結局、創作活動はやめることにした。
わたしは文字を書く才能もなければ、絵なんて以ての外才能がなかったんだ。それを埋める努力も足りなかったんだ。努力はしてきた。してきたけど、穴の空いたバケツに水を入れ続けても決して満タンにはならないように、してどうにかなるものではなかったんだ。
絵は描けなかった。絵が描けないなら他のところに才能が割り振られて文章なら書けると思ってた。そこにもなかった。かと言って特別機械に強いわけでもなく、人力や自作動画ゆっくり実況とかもできなかった。音楽センスはセンスの前に知識もなくてダメだ。2次創作にこだわるからだと思って創作の小説やイラストを書いてもダメだった。何をしても向かなかったんだ。わたしの技能に芸術は振られてなかったみたいだ。
褒めてもらえる、見てもらえるという報酬が無いと頑張れないのは違うらしい。自分が「これだ!」と思えるものを作れればいいらしい。それで認めてもらえれば嬉しいけど、そうでもなかったみたい。いやそれでも認められるまで頑張るんだ!とか。それができるってことも一種才能だよ、わたしには無かった。才能才能ってうるせえなあって?あんまり才能のせいにしたくもないけど、だってじゃあなんでこんなに書けないんだ、こんなになにもできないんだ。
見苦しい自己嫌悪と嫉妬しかできない。オタクのリア友がみんな絵を描く人だから、もともと文章の人ってだけで居心地悪かったのに、ここ最近は自分の僻みだけで自分で居心地悪くしてる。そんなこと思ってないはずなのに、絵描けないわたしだけ疎外感あるように思えてしまう。被害妄想だと分かってるけど。
でもアイディアだけはまだなんとか出てくれる。昨日はあれほど聞くのも嫌だった音楽、色々聞いていたら「あ、この曲推しカプっぽい」とか、そういうことは思えるようになった。数年前はもっと色々なものから刺激受けれてたけど、どうもセンサーが鈍ったみたい。言葉でもらわないとセンサーが反応しなくなった。センサーの反応までは枯れなかったようだ。けど、それが逆につらくもある。この発想を誰かに伝えたいという感情はあるのに、それを伝える手段を一切失ったというかそもそも持ってないのだ。
あ、この曲推しカプっぽい!なんちゃって白背景マンガですけどどうぞ!も140字SSですけどどうぞ!もできない。ましてやパロディ動画化なんてできない。
そうやって否定するからできないんだ〜とかなんとか言われそうだけど、もうこの自分の何も出来なさにはもう自分で飽き飽きしたんだ。
誰かに褒めて欲しい。たくさんの人に見てもらえれば、それはとても嬉しいことだけど。一人でもいいから好きって言って欲しい。なんか泣けてきた。
なんだよ、文章うまいじゃん。 あんまり文章読まない私が最後まで読めたよ。
たぶん単純に作った量がすくないだけだよ。 15万文字くらいの物語を10本も書けば書くこと自体のハードルは下がる。そうやって手の速さがついたその先に自由な創作があるわけで...