はてなキーワード: 石田とは
応援してくれた人にアポを取ったはいいもののふわふわした話しかできず、
いきなり金を借りようにも断られ、
失礼を働いた代償でかそのやりとりを公開され、
口だけでまともに働いてないように見えるからと泊めてもらっていた家を追い出され、
既に道化として消費されるしかないみたいな状態で地獄の様相を呈している。
ここで気になるのはもしも彼がFランではない上位大学にいたならば果たして「レールに乗った人生に嫌気がさした」
と言い出すかどうかということ。
かっこいいから最年少上場をしたいという彼がかっこいいと感じるであろう上位大学卒の肩書きを捨てるのかどうか。
もちろん彼からしたらそんなものは関係ない、捨てるに決まっていると言わざるを得ないだろうが、
会社の登記も難しくてできないと放言し恥じ入ることもしてない等
既に相当の馬鹿を露呈してしまっているので残念ながら説得力が全くない。
(というかこんな馬鹿が上位大学に入れるわけがないという至極当たり前のツッコミはこの際容赦願いたい)
まともに卒業しても就職を全く期待できないFラン大学という崖から海へダイブ一直線のレールに乗っていたからこそ
彼なりにどうにかしないといけないと焦ったし捨てることに危機感も未練もなかったんだろう。
炎上した当初は「八木氏にそそのかされて大変なことをやらかした奴がいる」という印象があったけど、
実際のところ、捨てたものはそもそも大したものではなかったんだろうなと今になってようやく気付く。
ミュージシャンになるとか芸人になるとかモデルになるとかよくわからない自分探しをやるとかで中退していく奴なんかFラン大学なら掃いて捨てるほどいるしね。
身近にアルファブロガーアワード受賞者がいるが、飲み会の席で聞いた話。
ブログは基本無料で儲からないけど、そこで得た知名度で講演に呼ばれた場合は講演料が発生する程度
と言っていたので
http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000
なんなんだこいつは
本当に見ててイライラする。
炎上商法とわかっていても
ついつい反応してしまう。
考えが幼稚すぎる。(まあ18歳だからしょうがないのかもしれないが)
みたいだが、そんな事やってるやつに将来は無い。
とっとと消えてほしい。
観終わった最初の感想は、漫画『聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。
まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画を馬鹿にするといった内容ではない。
映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、
そのせいで映画『聲の形』(以下、映画)しか漫画『聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、
そしてこの世で漫画『聲の形』が漫画『聲の形』という作品でしか伝えられなかった、他のラブストーリーや青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。
この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、
本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品『聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。
これはステマではない。
なお漫画のネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。
これはステマではない(繰り返し)。
そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。
単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット、再構成されている。
その点だけでも漫画と映画は全くの別物と言っても差し支えない。
しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。
要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。
つまり、私が問題にしているということはその再構成で漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。
制作スタッフは映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。
分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、
生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、
この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。
漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。
主人公・石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズの描写がされており、
小学生時代の石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラスの手のひら返しにも憤慨するだろう。
映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、
石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ちが映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。
漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快ないじめや生々しい描写で刺激しつつ、
当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、
というのが最初の石田と西宮の出会いで、だからこそいじめた本人である自分が友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。
つまり、最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田の心理描写を読者に刷り込ませるためには、
石田の所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ。
それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。
作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、
と判断され軽減・外した、というのが制作スタッフが再構成で行ったことだ。
ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。
そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニの作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、
映画『聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。
でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、
その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。
帰ってレビューに目を通すと、やはり石田の心理描写が把握しきれていなかったり、
障碍者としての西宮の葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、
そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。
西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、
石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、
やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である。
聾唖の人たちからの意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為の副作用となっている。
ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。
これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術・創作の完全敗北と言い換えてもいい。
とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすいコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。
それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。
家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。
一体、映画を見た人の何割が石田と自分を重ねることができたのだろうか。
嫌な汗はかくことができただろうか。
漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田が自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、
前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮の友達になるというスタートで物語が始まる。
石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。
この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分が過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識に石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。
今風にいうと黒歴史を人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。
過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。
それをやらなかった映画が石田に対する感情移入がバラバラなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまったからだ。
普通、そこまで思い返すほどのトラウマや黒歴史を持つ人間は少ないので、
その場合は石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。
そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまりは黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、
どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去と石田・あなたはどう向き合っていけばいいのか。
石田が黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、
最初は不快感を感じていたはずの石田・自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田を応援しだす。
けれどこれからの西宮・未来は泣かせないように行動することができる。
過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。
ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。
漫画では西宮の家庭環境や小学校の教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、
この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。
その最後の結末が、読者のこれからの背中を押す形で終わっている。
生き続ける石田と現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。
そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。
他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、
それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。
「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品の面白さでもある。
◆
『聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。
本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。
消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、
一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ。
そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。
読んでいる人間が石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ。
大ヒットをしている。
そう、思った。
映画館で聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。
ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…
公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので
見るかどうか迷ってる人に向けて
ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので
正直予想を遥かに超える良い作品でした
キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて
一般的に物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが
このような加害者と被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正面から
まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました
原作はシナリオに大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています
この話は、もし小説だったなら学校の図書室に置いてありそうな話です
もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし
物語は主人公の石田将也が自殺を図る意味深なシーンから始まり、
どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。
障害を持った児童が普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。
やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます。
