怒るのがへたくそだ。自分の中に生じた怒りの感情の扱い方がへたくそだなぁと感じている。
こらえきれず、怒りを衝動的にアウトプットしてしまうこともあるのだが、やはり、できるならば極力避けていきたい。怒るなら、怒りを丁重に、なるべく冷静さを保ちながら、必要なことだけを選んで伝えたい。
それをするためには、綿密に、丁寧に、相手を想像して、自分の言葉や行動をどうすればいいものか、じっくりじっくり悩む必要があるように思う。そしてそれは、正直にいってしまえば、めっちゃ大変だ。言い方は悪いが、めんどくさいことでもある。
だから、なるべくなら怒りたくないなぁと、自分の怒りセンサーをなるべく鈍感な状態にして、怒る件数自体を減らしてしまえーと無意識に思っているような気がする。
一方、一度怒りだしてしまうと、ずっとアクセルを踏みっぱなしになってしまう。
アクセルを踏んでいる状態=怒りをアウトプットしっぱなし、ということではなく、主に心の中が怒りっぱなしになる。怒る発端になった出来事が時折フラッシュバックしてきては、怒りの雪だるまを転がして、また増幅させて、怒りを心に長期滞在させてしまう。
あんまりに怒りが膨れ上がってしまうと、うまく昇華できていない雑な状態のまま、外に漏れ出すこともある。そして、たいがい後悔する。
「なぜあんなことを言ってしまったんだろう」と自己嫌悪ばかりつのるだけで、全然解消には向かわないし、むしろますます心に負荷がかかる。
なので、なぜこうなるのかちょっと考えてみて、ひとつ仮説を立てた。
これは、日々の小さい怒りをちゃんと適切に処理せずに、めんどくさがってしまったがゆえの、感情の疲弊なのではと。
見なかったふりをしていた怒りは、見ないようにしていただけで、そこに確かにあったのではないだろうか。かなり蓄積されてくるまで、わたし本人がその存在に気がつかずに、ひょうひょうと暮らしていただけなのかもしれない。
ならば、めんどくさがらずに、怒るところでちゃんと怒りたい。
細かい怒りを早いうちにちゃんと見つけて、大きくなるまえに対処したい。
溜め込んで長期的に怒り続けるのでなく、ちょいちょい怒って、なるべく素早く過去の怒りにしていきたい。