとは思いもしなかった。概ねいつも通りに順調に行くんだと思ってた。去年のあの数週間後に、初めて聞いた今年度の予定を聞いてうまくやれるかなあなんて杞憂してたな。大丈夫だよ、その前に全部破綻して病んで休んでるから安心しろ。いや笑えない。

知らなくていいことばかり見つけてしまう気がする。察しの良さみたいなのではない、かな。察し良く対人できてたらもっと社交的になれてるわ。どちらかというと野生の感みたいな。

また知らなくていいことを見つけちゃった。また見なくていいものを見ちゃった。好奇心猫を殺すとはよく言ったものだけど、それならわたしは殺されっぱなしだ。

また土曜日が来ちゃったなあ。結局一週間何も書けなかった。ここじゃなくて創作ねの話ね。またどうでもいい自己嫌悪だ。

眠たくなって頭が働かない。寝よう。

午前中は低気圧だるいから、午後は日差しが出てるから夕方から夜にかけては家の人がみんなテレビ見てうるさいから、夜中は眠いから言い訳ばっかで何も進まない。あーあこれじゃ二の舞になっちゃうや。

明後日はまた友人と会う約束憂鬱です。話はしたさあるけど会うまでは憂鬱です。

2018-03-23

しんどい

何年も仲良くしているTwitter相互さんがいる。お互い好きなジャンルが重なって相互になったけれど、その先は特に被ることもあまりなくて、ただ普通に仲良くなれたからずっとそのまま。

お互いの色んなことを知っていて、だけど、昨日も、今日も、しんどい思いをしてるその子自分がかけられる言葉ひとつも見つからなくて在り来りな同意言葉しか出てこなくてむしろ神経逆撫でしちゃうんじゃないかとか考えてそれすら飲み込んだ。

Twitterの裏垢同士で繋がってる同窓生がいる。普通に仲が良くて、お互いの裏垢のフォローリクエストだって断ること、断られることを心配しなくて済むような仲。

でも近頃変だ。環境が変わって以来異性に対して過剰な程に意識しているその子に引いて、挙句気持ち悪さを感じる自分がいる。

自分が元両性愛者の現同性愛だってこともあるかもしれない。

だって自分の中では性差はそこまで重要視されることじゃないから。

書き連ねてて思ったけど考え方が自己中なのかな、何にせよ自己嫌悪だけが膨れ上がるしこんな毎日しんどいね。こうして吐き出して少しでも楽になれたら良かったな。

2018-03-22

ADHDによるADHDのための一人暮らし掃除

このたび発達障害の診断からストラテラを処方され、今までどうあがいても出来なかった家事ができるようになったので興奮からこのエントリを書くに至りました。

ADHD掃除をするための流れ」という感じです。

なお、私は言語性優位かつ聴覚優位の「視覚から入る情報を整理できない」「思考があちこちに飛ぶ多動であり身体的には多動ではない」タイプADHDなので、健常者の方や違うタイプ特性を持つ方にとって適切な内容であるかどうかはわかりません。ですがもし、誰かの役に立つことがあれば幸いです。

◎まずはじめに

掃除の仕方は色々あるとは思いますが、とりあえず一人暮らしを前提としてみます

一人暮らしの方のほとんどはワンルーム、1K、1DK程度の広さにお住まいのことと思います。そして一人暮らしをする以上は掃除必要であることを理解して、一般的に言われる「片付けのコツ」みたいなアレは多少なりとも試したことがあるはずです。

「物を少なく!こまめに捨てる!」

収納スペースは大きく!」

「出したものはすぐに片付ける!」

それをしても努力しても散らかるのがADHDの部屋ですね。というかそんなにしょっちゅう掃除をやる気になれない。できなくて毎回嫌な思いをすることを、衝動が向いたタイミング以外でやる気になるかという話です。

なお、「虫さえ湧かなければOK」「風呂にさえ入って仕事に行ければOK」などと最低ラインを決めて掃除を諦め、足の踏み場がなくても自分を責めず、生ゴミの元になる料理もやめてコンビニ弁当外食食事を済ませて生活していくのもアリといえばアリです。

経験的に長く続ける生活ではないと思いますが、どうしても無理な時期はあります。そういうときはサッと諦めの方向にシフトできると良いですね。

でもやはり家が綺麗に越したことはないので、掃除法を書いていきます

個人のやり方ですので、参考程度に。

◎水周りの掃除

家を綺麗にするには、

・物を減らす、捨てる

整理整頓をする

・水周りを掃除する

あたりが大事かなーと個人的に思います。この辺がクリアできれば健常者に近い生活ができます。憧れますね。

ものを減らす、捨てる、この辺は発達障害でも少しずつできるのではないかな、とは思います。各々のこだわりと相談しながら捨てていってください。整理整頓は私も苦手です。できそうにないのが水周りの掃除ではないでしょうか。水周りは感覚過敏の鬼門です(違う人がいたらすみません)

個人的に、薬の効果で最も驚いたのが水周りの掃除をできるようになったことなので、そこを書きたいと思います

さて、さっそく面倒くさい水周り代表、台所の掃除に取り掛かりたいのですが、恐らく一人暮らしADHDの家には掃除用具が足りないと思われます実家ならお母さんに聞けば出してくれたりしますがお母さんはいません。

そこで百均に行きます

・スポンジ2個

三角コーナー(既に持っていても新しいものを買ってください)

三角コーナーのネット

ゴム手袋ビニール手袋(使い捨てで何組も入っているもの)

・ふきん2枚

割り箸

・小さめのカゴ(パイプユニッシュが入り、少し隙間が開く程度のもの)

を買います。持っているものは買わなくていいです(三角コーナー以外)

