はてなキーワード: 校正とは
かえってわかりにくくなるだけではないだろうか。
長さ L の導線に電流 I が大きさ B の磁場下で流れているとき、導線にかかるローレンツ力の大きさは BLI に等しい。ワット天秤では、この力が標準質量 m の重さ w と正確につりあうように電流を調整する。これは電流天秤の原理と同じである。 w は質量 m に重力加速度 g を掛け合わせれば得られるので、以下の式が成り立つ。
キブルのワット天秤では、B と L の測定に関する問題は校正ステップにより解決される。同じ導線(実用上はコイル)を同じ磁場で既知の速さ v で動かす。すると、ファラデーの電磁誘導の法則により、 BLv に等しい電位差 U が生じる。
U=BLv
未知の積 BL を消去すると以下を得る。
U, I, g, v を正確に測定することにより、 m の正確な値が得られる。この方程式の両辺は仕事率の次元を持っており、ワット単位で測ることができるので、「ワット天秤」の名前がある。
これを3行でまとめることは出来るだろうか。
できまい
正しいHTML
block__element__elementは使用しない
GoogleChromeなら変換時に右側に△マーク〜
連日のように新しい英語学習アプリの話題がホッテントリ入りするけど、
そもそも語学教育の専門機関じゃない、有象無象のwebサービス屋さんが収益目当てに作るアプリを
なんでそんなに絶賛できるんだろうか。
これとか典型的な例だけど。↓
http://www.yamamototetsu.com/entry/eng-app
まあ、ゲームでもするつもりで何となく英語に親しめればいいかなー?という人でも、
いいかげんな監修によって変な英語を刷り込まれる可能性はある、と考えるべきだ。
(余談だが、しょっぱなから英文法を軽視するような学習方法はあまり効率的ではないと思う。
算数の問題なら、四則演算を知らずに感覚だけで2次方程式や関数を計算するのは時間の無駄だと
誰でもわかると思うのだが、なぜ語学に関しては文法学習が嫌われるのだろう?
中学高校で習った文法の基礎は、必ず最短距離での理解を可能にしてくれる。
身の回りを見ても、この中学高校英語を完全に忘れている人が多すぎる。)
ここから本題の、スマホそのものが英語学習最強ツールだという話。
個人的な体験談に過ぎないけど、手間やお金を掛けない勉強法ではある。
自分の場合、過去20年以上ずっと日常的に英語を使う環境にいてadvancedレベルの語学力だが、
それでも日々、使わないと記憶から消えていってしまう語彙力に悩まされていた。
英字新聞は読むのに時間がかかるし、字幕なしだと映画は辛いなあ、という感じだった。
それが、スマホを購入した4−5年前から劇的に向上した。はっきり自覚できる変化だ。
しかも所謂学習アプリとか、有料のサイトなどは一切使っていない。
ポイントは、「興味のある時事ニュース」を「海外の報道ソース」で、
通勤中でも昼休み中でも、スマホひとつでいつでも手軽にチェックできるようになったこと。
例えば5年ちょっと前、Wikileaksのアサンジが英国で裁判にかけられた時は
傍聴人のジャーナリストが法廷内からリアルタイム・ツイートすることが許可されるという
画期的なことが起きていたので、
海外ジャーナリストやニュースメディアを多くフォローしている自分のTwitterタイムラインには
英語のtsudaり(懐かしい表現)が怒涛のように流れてきた。面白かった。
「アラブの春」が始まる頃にはAljazeera Englishのライブストリーミング・アプリで
エジプトのモルグから反体制派の死体の山を中継したり、リビアで砲弾飛び交う中でのリポートがあったり
日本のメディアでは絶対流れない映像と音声のオンパレードだった。
昨年のパリ・テロ事件では、フランスのニュースの英語放送France 24をアプリ視聴していて
リアルタイムで酷い事件が進行しているのにキャスターたちが冷静で、日本での報道とはかなり違った。
他にBBCやCNN、活字系ニュースならThe Guardianなども頻繁に利用する。
