はてなキーワード: 唐突とは
免罪符?
ならんよ。唐突だね。必要なの?
問題は、どちらかが先に始めた、って事だよ。お互い止めるつもりがないくらい嫌悪してる、って事だよ。
誰かに許可をもらわないとできなの?
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3869121.html
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3868613.html
タメになった。
最近は既婚者のスレを読むと、幸せな家庭にほんわかしたり、何でお前ら結婚したのよみたいな会話を見つけてナーバスになったりしてる、当方27歳男性。大卒後即就職して今社会人5年目
こんな男とは結婚するな!みたいなのはあんまり当てはまらないタイプ。
特撮オタクで仮面ライダーのオモチャ集めてるのは、致命的な人には致命的かもしれんが…。いいじゃん。
酒もタバコも賭け事も風俗もしなければ、仕事は楽しいし職場も快適だし、友人は結構いるし格闘技とサイクリングをしてるからデスクワークだけどそれなりに動ける。オタクなのは否定しないけど、職場では完全に隠せてるから社交性もある方だと思ってる。社内と社外のパイプ役もしているから交渉能力にも自信有り。
大学の頃、オタサークルじゃなくて取材系のサークルを立ち上げていて本当に良かった。
唐突だけど、そんな俺はもう結婚とかは諦めてる。自分と一生を共にする女性なんていないだろうな、っていう諦めがある。
今日は二ヶ月ぶりの二連休で、いつもは土日が休みなんだけどここ二ヶ月はずっと何かしらの理由があって土曜に休日出勤してた。嫌々じゃなく、仕事が好きだからこそなんだけど。
週に一度の休みはしっかりと寝て体力を確保しないといけないから、遊ぼうと思ったら二連休ないと辛い。でも、遊んでばかりだと自宅の環境が悪くなるから、遊ぼうと思ったら二週連続で二連休が無いと辛い。
そんなんだから、俺には彼女ができても構ったりできないんじゃないかなって結構思う。今までできた事がないからわからないけど。
俺みたいに、彼女できた事がないし、仕事をバリバリやってるから結婚できなくてもいいんじゃないかなって思ってる人は結構いるんじゃないかなって思う。
いや、モテた事が無いって言うと少し違うかもしれない。言い寄られた事は何度かあるんだ。職場で、バイトとかに…。
でも、バイトに言い寄られても無いわーって思うじゃない?
仲の良い両親のおかげで幸せな家庭、暖かい一家というものにあこがれはあるし、自分の子どもを育てたい、良い父親になりたいって思うんだけど
俺に声かけたり好意をアピールしてくる女って、みんな良い母親になれそうに無いタイプばっかり。個人的に良いカーチャンになれそうなタイプって、自力で様々な問題を解決できるタイプだと思うんだ。
俺のカーチャンは、俺と兄貴が色んな厄介ごとを起こしても適切に対処と、正当な教育的指導を行ってくれた。
知性と常識、行動力と理解力、たくましさと道徳心。そういう物を求めてるのに、人生テキトーに後先考えず生きてバイトとかで食ってる人、暴力的な夫に耐えかねてバツイチになった女とかに言い寄られても迷惑でしかない。
あと、子どもって両親の性質を受け継ぐものという考えはやっぱりある。
だから頭が悪い女性に子どもを産ませるっていうのは、産まれてくる子供がかわいそうだと思う。やっぱり頭がいい母親でないと。外見は太ってさえいなければどうでもいい。
高望みし過ぎなんだろうか。頭がいい事と、まともな仕事をしている事と、醜く太っていない事だけを求めているんだけど。
普通の男の人は、どんな感情で女性が欲しいって思ってるのかな?別れるの前提で女をつまみ食いするみたいな話をネットで聞いたりするけど、友人への裏切りみたいなのは自分の良心が許さないから無理だ。
悪い事、迷惑をかける事をすると胸が痛くなって明らかに体調が悪くなる。心の健康の為には善悪でなら善の立ち回りに徹するのが一番だ。
そして、女性を自分から誘う時、断られたり、メールを無視されたり、期待通りに事が運ばなかったりすると、心がヤな方向に揺れてしまう。そんな苦しい思いをするから、恋愛は向いてないと心の底から思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110801091648
と言うか、恋愛諦めるなよって意見より、諦めちまえ諦めちまえになってたり、共感してくれる人があんまりいなかったり
これで高望みなのかなぁって個人的には思うのですが。だって、「高望み」してると好みの異性とか全然あらわれないワケじゃない?
