はてなキーワード: 情事とは
毎日寝る前のオナニー、寝起きのオナニーだけでは飽き足らず
オナニー終了後の就寝前に聴いて、更に会社に行く直前にも聴いてる
これが毎日
就寝前に聴くのにいたってはもはやこれがないとスヤスヤ眠れないからだになってしまった
まだ外出中に聴いてないからマトモだとは思ってるよ
ちなみに録音回数はもう16回を超えている
8割私のうるせえ喘ぎ声。もう自分で聴いても恥ずかしくなくなってしまった
むしろ彼氏がイッたあとのピロートークを聴いてる方がよほど恥ずかしい
吐息が好きなのと、気持ちいいと声のトーンが随分優しくなるのでそれを聴くのが最高に精神衛生上よい
心から愛してる
好き
本当にクズ
ごめん
でも好き
耳元で優しく囁いて欲しい
あーごめん好き
ごめんね、クズで
そんなわけで
大学生時代に学前のガストでよく駄弁ってたテーマで、大変懐かしく思った。
増田の考えを解き明かす分野としては法哲学に入るのだが、結論が
と、ややトーンダウンした感じで締めくくってる事。そして関連エントリで
どっちの話だ
https://anond.hatelabo.jp/20210616162123
というコメントがある事から、社会科学の視点について議論が浅い部分が見受けられたので、そこについて補足しておきたい。
(なお引用した『社会科学は検証も再現も不可能な占星術的なもの』という理解は何から何まで間違ってる。社会科学とは社会の “関係性" の部分に焦点を当てた学問なので、法律学を社会科学の視点で分析するのは正しいし、数多の論文はもちろん研究や講義も普通にある)……閑話休題。
さて。
という元テーマに回答すると
という回答になる。身も蓋もなくて申し訳ないというか、「そりゃそうだろ」と言われそうだが。
社会の便益と個人の利益。それらが相反するとき、妥協点を定めるのが、法とコミュニティである。
という言葉がありまして。個々人が好き勝手にやった結果、社会に損をもたらしてやばい → だから法で規制/ルール化しよう。ってのが、多くの法が作られる基本的な流れと思って良い。すなわちそもそも法が作られる理由/初動の多くが「誰かが好き勝手やったせいで、他の誰かの利益/権利をおびやかしている」である。大抵の場合において、科学的問題提起から発祥したものではない。
もちろん「この方法は患者の不利益になるから規制すべき」(医事法令)や「この方法を施工主が行うと顧客の安全性を損なうから規制すべき」(建築法規)などもあるが、これらの科学的根拠も 誰かの利益/権利をおびやかしているから、それらを保護/フェアネスにすべき という原則が先であり、科学的根拠はその理由付けに過ぎない。
よく語られる話ではあるが「大麻は規制されてるが、酒は規制されていない。科学的根拠に照らしたときに、矛盾があるではないか。両方似たものだから、両方規制するか両方解禁すべきだ。」という人がいる。この指摘は科学的な視点からは合理的かもしれない。
だが、これは時の権力者が「大麻/酒を規制したとき、社会の便益と個人の利益、どれを重視し、着地点を定めるか」と議論をしたり、賄賂だったりコネだったり、時代の情勢やら経済施策だったり、決めた権力者の気分だったり、そんな事情やあんな情事でアアダコウダして、その結果……今の大麻禁止・酒OKなのであろう。
ひとたび法が作られてしまうと、その後は妄信的に信じる輩が出てくる。コア・コンピタンス経営という本に「猿とシャワー」という寓話がある。有名な話だが、要約するとこうだ
檻の中に、4匹の猿がいた。部屋の中央にはバナナが吊されてある。
当然、猿はバナナを捕ろうと飛びつく。すると天上から冷たいシャワーが降ってくる。猿はバナナを諦めてしまう。
4匹の猿を1匹を入れ替える。新入り猿はもちろんバナナに飛びつこう……とするが、古参猿3匹に「やめておけ」と止められバナナには触れなかった。
猿の交換を繰り返し繰り返し、ついには誰もバナナに見向きもしなくなった。
だがしかし「バナナに飛びついてはならぬ」だけが呪いのように猿を支配し、バナナに飛びつかない理由自体は誰も覚えていない。
とっくにシャワーが噴き出す仕組みも、なくなっていたというのに……。
時代が変化しているのに、過去を妄信的に信じる猿に、僕らはなっているのではないか。
しがらみに囚われなければ、より良い利益(バナナ)を手に入れられるのではないか。この視点/議論は常に必要だと思う。
科学とは、多くの場合において、根拠と再現性ある形で、世の中を照らす。
古くに権力者によって作られた法は、本当は科学的根拠に欠けているのではないか。新しい科学的な発見を取り入れ、検証され、アップデートされてしかるべきではないか。
理想論をいうなら、私もそうであってほしい。しかし過去の法/ルールに縛られ、大抵の場合は喧喧諤諤の議論となってTwitterのつぶやきの藻屑と消えゆく。私の見る
