はてなキーワード: 育児放棄とは
これでトラックバックになってるんですかね。
元増田です。
出勤時に見たらすごことになってて、びっくりしました。
これがセックスレスと要因となるのかわかりませんが、肉体的なもので解決できてるなら解決しているような体型と身なりです。幼稚園の他のお父さんみたいにお腹は出ていませんし。
すごく気を使っています。
子供の寝ている部屋でしようってことも言ってません。正直、子供は乳飲み子ではないので。
家事はします。二人でして早く終わるなら、それが正解だと考えています。片方だけが負担すると結果的に過ごす時間が減るという考え方で、嫁さんもそういう人が初めてってびっくりしていました。
僕はなにより嫁や家族と過ごす時間をたくさんとりたいと思っているので、分担はします。
あと、料理は好きです。するのも片付けるのも。
ただ、僕が料理すると不機嫌になります。嫁は料理がそんなにうまくありませんので。
僕は一人暮らしの期間もあり、料理や片付け全般できますし、しています。
ご飯に関しては、子供が可哀想なので、きちんと作るか僕が作るって話はしましたが「子供は好き嫌いがあるから」って言われました。
それでもダメでした。
もともと気団の駆け込み寺スレを見ていたので、基本的には「何をしたらダメか」というのは理解しているつもりです。
ですので、DVその他はしていません。
と、真面目に書いてみましたが、やるべきことは試したつもりなんですよね。
話し合いについては、「僕は君のことは子どもたちの母親であり、僕の最愛の女性だと思っている。本当に好きだし、愛しているから、スキンシップを拒絶されると本当に悲しい」という形でつたえました。
嫁は泣きながら「そんなつもりで否定したつもりじゃなかった。軽い気持ちだった」ってお互いちょっと泣いて和解したんですが、結局何も変わりませんしたね……。
趣味のススメを書いてくれた方、ありがとうございます。
未だに太閤立志伝Vやってます! 太閤チームの復活を10年以上待ってます!
結婚生活は我慢ということを書かれていましたが、概ね合意します。
ただ、人間には我慢の限界があると思います。極論になりますが、DVも我慢しないとダメですか? って話になりますよ。セックスレスも十分な離婚事由になります。
少なくとも僕は家庭に安らぎを求めていました。それが夢見がちと言われるのなら、僕の結婚観が間違っているのでしょう。
セックスレス以外は妥協もあり、お互い改善できるところは話し合いで解決してきました。
だからこそ、強く悩みますし、ここまで考えて眠れなくなってしまうのです。
「uza_momo このレス系増田、レスによる結婚生活破綻の危機もさることながら、相手がその危機感を知らない温度差が読んでて辛い。原因はレスだけど、双方に結婚に望む形の相違を顕在化して話し合えたらいいのにね。」
温度差はすごくあると思います。
嫁は僕がここまで深刻に考えているとは思っていないです。
最後の話し合いで「離婚事由になる」とは言いましたが、結局レスのまま、「やめて!」って言われても仲良し家族はできていますし。
最初にも書きましたが、「レスである」という点を除けば、本当にうまく行っています。
嫁とはゲームセンターCX見ながら、あーでもないこーでもないと言いながら笑い合っています。
お互い感謝の気持ちは忘れないというのは、同棲していた時からずっと今も続いています。
家庭崩壊設定している人が意外といましたが、崩壊していないから凄く苦しくて、悩んでいます。
それと、口説き直したら的なブコメも見ましたが、意外とナイーブだったのか拒絶に傷つきすぎて心が折れてしまいました。
同じ立場の人がたくさんいらっしゃると思うのでわかると思いますが、拒絶ってかなり心にきます。
女性は子供がいるからできないというのがあるのだとしたら、男性は強い拒絶に非常に弱い部分があります。精神的な面でEDになったりします。
好かれる努力をしろって意見もわかりますが、強い拒絶を受けると好かれる努力もできなくなりますよ。
普通の恋愛をしてきた僕は強い拒絶を受けることなんて初めてのことでした。
朝方に色々と勢いで書いてしまった内容に、いろんなコメントをいただけて本当に嬉しかったです。
離婚前提で考えるのではなく、とりあえず現状について話し合ってみます。
ただ、僕は思いっきり愛して、思いっきり愛されたかったんです。
新婚のときに「セックスレスなんてなるわけない」と話し合っていたことが嘘みたいな現実になってしまいました。
強い拒絶と5年の歳月は、僕の嫁に対する性欲を失わせました。
それでも僕は嫁を性的ではない部分で愛していますし、子供も愛しています。
そういう前提があるなから辛くもなりますし、悩んだりもします。
僕は性欲に負けているのかもしれませんね。
でも、「好きになった相手と愛し合いたい」って思うことって普通だと思っています。
今はお互い子どもたちの親という形になっています。夫婦ではないと思います。
様々な反応があって本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。
だったら、昔の日本人男性はそんなに他人の子どもを育てたのか?
