はてなキーワード: 格差問題とは
こういうのを見ると反射的に「品がない」と思ってしまう。
怒鳴る人って、どういう人生を送ってきているんだろうか?
自分の周りに、怒鳴る人はいない。怒るとしても声を荒らげず、淡々と行う。
怒鳴ったところで、何も解決しない。疲れるだけで、コストに見合わない。
そもそもそれほどの怒りが湧いてこない。
それは自分がいい大学、いい会社という人生を送ってきたからんじゃないかと思う。
怒鳴る人がいるのって、牛丼屋だったり、安売りセールだったり、やはり「底辺」を感じられるところだ。
となるとこれは、格差問題だ。
生活に余裕がないと、心が荒み、怒鳴るようにある。
かなり正確な分析は不破雷蔵氏がされているのでリンクさせて頂く
http://www.jgnn.net/ls/2016/12/post-14336.html
Q1,「格差」は日米共に広がっているのか? A1,広がってはいる。
Q2,どちらの方が「格差」は広がっているか? A2,アメリカだ。
Q3,どちらの「格差」の方が深刻か? A3,それは日本だ。下位層(90%)が下がっているから
日本の2011年以降、アベノミクスで下位90%の所得が回復している事を切り捨てている事
A5,【私】は大きな問題では無いと考えている。数値は変えれているが、等間隔だからだ。
今回は違うが、酷いグラフだと対数で表示されていたりもする。 今回のは見れば分かる。
そもそも、下位90%って、=上位10%以外の殆どの人って事だろ。
最上位1%との比較では 最初から人数では90倍の差があるわけだ。
つまり、
池上彰氏が凄い(そして厄介な)のは、異なる層に対して「同じ話」を使って「別の見解」を持たせ、しかし「結論」は一致させてしまえる事だ。
今回の件で言えば
そのまま「信じて」しまう層には『日本の格差が広がっていてピンチだ。』と「騙せ」て
「見破る層」には『より深刻な危機を意識』させる。 でも危機感、問題意識は一致させられる。
これは池上彰氏が週刊こどもニュースで解説されていた時からの特徴だ。
こども(実際の視聴者は年配者だったらしいが……)に現実のニュースを大幅に捨象して分かり易くし解説する。
要は要約なんだけども、 時に『虚構』を混ぜて焦点を絞る能力。
一例として、株式市場の説明の際。野菜の株を使って説明する等。分かり易くするために完全な嘘を大胆に混ぜる。
これが、異なる層に対して「同じ話」を使って「別の見解」を持たせ、しかし「結論」は一致させてしまう。氏の最大の特徴を強化したのだと思う。
これは、やっている事は単なる【要約】のように見えるが、実は違う! 池上彰氏は【待って】いるのだ
実際には極めて広い見識で問題を先読みし、問題が十分に悪化して【要約】可能、≒一般人に分かり易く解説可能になったタイミングで切り取っているのだ。
話は逸れるが、
氏がバングラデシュでテロの事後取材をしていた時、まさにその時に偶然、氏の目の前で新たなテロが起きた!
池上さん躊躇無く。現場に突っ込んだからね。 普通する?そんな事。 イカれてるだろ……。あのおっさん……。
他にも池上氏の番組を見てると、さり気なくブッ飛んだ行動と取材をしているところがマレに良く見れる。
池上彰氏は単なる解説おじさん ではない。狂気を秘めた報道記者なのだ。
▽いつも思うんだけど、さ~ぁ……
だって最上位者(ビル・ゲイツとか)の所得や資産が2倍になっても、低所得者層の所得と資産が半分になっても
「格差の広がり」は「同じ」だけど、 前者より後者の方が 遥かにヤバい。
正直に貧困、階層化、貧困の再生産、階層の固定って言えんかね?
