はてなキーワード: 情緒とは
anond:20240305210310 これを書いた者です。
予想以上に構っていただけたこと、また示唆に富むコメントをたくさん頂戴したことが嬉しかったので、追記します。
性別: 女
その他:
・性的にやや潔癖な方だと思う(なので特筆するようなことじゃないかもしれないけど、交際人数≠性交渉の経験人数です)。肉体関係から始まる恋愛はしたことがないので、かなり抵抗感がある。
・友人はまあまあいるが、こういったことで悩んでいるのが周囲にバレると恥ずかしいため、この件に関しては特に言っていない。
恋愛経験: 経験がないという旨を本人の口から聞いた(取り立てて検証はしておらず、検証手段もないため、真偽不明)。
その他:
・大学院で同じ授業をとっていたため、そこで知り合った。
・研究室は私とは別のところ。
⇨おっしゃる通り!!!いつか腹を括らなきゃとは思ってるんだけど、自己愛からか傷つきたくないって思いが先行しちゃう。みんなこんな辛いこと乗り越えて、人に好意を伝えてたの?だとしたらすごすぎる。
(私は煮え切らないことをぐちゃぐちゃと書いている時点でだめです…)
⇨目から鱗だった。身近な人間がシスヘテロばかりだったので、その他の可能性を考慮したことがなかった。でも性的指向や性自認について聞くのって無理じゃない?カミングアウトの強要になりかねないし、なんとなく察していくことしかできないのかなって思った。どうしたらいいんだろう。
⇨大きい話だからいまいち実感は湧かないけど、言い得て妙だな、と。「ぬいペニ」という強い言葉を初めて知った時、酷い話だとは思いつつ、こういうことってありうるなと感じてしまう自分もいた。その上で、自身にもそれが適用されるかもしれないことがものすごくこわくなった。みなさんが指摘される通り、多分恋愛においては、言うか言うまいかみたいな葛藤って普通の段階なんだろう。友人からの好意の「露出」について、ある種加害性を持つものとして「ぬいペニ」という明確な名前が与えられたことで、そしてそれを知ってしまったことで、過度に怯えている側面はあると思う。
⇨不快に感じた方には申し訳なく思います。上記の通り、本人からそういった主旨の話を聞いていた。表現については、わざとキモさを狙って書いた面もあるし、重苦しい執着心が無意識に出ていたとも言えるかも。ただ決して相手を見下しているつもりはないし、私1人が心乱されている現状を踏まえると、見下すなんてできる立場にはないです。
受け身の恋愛ばかりしてきたのが全部裏目に出てるな、とつくづく感じる。これまでの報いを受けている感もある。色々な意味で、自分の未成熟な部分が、マイナスに作用しているのを目の当たりにするのは苦しい。
でも、実際会うってなって、服を新調したりちょっとメイク変えてみたりして、浮かれてる時間はやっぱり悪くないなと思う。一緒に遊ぶのは、もちろん最高に楽しい。子供っぽいことだけど、辛いのと楽しいのが一気にきて情緒がおかしくなりそうです。ずっとこんな調子。
ひとまず、今回は色々なご意見うかがえてとても勉強になりました。
とりあえず頑張って前に進んで(場合によっては綺麗に引き下がって)、後悔のないようにしたいな。
ChatGPT
名前に「門」が2つ入る有名人としては、「門脇麦」(かどわき むぎ)が思い浮かびます。門脇麦は日本の女優であり、映画やテレビドラマ、舞台などで活躍しています。彼女はその独特な演技スタイルと存在感で、多くのファンに支持されています。
ChatGPT
日本の江戸時代の芸術家で名前に「門」が2つ入る人物を紹介します。
ただし、直接「門」が2つ入る名前の芸術家は江戸時代に特定することは難しいですが、尾形光琳のような芸術家は、その名前や作品を通じて日本の芸術史に大きな足跡を残しています。
ChatGPT
はい、近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん、1653年 - 1725年)を知っています。彼は江戸時代に活躍した日本の劇作家で、浄瑠璃(人形浄瑠璃)および歌舞伎の脚本家として非常に高い評価を受けています。近松門左衛門は、人間の情念や社会的矛盾を鋭く描き出した作品で知られ、「日本のシェイクスピア」とも称されることがあります。
彼の作品は、情緒豊かで人間ドラマが深く、愛憎や義理人情、社会的制約と個人の感情との葛藤を描いたものが多いです。代表作には『心中天網島』『曽根崎心中』『冥途の飛脚』などがあり、これらの作品は現代においてもなお上演され、多くの人々に親しまれています。近松の作品は、その人間性の深さと心理描写の鮮やかさにおいて、日本文学における不朽の価値を持っています。
名前に門が二つはいっていませんか?名前に門が2つ入る有名人、に相当するのでは無いかと思いますが、よくわからないので、教えてくれませんか?""""ただし、直接「門」が2つ入る名前の芸術家は江戸時代に特定することは難しい"""とはどういう意図で発言したんですか?