も多くがそんな話をループしているように感じてしまう。増田のような科学的知見から疑問を呈する者が、確固たる根拠を述べ、社会にとっての新たな利益をアピールし、歪んだ法を叩き直してほしい。そう願う。
http://ouomt.xrie.biz/?guid=on
音もなくふれあって、すぐに離れる。万次郎の唇のつめたさに気づいたときには彼はヘルメットをかぶっていて、無言で私に圧をかけていた。急いで万次郎に倣い、胴に腕をまわす。彼の息遣いをききながら、私はさっきのキスのことを思い出していた。恋人として当然の行為にいちいち意味を求めてしまうのは傲慢なのだろうか。設置された信号機はずっと赤色を点滅させていて、堂々巡りの思考みたい。不安な気持ちを落としていくように、ふかく息を吐いた。車の往来は皆無で、私たちは何にも阻まれることはない。今夜はずいぶん静かだ。風も、星も、万次郎も。バイクのスピードが落ちる。鼻腔をくすぐるのは潮風だった。万次郎が前を向いたまま私に問いかける。
「海、寄る?」
「寄らない。とまらないで」
「うん」
ふたたび速度があがる。海は空と同化していて、境界がまるでわからない。万次郎の背に顔をうずめて目を閉じる。海を泳いでいるのかもしれない。空を飛んでいるのかもしれない。もしかしたらここは宇宙で、無重力に成す術がないまま漂っているのかもしれない。ほんとうにそうなってしまえばいいのに。
「なまえ」
情事を彷彿とさせる声だった。それなりにおおきな声を出さなければお互いの耳に声は届かないはずなのに、万次郎の声はやはり静かで不思議な気分になる。なあに?と返す自分の声がひどく耳障りなものに思えた。
「オレ、なまえが好きだよ。だからキスするし、抱くし、こうやってバイクに乗せる」
彼の言葉が私と現実を繋ぎ止める。海中でも空中でも宇宙でもなく、湾岸道路を走っているのだ。急カーブに差し掛かるもスピードは落ちない。ライトが照らす先はほんのわずかで、その先はまだまだ果てしない夜が続いている。好きだよ。万次郎が思っているより、私が思っているより、万次郎のことが好きだよ。言葉にすると途端に安っぽくなってしまうから、背中へのキスに変える。じわじわと熱が伝染して冷えた万次郎の唇があたたまったら、もう一度キスをしてね。
結局のところ二次創作はジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。
たとえばONE PIECE(冒険バトルもの)とかるろうに剣心(時代劇、剣戟アクション)とかの二次創作でも原作の主題抜きに、読み手は恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから。
二次創作では、原作の行間を埋めるお話が求められる。原作のアナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラの日常や人間関係の描写を犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。
それに、物語を展開させると、どうしてもストーリーの面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説は漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。
また、キャラぶれが生じ易いのも問題。登場人物の人間性は、たった一言、たったひとつの動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う。
文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説の醍醐味のひとつであると思えば、二次創作小説で長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。
という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作に転向して、なろうやカクヨムで書こうか。
だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリーの面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。
商業BL小説の大人気タイトル。BLは少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生はAbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番のネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタなネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物の心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこの主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである。