でも俺、結構好みの異性と出会うよ。結婚を前提としたおつきあいをしてください!って言いたいなぁって人と。高望みじゃないと思うんだけどなぁ
前回の記事(http://anond.hatelabo.jp/20110716012416)が予想以上にブクマがついたので、引き続き書いてみたい。予想通り「ナンパ=イケメンに限る」みたいな、すっぱい葡萄を全開にしたコメントを残すバカもいたが気にせずいこう。いいだろうか、ナンパはイケメンに限らない。もちろん女性の中には「イケメン以外お断り」という奴もいる。だがそんな女性は存外少ない。気にせず、そして図太くなれ。厚顔無恥になることがナンパにおける必要条件だ。そして「ナンパ事始め」は内向的なうじうじ君からアクティビティを取り戻すための、スモールステップだと考えて欲しい。大丈夫。ワンステップはこれ以上ありえないくらい小さく刻んでいる。内向的な引きこもりが、いきなりどんなコミュニケーションでもイニシアチブが取れるようになる魔法は、残念な事に存在しない。誰もが「長年」かけて、異性にアプローチする方法を磨いてきたからだ。だが「いきなり」でなければ可能だ。しかもリア充が「無意識的」に磨いたスキルを「意識的」に磨けば、それは「いきなり」ではないが短期間で到達できるものに過ぎない。ステップを確実に登っていけば、少なくとも現状は脱出出来る。もちろんステップ一つ一つは楽ではない。だが時は来た。今まで逃げていたであろう苦しみと向かい合う時が来たのだ。
さて前回の記事のブクマコメントに以下のようなコメントがあった
「IT系の人が、マニュアルも読まず、アンチウイルスも入れず、DISKのメンテもせず、画面も読まずyesを押しまくり、それでPCが不調になって愚痴や文句を言いまくる人に対して抱く印象を、この人は彼らに抱いている気がす」
要するに「お前ちょっと見くびり過ぎだろ」という苦言だろうと思うが、これは誤解だ。この記事が必要な人間は多くはないだろう。(というか圧倒的少数だろ)私は、「読み手全員」に配慮しているのではない。照準している対象は、コミュニケーションハイアラーキーの「最下層」、つまり彼女もいなければ、友人もおらず(いても同じような非モテ)、異性とのコミュニケーションが母親だけに限定されているような人々である。大学受験に必要な数学を学ぶために小学校の算数からやり直してもらうプログラム、と言えば分かりやすいだろうか。「よしナンパしてこい!」と言われて「わかりました!」と行動出来る人にこんな記事は必要ない。もちろんナンパすら必要ない人、つまり自分で満足な人間関係が構築出来る人なら尚更である。「ナンパ事始め」は、ナンパをするためにに必要な自信を、出来るだけ短期間で取り戻す(そう、それは元々貴方から欠如していたのではない。不幸なキッカケでいつの間にか貴方から脱落してしまったのだ)プログラムである。
唐突だが水城せとなの『失恋ショコラティエ』は読んだことがあるだろうか。(名作だ。読んでおいたほうがいい。)第三巻で主人公の親友のオリヴィエはこんな事を言う。
「どんなアコガレがあっても 出会えた人としか恋はできないよ 人生の中で巡り会える相手って案外限られてる ハムスターは同じカゴの中にいるハムスターとつがいになる それと同じでしょ?」
当たり前だが、時間が有限である以上、出会いもまた有限である。満足な人間関係を今まで築けなかった貴方の「出会い」は非常に限定されたものだったろう。そしてそんな「限定的な出会い」は貴方の可能性を大きく縮める。内向的な奴らが集まりがちで、男女比が極端に偏っているサークルで起こるのは、視野狭窄野郎による少数のさして可愛くもない女の血みどろの奪い合いである。何故そのような現象が起きるのか?それは彼らがそれ以外に「出会う場」に参入出来ないからだ。恋愛をするためには、まず出会わなければならない。ナンパが出来ない人間が出会いを作るためには、金銭的・時間的コストをかけてなんらかの共同体に所属する必要がある。もうお分かりだろう。ナンパこそコミュニティに参入する必要なく(コミュニティ参入にはそれなりのコストがかかる。そしてそのコストは多くの場合、コミュニケーションのスキルアップに何ら貢献しない)出会うことが可能な唯一の方法である。出会う奴の数を飛躍的に伸ばせ。視野を拡大し、サークルや会社の女の評価を修正しろ。身近な女性がただのクズか素晴らしい人かは、多くの人と出会ってこそ初めて分かる。また出会った数だけ、貴方の生活におけるデスク滞在時間が短縮するはずだ。
さてまだまだナンパの効用を書くことは出来るが、この辺にしておこう。最後にナンパを啓蒙した文章で恐らく最高のものをあげておく。
http://d.hatena.ne.jp/qqille/20101227 性とナンパについて渋谷で考えた
書き手はやり手ナンパ師(ちなみに、「ナンパをする人」と「ナンパ師」は明確に違う。これはまた今度触れよう)であるが、非常に巧みな修辞と理論化で読ませる記事をいくつも書いている。ただ私の目的は、貴方を「ナンパは最高に打ち込める趣味だ」と公言させる事にはない。「ナンパを通じてスキルを磨き、そのスキルを用いて日常生活を豊かにする」(これも詳しくは今度)ために、それ以前に必要なスモールステップを提示することこそが私の目的だ。さて、まずはレッスン1から始めよう。今すぐ外に出て道をたずねろ。「スイマセン、ここから駅はどう行けばいいんでしょうか?」
山際にだいだらぼっちのような入道雲が沸いていて、それが流れてきたのだった。
バタ、バタ、バタ。数粒の斥候が、乾いた大地に降り注ぐ。
パタ、パタ、パタタ。薄暗くなった空に、落雷もどんどん近づいてくる。
パタタ、パタ、パタタ。どこからともなく雨のにおいが立ち込め始めた。
一転して一粒も雨が降らなくなった曇天の下を、冷たい吹き降ろしの風が通り抜けていく。
ああ、いけないいけない。大変よろしくない。不穏な気配に、いそいそと用意にとりかかり、間もなくしてからだった。
衝撃で家財が細かな音を立てる。大きな柱や梁などは、みしりみしりと小さく軋んで、まるで家全体が震え上がったような錯覚にとらわれる。
急いで洗濯物を取り込んだ軒先から恐る恐る外の様子を伺ってみると、遠く山の向こう側から、いよいよ本隊が攻めこんでくるところだった。
上空から長く垂れ下がった篠突くカーテンが、ゆらゆらと風に煽られながら、破竹の勢いで迫ってくる。
やっと来た。そう認識するが早かったか打たれたが早かったか、大粒の雨粒群は瞬く間に辺りを覆い尽くすと、空を切りありとあらゆる物々を打ち鳴らし始めた。
さながら滝のような降り様である。空気は刹那に潤いを満たし、庭先はたちまち浅い海へと変貌していく。屋根に連なる雨樋からは濁濁と水が溢れ始める始末だ。
一瞬のうちに、山間の古民家は荒波に揉まれる船舶の如き状態に陥ってしまった。
冷たい風はびゅうびゅうと吹き荒び、屋根を持ち上げ雨戸を叩いては、僅かな隙間からうなり声を上げて入り込んでくる。
駆け抜ける紫雷は、どうにも虫の居所が悪いらしい。閃光を迸らせては癇癪を爆発させたかのような怒号を響かせ、ビリビリと辺りを振動させている。
予想外に激しい夕立だった。一人住まいであるために戸締りにあちこち走りまわらなければならなかった私は、すべての戸をきっちし閉め終えたことを確認してから、再び縁側に戻った。
閉じた雨戸をそっと開く。勢いよく吹きこんできた風雨に顔をしかめながらも、荒れ狂う灰色の海原を見上げてみる。
ふと、どうしていつも猛々しい様子に見惚れてしまうのだろうかと不思議に思った。
煽られて大きくしなった杉の木や、ころころと方向を変える雨粒、思い出したように瞬いては轟音を響かせる紫雷などから、どうしてこんなにも目が離せなくなってしまうのだろう。
ドキドキともワクワクとも違う静かな興奮が、泉のように噴きだしてこんこんと滲み出してくるのである。陶酔と微かな狂気。焚き火を見ていると似たような感覚に陥ることがあるように思う。
圧倒されるだけじゃなく、呑み込まれそうになってしまうのだ。呑み込まれて、夕立や海と、水と、一緒になってしまえる気さえするくらいだ。
それは、生物が皆、水に抱かれて産まれてきたからなのだろうか。身体が細胞が遺伝子が、遠い太古の記憶を伝えているからなのだろうか。
あるいは私という生命の半分以上が水によって生成されているからなのかもしれない。夕立や海原には同化するために、炎のゆらめきには霧散するために、惹きつけられてしまうのかもしれない。
開けた雨戸の隙間から、雨は容赦なく降りかかってくる。世界は最早、水一色に染まっている。天も地も、二つをつなぐ空さえも雨が満たし、むっとするほど濃密なにおいで満ち溢れかけている。