ChatGPT
申し訳ありません。私の回答は誤解を招くものでした。近松門左衛門は、確かに名前に「門」が2つ入る江戸時代の著名な芸術家であり、その点を明確に認識しておりませんでした。お指摘の通り、近松門左衛門は日本の江戸時代における重要な劇作家であり、彼の名前は「門」が2つ含まれています。
私の以前の回答は、不正確な情報を提供し、混乱を招いてしまいました。そのため、訂正してお詫び申し上げます。近松門左衛門の貢献と彼の名前の特徴について正確に認識し、適切な情報を提供することが私の責任でした。お詫びして、正しい情報を提供できるよう努めます。
今でこそ勉強でいい高校だの大学だの行こうって奴は基本みんな塾に行くけどさ、昔は学校の勉強と自習だけなんて奴も結構いたわけじゃん。
それと同じで、今は自分の力で恋愛して結婚するのが一応主流ってことになってるが、今後しばらくしたら自分の力でそういうコミュニケーションを身につける奴の方が珍しいみたいになるんじゃないかね?
30過ぎて結婚相談所に駆け込んでから人生を取り戻すように異性との付き合い方やそもそも人としての所作なんかを金払って学ぶんじゃもう遅い。中学校やら高校やらの頃から「他人との適切なコミュニケーションの取り方」を教える塾みたいな所にある程度通って、その辺りのことが整った状態で社会に出てくるようにそのうちなる。
だってガチの非モテって結局「モテないけど友達は多い」とかじゃなくてそもそもコミュニケーションがおかしくて友達もまともにいない奴ばっかりじゃないか。
言ってしまえば幼児の療育や小学校以降の情緒学級なんてのは他人とのコミュニケーションの取り方が大きく普通と異なる子にその齟齬を減らすための教育を施す場なんだし、精神科でやる認知行動療法なんかもその側面はあるから、その手法自体はすでにこの世の中に存在するわけで。
あとはそういった内容を薄く広く皆に適応するような教材にして、コミュニケーション塾として中高生やその親に売り込めば出来上がりじゃないか?
30超えてからいきなりコミュニケーションの勉強しようったって大変だもん。突然今までと別分野の勉強してすぐに身になるような年じゃもうないだろ。
リクルートやベネッセあたりがそのことに気づいて真面目にセミナーや教材にしはじめたらもう流れは止まらないんじゃないかと思う。ていうかもうはじまっているんじゃないか。
スコセッシの映画みたいな派手に成り上がって転げ落ちて、でも生きてる。人生ってそうやん?みたいな作品が割と好きだったんだけど、最近ちょっと飽きてきた。なんでフィクションでまで現実に引き戻されなアカンねんなって気持ちになる。
こうなるとたまには何もかも全部手に入れてムカつく奴を全員ぶっ倒して、ワッハッハッハッハッ……ワーーーーッハッハッハッ……って高らかに笑いながら𝓯𝓲𝓷を迎えるようなのが見たくなってくる。
スターウォーズやロッキーが鬱病みてーなニューシネマの反動でウケたという話はホンマかいなと思ってたけど、ちょっと分かるような気がする。ロッキーは全部を手に入れてはいないが。
成り上がるのとは違うけど、トレインスポッティングとかNHKにようこそとかキッズ・リターンとか鬱病方面の青春作品も、やっぱり生きていくしかないやん?みたいな落とし所は最近あまり好きでない。
それだったらミーンストリートとか往年のニューシネマ作品みたいな、やるせなさや苛立ちや閉塞感、鬱屈、焦燥感を爆発させて呆気なく(派手にでも全然いい)散る話が好きだ。
長々と生きてしまった、生きざるを得ないと悟ってしまった手前、自分の納得も程々に大事にしつつ、ショボくともみっともなくとも目先の生活を着実に生きるのが結局一番大事なんだよな。なんて言わざるを得ない状況になる前にやっぱ派手に死にてえ。真面目に生きるのって面倒臭えしから嫌だし、でも真面目に生きないと幸せになれるビジョンが見えねえから。ワンスアポンアタイムインアメリカのデニーロの破滅的な笑顏になりてえよおれは。
これは飽きたとかだけではなくて、おれの情緒が最近著しく悪化している事が多大に影響している気がしてならない。そんでこのうらぶれた気持ちが嫌だとか直したいだとか全く思いっていないというのが、傍から見れば一番重症な部分なんだろうなって思う。
