「管理」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 管理とは

2022-07-21

はてなは、匿名性を活かした自由表現可能となる場として、はてな匿名ダイアリーをご利用いただきたいと考えております普段お使いいただいているアカウントで書くものから離れた文章や、いつもとは違う筆致の文章などの投稿匿名ならではの問題提起など、匿名性を楽しめるような形でご利用ください。

夫が私の小説Kindle出版した顛末

趣味で書いてた小説、なろうやカクヨムでも特に人気でないし、

産後うつでやる気なくなり、未完成のまま放置してた

唯一のファンである夫が、そんな私を見かねて

勝手Kindle出版していい?と聞いてきた。

どうぞどうぞこちらはやる気もないし、お小遣いにでもなれば十分というと

校正編集をしていつのまにかKindle出版してた。

著者名は私(の筆名)だった。

最初は月に500円とかそんなもんだったけど、

気付いたら月に5千〜1万ほどになってるらしい。

なってるらしい、というのは全て夫に丸投げてるので

私はお金管理をしていないのだ。

年7, 8万くらいにはなってるのでさぞ夫はいい小遣いになったろうと思ったら、

なんと毎月の売上は私名義の証券口座(これも勝手につくってた)で投信を買ってるらしい。

現在、40万程度にはなってるそう。すごい!

なんで自分の懐に入れないの?と聞いたら、

まず小説の売上の数字を毎月見るのが面白い

それを投信に突っ込んだら、その数字

毎日変動するのが面白い、という

ただのロギングおたくだった。

anond:20220720101306

自分は、急な出費のためにそれなりにキャッシングすることがあるけど、

あとからちゃんと返しているので、今のところ問題ない。

利息分損はしているのだけど、急な出費が必要だったのだからしょうがないという考えだ。

 

から、たとえ借金をしたとしても、返済プランがしっかりしててちゃんとそれを遂行できるなら問題ないと、私は思う。

 

でも彼氏問題借金したことじゃないよね。

借金抵抗感がありすぎて、元増田問題のありどころを見誤っていると思う。

キャッシングを気軽に使ったことではなく、返済を忘れていたことが問題根本

金の管理適当だということだから。 

この先も、気が付いたら光熱費振込わすれてて止まっただとか、

必要な金をその場の勢いで飲みにつかったとか、するかもしれない。

 

現在彼氏が、そこんとこどうなのか、確認するのがいいと思う。

それか、自分適当人間だと言う自覚がある男の人だと、自分から積極的に妻に財布を握らせてくることがあるよね。本当に給料袋をポンと全部渡して、自ら小遣い制度を導入してくる。彼氏がそうかどうか。