深く冷たい深層を流れていたにおいだ。ぐるりぐるりと地球をめぐって、こうして再び空と海との循環を繰り返している。
生命の血液として。あるいは生命そのものとして。延々と続く循環を繰り返し続けている、そういうもののにおい。
ぱしゃりと庭先の浅瀬で何かが撥ねた音が聞こえた。見れば、無数の波紋に下に、小さな魚影がちらりちらりと見え隠れしている。
分厚い雲の向こう側では鯨が尾びれを打ち鳴らしているようだ。轟音に誘われて、何百何万ものものどもが嘶き、咆哮を上げ、囀りながら、威風堂々たる行進を続けている。
生命として廻るために。
山間の集落には、いよいよ潮のにおいが満ち始めている。
ロリコンに対する嫌悪感って冷めるとかいう以前に、こいつ人としてヤバイ!っていう恐怖だよね
20年近く前に遭遇した恐怖がしみついてる分、リアルかつ深刻な恐怖なんだよ
勿論そういう趣味者と実際に行動に移す犯罪者を同一視するなってのはわかる。赤の他人が秘密の趣味でおとなしくロリ漫画で抜いてるだけならお好きにどうぞって感じだ。でもそれが自分の彼氏となると話は全く別、絶対お断り、ってなる。
余談だけどこれは痴漢とかレイプとかの性被害についても似たようなことが言えるんじゃないかな。
男って「・・・とは言っても綺麗な女の人に触られたら俺ならなんだかんだで嬉しいけどな」とか言う奴いるけど、やられたことないからそう思うんだよって思う。赤の他人からの無遠慮で唐突な性欲の押し付けがどれほど不愉快なことか。どうせ何言っても理解しないだろうから言わないけどね。
「ほら、三分前にやろうと思ってたことをいつの間にか忘れてるって、よくありま……せんか?」
向かいに座っている彼女の語尾が、こちらを窺うような視線と共に弱まる。
「ないですね」
砂糖を大量に入れないと苦味が消えないようなこの飲み物がなぜ世界中で飲まれているのか疑問に思いながら、僕は食後のコーヒーを飲んでいた。
「私はよく後輩に用事があって席に寄っても、直前に別のことに気を取られたりすると肝心の用件を忘れちゃったり。で、『私、何しに来たんだっけ?』って後輩によく訊くんですが」
「家の鍵や財布を研究室に忘れたりとかも……。そういうのって、よくありま……せんか?」
「ないですね」
やや恥ずかしそうにこちらを窺うと、彼女はカップを両手に抱いてコーヒーを飲み干した。
「すごいですね」
「僕は男なので全部ズボンのポケットに入れますが、女性は鞄に入れますからね、そういうの」
「そう、そうですよね」
彼女は満足したように口を結んで何度も頷いた。
喫茶店の窓から見える外はすでに黄昏時だった。年末の繁華街はいつにも増して道を行き交う人が多い。
細長い指先で砂糖の空き袋を折り目をつけながら、彼女が訊いてきた。
「秘密に好きも嫌いもないと思うんですが、どういう秘密ですか」
「なるほど」
相槌を打ちながら考える。これは何か隠していることを打ち明けてくれるということなのだろうか。
整った綺麗な爪がテーブルの上で砂糖の空き袋を縦に小さく折りたたんでいく。
周囲の客の雑談と共にBGMが店内に流れていたが、音楽に疎い僕にはさっぱり分からない。
僕は砂糖を入れても苦いコーヒーに口をつけ、彼女の言葉を待った。次に頼むとしたらオレンジジュースだな。
折りたたまれている空き袋はどんどん短くなっていった。
「大抵はそうですね」
「あと特殊能力とか持ってるキャラとかも、周りの人には秘密にしてますよね」
「基本ですね。物語の後半で正体が明かされるエピソードとか入れて盛り上げたり」
空き袋が限界まで折りたたまれ、白い小さな物体になった。
顔を上げた彼女は一瞬目を合わせ、逡巡したように視線を泳がせると、ふたたび僕と目を合わせた。
「ほう」
「ふむ。――実は魔法少女だとか? 美人怪盗というのもいいですね」
口に出した直後、どちらも少し無理があることに気付いた。
もうすぐコーヒーを飲み終えそうだ。
「……信じてませんよね」
この後、彼女に連れられた僕は厄介な地球外知性体らが繰り広げる小規模な星間戦争に巻き込まれるのだが――それはまた、別の話。
初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこうと思う。
以下感想。
※ブコメで頻出している「1万6千円って安すぎだろう」という突っ込みに対する応答も含め、補足を書いたのでそちらも参照してもらえると幸いです。
地震が起こる何ヶ月か前のこと。
何をいくつという列挙があるリストをもとに、実際に調達するとしたらいくらかかるか、という見積だ。
いま思い出すと、リストだけみたらなんの仕事かはわからなかっただろう。
リストを見る前に、最初に、「原発」とか言われたので、内容を聞く前に「やらない」を連発した。それから工事現場云々だよという話をきいたのだけど、見たり聞いた後でも「やらない」と連呼してみた。理由は「巻き込まれるのが嫌だし、この社にそのような事態に対応できる体力も知力も財力もないから」。何に「巻き込まれる」かというと、当時はさすがに、事故がおきたとき何らかの責任を問われるのでは、とかではない。たとえば自分が建設反対運動に身を投じて、悪質なことを考え、関連しようとする企業に何らかの嫌がらせをする、としたら、危険だということである。
結局やらなかった。
そもそも会社が何らかの判断をもって、そういう仕事にあたる、ならまだましだが、何も考えず判断せずに、社会的に微妙なものの仕事の一端に関わろうとしているので、全力で拒否した。
地震が起きて、原発が大変なことになって、「やらなくて良かった」と何となく言われた。
その程度の「何となく」な問題意識しかもっていないのが、そもそもこの国において、原発に対しての未来をあやふやどころか危険にしている原因の1つなのだろうなあ、とも思った。
傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。
至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。
あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。
家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまったかのようだった。
なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。
梅雨空の下、わたしは沈黙したまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。
それは先生が子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。
わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。
声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉の意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき、意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中を押し出してしまった。
よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。
本当に、その程度の思いつきだったのに。
わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。
それも、そうだな。
ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。
わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。
今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。
にっ、とAが笑った。
何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。
絶対だぞ。
念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。
蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。
かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしから水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。
ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。
十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。
狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。
それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。
わたしは右手に傘を左手に水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。
雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。
どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園の入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。
Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルーの長靴だけが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。
たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。
やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。
がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。
点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。
わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。
やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。
シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。
口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。
乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。
べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。
べちゃり。
わたしは隣に佇むAに眼を向けた。
彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。
ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。
ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。
蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。
途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。
惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。
わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。
水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。
とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。
その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。
わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。
その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。
翌日。Aはどこにもいなくなっていた。
あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。
けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。
梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。
29歳、彼氏なし、3月に飲み会で知り合った同い年の男の人と週に一回くらい会ってた。
趣味も合ったし(野球観戦)、メールのタイミングとか遊びに行く頻度とかすごく居心地がよかった。去年の初め、数年付き合った彼氏と別れて以来縁遠くなってたので舞い上がってたのもある。ただ、社会人サークルに入ってて、女の子の知り合いがすごく多いことと、電話が多いことだけ気になってた。遊ぶときも半分くらいが二人きりではなく飲み会だし。
他に女がいる? 何か隠してる?
好きになってもいいような、何か踏み切れないような気持ちのまま、まあ、会ってご飯を食べたりしているぶんには楽しいからいいかなと、会ってた。話す内容は野球のことばっかりだし。楽しかった。前の彼氏と別れてから、野球の話なんて誰ともしてなかったのに気づいた。あ、あとちょっとだけ気になっていたことがある。彼がやたらと「エコ」を気にすることだった。
最初の飲み会で一緒だった私の友人が、あの子、なんか変な商売しているらしいよ、勧誘されたひとがいるって、と、教えてくれたのだ。彼は連鎖販売取引をしていた。いわゆるマルチ。具体的なことを書くのはやめておく。反論もあるだろうし。だけど、それを聞いてすべて彼の交友関係や発言に合点がいったのも事実だ。
すぐに問い質したいような気持ちを抑えながら、数日後、一緒に野球を見に行った。
ビールを飲みながら、試合のことを話していると楽しくて、すべてがどうでもいいことのような気がしてしまう。だけど、彼の携帯には電話が掛かってくる。その場で出た彼は「目標達成のためにがんばります」などと電話口で言っている。前には妙に牧歌的な試合風景。前の席には40歳前後の女性二人が楽しそうに試合を見ていた。二人の薬指には指輪が光ってて、ああ、羨ましいなと思う。
私は、人生に大それた目標など抱いてはいない。だけど、すぐに目の前の二人のようになることは出来ないのだ。
試合は応援していたチームが勝った。
試合後、二人でご飯を食べた。彼に本業のほかになにかしてる?と聞いた。彼は悪びれなかった。販売員にはなってほしくないけど、商品はいいよ? 買ってみる? と言われた。
ごめんなさい、もう会いません。と答えた。
ああそう、みたいな軽い返事をされて、食い下がって欲しかったのか、そのまま解放して欲しかったのかわからなくなった。
帰宅して、徒労感だけ募った。
もう気持ちの整理はついてるし、見る目なかったなあと思う。目先のことに囚われて色々と目をつぶりすぎていた。だけどもう三十路で、今後こういうことが更に増えていくのだろう。
彼氏を作って結婚することがゴールではないことなんてわかりきっている。だけど私は、一生穏やかに野球を見に行く誰かが欲しい。
横で見てたけど、
あの記事から『女の子が生まれた場合は処分されてたんだろうな』って発想は意味不明だし、
なんでそんなこと思うのかなって考えたら、
だーかーらーさー、
「男の子の価値>>>>>女の子の価値」っていう考えがあったのはそうだろう。
でもこれはこれだけでは
元増田が唐突に言いだしてるような”本人の価値観”とか”本人のサベツイシキ”に結びつきませんよね?
何故バカがここで引っかかるかというと、価値とは誰にとっての価値か、がスッポリ頭から抜けてるからだろう。
日本語わかるか?
頭パーなのか?
中国を例に挙げたせいでバカが混乱するなら、
「この人身売買市場では、男の子の方が女の子より売れるんじゃね?」っていう推論は
「オレンジよりレモンの方が売れるんじゃね?」っていうのと一ミリも変わらない。
これは、そう推論してる主体にとってどっちの価値が高いかは全く関係がないよね。わかるよな?
推論が当たりか外れかも関係ない。な?
どんな例えだとバカにもわかりやすいんだ?
じゃあ、FXでドルを買う奴は、円を嫌いだとか、円を差別してるからドルを買うの?