『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画。漫画家 榎本ナリコがプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画をオリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。
そもそも原作『幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係の描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップが存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである。
本書はそんな幽白の二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。
特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写を差し込んでくるので、驚嘆させられる。
メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。
収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画である。オリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だか分からない話になっている。ベタな恋愛コメディ同人に食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語。
KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL。
主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。
設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りをかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロの小説家だけ、という見本。
俺は「両方だ」と答えた。
ああ、俺はもう妻を心の底から愛していないんだということを。
違うんだ。本当は自分でもうすうす気付いていたんだと思う。
あのときの答え。両方だというのは、両方とも大切ということじゃない。
仕事なんだ。
俺にとって、会社での仕事も、お前のことを大切にすることも、両方が仕事になっていたんだ。
ただ、少し疲れてしまっていた。
だからあの数回の情事については誰にも言うつもりはないし、誰にも打ち明けずに墓まで持って行くつもりだった。
それでも彼女が今度、結婚すると聞いて俺ははっきりと動揺する自分に気がついた。
踏ん切りをつけるためにもここに書く。もう彼女と俺は関係がない。
俺はこれからも妻を愛するだろう。
たとえそれがどのような形であろうとも。
タイトルの通り。
二次元エロは好き。男性向け最高。BLも嫌いじゃない。GLはちょっとよくわからないけど絵面は綺麗で好き。サンキューDMM。ネット最高。
でもAVはギリ。モザ無しは微妙。音声は消す。風俗レポは好き。ネタAVも面白くて好き。
シモネタも楽しい。仲の良い友だちだからこそ言えるしょーもないシモネタ大好き。コロナで会えないけど、カラオケや完全個室で話すしょーもない小学生レベルの下ネタだけでガンガンお酒が飲める。今だにいちご100とか太臓で笑える友達ありがとう。笑いすぎて頬が引きつって腹筋がまさに崩壊するレベル。会社では絶対にできん。
でもリアル交友関係のカレカノ事情はキッッッッッッッッッッッッッッッッツイ。一ミリも聞きたくない。
生々しい。これにつきる。同僚や友達のそんなこと聞きたくなかった。私は女だけど男同士でもこんな話するの?それともたまたま私の人生にいた周囲の女性がこんななの?
「ヤッてる途中でゴムが外れてさ〜」「昨日シたんだけど身体怠くてヤバいwww」「彼氏がすごいSで中々イカせてくれなくて…」
毎回「ちょw生々しいwwwてかそれ私に言っていいの?wwwww」って軽く牽制してみるが皆「私らの仲やんw」「処女じゃないんだからw」で終わる。
手前味噌で申し訳ないが、私は軽んじられているのか何なのかだいたいの人に「話しやすい」と言われる。だからなの??????
こう……毎回架空のものに対してノリノリでしょーもない下ネタで楽しんでいると、ふとした瞬間に「この子はそこまで喋っていいんだ」となってリアルな情事話にスライドする。
一応「いやリアルはちょっと…」って言うけどね。言うけどだいたい「え!?さっきまで話してたじゃん!?」ってなる。