言ってることちらほら正しいこともあるけど、そもそもフェミの印象が悪すぎるからツイッターとかで意見主張しても伝わんないし。萌え絵がーエロがーって言っても絵だし。現実とは関係ないじゃん。AVとかグラビアだって本人がお金や売れたいがために自分の意思で出てることだし。フェミの実際の年齢と容姿とかは知らんけど、ブスババアと罵られて嫌じゃないのかな?まずは腰低くして主張を分かってもらえるように努力すればいいのに。
と、思ってたんだよね。マジで。特に16歳〜19歳頃はミソジニーがめっちゃ強かった。たぶんこういう考えの10代女子めっちゃいると思う。ババアという暴言もそうだし、特にブスって言葉って思春期10代女子にめっちゃ響くんだよね。自分の顔がブスかかわいいのか気になって、絶対ブス側に入りたくないし。だから、ミソジニーと10代女子って相性いいと思う。自分の体の変化とか嫌だし。ミソ側につけば姫のような状態になるし。特に私はオタクで、腐女子から男性向けジャンルに移行したタイミングが10代後半だったから、ミソジニーとの相性良すぎてミソジニーにズブズブだった。そもそもBLってオメガバーズとか結構女性のミソ的心と関係してるシチュ多いんだよね。レ⚪︎プ、無理やりみたいなのも普通にめっちゃ多い。男性向けのそれと違うところは事前にワンクッション入ることくらい。だから腐女子はミソを内包してる人も多いと思う。それに私は現実で家族仲も良くなくて、情緒不安定な母の姿も馬鹿みたいって思ったし。オタクあるあるなんだけど、絵が描けたり創作できるやつが1番すごい、1番えらいって思ってて、恋愛の話とかしてる女子たちのこと下に見てたし。自分がそういう、「情緒不安定で恋愛の話とか中身の無い話ばっかしてる女たち」の仲間にされる本当に嫌だったんだよね。男になりたい訳でもなかったけど、女っていう性別の自分が本当に嫌だった。だから心はおっさんとか言って、女友達にセクハラするなどして「私はそっち側じゃなくてこっち側」みたいな保ち方をしていた(本当に最悪)。そしてそれと同時に私は男のことが嫌い、苦手だった。不思議だよね。女子を馬鹿にしてるのに、女子といる方が居心地よく、男子は嫌いで関わりたくなかった。それは、私も彼らからすると「女」の1人でしかなくて、女としてジャッジされることを恐れていたし、そうされたくなかったから。容姿が良いか悪いか、エロいかどうかで見られたくなかったから近づきたくなかった。だって私はエロくて女らしい、そういう「女」じゃないんだもん。男みたいに、エロい女キャラのこと妄想しちゃうし、ロリエロだって見てるよ?私はジャッジされる側じゃなくて、そっち側なんだよ?って。心の中で一生懸命主張してた。男はミソジニーになってもそれがデフォルトみたいなとこあるから別に大した問題はないだろうけど、女がミソジニー極まると常に自傷行為してるのと一緒なんだよね。私はそっち側じゃないから、と自分の中では線引きしてても、体は女だし、心も女だし、社会的にも女だから。なんかつらかったね。でもやっぱりフェミニストっていつも馬鹿にされてるし、私はそうやって馬鹿にされたら嫌だから、フェミニズムも響かなかった。ミソジニーの中で私はそっち側じゃないんだよーと自分を守り続けることしかできなかった。若いって本当に視野が狭いね。でもその時は本当に顔も知らないあなたたちに、馬鹿にされたくなくて、ブスって思われたくなくて、「女」って思われたくなくて、必死だった。で、そんな私に人生絶望案件がひとつあった。10代後半当時、恋愛経験はゼロで彼氏欲しいという気持ちも大してなかったけど(男苦手だったから)、将来的な結婚願望は強かったのね。それは私が人間関係の構築が苦手で、バイトしてたんだけど普通に無能で、自分に労働能力がない、人と関わりたくない、だから働きたくなくて、専業主婦になるしか人生やっていけないよと思ってたわけ。専業主婦 or DIE 。10代後半でバイト経験もそこまで無いくせに諦めるの早すぎる。でもミソの皆さん、これ何が絶望なの?って思うじゃん?