子ども=働き手が増えるわけで、奥さんが他人の子をはらんだらむしろラッキーだったんだろうな
どのみち遺産は長子が継承するわけで、最初の子は自分の子である確証はほしかっただろうが、
それ以降の子どもはソルジャー扱いで誰の子でも良かったんだろう
随分と嬰児殺し&育児放棄も問題になっていたらしい。水子供養って実はそれ関係なんでしょ。
フリーセックスの結果、子どもが次々と生まれた瞬間に殺され/捨てられていたとすると、
近代化以降の禁欲化は、西洋(キリスト教)の影響だけじゃなくて、
産まれたからには殺すな → 殺すくらいなら産むな、的な流れね。
ただ、大正時代ですら産婦人科付きの子殺し業者が捕まっているので
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B0%E3%81%84%E5%AD%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA)
実のところ明治大正になってもフリーセックスの慣習は残っていたのかも
日中に、id:sugimurasaburo さんからコールをいただいて、開いたときにはすでに消えていました。
子猫のミルクボランティアをしており、里親を探して引き渡した経験が何度かあります。 今しがた、我が家の屋根下の隙間で子猫を2匹見付けてしまいました。 生後1ヶ月半くらいでしょうか。 近所をうろついているハチワレが母猫のようで、まだ育児の最中のようす。 かといって、離乳...
残った部分を頼りに書きます。もし元増田さんがご覧になり、急を要する保護になりそうでしたら、Twitterのほうに連絡ください(@nekohanahime)。23区および千葉県西部限定ですが、極力僕が保護に向かいます。そのあとはシェルターさんと相談します。必ず相談に乗ってベストの対応をしてくださる方です。以下、ミルクボランティアさんということで蛇足に過ぎる点があると思いますが、増田各位の目に触れることを考えて少し多めに書きます。
離乳云々はミルクボランティアさんでしたらきっと大丈夫ですね。僕がお世話をしているくーちゃんは、1か月半でうちに来てくれて、ふやかした固形食とウェットを早い時期から好んで食べていました。先日シェルターを卒業して預かり宅さんの元に行ったこねこ3人は、ちょうど1カ月半で、パウダーに人肌湯を注いだ子猫用フードと、ふやかした固形食を元気に食べています。
心配なのは屋根裏という環境です。カラスにつままれるリスクこそないでしょうが、子猫にとってはよくありません。その代表がダニです。耳内にダニが生息していると食べる量が落ちて後の生育に響きます。確実に駆除してあげられるのは人(獣医師)です。不衛生や異食も当然よくありません。出来れば保護してあげてほしいです。一方で、ミルクボランティアさんの手を経て、シェルターさん、里親募集会といった一連のプロによる「出口戦略」があることがやっぱり基本になると思います。
ちょっと冷静になって欲しいんだけど、どうして退院したら親元に返すんだよ。
そんな親元に返す意味がわからないし、しかもそれを感動的なシーンみたいに扱うのは本当にどうかしてる。
親は子供安全を第一に考えるのが当然だし、いくら躾という名目があっても子供を危険に晒すようなことは許されてはいけないんだよ。
取り囲む報道陣が口をそろえてよかったねと声をかけているシーンがおぞましく見えて仕方がない。
マスコミは少年が無事だったからといってこの事件を美談に扱うべきではない。
大切な社会の資産なのだから社会が厳しく取り締まらないでどうする。
日本が野蛮な国だといわれてもこればかりは仕方がない。
不妊の原因は不明だったけど、不妊治療開始後一度だけすぐに妊娠したが、一回目は流産した。