違うんだー違うんだよー。フィクションは楽しめてもノンフィクションは違うんだよー。
でも中々わかってもらえない今日このごろ
遠洋漁業で家を空けることが多い夫。
次帰ってくるのは半年後だ。
鰹のなめろう。
28の若くも老けてもいない、ただ数年前より確実に瑞々しさがなくなった二の腕に肉片が付いた。
その肉片をふと眺める。
口を近づけ、肉片がついた二の腕に吸い付く。
口の中で舌をナメクジのように這わせ、二の腕についた肉片を食べた。
まだ味付けをしていない生臭い肉片。
あれはいつだっただろうか。
あの時も夕飯はなめろうだった。
味噌や生姜を入れてもまだ鰹の生臭さは取りきることはできない。
私はごめんねというのだが、旦那は「海の男にはこれくらいが丁度良い」と笑い飛ばす。
私は良くないのだ。
歯を磨いても取りきれない生臭さ。
頸を舐め、乳首を舐め回す。
鰹臭くなった身体を洗う。
なんでこの日に限ってなめろうなんて作ったのだろうと後悔した。
ただ、鰹の臭いを洗い流す時間、それも幸せだったのかもしれない。
今はそう思う。
2階にいる息子を呼ぶ。
その時はラブホテルでヤったんだが
相性がよくてなんと二回目会うことになった。
かなり立派なマンション。高給取りなのかもしれん。
部屋で彼と対面。
その時点でお互い興奮しちゃって服を脱ぎ捨てて。
でも何だかそのまま裸でお互いのこと話すことになった。
私はあの日はやさぐれててさ、普段はこんなことしないんだよね~と純情アピールなんかをしていると、彼は言った。
"俺って首締めが趣味なんだよね"
首締め、する人はいるとは聞いていたが実際に出会ったのは初めてだった。
自分は首締めなんかしたこともされたこともなく、興味もそんなになかったので、適当に相槌をかましていた。
彼は首締めが趣味らしく、友達の首の骨がずれるくらいに首を締めてしまい、病院送りにしてしまったらしい。
それを自慢げに語る彼。
いや怖すぎる。
首締められるわ、これ。
怖くなって帰ろうと試みたが、彼は何故か私のことをとても気に入っているらしく、私を放す気はなさそう。
もう逃げるしかない、と思ってた時にいきなりインターホンが鳴った。
というか鳴ったと同時に玄関のドアが開いた。
なんとその彼の母親だった。
まさかの親フラが立った。
すると母親は私の耳元で「早く帰りなさい!!!!!」と叫んできた。母親も怖すぎる。
私が服を着たり荷物を片付けたりしている間、
彼は何をしていたかと言うと
隣の部屋の騒音が気になると言い出してバットで壁を突いていた。本来の意味の壁ドンだな。とか思う余裕もなく、その時は本格的にヤバい早く逃げたいという感情しかなかった。
壁ドンがドンドンドンドン響くなか、私はだらしなく服を着た状態で部屋を飛び出した。
部屋の外には隣人住民たちがいた。
あまりの騒音(壁ドン)に何の騒ぎかと外に出てきていたのだった。
ちゃんと履けていない靴を履き直していると、隣の部屋に住んでるらしき女の人が、
「いつも本当にうるさいんですけどどうなってるんですか?!」
と私に怒鳴り付けてきた。そりゃバットで壁ドンされたら怒るよな。
私はいや知りません部外者なんで、と言い放ちエレベーターに乗った。が、その隣人の女がついてくる。
ずっと私にあの騒音をやめさせて欲しい、いつも困ってるといったことを訴えてくる。正直もう関わり合いたくなかった。
私はエレベーターが着いてすぐに走り出した。確かこのマンションから駅が近かった。私は駅に向かった。こんなに走ったのはいつぶり、というくらい全力疾走した。
さすがに女の人はついてきていなかった。
私は安堵した。駅に到着して家に帰る切符を買っているとなんだか違和感。パッと後ろの方を見ると遠くにさっきの隣人の女がまだ居た。まだ着いてきてた。
本当に何も知りません、彼と会った経緯は…………と赤裸々に全てを告白した。首締めの件も。だから怖いんです。と正直に全てを打ち明けた。
すると隣人の女はビックリしてそうだったの?!と親身に話を聞いてくれた。それは警察に相談した方がいいよね、と言われてさらに怖くなってきた。
全てを話し終えて、本当に怖かったんです、と隣人の女に伝えていると、その女はおもむろに携帯を取り出して電話をし始めた。
「~~~~~っていうことらしいですよ。」
私がワンナイトした男に報告していた。
という夢をガチで見てさ。
起きた時の絶妙なあの感じ、忘れられん。
ネットスラングにおいて「地雷」とは、かつてはエロゲー用語のことだった。私の知る限りでは二十年ほど前から使用されていた。
ttps://anond.hatelabo.jp/20201209101046