ニュースのライブ・ストリーミングをスマホのイヤフォンで聴くというのは
ヒアリング能力アップに絶大な威力があるなあ...と実感した。
自宅で衛星放送のCNNをTV視聴するのよりよくて、ひとつひとつの言葉が脳に直接届く感じで、
慣れるとどんなに早口で喋られても聞き取れる。
それに各国の英語放送を聴くことで、様々な訛り(アクセント)も聞き分けられるようになる。
仮に知らない単語が出てきてもスペルが想像でき、すぐ意味を調べる習慣もつく。
テキスト系ニュースでは、知らない単語やフレーズを辞書で調べる手間がワンタップなので、
また、そもそも世間で話題の海外ニュースについて、現地ソースから深い理解が得られるというのは
自分の好奇心も満たすし、友人との会話のネタにもなるしでいいことずくめ。
そんなことをやっていたら自然とネイティブとの日常会話でも発話能力が上がり、
「言いたいことが表現できずにストレスが溜まる」ということが減ってきた。
自分は50代前半。中年過ぎても英語力のブラッシュアップは可能だと気づけて嬉しいのだ。
繰り返すけど、スマホを使うようになったここ4-5年で、
残る問題は「英語を書く」ことだが、こればっかりはネイティブに校正してもらうのが一番いい。
(Gingerという優秀な校正アプリがあるけれど、これは中級から上級者でないと
サジェストされた言い回しのどれが正解なのか判断できないのが問題。
実際、Gingerを褒めそやす英語初心者のブログ記事を見かけたことがあるが、
例に挙げられていた英文が滅茶苦茶で破綻しているのに本人が全然気づいていなかった)
「書く」ときには、どうしても自分が知っているフレーズの使い回しでなんとかしようとしがちだが、
同じことを繰り返すと間違ったままで向上しなくなる。
まだ見てるかな…本当に本当にどうも有り難う。色々詳しく教えてくれて。実は、海外マスコミで日本に支局を置いている会社(BBC,AFP,WSJなど)や、調査会社(ピューリサーチなど)などは、レジュメを送ってみたんだ。何度か送ってみたけれど、「デキる上司が出来る後輩を連れてきた」みたいなコネクションが多い業界みたいで、厳しい状況でした。そこでジョブチェンジの人間が突入?する余地が…といった所でした。あと、話が逸れてしまうのですが、先日、職業適職診断テスト(GATB)を受けてきました。数字と言うのは残酷で、「自分の学歴」と「出来る仕事」がまるで真逆の物でした。いわゆる、簡易事務(聞いて理解する作業ではなくて単調な仕事)や動植物を扱う仕事(園芸や農耕など)といったものしか得意では無い様です。自分の好きな事・興味がある事と、現実的に出来る事・向いている事がまるでマッチングしない事に加えて、発達障害なために努力で云々が出来たら今頃とっくに適応できている、と言った具合だそうです。項目で言うと「K(共応)」が特に高くて、目で見たものを手で素早く動作する、みたいな事らしいです(間違い探しみたいな?)。校正みたいな仕事になるのだろうか…。色々進展があり、レスが遅れてごめんなさい。本当に有難う。
この組み合わせで仕事として本をまるごと一冊書いている人間としての感想。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardの組み合わせでMacbook Air最安モデルの約半額で、macの快適なキーボードを使って高速で仕事ができ、電源がない場所でも一日中問題ない。
iPadは消費電力がPCより少ないので、スマホ用のモバイルバッテリを持ち歩けば、24時間電源なしでいける。
実感として、iOSが仕事に使えないというのは、すでに過去の話になっている。(追記:ものを書くという仕事に関して使える/使えないを議論している旨をタイトルで表明している。他の業種については論じていない)
勤務先の事情によりつねにフルWindowsを使わなければならないという制限が外せる人は、重いノートpcとACアダプタをバタバタ持ち歩いたり、最近たくさん出始めている格安windows10タブレットにキーボードカバーやらをつけて、安っぽいキーボードの打ちにくさを我慢しながら使う必要はもはやないと思う。