anond:20220720101306

やっほー、消費者金融有名どころ全部借金してクレカも限度額リボ払い無双しまくって遂に債務整理した女だよ

奨学金地元のやつ滞納しまくり、日本学生支援機構のは頑張って半額とか遅延措置とかで切り抜けてる

ちなみに同棲しています彼氏は気づいていない、というか私に興味がない

財布は別だしお互いの貯金額も知らない、世帯が別だから国の緊急支援金とかも限界まで使ってる

色んな書類が届くしクレカ持ってないから気づいてないわけではないだろうとは思うけど、全く関与してこない

いつか本当に結婚するとなったら言おうかなって感じ

本題のどうしてこうなっちゃうの?って部分だけど、私は幼少期めちゃくちゃ裕福だったのに零落して食べるのにも困った家庭で育った

家計管理してた母は生活レベルを落とせなかったから、ありとあらゆるものから借りてた

父はギャンブルに狂ってたか家中お金パチンコに費やした

お金はあるだけ使うのが当たり前だった、大学進学も特待生だったけど奨学金申し込んで生活費として家に入れるのをお願いされた

マネーリテラシーが壊滅的にないんだ

大学生の時にバイト代が足りなくて遊ぶお金が欲しくてアコムに申し込んだ

他の人も言ってたけど借り入れ可能残高が自分の使えるお金の残高と勘違いちゃうんだよね

借りては最低限返し、また借りての繰り返し

社会人になってクレカ使いだして、クレカの残高も自分の使えるお金感覚になって、でも引き落とされる額はすごいことになるから毎月楽をしたくてリボを設定してた

病んで傷病手当申し込んで支給されるまでの2か月でクレカキャッシングに手を出した

大手有名企業だったからみんな喜んでお金を貸してくれた

自転車操業だなって気づいたのが2年前、債務整理で利子はチャラにしてもらって細々返してる

クレカとかも弁護士さんにすべて渡したからなにも借りれない、デビットカードごまかしてる

でも相変わらずd払い限度額MAXまで使ってるし、ZOZOの後払いとか死ぬほど滞納してる

私は多分馬鹿なんだ、なおらないよこれは一生、お金に対する倫理観がズレてるんだもん

恥ずかしいことだって自覚してるから誰にも言ったことないよ、お金に対してだらしないのは私が一番知ってる

身近な両親がそんな人間で、そんな家庭で育ったらまともな感覚身に着けるのも無理だよ

さなころからお金翻弄される人生で、今も振り回されてる、この先もきっとそう

宝くじが当たったら一発解決だと思う反面、3億なんて2週間で溶かす自信がある

彼氏さんも多分治らないよ、解像度が上がる手助けになれば幸いです

anond:20220720101306

まともに管理できる人なら使ってもおかしくない

時間外引き出しの手数料より、キャッシング利息の方が安い場合

リボ一回で利息つかないのにポイントたんまり場合

とか、使い所はあるしな。

めんどくさいから、年収増えた今ではやってないけど

anond:20220719003922

それってプロセス管理の結果だけなのか、揚げ油や粉に添加物が入っているのか、揚げ油の精製度が上がっているためなのか、原因が判明しないと喜べない。食感の良いプラスチッキー食物ってあるでしょ。

anond:20220721091026

低・無リスクで小銭が得られるが管理を怠ると怪我する系の小遣い稼ぎは、以前はやってたけど最近はご無沙汰だな

規約を読込んで基準を満たしてるか確認しつつ作業するってのは判断コスト心理的負担もそれなりにかかるし、コロナワクチン副反応で何回も寝込んでからはいつ頭が働かなくなって何もできなくなるか分からんという恐れが強くなってしまった

anond:20220720101306

自己管理できる場合バランスシート拡大を狙える。どちらにせよ利息がデカすぎてストレスがエグいが

2022-07-20

anond:20220720101306

うちの父親と妹は気軽に使って延滞しまくるタイプ、俺と母親は毛嫌いしてるタイプで常に言い争いになる

借金に苦しめられた立場からすると、そこら辺の性格の不一致って金遣いの荒さとか無計画性にもつながるからさっさと別れた方か良いと思うよ

相手の人、どうせ予算計画や出納管理もしてないでしょ?

anond:20220719173639

うちの奥さんSIerから学習塾社員を経て看護師さんになったのだけれど、確かにそれぞれの職業文化も求められる特性も違う感じはする。

ただ、看護学校時代からいままで泣いてるのは見たことがないし、周りで泣いてる人がいるという話も特に聞かない。

勤務先の病院も規模や科で雰囲気が色々と違うようで、NICU新生児集中治療管理室)にいた頃はちょっとしたミスでも命取りになるので諸々のチェックや確認も厳密にしてシステマチックにきびきびやってたけど、転居に伴い地域の中規模病院成人病棟に移ったら結構まったりした感じになった。

時間的にも気持ち的にも随分余裕が出てきたらしくシフトの空いてる日は有料老人ホーム看護師アルバイトもしてる。

と、いうことで、まずは「精神的に追い込まれすぎてどこに行ってもつらくなる」状態になる前に何度か環境を変えてみるのもよいかもしれない(既に何回か変わっているようだけれど本人の性向として無意識に同じ系統病院を選んでしまっているのかもしれない)。

職場環境に左右される要素が多い(し、他の職種でも同様のケースがあり得る)ので「看護師を辞める」という職種自体の変更は早計であるように思うし、本人としても人生における失敗体験としてその後の人生で「できるやつ」に戻れない瑕になりそうな気はする。