石田も、何を考えているかわからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり
途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。
しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます。
それどころか、今度は仲の良かったクラスメイトが石田をいじめのターゲットとするようになります。
その石田に、いじめられていた西宮だけが優しくしようとします。
しかしその行為が理解できず、石田はさらに西宮に辛くあたるのでした。
石田は小6から高3まで「いじめっ子だから近づかない方がいい」という理由でいじめられます。
それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定と人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。
人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。
そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。
要点
疑問
最初は石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます
すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます
「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」
そんな感情はラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです
このモヤモヤ感は是非味わってほしいです
その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程が面白いです
小学校時代の西宮登場前と後、高校時代の西宮登場前と後と、フェーズが多く
その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています
周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです
西宮と他の者、石田と他の者の距離感が一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います
バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります
でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね
永束くん
ちなみにポリティカルコレクトネスの話ではない。
その話はもうポティカルにコレクトな人たちだけで勝手にやっててほしい。
あらゆる現実と人間の欲望が中立でない以上、それらを反映した娯楽作品が中立であるはずがない。
以上
まあ、その筋の話はどうでもよくて、映画として単純につまらないとかいう主張をちらほらみかける。
それがつらい。
いいたいのは以上です。
(ネタバレ?)
以下は、本当にどうでもいいんだけど、俺は原作がすごく好き。
映画を見終わったあと、家に帰って原作を3回読み返して「ええ話や・・・」って浸るくらいには好き。
でも確かに映画版は、?ってなることがあった。
セリフやシーンがいちいち削られてたりとか、結局何がしかたかったのかわからんとか。
でもしょうがないよね。7巻もある原作を2時間でおさめたらそうなるよね。
でもだからこそ残念でならない。
あそこは削っちゃいけなかった。
あのメンバーがなんで橋に集まったかって表向きは映画を撮るためだ。
それが橋での1件があって、花火大会でのくだりもあって、グダグダになったのを
硝子が!硝子がもう1度映画を作ろうっていったのが重要なターニングポイントだったはずだ。
それが一緒に文化祭回って仲良しこよしじゃあんまりすぎる・・・。
つらい。
でも希望はある。
テレビアニメ化だ。
靴の内底に名前を書いてたら笑われたんだけどさ
靴って見分けがつかないというか、違いがあるのはわかるんだけど、どれが自分のだったかわからなくなっちゃうんだよね
この形いいなあと思うのと、この形は自分の、この形じゃないやつは他人の、みたいな区別がつかないというか
靴に限らず、たとえば、顔でもそう
とくに意識しなければ自分の顔は鏡に映るあのぶさいくな顔なのだけど
映画を見たりすると、自分の顔は長谷川博己になったり、瀧くんになったり、石田ショーヤになったりしてしまう
あるいは自分の顔は、大杉蓮だと思ったり、てっしーだと思ったり、永束くんだと思ったり、してしまう
もしかしたら、石原さとみや宮水三葉や川井みきの顔が鏡に映ったとしたら、
入れ替わりを疑ったりすることなく、それがもともと自分の顔だったと思い込んでしまうような気がする
相貌失認、おそろしいおそろしい
AAA 植野(高校生になっても反省してないド屑 エロいのでエロマンガでひどい目にあってほしい)
AA+石田(高校生になっても感情的になって友達に酷いことを言うゴミクズ 小学校時代のいじめの凶悪さは言うまでもない 金を返したり今かわいいかどうかもわからない女のために手話を覚えるなど評価できる行動もある)
AA 川井(八方美人なので糞ムカつくけどいじめに関しては直接手を下したわけではない)
A 島田(元友達を高校生になってもいじめ続ける陰湿さ 人命救助はして当然なので加点にはならない)
Aー 教師(いい歳した大人なのに子供たちの凶悪ないじめを黙認)
ーーサイコパスの壁ーー
BB+ 島田じゃないほうのデブ(友達を裏切るのは論外だが島田ほど積極的にいじめていたわけではないように思える)
BB 西宮(全体を通して概ね被害者の立場であるが、自殺の件は擁護できない)西宮母(結果論だが娘の為を思うなら西宮を適切な学校に入れるべきだったのでは?石田母のピアスを引きちぎったり再会した主人公を突然殴るバイオレンスさはなかなか) 石田のチャリを盗んだやつ(借りパクは立派な窃盗である。高校生にもなって校内で恐喝。チクられる可能性は頭になかったのだろうか)
B 真柴(よく知りもしない小学生のときのいざこざに感情的になる屑 もっと友達を信じよう)結弦(姉を思っての行動とはいえ主人公を1週間の自宅謹慎に追い込む屑 その後謝罪も無し かわいいので許す)
ーークズの壁ーー
CC 佐原(概ね聖人のような振る舞いだがすぐ逃げるのは玉に瑕)
C 石田母(全体を通して完全な被害者である このような母親からなぜ石田のようなクズが生まれたのか 悪いことといえば金を燃やしたくらいだが事故なのでノーカウント)
D うんこ頭(なぜこんないいやつに石田のような友達しかいないのか理解に苦しむ 空気読めないところはあるかもしれないがマジで良い奴)
*観に行った当日に書いたものです。極力他人の感想等を見ない・聞かない努力をしています。
*とはいうものの記憶は薄れてしまっているので、読まれる方の混乱を防ぐためWikipediaなどのによりあらすじ・登場人物名確認を行った上で投稿されたものです。
*自省的なものです。レビューは他のかたの記事をお当たりください。
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映画を見なくて久しい友達が、ハリーポッターくらいしかまともな(?)映画を見たことのない僕に「観に行かへんか」と誘われ数々の選択肢から導かれて「聲の形」を観に行くことになった。
コミック未読の身としては、予告編の限りでは「普通によさそう」だと思い前向きだったが、相方はヒューマンドラマ的すぎて醒めてしまうのではないか、と消極的。結局後々の話題性(新学期の話のネタ)を考慮した結果がこれだったんですが。
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昼過ぎ集合、東宝の某劇場で別の映画を観るも機材のトラブルでサイレントに。7割は観たけど全額返金で謎のオトク感をかみしめ、軽食をとり松竹にうつる。
スクリーンにつく。若い人が多い印象。ぼくらみたいに男だけで来てる集団もかなり多かったような・・・
