被害を見ると役員の首をすげ替えたぐらいで済むおはなししじゃないよね。
家族と住む家を奪われたひとが仇討よろしくしでかしても止められない。
被害者は何十万人もいるわけでその中の1万人にひとりの割合でも相応の確率になる。
生活を奪われた人が残された家族のためになど社会的弱者がとりうる最後の手段だ。
今回はその殆どは天災だけど、あまりに巨大すぎて人災として代謝するひともでてくるだろう。
原発さえ事故をおこしていなければ助かったのに・・・と、すり替えがおきる可能性は非常にたかい。
たとえそれが勘違いであったとしても怨恨の根は取り除けるものではない。
直接の因果関係はあると分析はされていない。
しかし、core30のような中枢がつまづく可能性は5年後は1ヶ月前までの延長線上にはまったくもって無いことを意味している。
やれやれだ。
80年代を知ってるおっさんとしては、やってやれないことは無いと思います。
ただし技術革新とかに期待するのは厳しいでしょう。家庭用で大きいのは冷暖房なんかの電熱系器具の消費ですから、
これらは原理的に消費電力は下げにくい。期待するならむしろ住居構造とかで冷暖房の必要性自体を減らす方じゃないでしょうか。
それでも、やってやれないことは無いんじゃないか?というのは電気代大幅値上げ&家庭用に累進料金とかを取り入れれば、
もっとも「電気代は基本5倍、いっぱい使ってるなら10倍」とかにしないと、大きな転換のインセンティブは働かないでしょうから、
実現の見込みは薄いと思いますが。
電力会社なんかは調査してるけど、かっちりしたデータにはならないみたいね。
(家庭用、とまでは分かるけど、その先を立ち入って調べられない)
ちょっと古いけど、一応
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/01/01090503/10.gif
という調査があるにはある。
これでみると増加が大きいのはエアコン、カーペットなんかの冷暖房器具だね。特にエアコン。
電気食うのは一緒だけど冷蔵庫なんかは伸びてないし、AV、PCなんかはテレビを除くとゴミっぽい。
多分、自分がしてきた優しい行動はそれを受けた当の本人である他人はほとんど覚えていないと思う。
何も残せないまま死ぬというのはつらい。形に残るものでも、誰かにとって価値のあるものでも何でも良いから残したかった。
もう寝よう。
電力需要の増大は80年代からは主に民生用途によるもので、90年代末にはついに民生用途の電力需要が産業用途を上回った。コスト面の要請から多いに節電技術を伸ばしてきた産業用とは対照的だ。民生用途についても「節電へのインセンティブ」を検討するいい機会なのではなかろうか。
民生品の消費電力って,25年前と比べたら30%くらい減っていそうだが.
仮に減っているとしたら25年前とは異なる用途の電力消費が増えたということか.
思いつくのは,
ぐらいか.
さすがに東北電力、東京電力管内では「オール電化キャンペーン」なんてありえんだろ。
ここだけでも人口の半分近くあるから、全国的にもやめる可能性は高いんじゃないかな?
そっかー、協賛メーカーとか大損だよなあ。
地震と原発事故がおきてから、「いたわって!」という言葉をよくみかけます。
買いしめとか、デマの流布とか、的はずれな批判とか、いろいろなことが問題になっていて、当局のほうも「自粛を」要請したりします。
でも、ちょっと待ってください。
「みんな不安なんだ、いたわれよ!」って、「みんながんばってんだ、がんばれよ!」と似ていませんか。
「みんながんばってんだ、がんばれよ!」ってうつ病のひとに言っちゃいけない、というのは、わりと広く知られてきたように思います。
「みんな不安なんだ、いたわれよ!」って不安がるひとに言っちゃいけない、というのも、同じようには考えられないでしょうか。
「がまんしろ!たえろ!」って言われても、できないときがあるのではないでしょうか。
「控えて!」って怒られたら、かかえこんだ不安はどうすればよいのでしょう。
あるいは、それが不安だとさえ気づかない人々は、いったいどうすれば?
