はてなキーワード: ホモサピエンスとは
ゲーム配信、お絵かき配信、カラオケ配信……これらは皆ニコニコ生放送が踏んできた文化だ。
初期の頃はともかく、今やVTuberの主な活動はYouTubeライブ配信に移行していて、
彼らがリスナーのコメントに返事しながら配信を繰り広げる光景は、全盛期のニコ生そのものと言っていい。
リアルタイムコメントは画面を流れないだけで、ニコニコのコメントに酷似しているし(使用されるネットミームも含めて)
スーパーチャットによる投げ銭もニコニ広告そっくりだ(放送主がそれに特別に応対する部分も)。
たまに投稿される、きっちり編集された動画でさえも普段からのファンに向けた内容となっていて、その部分もニコ生主がニコニコに投稿する動画と似ている。
実際、人気VTuberの一部には、中の人が元ニコ生出身者という経歴もある。
その人の昔の動画と今のVTuberの動画を見比べると、右下に動くキャラクター画像があるかないかの違い以外には、何の差異もないのだ。
彼らは、かつてのニコ生主が架空のキャラクターという皮を獲得しただけの存在に過ぎないのである。
***
ところが、「架空のキャラクターという皮を獲得すること」は、日本のオタクにとってはとんでもない違いなのである。
元よりニコ生は匿名なので、生身の人間というポジションから一歩引いた位置に立ってはいた。
しかし、それでも画面の向こうには剥き出しのホモサピエンスがいるのだという感覚はどうしても付いて回ったし、放送主もリスナーもそのように振舞った。
Facebookなどの台頭により、ネットの実名性が存在感を増してきたこともそれを手伝った。
リスナーは、一人のファンとして、放送主の個人的な人間性を知りたがった。まるでアイドルのように。
それは傍目から見れば非常に気持ち悪い構造で、当人たちもそれを自覚してはいた。だから、ニコ生は危険視されたし、敬遠されたし、廃れていった。
そこで現れたのがVTuberだ。
上で書いたように、構造はニコ生と全く同じ。ただ、生身のリスナーと生身の放送主の間に、架空のアニメ調のキャラクターというペルソナが一枚挟まった。
ニコ生に本当に必要だったのは、このたった一枚のペルソナだったと言っていい。
リスナーはアニメを鑑賞するように、「嫁」を愛するように、この架空のキャラクターを眺めればよい。
放送主も、ただそれになり切ればいい。演じればいい。何も個人情報を明かさなくとも、作り込んだキャラクターを正確に維持すれば人気は出る。
キャラクターを愛しても、その向こうにいる人間には一切届かない。そこにいるのは、ただそのキャラクターだけ。
また、このペルソナは「VTuber同士の関係性」にも適用される。
ニコ生におけるコラボ放送はまさに人間同士の関わりだった。VTuberは、その関係性すら作り込める。親友なら親友でいられるし、親子なら親子でいられる。その背後に中の人は関係がない。
別にこれは、虚偽ではない。アニメキャラ同士の友人関係が作者によって作り込まれるのと同じだ。
VTuberはVTuberの世界の中で完結していて、中も外も前世もない。いわばそういうアニメ世界なのだ。
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と、一人で納得していたのだが、とある配信を見ながらやはり考えを変えたので、こうして増田に書いている。
結局は「素」を求められるのだ。
配信中、作り込まれたキャラが崩れ、中の人が素の言動をする瞬間を、リスナーは待ち望んでいる。
ツイッターやオフコラボなどで見せる彼らの「作り物でない仲の良さ」を敏感に嗅ぎつけては議論する。
にじさんじの非公式Wikiなどを見てほしい。そこには放送内容のことよりも何倍も緻密に、彼らの「素」のエピソードが羅列されている。
実家は山間にある水田農家で、遠くに高速道路が走る風景は昔から変わらない。
小さな駅に車で迎えに来てくれた両親と共に、私は私の家族と共に実家に帰る。
山際の家に到着し、一泊して今日を迎えた。
近くの家の庭先を訪ねると、アウストラロピテクスに会える。昔からいるやつだ。とっても。
アナメンシスなのかアファレンシスなのかは尋ねたことがない。骨格は外面からはうかがえない。
骨を割り続けるアウストラロピテクスのとなりに蹲踞する。
作業を続けながら、彼が問うてきた。
「ホモサピエンスもさ、骨食うよね」
「場合によってはな」
「この飽食の時代だ。俺も骨以外も食べる。ところであんたたちの主食は?」
「米だと言われている」
「いや、それは最近のことだろ。もともと何食ってたんだよ」
そう言って私は、もう少し考えて言葉を出すことにした。
「精確に言うと、現在の日本列島とされる空間に住した人間は魚だ。まずは魚だったはずだ」
「そうかい」
「俺たちより昔は果実だった」
「そうだ」
「未来はどうなるだろう」
「藻とかじゃねえのかな」
「ありだな」
例年他愛ない話だ。互いの親戚の話とか共通の友人とか。仕事の話とか。
そしてそれぞれの社会に戻って行く。
もーーー本当に本当に今バズってる記事が無理すぎてはてブで殴られたからここで書くけど本当に無理だーーー!!うるさいうるさーい!!
そして己の思想とこちらの娯楽を同列に並べて己の思想に合わなかったら文句言うのやめてください、ジャンルが肌に合わないなら立ち去って 気に入ったCDだけ買ってて…
重箱の隅をつつくように現実的じゃない、実際にはあり得ない無理があるって騒ぐのそもそもヒプノシスマイクというコンテンツのラップで戦うという部分が荒唐無稽なんだよってどうして誰も気がつかないの!?現実のサイファーの話は誰もしないんだよ……!?
