はてなキーワード: 唐突とは
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらのインクさんのレビュー
http://www.amazon.co.jp/review/R92LAB0MXPIE0
話題の本ということで読んでみたのですが、予想以上に凄いシロモノでした。
主人公の川島みなみちゃんは重い病気で入院してしまった親友の代わりに野球部のマネージャーとなり、彼らを甲子園へ導くことを決意します。
しかし野球はもちろんマネージャーについてもよく知らないみなみちゃんは、それについて学ぼうと思い立ち、本屋でドラッカーの『マネジメント』を購入しました。
帰宅してマネジメントを読みはじめたみなみちゃんは本文に出てきた『真摯』の二文字を見て、突然泣き出します。
なお、この時みなみちゃんがなぜ意味もわからなかった『真摯』という文字を見て号泣したのか、その理由が後に語られることはありません。
そして翌日からみなみちゃんは何かにとりつかれたようにマネジメントを信奉しはじめます。
問題が起きる→マネジメントを読む→解決!
終盤まで延々とこんな流れが続きます。
一般的な物語ならそう簡単に話が終わるはずなどなく、むしろさらなる困難が待ち構え、それにどう立ち向かうかが重要になってくるわけですが、そんなものドラッカーのマネジメントの前では無意味です。
これさえ読んでいれば人生は全てうまくいく。週刊誌で宣伝している願いのかなう宝石のような効果がマネジメントにはあるのです。
少なくとも、本書を読んで私はそういう印象を受けました。
そんなに凄い本なのだから、みなみちゃんがより深くマネジメントにのめり込んでしまうのは必然でしょう。
病状が悪化して今まさに死にかけている親友が文字通り必死に何かを伝えようとしているのに、その言葉をさえぎってマネジメントの朗読をはじめるみなみちゃんの姿は、カルトに洗脳された信者そのものです。
元マネージャーを失った悲しみを乗り越えて決勝戦に挑む野球部員たち。
ちなみに今までろくに練習もしてこなかった彼らは、マネジメントのおかげで普通に練習するくらいには成長していましたが、その程度の彼らがどうやって決勝まで進むことができたのかは謎です。
決勝戦の相手は当然、甲子園出場のために日夜凄まじい練習と実戦で鍛えてきた強豪です。
結論から言えば、みなみちゃんの学校はその強豪校に勝利して甲子園への切符を手に入れるわけですが、勝利できた理由は「なぜか」です。
なぜか相手がどんな球を投げてくるのか分かった。なぜか今日は調子がいいといった具合に、本文中ではやたら「なぜか」という言葉が繰り返され、選手たちは謎の覚醒をします。
もはやマネジメントは関係ありません。
それについさっき元マネージャーが亡くなったばかりなのに、今日はいつもより調子がいいというのはあんまりではないかと。
それとも、元マネージャーという大切な存在を失ったことで選手たちは自分の中に眠っていた未知なる力に目覚めたのでしょうか。
女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んでいる隙に、他の部員たちは久保帯人先生の『BLEACH』を読んでいたに違いありません。
そして甲子園当日、野球部のキャプテンがインタビューを受けるところで物語は幕を閉じるのですが、
比較的まともだと思っていた人物が実は誰よりも洗脳されていたことが判明する、ホラーとしてはかなり秀逸なラストが待っています。
あらすじだけでも十分おそろしいのに
「日本の企業は体育会系出身者が多いから運動部に所属していると企業に採用されやすい」
など、お前それドコ情報だよと問い詰めたくなるようなことを平気で言う登場人物や
29歳男、定職あり、一人暮らし。
この間実家から電話があって、祖母が米寿を迎えるからその祝いの席がどうのこうの。
風邪ひいて具合が悪いから手短に頼むっと言ったら、サラサラっとかいつまんでくれて、それから最後に
「A君のお嫁さんがあなたにお友達を紹介したいんだって。また体調が良くなったころにかけ直すわ。」
と唐突に。
A君というのは、高校の同級生だ。
それほど懇意ではなかったんだが、わけあってA君と自分の父親が友達になった。
そんなわけで、A君とA君の実家とうちの両親が仲がいい。
帰省したときに、父親の用事(仕事、というか無報酬なので趣味か)にA君夫妻と自分がつき合わされたときに会った。
嫁さんの実家がある県と、今自分が住んでいる県が同じだそうで。
「友達紹介するよー」
くらいの社交辞令のやり取りはあった気がする。
これってたぶん見合いだよね?