ま⚪︎こついてんだから、理解のある彼くんをゲットし、専業主婦になるなんて簡単だろ?むしろそういう選択をとれる女のお前が羨ましいよ、と。でも冷静に考えて。私は美人かブスかでいったらブス寄りかもだし、色気など女としての魅力はゼロに近い。つまり、絶対にいい男とは付き合えないということ。てか私のレベルで、養われ前提だったら、そもそもいい男じゃなかったとしても、同年代と付き合うのは無理なんじゃない?若さという唯一の武器を活かして、ひとまわり、いやふたまわり近く歳の離れたおっさんと何とか番うのが関の山なんじゃない?と思って軽く絶望してた。でもでもでも、西島秀俊とか全然かっこいいし、何なら草刈正雄もかっこいいし、おじさんでも大丈夫だよね…?などと自分を励ましていた。そしてミソに毒されてた19歳の私はネットの言説を間に受けて「女は25歳までって言われてるし、高校卒業したらババアみたいなことも言われてる…。若さという武器を活かせばって思ってたけど、もう私もババアなの?じゃあ急がないと専業主婦になれなくなる!」と焦り出した。当時学生だった私は未だに男嫌いで、たまに男と話すことはあったけど、なるべく避けていた。ま、同年代はそもそも相手にされるとは思ってないし。そんなわけでリアルでの男絡みは皆無に等しかった。でも若さを活かして専業主婦志望の私はそんな悠長にはしてられない。そんで、まずはとりあえずネットで知り合った30代前半のおじさんと食事に行く約束をしたのだった。それなりにおしゃれしておじさんを待つ。30代前半ってまだまだ若いよね?嵐とかもそんなくらいだし♪大丈夫大丈夫♪と、緊張しながらも気楽に考えていた。ちなみに異性と2人で食事はこれが初めてである。そこに「〇〇さんですか?」と颯爽と現れたおっさん。…もうね、全然嵐とかじゃなかった。もちろん西島秀俊でも草刈正雄でもなかった。もう普通におっさん。肌感とかおっさんすぎ。てかファッションダサすぎ(ズボンにチェーンとかつけて、パンク系だった)。おっさん大丈夫な子はここでおっさん依存に走れるのかもしれないが、私におっさんは無理だった。同年代や年下も無理なのに、おっさんはハードルが高すぎた。「生」のおじさんの質感に打ちのめされていた。とりあえず、お店まで来たが、もう帰りたい。チェーンのパスタ屋だった。もうなんでもいいから早く帰りたい。カルボナーラ頼んだ。おっさんが話しかけてくるが、おっさん感が強すぎておっさんの方を向けない。下を向いて「はぁ」とか「まぁ」とか答えるので精一杯だった。カルボナーラが来る。必死にそれを食べる。全然味がしない。でも急いで食べる。秒で食べ終わる。会計をする(もちろんおっさんが奢ったがなんでもよかった)。帰宅帰宅帰宅帰宅。駅までの帰り道、おっさんが「食事友達ってわけではないでしょ?そういうこと期待してたんでしょ?」とか言ってくる。「いえ」と即答。早く帰りたい。「手、繋いでいい?」とおっさん。「嫌です」と即答。さっさと帰る。駅についておっさんと別れる。おっさんと食事した事実が気持ち悪すぎて泣けてきた。ごめん、私にはおっさんを許容できる器がないみたい。ブスのくせにごめん。なんか、日常生活で見るおっさん(学校の先生とか)をあまりおっさんとして意識したことがなかったから気付かなかったけど、異性として対峙するとおっさんって本当におっさんすぎ。スタバ買って飲んで、まやかしでも浄化しようとした。こうして、「若さを活かしておっさんと結婚し、専業主婦になる」という私の夢は散ったのだった。でもだからと言って、私がちゃんと働くなんていう想像はできない。本当に働きたくない。どうするよ、これから…。と途方に暮れた、19歳の夏だった。
なんだけど、これってどういうこと?
つまり、
ってことなの?(違ったらごめんなさい)
元増田って、
マチアプで出会えた40人のうち10人ぐらいとやれましたって話だよね。ざっくり25%か。
さらに遊び系マチアプとして名高いTinder(おそらく)使用者って、出会いを求める女性の中の何%なんだろうね。
「暗に"セックス目的の呼び出し"を受けて応じる女性」って、少数派だと思えてならないのは私だけ…?