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主人公・石田が責任を負う形にはなるが、西宮に対するいやがらせは根本的には植野(黒髪の女子)から始まったように描写されている。
そもそもこの「いやがらせ」から「いじめ」への変遷で最も大きなものは、攻撃人数の増加・攻撃者の集団化だと思う。
集団化とは、ときに思わぬ人を巻き込むこと。川井(クリーム色の髪の女子)は集団化の被害者であり西宮への加害者である。
また、極端な描写とはいえ、教師の配慮の無さも事態をエスカレートさせている印象があった。
加害者追及(石田が全責任を負う)の場面は自分の小学生時代の記憶がフラッシュバックした・・・(加害者ではなかった分とても不愉快な記憶)
どれもこれも、人の未熟さゆえの出来事であり、高校生になった今、未だ未熟でありながらも、子どもたちはあの時の集団性を見返すのです。
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なんといっても、主要人物全員が橋の上で集まるシーンがこの作品の中核をなしていると思う。
広義的ないじめ加害者・観測者はすべてあの人物中にカテゴライズできる、と言っても過言ではないかもしれない。
そしてその一人ひとりに対し「主要な」いじめ加害者・石田が吐き捨てる言葉は的確であり、「こんなやつおるよなあ」と感心したくらい。
永束のキャラ性は決して浮きすぎず、むしろ重くなりがちな展開を緩和してくれてありがたい。
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途中に入れようとしたけど入れられない書きたかったところ。
すぐ「ごめんなさい」と伝える傾向にある西宮に対し、怒りを爆発させる植野の心情。
いじめは攻撃のある場にいるだけで参加しているようなものだ、と思う(陳腐ですが)。これを自覚できずただ流されるままの人間にはなりたくない。
たとえ偽善者と言われようと、嫌悪感を抱いたら行動は起こすほうがいい(身の上のためにも)。
島田(金髪男子・遊園地のバイト)はともかく、広瀬はWikipediaみるまで覚えてなかったんですが、なぜ彼らが石田の命を救ったのか。
・永束の扱い
記憶が正しければ劇場においてはいわゆる「正義の味方」役にとどまっていたはず(Wikipediaに載っているようなバックグラウンドは描写されていない)。ただこの一面だけであっても、実に典型的で現実的ないじめの観測者になっている。
・美也子(将也の母)の人物像
綺麗事を並べているわけでもないが、将也をはじめとした多くの人物に一言で影響を与えるとてもいい役をしている。画面にいるだけで安心する(?)。
劇場では厳格で冷たい人物であるように事故前まで描かれていた。館内で配られたSpecialBookでバックグラウンドが補完されている(ことにあとで気づいた)。
・そして、結弦
・石田・西宮が立ち寄った現代美術的モニュメント群は一体・・・?
はじめは金沢美術館あたりかなあと思ったんですが、舞台である岐阜の大垣市は結構名古屋寄り・・・今度調べなければ。
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全体的な感想としては、久々に映画を観るからか、とても楽しめましたし、精神的収穫もありました。
これが「日本映画の典型的なお涙頂戴」とは違う感慨であってほしい・・・
とりあえず自分の思ってたことはかけたので、他の人のレビューを見ていって補完していきたい所存。
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以下オタク雑感。
アニメをみてたのはほんの一時期だったので全話見て知ってるのは俺妹のあやせたんくらいなのですが(すでにうまい)、某動画サイトで異能バトルなる作品での名演が残されています。5分間しゃべりっぱなし・・・
みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想。
・くっついた
新海誠は、恋愛映画は最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。
・人以外の絵が綺麗
彗星とか。ご神体の盆地の外縁からの景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。
上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方は保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。
・手の動き
・主題歌
前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議。
実態に即しているかは不明だがリアリティを感じた。各人物の無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートがあんまりにも面白かったので、特別な事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存の作品を教えて欲しい。
各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。
・ゴジラが怖い
今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路や家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程で作品のリアリティのレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。
石原さとみは別に悪くない。通勤中東京メトロの看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。
・OP
冒頭は石田がカレンダーでカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田と島田と島田じゃないやつの関係性をモンタージュで表現しながら右から左にジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。
・永束
一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使。
・結絃
みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧な仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス。
・取捨選択
この映画は石田が主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者は恋愛ジャンルを標榜していないが、映画はさらにその手の描写をオミットしている。例えば植野の石田に対する感情は原作と変わりないのだが露骨な表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマにフォーカスすることに成功していると思う。恋愛はコミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態にしか過ぎないので。石田や西宮の行動についても、原作では読者が意図を解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプの映画。川井は描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間の映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。
・鯉
パンを食べさせ過ぎて怒られそう。
正式に退学した2016年9月15日に変えなきゃだめなんじゃないの?
まだ学生気分が抜けてない。
追記
※だらしがない
※気持ちの切り替えができてない
ただの何やってもだめな人じゃん
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な、だらしないだろ?