親まで微妙に入ってるもん。
かけ直すか悩む。
みなさんありがとうございます。
これを書く前にもっと長くいろんなことを書いて
唐突におかしなことを書いたかもしれません。すみませんでした。
完璧を求める、完璧にはできないことがわかる(やる前からわかってることが多い)、少し悩む(そんな自分に酔う)、突然変な悟りを開く…
いつ見てもこんなパターンで生きているみたいなので、今回もそうなのかもしれません。
本人にとっては苦しいのかもしれないですが、変な悟りに同意を求められたりして、
聞いてるこちらが疲れてきました。
mixiにもtwitterにもいる友達なので増田にしか書けませんでした。
あーまあそれならわかる。
「男いつも悪者」発言だけじゃなくて全体像を見ると確かにいわゆる「ミソジニー」っぽい感じだな。
ただ俺が注目したのは唐突に出てきた感のある「男いつも悪者」発言でさ。この言葉だけなんか浮いてるような感じがしたから
純粋にその部分だけを抽出して、その増田の意図を勝手に想像すると(←この時点で間違ってる可能性大なんで、そういう想像ごっこ的な遊びだと思ってくれれば)
この「男いつも悪者」という部分は本当に機械的な世界の仕組みとしてそう考えてるんじゃないかあと思って。そのことだけ書いちゃった。
もちろん、君がこの「男いつも悪者」ワードについてだけ言ったんじゃなく全体から「被害者意識」(それも全然賛同できない)読み取ってそれに文句をつけたんだ、ということであればすごくよくわかる。俺が単に勘違いしてただけでした。
愚痴につきあってくれてありがとう。
わたしの体型は、深津絵里とほぼ同じ。顔もかなり似ていると言われる
知り合いは、おっぱいはべたんこで、メガネかけてるちび。髪は肩にかかってる。
デザートはムースだった。わたしはムース嫌いだからほとんど食べなかった。
こんな具合。
私が末席を汚す自動車・自動二輪の業界に、巨大な地殻変動が訪れようとしている。
電気自動車だ。
もしこの技術が熟成期を迎えコモディティ化してしまったら、日本の強みは殆んど発揮されず、日本が世界に誇った内燃機関自動車文明は唐突に終焉を迎えるだろう。
戦後65年で今の日本をここまで発展させた中心は、内燃機関自動車とそれに纏わる周辺産業を基幹に据えた重工業だった。
内燃機関自動車というのは、部品点数が多く、現代の技術を持ってしても量産管理が難しい。
そんなジャンルであったからこそ、たまたま良質な責任感とこだわりを持ち合わせていた日本人の得意ジャンルとなった。
そしてその成功に牽引されて、機械や電機などの関連産業も発展した。
珍しい事に、すぐ天狗(或いはキリギリス)になってしまい努力を怠る日本人にしては、内燃機関自動車は長いこと世界のトップ水準を防衛する事が出来た。
これは別物だ。
部品点数が圧倒的に少なく、スケールメリットを発揮すればまだまだどこまでも廉価になる。
そして超えなければならない技術の壁が未だ何枚もある。
かつての日本であれば、優秀な研究者と熱心な研究機関と潤沢な研究資金があったが、今の日本にはその全てが無い。
かつての日本には、高校どころか中学校・小学校しか出ていなくても、創意工夫で様々なモノを作り出した発明家が沢山居たが、今の中卒・高卒はコンプレックスの塊で向上心が無く、社会の奴隷かお荷物でしかない。
かつての日本の産業界指導者は引き際の重要さと業界繁栄のための後継者育成の必要性をよく理解していたが、団塊からこっちは全くその自覚がない。
そして戦後日本の経済発展という成功体験は、日本国民に驕り癖を植えつけ、今もなお経済戦争で敗退を繰り返す中であっても、現実と向き合わない人間の逃げ込み先として持てはやされる、有害極まりないおとぎ話と成り果てた。
ト○タもホ○ダも、内燃機関自動車での成功体験や業界の存続要望に足をひっぱられ、電気自動車には非積極的だ。
そんな日本という国が、果たして今後生き馬の目を抜く戦国時代になるであろう電気自動車業界で世界のトップを走行出来るだろうか?
このままでは、10年後には都内をサムスンやヒュンダイやLGの電気自動車が走り回る悪夢の世界へようこそ!となるかもしれない。
正確に言うと、それなりにデートの回数を重ねて
脈なしっぽいので振られそうなんだけど。
3年前に当時付き合っていた彼女に振られて以来、
誰かと付き合おうと考えたことは皆無に等しかった。
で、最近仕事が落ち着いてきて、知人が結婚して、身辺がさみしいなと
思えるようになってきたんだ。
いざ、彼女を作ろうとしたけど、作り方がわからないってのは本当で
前の彼女のときは、今考えればきっかけは相手が与えてくれていて
自分が0を1にすることはしてなかったんだ、と思う。
0を1にするのがこんなにアレコレ頭を使わないといけないとは
思ってなかった。
知人から一歩進めて、遊びにいったり、ご飯食べたり
たぶん付き合うのは無理なんだけど、相手をしてくれる女の子がいるので
ちょっと練習させてもらおうかと思っている。
世の男子はこんな面倒なことをずっとやっていたのかー。
皆様…本当にありがとうございます 書いて良かった…
今日は一生忘れられない日となりました。読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。感謝の気持ちを込めて、是非この本を紹介させて下さい。ドミニック・ローホーさんという方が書いた「シンプルに生きる」という本で、まさに今の自分に相応しい本だと思いました。心からオススメです。
