はてなキーワード: 格差問題とは
結局これは、男はじじいになると価値がなくなるが、女は年を取っても社会にとって存在価値があると思しき生物学的事実に、恐れおののいている人たちが、必死にあげている悲鳴なんだろうな、と。
(寿命の長さ男女格差問題、そもそも生物にとってメスが本体であり、オスは生殖の道具として発明されたものにすぎない問題、蟻などもそうだが社会性が高くなると、メスは生殖以外に存在価値を持つようになる(閉経というシステムが備えられている)が、オスにはそれがない上、精子はそのシステム上経年劣化してしまう、等々)
そうでないと聞いてもらえないから。まず聞いてもらうことが大事だから。
でもそれゆえ女性に対する無差別攻撃の様な形になってしまい、結果問題の内容に耳を傾けてもらえなくなり、悲鳴の内容が解消される日は来ない。
おぼれる者が、どこが水面かわからず、水底へ向かって泳いでしまうこの手の問題は、局所最適による失敗の一種なのかな、と思う。
人間は上手く出来ていない。
地方と都会の文化格差問題、低学歴と高学歴の文化格差問題ってのは、全てが後付けであって、見ようとしたから見えたものなんだと思う。
インターネットってのは、決して開かれている公の場なんかではなくて、基本的には自分の「一般」世間と他人の「一般」世間の文化闘争。
たまにはてな見てても、本当に抽象の言葉を使って、自分の考えを抽象の次元で語れる人なんて殆どいなくて、基本的な構造は、自分の見識を、さも一般性があるような言葉を使って、自分の考えを高尚なものに見せかけるレトリック。「一般」の次元で語るのと、「抽象」の次元で語るのは違う。いわゆるディレッタントの手口というか。「低学歴と高学歴」みたいな話題も、それが簡単に自分の体験談を落とし込めるから何回も流行っているだけ。
どうして「地方と都会」「低学歴と高学歴」「ヤンキー」「ロードサイド」のような話題が自分の体験談を落とし込みやすいかというと、それが学業の世界に属していた時に、「テストの点数」や「進学先」っていう明確に優劣を計れる物差しがあったからであって、尚且それが日本人である限り義務教育のおかげで、誰とでも共有できる体験だから。
そこにあいつらと俺は違うっていう只の二元論の選民意識と、あーそれわかるわかるって共感してさも一般論のように自分の選民意識の小さな偏見体験談を語る人たちが寄せ集まって巨大な偏見の渦と化しているのがキモい。確かに地方と都会っていうカテゴリーは現実に存在するんだけど、それが文化格差から始まって、選民意識になってる小さい自尊心がキモい。
たまにはてなに感じる気持ち悪さって、存在しない格差を、あたかもそれが存在するかのようにレトリックで作りだすエリート選民意識なんだよね。要するに、「あいつらと俺は違う」っていう小さなプライドが、この低学歴と高学歴の文化格差問題の全ての元凶になってるわけ。
俺は、俺の思想にしたがって、彼らの存在を可能な限り正しく把握し、そこに感情的色彩を挟まない努力をしなければならない。「あれはバカで、どうにもならない」でかたづけてしまうのは、俺にとって敗北だからだ。
この辺が特にキモい。まるで自分だけ一人安全地帯に逃げ込んで観測者ぶってるのがキモい。
彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚である(LINEは使ってないんでよくわからん)。
こういうのって、学歴とか、あいつらはこれを知っていて、俺らはこれを知っているからあいつらとは違うっていうしょーもない二元論で語るのではなく、バカをさせてしまう構造的な側面から語らないと、只の偏見と差別の羅列になると思うな。
(参入障壁が低い)低賃金(単純)労働市場しか雇用先は残りません
(新聞配達女子は、10代にして、下側に行ってしまったということです)。
上側は、参入障壁が高い分賃金も高いのですが、しかし雇用の絶対数が少ない。
下側は、参入障壁が低い分賃金も低いのですが、雇用の絶対数は多い。
一見すると、一長一短に見えるかもしれませんが、重大な側面を見落としてはいけないと思います。