当時のエロゲーは一本8,800円が基本で、タイトル名とパケ絵とエロゲ雑誌のわずかな情報だけで購入を判断していた。購入前情報と作品のクオリティに乖離が大きいこともしばしばで(端的に言ってクソゲーであること)、そうしたゲームを買ってしまうことを地雷を踏むと表現していた。次第にそうしたゲームのことを地雷ゲーム・地雷ゲー、あるいは単に地雷と呼ぶようになった。アニメは地上波放送なら無料で漫画やラノベは高くても1,000円なのに対して、エロゲーの価格が8,800円と高額であり、しかも購入しなければ内容がわからないことから、金銭的な損失のショックを地雷を踏むことに例えたのだろう。
地雷ゲームを防ぐにはメーカー名(ブランド名)や製作スタッフ(シナリオやCGのクレジット名)で判断をすればよい。しかし、新興ブランドの新作に対してはそうした戦略をとれないので、2ちゃんねる等の掲示板で感想を見てから購入を決めることが賢い判断だった。だからこそ、地雷の可能性があるエロゲーを予約するだの発売初日で購入するだのと宣言することは勇者として崇められたことだったし、感想が「〇〇は地雷だった」でもその情報は重宝されたのだ。
二十年ほど前のエロゲー業界では「はじめてのおるすばん」[2001年](以下はじるすと略す)が話題だった。発売元はビジュアルアーツ傘下のZEROというブランドであるが、ZEROは製作スタッフ名を伏せて実験的なゲームを発売することが多く、内容がクソゲーであることもしばしばだったので地雷メーカーとも呼ばれていた。当時、国際NGOが紛争地帯での地雷ゼロキャンペーンを推進していたので、それになぞらえて地雷ZEROなどと揶揄されていた。当然「はじるす」も発売前は目に見える地雷と評されていた。しかし、児童ポルノ法制定[1999年]から続く規制強化の論調に反発するかの如くに幼く見える女の子が18歳以上と言い張る公式ホームページによる紹介ページが大好評になり、エロゲー業界を超えた大きなムーブメントとなった。当時ネットサーフィン(死語)をしていた人は、「はじるす」紹介ページのパロディを見たことがあるはずだ。この「はじるす」、想定を超えたブームによる品切れが続き、なおかつゲーム内容がおおむね前評判通りでもあったので(メインヒロインがゲーム開始時に非処女であることに物議を醸したが)、地雷ゲームの汚名を返上するほどの人気作となった。発売後2~3か月ほどは、「はじるす」を求めて各地のエロゲーショップを巡回する「はじるす難民」が続出したという。今日でのネットスラングとしての「難民」の意味は、きらら系の癒しアニメが最終回を迎えることによって、アニメによる癒しに強く依存したファンが新たな癒しを求めて彷徨うことである。「ゆゆ式」や「きんいろモザイク(1期)」が放映されていたころに「難民」の用語が流行り始めたが、その元祖は「はじるす」だと思っている。
地雷の意味が変化したきっかけは、同じビジュアルアーツ傘下のイージーオーから発売された「うちの妹のばあい」[2003年](以下、うちいもと略す)であろう。当時のイージーオーは知名度は低く大きなヒット作を出していなかったものの、シナリオ・CG・システムともに一定以上の品質を保持していたので、知る人にはある程度の評価をされていた。「うちいも」は発売前の公式ホームページによる宣伝に力を入れており、なおかつ当時は妹ものブームだったこともあって大きな評判となった。しかし、イージーオーは「寝取られ」のジャンルで知られるブランドでもあったので、古参のファンと何も知らない新参者との間で大きな議論を呼んだ。「イージーオーのことだから、また寝取られ描写があるのだろう」、「いや、公式情報によると妹との純愛にしか見えないので、寝取られはありえない」という具合であった。結論を言うとバッドエンドルートでヒロインの寝取られがある。それも、ご丁寧に攻略ヒロイン全員分にだ。今でこそある程度の市民権を得た「寝取られ」だが、当時はまだ理解できる人が少なかった。純愛を望んだ多くのユーザーにとっては意図せずに「寝取られ」を見せつけられる結果になったので、作品としては不評や反感の意見が飛び交うこととなった。しかし、「うちいも」が「地雷」と呼ばれることはあまりなかった。と言うのも、「うちいも」は前作の「雨やどり」を超えるボリュームのシナリオ・CG量があり、バグや不具合もなかったので「クソゲー」ではなかったからだ。シナリオの内容についても、分岐によってはハッピーエンドもあり、そちらでは「寝取られ」も無く概ね好評を得ていたので、作品全体は「地雷」ではないもののバッドエンドが「地雷」と評されたり、「鬱ゲー」と呼ばれるジャンルを好むユーザーからはむしろ高い評価を得たりもした。これが「地雷」の用語がクソゲーを踏むことから変化して、ジャンルやシチュエーションがユーザーの嗜好と不一致することに対して用いられてきた最初の例だと思われる。ちなみに、イージーオーは「うちいも」の賛否両論の騒動を受けて、公式ホームページで「純愛宣言」をすることとなった。内容としては、今後リリースするすべてのゲームで「寝取られ」描写をしないというユーザーに向けての宣言である。しかし、イージーオーは失った評判を取り戻すことができず、ブランドは解散することとなる。