そしてドラッグストアに行きます

・洗剤

パイプユニッシュ

を買います百均に同じく、持っているものは買わなくていいです。

帰ってきたら、買ったものの袋をそのまま台所に置いてください。

私たち掃除をしよう!と思ってその場に立つものの、どこから取りかかればいいか何を準備すればいいか必要ものがどこにあるのか、全てが分からず立ち往生し、気がついたらTwitterまとめサイトを見て時間が過ぎていく生き物です。その対策のために、百均ドラッグストアの袋をそのまま台所に置いてください。手の届く範囲ゴミ箱(ゴミ袋)も用意しておくとなお良いですね。

この際に音楽をかけておくと気分が紛れて良いです。今からとてつもなく嫌な作業をするので、テンションを上げて乗り切りましょう。

まず台所から掃除をしていきますが、その前に、買い物袋からスポンジ、パイプユニッシュ、ふきん、割り箸ゴム手袋を出して手が届くところに置いてください。

このとき商品を包んでいた袋などがゴミになると思いますので、先ほど準備したゴミ箱に捨ててください。後で片付けようとか考えて床にポイっとするのはやめましょう。絶対に片付けないまま放置して、1週間ほど経ってから「なんでこんなところにこんなゴミが?」と自己嫌悪しながら片付けることになります。そのために近くにゴミ箱必要です。無ければ、先ほど買った百均ドラッグストアの袋をゴミ袋にしてください。流し台の下には大抵物入れと取っ手がついているかと思います。取っ手に袋をくくりつけましょう。

次に、ゴム手袋を装着し、あれば洗い物を済ませてください。水や洗剤系が無理なタイプ感覚過敏の方も、ゴム手袋存在でだいぶマシになるかと思います

コンロの周りに置いてある調味料なんかもこの時に移動させておくと後々が楽です。空いたスペースに割り箸を1本割っておきましょう。

最初に一番嫌な排水溝を掃除します。一番嫌なことは一番初めにやるのが肝心です。楽なところからやっていくと、最後に取りかかる頃にはやる気が失われてきて「今度でいいか」と思ってしまます。その「今度」は運が良ければ来週など短めのスパンで来ますが、大抵は来月以降です。その頃には排水溝はもっと汚くなっていますので、ゴム手袋を装着するまで頑張った今がやり時だと思って掃除に踏み切ってください。

水を流しながら先ほど用意した割り箸排水溝のフタを取り、中のアレ(名前がわからない)も取り出してください。

この時に水を流していないと、フタがなくなった排水から排水管の臭いが上がってきてとても辛いです。これは健常者ですら不快に思う臭いですので、私たち場合もっと不快感が強くかなりの体力を持っていかます

あとはパイプユニッシュをかけながら、古いスポンジでゴシゴシこするだけです。細かいところや手が届かない排水溝の奥は、割り箸でガサガサやると汚れがよく取れます。おそらくパイプユニッシュ説明書きには「何分放置してください」とか書いてあると思いますが、無視して大丈夫です。ゴシゴシこすればなんとかなります

この調子シンクもスポンジでこすって洗いましょう。汚れや詰まっていたもの三角コーナーに捨ててください(無ければ面倒ですがゴミ袋へ)。ひと通り汚れが落ちたら、割り箸三角コーナーかゴミ箱に捨ててください。

これで排水溝とシンクが綺麗になります

ここで一旦ゴム手袋を外して捨て、休憩します。なお私は休憩してもその後また掃除に戻れるので一息つきますが、戻れない気がする人は休憩なしで続行してください。

ゴム手袋を新しいものに変えたら、先ほど詰まっていたものを捨てた三角コーナーを丸ごと捨てます

できればそのまま捨てるのではなく、コンビニの袋などに一旦入れてからゴミ箱に入れると臭いが押さえられて良いです。三角コーナーの中身だけ捨てて本体を洗える人はわざわざ捨てる必要はありませんが、百均三角コーナーを適宜買い換える方がストレスが少なくていい気がします。というか、これ以上ぬめりに触れたくないので。

次に、掃除に取り掛かる前に出しておいたふきん2枚のうち1枚を水で濡らし、シンク周りとコンロ周りを拭きます。私はコンロがIHなので水拭きで済ませていますが、洗剤やタワシを使うほうが綺麗になると思います百均に売っているメラニンスポンジ(激落ち君とかのアレ)もとても便利です。もう1枚は新しく食器を拭く用に置いておきましょう。

これでシンク周りが綺麗になりました。

あとはスポンジと洗剤を隅に寄せ、掃除にあたって移動させておいた調味料などをもとの場所に戻してください。台拭きを裏返して綺麗な面でサッと拭いてから戻すとより綺麗ですね。私は多少汚れてても気にしませんが。

まりにも汚いな、もうこの台拭きは使いたくないな、と思ったら捨てましょう。また百均に行けば3枚セットで売ってるので。

そしてここからの片付けが排水溝の次に面倒ですが、あと一息です。もう少しです。

ここで手袋を外して捨て、百均の袋から新しい食器用のスポンジと、新しい三角コーナーとネットを出して装着し、流し台に置きます

そして百均で買ったカゴにパイプユニッシュ三角コーナーのネット割り箸ゴム手袋(あればふきんやスポンジの余りも。これらは適度に買い換えるものなので買い置きがあっても困りません)を突っ込み、流し台付近適当なスペースに置きます

これで次回掃除を思い立ったとき必要ものがすべて1箇所から取り出せる仕様になりスムーズです。どうしても面倒だったり、それぞれに置き場所がある場合はしなくてもいいです。

この時に出るゴミをすべてゴミ箱に入れたら、ゴミ袋を結んで玄関に置きます絶対玄関に置いてください。中途半端場所に置くと、そのまま忘れて虫が湧いた頃に思い出し、掃除のものを更に嫌いになる可能性が高いです。ゴミ分別日が特になく、ゴミ捨て場が建物についているタイプの家にお住まいの方は、玄関に持っていったその勢いで捨てに行ってもいいかと思います。少なくともその日か翌日のうちには捨てましょう。

