2022-07-15

anond:20220713215904

またしてもどうしようもない無力感ウィンストンを襲った。自分自身非存在証明する議論がどのようなものかくらい、知らないわけではない、或いは、想像することができる。だがそれはナンセンス、ただの言葉の遊びにすぎない。だいたい「君は存在しない」という言い方そのものが、論理的自家撞着を含んでいるのではないか? しかしそんなことを言ったところで、どんな意味がある。

それでも彼には分かっていた、はっきり分かっていたのだ、自分が正しいのだ、と。自分精神の外には何も存在しないという信念に対して、それが誤りであることを立証する方法がきっとあるはずだ。そんな信念が誤った考えであることはずっと昔に明らかにされたのではなかったか? その誤信には名前さえついていたはずだ。

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