わからない。何がわからないのか、さっぱりわからない。ただ胸に大きな「わからなさ」が居ついていて、それがどうしてあるのかさえ、わからない。
みんな同じように「わからなさ」を抱えているのだろうか。だとしたらどうして、さも楽しげに街を歩いたり、学校に通ったり、仕事に励んだり、情事に耽ったり、新しい本を買ったり、美味しいものを食べたりするのだろう。もちろん、私もそうすると楽しいし、またしたいと思う。ただ、わからないものはわからないままだ。
逆に考えてみる。すなわち、さしあたって宇宙はわかるものなのか、意味のあるものなのかと。するとやはり、わからない。ビッグバン理論によれば、この宇宙はある一つの特異点から始まり、たちまち時空が広がった。だとしても、これは単に宇宙の生成の過程を説明したまでで、理由を述べるのものではない。なぜ、宇宙は生まれたか?それは永遠にわからないままだ。世界は宇宙レベルのクソデカい「わからなさ」に包まれている。なるほど、それはわからない訳だ。
分からないのが分かった。 つまり無知の知。 元増田は哲学の一歩を踏みしめたのだ。
野菜と瞑想が足りてないのでは