はてなキーワード: 育児放棄とは
二人が昼前のバスで帰った。
一人になった家は見違えるほど綺麗になった。ピッカピカ。
一人でやってもここまで綺麗にならないのは何故だろう。
旅先で散々カーチャン達にキレてきた。あれやこれや。
帰って一人になった時に後悔しきれないぐらい落ち込み、ベッドに潜り込んで枕に涙をながす。過ぎたときには大したことなかったのにと再び後悔する。
随分前で何時か覚えてないし日付も見えないかな。
そこそこ昔なのにあっという間に二人とも50代。元気だけどそれでも、、、
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小学生のころ
二人とも仕事でやや忙しかった。だがその裏でとうちゃんは「ふ」の真っ最中だったらしい…カーチャンもココロやられてたらしいが当時心が添付されてない会話と幼さで状況が分かりやしなかった。
何をどうしたのか分からないしよく覚えてないが幸い二人をつなぎとめることができた。
それでも心は変わらなかった感じだった。
多分このころが一番の元凶。
ギリギリ不関心な感じ。一緒に何かを育んだり最後まで取り組んだ記憶がない。
報酬系がうまく育たなかったのかもね。
環境自体は悪くなかった。金にも困ってなかった。だが足りなかったのは温もりだと度々想う。
現代の子供がゲームに夢中になる理由に報酬と罰がハッキリわかるがよく挙がる。
おそらくこれだった。
友達が遊んでたポケモンに興味惹かれて同年代の子たちより遅めに遊び始めた。
あれは良かった。子供なりのコミュニケーションツールであり、コミュニティーへの参加券だった。家で話せる相手がいなくてもポケモンは話題を用意してくれた。
今思えばこの流れは成功でも失敗でもあった。だが溝が深くなるだけだった。
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二人と心のある会話が多分少なかったせいで人を観察するばかりしてた。日本語をまだ習ってないのに入った日本語メインの幼稚園で覚えた昼ごはんの屈辱。おかわり欲しいだけだったのに言えなかっただけでみんなに見られて笑われた。石塚英彦(イメージに傷ついたらスミマセン)みたいな体型の女保育士がなに言語の不自由を笑ってんだ。お前のせいで喋るのが今でもすこし躊躇うようになったんだぞ。
初めての学校。小学生に未来の話は早い早いと思われがちと思うが、「深い」直感はいつも正しいと思う。あの時クラスの中に一人だけ素質が違うのを感じた。直感で学校の果て(大学など学歴における小学校の沿線上の先にある何かという感覚 )にランキングあったらこいつはトップにいるだろうなと確信したのは授業参観日で自分の名前に込められた意味・願いの発表だった。彼の自信がこもった発言、動作一つ一つのキレの良さ。確信したよ。そして高校卒業、大学進学。ふと思い出した彼の名前を顔本で探したらなんと東大現役だった。
これは正直おめでとう以外の気持ちはなかったよ。学歴と直感を照らし合わせてもチートでもなんでもない、これが実力だという真の勝ち組の雰囲気が漂ってた。素直に同級生だった奴の一人が人生における一つの成功を掴んだことが嬉しくてたまらなかった。この調子でいけばさらに大物になるだろう。期待してる。
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二人とも比較的に早い段階で世界の反対側を見てきた。だから気がつけば自分も鏡の向こうにいた。この体験はまるでタイムマシンのようだった。
ある日は卒業式の保護者席に。ある日は学校に居ながらも皆が先に散らばってたのを知った。
二人の仕事や個々の問題が落ち着いてきた。今までの溝の埋め合わせや溝があったことへの許しを請うようにほぼ毎週末運動施設に連れて行ってくれた。
だけど遅かった。
突然の心の共有に異常検知したのか、受け入れがたかった。
今思えば家族全員の失敗である。何事もなかったが当たり前と慣れてしまってた。逆に何事もなかったように家族であろう姿に戻ろうとする二人。隣り合ってもお互い違う価値観の基に過ごしてきた。
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別にオタクになるのは悪いこととは言ってないとまず断言しておく。
オタクになるまでに感じたことはおそらく読んでる人達がこれまでorこれからないだろう。
新しい環境。新しいクラス。幼稚園の屈辱が時々脳裏に浮かんで無口で過ごした。馴れ合うまでの経緯は忘れたが、日本人に日本の魅力を教えに来た同級生がいた。
実際そうでもなかった。オタク文化を紹介され、いつしか彼と他の仲間たちとなけなしの小遣いでグッズショップ巡りした。
wowaka、蝶々P、ゆちゃP、164、40mP、etc…。素晴らしい音楽を世に出してくれた。やや機械音だが生身の人間じゃない何かが発する言葉の羅列が逆に心に届いた。
だけどある日二人に見られて「甲高い機械音」と言われたときはようやく見つけた居場所が傷つけられて溝が更に深くなった。
授業なんて聞いてないで一日一冊半ぐらい読んだ。日本語文学なんざラノベ以外読まない日々だった。
日本語がみるみる上達した。ほぼラノベで養った語学力で今は私立トップ校に在学中だ。現役で入って留年もしてない。これでも悪と言い張れるか?そもそもラノベが害悪という人は何を根拠に拒否しているのだろうか。
話を戻す。
彼らとつるんでいるうちに学校に慣れた。だが成績のほうはリーマンショック暴落の直後のようだった。別に二人も特に心配していなかった。
学校というものを取り除けば楽しい毎日だった。なにかOSの裏技を見つけては仲間と共有して、学校というパノプティコンとイタチごっこしてた。
場所は変わってないが年取った。
イタチごっこは相変わらずだった。だがたまに学校からウェブサイト開発案件が来た。三人体制だったがあのときにゃあgitなんか知らなかった。
マーク・ザッカーバーグのストーリーはご存知かな。彼が同級生兄弟と一緒に顔本を作るはずがいつの間にか功績を奪ったようになってしまったという。
実際似たようなのが起きてしまった。相手は今日本じゃない公立のまあまあいい大学行ってる。生意気だがあいつなりに成功の道を作っているようで奪われた身としては進歩に必要な犠牲としての役目を果たした感があって恨みはない。自分がいたおかげであいつが成功を掴めたんだ。自分がプロデュースしたと思えば何もかもやり過ごせる。
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小中高片思い沢山してきた。「嗚呼、自分は普通の人間だな」と感じた。だが高校では周りを見ては諸行無常だと実感した。そりゃああれだけ見たら無心になった。なったつもりがなりきれなかった。
二人からの心のこもった愛がいつしか途切れて、片思いをするたびに「この人なら足りない何かを埋めてくれるかな」と数週間悩んではまた無心に戻った。
陰湿ギークオタクは電車男にすらなれない。(ごめんなさい電車男あまり知らないです)
無心がリバウンドして誰でもいいから付き合いたいと思い始めた。
成り行きで一人と付き合うことができた。ランキングでいうと余り物に近い。(すまない)
付き合って数ヶ月。
燃え尽きた。
なんで付き合ってるんだっけ?誰のために関係を維持してるんだっけ?