それからなんども人工授精をしたけどうまくいかず、結局高価な体外受精に踏み切った。
それが一回でうまく行き、順調に十月十日を迎えた。
妻は初めての妊娠で産気付いてから丸々一日掛けて、俺は延々妻の背中をさすり続け、明け方近くにめでたく出産した時はホッとした。
立会い出産して、感動するかなとか思ってたけども、疲れ果てていたせいもあって涙も出なかった。
自分が始めて授かった子供なのに、何故だかよく分からないが最初はそんなに可愛いとは思えなかった。
今思うに、多分俺は妻ほどには子供を望んでいなかったからだと思う。むしろ、これからが大変だとその先を案じていた。
大変なのは割とすぐにやってきた。
娘はなかなか寝付かず、夫婦共々ほんとに困り果て毎日疲労困憊。
あれだけ子供を欲しがっていた、最初こそ喜んでいた筈の妻が、昼間の育児はするものの(昼寝は良くしたらしい)、とうとう夜の寝かし付けだけ育児放棄しだしたのである。
よくある「あなたは仕事だけやってたらいいんだから、楽よね!、私は一日中毎日家事と育児なんだよ!」みたいな。
実際のところは俺は買い物もしてたし、洗濯も掃除もやってたし、家にいる間はオムツ替えも授乳もお風呂もやってたんだけど、そんな言い争いをしても仕方ないから反論はしなかった。
だから、夜の寝かしつけは、娘が多少の分別がついて自分で寝るようになるまでは俺の仕事になった。
立ったままダッコしてゆっくり何十分かゆすり続ける、それ以外では絶対寝ないのが娘だった。
ひどい時は2時間も3時間もゆすり続けなければならず、椅子やソファーに座る事すら許されなかった(泣き出すのだ)。
当時も結構仕事が忙しくて、帰宅は遅かったから、自分が寝るのは延々と時刻が翌日になってから。
娘を可愛いと思う時もそりゃぁあったけど、総じて言えば大変なだけで、こんなに大変なら結婚などしなければよかったと思うことすらあった。
だけど、一人目の苦労は二人目に存分に生かされた。二人目の息子は娘ほど大変じゃなかった事もあるけど、一人目に苦労した分だけ夫婦共々成長していたのだと思う。ちなみに二人目は自然妊娠だけどね。
さて、そんな娘もすくすくと育ち、小学校五年生の夏休みがあけてからのことだった。
実は娘は1学期が終わる直前に右足を捻挫してしまい、夏休み後半まで松葉杖生活を送る羽目になっていた。
それで、夏休みが空ける一週間ほど前に松葉杖がなくても歩けるようになったのに、さぁ登校という段になって「足が痛むから行けない」と言うのである。
最初は親もそれを信じて、少し休めばすぐに行けるようになると思っていたのに、それが一週間たっても治らない。
というよりも、夏休みの時は松葉杖があれば歩けたのに、松葉杖登校すら拒否するのである。
流石にこれはおかしいと親も気付き、時間を掛けて問い詰めたらやっと「学校に行きたくない」と答えた。
だが、そこから先が大変だった、その理由を頑として言わないのである。
とにかくどんなに問い詰めようと責めようと、絶対に言わない。
仕方が無いから、学校の先生や友達に色々聞いても、特にいじめられているわけでも、或いはクラスで孤立しているとかでもなく、成績は結構いい方だったりして、理由が皆目見当がつかない。
いろいろと関係各位に相談していると、理由はともかく、学校に無理に行かせなくてもいいから、しばらくは様子見、みたいな感じになりそれが結局三ヶ月以上続いた。
理由は・・・娘は娘なりに「理由を明かしたところでどうにもならない」と分かっていたから言わなかったのだと思う。
肝心の担任に原因があった。
親だってまさか担任に原因があるなどとは思わず、不登校のことを何度もその担任と相談していた。全く馬鹿みたいだ。
娘の友達の親が「あの先生、すっごい生徒を差別するから」と妻との会話で言ったらしく、もしかしてそれが?と思い、娘に聞くとやっと頷いた。
びっくりするくらいの差別だった。