そして玄関から台所を振り返ると、それなりに綺麗になっていることを確認できるかと思います

これで掃除は終わりです。

(適当タイミング掃除前にかけた音楽を止めてください)

できればこの綺麗さを維持したいところですが、私たちは気分にムラのある発達障害ですので、たぶんまた汚くなるまで掃除を思い立つことはないと思いますそもそも掃除が得意ではないし。でも、一度できたことはまたできる日が来るでしょうし、とりあえず、「思い立ったもののどうすればいいかからず結局何もできない」を解決する手段ひとつに、以上の手順があるのではないかな、と思います

掃除とまではいかなくとも、定期的に排水溝にパイプユニッシュをかけて水を流す作業をしておけば、気休めにはなります。3日に1回必ずやる!などと具体的に決めるとそれはそれでがんじがらめになったりするので、気が向いた時にやりましょう。

あと水周りと言えばお風呂場とトイレですが、だいたいは台所の流れの応用です。

掃除用品を買いに行って、袋を掃除する場所(お風呂場やトイレなど)に置く、手袋をする、洗剤とスポンジでゴシゴシする、流す、掃除用品とゴミをそれぞれまとめる、以上です。

◎おわり

長々と書きましたが、正直ストラテラコンサータがあれば比較スムーズにできる内容だと思います。健常者なら「そこまでしなくても普通に掃除くらいできるでしょ」と言うでしょう。でも、薬のあるなしに関わらず、どうしてもできないタイミングもあります。それはそれで仕方ないので、「どうしても掃除しなければならなくなった時」のために手順は確認しておいて損はしないかなあと思います

万が一にでも、誰かの役に立ちますように。

2018年アニメ宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2

各話ごとのレビューネタバレあり)

https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)

5話

ゲーム機

 めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリ友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。

めぐっちゃん

 めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り

 私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。

 私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲーム漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。

 その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。

 別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。

マリとめぐっちゃん

 だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタル物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳いから…云々」という消極的理由ではなく「ゲーム相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃん対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。

 でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは

めぐっちゃん独白…影

「一緒に行く?」のときのめぐっちゃん…陽

バカ言え!」のときのめぐっちゃん…影

「絶交無効」…陽

 となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリ必要であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。

マリかわいい

19:00頃~

6話

シンガポールの背景美術

 日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールメジャー建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林群馬)→歌舞伎町新宿)→極地研(立川)→シンガポールフリーマントルオーストラリア)が無難か。

マリゆづのベッドと、報瀬&ひなたのベッド対比

 キマリゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。

空港でのやりとりと、3話”報瀬の「自己嫌悪」と、ひなたの「思いの強さとわがままは紙一重である」”のくだりから見る報瀬の成長

 無理ーってなってる日向を、自分わがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティ肯定たからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。

マリーナベイサンズでのやりとり

 シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、

同時に過去日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。

マリポイント

19:35頃 ビジネスクラスチケットを持ってムッフーなってるキマリ

7話

冒頭の観測船出発ビフォーアフター

 前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラック物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子

 アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。

取材がすごい細かい

 本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい

隊員たちの想い

 ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。

 だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。

認定or仲間相手じゃないと普通に喋れない報瀬と、最後自己紹介に見る報瀬の成長

 ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置しかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介とき小淵沢…報瀬です…」という言い方から彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向フォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。

マリポイント

8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ

8話

砕氷艦しらせでの生活が詳しく載ってるブログ

海域へ到達!波濤を進む砕氷船しらせ」での艦内生活南極観測シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947

船内の音

 船内のシーンでは声の反響シチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい

 「特に荒波に揉まれ砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ

マリの前髪

 キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公キャラデザキービジュアル)に個性的伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラあんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイル戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。

揺れる画面と大画面

 Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリ中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。

4人が「訓練された大人」ナイズされちゃう不安

 大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。

 これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。

マリポイント

20:00頃 海水を頭からかぶって爆笑してるキマリ

9話

砕氷艦のラミングと吟の魂と縄跳び

 南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響シンクロしてて、控えめに言って最高。

 あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技インドア競技で盛り上がるらしい)。

過去に囚われる隊長

 「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しか自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しか成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。

 だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの

砕氷艦の進む音

 ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。

マリポイント

11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔

10

息が白くない

 南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極仕様再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。

ヘリの音

 「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションアニメ表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカー大音量にして聴いてほしい。

朝の点呼

 朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極から彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。

友達誓約書と4人それぞれの「友達定義」にみる過去回での掘り下げ

 「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10から本格的に基地での活動生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。

 ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話カーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言

 大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。

既読」の表現と風化

 現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題であるex,宇多田ヒカルAutomatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。