とはいえ、いつの時代も「思わせぶり」ってのはあるあるじゃん。
元増田自体は、直前に性的不同意を感じて確認し、無理強いもしていない様子なので別に問題ないと思うし、
女性の方も、個人的には変わってるな〜とは思うけど、特定要件を満たしたらセックス実施が絶対!というわけでもないので、
コミュニケーションの齟齬だね。平和に終わってよかったね。という感想につきるんだけど、
一部ブコメの、性的同意の確認絶対取りたくないマンを見て不安になったよ。
全女性を代表する気は無いけど、私は暗に囲い込み(時間、密室度、圧力)を決められる前に「〇〇に行くってことはそういう意味で…思ってるけど良いかな?」と聞かれたい。
「エッチな気持ちになっちゃった!」って言ってくる人とか、とても断りやすくていいですね。(私の場合は「セルフサービスでお願いいたしま〜す」って明るく返せるから。)
そういえば学生時代を思い返すと、共に実家暮らしの二人がお金を貯めて予定を組んでラブホテルに行っている…なんてのも珍しくなかったしね。
性的同意の確認絶対しないマンはさ、少しでも読み違えたら性加害者になるリスクをもうちょっと考えて欲しい。
健康的かつ社会的に安心できるセックスなんてそう多く無いはずだよ。
多くの女性は宅配、夜道、男性とのコミュニケーションの中で何度も性被害になる可能性が頭を巡ると思う。
「こんな女がうるさい世の中じゃ楽しみとしてのセックスもできない!性欲の矮小化!」なんて思わないで。
セックスって簡単にできることじゃないんです。だから風俗店が高額になるんでしょう?
どうか加害者にならないで。気をつけて。
ちなみにもっといえば、「奢られ」を期待する女性は「自分の接待を売る(金や物に変える)ビジネス」をしているわけだから同様に先に言えよと思ってる。
まあ実際はこんなふうに「とにかくセックスする状況に持ち込む男」と「とにかく高いものを奢らせたい女」っていうのはあくまで少数派で、こいつら同士で対消滅しろよって感じなんだけど、そう言う手練れは双方が嫌なんだろうね。
情緒を感じながら安くヤリたい男と、とにかく高く接待サービスを売りたい女じゃマッチしないものね。
(正直はてなにいる人々はこれらのどちらでもない羊たちだと思ってるよ。)
なんかそいつらのせいで、女性も男性も疑心暗鬼のコミュニケーションを続けるのってクソすぎるな。
とにかく私は性的意志は明確にしていきますし、このような女がいることも知っておいてもらえたら嬉しい。(あなたがこういう女と出会ってしまう可能性もありますわよ)
男女関わらず衛生観念や貞操観念には個人差があり、個人の性欲にもその時々のムラがある。性欲開示への忌避感も個人差がある。
そのような個体差を理解して、加害者・被害者どちらにもなり得るリスクを背負いながら交流しましょ。
ひろゆき氏は無作法だからイカン派らしい、調理されたものは出されたまま食えと。
彼の住むフランスのレストランでは卓上に塩コショウが必ず置いてあるが、彼はあれをなんだと思っているのだろうか。
年齢、性別、体調、職業、出身地、好む塩分濃度が人によって違うのは当たり前。
コーヒーをブラックで飲む人もいれば砂糖やミルクを入れる人も居る、同じ人でも日によって違っったりするが、ありゃ味変ではないのか?
提供する側がベストな砂糖とミルクの量で給仕し、出されたほうが黙って飲むべきなのか。
百歩譲って「日本の話」と区切るとして、日本独特の文化を守り続ける意味あるのか
彼いつもそーゆーのに突っかかってない?
とか考えてて、現実問題として我が家はこのローカル文化摩擦が今後厄介案件になるので思考や方針を整理しておくためのメモ
俺の妻は外国人でありあちらは戦勝国でこちらは敗戦国の三等国民なので基本的には妻のカルチャーに従っている、しかし子育てしているのは日本で、あちらの文化に慣れてしまうと息子が小学校にあがってから文化的摩擦が生じたりそこから自己肯定感の低下にも繋がりかねないと心配している。
日本人にバカにされたら「黙れ敗戦国の劣等国民め、ここ半世紀で経済成長率が我が国よりも上だったのはたったの5回しかないのだぞバーカ」とでも返してやれと教えてはいるが。まぁそれはいい。
日本では必要な分量を小皿に差して使う、残さないように注意する
結婚当初はやんわりと注意していたが戦勝国様は意にも介さないので諦めた。
どちらが正しいのか俺自信明確にジャッジできないのだ
だが、正しさの前に最低限のマナーを身に付けなければその所作で人物評価されてしまう
これが厄介なのだ
論理的な正しさで言えば醤油が貴重品だった時代はとうに終わり、大量生産、合成醤油の時代にチビチビ使う合理性は無い、ちょっと多めに注いだところでたかが数円、数十円。
ものを大切に、人を大切に
ところがである、彼女の国の方が遥かに人やモノを大切に扱ってる。
人生そのものを有意義に生きている、議論の余地が無いほどに大差で日本が負けている
社会のルール、抑圧、正しさへの隷属、そーゆー息苦しさが自殺率の多さだと思うのね
そういえば思い出した、妻と電車に乗っていて目の前で人が倒れたことが二度ある。
妻は助けるのが当然なのだが、俺は二次的なトラブルに巻き込まれることを想像して躊躇する、そして周りの日本人も全員同じ。
優しい日本人、ふーん
まぁいい
楽しく食事するときに細かいマナーなど気にせずに日本では無作法だろうが楽しくお話して醤油の配分なんぞ歯牙にもかけない、ええじゃないの
とは思うが、息子が小学校で無作法とバカにされた時に冷静に論理的に反論できるか?