↑どう見てもここでいきなり幻冬舎の本の紹介とか、唐突すぎるだろ。
酒井法子著『贖罪』に寄せられたレビューと同じようなノリを感じさせる↓
謝罪会見にて。。。
「この度は、薬を使ってしまい、その上、薬抜くために逃亡を図ってしまい、大変反省しております。 申し訳ございませんでした。。
…さて、この度反省の思いと、私の生い立ちを一冊の本にまとめました。タイトルは「贖罪」です。
皆様におかれましては、是非私の思いを手にして頂き、読んでいただければと思います。
だめでしょう
とまりませんな
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
もう晴明が近いので
もみじの若芽と毛のような花に
秋草のような波を立て
焼け跡のある藺草のむしろも青いです
黒いフロックコートを召して、こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまずは文句もありません
血が出ているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
ただどうも血のために、それを云えないがひどいです
ずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは
なんだかんだ、と
一体何処で、油をうっているのか
わかりようもありませんが
外は大雨のようだ
降り出す前に、僕は帰路につけました、これはきっといいことだろうと思う余裕はまだ、ある
家へ帰ると、インターネットで買っておいた、カメラバッグが届いている
心の平和も、宣言するには、心許ない
何が足りなくて、何が満たされているのか、わからない
こんなことばかり、恥も知らず
しかし存外、そうでもない
この渇きと、飢えが、跡形もなく消え去ったとき、僕はきっと死ぬのだろう
どうも、満ち足りないから、前へ、上へと歩んでいける節がある
何年も昔、秋の夜だったか
日付がかわって、間もなく
彼女がそう言う理由は知っていた
長年付き合った彼に、別れを告げられた
彼女が、少しずつ、しかし確かに、形作っていた、結婚という夢も崩れた
いつでも
天真爛漫に、誰よりも幸せそうに笑いながら
苦しんでいた、彼女
彼女の家へ向かったのは
それを薄々、感じていたから
彼女に限って
まさかことに及ぶようなことはないと分かっていたが
教えてあげたかった
そんな時は、もっと直接的に、感じられるものじゃなきゃ、心は救われない
それは時と場合によって
傍にいることであったり、行動であったり、継続であったり
色んな形をとりはするが、どれも
やさしさや、隣人への愛とよばれるものだと、僕は思っている
それが為になるのか、何かの役にたてているのかはわからないが、しばらく彼女の傍にいることにした
僕よりも多くの経験を重ねてきた人であることに間違いはなかったが
それでも少しは役に立てたと、今でも思う
彼女が、僕たちが、生きられる、大きな世界の何分の一でしかなかった
その人の小さな世界で、ほぼを占めていた
何かが、なくなってしまったのならば
当然、心に穴はあくだろう
もし誰かに甘えることで、仮に、少しでも
それも可能ならば、友情でもって
何故なら、残酷なことに
いくらでも、生きられる場所を、用意してくれているように思った
一人ではないこと
楽しいことは、まだ残されていること
少しの間でも、忘れられること
それがだんだん、長くなっていくこと
例え、生きていることに意味を見出せなくても
死を選ぶのは、いや、自分を傷つけるという行為が、答えになるわけではない
失ってからはじめて気付くものは、たくさんあるし、それが自分じゃ洒落にもならない
だから、うしろむきな僕が、いつまでたっても見つけられない
生きる希望は、それはそれで、よいのかもしれない
だから、この世界がきっと用意してくれているであろう、居場所を探す力だけは残しておかなくてはならない
渇いている心が、飢えた頭が、ある限りは、より善いものを求めて、歩いていく、力になるだろう
道中は、弱音ばかりで、幸福の音色を聴かせることなどできないかもしれない
しかし、満ち足りていないのなら、前へ進める
小さなことで、満ち足りぬ自身をいずれ、誇れる日がくるかもしれぬ
それが、希望を追う、力になるだろう
そしてまた、目の前の絶望にも、溺れぬよう、抗う力になるだろう
そうすれば、溺れかけているように思える、この頭の中からみても、
最高潮の気分は最高に最高に変わっていく!!
らららい、らららい。なんとなく、全てが変わる瞬間が来る!!
目の前の景色がガラっと変わる!!
どこまでも、それはどこまでも進む。
ひたすらに長いレールの上を、どこまでも、どこまでも。
辿りつけるのは果てのない明日。
闇の中に紛れた君のサイン。
さすがだね。最高だね。匿名ダイアリー。ここが最高だよ匿名ダイアリー。
君の言葉。ぼくの言葉。ぼくは選んだ、進むことを。戻ること許されない。
やばいやばいやばい。ロックンロールが止まらない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
because I love you.ファッキンミュージックですよね。
なしくずし!!!さぁ!ここから君はどうする!何をする!