違うよね。その市場・そのタイミングではドルの方が人気だろうと推測してるだけだよね。
別にたとえるなら、
A「このレタスの千切りとキャベツの千切りを猫にやったら、キャベツの方は食わずに捨てていくだろうね」
みたいな意味不明さだよ。
当該ブクマを「女性差別(キリッ)」とやってる元増田のご高説では、
「女は家政婦や売春婦としての価値があるのにそれを見落としてるので当該ブクマカは女性差別者」なんだと。
(人身売買市場で人気商品かどうかなんて、人間の価値とどう関係あるんだバカ、ってみなまで言わないとわかんねえのか、バカは)
俺に言わせれば
この元増田やこれに同調するような手合いは「パーの癖に迂闊に人を裁くのが大好き」というより悪質で不潔なパー
ということになる。
その事実に気がついたのがあまりにも唐突かつ脈絡の無いことだったので、わたしは心底びっくりした。
夜中に一人でテレビを見ていた最中のことだった。マグカップに紅茶を満たして、いやにCMが挟まれるアクション映画を眺めていたわたしは、ふいにわたしという内実が空虚であることを悟った。
それはもう天啓というか、ピンと光り輝く雫が頭の上に垂れてきたような発見であり、驚愕に眼を見張るだとか愕然のあまり硬直してしまうなんていう身体的反応をも許さず、呆れんばかりの正当性でもってわたしの身に降り掛かった。否定することも拒否することも叶わない。ただひたすらに、ああそうなんだ、と納得することしかできなかった。
わたしという人間は、その精神の底に到底見過ごすことのできない黒穴を孕んでいる。穴は、いわば吸引力を持たないブラックホールのようなもので、わたしが見たり聞いたり触れたりして得た感動なり情動をするすると呑みこんでいってしまっている。
思い返せば、わたしは誰かからよく冷めやすい性格をしているよね言われたことが多かった。マグカップをサイドテーブルに置いて記憶の糸を手繰り寄せてみると、出るわ出るわ、級友や部活友達、先生やサークルの仲間、同僚や上司からも、冷めやすい性格であることを示唆する言葉をたいへん多く頂戴していた。
家族からも頻繁に言われていたくらいだった。ぼんやりと映画を眺めながら、わたしはわたしの中にぽっかり開いた黒穴を意識してみる。
膨らみを持った円筒形のわたしの底に、黒い点がちょこんと穿たれているようなイメージ。上の方から注ぎ込まれたたくさんの感情は、円筒形のわたしに認識されながら、やがて黒穴へと近づいていく。ぎゅーっと引き伸ばされるように圧縮されて、底の見えない穴の中へと落ちていく。
なるほど。確かにそういうことになっている。それは紛れもない事実だった。確認はできないけれど、わたしはどうしようもなく確信してしまったのだ。気付かされて、受け止めてしまった。わたしの中にはびっくりするくらい何でも呑み込む黒い穴が存在している。
わたしは、助け出したヒロインを目の前で殺されてしまった主人公をぼんやり見やりながらふと、黒い穴に落っこちた感動や情動はどこへ行ってしまったのだろうなあと思った。わたしの中にある黒穴に落ちたのだから、当然わたしの中にまだ残っていてもいいような気がするのだけれど、なんとなくそれは間違いであるような気がしてならない。
なにせわたしには、受け取ったはずの感動を絶対的に手放してしまっているという実感があったのだ。いや、実感などというあやふやな判断で論じなくてもいい。事実として構造上わたしはそれらのものを汲み取ることができていないのだった。
記憶として、あるいは思い出としてならば、確かに追想することは可能である。感傷に浸ることだってできる。身悶えするようなこともいくつかは経験してきたのだから、そう言った記憶を思い返すことなら、わたしにだってきっとできる。たぶん絶対にできる。
でも、追体験だけは絶望的に不可能だ。わたしはその時その時で落ちゆく感動を確かに観測してはいたものの、それがいったいどのような感動なのか、どのような実像を持つ『もの』であるかを、記録すること以外に汲み取ることができなかった。いつどんな時であっても、わたしは落ちゆくものどもについて、実体があるものとして肉体的精神的感覚で感じ取ることができなかった。
つまるところ、それらの経験はただただわたしの前を通りすぎていっただけで、最終的に穴に落っこちたのだ。その先のことは全くわからない。どうなってしまったのかなんて今まで考えたこともなかった。
どうしてなのだろう。どうして穴の奥のことがわからないのだろう。考えて、わたしは黒穴の底を覗き込んでみようと意識を傾ける。わたしの中にある黒穴。きっと見つかると信じていた。目の前の画面では派手な爆発が断続的に生じている。誰かが大声で叫び声を上げている。紅茶は半分ほど飲んでしまっていた。結局黒穴の底はちっとも見通せなかった。
不思議なものだ。少し疲れたわたしは眼を閉じて深く息をついた。それからもう一度、不思議なものだと思い直す。わたしの中にあるはずの黒穴は、わたしではないどこかへとその穴をつなげているのである。その精神的構造上の不可思議さが奇妙だった。わたしはわたしとして今ここにいるはずなのに、そのわたしの中にわたしではないどこかへとつながる穴が開いている。わたしはわたしであるはずなのに、同時にわたしでない何か、あるいはどこかを内包している。受け皿としてわたしは、決してその穴の行く末を確認できず、ただただ呆然とすることしかできないのである。
すごいな。素直に感心した。わたしとわたしの中にあるわたしじゃない黒穴との間に生まれた関係性にひれ伏さんばかりに感心してしまった。不思議なことがあるものだ。三度そう思ってわたしは紅茶をすする。ずるずるずるずると。たいへん美味しく頂く。上手に淹れられたのだ。少なくなっていくのが惜しいくらいだった。空になってからも、寂しい気がして紅茶を吸い込み続けた。どんどんどんどん、吸い込み続けた。するとマグカップが、マグカップを持っていたわたしの手のひらがきゅーっと引き伸ばされて口の中に流れこんできた。音もなくわたしはわたしの身体を呑み込んでいく。するするするすると呑み下していく。右手を、肘を、肩を。喉は一度も嚥下していない。それでも勢い良くずずずと呑みこんで、右胸を下半身を、左脇腹を胃を肺腑を心臓を左腕を両耳を頭蓋を眦を鼻頭を、どんどんと口の中に含んでいく。
ついには口まできゅるるんと吸い込まれて、わたしはわたしの中にあった黒穴になる。黒穴がわたしで、わたしは黒穴の中にありながらまたその中に黒穴を抱いており、何度も何度も吸い込み吸い込まれていくことを繰り返している。
わたしという内実は空虚なのだ。
一際大きな爆発音と閃光がテレビから発せられた。はっとして我に返る。いつの間にかマグカップを手にしてぼんやりしてしまっていたようだった。
映画の中で助けだしたヒロインを主人公が抱きしめている。この先彼女は殺されるのだっけ。思ってぼんやり見ていたけれど、結局最後までヒロインは死ぬようなことはなく、悪役は倒されて幸せなエンディングを迎えることができた。
チープな物語。あんまり面白くなかった、と感想を抱きながら、淹れてから一度も口に付けなかった紅茶を飲もうとマグカップに手を伸ばした。
・もてない男の実装として「一人でおしっこができない」というのは
迂遠というか意味不明の領域。
あるある感が欠片も無いネタで一本書いて参戦するのは
(ネタの構造を全く理解できないアスペルガー的な人でない限り)
・他にも「古い服を着ているともてない」とか、アイデアに面白みがないというよりノーアイデアといったほうがよい。
あとこんな感じの非文が多すぎ。
「ミンスは売国奴」とか「中韓死ね」などを表現する「小さい日の丸」をアイコンに入れると、Twitterの女性ユーザーは「なんかこの人コワイなぁ」や「なんかヤバいかも」と思ってくれます。インターネット上では現実世界よりもイメージが増幅されて相手に伝わるので 「日の丸アイコン」 を使用することによって、女性はあなたを思想の偏った人と勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対にネトウヨに好かれますが気にしないようにしましょう。
もてないバナシとしては大変唐突だが
そのぶんこの段だけ書き手のはっきりした意志が読み取れる。
嫁さんは不在で、共通の友人がいた。共通の友人をシンゴ(男)と仮にしよう。
当然の事ながら、遊びに行った先の人をリイチ(男)という事にして、嫁はクロコ(女)でいいや。
僕は男で3人とも友達。
自宅で雑談したり、軽く酒を飲んだり、DVDを見たりまぁ普通に遊んでいたら、僕が唐突に腹痛に襲われてトイレに行ったんだけど割と酷くて20分くらいトイレに閉じこもって戦った後、ほろよいもあって驚かしてやろうと庭の方に回った。
そしたら、リビングのソファでシンゴとリイチが思いっきりキスをしてた。それも軽いやつじゃなくて顔と顔が十字になってる深い形。
当然庭から乱入なんて事はできなくて、トイレまで忍足で戻って大きめの足音を立てながらリビングに戻った。2人は離れて座ってた。
シンゴもリイチもクロコも全員友達で、夫婦はもう10年の付き合いになる。
夫婦が付き合い始める時にリイチの相談に乗っていたのは俺で、強烈にアタックした結果どうにか実って、5年ほど前に結婚をした。
シンゴは5年ほど前にリイチから紹介してもらった。音楽仲間だとか言ってた気がするが細かい事は覚えていない。
僕はこの秘密を墓まで持って行こうと思う。