次に「地雷」がキャラクターに対して用いられた例も述べる。エルフの「下級生2」[2004年]である。エルフは今でこそ解散してしまったものの、かつては老舗の有名ブランドであった。「東のエルフ、西のアリス」と呼ばれ、業界大手のアリスソフトに匹敵するほどの人気があった。エルフは「ドラゴンナイト」シリーズや「同級生」シリーズで知られるブランドで、エロゲーをやったことのない人でもタイトル名だけは知っていることだろう。昨年アニメ放送された「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」も原作はエルフにより発売されたエロゲーである。「下級生2」の発売当初はエルフの人気シリーズ続編ということもあって当然多くの期待と注目を浴びることになった。しかしながら、「下級生2」も「寝取られ」(正確には寝取り?)が原因で不評を買う結果になってしまった。メインヒロインの「柴門たまき」は主人公の幼馴染だがゲーム開始時点で医大生の彼氏持ちという、学園ものの恋愛アドベンチャーとしては斬新な設定であった。「たまき」を攻略することは、彼氏持ちの女が幼馴染の男(主人公)と二股デートをすることと同義でもある。そして攻略を進めると「たまき」は二股がバレて彼氏に捨てられることになる。その後もシナリオを進めると、主人公との情事を重ねる際に「たまき」は医大生と肉体関係を持っていたので非処女であると告白するのだ。そのうえ、「たまき」は情事の内容をいちいち元彼氏と比較をするのだ。ゲーム序盤では、「たまき」は主人公の幼馴染でクラスのマドンナ的な存在として描かれていたにもかかわらず、その本性は性悪ビッチ女だったという展開にピュアな童貞エロゲーマーの精神が耐えられるはずもなかった。激怒したエロゲーマーは、エルフのファンクラブを退会しゲームディスクを真っ二つに割った画像をアップした。これが「たまきん事件」の顛末である。「下級生2」が「地雷」と呼ばれたことはもちろんだが、それと同じくらいに「たまき」も「地雷」と評された。これがゲームではなくキャラクターに対して「地雷」が用いられた最初の事例かと思われる。
ちなみに、00年代中頃になると地雷ゲームの呼称はあまり使われなくなってゆく。その理由としては、体験版や公式ホームページによる情報公開が進み、発売前からある程度内容を推測できるようになってきたからだ。さらに、アリスソフトの「妻みぐい」[2002年](定価2,800円)を契機に廉価ゲームが流行って、エロゲーは一本8,800円という常識が崩れたこともある。それにより、新興ブランドがクオリティの不明なエロゲーを8,800円で発売することもなくなったので、エロゲーマーが地雷を踏むことも無くなった。次第に地雷ゲームの言葉は廃れていった。さりとて、クソゲーが消えたわけではない。クソゲー愛好家の間ではHYPERSPACE(通称:超空間)というブランドのエロゲーは有名だが、「地雷」ではなく明らかな「クソ」なので地雷ゲームと呼ばれることはなかった。
なぜ「地雷」の歴史を長々と述べたのかというと、冒頭に述べた増田にて、同人界隈で腐女子が地雷という言葉を用いることを知ったからだ。今でこそ「地雷」は「下級生2」の例で述べたように、キャラクターや人物に対して用いられるのが常である。実在人物においては、合コンの相手・交際相手・風俗嬢などに対して使うことが多いだろう。しかし、腐女子は同人作品の受け入れられないジャンルやカップリングなど嗜好の不一致という意味で用いているのだ。これは「うちいも」における地雷の用法と同じである。そうした観点からみると腐女子が用いる「地雷」はむしろ原点回帰と言えなくもない。そうした意見を述べてみようかと思った。しかしながら、エロゲーとは関係ない文脈で「地雷」を用いている場で長々とエロゲーの歴史を語っても尋常者は嫌悪するだけとなるので、ツリーに表示されないようにh抜きでURLを張ってこのように長々とした文章を描いた次第である。
私は「地雷」用法は本来の意味に立ち返るべきだと言及するつもりなど毛頭ない。ただ単に、インターネット黎明期の頃から続くネットスラングが用いられた当初の時代の雰囲気を主張したくなっただけである。かつてネットスラングはエロゲーマーをはじめとしたヘビーなインドア男が生み出すのが常だった。インターネットは、現在のようにWi-Fiで楽チン接続するのとは訳が違った。高額で場所の取るデスクトップPCを用意し、プロバイダー契約にも金を払い、様々な配線を床や壁に絡ませて、頻繁にフリーズするWindowsで面倒なインターネット接続設定をする。このような芸当は、注ぎ込める時間と金の全てを家の中で消費するヘビーなエロゲーマーにしかできないことだ。手間暇をかけて接続したインターネットの利用方法はもちろんエロゲー情報の収集である。だから、当時生まれたネットスラングが現実では全く使い道の無い言葉となるのも当然のことだった。逆に、現実の言葉がエロゲーマーにとっては違う意味を持つこともある。2007年に月探査衛星の「かぐや」が世間ではニュースになったが、当時Googleで「かぐや」と検索するとエロゲーブランドの「アトリエかぐや」が最上段に表示されるというありさまだった。今では到底信じられないことかもしれないが、もしも日本のインターネット文化を構成したのが引きこもりエロゲーマーばかりだったらというおぞましい現実が、インターネット黎明期に実存していたのだ。