今からぼくは今からぼくはきっと君に想いをそっとここで歌うから君は消さないでいてよ
心の奥の闇に灯を
しばらくの沈黙の後、彼はしゃべり始めた。なにもかもが、違って見えた。
何かが変化したんだ。その間、一体何が変化したというのだろう。
何も変化していないはずがなかった。変わらないものなんて何一つないけど変わるスピードが違ったんだな。
何も無い場所から、いきなり何かが生えてきた。びっくりするほど唐突だった。
どこまでも、どこまでもそれは進んでいく。太郎は元気を出して、また歩き出す。
誰も何も言わなくたって、彼は歩き続ける。
本当に、あの時のあれが効いたんだなぁ。ぼくは寢らずに澄済んだ。
よかった。本当に生きていてよかった。そう想えることがいくらでも。
そう、、生まれたんだ。この地球に。どんなにネガティブになっても、ぼくは笑ってみせる。
どんな地獄を見せられようが、ぼくは笑ってみせる。
世界史。理解し。なんでもかんでも、とんでもない力が湧くのさ
僕は知りたい。世界の中心を。僕は知りたい。この世界の真理を。僕は知りたい。
お尻たい。君の心を知りたい。とんでもなくはじけとぶ有象無象。
なんでもかんでも、ぶっ飛ぶ勢いで、らしくない花を咲かせ、北中国と南中国は戦争を始める。
だけど僕は笑っている。首つり台の前で、僕は笑っている。
妙な予感が身体を走る。らいくらいくにこんにちは。
ここらへんがマイジャスティス!
先月27歳になった。
本題に入る前に簡単にプロフィールを紹介しておこうと思う。
性別=男性、年齢=27歳、独身、地方在住、地方国立の修士でそこそこ大きなメーカーで研究職をしている。
年収は450万弱で、住宅が会社持ちなのでそこそこ余裕のある暮らしだ。しかし奨学金が数百万。
うちの会社は古い体質の会社でほぼ年功序列、賃金抑制のために導入された形ばかりの成果主義を採用する典型的な均衡縮小状態の日本企業だ。ここ数年は成長してなく、じりじりと追い込まれて言ってる状態だ。はっきりいって先は暗い。ただ現状の待遇は悪くない。土日、祝日はほぼ休みだし、有給は最低でも10日以上はとれる。上司もまともだ。仕事自体は自分に適正があるのかどうかはわからないが、評価だって悪くない。ただ驚異的なほどつまらない。つまらないというか興味がもてない。
実は院生時代から薄々と自分はこの分野に楽しみを見出すことは無理なんじゃないかと思っていた。たぶんこういうことを言うと積極的に楽しくしようとする努力が足りないと言った趣旨の忠告をいただくであろうが、しかし、うちから湧き上がってくるものがまったくなくそもそもそのラインにすら達しない場合はどうしたらいいのだろうか。散々悩んだ。結論から言えばどうしようもないと言うものだった。つまりこの仕事を続けている限り最低1日8時間以上の時間を費やす活動は自分に何の精神的な充足をあたえてくれないどころか、むしろマイナスにすらなるだろう。徐々に蝕まれて、よくいる窓際社員みたいになれるならばまだいい。この先、漫然と過ごしていく中で年齢だけを重ねて、仮に会社がいよいよと言うことになればかなり高い確率で路頭に迷ってしまうのではないだろうか。そういう思いにとらわれてとたんに怖くなった。またどうせならば楽しみたいと言う理想も捨てきれない。もう27歳だが、まだ27歳だ。今なら間に合う。
ここでとりうる選択肢は主に二つだ。今の会社に見切りをつけキャリアチェンジをする。もうひとつは仕事に関しては生活の糧を得るためだと割り切って続け、その上でもうひとつの道を加える。
まず一つ目についてだが、これは非常にリスクがでかい。改めて違う分野の大学(院)にいくのか、直接違う分野の会社への転職を目指すのか、どちらも不確定要素が大きい上に、奨学金の返済もある。蓄えはないことは無いが猶予はそう長くは無い。学校に行くのはかなりぎりぎりの状態にならざるを得ないだろうし、この経済状況だ、異分野からの27歳を受け入れてくれる会社などあるかないかというレベルだろう。
二つ目は例えば俗に言う週末起業のたぐいと、後は完全に趣味の創作活動あたりだ。こちらは仮にそれらがこけたとしても生活に困るような自体にはなりにくい。しかしだ。自分で言うのもなんだが、自分にはそんな大げさな才能などありそうにもなければ、これといった人脈があるわけでもない、その上、本業があるからなどと覚悟まで薄めてしまえば、望むような結果が得られる到底思えなかった。
一番怖いことはこうした悩みもいつか消えてしまい、惰性で生きるような状態になってしまうことだ。家族がいればまだいいかもしれないが、これまで何人かと付き合った結果恋愛にも向いていないようなので結婚して子供のためにというのもありえないだろう。こうしてうじうじと悩んでる間にも刻一刻と時間は過ぎ去っている。
尻すぼみになってしまって申し訳ないが、ここで唐突に何もかけなくなってしまった。できれば今年中には答えを出したいと思っているが、現状ではそれすらもおぼつかないような状態だ。他の人を気にしてもしょうがないのは分かっているが、みんなはどうなんだろうか?今の仕事を楽しめているのだろうか。それとも自分と同じような状態なんだろうか、こうした堂々巡りにはまって立ち止まっているのだろうか。それとも勇気を持って踏み出しているんだろうか。
最近考えてたこと。幸、不幸について
人は誰しも幸せになりたいと思うし、僕もその内の一人だ。だが、自分にとって何が幸せなのか、と考えるとなかなかイメージできない。不幸ならいくらでも思いつくのだが、自分にとっての幸せとなると難しいのだ。
なんでだろうなーと思って考えていたが、要は客観的な承認のされやすさに違いがあるのだと思う。
自分が幸、不幸なんて事はとても曖昧で、他者と比べて自分は幸せか不幸せか、というやり方でしか測れないのではないだろうか。もちろん主観的に判断すれば良いのだが、正直自分はそれでは少し不安になるし、同じように思う人は実は大多数だと思う。(隣の芝は青いっていうし。意味違う?)