西暦表記があるからって現実世界と地続きだと思って作ってるとは限らないし、何もかもを逐一描写してないと許せない!ってならそもそもこの話に出でくる人型の生物はみなホモサピエンスだと明記されていますか…!?みたいな難癖をつけたくなるわたしの気持ちわかります!?ねえ!!
イケブクロとか現実の地名使ってるからややこしかったかな!?地球のイケブクロだとは誰も言ってないです!!!!これ全部宇宙!宇宙の地球とよく似た世界の話かもしれないじゃん!!
女性向けコンテンツだからって必ずしも女性を持ち上げなきゃいけないなんて決まりはないし、倒すべき敵が女性だと馬鹿にしてると感じる感性が全く分からない。女VS男って図式で男側の描写に特化したらそりゃ女が敵になるだろうよ 無花果様達には無花果様達の正義があるし男側にら男側の信念があるんだよ 無花果様主人公のスピンオフめっちゃ読みたいです!
人工の3分の1がいなくなったらこんな世界なはずじゃないって言われてもそもそも大元の人口がわからないし既に機械等でその辺補えるようになってるのかもしれないし書き方悪いけど減った人間が文明には影響しないような人たちだけだったのかもしれないし、ディベートで話し合い→言葉が権力になる→ラップを武器にできる発明が出来る→ラップが権力にって流れは私はウンウンって飲み込んだ流れなんだけどそんなありえない!って騒ぐほど??
2年でそんなそっくり変わるなんてありえないって言われても元々ここまで変わる前からそうなる下地があるかもしれないじゃん 義務教育にヒップホップの代わりにラップだったのかもしれないじゃん
コミカライズという性質上、端折りつつの説明になるのは目に見えてるし何もかも全部一から説明されないとわかんないの??想像を膨らませるって発想はないの??
私のコミカライズ読んだ後のお気に入りの妄想は二郎三郎はデザインベビーで運動特化の二郎、勉強特化の三郎。その元となったのは一郎でデザインベビーの2人は扱いやすいように性格をいじってあって一定の人(主人)に依存する、みたいなやつです!荒唐無稽な妄想は!楽しい!
本当深く考えたら終わり、と言われてもそもそもスタートの時点で深く考えることを求められてるコンンツだった??
何度も言うけど不思議なマイクでラップで戦うんだよ!?この前提はすんなり飲み込めるのになんで他は現実的じゃない現実的じゃない!って騒ぐのか本当にわかんない、そもそもがガバガバだろ!!!!楽曲だけのファンですってならわかる。成る程曲しか知らなかったのねそれならしょうがない。
でも今騒いでる方々はどうやら違うみたいじゃないですが…。
娯楽に3次元をまぜこぜにして考えないで欲しいし、自分の政治思想?ポリシー?を語らないで欲しい 二次創作が気持ちいいならそこにいていいしCDだけ聞きないならそれでもいい 漫画あわないなーならそっ閉じしてもいいよ!厨二のオンパレードだもんな!駄目な人が駄目なのはわかる!!
それをこうするべきああするべきこの人が書けばもっとマシとかなんで自分の都合のいいようにしたがるの!?きっとあなたにはもっと肌にあうコンテンツがあるから!そっちに目を向けてください!!!まじで!!!!いいよ!!スナック感覚で曲だけ摘んでるのがきっと幸せだよ!!!お互いのために!!!
あなたの考える最強の女尊男卑の話はもうお腹いっぱいです、家畜人ヤプーを読んでください。
もうバズバズにあの記事がバズってしまってどーしようもないしジャンル外の人にはがっちりそういう認識だろうしなんならジャンル内の人たちもそういう空気なのはどうしようもない……
ここはパワーで押し切るホビアニ空間なんだよ……根本が………思い出せ………ラップで人は倒せない………
主義や主張を持つことは立派ですけど、娯楽に絡めて押し付けられちゃうと嫌気がさしてしまいます。本当に。
私みたいなのからするとベジタリアンの人がごくごく一般的なお料理漫画を読んで肉を食べるなんて何事か!って騒いでるのとほぼ同じにしか感じられないです。
(それはそれとして女尊男卑っていうまあまあめんどくさい人が食いつきそうなワードを堂々と出した公式はまあまあ詰めが甘かったとは思います ああいう人たちは何がなんでも叩きたがるから…)
(気がついたらジャンルに人が増えまくってていつかこういうめんどな人たちを釣り上げてしまうなーと思ってたら思ってたより早くつり上がったでござる)
だって、根本的にヒト(ホモサピエンス)として間違っているもの。
ヒトの体は無理すれば寝なくても何とかなるように出来てはいるけど、それは肉食動物との戦いレベルの生命の危機に対して使うべき機能。
基本的には太陽が登ってきたら起きて沈み始めたら寝るように出来てる。
それを無視して徹夜してまで何かするのは本当に命の危機の場合だけな。
慢性的なデスマーチとか、飲み会終わりにハシゴするとか、そういうのはヒトとして間違っている。
そういうむちゃして1人で勝手に壊れるだけなら許すけど、他人を巻き込んでいる場合は人類のために抹殺すべきでしょ。
24時間テレビとかはもう最悪だね。
くだらねーお涙頂戴のバラエティが愛を語ってるだけならばまだしも、その結果が本気で視聴したかったら睡眠時間を全力で削れたぁどこに愛があるのかね。
マジでさ、とりあえず寝る時間削って何とかしようって考え方は間違ってるよ。
それは手をつけちゃいけない部分だ。
災害にあってもないのにメシ・フロ・寝るの優先順位下げる奴は信用しちゃ駄目だ。
身近に居たら殺しておけ。
人類のために。
朝起きたらおねしょをしていたので泣きました
ストレスの原因は人の話を聞かないで勝手に失敗して勝手に傷付いてるだけだよ
全体を見ろってなんですか?こちとら自分の周りのことでCPU使いきっとるから自分の周りが全体なんじゃボケ
これは邪念
全体を見てほしくば全部紙にでも書いておいてください
でも紙に書ける程度の量だったらキレる
人の話を聞いてない系ガイジはどんな仕事でも絶対にコミュニケーションで躓くから詰むぞ!