【魚拓】大学中退して起業した居候の石田を家から追い出した理由 - レンタメ
https://megalodon.jp/2016-1003-2120-33/www.yagirenta.net/entry/ishidanohanasi
「40年前ならヒッピー、30年前なら新興宗教、20年前ならマルチ商法、10年前ならバックパッカーやってたような層が2016年にやるのがブログで起業なんだろな」
(confusion8 さん)
石田さん
まだ18年しか生きてないんで、そんな昔のことは知らないです(笑)
わかり手
おっ返しますね。では続いて2番人気
「別のレールに乗っちゃった感があるw」
(a-kawaguchi さん)
石田さん
うーん、僕の前にレールは敷かれてないと思いますね。
http://anond.hatelabo.jp/20160918170303
自分も思い返してみれば、16歳頃進路を決める時(この時期こそが石田君との最大の違いなんだが)
漠然と
そこでまた満員電車乗って競争頑張って、それでもまあ多分社長なんてなれないだろうから、
60歳まで会社にいて、50代くらいになってやっと部長くらいになれても……しれてる人生だよなぁ」
などと考えていると、底知れぬ不安を感じたのを覚えている。
何の事はない。時期の違いこそあれ自分も石田君と大して違わない。
(ちなみにその当時の自分にとって、良い会社の代表として何となくイメージしていたのは「ナショナル」だった。なんと言う世間知らず!
パナソニックの部長が当時の自分にとっては「そこそこ」のオジサンだったのだ)
…で、医者になる事にした。
今から約30年前世間の景気は良く、今ほど医学部人気は高くなかったので、駅弁医学部の偏差値は関西で言えば(医学部を除いた)阪大と京大の間の偏差値くらいだった。
なんとか現役でいわゆる駅弁医学部に入って、留年しない程度に勉強して 卒業して 国試を受けて 医師になった。
勤務医の労働環境はとてもブラックだったが、まぁ何とか体をつぶさない程度に頑張って、そこから開業して、
開業してからも軌道に乗るまで少し苦労したが、おかげさまで小金持ちと呼ばれる程度の生活は送れている。
部下の数や権限の大きさはともかく、自分より給料の高い「ナショナルの部長さん」はいないだろう。
それに開業医と言うのは、人助けの点から見ても経営と言う視点から見ても、とてもやり甲斐のある仕事だ。
ただ、開業医と言うのは事業主であるのは確かだが、医師全体の中では少数派でもなんでもなく
レールに乗っかっている仕事とも言える。
石田君からみて、自分のような人間は「起業が上手くいった成功者」に見えるのか、それとも「レールに乗っかっただけのつまらない小金持ちのオッサン」に見えるのだろうか…?
まぁどっちにせよ今の医学部偏差値は高騰しすぎていて、医師と言う仕事は普通の家の 普通に利口な子供の目指せるものではなくなってしまった。
それはとても残念な事だ。
「4ヶ月で大学を中退し起業します」のブログが気になっていろいろ調べていたら、
宮森はやと氏が大学中退というレールをひいて、そのレールに乗ったのが石田祐希氏だったわけだ。
http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000
なるべく特定を避けてぼやかして書くので分かりづらいかもしれませんが
読んでいただけると幸いです。
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理由は、一生懸命勉強して入ったのに周りのレベルが低すぎたということが主な要因です。
在学中に「このままでは将来何もできないかもしれない」という謎の危機感を感じ
知り合いの伝でベンチャー企業のお手伝いをすることにしました。
だんだん、学校とそこのお手伝いすることの楽しさが反比例してきて
それで大学を辞めて、そのベンチャー企業に住み込みで働くことにしました。
僕もそこそこパソコンが扱えるので、入る時は石田さんのような感じで自信満々だったことを覚えています。
住み込みで働き始めてから、「お前は本当に何にもできないな」と言われどんどんその自信がなくなっていくことを肌で感じ、
寝る間を惜しんで働いてる社員や社長を見て「自分も何かしなければ」と思い、できる仕事はほとんどありませんでしたが一緒に起きて働いていました。
当時は受注をメインでやっていたので、社長がいろいろなつながりを使って案件を拾ってきたりしてくれましたが
ただ、ほぼ全員受注案件の経験が全くなかったので、スムーズにこなせるわけがなく案件は炎上しまくっていました。
自分が悪くないのにただひたすら謝っている社長、ほとんど寝ていなくて働くはずのない頭でプロダクトを作る社員さんを見て
起業しても現実は甘くないんだな(ありきたりな言葉ですが)と強く感じました。
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石田さんは社長や起業に対してある種の夢を抱いてるように見えたのでこのようなエントリを書かせていただきました。
「挑戦する」と言っていますが、それだけだと非常にカッコいいものに見えますが
その挑戦の中身としてはこんな感じに非常に泥臭いものになると思います。
ちなみに僕は先ほど述べた会社で大きな失敗をしてしまって、一時期精神を病んでそのまま退社しました。
今は前に通っていた大学に通いながら、1年くらいで培ったものを活用して就活に生かそうと思っています。
以上です。
続き。
http://www.mangaz.com/book/detail/64101
古き良き正統派ファンタジーマンガ。めちゃくちゃ面白いという感じではないんだけど、
http://www.mangaz.com/book/detail/46191
わりと綺麗にまとまっている。
(主人公にそれをメインにされると腹立つ)
http://www.mangaz.com/book/detail/42281
絵柄にもマッチしててとても良い。
http://www.mangaz.com/book/detail/115741
昔コロコロでやっていた漫画。サンデーにありそうなアクション物。
子供の当時から、コロコロなのに絵がめちゃ上手いなーと感心していた。(今も上手い)
今見るとかなり展開が早いけどテンポいいな。打ち切りくさいけど。
http://www.mangaz.com/book/detail/93451
ウワアアアア懐かしい!!この!!ゾウみたいな!!脚!!!!