もちろん私もヘビーなインドアエロゲーマーだ。しかし、エロゲーから離れてもう十年以上も経つ。エロゲーとはもはや無関係の私が、「地雷とは元々エロゲー業界で用いられてきた言葉で…」などと述べたところで、誰の代弁にもならない無意味な話にしかならない。GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と演説したが、その言葉を借りれば「エロゲーマーは死なず、ただ消え去るのみ」と言ったところであろうか。しかし、職業軍人とは違い私はただの一消費者に過ぎず、しかもその趣味を現実世界では誰にも公言できないので、演説どころかこのような匿名ブログでしか述べることができない次第だ。それに、こうして長文を書くこと以外に自身がエロゲーマーであったことの証明ができないので、もはや消えていたも同然だ。
エロゲーマーは死なず、とうの昔に消え去っていたのだ。
その二人は公式でカップルと明言されたわけではないのだが、ほぼそれに近い関係性だ。
彼等が関係性を深めていく話が物語としてよくできていたのもあって、私は二人の関係性を好きになった。
ここで終わればよかったのだが、オタクとしての性でつい他の人の感想や創作が見たくなってしまった。
問題にぶち当たった。
カップリングにおける左右ってなんなんだ。
私は男女のカップリング(後に本当にカップルになったが)を好きになったことがあったのでカップリング文化についてはわかっていた。
この二人のカップリングはこう、と名前が一つに決まっていたのでそういうものだと思っていた。
なのに、男二人のカップリングだと名前が二つもあってどうやらそれは同じものではないらしいのだ。
私はすぐに定義について調べて、さらにショックを受けてしまった。
もちろんカップルならそういうこともするだろう(全てのカップルがそうだとは限らないが)。
それはわかる、わかるのだが。
しかもその左右はとても大事なことで、どちらか決めなければいけないというのだ。なるほど。
わからなかった。
そもそもその二人が情事をしているときが全く想像がつかないのだ。
というか興味がない。
私は二人が公式でしているような心の交流の範囲で十分であって、そっちの方はどうでもいいのだ。
男女のカップリングでもそちらの方をよく好んでいる人がいたが、別に見なければいいだけの話だった。
そう悩んでいるとアドバイスを貰った。
リバがいいんじゃないか、と。
私は意味を調べた。
違う、そういうことじゃない。
だけど「どっちでもいい」ではなく「どっちもなんか違う」のだ。
二次創作歴1年。
描くものは恋愛要素なし全年齢作品。基本的に一枚絵ばかり描いてる。
今までにないくらい好きな作品とキャラクターと出会えて、幸せで。彼女たちの豊かな表情や幸せそうな笑顔、何気ないけれど掛け替えのない日常を、自分でも描きたくなって、安易に「二次創作」というものを始めてしまった。
最初は観てもらえるのが嬉しくて、好きを共有できるのが幸せだった。でも、ずっと見て見ぬふりをしてきたことが、いよいよ辛くなってきて、毎日吐きそうになっている。
なぜ全年齢コンテンツで、他人作った創作物(キャラクター)を使って、成人向けの作品を描ける人や、キャラの情事やセクシャリティについて決めつけて発言する人があんなにたくさん、当たり前のようにいるのだろう。脳内の構造がどうなってるのか全くわからない。
キャラクターたちは未成年で、彼女たちがセックスする様子を描いているのは(基本的に)大人という構図がグロい。和姦だろうがなんだろうが、最近はどんな成人向け作品でも、キャラクターの人権を無視したAVにしか見えない。「二次創作(幻覚/妄想)」「コンテンツやキャラが好き(愛ゆえ)」だからという言い訳も、私は受け入れられない。
作中で性的指向を明言されていないキャラやキャラの振る舞いに対して「このキャラは(振る舞いは)レズ」と悪気無く当たり前のように発言も私は嫌だ。そういう発言をする多くの人はきっと「私は同性愛に理解がある」ってスタンスだと思うけど、本当に理解があるなら他人(キャラ)の大切な部分を決めつけたりしないのではないだろうか。
そしてキャラクターの向こうには、彼女たちを演じてくれる生身の人がいる。
トークイベントに参加していた二次創作者が、公式のツイートに反応もしているアカウントでイベントの感想に交えて「●と●の●姦見たい」といった趣旨の発言をしてるのを見かけたときは、殴られたような気持ちになった。生身の人を見て、その上でそういう発言ができるの、普通じゃないと思うのは私だけなのだろうか。