けど卒業式四日後ぐらいに相手から別れ話出された。チャラ男ではないが、これでよかったのだ。これが一番ダメージ少ないなら相手がうんざりして切り出したことで悪者にでもなっていい。と何度も何度も自分に言い聞かせてた。同時にやや恋愛恐怖症になった。
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大学に入った。頭がとてもいいってわけでもない。いくつかの大学に落ちたさ。だがこの大学の合格通知が来た時はとうちゃんにとって悲願っぽい何かを感じた。無心で育てられたとは言え、心の底では「これでやっと見てくれるかな」という気もあったかもしれない。
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インターンシップにも応募した。とある大手情報系企業だ。とうちゃんには無念しか残ってない所に挑んだ。
負けたよ。いつ以来の敗北感だろう。
手持ちの装備は心がない会話ばかりで作り上げた会話力だけだったよ。二回戦のグループ討論で落ちたよ。父の日だったのに朗報持って帰れなかった自分が更に悔しい。カーチャンは夢を再び見せることが出来たと言ってるが、見れたかな。。。
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無心を貫くと心に決めたのにまた同じ理由で破ってしまった。現実はそう甘くなかった。
告ハラという言葉ができる前に遭ってしまった。ハラスメント?それ本気で言ってるの?言ってるそばから相手の社会的地位を下げるような内容を公開してそれって私刑だよね?
まあこの身がコミュ障恋愛恐怖症になるぐらいだから相手もなんらかの強迫症じゃないかと哀れんで過ごせばいいと思って無かったことにした。
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カーチャンは去年あたりキレやすい理由についてうすうす気づいて原因を根本的に治したいと言ったが、溝が深すぎたとだけ言った。
ここまて約10年。そりゃあすぐに埋まるわけないよな。夢でも見てたのか、途中数千字の理由を書いたが読んでも理解できないって言ってたもんね。家庭崩壊になりかけて警察を呼んで連れて行こうとしたもんね。
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二人にキレまくったこと。すぐじゃないが、いつも一つ一つ後悔する。途切れた愛でも、無かったことにはならない。しかし合間が大きすぎた故、怒りと許せない気持ちがどうしても先走ってしまう。
キレたその夜には枕元で、「もし今夜、明日、明後日、突然の事故で二度と触れる事ができなくなったら?」「もっといろいろやれたのに」と悪い想像をして悲しみ、寝落ちするまで泣いてしまう僕がいる。
さすがに10年も考えればいくつか答えが見えたよ。
無かったことにしたことには慣れた。だったら無かったことを無かったことにすれば少しは良くなるのかな?
思いついたら歩いていけ
心残り残さないように
砂の惑星で10周年か。ちなみに最初に聞いたボカロ曲はなぜかデッドボールPの曲だった。
今日はwowakaのアンノウン・マザーグースをようやく聴いた。このリズム、この歌詞…何もかもが懐かしい。何よりも聴いた瞬間
もう一回 誰も知らないその想い
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
…
どうやって この世界を愛せるかな
いつだって 転がり続けるんだろう
ねえ、いっそ
誰も気附かないその想い
この唄で明かしてみようと思うんだよ
の部分が一番響いた。
運命も偶然とかいつも信じてもどうにかなるものではないと思っているけど、これは自分の決断を忘れないうちに書き下ろしていつしかまた自分に読ませて落ち着こうという願いで書いた。
最後に、
「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」
引用:
「人は口では何とでも言える。相手を判断したいときはその人の行動を観察しなさい」と。
この人はブログではなんだかんだ書いているけど、
行動だけを抜き出せば
・住宅ローンがあるらしいがその家を旦那に渡して(押しつけて?)家を出ている
という点。
小学生の子どもの母親を辞める結果になっていることは間違いない。
行動だけを追っかけてみても、いかにこの人が自分中心、自分本位で行動しているかがよくわかる。
小学生の子どもをヒモ呼ばわりした旦那に押しつけてローンの残る家を押しつけている(ローン残債だけは憶測か)。
これがこの人のとった行動。
それだけ。
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以下はこれまでの50年近い人生で実感したことで、単なる主観論になるが
ブログやTwitterなんぞで自己承認を求めてるような母親はたいてい自己中で自分中心だ。
育児をスケープゴートにしているが自分を認めて欲しい、ただのかまってちゃんがほとんど。
家族のことより、子どものことより、自分のこと、自分のブログのこと、自分の人生のことが最優先。
えらそうに育児について書いているが、結局自己アピールの一環で書いてるだけ。
金儲けのため仕方なく、と言い訳するかもしれないが、
あなたの都合で金儲けのために子どもたちを巻き込んでるだけでしょ?