でももう、今までのようにこの3人と遊ぶ事はできないだろうな。
中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。
彼女の言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないで欲しいと思った。知るのが怖かったのだ。
教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタートと悪魔がせせら笑った気がした。
私はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子も男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。
昨日まで楽しかった学校が拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。
私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期の少年少女にありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。
無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校は勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。
2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものではない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。
私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。
血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界からの情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。
無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活だけが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。
オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このときの絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。
家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。
「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した。
私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から「牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。
突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度も登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。
恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日の目標ができて私は嬉しかった。
それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通のことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。
3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイトは不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。
3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間に勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後は先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。
年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーだからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。
合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生と報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。
私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情のダムは決壊した。
気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。
その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子が牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。
卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式は合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトはアルバムに寄せ書きをしたり写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。
下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした。
「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後の最後で味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした。
帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい。
21世紀にTV放映された連続アニメの中では間違いなく一番おもしろかった。
本気で「地上波の連続TVアニメはオワコン。宮崎駿とピクサーと新劇ヱヴァさえあれば後はアニメなんてどうでも…」と思っていたけど、
まさかここまで楽しませてくれるアニメが出てきたことに驚いた。
※ハルヒは面白いっちゃー面白いけど、エヴァ好きな自分としては求めるものが違うというか…
敢えて難点を言えば、
難点はほんとにこれぐらい。あとは正直に面白かった。
しかし何故かまどかは見れば見るほどエヴァを思い出す。一体何故だ。
や、ほんとパクリとは思わない。パクリだったらまずキャラクターにテンプレ的な要素が強く現れる。例えば某長門とか。
どちらかといえば「俺はエヴァが好きなんだなぁ…」と再確認した次第。
そして「ああ、俺の思春期は20世紀の出来事だったんだなぁ…」と変な感慨を抱いてしまっただけだ。
あと、監督なのか脚本なのかどちらの功績かはわからんけど、良い意味で作品内外で視聴者を煽る/誘導するのが上手いなぁと。
別にアニメに興味ないからどうでもいいけど、うまいこと視聴者を煽れる人がいればきっとアニメ業界で働く人の未来は明るいんじゃないかなと。
日本で使われる文字表記で最も穏健なのが"ひらがなのみ"であり、逆に最も過激なのが"唐突な異種文字の組み合わせ"である。穏健とは温厚、おとなしい、常識的、角の立たないということであり、過激とは刺激的、どぎつい、ドキッとするということである。
字種の印象を比べるのは難しいので、それぞれの表記の筆名を使っている人とその作品で比べてみる。穏健な文字表記を筆名に選ぶ人は作品も穏健であり、過激な文字表記の筆名を付ける人の作品も過激な傾向にあるはずだ。
ひらがなのみの筆名ではイラストレーターのこうたろ氏が代表例である。綺麗で整った絵を描くのだが退屈と言えば退屈である。他の例:しんたろー(イラストレーター) 、らする(漫画家)
ひらがなは汎用性が高いのでひらがなのみの筆名を使いながらも穏健とは言えないあさりよしとお氏のような例外もいる。
"唐突な異種文字の組み合わせ"の筆名の代表例は氏賀Y太氏である。グロ、暴力描写で名の通った漫画家である。他の例:ジョン・K・ペー太(漫画家)
穏健と過激は両極端でありどっちが優れているという話ではないが、穏健傾向の作品のほうがより商業ベースに乗らない印象がある。
追記
「老害」石原氏が四選を果たすのは、はっきりいって気持ちの良いものでは無い。
気持ち悪さのレベルで、石原四選より反石原派の方がまさってしまうのだ。
Twitterで「#tochiji」というハッシュを見てみるが良い。
ひたすら同じ話をRTしまくる気持ちの悪い連中がすぐ見つかるだろう?