今見てもクッソヘタだけどなんか好きかわいい。
なんかお勧めあったら教えてください。
http://www.mangaz.com/book/detail/44121
2巻辺りの閉塞感と恐怖が好き。
http://www.mangaz.com/book/detail/74741
ヒロイックファンタジー。主人公のエルナは正統派だけどイヤミなく応援できる。
http://www.mangaz.com/book/detail/120651
閉塞した村での麻雀対決漫画。独自麻雀ルールがあるのが面白い。
少年漫画っぽい。表紙と違って中身は結構硬派でエロ度も低くていい。
http://www.mangaz.com/title/?query=%E7%9F%B3%E7%94%B0%20%E6%95%A6%E5%AD%90
正直結構読みづらい(武井直子に通じる読みづらさがある)んだけど、
テーマ性の深さがすごいものが多いので、多分まどマギとか好きな人にお勧めなのか?
いやいいところは大いにあったよ、みんなが仲間になるアベンジャーズ展開とか好きだし贅沢だし、絵はもちろん整ってるし構図も面白くて、音なんかは爆音上映をやるところもあるだけあってほんと良かったんだけどさ。
でも明確な不満点が結構大きかった。
不満点の一番は、チハタンと継続っていう味方側の新キャラ2勢力が魅力なかったこと。魅力なかったっていうかハッキリ言って不快だった。
洋画のギャーギャー騒いで事態を悪化させる子供キャラって嫌われやすいけど、私の中でチハタンはそれと同ポジションだった。
オタクは馬鹿なキャラを嫌いすぎる傾向にあるし、私もその性質があるから、できるだけ広い心でキャラに接しようとは思ってるものの、それでもチハタンには苛立ってしかたなかった。
大洗のみんなも、テレビ版の序盤ではポンコツで、「真面目にやってくれよー!」と全く思わなかったと言えば嘘になるんだけど、でもがんばれベアーズ系としてはお約束だし、こういう作品群の中ではもどかしさがかなり少ない方で見心地がよかったんだ。
その見心地のよさは、バカさのレベルがほどほどだみたいな話ではなく、私にはよくわからないけど何か演出でうまくやってたり、キャラの魅力でカバーリングしてたり、そういうことで絶妙に飲み込みやすくしてるんだと思う。
でもチハタンはそういう心地よさがなかった。
テレビ版を終えての試合、ってていで始まったから、大洗の子らは凄く成長したし、他校はもとよりレベル高くて、一段上のステージでのハイレベルな争いを見れると思ったのよ。
野球で言えば日本シリーズ、とびっきりの最強vs最強、全ジャンル最強決定戦、スタローンとジャン・クロード・バンダムどっちが強い、そういうワクワクをかき立てられた。
なのにチハタンだけ馬鹿なのが、ハイレベルなカッコヨサや美しさを見せてくれそうなところをグッと押し下げて、大洗の足も引っ張ってるし、それどころか戦闘全体の足も引っ張ってるように感じられてなんだか悲しくなってしまった。
もちろん、お話の流れとしてある程度ルーキーキャラがいた方が作りやすいのはわかる。
ゲームでも続編ではレベル1からだし、ロックマンはロックバスターのみ、スネークだってほぼ無装備から、ランスも毎回怠けて弱くなってる。(この辺にも賛否はあったりするけど)
キャラの魅力でカバーしてくれたらよかったのかもしれないが、とにかくまあ尺がなくて、既存キャラたちの描写も食い足りないくらいなわけで、チハタンは事情も立ち位置もキャラもよくわからないポッと出の迷惑な子らって見えてしまった。
おまけに旧日本軍パロってのが、輪をかけて校風萌えもキャラ萌えもしづらくさせてる。