現在の組み合わせにたどり着く前に、Macbook Air、Windowsノート、Windowsタブレット、Androidタブレット、Chromebook、Pomera DM100を買って使ってみたが、常に以下のいずれかの点で問題があった。
・携帯性と重さ
・キーボードの快適さ
・オフライン環境での使用(Chromebookは速くて快適だが、オフライン環境で起動するとログインすらできない)
・原稿へのスタイル適用(章タイトル・見出しのフォント変更、ルビ振り、レイアウト指定等)
特にキーボードの選択は、一日8時間以上タイピングを続ける人間にとっては致命的であった。現在出回っているMicrosoftのモバイルキーボードはAmazon等での評価が高かったので全種類試してみたが、打鍵の快適さはMagic Keyboardに比べると、どれも3万円前後の格安Windowsタブレットについてくるキーボードと変わりない。
携帯性と重さという点では、最初のうちはMacbook Airに満足していたが、やはりこの機械の独特のゴツゴツ感と肌触りの冷たさには最後まで抵抗があった。また、あのアダプタをつねに持ち歩くと、けっこうかさばるのである(あのアダプタの華奢な感じが携帯時に与える不安は、Macbook Airをずっと持ち歩いている人ならわかってくれるだろう)。
iPad miniの分解できるアダプタ&ケーブルは、カバンに入れるときに大きな安心感を与える。また、旅行中以外はそれすら持ち歩く必要がないことにあとで気づいた。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardで約530g、好みのケースを付けて600 - 650g 、
テキスト入力メインでの動作時間が体感で約8〜9時間といったところだ。
一方、最近話題になったキングジムの小さなpcポータブック XMC10は、本体重量が約830g、
動作時間は約5時間。本日付での価格.comの最安値は約9万円。
Surfaceをはじめとして、携帯性を重視したWindows機を最近各社がこぞって出しているが、サクサク動くスペックにして15 - 20万の価格帯を考えるとどれもライトユーザーにとっては高嶺の花だという感じがする。フルwindowsで1kg以下というのは、現時点でそんなに高い付加価値なのだろうか。
追記:
そういう評判をネットで読んでChromebookを購入して使ってましたが、オフライン環境で電源OFFから立ち上げるとゲストユーザーとしてしか使えず、いろいろ制限が多すぎて面倒なので結局売ってしまいました。(再追記:映像ありがとうございます。去年秋頃までAsus C200MAを使っていて、何回やってもオフライン環境では自分のアカウントでログインできなかったんですが、その後アップデートで改善されたという理解でよいのでしょうか。ちなみに、このエントリの著者です→http://anond.hatelabo.jp/20150927211800)
Google日本語入力はとてもよいと思いますが、問題は別の言語(欧文)との入力を組み合わせる場合です。Android端末と共通の問題ですが、特定言語(欧文)に特有でしかも頻繁に使う引用記号などがChromebookでは瞬時に打てません。OS全体の言語設定を変えても無理でした。多言語処理が一番まともにできるのがmacとiOSという消極的な理由で現在の選択肢に落ち着いています。
iPad miniのバッテリ残量:38%
自分の場合は、特定の仕事に必要な条件を列挙していって、あとのことには目をつぶったら消去法でこの組み合わせになった。最初はiPad miniなんて割高な情弱向けの端末だと思って、見向きもしなかったが、いろいろ試してみて結局現時点でこれが残った感じか。
出先であれもこれもやる必要がありそうだと考えて、「全部入り」を選択するとフルwindowsのノートになるんじゃないか。
その場合でも、価格/重量/バッテリー持続時間/キーボードやタッチバッドの使いやすさ等で、トレードオフがある。