できねぇわなぁ
ちなみに息子は超絶猫舌、アチアチを好むのは日本と韓国くらいしか無い
妻は子供の食事を十分に冷ましてから与えるため熱いものが食えなくなってしまっている
こーゆーのもどうしたものか
無数にあるんです
困ったなぁ
結論先送りで
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみ。
○ 探偵・癸生川凌介事件譚 泣かない依頼人
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第十二弾にあたる。
癸生川探偵事務所に小学生の依頼人が訪れることから始まり、幾つかの謎が同時並行的に展開していく。
学校に来ない小学生、ウサギの殺害事件、数ヶ月前のプールでの事故死、そして殺人事件。
目まぐるしく次々と事件が起きていくが、シリーズいつもの面々が事件解決のために右往左往するオーソドックスなシナリオになっている。
小学校と中学校が主な舞台になるので、聞き込みの対象も生徒や先生と学校関係者が中心となる。
生徒サイドは良い意味で今までのシリーズらしくない、キャラクタの可愛らしさが強調されたパートもあり、この辺は結構好みな展開。
個人的には、ウサギのアクセサリーを弄る癖がある北村梓ちゃんを可愛いと思ったのでもっと出番が欲しかったところ。
何故ウサギが殺されていたのか、という魅力的な謎が開幕早々に提示されるので開幕の引きはバッチリ。
ただ前作と同様にトリックらしいトリック、興味深い論理の飛躍などはないのは好みが別れそう。
この魅力的な謎も、解決を読んだときの納得感は薄く、腑に落ちなかった。
地に足を付いた聞き込みと証拠から犯人を少しづつ浮き彫りにしていく様はゲームにはなっているが、探偵・癸生川凌介事件譚らしさがあるかと言われると悩ましい。
しかし、トリックやロジック以外の、小説的な情緒を語る部分もまた探偵・癸生川凌介事件譚のらしさが映えるポイント。
今作は人の身勝手な悪意に文量がしっかり割かれていて、犯人が最低で嫌なヤツだからこそ、憤りつつ読み進められた。
小学校、中学校が舞台なので序盤は朗らかで可愛らしい雰囲気で進み、殺人事件が起きてもなおどこか優しい空気感がある。
ところが、それらの可愛らしさがとある証拠の発見を境に一転するのが恐ろしい。
この人間の底知れぬ悪意を端的な文章で切り込んでくれるのは、興味深く楽しめたポイントだった。
シリーズとしては、シーズン2はこれで終わりで、13作目からはシーズン3としてまた別のライターさんが手がけることになる。
前作あねの壁も今作も、ミステリとしてはあっさり目ながら、情緒的な部分で探偵・癸生川凌介事件譚をやろうという気概は感じられて、これはこれで楽しめたシリーズだった。
元々どういうルールで走ってるのかIGPXなみに意味不明な漫画だったのがいよいよ凄いことになってきてる。
そこに情緒不安定通り越したポキ泉、バカすぎてヤバイ鏑木、ティータイムしすぎの手嶋、様々なしょーもなが組み合わさりもう漫画の方向性が完全に迷子。
キン肉マンII世を彷彿とさせるほどのグダグダっぷりが酷すぎて本当に面白い。
ラッキーで勝ち取った王者を実力だと認めさせるための戦いの中、超絶グッダグダを見せながらもギリギリで食らいついていくという展開が、まさにこの漫画の2年生編そのもの。
そんな所シンクロしなくていいからwwwwwって思いながら読み出すと凄い楽しい。
普通に期待してよんだらクソすぎてキレてたと思う。
ほんまなんなんこの漫画。
狂った世界を作り出した張本人。目を見るだけでキチガイだと分かる顔に全てのキャラクターを書き換えた怪物。設定もメチャクチャ情緒もメチャクチャ。ストーリーは意外とまとも。
自分の作品が滅茶苦茶にされているのを笑ってみてる異常者。作品が改変されてんのに何ヘラヘラしてんだよ!いわゆる寝取られフェチとかなのかな?
チー付与が改変されまくっているのを面白おかしく楽しんだくせに、他の作品では原作改変許せねえ!と叫んで回る多重人格者。チー付与のキャラかな?