実験やってるのはとりあえず成功例を増やして取れる選択肢を増やそうとしてるからじゃないのか?大学の教授が社会的意義を語るな、人間に恋をしろ、人間の尊厳が保たれる生活を推奨しろ、俺におねしょさせるな
失敗するのがダメじゃなくて失敗が直らずに同じ失敗やらかすから落ち込んでるんだよな
なんで失敗直せないかと言われたら話を聞いてないに集約されるが
結局話を聞いてないのはダメですね
ランニングコストは莫大な代わりに馬鹿でもできる方法を取る方大歓迎
以上です
ウィキペディアでは ウマ娘 異世界(我々の住む現実世界)の競走馬の名前と魂を受け継いで生まれてきた少女たち。馬の尻尾と耳を生やし、超人的な走力を有するが、それ以外は普通の女の子である。
ウィキペディアでは ウマ(馬)は、ウマ目(奇蹄目)のウマ科[1]に属する動物の総称である[2]。現生は、いずれもウマ科に属するウマ、シマウマ、ロバの仲間、5亜属9種のみである。狭義の「ウマ」は、このうち特に種としてのウマつまり学名で「Equus caballus」[2]) と呼ばれるもののみを指す。
ウマが種として進化しなかった世界では、その生態的地位を他の種が進化してしめたのではないだろうか。
異世界だから、他の生物がいても不思議ではない。「今は絶滅した、アカシシと呼ばれる偶蹄類の仲間」とか https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%A4%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/c5/8d59168a846697b9bccbb06faccdef67.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/28/8916cc0b9eac3dc1d96cf4436de9fe7a.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/99/c9abef245e913d70a76791da85fe9c5c.jpg
2 ななしさん
5 ななしさん
15 ななしさん
24 ななしさん
35 ななしさん
868 :名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 03:33:50.54 ID:Lge9u2Z80
アマゾン・グーグル・フェイスブック・アップルが巨大になりすぎて健全な競争を阻害しているので分割すべきだ、という記事が一部で話題になっていそうなので訳してみました。
かなり長文です。
原文は http://www.esquire.com/news-politics/a15895746/bust-big-tech-silicon-valley/
図表中の文章などは訳していません。
あまり目新しいことを言っているようには感じませんでしたが、(長いおかげで)論点がまとまっているのは良いところかもしれません。
誤訳等の指摘あればお願いします。
あと、増田を使うのははじめてなのでその他変なところがあればごめんなさい。
(文字数制限に引っかかったみたいなので途中で切ります。続きは https://anond.hatelabo.jp/20180214160914とhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344)
4つの会社が人類史上かつてないほど我々の日常生活を支配してしまっている。アマゾン、アップル、フェイスブック、グーグルのことだ。私たちがみんな素敵なスマートフォンやクリック一発のサービスに夢中になっている一方で、この4つのモンスターは縛られることなく経済を独占し、ギルドの時代以降ありえなかったほどのスケールで富を溜め込んでいる。この状況に対して論理的にどんな結論がありうるだろう?巨大テクノロジー企業を分割するべきだ。
スコット・ギャロウェイ 2018.02.08
私は巨大テクノロジー企業にはとてもお世話になってきた。1992年に私が共同設立したコンサルタントファームであるプロフェットがしてきたのは、グーグルが変えてしまった後の新たな環境で顧客の会社が生き抜くための手助けだ。1997年に共同設立した高所得者向けeコマース企業であるレッドエンベロープも、アマゾンがeコマースに対するマーケットの関心に火をつけていなかったとしたら、成功をおさめることはなかっただろう。もっと近い例でいうと、2010年に設立したL2は、モバイルとソーシャルの波の中から、つまり企業が新しいプラットフォームの中での自分たちのパフォーマンスをベンチマークする方法を必要としている時代に生まれたものだ。
もちろん巨大テクノロジー企業は、別のレベルでも私に利益をもたらしてくれた。投資ポートフォリオの中のアマゾンとアップルの株の価格上昇は、リーマンショックでメチャクチャになった後の私の家計に経済的安定を取戻してくれた。最後に、アマゾンは私が教えているNYUのスターン・スクール・オブ・ビジネスのブランド戦略・デジタルマーケティングコースの生徒たちの今や最大のリクルーターでもある。こうした会社は素晴らしいパートナー、クライアント、投資先、そしてリクルーターでもある。20年にわたるこうした会社に関する経験と研究のすえに私がたどり着いたのは、奇妙な結論だ。今や巨大テクノロジー企業を分割するときだ、ということだ。
過去10年で、アマゾン・アップル・フェイスブック・グーグル――私は「四大企業」と呼んでいるが――は、歴史上他のどの商業体も成し得なかったほどの経済的価値と影響力を集積してしまった。この4つの企業を合わせると、2.8兆ドル(フランスのGDPに等しい)の時価総額、なんとS&P500トップ50の24%におよび、2001年のナスダックで取引された全株価に等しい金額にもなってしまう。
この金額はどれほど莫大なのだろうか?アマゾンを例にとってみると、5910億ドルの時価総額はウォルマート・コストコ・T.J.マックス・ターゲット・ロス・ベストバイ・アルタ・コールズ・ノードストリーム・メイシーズ・ベッドバスアンドビヨンド・サックス/ロードアンドテイラー・ディラーズ・JCペニー・そしてシアーズを足したよりもまだ高い
フェイスブックとグーグル(今はアルファベットになっている)は合わせて1.3兆ドルだ。世界の5大広告会社(WPP、オムニコム、パブリシス、IPG、電通)に、5大メディア企業(ディズニー、タイムワーナー、21センチュリーフォックス、CBS、バイアコム)、更に5大コミュニケーション企業(AT&T、ベライゾン、コムキャスト、チャーター、ディッシュ)を加えてもグーグルとフェイスブックを合わせた90%の価値しか無い。