例えば授業中の先生の質問に娘がどんなに頑張って手を上げても絶対に娘に答えさせない。
勉強で分からない事があって聞きに行っても、忙しいから後で、などを理由に相手にしない。
そのくせ、気に入った生徒ばかりを答えさせるし、一生懸命面倒を見る。
確かにその差別が原因で不登校になったのは我が娘だけではあったけど、どうも一番酷く差別されたのが娘だったのも事実らしかった。ほとんど無視に近いものだったから。
にも関わらず、その担任は平然と娘の不登校の相談を受けていたのだ。
私達夫婦は、娘に何か障害でもあるのかと、児童精神科のある病院まで行ったんだぞ。
ほんとに、理由が発覚した時は怒り心頭だったのだけど、妻がどうしてもモンペ扱いだけはされたくないからと、担任に苦情を言うのはかたくなに拒否されたので、校長と教頭にだけその事を伝えるに留まった。
校長らも最初は信じられなかったらしく、こちらの言う事は否定しなかったが、結構びっくりしてたっけ。
事情が事情だけに、これを解決する方法は担任を指導したところでどうにもならない(娘の信用がゼロだからね)と言う事で、ともかく、当面は授業が終わってからの補習と言う形で最低限の勉強だけを受けさせて、6年の担任を必ず替えるという事になった。
6年にあがって、新学期から問題なく娘は登校するようになった。
あの時、既に出勤してた俺に妻からその事をメールで連絡されて、不意に涙してしまった。
取引先と電話してた最中に、いきなり涙声になり、相手から「どうかしましたか?」と言われたっけ。
さて今はもう中学二年生。
昨日、その娘から嬉しそうに「やりたかったユーフォニアム、あしたからする事になったよ!」って、帰宅したばかりの俺に報告があったんだ。
ふとね、その時、不登校のときや、昔の寝かしつけの苦労を思い出したんだ。
可愛くて仕方ないです。
追記。
あまりにブクマがついてびびってしまったのでホントの事がいえなかった。すみません。
でも、同時にトロンボーンもやりたがっていたのです。
つい、これを書いた翌日に例の映画が公開初日になると知ってたので嘘をついてしまいました。
申し訳ございません。
私には「自分らしく生きるって何だろう私って何だろう」と無限の思考の海に投げ出される言葉がある
そして、もし今私と同じ「自分らしさ」について悩んでいる人 、苦しんでいる人にヒントになるかは分からないけれど何か悩んでいることや苦しんでいることの出口に繋がると嬉しい
私を思考の海に投げ出す言葉とは「⭕⭕さんの分も頑張って生きないとね」というような類いの言葉である。(この⭕⭕に入る名前は殆どの確率で亡くなっている人の名前である)
私がこの言葉をかけられるようになったのは10年前母を亡くしてからだ
私はこの言葉をかけられると「私は母の代わりなのか?母は母なのになんで私が母を背負わないといけないのだろう」と当時も今も思ってしまう
この言葉をかけてくれる人は、落ち込んでいるであろう私を励ますために言ってくれたのかもしれない もしかしたらなんと声をかけていいかわからずに出た言葉がこの言葉でそれで言ってくれたのはかもしれない
その人を亡くして落ち込んでいる人になんと声をかけたらいいかわからない気持ちはよくわかる
しかし「母を亡くしてこれから頑張っていかないと!」と思ったことはあっだろうかとも思う ても「母の分も頑張って生きていかないといない!」と思ったことは1度もない
やっぱり私というフィルターを通して
「母」という存在を見られているようでどうも居心地が悪い
そもそも私がどこまで生きたら母の分を生きたことになるのだと思う
それと同時に私は母の分も頑張って生きないといけないほど今頑張っていないのか 私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのか?
