はてなキーワード: 自己嫌悪とは
今晩職場の素敵な同僚と
食事をする機会を得ることになりました!
(有名焼き鳥店で)
それはもうとても楽しみなのですが
いいような気もしています!
どうせ食事の後には
(アドバイスください)
NHK向けに作られたアニメに対して、しばしば言い表せない居心地の悪さを感じている。
ラブライブ!のように他局で放送したアニメの再放送や、スポンジ・ボブのような海外アニメは楽しく見ているが、他のものは独特な気持ち悪さというか、なんかよくわからない居た堪れなさとか、共感性羞恥じゃないけどぞわぞわっと寒気がして恥ずかしくなって一緒に見ている家族の輪から離れたくなる感じを感じてきた。
習慣的にNHKアニメを見ていたのが子供時代と、自分の子供が見るようになった近年であって、長年見続けてきたわけではない。
困っていることがあって、仕事等でたまたまむしゃくしゃしている日に子供が見ているNHKアニメの音声が聞こえてくるとうっかり嫌悪感を口走ってしまう。
子供の好きなものを否定したくない気持ちはあるのに「なんではなかっぱ嫌いなの?僕ははなかっぱ好き」と悲しい目で言われて自己嫌悪に陥るのだ。
経験上嫌悪感が溢れ出てしまう状況を制御するためには嫌悪感の理由をできる限り言語化して訳の分からない感情への安心感を得、余裕を持つことが有効ではないかと考えている。
嫌悪感を感じるNHKアニメの共通点はなんなのか、民放アニメとの違いはなんなのか、全然わからないのだ。
なので誠に勝手なのですがこれを見て何か思い当たることがあった人は思ったことなんでもいいので教えてください・・・
NHKアニメと括ってるけど全部見てるわけじゃないので、特にぞわぞわした居心地の悪さを感じた作品をあげて所感を書いておく。
公式サイトの一覧を見ながら思い出したことを羅列してみて少しわかったことがある。
苦手な作品が多かったため偏見は未だ強いがNHKアニメでも好きな作品がちらほらあった。
おじゃる丸、ふうせんいぬティニー、コレクター・ユイの3作だ。
https://www6.nhk.or.jp/anime/program/
「NHKアニメは苦手だ」という強い思い込みから起こる居た堪れなさも多少あるだろうから、好きな作品もあると意識できたことは収穫だ。
好きな作品と苦手な作品、何が違うんだろう、苦手な作品の共通点は何だろう。
苦手なNHKアニメでは苦手さの"質"が近いと感じている。ノリ?としか表現できないが……。
居た堪れなくなる感じは巷で言う共感性羞恥に近いと思うのだが、特にキャラが恥をかくシーンばかりで感じるわけではない。
これって、なんなんでしょうね?
生理前で森羅万象にイライラする。やばい。まじで誰も私に話しかけないでほしい、言葉の端々に過剰に反応して職場で普通に「は?」とか言ってしまいそうになるからまじでこっち来ないで。同僚との会話が盛り上がらなかっただけで「興味ないなら話しかけてくんなや」とか思うし、弟が三日ぐらい前から泊まりに来てんのに「何で帰っても一人になれんぇんだよ」とか今更思うし、弁当の蓋が開けにくかっただけでブチ切れそうになった。Twitterでフォロワーが愚痴呟いてるの見てうっっっっっっっっざってなったから慌ててログアウトした。元々良くはないけど輪をかけて性格が悪い。やばい自己嫌悪。それでなんか一周して泣きたくなるし、なんだよまじで情緒不安定にも程があるだろ。
しかもコロナのデマのせいでナプキンも全然ねぇし、タンポンでいいじゃんとか言われたけどうるせぇな処女だからタンポン怖いんだよ言わすなよ。
いやまじで度合いは違えど毎月こうなるんだけど本当にこれ制御できなくない???みんなどうやってんの?ネット調べてもゆっくりストレスなく過ごしましょう、とか優しい言葉をかけてもらいましょう、とかしか書いてないんだけど。そんなんできるわけねぇだろ殺すぞてめぇ。こちとら労働とやらがあるんだよ、ストレスしかねぇよ。
しかもあと数日したら腹痛と腰痛と股の違和感に襲われ続けるやつが来る訳でしょ?嫌なんだけど、まじで普通に無理なんだけど。この一連の流れが二十年以上三週間おきぐらいにくんの地獄すぎ。労働と同じぐらい地獄だわ。そんな状態で労働までしないといけないのまじで本当に地獄ここに極まれり。死ね。
新型肺炎を機に、テレワークや在宅勤務、リモートだのいう言葉がマスコミを中心に世間に広まり出した。
GMOインターネットグループが早い段階で全社員に在宅勤務を命じた事も記憶に新しい。
BCP対応の一環として定期的に在宅勤務の訓練をしていたという事なのでその決断の速さも頷ける。
弊社でも先日から在宅勤務が始まった。
ついこの間まで在宅勤務という働き方は存在しなかった。
しかし幸いなことに社内で使っているシステムがおおよそゼロトラストネットワークで構築されていた事もあり、役員会での決定から程なくして在宅勤務が始まった。
有り難い事に今はある程度裁量を持った仕事を担当させて頂いている。
一緒に働いている上司や先輩は心から尊敬出来る方達ばかりで、普段から頻繁にコミュケーションを取っており相談に乗って頂くことも多い。一言で言えば「いい人達」の集まりだ。
オフィスであれば「今話しかけて良いのか」を空気感や作業状況で把握して、相談するタイミングを選ぶことが出来る。