あらゆるシーンでフルwindowsが必要だという考え方は、仕事に必要なものの明確化ができていないか、心配事が多くて、バッグにいろいろ詰め込みすぎて重くなってしまう事態に似ていると思う。
文章を書く時は横置き。iPad miniだと、縦置きでPagesを使うと字が小さすぎる。Wordのドラフト表示みたいなのができて、プレーンテキストだけじゃなくて、傍線を引いたりスタイル設定できるアプリがあったらそっちに乗り換えて縦置きで書くかも。
Thinkpadのキーボードの使い心地、自分も大好きだけど、やっぱり重量が問題。
歩き回って考える→カフェや図書館で座って書く→歩き回って考える
の繰り返しで書いていくので、バックパックに重いノートpc一式を入れて1日それをやると、背負い紐が肩に食い込んで痛くなってくる。
テーブルが高すぎる施設もけっこうあるので、キーボードだけを膝に置いて打てるのは便利。
タブレットホルダーやらをいちいち立ててセッティングするのが面倒ではある。
帰宅してから古くて大きい方のiPad + Microsoft Universal Mobile Keyboardでこれを書いてみたが、やっぱりこのキーボードは長時間執筆には向いていないと感じる。ちなみにこれは、最近話題だったASUS Transbook T90 CHI のキーボードによく似ていると思うのは自分だけ? まったく使えないほどひどくはないが、どこかおもちゃっぽい。
iPadの日本語入力が完全ではないというのはまったく同意します。ただ、使い続けているとなんとかなってきます。いまのところATOKは買わずに、もともとの日本語入力だけで毎日原稿用紙10枚分書いています。他の人が言われてるほどこの日本語入力は苦痛ではないです。
なぜキーボードにそんなにこだわるのかというと、腱鞘炎が再発しないように気をつけているから。
エディタは無料のPages。UIの好き嫌いで選んでますが、結果的にアイディア出しをやりながら草稿を貯めていく作業にけっこう向いているようです。起動すると文書がカード形式で並び、それまで自分が考えてきたことがおよそ俯瞰できます。Command + Spaceキーでスポットライト機能を出して検索するとpagesファイルは全文検索がかかるので、ipadに入れてある他の資料、複数の草稿の間を行き来しながら納品原稿を仕上げていくイメージです。縦書き状態のチェック等は最後にdocx形式にエクスポートしてノートpcでやります。pagesファイルとdocxファイルの互換性、見た目の再現性等については、校正が入るので基本的には問題になりません。
なぜ電源のない環境にこだわるかというと、自分の場合、歩いて体を動かしているといちばん考えがまとまるので、ある程度まとまって座ったところに電源があるかないかを気にして行動を制限したくないからです。
「多言語処理」で意味するところは、複数の言語に特有な記号や文字組みを同一の文書内で適切に混在させるという程度のことです。
日本語入力を切って半角入力にしただけでは入力しにくい欧文の記号はたくさんあります(アクセント記号、"と違うかたちの引用符、改行できないスペース記号等)。日本語と英語だけを混在させる分にはこれは問題になりませんが、他の欧文を表示させる段階になると問題になってきて、Androidはこういった処理がひどく弱いので実用に耐えませんでした。Windows + Wordで文書を書いている分にはこの問題はクリアされていますが、日本語版のwindowsにたとえばフランスで作られた辞書アプリをインストールすると、文字化けします。OS全体の言語設定をフランス語に変更しても解消されません。一方、同じアプリのmac版は、OSの言語設定に関係なく適切に表示されます。こうした処理をユーザーの側がいちいち気にしないレベルで解決されているのがmacとiOSという消極的な理由で、少々高くてもしょうがなく使うわけです。Androidのキーボード周りがもう少し洗練されてきたら乗り換える可能性もあります。
wikipediaの文章にトンチンカンが多いのはなんとかならないだろうか?