私には特技という特技はない しかしたったひとつ言えることがある
それは「どんな困難に直面しても力強く生きてきた」ということである
私の今までの人生はまだ短いけれど、それなりに山あり谷ありな人生を送ってきたと思う
小学生の時には母を亡くした他にクラスの半数から苛められたこともあった
中学校では一時期 思春期故の心と身体の不安定さで学校を休みがちになった
実父には暴言・暴力を浴びせかけられ育児放棄され虐待を受けた 今も親子関係が上手くいかずにほぼ絶縁状態にある
正直 このまま死んでしまって大好きな母の所に逝きたいと思ったことは幾度となくある
しかし 私なりに頑張って周りの人に助けられながらも乗り越えてきた
苛められても小学校に行くことをやめなかった、中学校を休みがちになっても塾の勉強には一生懸命に取り組んで第一志望の高校に入学をした 父親に育児放棄されたことで自分で生計を立てるしかなく働きながら学生をしている もちろんこれからも不器用ではあるが持ち前の強さで生き抜いていくつもりだ
次に私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのかということだがこの答えはNoである
母は私が生まれたときから亡くなるまで私に100%の愛情を注いでくれたそして最後の最後まで病気と闘っていた そんな母の人生を頑張って生きていなかったなんて言わせない
ここまで書くとだいぶスッキリとした気がする
私は負けず嫌いで意地っ張りで頑固で不器用である 正直人付き合いが上手なタイプではない
しかしこれからもきっと今までどおり周りの人に助けられながら不器用なりに強く生きて行くと思う
最後の最後まで頑張って生き抜いた母の分は頑張る分がもう残っていないので頑張ることは出来ないが、自分自身に残された私だけが頑張ることができる残りの人生を他のひとが頑張る分がなくなるまで頑張って生き抜きたい
次に母に逢えるときには胸を張って母みたいに最後まで頑張って生き抜いたと言えるように母には天から私のことをこれからも温かく見守っていてほしい
私には「自分らしく生きるって何だろう私って何だろう」と無限の思考の海に投げ出される言葉がある
そして、もし今私と同じ「自分らしさ」について悩んでいる人 、苦しんでいる人にヒントになるかは分からないけれど何か悩んでいることや苦しんでいることの出口に繋がると嬉しい
私を思考の海に投げ出す言葉とは「⭕⭕さんの分も頑張って生きないとね」というような類いの言葉である。(この⭕⭕に入る名前は殆どの確率で亡くなっている人の名前である)
私がこの言葉をかけられるようになったのは10年前母を亡くしてからだ
私はこの言葉をかけられると「私は母の代わりなのか?母は母なのになんで私が母を背負わないといけないのだろう」と当時も今も思ってしまう
この言葉をかけてくれる人は、落ち込んでいるであろう私を励ますために言ってくれたのかもしれない もしかしたらなんと声をかけていいかわからずに出た言葉がこの言葉でそれで言ってくれたのはかもしれない
その人を亡くして落ち込んでいる人になんと声をかけたらいいかわからない気持ちはよくわかる
しかし「母を亡くしてこれから頑張っていかないと!」と思ったことはあっだろうかとも思う ても「母の分も頑張って生きていかないといない!」と思ったことは1度もない
やっぱり私というフィルターを通して
「母」という存在を見られているようでどうも居心地が悪い
そもそも私がどこまで生きたら母の分を生きたことになるのだと思う
それと同時に私は母の分も頑張って生きないといけないほど今頑張っていないのか 私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのか?