また、実際に画面やコードを見せながら困っている事について相談する事が容易だ。
しかし在宅では話が変わる。
顔や作業風景が見えないので「今話かけて良いのか」というタイミングを図ることができないのだ。
勿論「今相談しても良いか」の確認をしているし、急ぎでない話であればその旨を伝えるが、先輩は皆優しい。
恐らく自分の作業が忙しくても相談を聞いてくれているし、質問をしたら調べて打ち返してくれる。
オフィスで口頭なら1分で終わるやりとりも、在宅だと10分以上掛かってしまう事もある。
かと言って、分からないまま進めると進捗が遅れ、結果的に別の意味で周りに迷惑を掛ける事になる。
在宅勤務について「システム環境面」は整っていても「仕事の進め方」についてはまだまだ模索している会社もあるのでは無いだろうか。
環境は違うけれど同じような境遇の人の話も聞いたので、同様の悩みは意外とそこら中に隠れているのかもしれない…。
しかし実際に1週間在宅勤務をした結果、正直往復3時間の通勤以上に疲れてしまった。
自分の技術力不足や、コミュニケーション力の無さ、他人の時間を奪ってしまっている事に対する自己嫌悪が辛い。
この数日でだいぶ心にモヤが掛かってしまった。
「じゃあ早く自立して1人で一通り出来る様になれよ」と言われたら本当にその通りだと思う。ぐうの音も出ない。
意識の高い人々がブログ等で書く「生存戦略」はだいたい、いかにして金を稼ぐかの話をしている。俺のような意識の低いフリーランスにとっての「生存戦略」は文字通り、下手をすると死んでしまうかもしれない罠だらけの生活において、なんとか死なずに生き延びようという話である。厳密にいえば俺は個人事業主でなく一人会社だが、どちらにしても一人きりなのは同じだ。マイクロ法人とか色々と呼び方はあるらしいが何でも良い。意識の低い孤独な人間がどうやって仕事を得て、どうやって心をすり減らさずに仕事と向き合うか。そんな話を書きたいと思っている。
俺は一人きりの株式会社でWebエンジニアをやっている。他の業種にも当てはまるのか、あるいは全く普遍性が無いのかは分からない。
電話には出なくていい。気付かなかったことにして、あとでチャットワークかSlackで「先ほどはすみません」と言えばいい。そのまま文字でコミュニケーションが取れるなら取ればいい。相手がどうしても電話にこだわるクライアントであれば、そのときは仕方ない、徐々に距離をとっていき、最終的にはフェードアウトする。電話好きな人に構っている心の余裕はない。
だけど、たまに人の声が聞きたくなるときはある。この人と話をすると楽しい、と思えるクライアントであれば、その人からの電話には出る。孤独が紛れて、ふっと心が軽くなる。そんなときがあってもいい。ついうっかり「クライアント」などと意識の高い用語を使ったが、普段クライアントなんて言わない。お客さんと言っている。
メールよりチャットのほうが効率が良いというのは、同業者どうしの会話に限るのではないか。お客さんからの細切れのチャットは、電話以上に精神を摩耗させる。LINEやチャットワークの未読が10件や20件になっていると、見なかったことにして帰りたくなる。自宅作業だと帰りたくても帰れない。仕方ないので開いてみると、やはり見なかったことにして帰りたくなる。
頻繁に通知が来るのも辛い。スマホとPCどちらもチャットの通知はOFFにして、日に2~3回チェックすれば十分だ。間違ってもスマートウォッチなどに通知を飛ばしてはいけない。タスクの優先順位が狂って混乱する。
チャットで細切れの言葉を送りつけてくるお客さんより、メールで丁寧な長文を書いてくるお客さんのほうが、自分にとっては有難い。ちゃんとした文章を書ける人は、発注者としての能力も高いし、仕事に手戻りが少ない。メールを書ける人を大事にしよう。
100万円の案件を1つより、10万円の案件を10個のほうが遥かに楽だ。前者が10日間で片付くことはないが、後者が1日で片付くことは度々ある。見積もりを誤って工数が3倍に膨れたとき、プラス2日で済むか、プラス20日になってしまうか、というリスクも考えると、小さな案件をたくさん回していくほうが絶対にいい。
絶対にいいと分かっていても、金に目がくらんで100万超の案件をいくつも請けた。幸いにも見積もり通りの工数で収まった案件と、不幸にも3倍に膨れ上がった案件があった。他の案件のスケジュールが圧迫されて精神的に追い詰められた。今後はもう小さな案件しか請けたくない。
なぜ大きな案件を請けてしまうかといえば、営業の手間が省けるからだ。小さな案件を求めて東奔西走するよりも、一つの大きな案件を取ってきて、じっくりと腰を据えて作業できたほうがいい、と思ってしまったからだ。
これは必ずしも間違っていたわけではない。たしかに営業には行きたくないし、作業に費やせる時間を増やしたほうが売上は増える。どうやってバランスを取ればいいのか、まだ答えは出ていない。営業に行くたびに当初は自己嫌悪で死にたくなったりしたが、何年もやっていると徐々に慣れてきた感じもある。もうしばらく様子を見てみようか。