ガルパンってただでさえミリタリー・軍事・武力・戦争萌えのキワキワを歩いてて、色んな議論があるわけですよ。
平和教育受けた私としても多少抵抗があって、でも周囲の盛り上がりで試しにテレビ版を見はじめてみたら、上手にオブラートに包んでくれてたし、ほかの魅力が大きくって結局大好きになった。
でも日本軍パロは、かなりド真ん中じゃん。触れづらいとこに切り込んでるじゃん。
それが軍事賛美やオタクの右傾化に繋がるとは思わないけど、咀嚼するのに多少顎の力と喉の力が必要だ。スクリーンを見てて、外国パロに比べてどうしても色々考えてしまう。私の日本の軍備への屈託も煽られるし、「ああー、これっていろんな議論のネタになるだろうな」というファンダムについての余計な懸念も想起されてしまう。
とはいえ、だから創作において日本軍パロは控えるべきだ、とは思わない、そうするとますますタブーでアンタッチャブルになっちゃうし、それがよいことだとは感じないから。でも現状では私が身構える属性なので、この属性を組み合わせるキャラは受け入れやすいものにしてくれてる方が嬉しい。
しかし実際に旧日本軍パロをしたのはチハタンですよ。めっちゃ足を引っ張るってだけでイラ立つのに、おまけに日本軍パロで、食べづらい+食べづらいで、まったくもうやりづらいんすよ。イラ立つから好きになりづらくて、でも旧日本軍パロなせいで「あいつらホント駄目だな!」と本気で嫌悪するのもキツめの左翼の人っぽくて嫌だし、けれど一方で「も~、バカな子カワイイ♥」と頑張って萌えるには旧日本軍への悪印象が強くてやりづらいし、ホント扱いに困る。
なのでチハタンが、複雑に嫌い。
後半ある程度活躍してたけど、それも前半の悪印象を覆すことはありませんでした。ダメな子たちが成長する魅力はテレビ本編の大洗の子らに遥かに及ばず。
成長を描くんだったらチハタンよりもオタクチームや風紀チームを、「優勝に貢献はしたけど他に比べるとまだ今一歩 → 完全に頼れる仲間に」とか、ウサギさんチームが次期エース格にとか、その辺の大洗の子らをもっと描いてくれた方がずっとありがたかった。
具体的には隊長のスナフキンが盛り下げまくりでお前なんなんだよ!
そういうキャラ付けもありだとは思うけど、やりすぎで盛り下げすぎ! チハタンとは違う意味でしょっぱくしてる!
ガルパンTV~OVAは、否定に傾いてめんどくさく陰気に考えちゃいそうなところを、適度なしんみりさでうまく抑えてくれたのが私は好きだったんですね。片眼鏡なんかに対して、ほかのメンバーが不満をため込んでやる気をなくしたりしそうなのに、そこで否定的なことを言うキャラがいない。好みはあるだろうけど、ガルパンにおいてはそういう優しい世界だったのが私は見ていて楽しかった。
けど能登スナフキンはヤバイ。そんなの気にしない。否定しまくり。ひねくれてるとかムーミンパロとかそれだけじゃ片づけられない否定。ヤバすぎ。
継続高校の校風の説明、ポジションの説明、各キャラクターの説明がなかったのも痛いです。それらがうまくやられてれば、あの厭世的なキャラ付けもきっと愛せたと思うんだけど、なかった。どこの国をモチーフにしたのかもよくわかってない。
北欧? なの? みたいな。
CV石田みたいに出てきて思わせぶりに盛り下げること言ってなぜか参戦してきて戦闘シーンだけやたらカッコイイ動きして静かに退場したかと思ったら最後のセリフも持ってった。ホントなんなんだあいつら。
この2陣営への鬱陶しさが魚の小骨みたいにずっと邪魔で、気持ちよく味わえなかったのが非常に残念。
同じ新キャラでも、大学選抜の子らは、やっぱりキャラ描写薄いのでめっちゃ好きとはならなかったけど、決して不快ではなく嫌いでもないです。