そう「下側は、競争が極めて激しく、世界中の労働者がライバルとなる」という事実をです。
都内のコンビニや居酒屋の店員はほとんどが外国人になっていますが、その領域がどんどん拡大すると思ってください。
で、俺が「脱社畜のブログ」を見るたんびに思うのが、まさにこれな訳。「脱社畜したサラリーマン」が「(参入障壁が高い)成長産業市場」にほんとうにいけますか? ってはなし。断言しても良いけれど、日本のサラリーマンの8割は、そっちにいけないよ。
上の文章では、「(参入障壁が低い)低賃金労働は競争が厳しい」みたいなことを書いてるけれど、「(参入障壁が高い)成長産業市場」だって別の意味で競争が激しくなることは予想に難くない。+いままでよりもそっちに行きたい人が増えるんだから、ハードルがあがる。そう、まさにその「行きたい人が増えて、ハードルがあがる」という時点で、キツイと思うよ。
何らかの技術を身につけるってのは「(参入障壁が高い)成長産業市場」にいくための手段なんだ。そんでもって「(ほぼ自明である)手段を選べる」ってのは、これはもう、性格とか性向の問題。日本人は「毎日競争の中で生きる」ことに、あまりにも慣れていない。それは戦闘能力ではなく、むしろ、緊張感を持って生きるという、サバイバリティに近いものだよ。
いま、経済的に格差があるという現実、いわゆる格差社会問題というものがある。その事実は認める。それを解決したいと思う人が相当数いて、さまざまな側面から望まれているのは、判る。俺だって穏便にそれが解決されるのであれば、解決したいと思う。
しかし、この問題のポイントは、アホなやり方で解決しようとするとかえって格差が広がり、その格差問題を社会にまき散らかしてしまうことだと思うんだよ。経済的な格差をへたくそに解決しようとすれば、経済的な格差は社会のあちこちに飛び散り、より大きな問題になるだろう。さらに悪いことに、そのとき経済的な格差はさらに大きな毒を連れてくると思うよ。
「脱社畜のブログ」に頻繁に現れる「イノベーション」ね。経済雑誌にも良く登場する。あいつら本当に「イノベーション」なんて起こせると思ってるんだろうか? もちろん、確率的な問題で言えば、世界中でイノベーションは起きてるし、起き続けてるよ。絶え間ない改善だの革新だので世界は進んでいる。でも、まさに個人の問題として、本当に引き受けるつもり、あるのかな? たとえばある増田が「(参入障壁が高い)成長産業市場」になんとか潜り込むことが出来たとする。そこで言われる「さあ、イノベーションを起こして下さい。そしてこの会社の(企画の、プロジェクトの、業界の、部門の)生産性を150%にしてください」と。
断言する。それって、才能なんだ。8割以上の人間には「イノベーション」なんておこせない。
俺は幸いそういう業界にいたこともあるし、周辺で「イノベーション」が起きるのを見たことがある。自分でも小さいながらいくつかのそれに参加したよ。「イノベーション」ってのは、ざっくりいってしまうといま日本で考えられているいわゆるサラリーマンのする「仕事」じゃない。サラリーマンという身分の中で行う「クリエイターのデザインワーク」に近いものであり「政治的な構造改革」だったりする。その事実の重さを、「脱社畜のブログ」だのはどうにも茶化しているようにしか見えないんだよ。
話をがらっと変えるけれど、Pixivを見てみる。
この20年で「イラストを描く」という行為の敷居はぐっと下がった。パソコンによるデジタルな彩色なんかのと有情で、効果な消耗品である絵の具などはすっかり減ったし、なによりイラストSNSなどがこうやって大きくリュウセイし、人に見せる環境がととのって、ネットには教材が溢れた。日本の創作系の力は、全世界で見ても異常だよ金ももらってないアマチュアがこんなに上手で、しかもその数が莫大なんて、ちょっと珍しい。まぁ、それはいいとして、システムが整備され、敷居がすごく下がって、参入者が増えた。
で、そこに現れたのは、平等な楽園かというと、そんな事ないわけだよ。