小さな案件なら納品翌月にはお金がもらえる。これはとても精神衛生に良い。それでも度々、預金残高が厳しくなるときはある。生活費を差し引くと、税金や健康保険料を払うお金が残っていない、あるいは生活費すら確保できないときもある。この段階で早くも死んでしまう人がいるかもしれない。俺もメンタルは豆腐だけど、ここで死ぬのはあまりに早い。
意識の低さには自信があるのだが、ここだけの話、俺が起業の元手にしたお金はキャッシングである。会社勤めをしていたある日の昼休み、当分の生活費として50万円を引き出し、そのまま自宅に帰って二度と出社しなかった。このときの経験を活かして、いざとなれば借金があるじゃないか、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせている。借金くらいで人は死なない。
もちろん借金が積み上がれば経営は破綻するから、一時的な「つなぎ」として利用する。借金の総額は、生活費1~2ヶ月分が上限だった。小さな仕事をたくさん請けて、入ってきたお金はちゃんと返済に回す。少しづつでも返済できていれば、精神的な負荷はだいたい許容範囲に収まる。
親族に貧乏人が多いおかげで滞納についての知識を持っていたこと、これが幸か不幸かは分からない。親が裕福であれば金を借りれたかもしれないが、親は俺以上に意識が低く、公共料金や税金や保険料を滞納している。しかしそんな親でも還暦を過ぎてまだ元気に働いている。つまり公共料金や税金や保険料は「滞納しても大丈夫」ということだ。
具体的にどうすればいいか。窓口へ相談に行けばいい。今は支払えないが〇月頃にまとまった入金予定があるから、その頃までに〇分割で払う、などの具体的な返済計画を、役所の人も一緒になって考えてくれる。役所の窓口の人から個人的にお金を借りている訳ではなく、この人はあくまで仕事で窓口に立っているだけなのだから、こちらもまったく萎縮する必要はない。
社会保険料、本当は口座振替にすべきだけど、収入ないときに生活費を引き落とされたくないから、未だに振込用紙をもらっている。早く振替できるくらいに収入を安定させたい。
意識の低い人間にとって最大の難関である。タスクが山積みなのに朝は起きれない、夜は寝てしまう、昼はネットばかり見ている。いつ仕事をするのかといえば、〆切ギリギリに徹夜をする。そんな生活をずっと続けてきて幸いにも問題なく乗り切れてしまい、さらに仕事を増やしたところ、あっけなく破綻した。やはり仕事はスケジュール通りに規則正しく進める必要がある。夜は眠らなければ心身が壊れる。
初めのほうに書いた「案件」と被るが、大きなタスクを小さなタスクに分割するのは、意識の低い人間にはハードルが高い。そういうのが得意な人に任せてしまったほうがいい。小さなタスクだけを割り振ってもらい、それが終わったらまた次のタスクを与えてもらう。小さなタスクどうしが重ならないようにスケジュールを組む。それがいい、というより、それしかできない。
ノートPCとデスクトップPC、どちらも一長一短あるが、映像や画像処理などの重い作業でなければノートで十分だ。デスクトップにつないだ4Kの広大な画面は、自分にとってはあまりに広大すぎた。広い画面を活用するためにTwitterとかRSSリーダーとか開いてしまって仕事が進まない。ネットサーフィンが効率化されてしまい仕事の効率は落ちていた。それに気付くまで何年も無駄に費やしたが、今はノートPCに落ち着いている。人間が集中するには、ある程度は視野を狭める必要がある。
もうひとつの切実な問題として、広大なモニタを見続けていると眼精疲労が激しかった。そしてなぜか精神的な負荷も高く、ついにはデスクトップPCを立ち上げるだけで激しく憂鬱になった。おそらく情報量が多すぎるのだ。見るべきもの・処理すべきものが大量に迫ってくる。これはよくない。ノートPCの小さな画面であれば、適度に分割されて仕事が押し寄せてくる。意識の低い人間の脳には有り難い。
ツールは何でも良いのだが、考え方としてGTDには助けられた。気になっている物事をすべて書き出してしまう。優先順位をつけたあとは、いったん頭を空にする。これを習得してからは脳の負荷がとても減った。山積みのタスクに苛まれて頭を抱えることが少なくなった。とにかく人間の脳には限界がある。余計なことを考えずに、一つのことだけ考えればいい状況にしたい。
タスク管理ツールは ClickUp https://clickup.com/ が使いやすい。大きな会社の場合には分からないが、フリーランスなら他の選択肢はたぶん無い。
案件管理ツールは Board https://the-board.jp/ が良い。小さな案件をたくさん登録しても、上手いこと整理してくれる。請求書を郵送したり、メールを送ったり、自分ではやりたくないことを代行してもらえる。
チャット等をまとめるツールは Biscuit https://eatbiscuit.com/ja が良い。
いい加減もう眠いので書くのをやめたい。この記事で何を訴えたいわけでもなく、自分自身の思考の整理のために書いたような気がする。本当はもっと書きたいことがあった気もするが今日はもう眠たい。
ひとつ重要なことを書くと、フリーランスは気をつけないと簡単に病む。自覚したときにはすでに相当追い詰められてる場合があり、なるべく早めに自分自身の病に気付いて対処する必要がある。そして何より、病まないためには「無理をしない」ことが大切だ。