(そして、それが分かるひとは、そもそもこうした問題をおこしはしません。)
彼らは、暴れないし、自暴自棄にもならないけれど、それはもうパニックと呼ばれる状態なのです。
彼らには、彼らが「だいじょうぶだ!」と思えるように、あるいは、少しでも不安を忘れていられるように、不安という感情から遠ざけてあげてください。
楽しいことをしたり、美味しいものを食べたり、あるいはいっそ遠くへ旅行へいっても良いのです。
こんなに美味しいものがいつもどおり手にはいったじゃないか。こんなきれいな景色がいつもどおりあるじゃないか。
それと同時に、彼らががまんしなくても良いように、「しかたないかな」と思えるように、あるいはそれにすら気づかないように、周囲をくみたててください。
「健康保険証と障害者手帳の数だけ売ります」みたいに決めたら、少なくともなにも条件がないよりは、他人のことを考えられませんか。
子供たちのぶんは、お母さんが買いにくるしかないんだなあ、たいへんだなあって、自然に考えませんか。
考え方は賛成なんだけどさ。
そのポスターに書かれてる数字って、作者自身が「根拠無い、テケトー(大意)」みたいなこと言ってた代物だから、
突っ込まれたら反論できない根拠レスな物。スーパーとかがこれみよがしに貼るのは勇気いるだろねー。
いや「買い占め連中は恥じろ!考えろ!」は大賛成なんだけど、そのポスターじゃ「バカにアホが反論」になっちゃうから
駄目だろ、ってだけなんだけどさ。
ここ最近の夏がエアコンなしだと死ぬレベルで暑くなったのもあるけど
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/4fdfb6bead84198c5ecbd05030cc142d
より抜粋
まとめると、総発電量で約3割、ピーク電力で約2割の節電によって、原子力発電所を止めても他の発電所の発電設備で電力消費をまかなうことができる。これはバブル経済をやっていた1980年代後半の電力消費量にあたる。なにか問題があるだろうか?
計算は大枠では正しいのかもしれない。しかしこの結論はひどい。
例えば1985年の実質GDPは2010年の65%でしかない(名目じゃ無く実質だ)。今すぐとは言わなくてもGDPが2/3の水準に落ちたらどんなひどいことになるのか想像がつかないのだろうか?
ただし
産業部門の電力消費はあまり増えていない。一方、家庭とオフィスなどの民生部門の電力消費がとても伸びたのである。
この指摘は傾注したい。産業界は技術革新などを通じて、「1kwあたり生産付加価値」などをおおいに増やしてきた。一方、民生用ではひたすらに消費電力を増やしてきた。電力需要の増大は80年代からは主に民生用途によるもので、90年代初頭にはついに民生用途の電力需要が産業用途を上回った。コスト面の要請から多いに節電技術を伸ばしてきた産業用とは対照的だ。民生用途についても「節電へのインセンティブ」を検討するいい機会なのではなかろうか。
バカな買占めのために、今切羽詰まって必要な人のところに届かないとしたら、買占められるのが分かっていても何も対処しないで、ただ売れればいいと大量に仕入れる企業は犯罪者じゃないだろうか
1.用意するもの
2.手順
(2)ドリッパーにお湯を注ぐ。注ぎ足す際、ペーパーフィルターに湯をあて、粉がドリッパーの中央部に溜まるようにする。
(3)ドリッパーから湯が落ちきったら、ドリッパーを揺する。すると、溜まった粉の表面に湯が浮きだしてくる。これが液状化。
3.留意事項
2011年、夏。
未曾有の災害と共に発生した史上最悪と言われる原子力発電所事故により関東以北では電力危機が生じていた。あらゆる場所で電気が足りないため、経済は縮退し失業率は上昇、被災地復興すらもままならない状況に人々は疲弊し、絶望していた。日本はもう終わコンだ、と誰もが思っていた。
E官房長官は滝のように流れる汗をぬぐいながら、よりいっそうの節電の協力を求める会見を行っていた。
飛んでくる野次。頭を下げるたびにたかれるフラッシュのせいで会見会場には熱がこもり(もちろんクーラーなど不謹慎なのでご法度である)、うだるような暑さに拍車をかけている。
彼とてこれ以上の節電が無理だということは分かっていた。停電が頻繁に発生するせいで製造業は壊滅的なダメージを受け、GDPは10%はおちこんでいた。失業率に至っては15%以上の上昇だ。物価の上昇率も著しい。