もし勉強等が得意なのであれば一定の実務経験必要になるけど特定看護師を目指すという手もある。

すごくメリットがあるとは言い難いのだけれど、看護師の中では分かりやす差別化できる部分だし、それなりに長い研修期間なので転職理由にもし易い。

なお、話を読み返してみると本人は看護師に前向きかつ「泣くのは職場として当たり前」と考えていて増田がそれに過剰反応してしまっている可能性もある。

anond:20220720075439

そもそもまともな宗教破滅するほどの高額献金要求しません。

破滅するほどの高額献金が起きている事情心神耗弱が起きているとみなして、成年被後見人の条件に破滅するほどの高額献金を加えて裁判判断したらいいだけのこと。

裁判から証拠必要だ。しか山上みたいなケースでは立証は容易だろうし、実際山上母の献金を一切無効化して、伯父が山上家の財産管理していたら起きなかった殺傷事件だろう。

anond:20220720072020

金融の届け出しなきゃいけなくなる上に管理コストが増大するから割に合わないだろうな

基本的マッチングアプリ側は起きた問題へ対して自己責任だと逃げたいだろうし

2022-07-19

統一教会に対する法整備必要性

僕は消極的野党支持者で、固定支持政党を持たず立憲、共産国民にそのときそのとき投票している。自民党はもう少し議席を減らしてバランスを取ってほしいと考えるからだ。とはいえ安倍元首相殺害されたのはとても遺憾であり、犯行はどんな理由があろうと同情も支持もしない。

なお、法律専門家ではないので嘘を書いている可能性がある。

事件以来、インターネット上では統一教会批判一色だが、僕は自分の態度を決めかねている。もちろん感覚的には理解できて、政府カルトが食い込んでいるのはとても嫌だ。しか統一教会のものを、または自民党との繋がりを確実に断てるだけの法的根拠があるのか?について僕は疑念を持ってしまった。

政教分離原則

まず党と宗教団体の繋がりについて。

公然の秘密として、自民党公明党特定宗教団体懇意にしているが、これを排除することはできるだろうか。「政教分離原則」を考えてみることにする。

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。

② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。

政教分離憲法20条で定められていて、今回のケースでは

“国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。”

この解釈が争点になるはずだ。

広義に捉えると、政治家政党宗教団体が介入すること自体が「政治上権力行使」と捉えることができ、

自民公明両党(もしかすると他の政党も)は違憲ということになる。

狭義には、政教分離国民信教の自由保障するためのものであり、宗教から政治介入グレーゾーンとも言えるようだ。

そのため、狭義解釈では政党宗教団体との繋がりを即座に排除できるものではない。

実際に、公明党幸福実現党はこの解釈エクスキューズとして採用している。

https://www.komei.or.jp/faq/

https://info.hr-party.jp/faq/2492/

狭義・政教分離観点から自民党を追及するには、特定の事案で政府統一教会に肩入れした、特別扱いしたと証明する必要がある。

しかしながら、安倍元総理プライベートに肩入れしていたとしても、これは根拠として弱いのではないだろうか。もし仮に行政での事案が見つかったとすればモリカケ・桜くらいのインパクト自民党に与えることになるだろう。(逆に言えば、誰かが謝罪したり辞任したりで幕切れ、または関係者である元首相がこの世を去ったことで有耶無耶になる程度かもしれない。)

9条の自衛隊解釈を見れば分かるように憲法解釈神学論争に陥りやすいので、白黒つけるには改憲立法裁判所による違憲判決を待つしかなさそうだ。付け加えると、世界に目を向けてみても広義での政教分離を成し遂げている国は米国も含めて殆ど存在しないのではないだろうか。また、仮に内閣全員が統一教会信者でも、それは個人信教の自由であり、やはり排除することはできないだろう。