苦手なことからは逃げる。危ないと思った仕事は請けない。狂ったお客さんの電話には出ない。地雷を踏んだらサヨウナラ。地雷さえ踏まなければ、意識が低くともなんとか生きていける。生活は貧しくとも、たとえ税金を滞納しても、還暦過ぎまで働くことができる。
金を稼ぐことは意識の高い人々に任せることにして、意識の低い俺たち私たちは何よりも死なないことが大切なんじゃないですかね。まとまらないけど、もうちょっと仕事してから寝ようかな。
どうやら攻撃を受けたらしい。
至近距離だったせいで前足の動きを捉えきれず、身構えるのが遅れたんだ。
いきなりモロに食らってしまった。
奮い立たせた戦意が、途端に削ぎ落とされていくのを感じる。
早く反撃しなければ。
半ば朦朧としたまま右足を突き出す。
「……貴様!」
攻撃はクリーンヒットしなかったが、意外にも相手の顔は歪んだ。
「よくも、よくぞ本気にさせたなっ!」
相手の勢いは衰えることなく、むしろ増大させてしまったようだ。
「ふ、ぐ……」
今度はしっかりと意識内から攻撃を食らったにも関わらず、その威力は驚くものだった。
「このっ!」
反射的に殴ったが、まるで効いている素振りがない。
マズいぞ、こいつ予想以上にケンカ慣れしている。
実力に差があるのは分かっていたが、まさかここまでとは。
勝てる気がしない。
どんどん血の気が引いていくのを感じた。
「キトゥンー!」
だが、その時、仲間たちの声援が俺の耳に届いた。
それが聴こえないほど、さっきまで追い詰められていたんだ。
「頼むー!」
大丈夫だ、まだ戦える。
「うっ……!?」
足でだめなら、今度は口だ。
「やめろ、この野朗!」
相手も反撃してくるが、俺は意に介さず、しつこく同じ場所に牙を突き立てる。
噛みつきを避けてくれば、今度は爪で、爪を避けられたなら今度は噛みつく。
どれほど効いているのかは実感がなく、正直いって勝てる気持ちは沸き起こらない。
それでも俺はひたすら攻撃を続けた。
「負けないでくれー!」
「こいつ、いつまで、やるんだ……!」
体がボロボロになる前に、どちらかが降参して終わる。
逆に言えば、気力が続く限りは終わらない。
俺に意思がある限り、決して負けることはないんだ。
「いけー! キトゥン!」
「……はっ?」
目を開けて、まず視界に入ったのは壁。
次に捉えたのは、本の山だった。
なんだ、頭が回らない。
それに、全身にけだるさを感じる。
状況を理解するまでに数秒を要した。
「夢って……ふざけてんのか」
どうも俺は、いつの間にか眠っていたらしい。
変な姿勢で寝てしまったようで、身体の節々が悲鳴をあげている。
「いてて……ガイドは?」
「さっき帰ったよ」
しかも直前の話題に引っ張られて、キトゥンになった夢を見るとは。
俺自身が猫になれば気持ちが分かるだろうと、どこかで考えていたのだろうか。
思い上がりも甚だしい。
あんな夢を見ているようじゃあ、俺もあの動物番組の仲間入りだ。
「あ、キトゥンおかえり」
自己嫌悪に苛まれていると、なんとも微妙なタイミングでキトゥンが部屋に入ってきた。
「ニャー」
当事者はそんなことを露知らず、部屋に入ってくるや否やこちらに擦り寄ってきた。
畜生が、こんな時に限って。
俺は仕方なくキトゥンを抱きかかえると、おもむろに膝の上に乗せた。
正夢なわけはないが、一応だ。
パッと見は大丈夫なように見えるが……これ以上まさぐると嫌がるしなあ。
「ああ……嫌な夢を見たからな。動物を、自分とは違う存在を、自分の尺度で決め付けて、言ってもいないことを勝手に喋らせて……」
「うーん? それ、人が他人に対してやってることと何か違うの? 割と見たことあるけど、そういうのやってる人」
弟が何か言っているが、まだ夢うつつだったので上手く聞き取れない。
「……それもそうだな」
旧弊社会の不合理性を最新の社会にあわせてアップデートしていこうという運動の一つとしてのフェミニズムであれば
・性犯罪厳罰化・捜査容易化で既存の性犯罪被害者男性も一緒に救済される
・未成年女性を救済することで児童や未成年者の虐待防止にもなる、たとえば未成年女性医大受験者に対する差別は未成年者虐待という側面もあった
さらにフェミニズムを「子育てする親ならではの観点での社会改革」のあだなにしちゃう一派もある(例:「シュナムルはフェミニスト」とかいっちゃう人)
PTAが悪役になってるから新しく「子育てイズム」とか名前をつけるべき
たとえば男性に生活知識(家庭科)をろくに与えないで育てたことで
高齢独身男性が床オナで射精障害に陥ったり震災時に生理用品を捨てようとしたり一人暮らしでゴミ屋敷化したりする
今日は北欧に暮らして日本とのあまりの違いに自己嫌悪に駆られるという増田書き込みもあった
これを救済するため男性にもしっかり生活というか人生に必要な基礎知識(男についても女についても、男子に対しても女子に対しても)を与えろという指摘の実現努力は
AVやら恋愛工学のみで性知識をあたえておき、当然ながら実社会に出て高確率でやけどをする
そしてその後は「普通の女」怖さに一生独身なのもそもそも教育が悪いのではないのではないか?
大学受験してきました。すみません文がぐちゃぐちゃで許してください。もういやです。隣の人が鼻を、ずっと鳴らしていました。30秒に一回くらいです。受験は英語から始まり、英語の時間はそんなに鼻を鳴らしていませんでした。しかし現代文になって30秒に一回ほど鳴らし始めました。普段から教室などで話し声がダメで集中できなくなってしまうタイプなので、全く集中できませんでした。試験官の方に言おうと思いましたが別室受験できないし真ん中の席で呼ぶのに遠くて躊躇って躊躇って結局言えませんでした。なんで言わなかったんだろうと自己嫌悪がすごいです。でも隣の人が鼻を鳴らしているだけで解けなくなるなら社会に出たらやっていけるわけないと思うともうどうしたらいいかわかりません。すごく行きたい学部だったのですが、なんで言えなかったのかわかりません。読まなきゃと思っているのになにも頭に入らず泣きそうになりながらとりあえず回答を埋めましたがなんで私は集中できなかったんでしょう。集中力が足りないのだと思いますがあまりにもこんな些細なことで集中できなくなる人なんて友達にいませんし調べるとADHDと出てくるので親に相談しましたがそんなわけないと言われます。実際Twitterなどであれば電車などでも理解することができました。またかみをめくる音などは平気です。他人の声がダメです。チック症の人などの喉の音も無理です。集中力が足りないと言われるのですがではどうしたら集中力は上がるでしょうか。受験期に直さないといけないと思ってマックで本を読もうとしたりしましたが隣のJKの声などでなにも頭に入らずこれなら自習室で勉強したほうがいいなと思い治りませんでした。なんで今日に限って隣の人がうるさかったのでしょう。なんで私は集中できなかったのでしょうか。いろんな人に甘えだと言われます。実際そうかもしれない本番なら集中できるはずと思っていましたが現実では隣の人の音に集中できなかった自分が情けないしこんなことすらできないなんて社会の役に立たないし効く薬などありますか?同じ症状の方はいらっしゃいますか?本当にすみません明日も受験です今日は一番自信のあったところだったのに出来なくて明日はもっと難しいところなのにまた同じことになったらどうしようと思っています。助けてください。すみません普通のことができなくてごめんなさい
死にたくてたまらない。
自己嫌悪や自殺のことで頭がいっぱいで勉強にここ一年手をつけられなかった。
確かに死にたいという言葉の裏返しが生きたい、と意味するところはある。
でもそうならない、そう出来ない絶望感、自己嫌悪感で死にたいと思っているのだ。
未練があるから死ねないというのならば、それは未練が死にたいという気持ちよりも大きいだけで、未練があっても死にたいという動機が勝れば死ぬだろう。
私はまだ身近な人に、助けてくれそうな人にそれを打ち明けられていない。
病院に行きたいとすら言えなかった。
恥ずかしい、みじめだ、すでに充分なほど支えてくれているのにその上こんな話をするのは申し訳なくてたまらないという気持ちが大きくて無理なのだ。
打ち明けられる人がいて、打ち明ける勇気を振り絞った人に、本当は生きたいんでしょ?と言われる。
想像しただけで怖い。
患者との接し方では「まずは否定せずに受容」と言われている意味を、自分の身で体験している。
この気持ちを話して怒られたくない。
生きていれば良いこともある、というのはそうかもしれない。
けれど今この瞬間がつらいことに変わりはない。
自分が原因で自分が悪いんだけどつらい出来事がありまして、どうしても海外に住んでる友達に話を聞いてほしくて、3ヶ月の自分の赤ちゃんを抱っこしながら旦那に「海外の友達と通話したいんだけど、時差があってタイミングが難しくて。日本は今夜で向こうはお昼なんだけど友達も小さい子どもがいて大変なんだ。向こうからの連絡待ちなの」と事前に話していた。
友達は自分の子をお昼寝させて通話して、私は起きてる赤ちゃんを抱っこしたまま友達と話した。途中で私の赤ちゃん泣いちゃったら電話切らなくちゃと思っていた。お互い子持ち専業主婦だけど電話することすらこんなに難しいんだなと思った。お互い我が子が最優先なわけだし親である自分の都合通りにはいかない。
友達に悲しい話を電話で聞いてもらっていたら、私の旦那が私の部屋に入ってきて頼んでもないのに赤ちゃんを抱っこしにきてくれた。旦那は明日の仕事が早いからとっくに寝てると思っていたのに。赤ちゃんを抱っこしながら悲しい話をすることに抵抗があったし、旦那が気をきかせてくれたことがむちゃくちゃありがたかった。
悲しいことが起きたときにすぐに話を聞いてくれる友達がいて、赤ちゃんを抱っこしてくれる旦那がいて、私は本当にどうしようもないヤツだけど、支えてくれる人がいるんだから神様は私を見放してないんだ。私は生きてていいんだと思った。
だから、周りの人達に感謝して頑張らなくちゃいけないんだと思った。自己嫌悪でどんぞこな気持ちになったけど私を支えてくれる人がいるんだから、生きて、努力しなくちゃいけないんだ。
草。
結局恋人に当たり散らす最悪の行動を取ったという自己嫌悪で今すごく嫌な気持ちになっている。
私は喧嘩というものが苦手で、というかそもそも自己主張自体も苦手なので、自分が思っていることを相手に明確に伝えるのが非常に怖いのである。
の癖に今日はめちゃくちゃに当たり散らしてしまい、エグい自己嫌悪に襲われている。
謝った。いいのよと何回も言ってもらったがそれでも申し訳ない。
自分の思っていること、負の感情をそのままぶつけたことは初めてな気がしないでもないのだが、これがとても気分が悪い。
というか別に今回のは喧嘩でもないんじゃないかとすら思う。怒っている様子なかったしね…
不安定な精神を吐き出すために書いてるこれでガチの惚気を見せるが、私の恋人はとても優しい。まず怒らないし、怒るとしても私が自分を蔑ろにしたり自傷に走ったときだけだ。
それだけ優しいからこそ今日の八つ当たりも許してくれたんだろうなあ、と思うとすごく申し訳ない。
謝りに謝った。これ以上謝ったら逆にうざいだろうなと言うほど謝ったが、それはそれとして罪悪感というものは付き纏ってくるわけで…
恋人は寝てしまったが、私は明日顔向けするのが怖すぎて寝たくないなと思っている。
どうしたものだろうか。許されたとしても私は私を許せない。
謝り過ぎも良くないし、だからといって平然としているのも違うのではないだろうか?