マリポイント

5:30頃 飛び立つヘリの風に耐えようとして、轢き殺されたカエルみたいになってるキマリ

食器洗いが本当に苦手でしんどくてつらい人間なんだけど

キッチン掃除したら食器洗い洗剤の濃縮ボトルほぼ満杯のが4本出てきた。だいぶ辛かったようだ

食洗機かいたい

人間らしい食事をしたい

食洗機かったら解凍に皿が必要冷蔵ご飯を食べれるし、ちょっとした料理作れるし、割り箸ゴミ袋を突き破られないし、自己嫌悪しないですむ

食洗機開発活発になってほしいな

2018-03-20

堕落

ここ一週間、一年以上ぶりくらい長い休みというかのんびりした日々だったんだけど、

今のうちにやっておこうと思っていた色々なこと、久しぶりの友達に連絡してみるとかそういうこと思った以上に全然出来ずに、家でダラダラして過ごしてしまった。

こんなにダラダラできるんだ?!ってくらいダラダラした。

ダラダラしすぎて体調崩す勢いだった。

昔はこんな自堕落自分自己嫌悪したりもしたけど、アラサーの山も超えるとこんなもんかと思ってしまものだなぁ。

明日から仕事かー、やだなぁ。っていうか体力持つんかなぁ。

2018-03-19

けっかん

からひとをバカにした態度だと言われた。

偉そうだと言われた。

ひとの気持ちがわからないと言われた。

空気が読めないと言われた。

いや、言われたことはない。

ただ後から振り返ってみれば、自分の態度がそうだったんだなというだけだ。

小さい頃からひとに嫌われ続けて今日まできた。

友達は少ない。恋人もいない。

自分から手酷く別れを告げたこともある。人間として最低だと言われて縁を切られたことがある。

ずいぶん長いこと傷ついてきたけれど、傷つけていたのはこちらもおなじであったと最近気づいた。

調子にのってしまうのだ。

その場のテンションに任せて口を回す。けれど相手はそれを不快におもう。後から考えれば、自分も確かに不快にする言葉だろうとわかる。

後先を考えず、ひとの気持ちを考えない。

から嫌われる。

わかっているのに直せない。きっともう一生直せないだろう。直そうとする努力が足りないだけなのかもしれないけれど。

今まで自分が傷つけてきたひとの数を数えようとするたび、死にたくなる。

呆れられて皆が離れていく人生を、うまく修復する方法を考える。

きっと喋らないでにこにこしていればいいんだろうな。でも自己主張をしてしまいすぎる。

自己顕示のあとに自己嫌悪し続けるのをやめられない。

もっとれいに、謙虚に生きたかった。

2018-03-17

手のひら返し

最初は私のこと「凄い」って言ってくれてたじゃん。それなのに突然態度を変えるなんて。やる気なくなるよ、自己嫌悪に陥るよ、全てをやり直したいと思うよ。でもあなた批判したりしない。悪いのは自分から。私が正しく生きることができなかっただけだから。今までありがとう、そしてさようなら

自分の怒り感情ちゃん対応したい

怒るのがへたくそだ。自分の中に生じた怒りの感情の扱い方がへたくそだなぁと感じている。

こらえきれず、怒りを衝動的にアウトプットしてしまうこともあるのだが、やはり、できるならば極力避けていきたい。怒るなら、怒りを丁重に、なるべく冷静さを保ちながら、必要なことだけを選んで伝えたい。

それをするためには、綿密に、丁寧に、相手想像して、自分言葉や行動をどうすればいいものか、じっくりじっくり悩む必要があるように思う。そしてそれは、正直にいってしまえば、めっちゃ大変だ。言い方は悪いが、めんどくさいことでもある。

から、なるべくなら怒りたくないなぁと、自分の怒りセンサーをなるべく鈍感な状態にして、怒る件数自体を減らしてしまえーと無意識に思っているような気がする。

一方、一度怒りだしてしまうと、ずっとアクセルを踏みっぱなしになってしまう。

アクセルを踏んでいる状態=怒りをアウトプットしっぱなし、ということではなく、主に心の中が怒りっぱなしになる。怒る発端になった出来事が時折フラッシュバックしてきては、怒りの雪だるまを転がして、また増幅させて、怒りを心に長期滞在させてしまう。

あんまりに怒りが膨れ上がってしまうと、うまく昇華できていない雑な状態のまま、外に漏れ出すこともある。そして、たいがい後悔する。

「なぜあんなことを言ってしまったんだろう」と自己嫌悪ばかりつのるだけで、全然解消には向かわないし、むしろますます心に負荷がかかる。

なので、なぜこうなるのかちょっと考えてみて、ひとつ仮説を立てた。

これは、日々の小さい怒りをちゃんと適切に処理せずに、めんどくさがってしまったがゆえの、感情疲弊なのではと。

見なかったふりをしていた怒りは、見ないようにしていただけで、そこに確かにあったのではないだろうか。かなり蓄積されてくるまで、わたし本人がその存在に気がつかずに、ひょうひょうと暮らしていただけなのかもしれない。

ならば、めんどくさがらずに、怒るところでちゃんと怒りたい。

かい怒りを早いうちにちゃんと見つけて、大きくなるまえに対処したい。

溜め込んで長期的に怒り続けるのでなく、ちょいちょい怒って、なるべく素早く過去の怒りにしていきたい。

怒らない人に憧れたこともあったけど、わたしは怒らないようにはなれそうにもない。

だったら、怒る気持ちもっとちゃんと付き合いたい。

2018-03-15

初めて実際に手首にカッターを当ててみた

20代前半 専門職

職場飲み会の帰り道どうしようもない気持ちになったので家に帰ってからカッターを手首にあててみた

この半年ほど、手首を切ったら何かが変わるのか、変わらないのか、考える機会が増えていた

前までどんなに死にたいと思おうがなんだろうが自傷というところには至っていなかった

それが仲の良い友達から実は昔リスカをしていたことがあるという話を聞いて以来、鬱々した気持ちになった時に手首を切ってみたいと思うようになった

が、調べてみると後処理とか結構めんどくさそうだし、そもそもまり血が得意ではないので調べたことを読んでいるだけで血の気が引いた

これは向いてないなと、やめておこうと思ったけど数日経つとやっぱり切ってみたいという気持ちになった

その日は久しぶりにわりと飲んでいた

若いメンバー中心で飲みに行ったため、仕事について熱く語りあったり愚痴を言い合ったり励まし合ったり恋愛の話をしたり、特段病むような内容ではなかったはずなのに電車に乗った時にはもう死にたくて仕方がなくなっていた

盛り上がって飲みすぎたのかもと思ったけれど、自我ちゃんと持てていた(はず)