関連するハッシュもどんどん増えていく「#ishihara」なんて可愛いもんだ。
今まで見ていた普通のブログも同じような気持ち悪さを唐突に醸し出すことがある。
政治家を強く推すのも気持ち悪いが、誰かを強く批難するのも気持ち悪いのだ。
反石原派が気持ち悪いのは、反原発や沖縄で反米軍を叫ぶ連中と同じ気持ち悪さを感じるのだ。
「お花見自粛」という話が出た。
これはいかがかと思うだろう?
ただ、花見の基準が人それぞれだ。
露店を冷やかしながら、桜の下を歩く。
…こんなのは禁止されたくない。たぶん、禁止もされてない。
夜、急性アル中を起こすかのごとくのどんちゃん騒ぎを繰り広げること。
これは自粛しても良いんじゃないか?と思う人も多いだろう。
でこれだ。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20110405/E1301939720954.html?_p=1
夜では無いかも知れないし、どんちゃん騒ぎでも無いかもしれない。
が、恐ろしく、気持ちが悪い。
とても気持ちが悪いとしか言えない。
反イシハラ、原発コワイコワイ、国に騙されたと叫ぶ連中。
そんなのは見たくない。
というわけで、タイトルに戻る。
そこに住むキサラギは、小さな小学校の前で雑貨屋を営んでいた。店の前をほうきで掃除をしていたとき、この町では見ないようなパリっとした服装の男が現れた。
男は、大手ブランドのロゴが入った看板を指さして、「事務用の机とイスを探しているんだが」と言った。
キサラギは、その男の足元から頭の先までを怪訝そうに眺めた後、ひとこと言った。
「あいにく、在庫を切らしていてね。すまないが他を当たってくれないかい」
男は、「また、気が変わったら、呼んでくれ」と一枚の名刺を置いていった。
名刺には、「神羅カンパニー総務部備品係 宝条太郎」と書かれていた。
キサラギは、このときこの唐突な訪問者に対して、どのような感情を持って接すればいいのかわからなかった。
昼ごはんを食べていたとき、近所の服屋のおばちゃんが駆けこんできた。
「作業着が200着も売れたんだよ。前金で!」
一年の収入を一度に得たおばちゃんは、大金を目の前にして、正気を失っていた。
この噂は、この小さな田舎町をあっという間に駆け巡った。
本屋では、たくさんの雑誌が定期購読され、肉屋では、測量工事の弁当が定期契約された。
酒屋では、贈答用のワインが大量に発注され、タバコ屋でも、タバコの注文が大量に入った。
しかも、どの店でも前金だ。言い値をふっかけても、この街に突如してやってきた男は嫌な顔ひとつせずに金を置いていった。
町は突如としてやってきた「神羅景気」に湧いた。
おこぼれにあずかろうと、急に軒先に看板を出す者さえも現れた。
酒場では、漁師たちがあの男と盛大な宴を繰り広げる日が続いた。もちろんすべてあの男のオゴリだ。
キサラギは、嫌な予感を感じていた。こんなことがこの町に起こるはずがない。
ひと月ほどの時間が流れ、また、男がやってきた。
「顔を覚えてほしいと思ってね」と男は言葉少なに店を出ていった。
この男の行動が気になったキサラギは、そのあとをつけていくことにした。
男は次々と町内の店で前金で大量の注文をしていった。神羅の本店で使うのだろうか。異様な光景だったが、男の申し出を断る人はいないようだった。
買い物を終えると、男は町の長老の家へ消えていった。
キサラギもそのあとを追い、物陰に隠れ、男と長老の様子をうかがった。
男は長老に言った。
「この町の海辺に魔晄炉を作らせてください。お礼はうんと弾みますよ。これであなたの町での地位も安泰だ。」
「すぐには返事はできん。少し考えさせてくれんか」と、長老は男にいった。
「それでは、前向きなお返事を待っています。」
と、ひとこと言い残すと、男は長老の家を出て行った。
男が去ったあとで、町の重鎮たちが長老のもとへ集まってきた。
「神羅がやってきたのは、魔晄炉のことか」と重鎮のひとりが長老へ詰め寄った。
「これはこの町にとって願ってもない機会かもしれんが」と、長老はつぶやいた。
「これができれば、仕事がない冬にミッドガルへ出稼ぎへ行くこともなくなるし、悪い提案ではないと思うが」
「そうじゃ、そうじゃ。若い人も町へ残ることができるだろうし、ミッドガルから人もくる。」
「この申し出を断ったら、この町が注目されることはもうないだろう。」
「魔晄炉は動かし始めると1000年もの間、それを見守り続けねばならない。魔晄炉に何かあったときは、我々は運命をともにすることになる。何代もの子孫にかかわることを我々だけで決めて構わんのだろうか。子供や孫たちはわしらの決めたことをどう思うのか…。わしには分からん。」
重鎮たちの意見はまとまったが、神羅がこれくらいのことで諦めるはずはない。
魔晄炉のためにこの町が背負う十字架はあまりに大きすぎる。キサラギは、この小さな田舎町の行く末を案じずにはいられなかった。
よしなしごとだが、今日18日午後、twitterで唐突に東浩紀氏が曰く、一昨日の晩から原発関連の報道が少なくなったかの印象があるとのこと。
もちろん、事実報道は絶えずなされている。ご本人も「放水してることぐらいは知ってます」と書いている。
事実そのものの緊迫度合いは変わっていない。事態の進行状況や対策対応を見れば情報を量的に計算しようともそれは変わるまい。いや、合衆国政府からの協力への強い要請(の露呈)や、IAEAからの情報開示要求というニュースを見れば、事態は以前を凌ぐものだろう。
東氏ご自身は政府が情報統制を始めたんじゃないかと書いていたので、ここに書くのは東氏の意図とは違う。もっと曖昧な「印象」についての話である。印象とは根拠のないものであり、帰納的にしか語ることができず、つまり「論」ではない。まさによしなしごと。
その印象が何を指しているか。
事実の質と量は充分であるのに、事実以上の報道はされていない?番組が少なくなった?という印象?