創作系ってのは非常に無慈悲に出来る、出来ない、魅力のあるなしが峻別されてしまう。いまや、イラスト1枚書く障壁は神のように薄い。てもとにあるノートの切れ端に落書きをしてスマホで撮ってUpしてもいい。WinだのMacだのに標準付属してるようなお絵かきソフトをつかいマウスで20分でかいたのをUpしてもいい。事実「そんなもの」が大きな魅力を持って人気を集めるなんてままある。その一方で、Photoshopをはじめとしたン10万円のソフトを使っても、ブックマーク数1だの2だのって現実も同時に存在するんだ。
現れたのはこういう現実だ。
日本の労働環境は確かに劣悪かもしれない。むかつくかもしれない。ある種の地獄かもしれない。でも、それを壊したからってマシになるとは限らない。「社畜が自己弁護」とか「ブラック用語」と言われるかもしれないけれど、これが素直な感想だよ。ブラックで使われてる人たちの、少なくない割合は、ブラック企業に守られている。身体だの精神だのを切り売りさせられてるかもしれないけれど、少なくとも「俺は本当ならもっとクリエイティブですごい仕事が出来るんだ」という幻想は、守ってもらえている。「イシキタカイ系」の人たちは、その事実をもうちょっと考えた方が良いと思うぜ。
太平洋戦争で日本が侵したミスのうち、前段の甘い判断「中国と米国を同時に相手にしたこと」
は現代戦略史において指導部の無能ぶりと、教訓を示す教材となっている。
ケンカでも武道でも戦争でも、またビジネスでも「1度に戦う相手はひとり」の鉄則がある。
『二方面への同時対応は絶対にやってはならず、
二者と戦うなら、一方との戦いが終わるまで片方とは手を結ぶフリをしなければいけない』
間違っても戦争にはならないが、日本が失うものは多く、実質的な発言権を削がれ
二島の問題を処理出来ないという弱みが明瞭になる。
今はすでに止められる雰囲気ではなくなっている。
■二方面対応を仕掛けて得をするのはダレなのか
今回、訪米中の石原都知事が尖閣の問題を持ち出したタイミングと
三国のだれが領土問題で得をするのかどうか、マスコミは全然報道しないし、討論もない。
中国が尖閣を欲しがっているのは事実だろうが、時期的には今である必要は全然ない。
むしろ自国の力がさらに上がり、日本がもっと弱ってからでよかった。
だから中国としては『なんで今やるのか!?』とかなりイラついている。
歴史的にずっと棚上げされてきた問題を、なぜこのタイミングで持ち上げる必要があるのか?
国同士の駆け引き、問題には必ず利得が絡んでいるが、現状で得をしているのは
せいぜい、国内問題の不満・うっぷんを向けさせる程度だろう。
具体的に言えば、
・日本 原発問題から目を背けさせたい原子力ムラの面々と支援者
・中国 慢性的になりつつある格差問題から目を背けさせたい党中央
いずれも紛争に発展しえる問題(リスク)を、メリットに繋げる理由としては弱い。
あえて領土問題を引き起こす理由に足りるのは、調停者として登場することで、
日本・中国・韓国の接近を阻み、極東での影響力を維持したいデバガメ的な米国の勢力だろう。
二方面対応にならなければ日本は困らない。調停者を呼ぶ理由にもならない。
歴史的に同じ轍を踏むだろうと見越した連中に、
二方面対応の罠をかけられ、まんまとはまり込んでいるのが今の日本の姿である。
自分は日本国民なので当然、尖閣も竹島も正式に日本国の領土であるとしてもらいたい。
現代の戦争は完全な経済行為だから、勝ったとしても恐らく赤字である。(弾>>>魚)
だから、勝つつもりなら最低でも50年計画くらいは建て欲しいと思う。
901 ソーゾー君 [] 2012/04/01(日) 19:32:35 ID:00jU5gMEO Be:
先ず分けて徴収を廃止。
所得税として一括で徴収する。
受給額は憲法にあるように「国は国民の最低限の生活を保証する義務」
があるのでこれを実行させれば良い。
公務員の給与は国は国民の最低限の生活を保証する義務に基づいて決められてるからな…
十数万で生きていけと?ボーナスもないぜ?