私には特技という特技はない しかしたったひとつ言えることがある
それは「どんな困難に直面しても力強く生きてきた」ということである
私の今までの人生はまだ短いけれど、それなりに山あり谷ありな人生を送ってきたと思う
小学生の時には母を亡くした他にクラスの半数から苛められたこともあった
中学校では一時期 思春期故の心と身体の不安定さで学校を休みがちになった
実父には暴言・暴力を浴びせかけられ育児放棄され虐待を受けた 今も親子関係が上手くいかずにほぼ絶縁状態にある
正直 このまま死んでしまって大好きな母の所に逝きたいと思ったことは幾度となくある
しかし 私なりに頑張って周りの人に助けられながらも乗り越えてきた
苛められても小学校に行くことをやめなかった、中学校を休みがちになっても塾の勉強には一生懸命に取り組んで第一志望の高校に入学をした 父親に育児放棄されたことで自分で生計を立てるしかなく働きながら学生をしている もちろんこれからも不器用ではあるが持ち前の強さで生き抜いていくつもりだ
次に私が母の分も頑張らないといけないほど母は頑張って生きていなかったのかということだがこの答えはNoである
母は私が生まれたときから亡くなるまで私に100%の愛情を注いでくれたそして最後の最後まで病気と闘っていた そんな母の人生を頑張って生きていなかったなんて言わせない
ここまで書くとだいぶスッキリとした気がする
私は負けず嫌いで意地っ張りで頑固で不器用である 正直人付き合いが上手なタイプではない
しかしこれからもきっと今までどおり周りの人に助けられながら不器用なりに強く生きて行くと思う
最後の最後まで頑張って生き抜いた母の分は頑張る分がもう残っていないので頑張ることは出来ないが、自分自身に残された私だけが頑張ることができる残りの人生を他のひとが頑張る分がなくなるまで頑張って生き抜きたい
次に母に逢えるときには胸を張って母みたいに最後まで頑張って生き抜いたと言えるように母には天から私のことをこれからも温かく見守っていてほしい
少子化問題の解決に移民推進とか言ってる奴はお金持ちになりたい→遺産目当てに老人と結婚するホストみたいだと思う。
安直だ。
移民の根本的な問題を解決しつつ出生率をあげる方法が出せない無能だと思う。
移民を「生産」してる国を日本の実質的な植民地にして、日本が資源産出国になるのがベストだと思う。
帝国主義と言われようと、難民問題解決のために必要なコストを支払ってもらう。
日本は平和を維持するために多くの制限を受けてきたし、支払いも続けてきた。
同じものを払わないで善人ぶって単純に助けてあげるのは国益に反する可能性が極めて高いのではないか。
国際社会が協調しないなら日本は難民の受け入れなど拒否するし国連への拠出金も凍結する。
日本が受け取る利益はプライマリーバランスを改善し、出産育児教育支援への体制を整える。
よって現状でいえば国連主導による、移民の国を新たに樹立する方針がベターだ。
砂漠のなかにラスベガスがつくれるのだから、空いてる砂漠にアメリカをつくればいい。
そしてかかった費用は出資国に還元する。通貨も国家運営が安定するまではドルペッグでよかろう。
わたしの不勉強もあってか、移民受け入れを行ったドイツがどうなったのか、
どうすればよかったのかを支持者に明確な説明をした移民推進派の論客を見たことがない。
日本に単純労働の担い手として出稼ぎにきた人々が日本で幸福に満ち足りた生活をしているか、
ヘイトスピーチはいけない、差別はいけないというが、移民が差別されなかった地域など聞いたこともない。
文化的不協和が摩擦になり、隣の町の本国人は楽しく暮らしているさまを毎日見せつけられたら不満を抱くのも当然だ。
結局のところ移民推進派は、机上の空論で指標の数字を操るゲームをしているだけだ。
現実とゲームの区別がつかないとは、移民推進派の主張に貼られるべきレッテルだと思う。
同時に、育児検定も発足させる。免許ではない。あくまで検定だ。
日本語検定を持っていなくても日本語を自由に(当然責任をもって)使っていいように