アップルはどうか?時価総額9000億ドルのアップルは、世界でもっとも企業価値の高い企業だ。さらに驚くべきことに、アップルは32%の利益率を誇るが、これはエレクトロニクス企業というよりエルメス(35%)やフェラーリ(29%)といったラグジュアリーブランドに近い。2016年にアップルは460億ドルの利益を出したが、これはJPモルガン・ジョンソンアンドジョンソン・ウェルズファーゴを含む全アメリカ企業より大きい数字だ。もっと言うと、アップルの利益はコカコーラやフェイスブックの総収入より大きい。この四半期にはアマゾンが創業以来生み出した利益の2倍に達する数字を叩き出すだろう。
四大企業の富と影響力には驚かされる。どうしてこんな状況が生まれたのだろう。
“The Four(四大企業)”で私が描いたとおり、グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップルのような、独占と大衆への影響力を持つ企業を作るための唯一の方法は、人間のコアな器官に訴えかけることでプラットフォームを本能的に受容させてしまうことだ。
私たちの脳は極めて複雑な問を投げかける程度には洗練されているが、そういった問に答えられるほど優れてはいない。ホモサピエンスがほら穴から出てきて以降、そのギャップを埋めるために我々が頼ってきたのは祈りだった。視線を天に向け、問を投げかけ、より知性のある存在からの反応を待つ。「子供は大丈夫でしょうか?」「私たちを攻撃する可能性があるのは誰でしょう?」
西欧諸国が豊かになるにつれ、体系的な宗教が我々の生活において占める役割は小さくなっていった。しかし問と答えの間の空白は残され、そこにチャンスが生まれた。伝統的な宗教から離れる人が増えてくると、我々は下らないことから深遠な問題まですぐになんでも答えてくれる全能の預言者としてグーグルを見るようになった。グーグルは現代の神なのだ。グーグルは脳にアピールし、バックグラウンドや教育レベルに関わらず誰にでも知識を提供する。スマートフォンを持っているかインターネットに接続出来るだけで、祈りは全て聞き届けられる。「子供は大丈夫でしょうか?」「クループ症候群の症状と治療法は…」「私たちを攻撃する可能性があるのは誰でしょうか?」「核兵器開発のプログラムを今でも行っている国…」。
自分がグーグルに告白したことのある恐怖、希望、欲望を全部振り返って、自分自身に尋ねてみよう。自分がグーグル以上に秘密を託した相手が他にいるだろうか。グーグル以上に私について知っている人間が他にいるだろうか?
フェイスブックは心にアピールする。愛されているという感覚は幸福への鍵だ。ルーマニアの孤児院で身体・精神の成長が阻害されている子供を研究したところ、発達の遅れは当初原因として想定されたような栄養失調のためではなく、他人の愛情の不足によるものだとわかった。しかし私たちの種の特徴は、愛されることを必要とするのと同じくらい、他人を愛することも必要とすることだ。発達心理学者のスーザン・ピンカーは百才を超える人の人数がイタリア本島の6倍・北アメリカの10倍にも上るイタリアのサルディニア島を研究した。ピンカーは、遺伝・ライフスタイル的な要因の中でも、人と人との間の近しい関係や対面での交流を重んじるサルディニアの習慣が長寿の鍵であることを発見した。遺伝よりもライフスタイル、特に社会的繋がりの強さが長寿の決定的な要因であるとする他の研究もある
フェイスブックが21億の月間アクティブユーザーに提供しているのは、他人を愛したいという欲望に火をつけるためのツールだ。高校の同級生をもう一度見つけるのは素晴らしい。引っ越してしまった友達と連絡を取り続けられることを知るのも良いことだ。赤ちゃんの写真に「いいね」をつけたり、友達の心からの投稿に短いコメントをつけて、私たちの大事な友情や家族の絆を固くするのには数分あれば良いのだ。
眼にとっての風景、耳にとっての音にあたるのが、本能にとっての「まだ足りない」という感覚、飢餓感だ。胃袋が素晴らしい食事の後でもさらに砂糖や炭水化物を求めるように、私たちの心は更なるモノを欲望する。本来この本能は自己保存のために機能していたものだ。つまり、食べる量が足りないことが飢餓と確実な死を意味するのに対して、食べ過ぎはそもそも珍しく、腹が膨れたり二日酔いになるだけだ。しかし今あなたが自分のクローゼットや戸棚を空けてみると、たぶん必要の10から100倍ものモノを持っていることがわかるだろう。私たちは理屈ではこれが馬鹿馬鹿しいことをわかっているが、社会や高次脳機能は我々のどこまでも欲望するという本能に追いついていないのだ。
アマゾンは消費する我々の巨大な消化管だ。アマゾンは栄養を蓄え、それをプライム・メンバーになっているアメリカの64%の家庭の心臓や血管に供給する。アマゾンが採用したのはビジネスの歴史の中で最高の戦略だ――「少なく与えて多く受け取る」――そしてその戦略を歴史上のどんな会社より効果的・効率的に実行している。
生存本能についで二番目に強力な本能は繁殖だ。性をもつ動物である私たちは、自分がいかに洗練されて賢く、クリエーティブであるかアピールしたいと思う。私たちは力を示したい。性も贅沢も理屈では説明できないが、アップルは、広告をヴォーグに載せ、スーパーモデルをプロダクトのローンチに呼び、店舗を自分たちのブランドのガラス張りの神殿にすることが、人の魅力的になりたいという欲望にアピールし、そして自分たちの利益率を向上させることに極めて早くから気づいていた。
デルのコンピューターは性能は良いかもしれないが、マックブックエアと違って、イノベーション階級のメンバー証にはなってくれない。同様に、アイフォンは単なる電話やスマートフォンではないのだ。顧客がiPhoneXに1000ドル払うのは、顔認証の大ファンだからではない。彼らは自分たちがいい生活を送り、芸術を理解し、自由に使える収入があるというメッセージを送っているのだ。それは他人へのサインだ。もし君が僕とつがいになってくれたら、君の子供はアンドロイドを持っているやつとつがいになるより生存確率が高まるよ、ということなのだ。実際、iPhoneユーザーはアンドロイドユーザーより平均40%収入が高い。iOSプラットフォームの上にいる人間とつがいになるのは、良い生活への近道なのだ。脳、心、消化管、生殖器。この4つの器官にアピールすることで、4大企業は自分たちのサービスや製品、OSを私たちの精神深くまで潜り込ませてしまった。彼らのおかげで、我々はより賢く、目利きのできる消費者になることができた。そして消費者にとって良いことは社会にとっても良い、はず、だろうか?