財源は十二項目を見たら解るわな…腐るほど用意できる…
それを規制し減らす法を作れば良い。
「それが諸悪の根源で有る事を伝えれば良い」
年金の支給額は三十万有れば足りるだろ?
最高所得定めたら雇用問題も社会保障問題も格差問題も解決するよ?
銀行家は下ばかり見せて誤魔化すのが得意です。
最低所得だけで議論する…税制も庶民=労働者だけを見せて議論する。
上で見たら何をすべきか解るよ…貧しさを比べても意味が無い…
「アイツよりマシだから良いか…」と思わせて生活水準を下げていく…
「給与は下がるわ増税はで生活苦しい?え?公務員の給与が高い?
ですよねw天下りや特別会計は維持したまま公務員の給与を下げますねw
またお前達愚民の給与が下がったら公務員の給与下げるから心配するなw」
↑後2~3回繰り返したら破産するよ?騙されてる事に気付よ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
私の大学に企業の推薦内定を受けておきながら、他企業の自由面接を並行し、最終的には推薦内定を蹴って自由に行った人間がいる。説明しておくと推薦応募をする場合には自由で内定をもらったとしても、推薦で内定すればその企業に行くのが暗黙のルールである。ただし法律的な罰則もないし、それが元で卒業を妨害されたりすれば大学の問題である。これはいわば個人のモラルに依るのである。
一方で、これは企業側と大学側の見方であって、学生側から見れば推薦をもらった企業に必ずしもいけるわけでない時代に、推薦一本に絞らせるのは一方的に不利だとの見方ができる。本来、推薦というものは間違いなく学生が企業に入るのを保証するものであり、そのために自由を放棄するというのがあったわけだ。しかし、いつの頃からか企業は推薦を受けた人間を平気で落とすようになってしまった。これもまた、モラルに依る問題である。
要するに企業と学生、双方が個の利益を優先するようになってしまったわけで、なんとなく昔聞いた「共有地の悲劇」を思い出させる。これからの時代、こんなモラルによるルールはドンドンと崩壊していくのだろうか。今問題となっている多くのこと、雇用問題や格差問題など、を資本主義に絡めることは多く行われているが、こういった些細なモラルの消失による問題の言及はあまり行われていない気がする。モラルの崩壊は、今は凶悪犯罪や経済停滞には直接結びついていないかもしれないが、いずれ大きな問題となるであろう。貧すれば鈍する、この言葉を今の時代以上に感じたことはない。
http://anond.hatelabo.jp/20110924124133
このニュースで気になるのが、1000万人のなかの内訳。
学費や家計の足しにするためのパート、アルバイトの人間はどれくらいを占めているのか?
また、一家の大黒柱たる人はどれくらい占めているのか?
