生涯を通じて、梅子の話す日本語は外国人風の発音で、梅子の母語(思考の言語手段)は英語であった。
捨松の娘の証言によると、捨松・繁子・梅子の3人同士の会話は常に英語であったという。
現存する梅子の書き物は、公的書類に「津田梅子」と漢字で署名したようなケースを除き、ほとんど全て英語である。
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