あくまでも情報の「内容」とか「真実性」とかの話じゃなくて、「表現」とか「構成」の話なんだけれど。
なにしろ、いろんな人が部分的に加筆・修正をしていく仕組みで、それを専門に校正する人もいないのという仕組みの特性上
致し方ないことではあるのだけれど。
その昔、とりあえず何か調べ物をするときの「入口」というのは、百科事典だったり図鑑だったりしたわけで、
そこには、最低限の「プロによる校正」というのが入っていたから、
すくなくとも「考えられないような下手くそな文章」とか、「構成がぐちゃぐちゃな文章」は排除されていた。
そうすっと、まず「何が言いたいのかさっぱりわからん」文章やら「分からないとは言わないが、読み解くのに異常にストレスがたまる文章」に
遭遇してイラつくことになる。
いや、ちゃんとしたソースを調べろよってのはその通りなんだけど。
でも、今後は、とりあえずの調べものの入り口になるような事典や辞書の類がきちんと編集・発行されることは減っていくだろう。採算とれなくて。
そうなると「信頼できるソース」にたどり着くための道のりが遠くなりそうだ。
限られた人数の専門家が作る書籍より、ネットの集合知のほうが正しかったりするのは分かるんだけど、
それでも「文章の下手くそさ」みたいなことは、なかなか排除されない。
wikipedia以外にも、検索の上位がかならずしも「質的」に優れているとは限らんしな。
「広く信じられている間違い」は排除されにくい構造でもあろうし。
なんとかならないもんかね?
合本版で安かった時に「円環少女」を買い、3巻まで読んだ。1巻目の感想。
良いところ
・人間世界と魔法との関わり方が秀逸。ヒロインや第二ヒロイン、1巻の主敵の魔法能力が魅力的。つまり魔法まわりの設定・世界観が魅力的。
悪いところ
・文章力がひどい。当初は筆者の個性やレトリックかと思ったが、すぐに「これまともな校正がついてるのか?」と疑うようになった。第2部である2ー3巻ではある程度改善され、求めたい水準よりやや下というところまで来ている。
・ヒロインが幼すぎる。年齢的に。成人である男性主人公に恋愛的な関係を迫ってくるが、主人公は保護者的立場からそれを全面的に却下しないので気持ち悪いことになっている。
・イラストの男性主人公が若すぎないだろうか。もうちょっとおっさんみの影があってもいいのでは。話中で主人公のイラストを見るたびに「違うんじゃね」という気持ちになってしまう。
が、リニューアルされても突っ込みどころが満載なので、http://anond.hatelabo.jp/20150508190512に引き続きこき下ろす。
「エターナル青春系ブラウザ」と名乗らなくなったほか、「便利なブラウザを作りたい!! 答えは意外と簡単でした」のようなブラウザ開発者にとっては挑発的なフレーズがなくなり、「ユーザの声で進化するブラウザです」にトーンダウン。
ただし、「エターナル青春系ブラウザ」が完全に消えたわけではなく、本体のバージョン情報やD社のホームページには残ったままだ。これからどうするのかは知ったことではない。
不評だったのか知らないが、リニューアルとともにいなくなっていた。
これって最初から、つまりユーザーの意見を聞く前からついてませんでしたっけ?
「ユーザーの許可なく送信されるスパイウェアやアドウェアの排除や、Kinzaと無関係なソフトウェアの追加インストールはしません」
これだと、スパイウェアやアドウェアの排除をしないことになってるけど。
イメージダウンに直結するので、これは多分すぐに直ると思うが。
リニューアル前の文は「(中略)スパイウェアやアドウェアの排除はもちろんのこと、(中略)無関係なソフトウェアを追加インストールしません」だったので、まともな校正ができていないだけだろう。
まさか、「スパイウェアやアドウェアの排除はもちろん(しません)」じゃないよね?