でも散々言っておいて、私もその「二次創作」の界隈のくくりの中にいる。辛い。でも彼女たちを描くのを辞められない。私が描いてるものだって、自分では毒にも薬にもならないと思っているけれど、キャラクターや演者さんを損ねている可能性だって十分にあるわけで。自分が正しいだなんて思っていない。
ただただ「二次創作」をする人たち、見る人たちの「当たり前」が、ずっとずっと、足を踏み入れたときからわからない。理解できないし受け入れたくない。
いつもLOにお世話になっている27歳女です。
容姿にコンプレックスがある上にリアリティが無いと性的興奮ができない性格です。
そのため女性向けエロコンテンツだと男女双方の容姿が整いすぎて全く感情移入できず、かといって男性向けのものも容姿の整った女性しかいないので感情移入できず、
色々試してLOにたどり着きました。
大体のエロに「容姿が整っているからこの情事が成り立っている」と感じるのに対し、こちらは「幼いから」という理由で情事が成り立っているのが私が救われるポイントです。
ブスの私にも幼少期はあったので、自分の幼少期に起こっていたかもしれないifの情事として読むとすごく興奮できるからです。
好きな作家さんは
シチュエーション、情事に至るまでの流れ、男性の容姿のキモさが全て完璧。女の子がノリノリな子が多いのも明るく読めて良いです。私は初期の絵柄の方が好き。
温泉やプールなどの露出が多くなるシチュエーションが好きなので。性に興味津々の女の子達に共感する。
・上田裕
女の子のモノローグが時々リアル。(ズルズル音を立ててク◯ニされてる時に「冷めるんだよなそういうの…」って思ってたりとか)ちょっと志村貴子みまで感じるエモい台詞運び。行為の意味とか自分の価値とか大人の汚さを分かった上でやっている女の子が多くて好きです。
陵辱モノを読みたい時に。幼い子に手をかける大人の汚さがリアルで、最低だなと思いつつ、そんな強い流れに身を任せて汚されたい気分の時に。
・鬼束直
ストーリー、絵ともに安定して素晴らしい作家さん。兄弟ものも多い印象で、兄弟が地雷な私は読むだけのときも多いです。
・東山翔
性器の書き込みとトーンがすごい。インプリシティはエロとしては読めなかったけどストーリーが凄すぎて単行本も買った。過去に調教された影響でピアノの旋律をきっかけにスイッチが入ってしまう子の話が忘れられない。
こんなことはTwitterにも喪女板にも書けないし、本当誰にも言えないのでここに書くけれど、たしかに私は女性のLO読者で、そこに掲載されているフィクションに本当に助けられてます。編集部の人、ありがとう。世間の目は本当に厳しくなっているし買い支えることしかできないけど、ありがとう。
わからない。何がわからないのか、さっぱりわからない。ただ胸に大きな「わからなさ」が居ついていて、それがどうしてあるのかさえ、わからない。
みんな同じように「わからなさ」を抱えているのだろうか。だとしたらどうして、さも楽しげに街を歩いたり、学校に通ったり、仕事に励んだり、情事に耽ったり、新しい本を買ったり、美味しいものを食べたりするのだろう。もちろん、私もそうすると楽しいし、またしたいと思う。ただ、わからないものはわからないままだ。
逆に考えてみる。すなわち、さしあたって宇宙はわかるものなのか、意味のあるものなのかと。するとやはり、わからない。ビッグバン理論によれば、この宇宙はある一つの特異点から始まり、たちまち時空が広がった。だとしても、これは単に宇宙の生成の過程を説明したまでで、理由を述べるのものではない。なぜ、宇宙は生まれたか?それは永遠にわからないままだ。世界は宇宙レベルのクソデカい「わからなさ」に包まれている。なるほど、それはわからない訳だ。
もうみんな忘れたか、あるいは知らないかもしれないが、コロナが流行し始めた2月に、若干炎上したアイドルグループがいた。
このアイドルは私が10年以上推しているバンドと所属事務所が同じだ。
推しバンドはハードなスタイルと違ってそのあたりはわりとまともである。ファンの間でそのプロモーションはどうなの??とかグッズの個数制限があまりにも雑、など事務所に対して悲鳴が上がることはあるが、20年以上活動しているバンドなのでメインファン層も25〜40代あたりで振り回されるのに慣れている人も多くそれなりに落ち着いている。
特にリーダーは際どい話題について触れることが一番多いと思うのだけど、かなり慎重に言葉を選んでじっくり話す。そういうところ好き。
デビュー曲のMステステージセット怖すぎ苦情事件をはじめ昔はファンも含めていろいろぶっ飛んでいたようである。
当時のマネージャーの苦労が偲ばれる。
推しがまともならいいのでは?と思うかもしれないが、この事務所、アイドルだけでなく社長の発言も若干香ばしいのである。コロナが流行り始め補助金が出るか出ないか、ライブが中止になるかならないかの時期もかなり荒れていた。