子どもを愛してると言ってるらしいが、子どもより自分を愛しているから親権も放棄するし、
万が一のリスクも考えずブログで自己正当化&旦那こき下ろしをして自己防衛に走る。
万が一に、この人が病気や家庭の事情で子どもたちを手放すことになったのだとしても、
それをブログに書く意味は?子どもたちや周囲の保護者にでも読ませるつもりかな?
控えめに言って人間のクズですね。
お疲れ様でした。
しかし結局浮気だろうと育児放棄だろうと育児放棄で浮気だろうと、結論として元増田の
夫のコメントパートが妻側の創作で、実際は別の原因で離婚し、親権父親に持って行かれたのならまだわからないこともない気はする。
が正しそうだと思う。
というかこの記事の感想をTwitterで読んだけど、この上っ面の言葉を真に受けてるっぽい人が多くてげんなりだわ。まぁ、名前付きで批判する人の方が少ないだろうからそうなるんだろうけれど、それでもねぇ。
それに自分は有名人だから子供を守るために離婚する、とか言ってるけど、Twitterのフォロワー数で判断するとうちの旦那と同程度の有名人。この程度だと、そりゃ不用意に個人情報を晒すのには気をつけるけれど離婚までして子供を守るってレベルじゃないし、本当にこの人があまりにいいツラしてるように見えてイラっとくる。
は、その通りなんでしょ。
子供の面倒を見る気がないから元夫に親権を押し付けたんだろう。
そもそも子供がいたら子供に合わせて土日に出かけるしかないのに出かけようとしない、
そこで子供の事には触れず「夫婦の生活スタイルの違い」としか書かない、って時点で
子供の存在を忘れるくらい育児放棄しているようにしか見えない。
まあttps://anond.hatelabo.jp/20170822210628と合わせて、嘘松というか釣りっぽい。
恐らく作者は子供などいない男だろうな、と思う。ネカマ臭いし、「子供がいたら子供に合わせて土日に出かけるしかない」事は
育児放棄を匂わせる為のネタというより、作者が素で気付いてないっぽいし。
因みに妻の不貞が離婚要因だとしても親権争いとは関係ないので、
なので無理矢理実話と考えるなら、妻が最初から希望しなかったとしか考えられない。
夫が妻の育児放棄に耐えかねて離婚した、ってならありかもしれない。
(育児放棄している癖に子供が大事とか言ってんの?ってのは、男だったらそういう父親はゴマンといるのでそういう母親がいてもまあおかしくはないわな)
当日に言われて子どもの誕生日を思い出したし、共働きなのに連絡無しで予定の時間に帰らなくて平気だったってことは、普段から奥さんに子育て丸投げってことじゃん。
実際自分が帰らなくても確実に奥さんが子どもの世話してるって分かってないと出来ないことだから。
頭の中で思うだけなら簡単だし優しくいられていいですね。
実際の子育ては自分がやらないと子どもが死ぬという必要に迫られて日常をこなすことで、思ってるとかいう「優しいお気持ち」なんかクソの足しにもならんわ。戦力になる気もないなら避妊しろこの無責任ゲボ野郎。
俺のオヤジは育児放棄しながら堂々としてたな〜今思うと羨ましいな〜俺も育児放棄していいよってお墨付きもらいたいな〜じゃねえよ。
結婚は経済的、社会的共同体だと割り切るべき。恋愛感情の行き着く先として扱うから、不倫ガーって騒いだり、俺が結婚できないのは女が高望みするからだーって騒いだりする。
財産とか、生活する上でのタスクを共有する相手と見做せばいい。相手が誰とセックスするかは問題にすべきじゃない。相手が休日に友達と遊びに行くのを咎めるべきではないのと一緒。
だから、性癖に関係なく同性で婚姻関係を築けるようになるべきだと思う。男女の価値観の違いってちょっと無視できないレベルで大きいし。
子供を産み育てるにしたって、男性の大部分は育児放棄してる現状では、同性同士のペアが育てる弊害はそんなに無いはず。
実際は休めるのに(保育園行事なんか行きたくないから)休まない人ってのも一定数いるからね。
自分が遊ぶ為であればあっさり休み取ってたり(んで保育園にはそれを伏せて子供は預ける、でもいずれ子供が大きくなればバレバレになるという)。
そんなのと一緒にするな!ってなら、ちゃんとコミュニケーション取って
「私はそんな育児放棄親じゃない」って事を保育士に認識させておかないと。
そういう人を数多く見てたら、保育士も釘刺したくなるんじゃないかな。
「子供より私を優先しろ!」って親は多いけど、保育士はそもそも子供が好きで子供の為になる事をしたくて保育士になるのであって、
離婚離婚と言うのが多いけど、妻が「離婚するならお前が子供引き取れ」と言い出したらどうするんだろう。
育児丸投げしている妻に対して「人の金で飯食ってる」と言えるくらい、育児に対する認識が甘いこの増田が自分で育てられるとはとても思えないんだが。
月1の会社行事なんか勿論無理、それどころか休日は全て子供の世話で潰れるが?
平日もやれ子供の病気だ学校行事だで休みまくる事になるから出世も絶望的、下手すりゃクビ、だろうね。
妻がいない父親がよくやる「実家に丸投げ」も(親の面倒で婚期が遅れたという辺り、頼れるような親じゃないんだろうから)恐らく出来ないだろうし。
まさかその愛しの女の子が自分と再婚して連れ子の面倒まで見てくれるだなんて幻想など持ってないよな?
それとも育児放棄する?だって出来ないんだから仕方ないじゃーん、って。
妻が子供手放す訳がない?
いやいやこの妻育児ノイローゼの可能性大だろ。なら「もう子供も要らない!」ってなる可能性普通に高いんじゃない?
妻にしたって子供居ない方がずっと楽なわけで。
そうなったらどうすんの?一人で育てられるかどうか考えた事あんの?
離婚だ離婚だと焚きつける連中も、そこまで考えてる人がどれくらいいるのやら。
男は離婚したら子供引き取れないから不利だとか言うけど、実際に引き取れるとしたらどういう生活になるかなんて考えもしないよな。
実際にそれを考えられるような男なら、普通は引き取らない方を選ぶしな。
『ひるね姫』個人的にはこれまでの神山作品の中でいちばん好感が持てた作品だった。これまでが嫌いすぎたともいうが。ストーリーラインはともかく、映像としてはいちばんエンタメ指数が高かったので。走る女子高生と巨大ロボットバトルは偉大だわ。ビバ、日本のアニメ文化。
しかしその、そういう「全体的には好意的だよ」というエクスキューズを置いたうえで、そろそろ公開から日も経ったのでいいと思うので書くけど、娘と父親の関係はかなりキツかったなー。
ネット経由でしかまともに会話ができなくて、家事はほとんど押し付けてて、徹夜麻雀の面子が足りないときには付き合わせる。そんな父親ってヤバくない? ぶっちゃけネグレクト(育児放棄)でしょ。「これは公開直後に炎上しそう」と思ってた。しなかったけど。
女性スタッフはあの気持ち悪いノリを止めなかったのかしら。つか、作中でひとりくらい、あの父親に「お前、奥さん死んで凹んでるのか知らんが、ちっとは娘のことに向き合えや! 『CLANNAD』見習えや!」って怒るべきだったと思うんだが。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170323-00000005-jct-soci
この記事を読んで、(全くの他人事だけども)久しぶりに真剣に腹が立った。
「ポジティブに読むのであれば、子供が泣くのは仕方がないけれど、それを親がフォローしないのは如何なものか、公共の場は皆が気持ちよく過ごせるように全員で協力しましょうね」ていう趣旨なんだろうけど、それでも「うるせー」としか思わないし、本当に腹立たしい。
100歩譲って、公共の場だから少数の人間の特殊事情が大多数の人間の迷惑になる場合は、少数の問題を抱えている方が我慢するというルールを受け入れるとしよう。
それで、そのジャッジをするのは誰なの?
「声の大きな人」「会話をしてる人たち」「酒臭い人」「化粧臭い人」「顔が好みじゃない人」「太っている人」「汗をかいている人」「体臭のある人」「口臭のある人」「見た感じ何か嫌な人」「泣いてる赤ちゃん」みんなデッキから追い出すの?板東英二さんはどれにも該当しないの?最終的に新幹線の席に座ってられる人っているの?新幹線のトイレ足りる?
要約すれば、ただの「いじめ」じゃないの?
あと、親なんだから子供が泣いていたらあやせばいいんだ、というのが本題なんだろうけども。
それこそ本当に腹立たしい話しだと思う。
あやすってなんだよ。
赤ん坊が腹を空かせればご飯をあげる、オムツが汚れたら交換する、怖がっていたら気を紛らわせる。
やってるに決まってるじゃん、赤ん坊が泣いてる親は全員なんもしてないと思ってるの?それ本気かよ???
そんなに育児放棄している親がゴロゴロいたら、もう子供なんて全員死んでるし、児童相談所も孤児院も満杯でパンパンだろうよ。
そうじゃなくて赤ちゃんは泣くんだし、板東英二さんだって僕だって誰だって、みんな赤ちゃんのときは泣いて何かを知らせて、泣くしか出来ないってことでしょ??
こんな発言をを公共の放送でシラフで出来る、その発言を聞いた人が誰も全力で反論しない、1つの意見として成り立ってしまう社会こそがどうかしていると思う。
子供が泣いて親がオロオロする必要なんて全くない、そのまま当たり前に座っていて欲しい、周りの人が協力しろとかでもなく、腹がたっても少しだけ寛容で許しあればいいのに、心からそう思う
いまだに腹が立ったまま書いてるから支離滅裂かもしれないけど、書かずにはいられなかった。
ていうか僕は何にそれほど怒っているのだろうか……。
家事は昔より簡単になったと思う。だが、育児はこれまでより格段にハードルが上がった。
何かあるとすぐに「母親は何をしていたんだ」「育児放棄だ」「毒親だ」「虐待だ」と言われる。
ちょっと昔のアニメなんか見てると、「これって今だったら毒親認定されるんだろうな」と思うことが多い。でもその母親は普通の、むしろいい母親として描かれていたりする。
江戸時代には犯されるのが怖くて子供を捨てて逃げた母親が同情されていた。子供を庇って死ぬ強さと愛情を求められるようになったのはいつからか。
手間の面では楽になった?とんでもない。幼稚園保育園小学校も、手編みの雑巾や手提げ袋を要求してくる。母親には意地でも楽をさせまいとするかのように。
「今の若者は」を嫌う人たちも「今の女は」「今の母親は」は好んで使う。「今の母親は子供をほっぽってスマホばかりでけしからん」
ベビーシッター事件の時は母親を擁護していたはてなーも、何故か無職が四歳の女の子のおむつを替えて逮捕された事件では母親を逮捕しろと叩いていた。警察に相談しただけで被害届を出したとは書いていないのに。しかも実際は十歳の姉に任せていたのに。それでも母親は叩かれ、「姉が叱られたらかわいそう。とんでもない親だ」とネット民は言っていた。
ドイツ人の女の子が赤ん坊の弟を任され、友達と遊んでうっかり目を離したすきに近所のおばさんが心配して家に届けてしまい、後で物凄く怒られたという話を読んだことがある。今の日本人にとってはとんでもないことなのだろう。
そして、男性保育士を危惧すると差別だと言って叩かれ、漫画での悪影響を心配すると規制派だお前に育てられる子供がかわいそうだと叩かれる。
父親はどうか。高橋ジョージへの世間の同情を見る限り世間は父親には優しい。
娘「会いたくない」→「母親に気を使ってるんだ!母親の洗脳だ!!父親なんだから本当は会いたがってるはず!!ひどい母親!子供は所有物じゃない!!」
娘「会いたい」→「子供が会いたがってるのに会わせないなんてなんてひどい母親だ!!子供は所有物じゃないんだぞ!!」
無敵すぎる
現在求職中の24歳の息子がまた保育園の採用面接に落ちたと、すまなそうに報告してきた。
職安でも、男性の保育士さんは引く手あまたですからすぐに仕事が決まるでしょう!と言わたというが、すでに半年以上受けては落ちる日々を過ごしている。
小論文の時間の課題に取り上げられた「育児放棄」の記事がきっかけだったそうだ。
育児放棄されて餓死寸前だった3歳の男の子を、児童相談所の方が救ったという記事だったという。
もともと子供好きで面倒みの良かったむすこは、その記事を読んで、こんな事が二度と起こらないようにしたいと思い保育士の資格を取るために3年制の専門学校に進んだ。
2年生の時の実習先の保育園では、男子学生の実習を受け入れたにもかかわらず男性更衣室はなく、掃除用具を入れる用具入れの中で着替えをさせられたという。
しかも、実習生にも関わらずまるで用務員のようにありとあらゆる力仕事も担当させられた。
自分が行った園だけかと思ったら、ほかの園に実習に行った男子学生もみな同じような体験をしていることに驚き、将来の保育園へ就職に不安を感じたという。
3年生の実習で赴いた、重度心身障害者の入所施設でスカウトをされ、その施設に就職をした。
しかし、椎間板ヘルニアを2か所発症してしまい、勤務を継続することができずに退職することに。
手術を受け半年の治療の後、今年の夏ごろから新たな気持ちで保育士の仕事に就こうと求職活動を始めた。
しかし、応募をしようと問い合わせをしても、「今は経験者の方を募集しておりますので」と門前払いを食らうことも多々あるという。
いざ面接を受けさせてもらえたある園では
「できれば君みたいな人を採用したいと思うんだけど、今人員に余裕がないから経験者が欲しいんだ」と、不採用を告げる電話口で謝られたらしい。
同じように保育士に求職中だった友達に話を聞くと、やはり彼も同じような経験を重ねたあげく、仕方なく今は老人介護施設の職員としてアルバイトを始めたという。
いったいこれはどういうこと?
初めから経験がある保育士さんなんているわけないのに、男性だという理由で
経験がないという理由で、保育士になろうと熱意をもっている若者に門戸を閉じてしまうのはなぜ?
決して、保育園ではないってこと。
本気で、待機児童をなくそうなんてしていないってことなんだろう。
息子は保育士になることをあきらめて、別の職を探すことにすると告げてきた。
自営業やフリーランスなど、個人事業主で居宅内労働者の認可保育園入園指標が低い理由は?
それは、自治体保育課の職員が無知だからにつきる。居宅内労働者は育児と仕事が両立できるという、空想論を信じている事が一番大きな原因だろう。
上に3歳と、下に0歳の子供がいる。
子供を出産し、産休後すぐ仕事を再開した。生後2ヶ月未満の赤ちゃんを預けられる保育園は限られており、空きもなかった。
個人事業主には『育児休業制度』がない。そういう法律が作られていないのだ。もし、産後に仕事を休むとすると、それは『育児休暇』となる。
『育児休業』は、労働基準法により定められている被雇用者のみが利用可能な制度だ。出産し、育児の為に仕事を休む事ができる有難い制度。育児給付金まで貰える。だいたいの雇用者は約一年近く育児休暇を取得して保育園入園を果たし復職する。
一方、『育児休暇』とは。
自営業やフリーランスなどの個人事業主が『勝手に育児のため仕事を休んでいる状態』を意味する。制度ではない。休んでいる間の収入は0。そもそも個人事業主に、育児の為の法律は存在しない。
つまり、 産後不自由なく育児に集中できる被雇用者に対し、個人事業主は、産後すぐ業務を開始せざるをえないのだが、なぜか保育園入園指標が高く設定されているのは、産休も育児休暇も満足に取れ、なおかつ手当まで出る、いたれりつくせりの被雇用者のみなのだ。
おかしい。
居宅内労働の個人事業主は、これほどまで差別扱いを受けなければならないのか。
なぜか?
それは、法律に守られている方を優先しないと、『法的トラブルに巻き込まれた時が面倒だから』ではないだろうか。
なので、法律自体が存在しない個人事業主の子供を保育園入園から蹴落とす事など、自治体にとっては痛くも痒くもない。待機児童の多い地域なら、なおさら個人事業主の子供を優先する気など最初からないのだ。
個人事業主や、居宅内労働をする者の指標の低さを自治体(市・区役所)の窓口や、電話で質問してみると、職員は口を揃えて言う。「そういう決まりだから」と。それで終わり。
ちなみに、私も役所の職員から言われた言葉は、「家で仕事してるなら子供見ながらできるでしょ。自由きくんだし。」だ。噂だと思っていたら、本当に言われた。
何度でも言うが、自由がきくなら最初から保育園に申し込まない。自由がきかないから、同時に保育と仕事が成り立たないから子供を預けたいのだ。
また、職員は「一時保育を利用したら?」と軽々しく言う。職員達は、自分達の管轄する地域の認可・認証・無認可保育施設の一時保育枠に空きがめったに存在しない事、0歳は受け入れていない事を全く把握していない上に、保育施設に対する知識が無さすぎなのだ。この現状を私が説明すると「え?そうなんですかー?」と他人事の返事。
そして、いかに個人事業主は自由がきかない立場なのか、全く理解されない。
仕事内容には、外部との打合せもある。クライアントのオフィスに出向く事も多々ある。そこに、子連れで行けということか?
書類は破かれ、パソコンのキーボードは滅茶苦茶に叩かれ、筆記用具を口に突っ込まれ…その度に離席して、仕事の電話が子供の泣き声でかき消され、魔が差して我が子をぶん殴りたくなる気持ちが抑えれなくなる。しかし、居宅内労働者の実態を知ろうともしない行政の連中は、「仕事しながら子供を見れないのは、要領が悪いだけだ。」としか考えていないのだ。
※
※
※
例えば、こんな話。
0歳児と3歳児を抱えながら働く女性が二人いるとする。
一人は、会社員で育児休暇中。上の子は保育園児。祖父母が近くに在住。上の子のお迎えは、祖父母がしてくれる。夫はだいたい早く帰宅するので子供の面倒を見てくれる。時間に余裕があり、温かい料理を作って家族全員で笑いながらの食事。夫が子供を風呂に入れてくれ、自分は後から一人でゆっくり入浴。子供は21時には就寝。女性は自分の時間を満喫し、23時には就寝。
※
※
もう一人は、居宅内労働の個人事業主。こちらも上の子は保育園児。身内は全て遠方の県外に在住。夫は激務で家に帰ってこない日がほとんどだ。仕事をしながら、子供の世話も家事も全て一人でこなさなければいけない。今日も仕事は3分の1も進んでいない。日中0歳の子供はずっと昼寝をせず、一人遊びも5分が限度。母乳ばかりを欲してはぐずり、何度も仕事する手を止める。子供が仕事道具に手を伸ばしてくる為、スムーズに業務が進まない。ほとんどが育児に時間を割かれる。じっくり子供と遊ぶ時間も余裕もない。御飯を作る時間もない。今日も自分と上の子はコンビニ飯。下の子も毎日パウチの離乳食。お風呂に入れる時間なんなてない。もう何日コンビニ飯だろう。お風呂最後に入れたのいつだっけ。23時、子供を寝かしつけるにも寝ない。もう2時間は過ぎた。イライラして怒鳴りつける。上の子の頭を叩き、下の子に無理矢理添い乳をして必死に寝かせる。もう頭が回らない。ようやく二人共眠った。仕事の続きをしようと布団から出ると、0歳の子供が泣き出した。あぁ、また仕事が進まない。また寝かしつけをしなければ。時間だけが過ぎていく。納期が間に合わない。今夜も自分はまともに眠れない。大きな仕事をしたくても、こんな環境じゃ受注できない。また吐きそうだ。毎日吐いてる。死にたい…死にたい…
認可保育園、なんで一時保育が1歳からしか受け付けてないんだよ。認証保育園、なんで当日に通常保育の園児が欠席した時しか預かってくれないんだよ。ベビーシッター、高額すぎて払えば生活ができない。消費者金融に手を出せってことか?ファミリーサポート、サポート会員が少なすぎて助けて欲しい日時が合わない。生きてるのが辛い。
理想だらけのアベノミクスの裏にある、暗くて黒い家庭と、独りきりで追い詰められる女性の現状だ。政府が知らない、ある家庭の実態…
※
※
※
さて、問題。入園の優先度が高いのは、上記のどちらの女性の子供か?
※
理由は、この女性が『居宅外被雇用者』で、保育利用基準の指標が高いから。
『居宅内個人事業主』である後者は、どんなに産休後すぐに仕事を頑張っても、どんなに身を粉にしても、家庭環境が地獄のように荒んでいても、精神崩壊ギリギリのラインで子育てをしていても、保育園の入園優先順位にそんな事情は一切関係ない。保育園利用基準を低く設定されているが為に、申込児の中から一番優先度が低い扱いになる。全ては、指標の高い順なのだ。
生活が、どんなに荒んでいても、母親の姿が見るに耐えられない状態でも、ワンオペマザーでいつ倒れてもおかしくない状態でも、毎日子供にコンビニおにぎりしかあげられない状態でも、育児放棄に近い状態でも、認可保育園への入園に優先されるのは『居宅外雇用者の母親の子供』なのだ。それほど『居宅外被雇用者』の指標は高く、『居宅内労働の個人事業主』の指標は低く設定されている。
指標が全て。
個人事業主として働く人間は、自治体の偏見で設定されている低い指標から逃れられないのだ。どんなに頑張っても投げつけられるマイナス指標。
「今年頑張ったら、来年こそは入園できる!」なんてことはないのだ。待機児童になり、一年死に物狂いで子供を見ながら頑張って仕事をしても、同じく待機児童になって育児休業期間を延長した子が優先されるのだ。なぜなら、いくら仕事を続けた所でも、居宅内で育児をせざるを得ない為にマイナス指標が発生し、結果、総合指標で個人事業主は負けるのだ。
理不尽。
こんなにも生活に差があるのに、保育の必要性が高いとされるのは、『居宅外雇用者の母親の子供』。
それが、待機児童数ワースト1の世田谷区式認可保育園入園優先方法なのだ。多分、他の区や他県も優先方法はたいして変わらないだろう。
自営業やフリーランスの保活ブログや、自営業の方が役所に送った保育園不承諾についての意見等たくさん目を通してきたが、皆口を揃えている。「不平等だ」と。「育児休業中の会社員には勝てない」と。自分は今、預け先がないまま必死で働いているのに。そして区からは、子供の預け先が確保できないのに「自宅で育児してますね。はい、マイナス6ね。」と、理不尽なマイナス指標を投げつけられるのだ。
では、育児放棄すればいいのか?預け先もない、仕事は進まない。だったら、育児放棄して仕事に集中すれば、保護者が保育をしていない状況だと判断してくれるのか?どこまで自営業を追い詰めるのだ。有料での預け先すら空きがない現状なのに、そこを無視してマイナス点をつけるなんて不公平すぎる。預け先があれば、とうに実行している。ないのだ。探しても探しても、ないのだ。ようやく0歳児の一時保育をしている無認可施設を見つけたが、満員かつ、0歳はこれ以上受け入れないと、どこも揃って言うのだ。
数年前からメディアにも出ている、子連れ可能コワーキングスペースも利用してみた。結果は全く仕事にならなかった。いくら子連れが可能のワークスペースだろうと、子供の世話は自分でしなければならない。結局、居宅外で仕事をするにも、子供が一緒だと逐一仕事の邪魔をされて業務にならないのだ。
普通の主婦業でも、夕飯作りや掃除の最中に子供が邪魔すると「家事ができない」と嘆く人が多いが、
子供を見ながら仕事をするのも同じなのだ。全く仕事ができないのだ。
私に仕事の依頼をくださるクライアントに申し訳がないが、働けないのだ。
そして、子供をこれ以上産む気にはなれない。兄弟がいる場合、下の子が待機児童になって働けなくなると、上の子が保育園に通園していても退園になるからだ。
こんなに不満を抱える個人事業主がたくさんいる。保活に対して不平等な経験をした個人事業主達で立ち上がり、納得のいかない保育園選考基準と指標のあり方に対しての署名運動や抗議を、区や政府に対して起こす必要は十分にあると思っている。
居宅内労働者の大変さを、もっと知ってほしい。もう、役所も政府も、目を背けないでほしい。だから日本の女性は輝けないのだ。働く女性、働く母親を理解していない奴らで保育や育児に関する政策を作るな!
ちなみに私は、保育園をただ増やすだけのやり方には反対である。保育士の待遇を良くする事、保育の質を守る事、働く親、働きたい親と、その子供達に平等な保育環境を与えてくれる事を望んでいる。土地の関係上、保育園が増やせないなら、代案を。政府の的外れ対策は、無駄が多すぎるのでやめてほしい。現場の声を聞け。
今回もまた不承諾通知が届いたとすれば、それは区から「死んで下さい」と言われているのと同じ宣告だ。
人間らしく、生きたい。
私も、子供も。
はじめは私も含めて新しい環境に馴染めなかったけど、
半年もすると家族も周囲と馴染んできて、息子も新しい友達を連れてくるようになった。
その中に息子とおなじ年齢のKくんという男の子がいた。
平日もしょっちゅうスプラトゥーンを遊びに来ているようだった。
私は平日は遅くまで仕事があるで週末にしか顔をあわすことがなかったが、
帰宅するみたいな習慣になってきている。
ただただKくんがうちを気に入っていたと思われる。
そんなKくんだが、最初はうちの息子と遊ぶのが目的で来ているのかと
思っていたが、私(おっさん)目当てに来ているのではないかと薄々と感づいてきた。
というのも、私がリビングにいると私の横にやってきたり、
時に膝の上に乗ってきたりするからだ。
その時に、ちょっとうるっとした目で私のことを見つめてくる。
これは私のことが好きなんだろうなと気づいたわけです。
で、これからおかしなことになっても困るし、どうしたらいいものかと悩ましい。
スプラトゥーンは私も好きだし。
なにより、息子もKくんも30歳を超えたので、そろそろ働いて欲しいと思う。
自分の中でなんで結婚するか解らなくなってるので増田に書いてみます。
愛のために。みたいなのは、正直同棲とどう違うか解らないのよね。
もし、愛ゆえに結婚したというのであれば、
同棲しているのとの違いを聞いてみたい。
それ以外のところで、身近な人に聞いたところだと
「子供ができた時、親が同じ籍だと色々と都合がいい」
育児放棄する旦那が問題になったり、離婚した親が貧困家庭になったりと
「離婚」のリスクの大きさ/めんどくささが言われてるなか、そこまで有利なのかな。
あと、子供いらない(作れない)場合は、この理由がそもそも外れるよね。
自立した大人同士なら、保険金とか掛けあうとかでもいいんじゃないの?