もう1点、見落としがちな点としては、たとえ組織票だとしても自民党公明党を支持する信者は確かに存在するということだ。宗教団体の支持する政治家がこれによって当選し、(政教分離抵触しない範囲で)宗教に都合の良い政策を行うことは通常の選挙政治プロセスと見分けが付かない。僕は保守的な反LGBT政策には反対の立場だが、それを是とする宗教政党が支持され、議席を持つことは民意であり否定することはできない。これは反ワクチンを掲げる参政党についても同じことが言える。必要なのは支持層への関心と対話であり、一足飛ばし政治家政策キャンセルすることはできないのではないだろうか。

カルト規制

次に、統一教会のものカルトとして断罪することはできるか考えてみる。

いくつかの記事では、オウム真理教同様に統一教会宗教法人格を剥奪するという話が出ていたようだ。もちろんこれができれば良いが、その基準法的根拠は何になるのだろうか?(間違っていたら申し訳ないが)僕の知る限り、カルト定義日本法律では存在しないように見受けられる。オウム真理教のようにテロ国家転覆殺人計画・実行した組織なら公安による監視・取り締まり対象だろう。しかし、(詐欺人身売買などで立件できるならともかく)悪質な宗教団体、というだけでは警察公安も動けないのが現状ではないだろうか。

やまとQ(正しい漢字を調べるのも面倒だったので割愛)は取り締まりの動きが早かったが、これは医療施設への妨害行為が原因と考えられるので、やはりサボタージュなどで教団外の社会一般人に対する直接被害の有無が分水嶺と見て間違いなさそうだ。また、オウム真理教の関連組織であるアレフ宗教法人認定されていないが、その後も活動を続けていることから銀の弾丸にならない可能性があることにも注意したい。

公安警察による取り締まりしろ宗教法人認定厳格化しろ、(意外なことだが)国による宗教の選別となり、政教分離的には後退にあたると考えられる。立法によるカルト定義明確化なしでは国による恣意的運用を許すことにもなる。

まとめ

僕の意見としてはフランスのように反セクト法相当の立法をしてカルト定義明確化し、宗教法人格の管理罰則化は必要だと思うし、これを欠いて恣意的宗教規制するのは法治主義とは言えないはずだ。それに加えて累進的な宗教課税検討すべきときが来ていると思う。さらに僕なりの結論としては、現行の法体制統一教会感情論以上の追及は難しく、居直って自民党との関係公然のものとし、公明党と同様のスタンスを取り始めたら手が出せない可能性がある。法整備が急務である

自民党支持者へ

自民党統一教会の繋がりを良しとする人。あなたは今後も自民党投票し続ける自由がある。

それはあなた権利だし、法根拠なく自民党統一教会を止められるものでもない。

一方で自民党支持者で統一教会を良しとしない人。もし良ければ次の選挙だけでも野党投票してくれないだろうか。

自民公明ともに宗教との関わりが深い政党のため、外圧なしには自浄作用を働かせるのは難しいだろう。

知り合いのリアルネトウヨの今

先日久しぶりに大学の同期と連絡をとりあって同窓で集まるかという話をしていた。

まあ最初コロナどうだったよとか近況とかなんとか他愛のない話をして。

で、例の安倍晋三銃撃事件の話になったのだが向こうが一気にトーンダウンした。

理由はまあ、わかる。彼はネトウヨなのだ

前提として彼とはツイッター相互フォローの間柄にある。リアルでは滅多に会わないが、

まりSNS活動に熱心でない自分も、たまに青いアイコンタップするとツイ廃ぎみの彼のつぶやきが見れるわけだ。

基本的趣味カメラと酒の話なのだが、ともすると

「"かの"国に配慮する必要あるかよwww

「嫌っているのは向こう。日本がいやなら出ていけ」

不法滞在してたくせにこれ以上管理局の責任を問うとか外人はこれだから嫌だ」

夫婦別姓には反対。守れるものも守れない」

「アベガーーwwww」

フェミwwwww」

「B○Sとかよくあん反日音楽聴けるな」

などの絵に描いたような主張を時折発信していた。

リアルの知り合いがフォロワーにいるのによく言うなあ)がこっちの感想だが、

ツイッター議論など成り立たないし放置してた。

で、冒頭に戻るが、彼が言うには

統一教会への非難の声で溢れかえっているけどあれでは却って日本宗教弾圧している国として非難されてしまう」

だそうである

え〜〜?キミ普段から出羽守www』とか『日本無宗教なんで』とか『XXは国へ帰れ』言うてましたやん。

突然何に目覚めたんすか。

いやまあ、いいよ。「広い意味での宗教弾圧」をしてはならないことに間違いはない、と思いちょっと乗ってみた。(以下会話は意訳な)