いや、確かに「格差」は構造よ。 でも問題の焦点は貧困か、それを無視しても貧困の再生産な訳じゃん。
じゃあ解法は主に2パターンで、「『構造』の改良」か、「問題≒貧困の改善」のどっちかか、両方じゃん。
前置きがあってさ
アメリカ人はとにかくやってみようってノリで、ドラクエでいえばガンガン行こうぜ!ってやつよ。
日本人は、慎重で安全第一な品質重視よね。つまりドラクエでいえばいのちをだいじにってやつ(過労死しといてそりゃねーぜってかw)
まぁとにかくステレオタイプだけどそんなかんじでさ
そんな日本人の国民性が80年代から90年代くらいまではバシっとはまったわけじゃない?日本製の品質ってことでさ
それがソフトウェアの時代、ITの時代がゼロ年代に花開くわけですよ。
もうアメリカのとりあえずやってみようのノリ7とソフトウェアの愛称ばっちりでさ
結果いまのアメリカ復活(格差問題はおいとくとしても)なわけだけど
ここから本題
だけど、あのゼロ年代のITの時代を経て、10年代からなにが起こり始めたかって、IT(ソフト技術)と現実社会(ハード)の融合が出てくるんだよね
何が言いたいかってゼロ年代はソフトウェア完結で問題といってもWEBとかの空間での問題だったのよ
そもそもgoogleの検索結果を乗せるのも日本だと問題なんだっけ?
とにかくああいった著作権への問題が世間で話題になってたわけだよね
アメリカ人のノリでいいじゃんいいじゃん言いながら、権利者巻き込んでいったわけだよね
権利者うぜー、時代の流れってもんだろが、winnyは悪くない!利用者の問題だ!とか言ってさ
そんでyoutubeの登場で決定的なものが出てきてしまったわけだよね
だけど、世間はいいじゃん!時代のながれじゃん!とかいいながらさ
そう。時代じゃんのノリで
つまり、今までは、アメリカ人のあの乗りの犠牲は何かしらの権利者にしか及ばなかったわけだよね
それがもう一度言うけど10年ごろから、ハード(現実世界)とのリンクがITの次の時代だといわれるようになったわけだよね
uberだの Airbnbだのといったシェア系なんかが代表だけど
そのながれにポケモンGOがあると思うんだ
uberはタクシー会社の問題、Airnbもホテル業界や賃貸マンションのオーナーの問題だったりする
あるいみ既得権益な、かつてのレコード会社やアーティストやら映画会社がファイル交換ソフトに切れてたのと同じ話だけど
ポケモンGOは完全に一般人とハードをリンクさせて行動を変えさせてしまった技術だよね
だからここまで騒ぎになるんだろうね
今までの時代の流れっしょ!いいじゃんいいじゃんと言えないのってここにあると思うんだよね
だからここまで過剰に騒いでる
今までの権利者のテリトリーだったところにIT技術が侵食した時どうなるっていう社会実験としてすごい興味深い
最終局面なかんじあるよね
そのつぎは仕事
世間はこれを受け入れるのかはねのけるのか
Airnbみたいに規制が入るんだろうか
いままで他人事のように言ってた時代の流れでしょ!変わっていけばいいんじゃないの?!ってなれるんだろうか
ポケモンGOはたかがゲームだけど、これ以上のなにかAR技術で生活空間に侵食するアプリが出たときとかどう反応するのか
日本は相変わらず80、90年代の石橋たたいて日本品質追求型のサービス提供やってるような気がするけど
このポケモンGOで思い知らされてるという感じです
http://anond.hatelabo.jp/20160912143056
『
地上波TV局が国産映画製作に参入したことによる倫理的・構造的問題点を
○日本市場において、輸入映画は認知度に対する動員の相関が国産映画より安定している。
「邦洋別、認知度の相関」http://column.gempar...ploads/2013/02/1.gif
http://column.gempartners.com/?p=5608
>ここでみて明らかなとおり、邦画は、テレビCMも番組内露出も、出た分だけ興収に結びつくとは
>限らないという状況にあることがわかります。一方の洋画は、露出量と興行収入がより相関しているのです。
○映画を製作している地上波TV局にとって、自社以外の映画は競合相手であり、洋画はすべてそれにあたる。
邦画同士の場合、俳優事務所などの横のつながりで他社作品を紹介する可能性はあるが、他社作品用は枠はこれで消化される。
地上波TV局は、少なくとも結果だけ見ても、洋画の番組露出量を低下させている。
最終興収60億の「レ・ミゼラブル」も番組露出は非常に少量であった。http://column.gempar...ploads/2013/02/3.gif
・邦画の自社の電波の強み ←→ 邦画と競合しているためCM枠を買うしかない洋画 (さらに、TV局幹事の邦画はCM枠代自体がかからない)
http://column.gempar...loads/2013/03/21.gif
http://column.gempartners.com/?p=5610
・メジャー洋画は2010年と比べて2013年は平均認知度が13ポイント下がっている◆
http://column.gempartners.com/?p=8994
http://column.gempartners.com/?p=9069
☆何が問題か
地上波放送局は限られた電波を国から借りた免許事業であり、新規参入ができない非自由競争市場=既得権益である。
そのため放送法によれば本来、局が出資している別業種製品の宣伝は違反行為である。
格差問題(相対的貧困)の問題を解決するためには、というか政治的な問題はなんでもそうだけど、合意形成をしないといけない。
つまり求められているのは「富裕層を説得できる論」や「富裕層を説得できる論者、政治家」なんだけど、所得転移を唱える人々は、どうもその部分には本当に関心がないようだ。
「格差を解消すべきなのは火を見るより明らかな正義なので説得の必要なく相手は合意すべき」みたいな傲慢さがある。これって結局、ここ十年露呈し続けてきた、左翼の高慢の限界なんだけど、なぜかそこをどうにかしよう(つまり説得できるロジックや政治行動をしよう)という行為が、全くない。
その代りに「こういう理屈が分からない政治家は馬鹿だ」とかいう見下し節が始まるんだけど、いや、その見下しをしてすっきりする(するのか?)以外にどんなメリットがあるんだよ。
いまの格差解消議論において、所得転移とひとことでいうけれど、高額収入者を説得できるような論がひとつも見当たらないっていうのは、本当に不幸なことだと思う。
確かに洪水起こしたり建物壊したり放射線吐いたりってのは東日本大震災的で、
「発生した事象」が東日本大震災を重ねあわせている事は確かなんだろうけど、
今回のゴジラは「解決しないでおくと際限なくでかくなる問題」という性格が与えられているし、
その根底にあるのは一人の人間の憎悪と、多くの人間の苦痛が設定されていると思う。
そう考えた理由は、ラストシーンの尻尾が、自分には「苦しみ悶える人間を縒り合わせて作ったのがゴジラである」という表現に見えたからだ。
最初は本当に何がしたくて暴れてるのか分からない感じで暴れていたゴジラは、
一時姿を隠した後、憎悪の塊のような形相の第4形態に変貌して姿を表したわけだが、
あの一連の流れは、ゴジラの思考というか、因果の存在を感じさせた。
あそこで民間人を見捨てられず、まだ弱い間にゴジラを殺せなかったことで、大河内総理は後の災厄の芽を摘みそこなった。
芽を摘めるのは人災だけだ。
自分の受けた印象だと、何らかの理由で不満を爆発させて無軌道な破壊をエスカレートさせた人々(第一形態、第二形態、第三形態)が、
強く対処できなかった事によって手のつけられない災厄となったものがゴジラ(第四形態)であるという感覚から、
ゴジラは「格差問題、民族問題等の、東京に住む虐げられた(と本人たちが感じている)層がテロリスト化する現象」の暗喩に見えた。
そんな感じ。
政治の世界って基本、自分に塁が及びそうになると、必ず他人や社会のせいにするよな。
将来が不安なのは他国の軍事力増強のせい(=他の集団のせい)。
保育園不足問題は地域住民が園児の声を騒音扱いするから(=社会のせい)。
不利益を他人や他集団に押し付けることで回ってるところもあるし、
結局、他人のせいにせずに努力しろ、と言ったところで、俺らがやれることと言ったら、
原発問題も、男女差別問題も、恋愛格差問題も、ブラックバイト問題も、
全部誰かが不利益を避けて、その不利益を誰かに押し付けているから起きてるんだよ。
そりゃそうだ。みんな仲良くし平和にWIN-WINなんてあり得ないものね。
どうもこんにちは。反表現規制派として有名である山田太郎議員への比例区への投票を呼びかける声は投票日も近づいてきた事からか、日に日に高まってきています。特に今回は投票年齢が18歳に引き下げられてから初めての国政選挙という事もあり、ネット上では熱気を帯びてきており注目に値する事だと思います。個人的には当選してほしいものです。私も比例区では入れました。
最初に一言だけ。自分は政治には全くの素人で、wikipediaやネット上のニュース記事程度しか漁らない程度の浅い人間です。ツッコミどころは多々あるでしょうが、そこら辺はご容赦頂けると幸いです。あとはてブへの投稿も実質初めてですので至らない部分も多いです。すいません。
さて、タイトルを見て「山田太郎議員を否定する記事なんじゃないか」と思う方も少なくないでしょうがその意思は(全くではありませんが)有りません。むしろ支持者層についての感想と疑問がメインのテーマとして書かせていただきます。
山田議員の名前がネット上で大きく取り上げられるようになったのはいつ頃だったでしょうか。私の環境だと1年半前くらいからだと記憶しています。国会内でも秘密保護法の制定など小さくない動きがある中、独自の路線でアピールする山田議員はいつしかかなりのネット有名人になっていって行きました。従来の反表現規制派とは異なった考え方もその要因でしょう。私個人としても「オタクのために戦ってくれている議員がいるのか」とその存在を知った時にはある種の感動を覚えたものです。やたら所属政党が変わってたのが気になりはしましたが。
その山田議員も前回の当選から参議院議員の任期満了を迎える季節となり、再選するために選挙へのアピールも少しずつ増えてきました。おおさか維新の会を入党から2日で離党するなど危なげな動きもありましたが、新党改革の統一名簿から全国比例区で出馬する事が決まり(小政党ではありますが)全力で当選するために選挙活動を始めるスタートラインに立つ事が出来ました。元々所属していた旧みんなの党の分離・政界再編の激流に巻き込まれる、という不運が無ければ一番良かったのでしょうが。
それで、本題の山田議員支持や投票を表明するネット上の支持者の話です。ネット上(主にTwitter)で見る限り、全国比例で山田議員個人への投票をお願いしているのが基本のスタンスのようです。まぁ全国比例区で出馬しているのですからそれは当たり前ですね。ただ、ここからが私の疑問点で、選挙区に関する話題が全く出てこない、それどころか野党議員叩きを山田議員支持と一緒に発信してる人間も少なくない、という点です。野党叩きに関しては仕方ない部分もあります。そもそも山田議員がメインとして話をしているのは表現規制反対であり、野党共闘が(これは統一候補によってかなりバラツキがあるでしょうが)主に格差問題や経済問題、先の国会で成立した安保法制への反対など被っている部分は(主観ですが)かなり少ないように思えます。被ってる政策がなきゃ組いる必要ないしね。個人がそれに関してどう反応をするのは、個人個人の考えであり私が口出しする事ではないでしょうし。自分も「反安保や反原発だけ言ってるだけで自民に勝てるわけないだろ」とか「戦争反対とかお前いつも同じ事言ってんな」とか「あんだけ分裂合併繰り返して一人区の半分しか統一候補を擁立できなかった民進はまず身を固める事から始めろよ」とか思ってます。ぶっちゃけ。
ただ選挙区によっては事情が異なります。選挙区の野党議員が反表現規制派である場合において、特に一部議員は山田議員自ら「表現の自由を守ってやってきた先輩議員」と発言しているにも関わらず多くの山田議員支持者から「もしあなたの選挙区で反表現規制派の議員が出馬しているならば、投票して頂けると有難いです」とか「議員一人の力には限界があります。少しでも山田議員に共闘者を」とかそういう発言が全くと言っていいほど出てこないんです。(ソース:http://getnews.jp/archives/1479281)
山田議員自身も「政党人には党議拘束もあるからどれだけ力になってくれるかわからない部分もある(要約)」って事は言ってます。民進党もなんか逆風っぽいと捉えられかねない公約も出してしまってますし。それでもこういった党所属の反表現規制派議員の存在を無視して野党総叩きをしている人を見ると私は違和感を感じてしまいます。別に野党議員に投票してくれなんて言いません。しかし特定野党に所属しているというだけの偏見で、その議員への投票をするという可能性を消してしまうのがどうしても私は違和感を覚えてしまうのです。要は「まず選挙区の議員の公約を大規模政党だけでもいいので見てから判断しようよ」ってのを私は言いたいんです。それをしっかりしてからなら自民党でも民進党でも幸福実現党でも真理党でもいいので「良い」と思った議員に入れて下さい。選挙区の議員の公約を見るくらい5分10分で終わる話でしょう?まずは偏見を少しでも減らす努力をしてから投票に行っても遅くないのではないでしょうか。「いいな!」って候補者がいなければ選挙区は白紙で比例区にだけ投票したっていいんですから。
小学校の時の読書感想文の一つのパターン、特に環境問題や道徳について書く時は、「私たちは豊かな生活の中で、何かを忘れてしまったことがあるのではないでしょうか〜」みたいなものがあった。
2000年代の最初から終わりにかけて小学生だったが、沢山こんな文を見た。
年越し派遣村など、あからさまに非正規雇用が問題化する以前ならもっとこんな書き方はあったはずだ。
格差問題がどんな新聞にも登場する今はこんな能天気なこと小学生に書かせる大人なんて殆どいないだろう。
金を追う必要性がない。毎月12万円が振り込まれて、出来ることがないから本を買って読むだけである。
そして、小さい頃から金で苦労していないからなのか金の無力さすら感じる。
金を稼いでも容姿が綺麗になんかならないし、愛されても金が愛されるだけなのである。薬は買えても、持病はなんだかんだ治らないのだ。
父親が死んだ時が一番まずいのだが、自分がどうこうできるものでないのだ。
できる限り生きるように祈るしかない。
親がまだ金を稼ぐ自分は、どっかのブログサービスを見ても思うのだが、よくみんなこんなにも金を欲しがるなと感じてしまう。
アフィリエイトやらで小銭を必死に拾おうとするというは馬鹿らしい。
とにかく金が自分を救ってくれているのだろうが、これ以上救ってくれる気がしない。
今一番人間に求められているのはまともな容姿だろう。その次は金だ。
自分の通うゴミ大学の新設される予定の豪華なスクリプトで盛られたホームページを見ると、容姿の良い人間しか写していない。
大学自体が容姿がいいことと、学費を払ってくれることが人間の要件であることを教えてくださるから素晴らしい。
とにかく、AOや推薦やらの何も考えていない人間が殆どの年間200万円の学費の糞学部から抜け出さなければならない。
批判されるべきかどうかじゃなくてただ単純に悪手なんだよ。
フェミニズム的には「今の社会には問題(男性優位)があるんで変更したい」わけ。でも、フェミニズムってのは勢力的には現在小さいんだ。というか、小さいから現在社会はこうなんだ。弱者側なんだよ。
ってことはフェミニズム主張の願いをかなえるためには、他の様々な勢力と協力し合って一時的にでも発言力を増していかなきゃならんわけ。
その時に「フェミニズムは女性の格差問題が専門なので男性弱者問題とか知りませんよ」なんていってたら、それは政治的に悪手だよ。ましてや「男性は今まで言い目見てきたんだしざまあ」とかいったら話まとまらん。
だってどう考えたって「女性だけを救う」よりも「経済的社会的な弱者全てを救う」のほうが優先問題だし、賛同者を集めるのに都合がいい旗だもの。だいたいの話、むしろそっち(格差社会)が今の日本の社会情勢から見れば平等問題の本流であって、フェミは亜流に過ぎない。本流に泥かけてちゃ運動が立ち行かないよ。
フェミニズムがとにかく男にかみついてスカッとしたい狂犬病のたわごとではなく、本当に男女同権を目指す真摯な運動であれば、せめて「男性の中にも不当に搾取される経済弱者がいるのは、父権社会のゆがんだ責任制度がブラック企業などを生んでいるせいです。男女同権運動をはじめとする雇用問題対策に取り組むことによってフェミニズムは格差是正に貢献できます」くらいのことはいうべきなんだよ。それが本心かどうかは別にしてもね。
≫y_yoshihide もう一度書くけど、女性は得てして結婚相手の選択基準に収入を置く+子育てのために独身税は当然=キモくて金のないおっさんは「当然のこととして」可処分所得を減らされてさらに結婚から遠のき、男性の二極分化が福祉経由で拡大していて、さすがにノルウェーの男女平等白書的な資料でも1ページ割かざるを得なくなった、という話なわけだが。
大石陽@聖マルク@stmark_309
≫kyslog それって「女性の収入が低い」のが前提になってるのが原因じゃないのか? つまり、一人では暮らしていけないから、共同生活を送るにしても相手の収入を考えないといけない、という。女性が当然のように男性と同等に稼ぐなら、男も妻となる人に収入を求めると思うけど。
≫stmark_309 自分もその可能性を検討したんですけど、現実には高収入女性は自分と同等かそれ以上の年収の男性としか結婚しないという実証データが出てて、橘木俊詔という格差問題の専門家による「夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち」という本で「パワーカップル」と称されてます
≫stmark_309 上の本は格差研究が主眼で男女問題はたまたま行き当たっただけというスタンスの本なんですが、それだけに並みの男性より稼ぐ女性は人並ならず稼ぐ男性を狙っていき人並みの男性は相手にしないという傾向が否定しがたい形で出てます
この話って女性の上昇婚志向と女性の社会進出の不整合により自縄自縛に陥る(相対的な問題なので絶対的な枠の拡大が出来ない)って話とセットなんだけど、そういう話の大前提が抜けてて、なんでフェミニズムとの摩擦になるか全く説明されてないよねこれ。
ここでまとめられている人が前提としているコンテキストを補足しておきましょうか。そうでないと話が分からない。 ①観測事実 結婚相手に求めるものについて、男女共通のものに加え、女性のみ相手の年収は自分より上であるべきという嗜好を持つ(出典:出生動向基本調査)
② 1より、収入の男女平等が実現されると、高年収の女性ほど自分の求める男性の数が少なくなり恋愛敗者となる(有名高齢フェミニストから実際それを悔悟するような空気も)。同時に貧乏でキモいおっさんもマッチングから外れる
③恋愛敗者となった女性は、いい男の2番目・3番目さんのほうがマシと考えシングルマザーになろうとする。経済的負担を回避するためにシングルマザー福祉を求める。財源はシングルマザー以外、いまり独身男である。④上記方向の結果として、キモくて金のない“すでに負けた”おっさんを、税金経由でイケメン高収入男性の子に貢ぐ社会制度でさらに奴隷化することになる。このシナリオは北欧では現実に観測されている。
「キモくて金のないおっさんを救え」というより、「いい男の二番目さんになれる制度を実現した場合、ただでさえ哀れなキモくて金のないおっさんを税金でさらに痛めつけることになるから、さすがに可哀想すぎる」という話なんですな。ここでまとめられている人たちは、シングルマザー支援は反対だが、高収入女性が貧乏イケメン・フツメンを専業主夫として養うなら問題ないという主張の人たち。
私自身はフェミニズムとの対決なんてものは全く興味なくて「全ての人が幸せになれる福祉の在り方」に興味があってこの界隈のデータと接しているのだけど、データの部分だけ無視されて感情論で「フェミは馬鹿だ」「いや反フェミが馬鹿だ」と罵り合う構図が我慢ならず、データを中心にたくさん書かせていただきました。
子育てによる労力負担を考えると、男女平等と少子化対策、格差問題に対する対処を全て並立するようにするには、キャリアに乗り始めた若い女性が覚悟を決めて低収入男性を専業主夫化するつもりで養う、という答えくらいしかないんですね。これはフェミニスト側の海外事例研究でもあった議論です。
全ての人が幸せになれる選択が取られない場合、ごみ処理場のように輪番で不幸を回して公平性を確保して、それも不可能なら最後の手段として最大多数の最大幸福でケリをつけるのかなあ……と思ってます。
散々書いてるけど私は人権主義の観点からまともに全員の人権を守ろうとするとフェミニズム的な主張が反人権的な結果を生むことがあると書いているだけで、男性側にジェンダーと結びついてかかっていた社会的圧力を女性も分担することで完全なジェンダーの平等が達成されるという、男女平等主義なのでそこはご理解いただきたい
岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物がtwitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。
これが非常に面白いのだ。
そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性と彼氏彼女の関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。
もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的に岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得だ自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。
しかし、この暴露漫画がtwitter上で話題になると岡田氏批判と擁護が拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)
何故なのか?
この疑問こそが僕の出発点だった。
僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定派である。
のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。
何故、岡田氏擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。
これこそフェミニズムとネオリベラリズムのねじれ現象だと思うのだ。
批判派の論理はフェミニズム的思想によって行われ。擁護派の論理はネオリベラリズム的思想によって行われているのだ。
しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムとネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)
もちろんフェミニズムもネオリベラリズムも一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニストは基本的に自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム的思想とも
フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史、伝統、文化、国家などを解体し国境や国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争し貿易し取引し資本を儲けるという考え方なのだとしたら、
フェミニズムにとって邪魔な伝統や文化、家や血、身分や階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。
つまりフェミニストの大半はおそらくグローバリストでありネオリベラリストなのだ。
ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。
岡田氏擁護の論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性の自己責任であろう、と。
これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。
さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。
最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである。
そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い。
フェミニストがネオリベラリズムに正当性を与えネオリベラリストがフェミニズムの理論を武装したのである。
ネオリベラリズムの思想のなかには間違いなくフェミニズム的思想を取り込んでいるし。フェミニズムのなかにもネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。
しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループの人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムとネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)
そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。
もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感で不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田はパワハラで性暴力で女性の敵! といった意見)岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想に正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずにはいられないのだ。
これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。
歴史、伝統、文化、国家からの開放という理念、男性社会からの開放という思想は
国家主導の経済政策ニューディーラーやケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストをフェミニストは利用し、
男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用や外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。
そして行き着いた先これである。
自由と平等を過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ。
クルーグマンもスティグリッツも最近話題のピケティも言っている格差問題はネオリベラリズムによるところが大きいが、
フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。
ネオリベラリズム的政策に正当性を与えたことは言うまでもない。
僕は今フェミニストがネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストがフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。
だからこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズムの思想によってフェミニズムの目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食にさらされるという事であっても……。
別に男と女が対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?
フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田氏擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定し資本による自由平等を批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分で自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ。
家や見合いを否定し自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。
金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的な帰結だろう。
このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間や岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。
男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。
弱肉強食と男女平等が共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストとネオリベラリストの理想郷であることは疑いようもない。
朝日新聞の特集から7年ほどたったのでロスジェネももう40前後。
最近は景気回復したからか、格差問題や貧困問題ってめっきり報道されなくなったようだけど、
俺は大学院を中退して派遣社員をして、いったんは派遣社員よりも給料の安い正社員のクチを見つけて就職した。
数年も勤めれば給料も良くなるだろうと楽観的に考えたが、社風が全然合わず(社長の奥さん=専務がパワハラ体質)で、
9か月で辞めることになった。
今は契約社員だが、独り身でぜいたくしない分には何とか食っていけるレベル。
育英会のローン返済が厳しく、大病したり、親に介護が必要になったら、と考えると不安になる。
介護保険が取られるようになったら、もうちょっと家賃の安いアパートに引っ越すことも必要か。
ここ最近、以前はウンともスンとも言ってなかった派遣会社から仕事紹介のメールや電話がうるさくなってきた。
企業は人材確保に必死というが、それは新卒レベルのことで、やっぱり景気に応じて派遣で人員を調整するんだな。
趣味を通じて、異業種の同世代の友人もできたが、みんな車持ってて、家族もいて、10万以上するロードバイク持ってたり、すごいね。
同じ契約社員の同僚は20代だし、実家暮らしだし、給料安くてもそんなに無理はしてないっぽい。
これから、俺はどうやって生きていけばいいのかな。
そのライフスタイルを共有させてくれないか。
仕事が出来たとしても短期間で確実に首になる補充の人の扱いは
ってわざわざ書いてあるのに完全スルーして
「正社員が人らしく生きる為には非正規との平等()など守る必要はなし」と断言するって、どこからどう突っ込めばいいんだ?
それともこれが釣りですかtopisyuさん。
どーでもいいけど、それで補充雇ったらいよいよその妊婦たち用済みだよね。
その補充の人の方が仕事出来たりしたら(と言うか現状で妊婦がろくすっぽ働いてないなら余程ハズレを雇わない限りそうなるわけだが)尚更。
そして産んで休職終わって復帰する頃には「あいつ帰って来たら補充の人がいなくなって困る、退職すればいいのに」ってなるよね。
それに対してやれマタハラ!って騒ぐのは簡単だけど、なら仕事が出来たとしても短期間で確実に首になる補充の人の扱いは
はてなーがいつも騒いでる「正社員と非正規の格差問題」じゃないの?そっちはいいの?
と言うと、じゃあ補充の人も正社員としてずっと雇い続ければいいじゃん!と言い出す人が出て来るんだろうけど
そうなると人件費負担がその分増えるわけだからどこかに皺寄せが来るよね。人件費は空から降って来る訳じゃないから。
恐らく、他の人の給料を減らして人数分を賄う形になるよね。