「節電してればどうにかなるのかよ! お前がどうにかしろよ!」
Eは汗を拭った。マスコミの記者の態度は日に日に悪化している。それにともなって世論も完全な逆風となり、いまや政府は転覆寸前だった。震災の直前に外務省を辞任したMの運の良さには驚きを通り越して腹立ちさえ覚える。しかもこんな時に限ってHが「放射能はシュレーディンガーの猫のようなもの、見てみるまでは存在しているかどうか分からない」などという素人にも間違いだとわかる迷言をのこしたりなどしている。後ろから味方に撃たれるとはこのことだ。
「まず一点は、首都圏における新規発電方式の、採用で、えー、ございます。本日より、首都圏の主要駅を中心に新方式の発電装置を稼働しております……」
手始めに政府はラッシュ時の駅及び電車に床発電装置を埋め込んだ。発電量は微量で実用的ではないと言われていた床発電だったが、殺人的なラッシュ時の発熱量は彼らの予想を優に越え、鉄道への電力供給を賄うことができたのだった。
人が活動するだけで電力が発生するのだ。しかもこの発電による排出物はせいぜいうんこである。なんというクリーンな発電方法だろう。
はじめは懐疑的な主張が主だった世論はこの実験によって一変し、一挙に床発電装置が首都圏一帯にばらまかれた。道路は瞬く間に敷き替えられ人が歩くだけで発電が行われるようになり、なんと10万キロワットの発電を可能にしたのである。歩くだけで発電ができるという手軽さのためかあるいは通勤ラッシュの激化に嫌気がさしている人が多かったためか、またたくまに通勤、通学は徒歩もしくは自転車に変わった。政府の発表によれば、このことによって肥満人口は27%も減少したという。
この他にも、各産業は人の活動――正確に言えば活動による圧力変化が起こりうる場所を血眼になって探し、研究開発に人材を突っ込んだ。圧、とにかく圧力変化を探せ、何でもいい。特に大きかったのは繊維から電気が取れるようになったことだ。服の伸び縮みだけでなく、その繊維を使った布で作った服を着た人が押されたり押し返したり――要するにまたラッシュである――すると発電が起きる。充電程度の電力なら服からまかなえるようになったことで、電力所からの配分は若干減少した。
この発電方式が予想外の供給を可能にしたことを受け、すべての原発は停止した。原発が停止したことにより25%程供給率が下がったが、人々は不足分を補うために一心に発電に励んだ。停電は頻発したが、それでも原発を使わないことを人々は選択したのだ。原子力発電所をすべて停止するというのはKの思いつきだった。世論もそれを求めていた。一部の識者がわかったような顔で発電所を止めると云々と述べたが、そんな言説は一捻りで闇の中に葬り去られた。
人々は自分たちの使う電力を作るために仕事をし、あえてラッシュの電車に乗り、あるいは車を捨て街を歩き回った。人の活動によって作られる電気は微々たるものではあったが、それでも彼らが活動をやめればとたんに電力不足が発生する。
だから電力を作らない人々は糾弾され、あるいは疎ましがられるのは当然の流れだった。
電気を使う一方の病人、活動量が少ない老人に対する風当たりは日に日に強くなっていたし、さらには引きこもりに対して課税処置――のちに「動かざるもの食うべからず法」として後世に名を残す悪法が満場一致で可決されて以来、彼らはただ風の前の塵の如き存在と成り下がっていった。
そして二年が過ぎた。
電力供給量改善の成果が評価されたのか、あるいは非常時に国のトップがすげ替わることを世間が求めなかったせいなのか、幸いなことにK政権は低空飛行を続ける支持率を保ったまま存続していた。その間に首脳陣が国民を「発電装置」と呼んで批判を受けたり、病床者を「発電能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」と発言して集中砲火を浴びていたりなどしたが概ねしばらくすれば収束する程度の騒ぎだった。
それよりもっと大きな問題が立ちふさがっていた。
「自殺者十万人、過労死が二十万人を超えたことについてどうお考えですかぁ」
頭の中がさぞかし軽そうな女が無表情に近い薄ら笑いを浮かべて彼にマイクを向ける。
Eは汗を拭った。
