2011-03-18

みんながもうよくよく知っていること

 よしなしごとだが今日18日午後、twitter唐突東浩紀氏が曰く、一昨日の晩から原発関連の報道が少なくなったかの印象があるとのこと。

それにしても、一昨日夜あたりから福島原発がらみの情報が急に出てこなくなったと思うのはぼくだけ?

http://twitter.com/#/hazuma/status/48610392976531456

 もちろん、事実報道は絶えずなされている。ご本人も「放水してることぐらいは知ってます」と書いている。

 事実そのものの緊迫度合いは変わっていない。事態の進行状況や対策対応を見れば情報を量的に計算しようともそれは変わるまい。いや、合衆国政府からの協力への強い要請(の露呈)や、IAEAから情報開示要求というニュースを見れば、事態は以前を凌ぐものだろう。

 東氏ご自身は政府情報統制を始めたんじゃないかと書いていたので、ここに書くのは東氏の意図とは違う。もっと曖昧な「印象」についての話である。印象とは根拠のないものであり、帰納的にしか語ることができず、つまり「論」ではない。まさによしなしごと。

 その印象が何を指しているか

 事実の質と量は充分であるのに、事実以上の報道はされていない?番組が少なくなった?という印象?

 似たような話がある。

 国内メディア報道のトーンについては当初から、悲惨さに寄り過ぎる、自衛隊かによる救済など「いいニュース」が海外メディアにばかり流れている、避難所はもっと前を向いているのに伝えられない、等の批判が出ていた。twitterなどでも同様だったが、ロケ先で被災したコメディアンであるところのサンドウィッチマンによるコメントは、その国内メディアでも報じられたのでかなり広く知られるに至った。これらを受けてNHKでは編成方針を変更したようだ。

 「ようだ」というのは、上記のようなことは定量的には前後比較できない、当事者の公表なしには視聴者感想(の露出)によってしか測ることができないことだから。逆もまた真なり、敢えて書くことはしない。

 それから、これも今回の震災に絡めてTwitterで見かけたエピソード。

 阪神淡路大震災の折、被災地を放送エリアに持つ読売テレビが、番組編成を報道偏重からアニメバラエティなど日常的なコンテンツを採り入れたものに切り替えたところ、賛否が多く寄せられたそうだ。不謹慎だというクレームはもっぱら被災地からのもので、被災者からは「ひさしぶりに笑った」という感謝メッセージが届いたという。

 tweetの主旨は、悲惨な状況にこそ深刻さばかりでなく笑顔を生みだすようなものが必要だ、それを実現した読売テレビさんは素晴らしい、在京各局も続くべしということ。

 それにしても、こうまで深刻である必要はどこらへんにあるのか。といっても「こうまで」の「こう」が曖昧至極であるが。

 もう説明するまでもないことなのでぶっちゃけていってしまう。

 下位に対する憐憫という「善意」の発揮によって穏当裡に、普段は緩やかに規定される上下関係こそ、ここ最近のこの共同体を支える文化精神的基盤だ。

 もちろん、階級のないこの社会を円滑に運営するうえで有用だからこそ基盤たりえる。が、善意の発揮は多くを包み隠しもする。

 女性差別を訴えられた男性は少なからず心外に感じるだろう。だって自分女性を「弱き者」だと理解し、その通りに行動しているのだから。その振る舞いに、端から自立を放棄せよとのメッセージが含まれているとしても。

 現在中年以上の大人であれば、街ですれ違う病者や障害者を「じろじろ見ちゃだめよ、可哀相でしょ」とたしなめられた記憶ひとつやふたつあるのではないか乙武洋匡氏を引き合いに出すのは失礼と承知しているが、氏のような快活さをいまだに受け入れられない大人はいる。

 それと同じように、被災地に救援物資と称してぼろが届く。「伊達直人」氏によって児童養護施設ランドセルが届いたのをきっかけに始まった伊達直人ブームも、しばらくすると最初伊達氏の志とは随分違ったものになってしまったような印象だ。

 しかしそれを差別だと大っぴらに言うことは憚られる。なんといっても善意から、悪気はないのに、それを責めるのか、ひどい。

 翻って、在日朝鮮民族韓民族に対する差別があからさまに起き続けるのは、彼等がこの不文律を共有しない、憐れみに対して首を垂れないからではないのか。いうまでもなく不文律とは心の中にしか存在しない。印象と同じようなものだ。

 そのような一連の意識を反映するものとして、原発関連の報道が、少なくなった、印象だ。

 憐れまれる側にまわった者に供給されるべき「深刻さ」の座興などないということだろう。

 最後に、東氏が18日未明に書いたもうひとつtweet引用しておく。

このような表現を使うと不謹慎と怒る人もいるかもしれない。しかし、ぼくたちはこの未曾有の災害を「好機」として捉えなければならない。バブル以降の20 年間の停滞に終止符を打ち、麻痺から脱し、日本をまともな国に戻すための最後の好機として。この好機を生かせなければ日本は本当に終わる。

http://twitter.com/#/hazuma/status/48442188891295744

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