パートやアルバイトは年に200万円行かなくても普通だろうし、働く側もそれを前提として働いているはずだ。
だが、一家の大黒柱たる人が多数派を占めていたら、それこそ格差問題として由々しき事態だ。
年収200万円じゃナマポみたいな国民健康保険免除のような特例もない限り、まともな子育ても無理だろう。
夫婦二人合わせても400万円行かない。
これでは持ち家なども無理だろう。
年収200万円以下の給与所得者、5年連続で1000万人超 小泉構造改革で「ワーキングプア」増大が社会問題に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-20/2011092001_02_1.html
ワーキングプアの問題も、それはそれであるが、プログラマとしての実感は
小泉構造改革で「プログラマーの質が全体的(平均値)に下がった」
である。プログラマーだけでなく、IT関連全体に言えるかもしれないが。
ついでに格差問題で言えば、以前からIT関連の技術格差はレンジが広いと言われていたが、小泉構造改革でさらに広がったと感じる。
ひとくくりにプログラマーの特定派遣が質が悪い、とは言わないが、いい人に滅多に巡り会わなくなった。
金の切れ目が縁の切れ目、という事で、製品知識の継承が出来なくなった点。
プログラミングは、今、コンピュータの中がどうなっているか、通信がどういう状況か、などのイマジネーション力が無いといい物が作れない。もちろん、最終的に製品がどう使われるかにもよってプログラミングの仕方も変わる。それが分かっていない。だから、単価が安いからといって派遣や小さなソフトハウスに一時的に請け負いででも出すと、技術の継承が全く出来ない。
まぁ、現に、うちの会社では、今まで丸投げしていた結果、ソフトハウスが来なくなって、技術が空洞化、製品のメンテナンスが出来ないというお馬鹿な状況になっているわけだが。
大メーカーの某ライジングサンコーポレーションでは、正社員はほぼプログラミングしない。動作原理や周りの環境がどうなっているかを知らないまま、上流工程に行ってしまう。そして、プログラミングという下流工程を経験しない。非常に嫌な感じがするのは、この会社でよく使われる「上流」「下流」という言葉。本来、技術者レベルで見れば、単にウォーターフォールモデルの名前でしかないにもかかわらず、この会社や管理職・経営者から見ると「上流」が偉い、「下流」が下っ端、ととっているようだ。似た言葉で「上層(レイヤー)」「下層(レイヤー)」「高レベル」「低レベル」もあるが、我々技術者から見れば、アプリケーション層が上層、物理に近づくにつれ下層という意味でしかないが、会社や管理職・経営者からみると「上層」が偉い、「下層」が下っ端、と取られる。
話がずれた。
ワーキングプアも問題だが、技術格差も問題になっているよ、と言いたいのよ。
(あとは分かるよね。不具合・納期遅延発生→出来る奴に仕事集中→鬱→退社・自殺→まじめそうな奴に仕事集中→鬱→退社・自殺→必然的に出来ない奴が生き残る)
・若者、氷河期、ワープア叩き、マスコミの弱者蔑視が蔓延する理由
団塊どもは数が多かったので、激しい競争にさらされる人生を歩んできました。
従って、他人を蹴落としてはい上がることが至上の価値という価値観を持っています。
本来であれば社会において必要とされるスキルは「協力」ですが、彼らは「他人を陥れる」という、それに相反する価値を蔓延させた自己中世代です。
ワープアなどの弱者の問題は本来、社会全体で少しずつ我慢しあって分かち合うという方法が有効なのですが、強欲な団塊は絶対に自分の既得権を手放そうとしません。
そして、今や様々な分野のトップになってふんぞり返っています。
そう、おわかりの通り、マスコミの偏った自己責任論などの「弱者叩き言説」は、こうした自己中団塊の立場を正当化するために消費されているのです。
=これは団塊のせい。
要するに、多数派であり選挙に大きな影響がある既得権世代の雇用や保障を優先し、若年世代を犠牲にした結果が、良くない実態以上にさらに閉塞感をもたらしている格差問題なのです。
政治も選挙のことを考え団塊に媚びたために、被害が若年世代に集中した結果、経済の悪化、社会の閉塞感と言った問題を拡大してきましたが、マスコミも多数派である団塊に媚び、実態をゆがめて報道してきました。
