2024-02-13

ふりかけ論争

学校ふりかけ容認云々でネットが盛り上がってる。

ひろゆき氏は無作法からイカン派らしい、調理されたものは出されたまま食えと。

彼の住むフランスレストランでは卓上に塩コショウが必ず置いてあるが、彼はあれをなんだと思っているのだろうか。

年齢、性別、体調、職業出身地、好む塩分濃度が人によって違うのは当たり前。

コーヒーブラックで飲む人もいれば砂糖ミルクを入れる人も居る、同じ人でも日によって違っったりするが、ありゃ味変ではないのか?

提供する側がベスト砂糖ミルクの量で給仕し、出されたほうが黙って飲むべきなのか。

百歩譲って「日本の話」と区切るとして、日本独特の文化を守り続ける意味あるのか

彼いつもそーゆーのに突っかかってない?

 

とか考えてて、現実問題として我が家はこのローカル文化摩擦が今後厄介案件になるので思考方針を整理しておくためのメモ

 

俺の妻は外国人でありあちらは戦勝国こちらは敗戦国の三等国民なので基本的には妻のカルチャーに従っている、しか子育てしているのは日本で、あちらの文化に慣れてしまうと息子が小学校にあがってから文化的摩擦が生じたりそこから自己肯定感の低下にも繋がりかねないと心配している。

日本人にバカにされたら「黙れ敗戦国の劣等国民め、ここ半世紀で経済成長率が我が国よりも上だったのはたったの5回しかないのだぞバーカ」とでも返してやれと教えてはいるが。まぁそれはいい。

 

例えば醤油などの調味料

日本では必要な分量を小皿差して使う、残さないように注意する

こーゆーマナー世界中日本くらいしか無い

妻はドバドバ使い余ったらバシバシ捨てる

結婚当初はやんわりと注意していたが戦勝国様は意にも介さないので諦めた。

 

どちらが正しいのか俺自信明確にジャッジできないのだ

だが、正しさの前に最低限のマナーを身に付けなければその所作人物評価されてしま

 

これが厄介なのだ

文化マナー論理的な正しさでは無く情緒なのだ

 

論理的な正しさで言えば醤油が貴重品だった時代はとうに終わり、大量生産、合成醤油時代チビチビ使う合理性は無い、ちょっと多めに注いだところでたかが数円、数十円。

しか精神生活全般、あらゆる行動選択につながる

なんでも使い捨て、大量消費、それこそ資本家の思うつ

真に自分必要もの優先順位をつけて消費して行動する

ものを大切に、人を大切に

そういう精神根本醤油チビチビではないのか

 

ところがである彼女の国の方が遥かに人やモノを大切に扱ってる。

日本ではすぐに捨てられるようなものが大切に使われている

人生のもの有意義に生きている、議論余地が無いほどに大差で日本が負けている

人口あたり自殺率日本の10分の1も無い

食事マナー自殺となんの関係が?

社会ルール、抑圧、正しさへの隷属、そーゆー息苦しさが自殺率の多さだと思うのね

 

そういえば思い出した、妻と電車に乗っていて目の前で人が倒れたことが二度ある。

妻は助けるのが当然なのだが、俺は二次的なトラブルに巻き込まれることを想像して躊躇する、そして周りの日本人も全員同じ。

優しい日本人、ふーん

まぁいい

 

楽しく食事するときに細かいマナーなど気にせずに日本では無作法だろうが楽しくお話して醤油の配分なんぞ歯牙にもかけない、ええじゃないの

 

とは思うが、息子が小学校で無作法バカにされた時に冷静に論理的反論できるか?

できねぇわなぁ

とりあえずは日本バカルールに従うしか無い

 

ちなみに息子は超絶猫舌、アチアチを好むのは日本韓国くらいしか無い

妻は子供食事を十分に冷ましてから与えるため熱いものが食えなくなってしまっている

こーゆーのもどうしたもの

無数にあるんです

困ったなぁ

 

結論先送りで

  • 人口あたり自殺率が日本の1/10以下の国って6カ国しかないぞ https://honkawa2.sakura.ne.jp/2770.html

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