突っ込みが多方面から来たのだろうか。ようやく当たり障りのない「Chromiumと同性能」に変化したようだ。
ただ、後述する「ブラウザ開発サポート」を見ると、本当はChromeと同等じゃないと言いたくないがために変えたのではないかと疑いたくなる。
ただブラウザ作ってるだけだと儲からないのか、ブラウザ開発の手伝い(受託?)とかリサーチもやるらしい。ページにはChromiumを使った専用ブラウザやそのプラグイン開発を手伝うと書いている。
しかし、Chromiumのことを「Google Chromeと同等の機能を持ち」と書かれているのは相変わらずで、ChromiumとChromeの違いさえ明確にしないようなところに誰が問い合わせするだろうか。
やっぱり勘違いしているんだろうか。それとも、自社製品がChromeと同等じゃないと言いたくない理由でもあるのだろうか。
もし問い合わせする場合は、この部分を徹底的に突っ込むべきである。
トップページはまだまだ洗練されていない感じがする。自発的でない開発態度も相変わらずのようだ。わかったことは、文章を校正できる人がいないことぐらい。
リリース間隔は以前よりはましになって、Chromiumの安定版のバージョンに比較的早くついてきているようだ。自ブログで募集していたのだから、少しはリソース強化できたのだろう。
にもかかわらず、ポータブル版、64ビット版、ベータ版をまだ出さない。これが、元Operaの創業者が代表で人的リソース確保ができていてユーザーさえ確保できればマネタイズプランも見えているブラウザVivaldiとの違いかな。差は開く一方である。
ここ2,3年くらい、Vimが妙に流行っている。はてブやqiitaでもVim関連のページが出れば大量にブクマがつくし、「俺はVim派だから」みたいな発言を大学だったりtwitterだったりでもみる。
しかしその実、世間に出回る「vim tips」みたいなのをみると、cやr,はたまたw,$,0,..など超がつくほど基本的なものしか載っていない。
なんでこんな常識的なものにこんなにブクマつくの???っていっつも驚く。
昔はvimに憧れるワナビーがブクマをつけてるのではないかと思っていたが、どうやら今のネット界隈では「vim派」と言って通ぶることが一種のステータス?になっているのではないかと思うようになった。
ちょっと前に流行ったvim pluginブームにもびっくりした。vimはあくまでもIDEなんていらないスクリプトを書いたり、CUIでエディットしたい時に使うものだろう。
ものには使いみちというものがある。文章、少なくとも日本語はVimに向かないし、Javaの開発ならeclipseですらvimよりよっぽど生産性が高い。
vimにpluginなど入れて喜んでいる一部の人達をみると、やはりvimで通ぶっているだけではないかと思えてしまう。
.vimrcは長けりゃいいっていうものではない。それがemacsに対するvimの美徳のひとつではなかったのか。
そもそも、vim人口が見かけ上増えているにもかかわらずemacs人口が増えていないのがおかしい。どうも最近のvim派の人たちはemacsをあまりうまく使えていないようである。(俺のまわりだけかもしれないが)
昔のhackerはエディタ戦争なんて言いながらもお互い両方のエディタを使えたものだ。大体がshellでset -o viなんてしたら使いづらくて仕方がない。shellはctrl-aで先頭に戻るし、ctrl-rで履歴検索をするものである。
そもそもエディタ戦争なんて洒落にすぎないんじゃないかと個人的には思っている。viとEmacsは基本教養である。どちらかしかできないのは文盲のようなものである。
vimvim言ってブクマしてるみなさん、vimtutorは起動したことありますか?Vim関連の記事を100個ブクマするよりよっぽど有用です。
Do one thing and do it wellって知ってますか?一つのプログラムでなんでもしたいならwordかVSで十分です。無理してviを使う必要はないです。
俺はまだLinuxを使い始めて10年くらいだけれど、エディタはvi(m)一筋だった。
何がいけなかったのだろうか。
あとviとvimがうんぬんというブコメありましたが、逆に今日びviとvimを使い分けることがあるんでしょうか…?
(もちろんインストール直後のdebianとかだとvim.tinyしか入ってないけど)
普通/usr/bin/viってvim.basicを指してることが多いと思います。もしvim.tinyを指していたらごめんなさい。
てかaliasなりupdate-alternativesみたいなの使われたほうがいいのでは…?
id:akanehara (増田はじめてだからよくわかんないけどブコメに返すのこれでいいの?)