この点、自民や経済界は当然責められるべきですが、では、はたしてマスコミや民主党、その支持母体の労組がこの問題を取り上げてきたか?と言うことを考えれば、彼らも共犯関係にあると言えます。
今までは公共心を持った世代の高い投票率で、まだ抑制されていましたが、これからさらに影響力を強める団塊世代は公共心など無い、私欲にまみれた徹底的なエゴイズムの世代です。
自分の利益を追求することを至上の価値と考え、他人を思いやる心に欠ける野獣のような世代が彼らであり、そのことは「日本という国家全体のことを考える」という左右を問わずに当たり前のことを、あたかも悪であるかのように主張してきた前科からも証明されます。
=もちろん団塊のせいw
数が多く、競争の中で生きてきた彼らは、他人を陥れるためならなんでもするという、禽獣にも劣る卑しい精神構造を持っています。
ですから、組織を円滑に運営するための人間関係構築の重要性が理解できません。
今やトップとなった彼らの価値観が現在の社会に蔓延していることが職場の閉塞感を高めています。そして、団塊どもは相変わらず「協力し合えない職場」の問題点を全く理解せずデタラメな対応を現場に強いているのです。
自分たちの無能を棚に上げ、現場に無理なコストカットなどの要求を繰り返してきた結果がブラック企業なのです。
=やっぱり団塊のせい。
しかし、いくら自民を叩いたところで民主が良い政党だと証明できるわけではないし、支持する要素にもならないと考えるのが常識。
しかも政権取ったとたんに内政も外交もダメ。景気無策、財政危機で結局国の借金は増え、そして増税という体たらく。
が、団塊どもの性質として、「とにかく負け組になりたくない、叩く立場になるのが最高」という腐った価値観があります。
だから、マスコミのメディアスクラムが起きると一斉にそっちに流されるわけです。
普段は「個性」「主体性」と喚き、また、協力し合うと言うことを知らない連中ですが、こういうときは結託して叩きに走ります。
それがこういう状況の原因の一つにもなっているのですね。
そして、注目したいのが世代問題。団塊とは一般に「1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代」を指しますが…
安倍(1954年)
福田(1936年)
麻生(1940年)
…
鳩山(1947年)
菅(1946年)
12億人が住むインドの一人当たりのGDPは10万円以下です。
日本は400万円です。
実に40倍の差がある。
それに比べて日本国内の格差問題なんて誤差の範囲内で本当に心からどうでもいい話です。
国境を超えた企業活動がかつてないほどさかんになっているからです。
僕たちは毎日のようにインド人が作ったコンピュータ・プログラムを知らず知らずのうちに使って、中国人が作った服を着ています。
日本のすばらしいグローバル企業もこういった国々に次々と工場を作ったりして多数の現地の人を雇用しています。
そして日本の何十分の一の所得しかない人達をどんどん豊かにしているのです。
当然のようにこのような人類のために働いている大企業は莫大な利益を上げています。
そして豊かになった途上国の人達は、こんどは世界の企業が作ったモノやサービスを買ってくれる大切な顧客になります。
僕はこのような国境を超えた企業活動を心から応援したいと思っています。
世界レベルでこのように貧富の格差が急速に縮まっているというのに、それを阻止しようとする卑しい人達がいます。
世界のために何も生産せずに、既得権益の上にあぐらをかく卑しい人間です。
保護主義を取って国境を超えた企業活動を妨害しようとする悪魔の如き政治家です。
しかし非常に幸運なことに、こういう愚かな政治活動は遅かれ早かれ失敗するでしょう。
グローバリゼーションというのは一種の自然現象だからです。
ミルクとコーヒーをカップの中で混ぜたあとに、それをまたミルクとコーヒーにわけることはできないということです。
同じ能力の労働者なら肌の色や国籍に関わらず同じ賃金が支払われなければいけない。
この経済の一物一価の法則が遅かれ早かれ全世界に広がっていくでしょう。