わからないなあ…
周囲のこととか全部横において。
世間では東出が、唐田えりかがーと騒がれているが、一年前、30半ば既婚の身の上で20代のその子と不倫関係に陥った。
初めは全く意識しておらず、ただの仲の良い子の一人でしかなかった。
また少しずつキレイになっていく様を見て、ちょっと惹かれてしまった。
弱る前から仲はよく、グループで色々出かけていたが、ある時、立ち直りかけのその子の恋愛相談で二人で飲みに行った事が、
互いに好みや趣味も合い、意識し始めた頃、飲み会でその子の祝い事がありお祝いをした。
飲み会の後、最後まで片付けで残っていた私とその子で帰ろうとした時、
せっかくなら二人でちょっと祝おうかと話して飲みに行ったのが、関係の始まりだった。
とはいえその日は深い関係はなく、海を見ながら互いに好きであることを告白しただけ。
どうすればいいのか朝まで話し、近くで見つけたちょっと小洒落たカフェで、
朝食を食べながら出した結論は、
30半ばで不倫とかありきたりすぎるし、何より誰も幸せにならない。
周囲だけじゃなく、その子にとってもゴールの無い恋愛に踏み出すべきではないんじゃないか、と悩む私に、
「でも好きなんだよね?とりあえず今はその気持ちを肯定してみてもいいんじゃ」
今考えると精一杯の無理をしていた。
付き合い始めは私が悩む日々。
やっぱり傷つけるだけじゃないか。
頑張って立ち直った傷を癒やすふりしてより大きな傷を付けるだけ。
それにやっぱりゴールがない。
「まあ将来のことは、進んだら考えよう!」とまたポジティブな言葉。
奇しくも世間ではヒゲダンのPretenderが流行り、その歌詞は不倫そのもの。
「つないだ手の向こうにエンドライン」
少しずつ罪悪感は薄れていった。
そうなると私は周囲の誰もが認めるポジティブな人。
相手を引っ張り始める。
出会ってから今までずっと、そのこが無理をしていた事を知った。
常にニコニコと周囲の空気を読み、期待に応えようとする一方で、
その実自信が持てず、自分のやりたいことを隠し、そのストレスに苦悩する。
今までその本心を隠し続け、知った気になっていた、自分自身は何を見ていたのか。
大丈夫だよ!
皆も同じ状況だから進めてみよ?
→そんなの分かってるし聞きたくない
すごい頑張ってるじゃん!
→全然頑張れてない
こうすればどうかな?
→簡単にできるみたいに言わないで
何を言っても全ての言葉が地雷になり、何も言えない時もあった。
さて、数カ月たち、私がその子の心を知り、支えるようになった頃から、二人は身体を重ねるようになっていた。
初めはあった罪悪感や葛藤も、回を重ねれば薄れていく。
もちろんその子に支えられることも多かった。
何より共感力の高い彼女は、私がマイナスな時は、自分が辛くてもなぜか回復して支えようとしてくれる。
思わず辛くなくてもその振りをして、彼女を回復させたことも数回あった。
ぶつかることもあった。
一番大きい衝突は、飲み屋でその子の話を聞いていたが、途中から私に仕事が入り、話を聞けなかった。
その対応をけなされ大きく衝突した。
でも幸せだった。
夜30分だけしかなくても、会うために、寄り添うために、その子の最寄り駅までいった。
支えるだけでなく支えられていたんだと今なら言える。
ただ、ふとした時にいつも感じていたのは好意の偏り。
連絡の頻度、話す言葉、ふとした態度やスケジュールの優先順位、
それらが私の好意の方が大きい事を感じさせた。
秘密の関係ゆえに、その子が私の彼女ですと周知できない事も不安を助長した。
でもきっと違ったんだろう。
週末に会えない事が気持ちを蝕んだ。
未来の提示がない恋愛は、すなわち身体だけの関係と何が違うのか。
好きじゃなかったのではなく、好きになってはいけなかったんだと気づいた。
ネガティブにさせていたのは私だった。
それに気づいたのはその子が過ちを犯した後だった。
でも選んだ相手が間違っているのは確かだった。
確定した後は、泣きじゃくるその子を責める自分を止められなかった。
どのツラ下げて責めるのか。
すがるその子に突きつけた最後の言葉は、「お前が二人の全てを、思い出を捨てたんだ、お前が選んだんだ。」
薄らぐ未来を気にしなくなってたけど、
彼女は、きっとそう思ってなかった。
出会う前と同じように隠してたんだ。
オタ友とこの話題になり、送って嫌がられた側の話ばかりが上がって送られて嫌だった側の話がないよね、という会話になり書いてみようと思った
わたしはそれなりにでかいジャンルの島中でほそぼそと本を出している。