親になるのは勝手だが、親としての資質を他者に証明できるシステムがあっていい。
これは明らかに性差別だと思うのだが、にも関わらず育児の適性についての明確な指標がない。
教育論はまちまちだが、「栄養の偏りのない食事を提供する」「子供との触れあう時間をもつ」「子供の健康に気を配る」など
常識となっていて議論もされていない部分を明確にすることには意味があるだろう。
・アレルギーをいまだに甘えと認識している不勉強な人間を排除することができる。
・地域で放置子の問題が発生した時に対処にかかる時間が短縮される。
・周囲の無理解から産後うつや育児ノイローゼに陥る危険性が減る。
など、妊婦や新生児の母への協力を促すことが見込まれるので育児放棄の減少が期待できる。
また「妊婦様」などと言われる、過剰な権利や優遇を主張するモンスターペアレント予備軍の減少も副次的な効果として期待したい。
一級以上の検定所有者は
「規定以上の割合で検定所有者を雇用している企業の法人税減免」などはワークライフバランスを見つめなおすきっかけになるだろう。
とは言ってもネグレクトまではいかない。超手抜きの最低限の炊事、洗濯、掃除はしていた。
自分が幼稚園の頃から共働きで、両親ともに帰りは夜中。自分が家を出るまで、平日の夜は3つ上の兄と二人だけで過ごすのが普通。寝ろ、という大人がいないので、小さい時から24時くらいまで起きているのが普通。11PMとかよく見てた。
料理は超適当で、白飯、インスタント味噌汁(あさげとかそんな高級なやつではなく10個入り100円とかの不味いやつ)、何かを炒めたものに醤油をぶっかけたやつ、が定番。白飯の炊き方は昔ながらの、適当に米を入れて研いで手を置いて手首まで水を入れるやり方だったので、固かったりビショビショだったりでまともに炊けたことがほぼない。しかも1升くらい炊いて4、5日もたすから後半はご飯が黄色くさらに不味く臭くなってる。
食材の管理も適当だったので、何度も食中毒で救急病院に行った。その時に車の中で父親が苦悶する自分に対して「吐いて車汚すなよ」と言ったことは今でも良く覚えている。中3の時に体育の授業で骨折した時は心配するより先に「大事な時期に何やってるんだ!」とまず怒られた。子供の生育には興味のない親だったが、中学に上がってからは通知表の数字にだけは関心があったらしい。
部屋掃除は月に1度あるかないか。風呂、トイレ掃除は年に数回。洗濯は最終的に自分の分は自分でするようになった。
「風呂入れ」と言われるのが週に1回くらいだったので、風呂入っていいのは週1(それ以上は贅沢)と思っていた。普通毎日入ると知ったのは中学生になってからだ。だから下着も大抵1週間は替えなかった。
親は学校行事にはほぼ参加しない。運動会だけはさすがに来ないと世間体が悪いのか、一応11時くらいに来て、会場から遠く離れた誰もいないところに陣取る。当然見てなどいない。一応カメラは持ってくる。フィルムは入ってないけど。
どこかに遊びに連れて行ってもらったことはない。せいぜいあるのは祖父母の家だけで、しかも着いてから特に何のイベントもないので、とにかく暇だった記憶しかない。人生で最初の遊園地は、高校の修学旅行で行ったディズニーランドだ。
そんな家庭だったので、家には帰らず友達の家に入り浸っていた。おそらく友達の親も可哀想な家庭の子と思っていたのか、良くご飯をご馳走してくれた。悪い仲間もいたが、成績優秀なアニオタ仲間もいた。最終的に、アニオタ仲間といたほうが面白かったので、悪い仲間とは遊ばなくなりひどいグレ方をせずには済んだ。そのアニオタ仲間と同じ学校に行きたくて勉強を頑張り、高校、大学はアニオタ仲間と同じ進学校に進むことができた。
前向きに楽しく生きることを教えてくれたのは間違いなくそのアニオタ仲間だ。そいつらに会わなかったら、今自分はクソみたいな人生を送っていたか、とっくに自殺してたと思う。
自分が大学生だったある時、母親が電話で子育てに悩む友達の相談に乗っているらしき会話を聞いた。「子供はほっとくのが一番なのよ〜」と得意げに語っていた。さも、こうして私は子育てに成功したと言わんばかりに。