答えはイエスでもありノーでもある。四大企業は我々の生活にあまりにも大きな影響を持っているので、もし彼らのうちどれか一つでも無くなってしまったら、ほとんどの人は心底動揺するだろう。iPhoneを持てなくなり、検索にYahooかBingを使わざるをえず、フェイスブックに投稿した何年分もの思い出を失ってしまったときのことを想像してみるといい。アマゾンアプリからワンクリックで明日までになんでも注文することが出来なくってしまったらどうしよう。
一方で、自分たちの生活の相当な部分を一握りのシリコンバレーのエグゼクティブに預けてしまったせいで、我々はすでにこうした会社の負の部分についても語りはじめている。四大企業の独占が進むにつれ、懸念や、ときには怒りのささやきさえも聞こえはじめている。長年の欺瞞のあとで、我々はついに政府か、あるいは誰かがブレーキを踏むべきだという提案について考え始めたのだ。
こうした議論のすべてが説得力を持っているわけではないが、巨大テクノロジー企業を分割するべき真の理由であると私が信じる議論に行く前に、もう一度確認してみる価値はある。
巨大テクノロジー企業は、最初のギャングスターであるマイクロソフトの罪から学習した。このかつての巨人は当時自分たちの力を過信して、監督官庁や社会の中での自分たちのイメージをやわらげるためにPRキャンペーンやロビイストといった手段に頼る必要はないと考えているように見えた。対照的に、四大企業は若さと理想主義のイメージを売り込み、また世界を救うことの出来るテクノロジーの可能性を布教して回っている。
その気持ちは真剣なものだが、ほとんどが抜け目のない動機から来ているものでもある。単純な利益以上の何かにアピールすることで、四大企業は従業員の間で高まっている、いわゆる「理想追求型」企業への欲求を満足させることができている。四大企業の「ガレージ発明家」神話は、マンハッタン計画・アポロ計画の昔に遡るアメリカのサイエンスとエンジニアリングに対する敬意を上手く利用している。何よりも、これらの会社の漠然とした、それでいて理想主義的な宣言――”Think different”, “Don’t be evil”――が、最高の幻想を与えてくれる。政治的な進歩主義者は一般的に善意だが立場の弱い人々と見られがちで、ますます強力になりつづける企業にとって最高の隠れ蓑となってくれるイメージだ。
フェイスブックのシェリル・サンドバーグが女性たちに「一歩踏み出そう(“lean in”)」といったのは本心からだが、彼女は女性へのエンパワーメントに関する自分のメッセージが持つアイロニーについても触れざるをえなかった。彼女の会社はもともとハーバードの学部生の魅力をランク付けするためのサイトから生まれ、ましてや比較的多数の女性従業員を擁する産業――メディア・コミュニケーション産業――の数万の雇用を今も破壊しているのだから。
こうしたPRの努力は効果的だが、一方で彼ら企業にとって大転落を準備するものでもある。完璧な紳士に見えた人間が実はオピオイド中毒で、自分の母親に対しても酷い態度を取っていたことを知るのは大きな失望だ。紳士があなたと付き合ってくれるのが単なる金(クリック数)目当てだということを知るのはなお酷い。
初期にいくつかのインターネット企業を創業した人間としての私の経験では、四大企業ではたらく人々が他の成功している企業で働く人々と比べて特に邪悪だということはない。彼らは少しだけ教育程度が高く、少しだけ賢く、極めて幸運だが、彼らの親の世代と同様に、ほとんどの人はなんとか生計をたてようとしているだけだ。多くの人は人助けだって喜んでするだろう。ただ社会を良くすることとテスラの車の二択を迫られれば、ほとんどはテスラを選ぶだろう、というだけだ。そしてパロアルドのテスラ販売店の業績は好調、極めて好調なのだ。だからといって彼らが悪人だということになるだろうか?もちろんそんなことはない。ある資本主義社会における一営利企業の従業員にすぎない、というただそれだけだ。
我々の政府はGDPのおよそ21%にあたる年間予算で活動している。つまりこれが公園を開き、軍隊の装備を整えるためのお金だ。では巨大テクノロジー企業は公平な負担を支払っているのだろうか。ほとんどの人はノーというだろう。2007年から2015年の間にアマゾンは利益のうち13%しか税を払っていない。アップルは17%、グーグルは16%、そしてフェイスブックは4%しか払っていない。これに対して、S&P500平均では27%の税金を払っている。
そう、つまり四大企業は税金逃れをしているということだ、つまりあなたたちと同様に。ただやり方が上手いだけだ。例えばアップルは利益をアイルランドのような地域に移すという会計上のトリックを使っており、結果として世界で最も利益を挙げている企業が最低の税負担しかしないという事態が生じているというわけだ。2017年9月時点で、アップルは海外に2500億ドルを保有しているが、これはほとんど課税されない、そもそも最初から海外に持ち出されるべきではなかった財産だ。別の言い方をすれば、ディズニーとネットフリックスを買えるだけの資産をアメリカの一企業が海外に持っているということだ。
アップルだけではない。GEも巨額の税金逃れに手を染めている。しかし我々がそのことに腹を立てることがないのは、そもそも我々がGEを愛していないからだ。この責任は我々に、そして我々の民主的に選ばれた政府にある。我々は税法をシンプルにする必要がある――複雑なルールはそれを利用することのできる能力に恵まれた人々に有利に働きがちだ――し、それを実施できる人間を選挙で選ぶべきだ。
四大企業による雇用の破壊もすさまじく、恐ろしくなるほどだ。フェイスブックとグーグルの収入は2017年に290億ドル増えそうだが、この新しいビジネスを行うために彼らは20000人の新しい、高収入の雇用を生み出すだろう。
だがコインの裏側はそれほど輝かしいものではない。広告業はデジタルであれアナログであれ低成長の(ますます成長が鈍っている)ビジネスであり、このセクターがほとんどゼロサムであることを意味している。グーグルはマーケットを成長させることで新しい収入を得ているわけではない。他の会社のドルを奪っているだけだ。もし我々が五大メディアサービス(WPP、オムニコム、パブリシス、IPG、電通)をグーグルやフェイスブックの代わりに使えば、290億ドルの収入を得るためには219000人の旧来型の広告プロフェッショナルが必要になっていただろう。つまり、年間199000人のクリエイティヴ・ディレクター、コピーライター、代理店幹部が「家族との時間を増やす」ことを選択していることを意味する――ヤンキー・スタジアムほぼ4つ分が解雇通知を握りしめた黒スーツの人間で一杯になってしまっているということだ。
これまでのビジネスのサクセスストーリー例では、今注目の的になっている企業たちよりも多くの従業員を雇用している。P&Gは2017年の株価の急上昇を受けて時価総額2330億ドルとなったが、95000人の人間を雇用している。言い換えれば従業員一人あたり240万ドルだ。インテルはニューエコノミー企業でその資本があればより効率化を図れそうなところ、時価総額2090億ドルで102000人を雇用、一人あたり210万ドルだ。これに対してフェイスブックは14年前に創業された企業だが、5420億ドルの時価総額を誇り、一方で従業員は23000人しかいない。これは一人あたり2340万ドルということで、P&Gとインテルの10倍だ。
たしかに、これまでも雇用の破壊はあった。しかしこれほど上手くやる企業が出てきたことはない。ウーバーは新しい(低い)680億ドルという基準を設定したが、これがカバーする従業員は12000人しかいない。従業員一人あたりでいえば570万ドルだ。実際の道路と実際のドライバーを必要とするはずのライドシェア企業が、墓の中のヘンリー・フォードを激怒させかねないようなフーディーニばりのトリックを駆使して中間階級のサヤ抜きをしようとはなかなか想像できまい。
しかしウーバーは新しい区別を設けて、二種類の労働力を作り出すことでこれを成し遂げてしまった。「ドライバー・パートナー」、わかりやすく言えば請負業者ということだ。彼らを従業員名簿から締め出すことは、ウーバーの投資家と12000人のホワイトカラー従業員が680億ドルを「パートナー」たちと公平に分配しなくてよいということを意味する。これに加えて、ウーバーは200万人のドライバー労働者に健康保険も雇用保険も有給休暇も与えなくてよいのだ。
巨大テクノロジー企業の雇用破壊は、こうした企業に対して公平な税負担をさせるべきだという主張の強い論拠になる。政府はそれを職業訓練や社会福祉にあてることでその被害を抑えることができるからだ。しかし、雇用の破壊を政府による介入の促進剤とだけ考えないようには気をつけるべきだ。職の置き換えと生産性の向上――農民から工場労働者へ、工場労働者からサービス労働者へ、サービス労働者から技術労働者へ――はアメリカのイノベーション・ストーリーの一部だ。我々の 成功フリークたちに戦わせつづけることも大事なのだ。
核心に近づいてきた。外国の敵に自分の会社を、自国の民主的な選挙プロセスを傷つけるための武器として使わせることは問題、とても深刻な問題だ。2016年の選挙中、フェイスブック上のロシアのトロールページは金を払っておよそ3万件の政治広告を打った。でっち上げのコンテンツを見たユーザーは1億2600万人におよんだ。事態はこれでは止まらなかった。GRU――ロシアの軍事・諜報機関――は最近では混乱の種を蒔くためにより超党派的な方法を採用している。選挙の後も、GRUはフェイスブック、グーグル、ツィッターを利用して人種差別由来の暴力を扇動した。こういったことを防止するために、プラットフォーム事業者たちはほとんどあるいはまったく投資を行わなかった。GRUはフェイスブックの広告をルーブルで支払った。文字通りにも、象徴的にも赤旗だったというわけだ。
あなたがビーチかプールつきのカントリークラブを経営している場合、短期的にはライフガードをおかないことが利益につながる。主にアルゴリズムに依存しているフェイスブックがそうであるように、そういったビジネスモデルにはリスクがあるが、かなりの金額を節約できるからだ。巨大テクノロジー企業が社会的な利益のために、必要なリソースを自発的に投資するだろうと期待するのは、エクソンが地球温暖化の問題に対してリーダーシップを発揮することを期待するようなものだ。そんなことは起きるはずがないのだ。
しかし、単なる規制ではなくトラストの分割が必要だというアイデアを私が思いついたのは11月に、上院情報委員会のチェアマンであるリチャード・バーがフェイスブック・グーグル・ツイッターの相談役に泣きついたときだった。「国民国家に我々の未来を台無しにさせないでくれ。君たちが防衛の最前線なのだ」。まさにこの瞬間、選挙で選ばれた我々の代表が自国の防衛を、今買おうとしていた靴についてしつこく宣伝したり、友達の誕生日を思い出させることをビジネスモデルにしている会社に委ねようとした瞬間こそ、歴史における転換点だったのだ。
はっきり言っておこう。我々の防衛の最前線はこれまでずっと陸軍・海軍・空軍・海兵隊だったし、これからもそうあるべきだ。「ザック」軍団なんかじゃない。(https://anond.hatelabo.jp/20180214160914に続く)
12/4 オワリカラ ラブリー開発ツアー(@名古屋ell.size)に行ってきたんだが、最高すきてヤバかったので感想覚書の殴り書き。
本来ならこういうのはライブ後に友人と盛り上がるべきなんだろうけど、あいにく私は友達が少ない。
そして普段ならTwitterで好き勝手に感想言いまくってるけど、今回のこのツアーこのワンマンに関しては是非なにも情報なしで行ってほしいのでネタバレしたくない。TLにいるオワリカラファンのフォロワーさんはだいたい関西の人なので、マジで明日ほんとに楽しみにしててほしい。
そんなら黙っとけよって感じなんですけど興奮が抑えられなくて、誰かに話したくて仕方ないので、ネットの海に放出することにした。
そして私は常々、オワリカラはいつでも今が一番かっこいいバンドだと思ってきた。
ライブを観るたびに「オワリカラはなんてかっこいいんだ!」「前回よりも今回の方がめちゃくちゃ良い!」と思い続けてきた。
要するにこの感動は初めてオワリカラを見てハイになっているわけではなく、それなりに長い間見てきたがゆえの興奮かもしれない。
今までもオワリカラは最高だったけど、今回のラブリー開発ツアーは、本当に開発されてしまう…誘惑されちゃう…………。
うろ覚えだからいろいろ間違ってるかもしれないけど、逆に覚えていること=印象に残ったこと、ということで。
もう一度書くけれど、この先大阪や東京のワンマンに行く予定のある人は、できれば読まないでほしい。
セトリも演出も何も知らない状態で行って、あの衝撃を生身で浴びてくれ…………お願いします………。
――――――――――――――――
不思議に思っているところに、すたすたと歩いてくるDr.カワノケンタ。そのままドラムの前に腰掛け、何の挨拶もなしに、リズムを刻み始める。
そして続いてKey.カメダタク、Ba.ツダフミヒコも順番に登場。持ち場に着くと静かにセッションに加わる。
最初の曲なんだったか忘れてしまった…………けど、砂場だった?かな?
とにかく音が大きくて、でも心地よくて、足元がふわっとしてどこかに連れていかれるような感覚。
照明も色のない真っ白な光で、ふわふわしてた。
中央にタカハシヒョウリ。そしてそれを囲むように下手からカワノ、カメダ、ツダ。
私はカメダさんの手元を見るのが好きだったのでちょっと残念だったが、新しい立ち位置だとカワノさんがよく見えて楽しい。
あと、以前の立ち位置はなんだかんだタカハシヒョウリに視線を奪われてしまっていた(たぶんフロントマンとして正しい)が、新しい立ち位置だとヒョウリさんを見ながら自然に他のメンバーも視界に入る気がする。
そんなことを考えながら1曲目終了。
これ…これ、私知ってる……けど、嘘でしょ!?
が、が、が、ガイガンーーーーーー!!?!!?!?!!!????
いつもはラストにぐっちゃぐちゃになりながらやるのが定番のガイガンが、2曲目!?
一気に上がる体温。頭で考えるより先に身体が動く。
全力で拳を突き上げながらヤバいマジここでガイガン!?マジ!?!?ってめちゃめちゃ混乱した。と、同時に興奮した。
いや私、強制ぶち上げエモーショナルを初っぱなに持ってくるの大好きで…9mmのDiscommunicationとか、テナーのROCKSTEADYとか、そういうので序盤にいきなりギア上げてくるセトリが好きで………
ちょっと前のオワリカラのライブだと1曲目か2曲目あたりにロールシャッハが来て、それがまるでラストの曲のようなぶち上がり方で最初からクライマックスだぜ!みたいなそのスタートも大大大好きだったんですけど、まさかガイガンがくるとは…いやほんとにやっばい最高…
ほんとにセトリがいきなり予想外すぎて、次に何が来るか全くわからない。
ツアータイトルにもなっているラブリーは、結構序盤にやったはず…。
いやもう!超ラブリーでした♡♡♡♡
オワリカラはピンクの照明が世界一似合うバンドなんじゃないだろうか…。名古屋ell.sizeはElectric.Lady.Land系列だけあってハコのキャパに比べて照明が多くて綺麗なので、真っピンクだけじゃなく、青ベースに浮かび上がるようにピンクで照らされたメンバー…みたいな景色もすごくすごくラブリーだった。
そういえばイントロのカワノさん、なんかさりげなくすごいテクニックな気がする…私ドラムのこと全然わかんないけど、カワノさんすごいなと漠然と感じた…。
あとタカハシヒョウリの吐息の「いぇあ」はライブで聞く価値ある…………………。
そして今夜の一番テンションが上がったかもしれないサバビアンパンクロックパーーーーティーーーーー!!!!!!!!!!!!