売れる部数はジャンルの勢いに対して多くはない。
でも比較的感想を貰っている方だと思う。本を出せば毎回発行部数に対して8%くらいの件数の感想を貰う。
いままで貰って嬉しくない感想は正直あった。
感想を送ってくれた手間を思えば感謝の気持ちが先に立つ。から表立って嫌だと言ったことはない。
嫌だと言えば感想を送り控える人もでるだろうし。
嫌だった側の話が出ないのはそういう理由だと思う。
でも思う所があったのでちょっと書いてみる
1、話の主旨を読み取れていない感想
わたしはR18ありのシリアスな話を得意としている。主題は主人公の苦悩。
ただただ疲れる。
10件感想が来たらこういうのが2件くらい入ってくる。残りの8件はちゃんと主題を読み取った感想だからわたしの技術の問題ではないと思う。
わざわざ送ってくれたんだから気に入って褒めてくれてるんだろうな~とは思うんだけれど、こっちはエッチで最高だと思ってかいていないので喜べない 申し訳ないがこういうタイプは気が合わないのでブロックしたいと思ってしまう。
2、言葉遣いに引っかかる
多いのは、蛇足ですが~…といって別の本の感想も添えてくれるパターン。蛇足って無駄なものって意味だからね。細かいことだけど、マイナスなことばは使わなくていいんじゃないかな。という思いを飲み込む。
○○はあなたが一番好き、という言い回しも引っかかってしまう Aを上げるのにBを下げているようなニュアンスを感じ取ってしまうから あと返事しにくい マシュマロに返事する場合、文面の画像を添付することがほとんどだと思うんだけど、これを見たおなじ○○の書き手はどう思うだろうと思ってしまう 我ながら神経質だとは思う
これは共感できない人のほうが多いと思う。
DMで来る長文の感想、これは正直ありがたい気持ちもかなりあるので挙げるのは心苦しいのだけれど、おなじボリュームの返事を強要されているようで苦しい。
交流が一切なく、今後も交流する気がない方からくるとかなりしんどい。
1を併発していると最悪。(かなり頻度が高い)
人との交流が苦にならないタイプの方ならただただ嬉しいんだろうなと思う。わたしは気の合う少人数としか交流したくないタイプなので気疲れが勝ってしまう。
そもそも知り合いから感想が来たら付き合いのお世辞と思ってしまうので、わざわざ書いてくれた感謝は感じるものの「お世辞でしょ?」という気持ちを隠して素直に喜んだふりをしながら長文の返事を書くのはとてもエネルギーを消費する。消費するエネルギーが感謝のエネルギーを上回るのでとても疲れてしまう。感想を貰っているのに疲れている自分に自己嫌悪する、さらに疲れる、ループ
マシュマロへの返事もおなじ 同じ話への感想だとどうしたって内容が似通ってくるのだけれど、被らないように返信文を考えるのは時間も労力もかかる。疲れる。返信不要と書かれていると気遣いが嬉しくて泣きそうになってしまう
ここまで書いて我ながら神経質で笑ってしまう。こんなに神経質なのになんで感想を受け付けてるの?と思う人もいるかなと思うので感想が欲しい理由も書く。
自分がかいたものの意図が正確に伝わったか確認したいから感想ツールを設置している。
だからそもそも褒められたい!と思っていないので、そこの温度差はあるんだろうな…と思う 感想で褒めてくれる人には申し訳ないのだけれど
散々悪態をついたので最後にクソの私ですら貰って嬉しい感想の条件を書いておく
1、具体的 〇Pの〇の絵が良かった、○○のプレイがよかった、ここの心情描写がよかった など 良かった点が知れればそこを伸ばせるので
2、読了感が書いてある 読んで元気になった 切なくなった など 作品で伝えたいことが伝わったかおおむねわかる
優しすぎて神様かと思った ありがとうございます。
まともに症状に対して調べたこともなかったから知らない用語ばかりだったけど習慣逆転法とかは今からでも試せそうだ
効果のあるかもしれない薬もあるみたいだから病院にも行ってみます
元増田のような神様的な出来すぎた浪人ライフを送ってる人もいれば、一方で俺みたいなガチ屑も存在する。
光があれば陰もある。当然のことだ。
現役の時、私立全滅、国立前期も落ちた俺は親から浪人をしてはいけないと釘を刺されていたので最悪就職について思いを馳せつつ毎日腹を酷く下すほどストレスを抱えていた。そんな最中、某底辺国公立大後期課程に一抹の希望を持って挑んだ。
私立全滅、国立前期落ちで一ミリたりとも自信を失っていたのでおよそ9割型落ちてるだろうと思いきや、なんと受かっていた(!)