狂ってる奴が多すぎる。時折正気に返るのがまた怖い。お前、狂ってた頃の自分を思い出して頭おかしくなったりせんのか?まあ既に頭はおかしいんやが。
この狂った状況を作り出した責任を一身に引き受けているはずなのに気配も見せない連中。縁の下の力持ちっていうか、人身御供として既に埋められとるんか?
「チー付与が売れていて羨ましい」「作画ガチャ当たりやん」みたいな感じで受け入れてる。凄いな。お前の作品が同じ目にあって耐えられるってことかよ。みんな頑丈だぜ。
チー付与単行本の表紙が発表されるたびに「全員悪人」みたいに言われるが、作品の外もヤベー奴らばかりやんけ。みんなおかしいよ。みんな狂ってるよ。
1月下旬から、事情あってしてた一人暮らしから実家暮らしに環境が変わった。そんで通勤時間が40分から1時間半になり、毎日ストレスが溜まって情緒不安定になってる。
そのうち慣れるだろうと思ってたけど、全然慣れる気がしない。朝早く起きるようになったのもつらいし、親と暮らすより一人暮らしの方が精神的に楽なのも実感してしまった。
前にうつ一歩手前的なのを発症してたんだけど、寝不足のせいか転職できないストレスのせいかそれが再発してる。怒りっぽいしすぐ涙が出てくる、あげくには死んだほうがマシなんじゃない?みたいな気持ちにもなってくる。
実際死んだら楽になれるんだろうな〜と思うんだけど、親とかすごいショック受けるんだろうなと思うし、それで親が苦しんで生きていくのも嫌だなとは思うので、実行できない。言い訳かもしれないけど。
・はてな匿名ダイアリーを初めて書くので、場違いな言葉遣いや仕様を分かってない部分があるかもしれない。
・お菓子のブランドなどは特定できないように書くつもり。特定できたと報告があったら消す。
インターネットによくいる露悪的な人って、ヴィーガン飯と題して肉の画像挙げるじゃん?
不買運動とは全然関係ないし一般的なお菓子と比べて実際に不幸が多めに発生するわけでもないけど、
説明がむずいけど、要するに「理念的に食べることが不可能な人もいるものを食べると他人の不幸で旨さがブーストされる」理屈。
食べられないのは王様じゃなくて一般市民とかだけど、アイスクリームの童謡と一緒。
うまいもの知ることすらできないって端から見たらちょい大きめの不幸だし。
私怨(対故人)もある。説明はあまりにも長くなるからしないけど、
「大好物が思想上の理由で食べられない」っていうのはアンチからすると結構なメシウマ。
他人(ネット上でも接点があるか怪しい、または認知不可能)の不幸(想像上のみ)でおやつがうまい。
ここまで「露悪的なことしてやるぞ!!」みたいに書いてるけど実行が怖い!
そして同ブランド買いに来る人って「おいしくて社会に嬉しい!」みたいな思いっきり光のモチベの人が多そうだから!
この内容で善人の集まりに突っ込むのこわいよ~~~!!!会話発生しないでくれ!!!
○ご飯
朝:メロンパン。昼:イカフライ。たこ焼き。夜:コロッケパン。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
・はじめに
SCA-自、紺野アスタといった18禁美少女ゲーム界隈で著名な面々で座組された全年齢向けノベルゲーム。
全世界的に発生した海面上昇により社会基盤が大きく変化してしまった近未来が舞台。
右足を失う大怪我をしながらも優秀な頭脳から、エリートとして将来を期待され都会の学校に通っていた斑鳩夏生が夢破れて田舎に帰ってくる、そこで祖母が残した美少女ヒューマノイドことアトリと出会うことから始まるラブストーリーだ。
10時間ほどの文量になるのでストーリーはほぼほぼ一本道で恋愛関係を結ぶヒロインもロボットのアトリだけ。
とはいえ、世話焼き幼馴染の水菜萌、借金取りの怪しいお姉さんキャサリン、ヤンチャな悪ガキながら聡いところもある凜々花といったサブヒロイン達の見所も欠かせない。
所謂悪友ポジションになる竜司も忘れちゃいけない王道な立ち位置だ。
そして何より、そんなキャラクタ小説然としたエピソード群が徐々に舞台の島を全体を巻き込んだ大きくも小さいストーリーが面白かった。
・アトリが可愛い
本作最初の魅力はなんといってもメーンヒロイン、アトリの可愛らしさだろう。
等身大美少女ロボットを青春時代に刷り込まれたという贔屓目を抜きにしても、アトリのエピソードが中心になるので必然的に好きになっていく。
家事手伝いが仕事のはずがドジな挙動を繰り返す、何気なく与えられた物を大切に使う、ロボットだから人間の感情がわからない(わかる)などなどの美少女ロボット暮らす際のエピソードが次から次へと楽しめる。