いやね、俺はNeoなんちゃらとかなんちゃら.vimとかのプラグインが流行りまくってるのどうかと思うんよ。
vi使いたくてあんなゴタゴタした画面分割するならtmuxかscreenで別タブにシェル開けばいいしそのほうが拡張性高いじゃん…っていう。
それかVSなりIntelliJで(ちなみに俺はeclipse使います。微妙にdisったけど)
あとはSIGSTOP(てかSIGTSTPか)で止めるのもよい使い方だと思う。
とにかくこれからviなりunixを使い始める人達がああいう害悪に影響されてほしくない。Neoほげほげよりtmuxとかctrl-zのほうがのちのちず~~~っと役に立つから。
viが流行ること自体はいいと重います。emacsももっとはやって欲しいです。nanoは即update-alternatives --config editorするんで知りません
と思ったらなんかみなさんいろいろ考察してくださっていますが、今やviクラスタ≠unixクラスタなのか…
なんてこったい
TeXは確実にGUIのほうが使いやすいよ。俺はTeXstudioだけど、シェアウェア買ってる人もいるね。特に仕事道具にしてる人は。
vimじゃあPDFからジャンプとかできないから校正の時とか使いづらいことこの上ない
一理ある
問題はvim scriptはelispに劣ってるところだと思う。
言語プラットフォームとしてみたときやっぱりemacsには一日の長があるよ
なのにpluginとか言って喜んでるのはなんか違うと思うなあ。
http://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2015/12/1217-5376.html
以下、必要箇所のみ引用し、リンクは貼りません(発言者に食ってかかる人が出そうなので)。
“なぜオタクがかった人は、わざわざ乱暴な物言いを選ぶんでしょうか?
校正紙なら「文字が小さくて読めない」と書けばいいのに「ゴミのようだから修正」と表す意図が判らない。”
これ、とてもよく分かる。表現規制反対のツイートでも、いきなり相手をBBAと書いたり、苗字を呼びすてたり……
そんな幼稚な人たちの仲間だと思われたくないでしょう?
見ず知らずの相手を「おまえ」「てめえ」「こいつ」と呼ぶ粗暴さは、確かにオタクの特徴だと思う。
アニメや萌え絵好きだから、責められているわけではないと思う。
性格が悪い、態度が粗暴な者が目立つから、すぐさま「犯罪者予備軍」などと、槍玉にあげられるんではないだろうか?
萌え絵ポスターの味方に立ちたくても、すでにツイッターで口汚い罵りあいが始まっている。
一言でいうと、社会性が欠如している。一方で、「オタクに人権なし」とばかりに、理不尽な攻撃を加える人たちもいる。
こんな破滅的な状況に、誰が近づきたいと思うだろう? 相手を敬称で呼ぶ、最低限の敬意をはらうだけで、ずいぶん雰囲気は変わっていただろうに……。
★3くらい。
ミステリはだいぶ弱めかつ短編かつ高校ものだから読みやすかった。
つーかミステリ自体もマジで読者に解かせる気がハナからない感じするし。
前提条件が全部呈示されてなくて地元ネタを根拠に推理しちゃうとかね。
俺的にはそれで全然よかった。
全然おもしろくなかったわけではないけど、めちゃくちゃおもしろかったわけでもなかった。
でもそういう普通レベルの面白さを古典部シリーズ以来米澤穂信に感じられてなかったから久しぶりだった。
気になったのは2つかな。
違和感を覚えたって言葉があると思うんだけど、あれをこれまでの長編では全部違和感を感じたって書いてたんだよね。
そんな言い間違いでキャラ設定してたっていうには無理があると思うし。
どうしてもアザゼルさんの丸メガネかけたタヌキと小山内くんのほうが浮かんできて終始ひどいビジュアルになってしまったわ・・・
どうしたんだい小山内クン!!