初めて手にしたオワリカラの音源が「Q&A」で、サバビアンパンクロックパーティーとくに好きなんですよ……嬉しかった……………久しぶりに聞いた…………………オワリカラのライブに行き始めた頃のこと思い出しました………ありがとう…。
そして突然ハケ始めるメンバー。
取り残されるタカハシヒョウリ。
ヒョウリさんの弾き語り、タイミング合わなくて観たことなかったから嬉しかった~。
いやー、いいなぁ……………いい……………ハイソックスは生だとより情熱的で変態じみててラブリーでした。
あと私みなとみらいのやつも好きだったのでまたどこかでやってください…………。
そこからはアコギとキーボードによる、light my tokyo……………これもすごくすごく良かった…………しあわせでした…………………………ヒョウリさんの声はなんて艶があってのびのびと響くんだ………
最後の響きの余韻が溶けて消えるまでじっと聞いていたい…………
あと今回全体的に曲の繋ぎが素敵だと思ったはずなんですけど、どの曲からどの曲へ繋いだのかすら覚えてないですポンコツすぎる………
わりと激しい曲のあとにbaby please wake me upとかMUSIC SLIDERとかやってて、それがすごく良かった……ような…………とにかく緩急が最高だったんですよ……………………目を輝かせて息を切らしながら上りきった先に絶景が広がっていて風が頬を撫でる………みたいな…………そういう緩急が…………最高だったんです………。
そんなこんなでライブは終盤。
ロールシャッハのイントロに合わせてジャケット脱ぐタカハシヒョウリ………………黒シャツにサスペンダー!
黒シャツに…さ!す!ぺ!ん!だー!!!!えっ、何それヤバい!!!!!!!!!!!!
今日のヒョウリさんの衣装は光沢のあるシルバーのジャケットに黒いシャツ、細いネクタイ、黒い細身のパンツだったんですけど、ジャケット脱いだら白のサスペンダー!反則ーーーーー!!!!!!!
そういえば今日はツダ神の衣装も素肌に謎のキラキラポンチョだった…脇の露出……………。カメダさんはハットにシャツに古着っぽいベスト、カワノさんは黒いTシャツ。この見た目の統一感のなさもオワリカラの魅力かもしれない。
と、そんな話はおいといて、ロールシャッハがやばかった。踊るロールシャッハで踊ろう!!!!
からの壁男!!!!!!やばい!やばいやばい!!!!!壁男!!?!これも嘘でしょ!?めっちゃ嬉しい!!!!!!!!!!
からのーーー!!!!誘惑されちゃーーーーう!!!!!!!!!
ロールシャッハ始まりでぶっ壊れてたあれがラストにきてて、壁男でめちゃめちゃにされ、さらに新曲の誘惑されちゃうが完全にやばい位置にきててやばい………
正直、序盤にガイガン持ってきちゃってラストどうやって終わるの?とか思ってたんですよ………完全に杞憂でした………………ガイガン壁男誘惑されちゃうヤバい………………………………新しいオワリカラが見えました………。
でもガイガンのぐちゃぐちゃからの飛び乗り合戦も大好きなので、完全になくなるのは寂しいからそれもやってほしい我儘。
やっぱり記憶がぐちゃぐちゃです。
セッションが異様な盛り上がりとともに着地した…と思った途端にベルトコンベアー!
この曲も、不思議と癖になる…………聞けば聞くほど気持ちいいソング………そういえばやってなかったな…と回らない頭で考えながら流れに身を任せる………。
照明の綺麗な会場での世界灯は最高です。
以上!
めちゃくちゃすぎてレポにもなってないけど、この興奮をこのまま残しておきたかった!
本当にオワリカラは最高だし、今日ライブハウスに来なかった60億人の人類に自慢したい!私、オワリカラのライブ行ったんだよ!!!!!超楽しかった!!!!!!!!!!
2時間あっという間すぎて、めちゃくちゃ満足なのに物足りない…。
聞きたい曲もまだまだたくさんあるし、今日をもっかい最初から味わいたい…。
例えばブラックホールの実際の現象なんて実験しようがないのに理論上の話だけで研究が進んでる
この場合に悪魔の証明を言及したところで理論上の学問として先行してるんだから何の意味もない
今手元にある裏付けされた理論と結果で先行してるんだから現実的じゃないのは前提だから
それに追い付くために現実を変化させるというのを物理学や数学や情報工学や医学はやってきたわけ
恐ろしく精密な仮定の針が合わさったジェンガが科学を発展させてんの
今この文章読んでる中で今のアメリカの核開発が仮想空間の中での実験なんて知ってるやついないでしょ
大気中、地中、水中、宇宙空間での実験を禁止したけど、コンピュータ上での実験は禁止してない
真理は現実の中だけにあるわけじゃないの
単にできることしかやらないだけなの
それを解決するために不変的な性質を確認していって間違いが起こらず時代背景に左右されない真理に到達しようという学問が
哲学を学ばない、理かいしていないはてなーたちがいくらうわべや表層で主観問題を語ったところで全部無駄
そんなものは主観問題で塗りつぶしの聞く答えであって恒久的な解決策から程遠い
ただの間違い、その場しのぎでしかない