似たような話がある。
国内メディアの報道のトーンについては当初から、悲惨さに寄り過ぎる、自衛隊ほかによる救済など「いいニュース」が海外メディアにばかり流れている、避難所はもっと前を向いているのに伝えられない、等の批判が出ていた。twitterなどでも同様だったが、ロケ先で被災したコメディアンであるところのサンドウィッチマンによるコメントは、その国内メディアでも報じられたのでかなり広く知られるに至った。これらを受けてNHKでは編成方針を変更したようだ。
「ようだ」というのは、上記のようなことは定量的には前後比較できない、当事者の公表なしには視聴者の感想(の露出)によってしか測ることができないことだから。逆もまた真なり、敢えて書くことはしない。
それから、これも今回の震災に絡めてTwitterで見かけたエピソード。
阪神淡路大震災の折、被災地を放送エリアに持つ読売テレビが、番組編成を報道偏重からアニメやバラエティなど日常的なコンテンツを採り入れたものに切り替えたところ、賛否が多く寄せられたそうだ。不謹慎だというクレームはもっぱら被災地外からのもので、被災者からは「ひさしぶりに笑った」という感謝のメッセージが届いたという。
tweetの主旨は、悲惨な状況にこそ深刻さばかりでなく笑顔を生みだすようなものが必要だ、それを実現した読売テレビさんは素晴らしい、在京各局も続くべしということ。
それにしても、こうまで深刻である必要はどこらへんにあるのか。といっても「こうまで」の「こう」が曖昧至極であるが。
下位に対する憐憫という「善意」の発揮によって穏当裡に、普段は緩やかに規定される上下関係こそ、ここ最近のこの共同体を支える文化的精神的基盤だ。
もちろん、階級のないこの社会を円滑に運営するうえで有用だからこそ基盤たりえる。が、善意の発揮は多くを包み隠しもする。
女性差別を訴えられた男性は少なからず心外に感じるだろう。だって自分は女性を「弱き者」だと理解し、その通りに行動しているのだから。その振る舞いに、端から自立を放棄せよとのメッセージが含まれているとしても。
現在中年以上の大人であれば、街ですれ違う病者や障害者を「じろじろ見ちゃだめよ、可哀相でしょ」とたしなめられた記憶のひとつやふたつあるのではないか。乙武洋匡氏を引き合いに出すのは失礼と承知しているが、氏のような快活さをいまだに受け入れられない大人はいる。
それと同じように、被災地に救援物資と称してぼろが届く。「伊達直人」氏によって児童養護施設にランドセルが届いたのをきっかけに始まった伊達直人ブームも、しばらくすると最初の伊達氏の志とは随分違ったものになってしまったような印象だ。
しかしそれを差別だと大っぴらに言うことは憚られる。なんといっても善意だから、悪気はないのに、それを責めるのか、ひどい。
翻って、在日朝鮮民族・韓民族に対する差別があからさまに起き続けるのは、彼等がこの不文律を共有しない、憐れみに対して首を垂れないからではないのか。いうまでもなく不文律とは心の中にしか存在しない。印象と同じようなものだ。
そのような一連の意識を反映するものとして、原発関連の報道が、少なくなった、印象だ。
憐れまれる側にまわった者に供給されるべき「深刻さ」の座興などないということだろう。
最後に、東氏が18日未明に書いたもうひとつのtweetを引用しておく。
このような表現を使うと不謹慎と怒る人もいるかもしれない。しかし、ぼくたちはこの未曾有の災害を「好機」として捉えなければならない。バブル以降の20 年間の停滞に終止符を打ち、麻痺から脱し、日本をまともな国に戻すための最後の好機として。この好機を生かせなければ日本は本当に終わる。
http://anond.hatelabo.jp/20110225150532
http://anond.hatelabo.jp/20110225150733
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うんうん、そういう話は読んだし、OPにも黒猫がでているし、わからなくはないよ。
でも、他の作品にかぶせるのはオマージュっていって、深く読み解くには有用なんだけど、それを知らずにいきなり「まどかが昔猫飼ってました」とか、
唐突に「ねこ拾いました」とか展開されても、ストーリーテイリングとしては未熟な気がするんだよね。
だから、ここまで出ていない猫が重要な位置づけにくるっていうのは、現時点では少し微妙だなって思ってるんだよ。
もちろん、今後に、唐突ではないうまい出し方で猫が登場すればそれはそれでいいと思うけどね。
例えば、きゅうべえの本体がいい猫で、悪いのに寄生されてた、とかね。
元増田ですが、文章下手でゴメンだけど、元増田でもそういうことも言いたかったんだ。
伝わらなくてゴメンご。
で、
当事者的にはハッピーエンドなんだけど、客観的に見ると歪なバッドエンド、になると予想してます
「鏡の世界」がヒントになってそうだけど
なるほどねー。
確かにそれもありだなー。
シンジくんが一回補完されたあとの溶け合った世界での葛藤みたいなんがあって、そのあとアスカと復元する、みたいなイメージでいいのかな?
でもなんだか、まどかにとったら、契約しないっていうのが一番難しい道で、自分を確立しない限り契約しないって選択はできないと思うんだ。
一見無責任に思うかもしれないけど、契約しないですべて忘れる、っていうのも、ひとつの幸せになる道なんじゃないかなって気もしてるんだよねー。
ああ、ほんとにどうなるんだろうねえ?
完結していない作品を批評するのって、批評家としたらやっぱりナンセンスなんですかね?
まあ、ファンがうだうだ言ってるってことで許してください。