王道の味わいながら独自のそれも勿論あって、特に良かったのがアトリがママ味を発揮するところだ。
主人公の斑鳩夏生は片足が無く義足もとある事情からあまり上等なものでないため日常生活に難儀している。
さらに脚を失うキッカケになった事故をフラッシュバックし精神が安定しないと、色々と辛い状況だ。
そのため、ドジながらも世界が海に呑まれる前の高度な技術力で作られたアトリは非常に役に立ち頼れる存在だ。
アトリは夏生の失った足の代わりを自称し、彼を支えることになる。
そんな大枠のストーリーと文量の制約があるとはいえ、年下の幼さが残るアトリに力いっぱいバブバブする甘えん坊な主人公の登場はかなり早い。
開幕早々、アトリの膝や胸に甘えながら泣く主人公へのファーストインプレッションはさておきつつ、アトリのママっぷりは堂に入っており、物語を終始支える良いものだった。
あくまで機械でロボットなので、同じ機械で意志はない義足に嫉妬するくだりなんかもあって、この辺は小ネタ感はありつつもサイエンスフィクションらしさがある、そういう方向の面白さもあった。
辛い過去と変えられない現状があるとはいえ、中々に情けない面が早々に目立った主人公の夏生。
しかし、彼が甘えん坊でアトリに子供っぽくなるのは彼らの家となる船内のベッドでだけ。
丘の上では彼の頼れる有能っぷりが物語をグイグイと引っ張っていく。
夏生は高校生ながらにしてアカデミーと呼ばれる研究機関に身を置く超エリート。
片足が無い障害をアトリが補助する途端に、スムーズに有能ムーブを次々と重ね様々な問題を解決していく。
なにしろ海面上昇で社会基盤がゆるゆるな本作の世界では、様々な問題が山積みなのだ。
これを夏生がハイスピードに解決していく展開は非常に面白く、中盤の大きな見どころになっている。
衒学趣味に寄りすぎない科学技術の解説も面白く、アトリ以外の面々が夏生を人間として好きになっていくのもうなづける楽しいパートになっていた。
・島を救う小さくも大きいストーリー
そんな夏生の活躍はサブヒロインや親友キャラと言った名ありキャラクタ達の問題をどんどん解決していく。
そして次第に島全体を巻き込んだ大きな計画が立ち上がる。
ここも面白いのだけれど、特にイイなと思ったのが、あくまで日本の小さな島一つに閉じた狭い達成感に過ぎず、世界を救うような大仰なことには直結しないと繰り返し語られることだ。
勿論だからと言ってそれに価値が無いというサゲではなく、そのような小さいことを繰り返していけばいつか大きなことが達成できるというとても前向きなメッセージがわかりやすくかつ情緒たっぷりに楽しめるのが、今作の最大の面白かった点だ。
その上で主人公夏生がエリートとして人の上に立つ上で自身に不足していたこと、そして海面上昇という未曾有の危機に彼が行う大プロジェクト、実に大きなサイエンスフィクションらしい展開でと、人間らしい小さな感情の変化がベストマッチに噛み合う本作の山場になるスチル絵のシーン。
主人公もヒロインのアトリも背中を向けており、背景絵が主役になっている美少女ゲーム然としていないスチル絵だが、とても寂しくてかつとても前向きな気持ちになれる素晴らしいイラストと文章だった。
・おわりに
面白かった。
一夏の物語として小さくまとめつつ、しっかりとその小さな一歩が大きな世界を動かす始めの一歩でもあると納得させられるくだりは、特に良かった。
ずっと死にたい。小学校高学年ぐらいからずっと死について考えてる気がする。
最近はうつの薬を飲んでるけど、これがうつだというなら小学生の頃からうつだったことになる。
躁鬱の2型なのかもと思うこともあるけど、特にそういう診断はされてない。非定形うつなのかもしれない。チェックリストの殆どに当てはまる。
非定形うつだとして、治るものなんだろうか。性格的な問題です、あなたは生きづらいかもしれないけど頑張って生きてね、それだけで終わらされるんじゃないか。
いつか死にたくないという日まで生かされて、そのうち寿命で死ぬ。しかもほとんどの日が情緒不安定で、首を吊ることばかり考えている。
無意味に思える。
こういう話は誰にとっても面倒だろうからしない。他人はきっと、最初は助けてくれるけど、最後はキレて、こちらを罵倒しながら去っていくだろう。
みんな弱者で、弱者は弱者を助けられない。弱者を罵倒して目を逸らすことで自分を救おうとしてからのだと思う。
溺れる人同士掴み合って沈めあって、みんな沈んでいくだけ。虚しい。