家についてお風呂に入って水分取って、台所に立ったところで手首を切ってみようと思い立った

とりあえずやってみよう!と

なんなら少しワクワクして明るい気持ちだった

実際に切ろうとしてみてわかったこ

思ってた以上に力がいる

血が出るほどの傷を作るとなると本当に思い切ってざっくりいかないと難しい

わたしは実際カッターを持ってあてるところまでは何とも思わなかったけれど、上手いこと思い切ることができなくて血が出るほどの傷は作れなかった

自分のできる最大限の力でシュッと切るとうっすら白くなったあと赤くなる

血は出ない

少し時間を置くとなんとなーく傷が浮き上がる

結局これじゃ物足りないと思って数回上からなぞってみたけどしっかりした傷にはならなかった

痛みは指を紙で切った時以下

だいたいの人がこんなの屁でもないと思う程度のもの

しかも次の日にはやった本人でも正確な場所がわからいくらいにまで傷が薄まっていた

人間の皮膚って切れにくくてこの程度の傷なら寝れば治るのか…なかなかしっかり出来ているんだな…とちょっと感心した

それが先週のこと

切ってみて、というか刃先を当ててみて

たぶん毎日でもできる

これくらいなら全然できる

ちょっと楽しい

自分しかからない、わたしこんなことしました病んでます自分に酔うためにするお遊びという感じ

この程度で少し気持ちが軽くなるなら毎日でもやりたい

反面着々と慣れてきている

痛みにもこの行為にも

このまま習慣化するといつか血が出る日が来るだろうと思う

かにバレるならそれはそれで正直嬉しいという気持ち仕事に支障が出そうだからパッと見てわかりやすい傷は作りたくないという気持ちがせめぎ合っている

(とりあえず切るにしても絆創膏で隠れそうな大きさまでしか切らないと決めて入るけど)

やってみてわたしにとっては思っていたより意味のある行為だった

自傷と言えばリストカットという単純すぎる考えでやってみたことだし、なんなら手首を切るという文化(?)があってそれを知っていたからやってみたに過ぎないのだけれど、それなりにやる意味ややりたくなる要素はあるんだなと思った

肯定する訳でも、増してやすすめるわけでも無いけど全然

でもありですこれ

ただ自己肯定感が低いタイプの人とか毎日自己嫌悪してますみたいな人が至りやすものだなとは思う

職業的によろしくないので大きな傷は作りたくないけど、こんな程度で自分の気が済むなら続けていこうかなーと考えてます

したことないにも程があるくらいのかすり傷で鬱憤が晴れるならね

以上手首にカッターをあててみた感想メモでした

2018-03-13

anond:20180313204520

考えても仕方ないって事は充分すぎるほどわかってるのに考えてしまう。毎日こう。割り切れないんだ。自己嫌悪の塊。なんでこんな考え方しかできないんだろう。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン。なんなんだよこの八方塞がりな状況は。誰にも言えないって何なんだよ。巻き込まれ事故なのに。全部言いたい。ぼろくそ罵倒してやりたい。皆さん楽しそうに話してますけどあいつこんな奴で心底最低くそ野郎なんですよ。心配するだけ時間無駄です。自業自得なんですから

なんて。自分も同じ。どっちが最低野郎だよ。考えても無駄。考えなければ大丈夫やっていけると思って過ごしているけれどちょっときつくなってきた。パソコン打ちながらぼんやり泣けてくる。信頼があるのは向こうの方。何も言わなければ誰も大変な目に合わない。このままでいい。みんな幸せ

それでも誰か気づいてと思ってしま自分くそ。見事に自分のことしか考えてない。自己嫌悪

2018-03-11

東北人だけど正直あまり東日本大震災に対して思い入れがない

そもそも東北人と言っても山形県沿岸部出身

2011年当時は関西に住んでいて、震災発生当時昼寝をしていたので揺れを感じなかった

家族も親戚も特に被害にあった人がいない

こんな感じなので、対岸の火事しか思えていない。自己嫌悪

実家に春からUターンすることになったんだけど、そういうところで周りの人と温度差感じることになりそうで不安だ。

尊敬できる人間

ふと自分尊敬できる人間はいるかと考えた。

私は、自信を持って「いる」と言える。

その人は、私が高校生の頃に知り合った人で10年以上の付き合いになる。

はじめてあった時こそ何も感じなかったけど、知っていくたびに「こんな大人になりたい」と思ったものだ。

その人は、自然に人を褒める。

私が上手くできなかったことを責めない。失敗したり納得いかない出来だった時、「また次頑張ればいい」、「焦らないでゆっくりやればいい」と言ってくれた。

私がちょっとしたことを手伝ったら、「増田ちゃんがいたから助かった」と、にこやかに御礼を言われた。

この人は、なぜこんなに自然に褒めたり励ましたり御礼が言えたりするのだろう。私は、生きてきてこんなに自然体な善の人間を見たのは初めてだった。

10年以上経った今でも、このような人間は他に知らない。

私は、その人にフォローされる度に頑張れた。頑張りすぎて「無理するな」と言われたことも何度もあったけど、とにかく我武者羅に頑張った。

その結果、上手くいっているかはわからないけど人並みの生活を送れている。

そして、今もその人のことを一番に尊敬している。

私は、人より物事を達成するのに時間がかかる。

そのせいで、自己嫌悪劣等感があってネガティブになることも多い。

だけど、そんな時にあの人ならどうするだろう、あの人ならなんて言うだろうと考えると自然と元気になってくる。

私がこれだけ尊敬していることは本人には伝えていない。伝えても謙遜して、軽く流されてしまうから

でも、いつか言えたら嬉しい。

あなたのおかげで私は今日も生きています

私も誰かに尊敬されるような人間になりたい。

あの人のようにはなれなくても、誰かの力になりたい。

2018-03-09

文章が下手なアイドル本を読んだ

アイドルグループBiSH所属モモコグミカンパニー著の『目を合わせるということ』を読了した。以下簡潔に感想を。

文章レベルは「素人にしてはよく書けている」程度。だからこそ逆に驚いた。この文章ゴーストライターの手によるものじゃない。文章の特徴を箇条書きにしてみると、以下のようになる。