日本経済は回復している、していたはずだった。だが、圧電装置の運用が開始して以来、過労死の件数は増える一方だった。従来の経済活動を維持しながら、圧倒的に不足している電力供給を補うための活動が必要なのだから過労死もむべなるかなである。加えて効率的な発電を行うために電車の運行時間が制限されたことにより、通勤ラッシュが激化し、三日に一度は圧死者が出ているという報告も受けている。どうって、なにがどうだと言うんだ、と腹の中で毒づきながらEは原稿の文章を噛み砕き、どうとでも取れる無難な回答を続けた。
俺だってこんなことやりたくてやっているわけじゃない、とEは思った。会見中もひっきりなしに足踏みをして会場設備のために発電をする。記者が必死でキーボードを叩いているのだって、キーボードの打鍵で発電をしているからだ。そうでもしないと電力の供給が追いつかないのだから。
新しい代替発電方式を……と頭を抱えながらEは報告資料を読んでいた。震災から二年がたつというのに眠っている時間のほうが少ないのはどういうわけだろう。すっかり頬はこけ、目は落ち窪み、このままではEも過労死するに違いない。そして足元でひっきりなしに点滅するいまいましい電力不足のパネル。
Kがあのとき原子力発電を廃止すると言いさえしなければ! あの男なやることなすことただ人気を取りたいだけなのだ。長期的な視野などあるわけがない。
くそっと彼が声を漏らしたちょうどその時、ふっとすべての電気が消えた。鼻先も見えない暗闇がEを包みこむ。
Eはあたりを見回した。停電だ。停電予報が放送される程度には停電はよくあることだが、議員宿舎での停電は初めてだった。よっぽど電力供給が足りないのだろうか。夜間だから工場の発電がないとしても10%程度の余裕があったはずではないのか。そういえば近々ストライキが起こるう可能性が高まっているという報告はうけていたが、ついに来たのだろうか。ストライキをするのはとても簡単なことだ。活動をやめればいいのだから。プラカードを持って大声を出すよりもずっと簡単にできる、消極的ストライキ。静かな抵抗。それこそがEの最も恐れている事態に他ならない。
Eの考えがまとまる前に、携帯電話が振動を始めた。きっちり五回分のコールを待って――コール五回分の振動で約一分間話すことができる――電話を取る。声を聞いてすぐに分かった。官房副長官のSだ。
「おい、停電しているぞ! 一体これはどういう事なんだ、T社から事前に周知もなかったじゃないか」
ちっと舌を打ちたいのをこらえてEは瞼を押さえた。いくらEの方が年下だとは言っても、長官はEだ。つまり彼はSの上長だ。なぜこの男はせめて丁寧語で話さないのだろうか。苛立たしい。
「いえ、私の方にも報告は――」
「どういう事なんだ!」
「T社に問い合わせてください……」
「なんだと! 俺を誰だと――!」
思わずかちんと来てしまったことは否めない。だがEも限界だったのだ。
「それがあなたの仕事でしょう! 私はT社のスポークスマンでもなければ、カスタマーセンターでもないんだ! 電力不足は官邸で起きてるんじゃない! T社で起きてるんだ!」
怒声が耳に届く前に彼は通話を終了した。携帯電話を机の上に放り出し、ベッドに潜り込む。腹の底からくつくつと笑いが漏れてくる。
彼は笑った。笑いながら眠りに落ちていった。夢は深い眠りの中に現れなかった。
このたびの震災で就活生の皆さんは多大な苦労をされているという記事を見ました。
なぜかって?今回の地震は本当に痛ましいものです。この一週間、その映像を繰り返しテレビで見て心を痛めた方がたくさんいます。
そして、それに対して自分は何もできないとして心を病んでしまう方が沢山いるんです。
そんな方々が、鬱で会社を辞めます。ほら、空きポストができたでしょ?
また、関東地方では電力が足りない!ということで早期帰宅を促す会社がたくさんあります。
それにかこつけて、今まで残業ばかりで転職活動する時間が取れなかった人が転職します。
ほら、また空きポストができた。
さらにはこんな電力のないところで不自由して仕事なんてやってられん!ということで名古屋以西に転職する方も増えるでしょう。
さて、その空きポストに誰が座るのか。
昨今大量に採用された外国人は原発の風評で日本を避けるようになります。
鬱になった人は仕事復帰するのに時間がかかるので絶対数が減ることになります。
転職者は正義感に燃えて今までの仕事とはまったく異なるNPOとかに所属する人が増えるでしょう。
そうすると、残ったのは純Japaneseの新卒の皆さんですよ!!
本当に良かったですねーー!!