だとするとジョウゴロウがタヌキか・・・
それ以降何かでその名前に触れた時に毎回それを思い出してしまって変な感じになる
増田氏の意図するところは良く表現されていると思いますが、おそらく意図しない副作用によって少々残念なことになっているように見受けられます。これは異なる文化圏の問題かもしれません。
オープンなソフトウェア開発では、荒削りのものを積極的に公開し、フィードバックを受けて改善してゆくということが良く行われています。SICP改訳に関しても、大元の訳および真鍋版は、そういったソフトウェアの協業を支援するプラットフォームであるgithubで作業が行われており、その文化を共有していると考えられます。
この文化においては、著作権とライセンスを明確に取り扱う手続きがかなり整備されています。既にご存知なら釈迦に説法ですが、「翻訳含む改変や再配布はこの条件に従っていれば自由にやっていいですよ」と明示されてることが多いのですね。今回取り上げられている翻訳についても、原文や元訳はそれぞれLucent Public LicenseおよびCC-BY-(NC-)SAというライセンスになっています。貢献者がこのライセンスに同意し条件を守っていれば、オープンで自由な改善のスパイラルが可能になります。
ところで、匿名による書き込みであっても、誰がやっても同じになるトリビアルな誤植修正を越えるものについては、書いた人に著作権が生じ、その書き込みをどう扱うかは書いた人が決められます。何も条件が書かれていないのなら、原則として他人が勝手にその書き込みを転写、改変、再利用することができません。程度問題の話で、増田内でコピペしたり改変ネタを作るのに目くじらを立てる人はほとんどいないでしょうが、明確なライセンスでもって許諾されている派生プロジェクトにその成果を取り込むとなると、慎重にならざるを得ません。この文化では、一般的に、「ライセンスが明示されていない著作物は利用できない」がコンセンサスになっています。
(もし私が見落としていたなら申し訳ないのですが)増田氏の校正には利用条件が記されていないようです。そうなると、せっかく良い指摘をして、真鍋氏もそれに納得したとしても、その成果を真鍋氏が利用することはできないということになります。
増田氏は「間違いの指摘を受けて訂正するというプロセスが働いている限り、誤訳というのはたいした問題ではありません」と書かれています。しかし現状、増田氏自らそのプロセスを阻害しているという形になっています。
これは意図したものではないだろうと推察します。増田に書き捨てるようなものなど勝手に利用すれば良いと思われているかもしれません。誤訳の「指摘」だけなら著作権は発生しないとお考えなのかもしれません。その解釈は微妙なところですが、増田氏の翻訳案はたとえ数文であってもアイディアを具体的に表現した著作物です。こういった一見些細なことにも小煩い文化圏があるということをご理解いただけたらと思います。
翻訳は誰がやっても間違えるので、誤訳はたいした問題ではない。
翻訳の質を上げるには、なるべくたくさんの人が校正に関わり、そこから間違いの指摘を受けて訂正するというプロセスを機能させる必要がある。
プロセスを機能させるためには、ミスをした相手に攻撃的な言葉をぶつけるようなことをしてはならない。
どうしても攻撃的な言葉遣いをしてしまうというのであれば、その人は翻訳の改善プロセスを破壊してしまうので、参加するべきでない。
元増田氏の主張は良く分かりますが、今回の(SICP改訳騒動の)文脈においては、的を大きく外していると思います。
真鍋氏の翻訳に誤りがあることは何ら本質的な問題じゃないんですよ。だからそれを指摘したら何かが解決するわけでもない(真鍋氏自身、主張に影響を与えるものではないって書いてるでしょ? 本人かどうかわからないけど)。元増田氏の書き込みに何らかの貢献がありえるとすれば、それは真鍋訳に取り込まれて成果物がより良くなること、それだけです。
一般的なアドバイスとして、円滑な校正プロセスを回して行くノウハウ、というのは有用です。でも真鍋さんには多分通じなさそうだし、真鍋さんが変わろうが変わるまいが、SICPのより良い訳が登場したこと、それを改善してゆくプロセスが現に回っていること、という事実にはあまり関係ない話です。