それは大変素晴らしいことです。
今の世の中は本当にチャンスに満ち溢れていると思います。
そして失敗しても困ることはほとんど何もない。
僕はこんな時代に生まれてきて本当に幸せだと思っています。
何百人もの申請があったとか言うデマがあったが、
デマを批判する側も「外国人が何百人も申請したのが事実なら悪い」のような前提を共有してたのがやや気持ち悪い。
仮に何百人も申請してたとしても、コピペでもあったように孤児院とかの子供なら何の問題もないだろうに。
子供がいるのにいないふりをして不正受給するならばれにくくするためにも数人程度の申請にしておくもので、即座にばれる嘘はかえってまずいこともわからんのだろうか。
普段外国人排斥を批判しワープアとかの格差問題に熱心なはテナーもほとんどは誰かを叩きたいだけで差別や貧困をなんとかしようなてことは思ってないんじゃないかと疑いたくなる。
あと「パチンコに使うから子供手当てはよくない」とかの意味不明な批判もあったが、外国だとパチンコなんかほぼないんだからこの点からは日本人より外国人にやるほうがいいはずなのに、外国人への支給を喜ばないのが理解できない。たぶんパチンコ云々はこじつけの理由でとにかく再配分・福祉に反対したい、民主党を批判したいってだけなんだろうけど。
歴史を軽視して恥ずかしくないのか?国語にも数学にも理科にも英語にも歴史はあるのに。
なぜ今不景気か、今につながる歴史があったからだ。共産主義が崩壊後新自由主義が世界に台頭し、規制緩和を繰り返して21世紀まで来た。規制緩和を繰り返したから富は裕福な国へ流れ、裕福な国の中でも中流以下の層から富裕層に流れ出した。それが格差問題の根本だ。派遣切りも少子化もこれらの歴史や問題点に目を凝らしていれば解決方法は見えてくるはずなのに、誰もそれに目を向けようとしない。
国民一人一人が歴史を不覚学び、経済を理解すればバブルを繰り返すことも無かったはずだ。しかし、それが出来ない。歴史を軽視しているからだ。
元増田の記事は邪馬台国だとか、俺が言っていることとは関係ないように思えるかもしれない。しかし歴史を学ぶ上でプロットとなる事柄だから騒ぎ立てるのはある程度仕方ない。それがどうでもいいというなら黙殺するのもありだと思う。だが社会化科目を削るだなんて暴言はあまりにも子供じみていて、発言者が社会人だとか選挙権を持っているとしたら目を覆いたくなるような現実であると言わざるを得ない。
経済格差を感じるといってもどうせマスコミ経由、それもほとんどテレビだろうからテレビに格差問題取り扱わないようにして金持ち(っぽい人)も出演させなきゃすむ問題と思う。経費も足りないんだから出演タレントアナウンサーの服装ももっと貧乏くさくしてそれが普通の服装であるかのように振舞わせておけばいい。CMだってサラ金パチンコと貧民向けになってるんだしちょうどいいだろう。あと金持ちの収入消費も統計に出にくくなるように相対取引みたいな感じでやって資産もほとんど外国に移しておいてもらえばいいだろう。格差問題とかいうけどたいていグローバルな格差はスルーするんだから金持ちは全部外国籍になってもらえばいい。
俺はいわゆる氷河期世代だけど、30前で証券勤務でそこそこ優秀だからこの時世でも給料は上昇ペースなんだけど、
ある一定の水準をこえたところから、税金稼いでるような気がしてきてアホらしいわけだ。
で、格差問題とかワープアとか少しでも良くしようと考えた時に財源はどうするのか?って問題があるけど、
団塊に重税かけるしかないだろうと。
↓所得移転
というのは自明だとして、家計のマジョリティを占める団塊に重税かけるのは当然だろ。
(団塊の世代がJGBを直接保有しているってこと以外に、資産運用している先の銀行でもヘッジファンドでもいいけど
かなりの部分がJGBを主たる投資対象にしてるって意味でね。)
世代間対立を激化させるステージにいきたい。
inspired by
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2009/01/post_4462.html
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51493213.html