英語翻訳文のような不自然文体

・時折入るら抜き言葉

口語体文語体の混合

・文末の表現が全体的にこなれていない(「ことだ」の繰り返しは避けたほうがいい)

著者は読書家を自称しているらしいが、そうとは思えない。しかし、編集校正の手が入ってるとはいえ、読んでいて詰まる部分はない。読み進める内に文体がこなれていくのは流石だ。作者の知性の高さを感じさせる。この本は著者がアイドルデビューしてからの3年間を綴ったエッセイだが、本人の性格文章内に如実に現れていて、とても面白く読めた。

この本の著者は「高学歴特有の鼻持ちならないクズ野郎」だ。

自分が恵まれ環境で育ったことに自覚がない。同じような境遇に育った人間の間では自己ごまかしながら生きていくことができるが、近くにいればいるほど嫌われるタイプ特に卑しい身分に生まれ育った人には蛇蝎のごとく嫌われる。著者に対して「お前のことは嫌いだった」とハッキリ言うメンバー氏は凄い。

本人にも自分性格欠点について自覚がある。人を遠ざけたり、自己嫌悪に陥ったりする。著者の母君も著者の将来に危惧を持つ。このタイプは嫌われる人には徹底的に嫌われるので、本人の高い能力社会で(特に会社員として)活かすことはできないだろう。

からこそオーディションで見出された。メンバー唯一のずぶの素人としてひな壇に立つことができた。

著者のパーソナリティは「アイドルらしさ」とはかけ離れている。著者の存在BiSHというグループに刺激を与え続けている。本人に自覚はないかもしれないが、BiSHの飛躍の一因は著者にあるのは間違いないだろう。

BiSHに救われたのは著者だが、著者もまたBiSHを救い続けている。ファンの皆様、是非とも買いましょう。

2018-03-08

ぐずぐず引きずってる

書くのやめるって言ったばっかだけど、ずるずる引きずってる。

今日オタクの友人と会って話をして、推しカプの話してたら「ああ〜こういう話書きてえなあ」なんて思ってしまった。どうせ実力もないしまた見てもらえなくて落ち込むだけだし、大体文章力以前の能力がないからまあ諦めるけれど。けれど。褒めてほしいが先に来たら休んだ方がいいって聞いて、今の状態じゃ休んだ方がいいって分かってるけど。けど。

才能やらやる気やら以前にまだ付けてないものがあるから、まだそれからだなって分かってるけど。それも書く環境がないから…とか結局他のせいにしてやれてない。ただただわたし無気力なのかなと思う。

最近無気力感がすごくてやばい。朝は起き上がれないし、メイクもめちゃくちゃ時間かかってしまう。そのくせ自分の思った通りの見た目にならないと出かける気にさえならない。

こんなんで社会生活やってけんのかって思うぐらい時間ルーズになってしまった。たった数ヶ月前までは朝は早起きとは言わないが起きれて朝の支度もそこそこ急いでできてたのに。ダメなっちゃったのかなあって思う。自己嫌悪

ああなんか、つらいこと考えるの嫌になっちゃうなあ。とあるスイーツフェス…?フェスなのかな、そんなにナントカフェスみたいなの行かないからよく分からなくて、あれをなんて呼称で呼べばいいかわかんないけど、とにかくそスイーツフェス的なのに行きたい。開催期間ギリギリに行けばバイトも始めてるだろうし、うん、行きたい。

思考放棄したい、無機物になりたい。朝起きたら布団と一体化してねえかなあ。何も考えず眠り続けたい。

2018-03-07

今日大学留年たから心境を綴る

大学留年しました。まあ去年の夏ぐらいから薄々わかってたか特に驚きもしてないんだけど。どうせならネタにしてやろうと思ってこの記事を書いてます



なんで留年したのかっていうと単純に単位が足りなかったからですよね。僕の場合一年の時から大学に対してやる気がなかったので、結果こうなりました。まあ自業自得ってやつよ。

僕は大学に入って一週間で図書館に引きこもるようになったんだよね。一応第一志望のとこだったんだけど、なんか思ってたのと違うぞ、この授業受けて意味あるのか、友達ってどうやって作るんだっけ?って色々混乱した結果ぼっちになり図書館引きこもりました。これが一年の時。

この時は救いを求めるように本ばかり読んでました。もちろん学術系の本なんて一冊も読んでない。この頃の僕に必要だったのは現実逃避と立ち直り方だったから、小説とかビジネス書ばっかり読んでた。

まあそんな僕でも二、三年は部活やってたから、それなりに充実してたかもしれないね。この頃には友達とか知り合いも増えてた。女遊びもそこそこにって感じ。



そんで四年になってまた引きこもるようになります。あれ、とりあえず四年になったけど俺ってなんのために大学通ってるんだっけ?状態に陥り今度はさらに深刻で大学カウンセリングに通ってました。

その頃スポーツジムにも通いだしていたので、ジム保健室を往復する日々。おい、大学はどうした。

この頃から自己肯定感崩壊自己嫌悪スパイラルに陥りました。なんかわからんけど人の視線が怖い。大学行く意味からない。夜眠れないか精神薬を飲む日々。SNS愚痴ることしかできない。



唯一の楽しみは筋トレだった。ジムに行けばバーベルが待ってる。今日も追い込める。なぜかそれだけで安心したんだよね。

周りは文句言いながらもスーツ着て就活している。なんでみんなサラリーマンになりたくないと言いながらなるための努力をしてるんだ。結局みんな同調圧力に流されてるだけじゃないのか。

そんなどうでもいいことを毎日考えてました。ちなみにちょっと就活してたけど、ここは今回は割愛

そんなこんなで時間が過ぎて、今の正直な心境綴ると、大学無駄だったなあ4年間何してたんだろうなって感じですかね。

それについて後悔してるかと聞かれれば、まあ全く後悔してないわけじゃない。けど、これがもし普通に卒業できてて就職できてれば満足してたかって言われると、そうでもない気がするんですよね。

まあ、こんなこと書くと強がりみたいであれですけど。僕がやりたいこと見つけられたのはほんとに最近なので、もっと早く出会いたかったなってのはあるかな

ザックリまとめるとこんな感じ。今の僕がどうしてるかはまた別の記事でいつか書きます過去を悔やんでも仕方ないからね。

とりあえず酒でも飲んでくるよ。またね。

記事

http://blackmagician.heavy.jp/topbuzz/2018/03/07/たった今大学留年たから心境を綴るぞ/

配属ガチャに失敗した

配属ガチャに失敗したよ。泣きたいんだ。書き殴らせてくれ。春から社会人の身。

もっと悲惨なやつだっているって意見はくるのが目に見えてるけど、本当に、本当に号泣してしまったんだ。吐露させてくれ。

三分の二は東京勤務って聞いてたのに、残り三分の一の大阪勤務の方に見事に入った。

大阪?いいじゃん!

りんご!とかの青森じゃなくてよかったじゃん!

そんな意見うるさい。

配属地が大阪東京の二択の会社就活して選択した。まずこの時点で全国転勤といえど確率66%で東京会社なんだ。

まり、もう訳の分からないど田舎に飛ばされない会社就活したんだよ。そんな○○なんて僻地に行くあいつよりマシだ、みたいな前提が違う慰め方しないでくれ。

そりゃまぁ勤務地が東京オンリー会社選択するべきだったかもしれない。でもそれは何を重視するか、みたいな上限100のゲージを会社選びで振り分ける際に、勤務地以外にも当然ながら給料とかやりたいこととか残業時間とか休日数とかいろんなことを加味した結果のベストが、今選んだ会社だったんだ。だからここぐらいは許してくれ。

まぁそんなわけで本題。

彼女とは遠距離恋愛になる。彼女は一個下、今就活の子

彼女は俗に言うビッチだった。このビッチちゃん、寂しいと色んな男とヤッてしまってた。まぁ性欲も強くて、俗に言う性依存症の症状に似ていると思う。

自分はそんなことをするのがなんだか悲しくて、やめて欲しくて、付き合った。もちろん、何だかんだ話も合うし、可愛いし、そういうところも当然ながら魅力的。

付き合っているときも裏では一回ヤってたことがあった。俺は号泣したけど、本気であることが伝わったのだと思う。大変なこともいろいろあったけれど、徐々に信頼できる関係ができてきたと思う。

で、大阪配属を伝えた。電話越しで号泣してたよ。悲しい、俺も悲しい。

そりゃ66%東京なわけで、うまくいけば東京で一緒に俺の家へ転がり込む形で住もうと多分思ってたわけで、もっと長いスパンで付き合っていこうという話もお互いにしてたし、思ってた。そういうプランが、希望もしていない配属ガチャメールで崩れた。

彼女はもうそんなビッチなことをしなくて済むんだと俺は思ってたのにな。

彼女は俺の所有物でも、モノでもない。分かってる。ビッチなことをしてほしくないからっていう俺のエゴが詰まってるのも分かってる。自分に都合のいい女しか愛せない訳でもない。

ただ、目の前で愛していた人が前みたいにビッチなことをして、壊れて、自己嫌悪になって疲れていく姿をもう見たくない。ただ、辛い。

そして、性依存症気味だから、このままいけばこの物理的な距離に耐えかねられず、別れてしまうだろう。

かといって切り捨てたくもない、要は自分エゴの詰まった愛なんだ。こんな形で気づかされてもっと泣いた。

配属ガチャのせいでうまくいってた彼女とは別れるかもしれず。なんでなんだろう、人生ってうまくいかいね。また涙が出てきた。

遠距離恋愛なんて、性依存症君の彼女とはどう考えてもうまくいかないよ。

2018-03-06

なんだかなあと思ったまま

何に対しても気力がわかない。

今日なんて雨なのも相まってずっと起き上がれなかった。雨だと低気圧や天候が崩れて体調が優れないし、晴れても太陽の光に当たるのがなんだか気力吸い取られる。結局夜が一番生きやすい。そろそろこの生活とおさらばしなければと思うとすごく憂鬱だ。朝がものすごく苦手なのだ

血圧からってのもあるけど、陽の光を浴びることが本当に疲れる。太陽の光浴びるとセロトニンがうんたら〜みたいな話で浴びた方がいいって言ってる人が多いけど、わたしは浴びてる方が疲れる。学生の時の運動会体育祭練習、あったじゃないですか。運動する前に、準備運動して、先生の話聞く時間があるじゃないですか。あの時点で気分はもうダウン気味だったんだよな。燦々と降り注ぐ太陽光を浴びてるとだんだん頭がぼーっとしてきて、何も考えれなくなってく。ここで貧血起こして倒れれるぐらい体が弱ければその方が楽だったのかもだけど、変なところで頑丈だからそういうわけにも行かず。

今日は何にも気力がわかなかった。

量を書いてみたらと言われたからとりあえずメモからでも出そうかと思ったけど、真っ白のメモ用紙に向かうと途端に頭も真っ白になる。じゃあ何かインプットしてみようと思って音楽を聴いたり、色々な作品を読もうとしたけど、音楽は流れてっちゃうだけだし文字は入ってこない。鬱になってから脳みそ情報の出し入れがとろくなったなぁと感じる。情報が入ってくるのは鈍いし、出すのは苦痛。うーん、やっぱりこの状態創作活動はきついのかなあ。創作活動をきついと思ったことがなかったから、いまいち掴めない。いつまでも自分感情いまいち主観できない。

いやそれ、自分客観視できていいんじゃない?って?そうでもない。何に対しても主観がごっそり抜けてる感じが、ふとした瞬間付き纏う。半年ぐらい前に曽祖母が亡くなった時だって、何も感情がわかなかった。非情かなあとは思いつつ。いや、どちらかというと「何の感情もわかなかった自分非情だなあと思ってた」かな。いや、わかんないや、やっぱり。

でも、主観で来なくていい感情だけはやたら打ちのめしに来る。自己嫌悪、鬱、被害妄想エトセトラ、悪い感情

なんだかな。感情勉強中のアンドロイドみたいな表現が似合う気さえする。

思えば一応、本当に一応な一通りの恋愛経験…?はあるつもりでいたけど、どれもなんだか主観感情が抜けていたり、好きという感情があるだけで満足したり、なんだかどれも薄いのだ。男の人も女の子2次元キャラ無機物も本も、何もかもひっくるめて好きなんだけど、好き以上の感情がどうも持てない。

要はだいたいのことに感情が薄い上、極端に他人に興味がないから、色恋の話ができなかったんだ。いや、したいのはその話ではなく。

わたしが書かなくても素敵な作品はいっぱいあるし、なんだかいいやーって。悩むことなんてなかったんだなあ。最初から意味必要もなかったんだなあって。そんなものに全力出しても疲れるだけで何もなかったんだなあって。無気力だ。

わたしが書かなくても誰か他の人が素敵なのを書いてる。メンヘラ定型文じゃないけど、わたしがいなくても世界歯車は回ってく的なあれで。

そもそも悩むことに意味なんてなかったのか。そっかそうだね。

そんな感じで創作に諦めが出て愚痴ることも嘆くこともなくなったので、今日日記を書くまで時間かかりました。本当は感情が薄いのところをもう少し書こうかとも思ったけど長すぎるしただの身の上話だからつまんねーなと思って割愛

つまんねー話しか書けないね。知ってる。

2018-03-05

諦めはついたようなつかないような

結局、創作活動はやめることにした。

わたし文字を書く才能もなければ、絵なんて以ての外才能がなかったんだ。それを埋める努力も足りなかったんだ。努力はしてきた。してきたけど、穴の空いたバケツに水を入れ続けても決して満タンにはならないように、してどうにかなるものではなかったんだ。

絵は描けなかった。絵が描けないなら他のところに才能が割り振られて文章なら書けると思ってた。そこにもなかった。かと言って特別機械に強いわけでもなく、人力や自作動画ゆっくり実況とかもできなかった。音楽センスセンスの前に知識もなくてダメだ。2次創作にこだわるからだと思って創作小説イラストを書いてもダメだった。何をしても向かなかったんだ。わたし技能芸術は振られてなかったみたいだ。

褒めてもらえる、見てもらえるという報酬が無いと頑張れないのは違うらしい。自分が「これだ!」と思えるものを作れればいいらしい。それで認めてもらえれば嬉しいけど、そうでもなかったみたい。いやそれでも認められるまで頑張るんだ!とか。それができるってことも一種才能だよ、わたしには無かった。才能才能ってうるせえなあって?あんまり才能のせいにしたくもないけど、だってじゃあなんでこんなに書けないんだ、こんなになにもできないんだ。

見苦しい自己嫌悪嫉妬しかできない。オタクリア友がみんな絵を描く人だから、もともと文章の人ってだけで居心地悪かったのに、ここ最近自分の僻みだけで自分で居心地悪くしてる。そんなこと思ってないはずなのに、絵描けないわたしだけ疎外感あるように思えてしまう。被害妄想だと分かってるけど。

でもアイディアだけはまだなんとか出てくれる。昨日はあれほど聞くのも嫌だった音楽、色々聞いていたら「あ、この曲推しカプっぽい」とか、そういうことは思えるようになった。数年前はもっと色々なものから刺激受けれてたけど、どうもセンサーが鈍ったみたい。言葉でもらわないとセンサーが反応しなくなった。センサーの反応までは枯れなかったようだ。けど、それが逆につらくもある。この発想を誰かに伝えたいという感情はあるのに、それを伝える手段を一切失ったというかそもそも持ってないのだ。

あ、この曲推しカプっぽい!なんちゃって白背景マンガですけどどうぞ!も140字SSですけどどうぞ!もできない。ましてやパロディ動画化なんてできない。

そうやって否定するからできないんだ〜とかなんとか言われそうだけど、もうこの自分の何も出来なさにはもう自分で飽き飽きしたんだ。

かに褒めて欲しい。たくさんの人に見てもらえれば、それはとても嬉しいことだけど。一人でもいいから好きって言って欲しい。なんか泣けてきた。

2018-03-04

好奇心を復活させたい

美術鑑賞や好きなアーティストライブを見に行くことが趣味だった。

大学生の頃は片道3、4時間かけて東京まで足を運んでいたのに、社会人になってからその頻度は減り、もはや趣味というのも憚られるようになった。

26歳になって趣味と呼べるものがなくなってしまった。

からといってこれがしたい・あれがみたいといった欲求も出てこなくて、つまらない人間だなと自己嫌悪になることが多い。

常にアンテナを張り巡らせて、いろんなことに興味がある人間になりたいんだけどどうすればいいですか?

2018-03-03

食べ過ぎて苦しくて寝つけない

明日大事な予定があるのに

夜ご飯終わってからもう4時間以上経ってるのに

苦しい

明日からは「腹八分目」を座右の銘にする

普段少食だからたまにハメ外すと限度がなくて後悔することになる←2回以上同じ失敗をするなんて鳥頭か??

寝れないことより馬鹿なことをしちゃったという自己嫌悪がきつい

楽しい夢見たい

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