違う、それは違う、今の自分があるのはあなたの功績じゃない、あなたは何もわかっていない。
ひどく腹が立った。
高嶋ちさ子さんの子供たちも、子育てに関して得意げにツイートしたり新聞に寄稿したりしている自分の親に対して今そう思っているんじゃないかなと思い、自分の過去をなんか思い出したので記念カキコ。
パーティの方が合う人がいるかどうかはわからんけど、お見合いはそもそも「第三者がピックアップした候補者」にしか会わないだろ原理的に。
第三者が選んだ時点で君の要望に合う人間はまずいないと思う。パーティは誰か(常識的な感覚を持った)他者のセレクションが入らないから、まだ可能性があると思う。
ただそもそも増田の感性は相当特殊なので、社会全体で見ても考え方が合う人間はめったにいないと思う。
風俗とかやってる女と月給いくらで契約して仕事として夫婦をやる、とかの方がまだ可能性高そう。何十年も持続させるのは困難な気はするけど。
ああでももしかして子供も必要なのか?子供は無理だろ〜君の感性で子育てするのは相当厳しそう。相手もそこまで献身するモチベーション保てないだろうし。月給100万とかにすればいけるかなあ。でもストレスが溜まって発散するために育児放棄とかしそう。
子育ては基本君が全部やる、とかだったらいけるかも。
ここさけとやらを全然知らないんだが
いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
これが「奇跡的」なの?
と言うから小学生くらいなのか?と思ったけど、調べたら高校生だよね?
高校生にもなりゃ共働きで当たり前じゃね?例え母親が専業主婦だったとしても、子供を置いて出掛けたりする事もあるよね?
それでいちいち「びくりと身構える」とか「胸が張り裂ける」とか大げさすぎでは?
増田んちの母親はずーっと専業主婦で、高校生の子供を一人で留守番なんて絶対にさせないザマス!とかいう人だったの?そっちの方が異常では?つーかマザコン??
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
転勤族が子供幼いうちから一軒家なんて買うかよ。いつ転勤になる=引っ越すか分からんのに。
新興住宅地に住む=転勤族・新参者、という発想って事は、そうでなければ親の家に同居するはずとか思ってんの?どんだけ田舎?
母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
いやだから高校生にもなりゃ母親働いてて当然だっつーの。金持ちばかりの高級住宅地ってならともかく普通の住宅地だろ?
そもそもそんな濃い近所づきあいなんてのも新興住宅地では存在しねえっつの。どんだけ田舎?
えっいかにも「心に一物抱えてる子供です」的説明に見えるけど?
そんな子供は中二入ってる思春期ならごくありがちだから何だかんだで平凡だ、ってなら分かるけど、そういう意味で平凡つってる訳じゃなさそうだし。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
むしろ(「父親」側である)製作者&視聴者の「普段子供にあまり関われてないけど子供は自分の影響受けていて欲しいなあ」と言うドリームを反映した、
家族モノとしてはごくごくありがちで手垢の付いた設定だと思うけど。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
離婚した女は再婚して男に頼ったり育児放棄するのが当たり前でそうしないのが特別だと思ってるの?どんだけDQN?
全体的に、ホラーでもないしありがちにしか見えないなあ、と思ったんだが
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
感受性高い高校生とかならともかく、父親になるような年齢でその精神力って幼稚過ぎるんじゃない?
と思ったが父親なのに友人と連れだって映画行くって辺り、若くて父親の自覚なくて奥さんと子供放置で独身時代と同じように友人と遊んでるみたいな父親か?
やっぱり、どんだけDQN?