この時はかつてないほど安堵してたが、両親から浪人してもいいよ(!?)と言われ、とても戸惑った。
ダメって言ってたじゃん。何のためにここまで酷いプレッシャーの中で受験したのか。
と思いつつも、当然合格した大学はずっと行きたかった大学ではなかったので、有り難く予備校に通わせてもらうことにした。あと一年あれば余裕だろ笑寧ろ東大受かったるわ笑と浪人を軽く捉えていた。
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4-5月
このうちはやる気が滾りまくってたし、1回目の模試で第一志望校がB判定だったので、もしかしたら頑張ればマジで東大とかいけるんじゃね笑笑とさえ思っており、1回目の模試が良かったことですっかり天狗になっていた。
そう考えてた俺は手の施しようのないアホだった。浪人生は一年アドバンテージがあるので、判定が良く出るのは当然だ。それなのにそれを盾にして自分が優れていると思おうとは言語道断のアホと言えるだろう。
だが天狗になってたとはいえこの頃はかなり頑張ってた。一日9-10時間程度。
既にダレ始める。一ヶ月強ではじめの頃の炎は消え去っていた。この時点でもう辛かった。一日7-8時間程度。
空前絶後のサボり期。特別講義を受けるために、他の校舎に行き講義を受けたあとは、食べログでラーメンを調べて、食べ歩き回っていた。他の浪人生はせっせと勉強しており一秒たりとも時間を無駄にできないのにも関わらず。平気で数キロ離れた美味しいラーメン屋(★3.5↑)さんに行っていた。当然ながら時間は蛇口を全開で回しているが如くドバドバと浪費。無論このラーメンを食べるお金は昼飯のために両親が出してくれたお金だった。普通親思いの浪人生はここで一食800円や1000円も使ったりしない。浪人させてもらっているという負い目があるから、せめて昼くらいは安く済ませようと500円,600円の定食やうどんを食べるだろう。
けれども俺は屑だった。申し訳ないという思いが頭の片隅にありつつも、何か正当性のある理由をつけて勉強をしたくないという考えが自分を支配していたのと、単にラーメンに関してはグルメな一面があったので、”特別講義を頑張った自分へのご褒美”のため美味しいラーメン屋さんでお昼を食べるという理由があるから多少勉強の開始が遅れてもしょうがないという謎理論の下、ラーメンを啜っていた。
またこんなこともよくあった。勉強が嫌すぎて、両親には図書館で勉強すると言っておきながら、実際図書館では本を読み漁っていた。勉強するくらいなら今まで全く興味がなかった読書さえ何よりも楽しく輝かしいものに感じられた。
ソシャゲで徹夜なども何度かあり見本にすべきでない浪人生の象徴にほかならなかった。一日3-4時間程度の勉強だった。
9-12月
夏休みはかなりサボってしまったという自覚があったので、ちょっと頑張り直す。だが、夏で身についたさぼりぐせはなかなか抜けない。しばしば予備校後に家ではスマホに夢中になる。一日5時間程度の勉強。
センター直前
センター直前にも関わらず、過去問すら碌に解かなかった。一日4-5時間程度しかやらなかった。それ以外はソシャゲをしているというカスっぷりだった。
センター後
センターが酷すぎた俺は、両親とまじめにf欄大への進学について話し合った。両親から持ちかけられたことだったのでf欄も考えればという言葉は余計に胸に突き刺さっていた。(模試でニッコマがD判定だったので当然の対応だと思う)自業自得とはいえ現実を突きつけられるのはかなり辛かった。
話し合ってる間は、睫毛が濡れて翌日目がものもらいのように腫れあがるほどボロボロとずっと涙を零していた。
流石に危機感を感じたので、この頃から死ぬ気になって勉強した。(我ながら遅すぎるとは思ったが
サボっているのに自己評価だけは高かったので、f欄大なんて天地がひっくり返ろうが何が起きよう行きたくなかった。今思えば、アホの極みで恥ずべきことだが、俺はもっと上だ。そんなところ俺が行く大学じゃないと思ってた。めちゃくちゃ見下していた。勉強分相応のところしか行けないのだから、f欄大にしか行けないのもそれくらいの能力しかなかっただけのことのなのにプライドだけは一丁前だった。
その熱心な勉強のおかげか私大はニッコマクラスに、国公立は現役より若干上の国立大に受かった。
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浪人しても俺のようにダレる奴が一定数いる事も肝に銘じてほしいと思い書いた。
決して俺の浪人話はサクセスストーリーではないだろう。それだけならばまだしも
サボってる浪人生は途轍もなく死にたくなる。頭ではやらなければならないと分かっていても行動が伴わない。だから、そんな自分に対する嫌悪が膨れあがる。結果コンナゴミイキテイテテモシカタナイナという思いが常に内在するようになる。自己評価が低くなり卑屈になる。
予備校の講師の人が言ってたが受験期に受験を苦にして自殺するなんて勿体なさすぎる。浪人時代なんて人生のごく極々一部に過ぎない。という言葉が嫌に印象に残っているが、今ではこれは本当にその通りだと思う(当時は何言ってんだ、その極々一部が死ぬほど辛いんだろうが。だから死ぬのも仕方ないだろ…。とか思ってたけど。)大学は楽しいし、自分の好きなことがたくさんできているので充実感がある。大学を卒業してもこれから楽しいことがたくさんあるだろう長い人生、あそこで死んでたら勿体なかったと思うし、今思えば浪人時代に悩んでいたことはなんて小さかったのだろうとも思う。でも、経験したからわかるがあの時はその悩みが何に替え難く切実だった。危うく人生に終止符を打ってしまうほどその悩みは大きかった。鎌を持った死神のように命を奪う機会を虎視眈々と狙っていた。実際俺は浪人時代軽く100回は死にたいと思ってた。未だによく実行しなかったなと思う。
本当にやめとけ、罪悪感と自己嫌悪で死にたくなるから死にたくなかったらやめとけ。ここまでいってやろうとするのなら止めはしないが