そういうのは、日本の古い風習としてあるのかなーと思ったりもしている。
今でこそ同じような境遇の人間が増えたが、当時はまだ少なく、ほとんど理解されていなかったのだ。当然今でも差別は色濃く残る。
自分と障害者とではもちろん境遇が違う。だから理解できるとも思わないが、マイノリティに対する世間の反応というのはいやというほど浴びながら育ってきた。
ぼくがマイノリティであることは見た目ではすぐにはわからない。
だからうまく紛れることはできたし、必要がなければ明かさなかった。
ただ、その分同じ境遇に向けた反応に対して同調圧力を求められることは何度もあったし、そのせいでノリが悪いスカした人間だと思われたこともある。
学生の、まだ多感な頃の話だ。
仲の良い、信用できると信じていた人間数人に自分の素性を明かしたことがある。
その時涙を流しながら同情する人間がいた。
「かわいそうに。辛かったでしょ。どんな目に遭ってきたの?」
ぼくの肩に手を載せてとても悲しそうにそう言ってきた。
それからも素性が知れる度に、一定数の人間は「かわいそう」という言葉を使った。
意図的に知らせた時もあるが、意図に反して知れてしまうこともあった。
それでぼくは「かわいそう」という言葉が嫌いになった。
当然つらい思いも沢山してきた。人よりも苦労は多い自信もある。
人を羨んでも変わることはできないし、人を妬んでも自分が幸せになれるわけでもない。
ましてや、人の不幸を見て噛みしめる自分の幸せなんてクソ食らえだと思っていた。
中にはそれが善意だと信じて、周囲の人間に配慮するように話して回る人間もいた。
その多くはぼくに対して「かわいそう」という言葉を使った人間だ。
その度に、ぼくはそいつの素敵な人生ストーリーのために消費されたようが気がして気分が悪くなった。
可哀想な人間を涙を流して同情する素敵な自分にあこがれているのだろう。
可哀想な人間に配慮を求める素晴らしい人格者である自分にあこがれているのだろう。
そのためにぼくは消費されていくのだ。
お前らのやすっぽい涙のために、ぼくの人生が軽々と消費される虚しさを思い知らされたのだ。
アイアムサムを見たことがあるだろうか。
ぼくは不本意ながら上映当時に劇場で見ることになった。
不思議とどうしてそんなものを見ることになったのかわからないが、恐らくは当時付き合っていた相手に誘われて、下調べもなくのこのこと付いて行ってしまったのだろう。
もしそれが障害者の映画だと知っていたら、絶対に見ることはなかった。
障害者に向けられる周囲の視線は今まで散々に味わってきた苦痛であるし、ハンディを持った人間のサクセスストーリーなんてリアリティのへったくれも感じなかったからだ。
それを可愛らしい子役と安っぽい感動で塗り固めた、実にアメリカらしい、まさにその国のスーパーで売っているような食あたりしそうな彩りのケーキのような映画にしか見えなかったのだ。
映画の評価はそれに反して上がっていく一方だった。その様子を、マイノリティは健常者のために消費されていくのがこの世の中なのだと冷めた目で見ていたことを記憶している。
ただがむしゃらに生きてきたし、むしろ生き方にも随分と慣れてきたように思っていた。
そんな時に、レンタルビデオ店でふとアイアムサムのDVDが目に止まった。
世界はこれほどまでにグローバル化が進んでいるのに、未だに歴代名作コーナーに陳列されていることが疑問に思えたのだ。
これでもう一度見てつまらなければ世間が腐っていた証拠だし自分が正しかったことが証明される。
もし何かが変わって見えたら、自分の変化や成長を感じられるかもしれない。
当時の自分がどれだけうがった目で世の中を見ていたかを思い知らされることになったのだ。
何より、子供を持ち、それを守ることに対する思いに何度も涙が流れた。
今もし自分の子供が、世間の良識という暴力に奪われたとしたら何を思うのか。
その中で、ハンディキャップを背負いながらも幾多の困難を乗り越えていく姿にひたすら胸を打たれてしまった。
例えどんな境遇であっても諦めずに一生懸命に生きる姿に胸を打たれる。
意外なことに、劇中でサムに対して可哀想だと接する人間はいなかった。
皆はむしろ冷たく辺り、障害者が生きていくことの難しさばかりが描かれていたのだ。
そして彼自身も、障害者らしく擁護で固められているのではなく、一人の人間として生き、悩む姿しっかりと描かれていた。
ぼくは当時、その描写を見ることが辛かったのかもしれない。
まだ社会的弱者だった頃の、世の中に対するヘイトがくすぶっていたのだろう。
その時は自分が全うに生きていると信じていた。でも、知らず知らずの間にカルマは溜まっていたのだ。
育児放棄、女性の社会進出、ニートやそれに付随する精神疾患の問題、職業差別、貧困。
あれから16年の時が過ぎていることに驚いたが、それ以上にいま見ても全く色あせないほどに全ての問題がリアルだった。
むしろ16年経って尚、それら問題は深刻さを増しているといっていいだろう。
その中で、たまたま障害者が主人公だったというだけの映画がアイアムサムなのだ。
あの映画の主要登場人物のうち誰に焦点を当てても、どの問題も同様に浮き彫りになったことだろう。
アイアムサムを感動ポルノとして消費した人間も沢山いただろう。
それはそれで良いではないか。
それによって潜在する問題を認知することにつながったのだから。
もしそれが感動ポルノとしてだけ消費されてしまったのなら、障害者たちは真実の姿を表現する努力をすればいいのだ。
それ以上に世の中はポルノで溢れかえっている。
アイドルと呼ばれる偶像が最たるものだし、それこそマスコミや視聴者にえげつなく消費されているではないか。
それを自分たちだけ守ってほしいというのはまさに擁護の観点であるし、視聴者側も自らの足を使わずして真実を求めようと言うのが間違っているのだ。
感動ポルノがどうした。
楽しみたい人間がいるから市場が生まれ、必要がなくなれば消えていくだけのもの。
ただそれだけのことなのだ。
そもそもが感動ポルノを好きとか嫌いとかいっている場合ではないのだ。
この狂った世の中で道を誤らずに生きていくには、結局は自らの目や耳、手足を駆使して進んでいくしかないのだ。
それを生まれながらに持っていなければ別の手段で解決すればいい。