私「そうだね。宗教弾圧はあってはならないね信仰自由憲法保障されている。けれど統一教会カルトだよ」

彼「いや、カルトって何の定義?」

私「難しいなあ。監視対象であるオウム真理教なんかわかりやすくない?」

彼「統一教会オウムみたいに国家を狙ったテロをしていない!」

え〜…そういう理論なの?

なんか右派とかその辺の仲間うちで流行ってるの??その理論

私「オウムは確かに国家転覆を狙っていたけど実行したのは一般市民への攻撃だったやん?統一だって一般市民の家庭を壊し命を奪っているよね」

彼「それでも宗教弾圧なんて日本が恥ずかしいよ!」

ここで私は彼が統一教会信者なのでは?と一瞬疑った。問題本質理解してなさすぎだからだ。そうでないとこの理論意味がわからない。

誰も「ありとあらゆる宗教を追い出せ」とか「統一教会を潰せ」とは言うてないのだから

が、彼が破産寸前とか一家離散したとかは伝え聞いてはいない。

ならばやはり理解していないだけか。

私「宗教弾圧という流れにはならないよ大丈夫だよ。統一教会のものは残ると思うよ。それより為政者詐欺まがいの団体と手を切れるいい機会なんじゃないかな。今こそ日本が良くなるチャンスだよ」

彼「大体、事件操作警察がやっているんだ。一般人が口出すことじゃないよ」

表現の自由展やら管理局の問題に散々口出してたやないかい!)と思ったのだが、これ以上突っ込むと彼の神経を逆撫でさせそうだからゆっくり話題を閉じて、学生時代に貸しあってた漫画の話とかに切り替えつつ電話も切った。

感染者増えてるから飲み会は無しだな〜と思いながら。

なお、安倍元首相襲撃直後の彼のツイート

「どんな団体が手を引いているのか必ず暴くべし!決して許さない!」

だった。

整合性はどうなっているんだ整合性仕事しろ、とは言えなかった。

嘘のような話だけど、マジな話。リアルの知り合いだと困っちゃうね。

※なんでもかんでもレッテル貼ってネトウヨと称するのもナニだけど、まあここでは便利なのでそう言わせてくれ。

零細企業Webサイト運営ってみんなどうやってるんだろう

弊社は社内ではパソコンそこそこ詳しいワイが一人でやってて、

社長が見つけてきた、「ホームページ作れる君」みたいなソフト売ってる会社サーバー管理メール管理、初期デザインだけはやってくれた。

しか50万ぐらい。

分類がよくわからんけど、CMSって分類のソフトなので追加のページは自分で作る。

自分で作れば追加料金は無し。

既存ページの書き換えも自分でできる。追加料金は無し。

サーバー管理費の名目で年間5万ぐらい払い続けてる。

 

でもソフトが古いのでスマホの表示に対応していないのがまじで致命的。

スマホ対応したいけど、そこの会社から出てるソフトを買う気にはあんまりならない。

でもじゃあどうすればいいのか、よくわからぼんやりと悩みながら3年が経過している。

 

Google系のサービスに移行したいんだけど、なにをどうやればいいのかわからんし、どこに頼めばいいのかもよく分からん

anond:20220719112300

いうてアメリカいたときもそこそこおじちゃんプログラマ結構おったで

誰もがネクストステージに上がれるわけでもないし、プログラム自体好きな人も少なくないしな

 