そういう前提で考えると、上手いこと説明できる。「不幸」というのは他者から承認されやすい。そうすることで不幸な本人に同情することで、自分が満たされるからだ。色んな意味で。 逆に、「幸」となると承認されにくい。人間、他人が自分より幸福だと嫌味の一つでも言いたくなるものだ。これはネット、特に2chとか匿名の所を見てるとよくわかる。「どうせ実は〇〇なんだろ」「そのうち〇〇になるに決まってる」とか。
自分でもひねくれてて建設的でない考えだなとは思うが、唐突に思いついて、書いてしまった。
「幸、不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに意味がある」って言葉が自虐の詩っていう漫画にあったけど、この言葉を信じたい。
小学生のころ、『RPGツクール スーパーダンテ』というスーパーファミコンのソフトを買った。
まぁいまさら説明不要だと思うけど、簡単にRPGが作れちゃうソフトだ。
だけど、実際はそんなに完璧じゃなかった。
結構プログラミング的な部分があるし、スイッチの切り替えをちゃんと
家の中に宝箱があって、その中に5000Gが入ってて。
それを取るとお母さんが「あんたたち!」って言いながら敵として襲い掛かってくるんだ。
グラフィックがドラゴンでさえ、ラスボスよりも強そうなんだ。で、絶対死ぬ。
だから宝箱は絶対に取れない。こういうの仕掛けておくのもいいなと当時は思ってた。
で、友達を仲間にして学校に向かうんだけど、学校が異空間とつながってて。
まぁ、マップをランダムに配置しただけなんだけど、結構カオスな感じに仕上がってて。
嫌いな先生やクラスメイトは敵キャラにしたから、友達とプレイしたときは
なかなか受けがよかったよ。
でも敵キャラとして登場したクラスメイトの一人がその話を聞いて
「何で俺が敵キャラなんだ!」って殴り合いになったこともあったなぁ。
結局いきなりラスボスの校長を出して、「俺たちは、世界を守る!」みたいな感じで
戦ってエンディングが流れて終わったけどね。
何か楽しかったなぁ。
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。
********************
http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html
未来がハッタリによって支配される5つの理由
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。
とりあえず説明しようか。
#5.
もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノをネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像・エロ動画を持ってくる?
多分答えは「全部」じゃないだろうか。
これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルクを赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。
企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。
みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会のルールはひっくり返されようとしている。
未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンリアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノは空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類は宇宙が燃え尽きるまでエネルギーをおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。
さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンとネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルのネットブックと月額20ドルのネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。
マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。
俺たちネット住民はゲームのデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。
違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。
#4.
ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。
というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!
いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?
ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。
そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分のパソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。
なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。
図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社と公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:
A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?
B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?
C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?
D. ちょっと待てよ。印刷も製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?
E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?
ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社の社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫、本屋、図書館、印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。
これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。
みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。
みんなソニーのマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいた。ボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的に無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。
#3.
娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。
凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性が自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。
俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。
俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代にペプシ社とコカコーラ社がペプシとコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。
水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。
俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7をインストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンがインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。
パソコンを新調する事になったら、今インテルがテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。
連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?
#2.
さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話)。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。
Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。
その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。
で、その問題を何とかするのが、知的財産権を侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルのプライバシーの侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。
何でこんな事をするのか?大企業やレコード会社はアクティビジョンの利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターがサルにオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!
でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。
ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分の労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力は電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。
どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機はゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジのバイト?セルフレジに仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない。
ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットにアウトソーシングされてる。
技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。
ACTAやMPAAやRIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。
#1.
文明を救うのは「ハッタリ」
こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突にゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。
「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPalの募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来の価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。
「自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。
別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初の集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会の歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。
という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。
ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。
文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧な価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleのロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。
そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産、人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。
「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……
少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。
式場ででた料理だけは見栄をはって張り込んだらしく、葬式なのにいいのか、と思うほど旨く、
名古屋から来た祖母の親戚はけたたましくうるさい人ばかりで、初めての葬式は妙な葬式だった。
祖父の親戚は祖母と折り合いが悪く呼ばれなかったらしい。
祖母は祖父がおとなしい分というか、勝気でなんでも自分の意見を通してしまう性分だった。
そもそも結婚も、既に婚約者がいたのに、後から医者の祖父に乗り換えたような人だから、
金目当てであまり愛情がなかったんじゃないか、と思っていたから、特に不思議でもなかった。
式本番では、たぶん泣けないだろう、と思っていたけれど、結局泣いてしまった。
祖父が死んで悲しかったわけではない。
いつもふてぶてしい父が、祖母が、別れの段になって、ぼろぼろ泣くからだった。
背中を小さく丸めて、棺の小さな窓を覗き込んで、人前で泣いたりするから。
祖父の死は自分にとって大切な人の死ではなかったけれど、
もしこれがそうだったらどうだろうと、想像したら、もう、駄目だった。
仲の良い友達、可愛がってくれる先輩や、可愛い後輩、片思いのあの人とか、
例えば、目の前でだだ泣きしている父とか。母とか。姉とか。
いつか自分も、大切な人を見送り、あの小窓を除いて涙する日がくるんだろう。
祖父は大往生と言っていい最期だったけど、唐突に理不尽に、それが訪れることだってあるだろう。
自分だって例外ではなく、いつかわからないいつか、覚悟する暇もなく死は打ちのめすだろう。
そんなにつらいことを、一体何回乗り越えていかなければならないんだろう?自分の番が、くるまで。
そう思うと、泣けて泣けてたまらなかった。
今見送られている祖父ではなく、祖父を見送る父や祖母を、いつか大切なだれかを見送る自分に重ねたのだった。
なんつー自己中。でも俺は生きている人の悲しみを思って泣いた。
人死にはかなしいことだった。
でもそれは、死んだ人にとってじゃない、
残された人のだったんだ。
そういうことも含めて、残酷なことだった。
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蛇足
祖父の火葬が終わってお骨拾いをしたら、膝に入っていたという金属のボルトが丸々形を残していた。
前線にいたときに怪我をして、帰国してから入れたものだということを初めて聞いた。
当たり前のことだが、戦争に行って、辛い目にだってあっただろう。捕虜にもなっていたんだし。
帰国してからは楽しかったことだけ話したかったんだろう。
その後の思い出話で、自分が生まれた時の祖父の話も聞いた。
祖父は生まれたての自分を抱っこすると、相好を崩してなかなか離そうとしなかったのだそうだ。
考えてみれば、子ども嫌いの人が小児科医になったりするはずもない。
口うるさかった祖母は祖父が死んでからすっかり意気消沈してしまい、家に籠りがちになってしまった。
60年連れ添った夫婦なのに、自分はなぜ祖母は祖父が死んでも平気だなどと考えていたのだろう。
夫婦の老後のためにと折角ため込んだ金の使い道がないらしく、会う度に小遣いをくれすぎるので困っている。
思えば節約や資産運用には熱心だったが、あまり消費欲のない人なのだった。
自分はというと、よく知りもしない人のことを決めつけるのはやめておこうと二十歳を過ぎてようやく決めたところだ。
交際3年、結婚して5年、寝る前に最初に嫁とセックスした状況を思い浮かべていた。なぜそんなこと思い出そうとしたのかはわからない、でもこれまで嫁の話の節々に感じる違和感、これまで男の人と付き合ったことがないかのような彼女の発言などを、いろいろと頭の中で巡らせているとそういえば最初にセックスしたとき血が出たよな?とふと唐突に思い出した。
その時彼女は28歳、なぜそこで俺が「君はもしかして処女だったの?」と彼女に聞かなかったのか、それはおそらくその時の彼女の年齢を考えてまさか処女ということはないだろうという先入観からだったと思う。その時血が出たことに対して俺は何も言わずにことを終えた。でもそれだけじゃなかった。今思い出すと、挿入時になかなか入らなかったのだ。そして、入ったときに彼女は確かに「痛い」と言っていた。
俺は処女とセックスしたことがなかった。気づいてやれなかったんだ、その時の彼女の神聖な「初めて」に。なんのロマンティックな感じもムードもなく、ただ誰もが普通にするようなセックスを普通にした。そのことを思い出してからその時のことをとても悔やんでしまう。なんで挿入時に気づいてやれなかったんだろう、血が出た時に気づかなかったんだろうと。
あの時、初めてだったんだね、俺馬鹿だから気づかなかったよ。
あの時、緊張した顔で何も言わずに事を終えたけど君にとってはとてもとても大切なセックスだったんだね。ありがとう。
まったくもって今さらだけど、そのことに気づいてから嫁のことがもっと好きに、もっと愛おしくなった。
これは僕の記録である。僕がなぜあんなことになってしまったのか、一度整理してみようと思いこの文章を書いている。そういったわけで少々文章が長くなるだろうが気にしないことにする。これを読もうとする方には申し訳ない。
僕はいわゆるロリコンであった。単なるロリコンではなく「病的な」ロリコンである。対象は中高生だ。
病気ではなく病的と書いたのは、私のは精神疾患とは違うようなのだ。現在日本でよく使われるDSM-IV-TRでは、13歳以下のものに対して異常性欲を抱くものを精神疾患としている。要はペドフィリアだ。つまり僕のように中高生にのみ異常性欲をもつものは病気ではないのだ。中1くらいだと幼すぎて興味が沸かなかったので間違いない。しかし、明らかに病的であることには変わりなかった。
ロリコンを自覚したのは大学2年くらいの頃である。コギャルという言葉が流行りだし、町中がガングロ・ルーズソックスであふれ出したころ、僕は彼女らに異常な興味を持った。僕はほんの数年早く生まれてきてしまったことをひどく後悔した。
その興味は羨望に変わり、そして性欲へと変わっていった。だが不幸にも彼女らと関わりを持つ機会を持てず、かと言ってナンパをする勇気などまるでなかった。さすがに犯罪だろう、とその時は思っていた。しかし今思えば大学2年なら先輩後輩でも通じる間柄だったはずだ。そうして悶々としているうちに年月は非情にも過ぎていき、中高生という存在や可能性からどんどん遠ざかっていった。そうして流れる年月は、僕の「コギャル」に対する性欲を異常性欲に成長させていった。
異常性欲。
分かるだろうか。僕は彼女らを見ると非常に強い性的衝動が起こるのである。もしかしたら健常者には分からないかもしれないので説明しておく。セックスを行う時、前戯行為を重ねた結果、性的興奮が絶頂に達して「もう我慢できない」という状態になることがあるかと思う。あれが、街中で、ちゃんと服を着て街を歩いている見も知らぬ女性に対して沸き起こるのである。私だけかとも思ったが、性犯罪の多さ、特に学校の教師や警官でさえ援助交際や盗撮などを行ってしまう事件をみるにつけ、一般にその衝動は私と同じくとても大きいものなのであろうと想像する。
年をとるにつれ、皮肉にも性衝動の対象は逆に広がっていく。いつの間にか高校生なら誰でも良くなっていた。25,6歳を過ぎた頃だろうか、中学生の間でパステルカラーを極彩色に組み合わせたようなファッションが流行した。ごてごてしたスニーカーを履き、うさぎの耳のように髪を結わえ、2つずつ大きなアクセサリがついた髪留めをしていた。
僕はこれに強く反応した。かくして僕はいい年をして中高生好きの病的なロリコンになっていた。欲望を満たす方法はあった。この頃、援助交際が大流行していたのだ。しかし僕はこれを固く拒んだ。犯罪を犯して性欲を満たす、これを僕は極端に嫌った。援助交際については気分さえ悪くなった。僕のなかにその選択肢はなかった。
しかし、その日は突然やってきた。
小雨がしとしとと降るある日、公園の縁石の目立たないところに一人の女性が座っていた。20歳くらいに見えた。待ち合わせだろうと僕は特に気にもせずに通り過ぎた。30分後、用があって再びそこを通ると彼女はまだ座っていた。明らかにおかしい。僕は声をかけることに決めた。知らない女性に声を掛けたことなどない僕は、声を掛けるのにさらに十分程度を要した。
きっと不審がられると思ったが、彼女は意外とやさしく返事をしてくれた。話を聞くと、約束をすっぽかされて時間をもてあましていたのだという。だったらとっとと帰ればいいものだが、なぜ雨の中ぼんやり座り込んでいたのかは聞いてないのか忘れてしまったのか。歳を聞くと17だという。なんとあれだけ憧れた「高校生」ではないか。僕はしばらく平静を装うのに苦労した。
時間は7時を回っていた。何も食べていないというのでちょとした料理店に連れて行った。わざと静かで落ち着いたカウンター席の店を選んだ。下心丸出しである。そして食事をとる振りをして彼女に心理的に接近していった。
店を出て、まだまだ時間があるというので散歩することにした。ぶらぶらする振りをして僕は常に距離感を測っていた。それはとうに向こう側も気づいていた。散歩の理由も含めて。そしてここぞというタイミングで手を取った。そして最初から取り決めてあったかのようにホテル街に消えていった。僕は「高校生」との性交を果たした。
念のために断っておくが酒は使っていない。そもそも僕は酒が飲めない。
実は異常性欲はこれで収まると思っていた。一度高校生としてしまえば満たされるだろう。しかしそうではなかった。彼女はいわゆるギャルではなかった。17よりは16くらいが良かった。中学生も未経験だ。満たされたと思ったのは一瞬で、次の日の朝にはただの変態に逆戻りしていた。
そして僕には一抹の不安があった。「これは犯罪ではないのか?」。実際にこれを犯罪だと信じている人も多いだろう。僕自身何度も犯罪者と誹られた。そこで知り合いの弁護士に「知人の話」として相談をもちかけ、飯をおごる代わりに法的根拠について調べてもらった。結果はおどろくべきことに、何の罪にも問われないというのである(当時。現在は違法)。こういうので逮捕されるのは大抵が地方条例違反なのだが、東京都にはその規定も罰則もないというのだ。児童福祉法も滅多なことでは引っかからないらしい(気をつけるべきポイントはあるが)。
ここで僕のタガが外れる。少々年齢差があってもナンパは可能だ。そしてナンパは気を付けていれば犯罪にはならない。数日後の昼、僕は昨日彼女と出会った公園にいた。そこにはいわゆるコギャルな女子高生がヒマそうに化粧を直していた。僕はやはり10分ほど躊躇したが、結局声を掛けることにした。そして世間話をしてカラオケに行くことになった。結局彼女とはカラオケをしただけで分かれたが、ナンパは成功したと言えよう。僕は一気に自信をつけた。
僕は唐突に仕事の契約をいくつか切った。そして月水金以外の4日間を休日とし、その時間をナンパに充てることにした。ここまでくると正気の沙汰ではない。仕事とナンパとどっちが大事かといえば、どうみてもナンパである。
ちなみに僕のナンパのやりかたはこうだ。大きな通りに目をつけ、そこをひたすら往復する。これはと思った女の子がいれば、一旦追い抜き斜め前から速度を落とし(こうすると驚かれない)横にならんで声を掛ける。特に話題がなければ「何してんの?」から始まり話が盛り上がってきたところで「じゃあちょっとカラオケでも行こうよ」と誘う。カラオケでいい雰囲気を作り、自宅の○○を見せてあげるとか適当に言って連れて帰る。あとは一緒だ。
もちろんこれは人によってちがう。その場ではメルアド交換だけしてアポを取り付け、デートで決める人もいる。というか多分そっちの方が多いと思う。僕も相手が時間が取れない時はメルアドを収集していたが、メールだけはどうも苦手だった。僕のようなのを即型、後者をアポ型と呼ぶらしい。
余談になるがキャッチやヤクザ風の人とはあらかじめ仲良くなっておいた。噂によると彼らはナンパする奴を締めたりするらしいが、僕が絶対に女子中高生にしか声をかけません、と言うと容認してくれた。彼らにとって未成年者は商売にならないのだ。よく「よお兄ちゃん、今日は釣れるかい?」と声を掛けられたものだ。
うまく行った子とは必ずプリクラに行き、それを収集していた。なお、初回に2回連続でナンパに成功しているが、現実はこんなに甘くはない。僕は話は下手だし顔もまずい。丸1日、100人くらい声かけてオケラという日もあった。だいたい月に5人程度。ひどいと1人とか2人という月もあった。今でもあの2回のビギナーズラックは、僕を引きずり込むための罠だったのではないかと感じることがある。
僕は大抵人の出てくる午後1時~3時くらいから出掛け、ひどいときは夜9時ごろまでやっていたこともあった。一度冗談で万歩計を付けたら2万歩も歩いていた。それ以上の日もあっただろう。まさに病気である。
それでも欲望はまったく収まる気配をみせなかった。まだ何かが満たされないのだ。こうなれば、ああなれば収まると夢想すらした。しかしそんな日は一向に訪れなかった。記録によるとそれは3年間にもわたった。ナンパというのは金のかかるものである。当然その日の収入はない。土日のカラオケは恐ろしく高い。食事代やホテル代も馬鹿にならない。よく金が持ったものだ。いや、あの金があれば、その分働いていたらどれだけ貯金できたか。
そして事はやはり突然訪れる。そんな生活を3年ほど送っていたある日、異常性欲が忽然と消えたのだ。突然「もういいや」という気になった。必死にナンパしてたのが馬鹿馬鹿しくなった。それは徐々に潮が引くようでなく、突然麻酔から醒めたような感覚であった。なんと「あのアレ」が治ったのである。実際にはそれからもしばらく惰性でナンパは続けていたし、何人かの中高生と関係していたが、それもだんだんなくなっていった。そして気が付くと手元には何も残っていなかった。
しかし、それでも、あのロリコンが治ったのである。ロリコンが治るとは夢にも思っていなかった。これは一生の病だと思っていた。それが治った。それは十分3年の価値があった。
だが逆に言えば、ロリコンはここまでしないと治らないのである。
そして今、調べてはいないがおそらく全国の条例で青少年の淫行が禁止され、ナンパなどできない世の中になった。もはや違法な手段を選ばないと欲望は達せられないのである。
ロリコン、そしてペドフィリアの方々、あなたがたは、一度でも欲望がかなえばそれが治ると思っていないだろうか?僕はそう思っていた。しかしそれはまぼろしで全く何も変わらなかった。直るまで仕事をほっぽり出して3年かかった。
僕は、性犯罪者の中には「ただ1回だけやればこの苦痛から開放される」と考えた人が多いのではないかと推測する。しかしそれは間違いである。あなたは何も変わらない。他方被害者は 強姦の場合、重大な精神疾患を一生背負うことになるかもしれない。「一度でもいい」と思っている方たち、僕が言えた義理でないのは重々承知だが、それは危険な思想である。禁煙者が「1本だけ吸おう」と言っているのに似ている。おそらく1度では済まないだろう。そして連続犯に堕ちていくのだろう。
健常者には分からないと思うが、病的なロリコンであることは大変な精神的苦痛をともなうものである。だが彼らを治そうという動きはなかなか見当たらない。病気として認められていないのだから当然なのかも知れないが、ただオナニーで我慢しろというのではなく、彼らを救済する手段を考えることも必要なのではないかと切に思う。
参考
http://image.blog.livedoor.jp/brynhidr/imgs/7/a/7aec0b0e.jpg
手の込んだロリ雑誌のジョーク広告なのだが、真に受けて精神科に行ったり、医師会を104で調べた人もいるという。みんな悩んでいるのだ。
それから通報祭りを開催予定の方々、僕の行為は説明したように犯罪ではない上、児童福祉法の公訴時効(5年)でさえとうに過ぎてるので(条例の時効は3年)、おまわりさんのお仕事を邪魔しないようにね。