俺の親父も34歳で会社から課長に上がってプログラムよりもプログラマ管理する立場に回れって言われて

その職場辞めてフリーランスプログラマになって家建てて俺と弟を大学出して

今68だけど今でもプログラマとして仕事してる

みんなWebサイトリンクってどこに保存してるの

ふと思い立ってChromeお気に入り確認したらどこも死んだサイトばかりだった。

そういうのが良いんだ、と思い出に浸るつもりはなかったので掃除していった。

そういえば久しく「お気に入り機能を使っていない。PCスマホもタブが開きっぱなしだ。ブックマークバーはちょこちょこ使うかもしれない。

でも(コメント目的でない)はてなブックマークもするし、GoogleKeepみもちょっとしたリンク集があるな。

そういえばpocketアカウントを持っていたことを今思い出した。

ノートアプリは使ってないけど気になってる。notionとかscrapboxとかobsidianとか? そこにリンクを貯めても良さそうだ。

みんなWebサイトリンクはどうやって保存・管理してるんだ? 手段が多すぎないか

2022-07-18

いつだっけはてブ統一協会ブクマ多かった時期あったよね

思い出そうとして過去ブクマ見てるがタグ管理してないから遡れない😹

家族浪費癖を阻止する方法はないのか

浪費する家族から財産処分管理権を剥奪して弁護士などの代理人が代わりに執行する制度はないものか。

現行の成年後見制度認知症などで判断能力がなく、法律行為ができない場合にの限定されており、単なる浪費では個人自由とみなされて利用できない。

成年被後見人まで行くと職業制限も出てくるし一旦契約してしまったら死ぬまで続くし、利用するにはハードルが高すぎる。

昔は禁治産者という制度があって浪費者の財産管理権を家族が奪って家族が代行して本人の財産処分管理を行うことができた。

そういうのが十分に機能していれば今回のような事件は防げたのではないか

しかしこれが行き過ぎると近代法原則である自己責任契約自由私的自治自由競争」が根底から崩れてしまう。

個人選択国家によってどこまで統制され保護されるべきなのか。

心神喪失者でなくとも普通判断力を持つ健常者であっても、

消費者契約法などで契約を取り消しできるように保護されている。

anond:20220718201634

それから高額献金をどう止めさせるかだな。とくに子供がいる場合

今回の件も山上母を成年被後見人にしちゃって、山上伯父が財産管理して山上を育てたら起きなかった。

Apple写真管理が気に入らない

Macも好きなので、iPhoneMacは持っていて、iCloudでの写真同期なんかは消える心配も少なくてある程度までは気に入ってた。

でも、量が増えてきたとき問題が出てきた。

mac写真アプリって

「とにかく全部写真ライブラリに入れてね。分類は自動で、日付や場所で縦横にタグづけしておくから、後から探すのは簡単だよ。」

っていう思想の使い方だと個人的には解釈している。

それなのに、iCloudONにすると、写真ライブラリを全て同期しようとする。

しかし、写真ライブラリ全てを受け入れるだけのiCloud容量はない。

結果的に、定期的に写真ライブラリを全て書き出した上で、写真ライブラリ(=iCloud)の内容を消去するという個人的運用になっている。

全て書き出しの時に重複しないように、その都度ほぼ空になるまで削除するからiCloudの良さが活かせない。

iCloudとは部分同期とか、写真ライブラリに残してiCloudからだけ削除するようなオプションがあればいいのに。

当然、iCloudは最大容量まで契約するよな?ってこと??

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

anond:20220718000511

こういう「ポイント制」みたいなギャグのつもりなんだか妄想なんだか分からない発想はどこからまれるのか疑問に思ってきたのだが、統一協会だかどっかの極右カルトだかの中では本当にこういうポイント管理やってたりするんじゃないの?

結局「反日的外国勢力の影響下にある」のも自分達のことだったしな。

自民党応援する」でも「自民党政策を支持する」でもなく、とにかく極右政治家批判するアカウント逆張りで絡むだけの(政策に大きな転換があったわけでもないのに中道っぽい岸田には厳しい)匿名アカウントがうじゃうじゃ出てくる理由って、それ以外に想像できます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん