はてなキーワード: 祐巳とは
私がマリア様がみてるをはじめて手に取ったのは、原作じゃなくてマーガレットコミックスの長沢智版だった。
アニメはちゃんと見たことがないけど、図書館で原作は借りて読んだ。
ライトノベルだけど絵柄もきれいな少女マンガみたいなやつだから、そんなに恥ずかしがらずに堂々と借りてた記憶がある。
全部読んだけど、私は佐藤聖様が一番好きだったから、三薔薇様が卒業してからはだらだら読んでて、うっすらとしか記憶になかった。
オタク成り立てのころだったから、アニメイトなんて知らなくてグッズとかは持ってなかった(そもそも当時は店舗があんまりなかった)。
ということで、ふと懐かしさがグァ~~~~っとこみ上げてきてしまって、こないだ原作を全巻買った。
佐藤聖様が好きなのは相変わらずだったんだけど、瞳子がいじましくていじましくて。
レイニーブルーらへんの祥子と祐巳の仲たがいの原因みたいな記憶が強かったから、当時は全然好きじゃなかった。
いや、当時の私、何を見てたんだ??めちゃくちゃかわいいが??
主人公祐巳の弟で隣の男子校に通う祐麒も小さい子を見るようなかんじの可愛さを感じると言っているから、私より読解力がある。
ノマカプでいくと、柏木優は祐巳のことが好きだと思って読んでたんですけど、祐巳も大人になったら優さんにいったらいいのにと思ったり。
どんどん祐巳の言葉使いが砕けていくのがほほえましかった。(あくまで祐巳は苦手に思ってるし、時として祐巳にとっては厳しいことも言う優さんに刺されていたりするんだけど)
基本的に登場人物が狭い相関図内で無理やりくっつくような少女マンガ的恋愛が苦手なんだけど、
この子達は由緒あるお嬢様たちだから、学生時代から知っている人たちとそのまま関係が続きそうだなとマリみてに関しては思っています。
リリアンからあえて外部受験しなければ同じ敷地内で勉強することになるし、リリアン女学園は作中でレベルが高いといわれているので(細川可奈子が「女子高に行きたかったけど、公立に落ちたから私立に行ったといわれたくないからリリアンを受験した」と言っていたり、藤堂志摩子の妹である二条乃梨子がリリアンは滑り止めに受験するような学校じゃないぞと先生に脅されていたり、黄薔薇様である鳥居江利子の友達?の内藤克美が外部受験で超難関大学に合格していたり・・・)外部受験する人は少ないだろうし。
正直メチャクチャ友達に語りたいんだけど、回りは読んだ事ない人ばかりだししょんぼりする。
マリみてを好きな人の感想や絵や文章を見たいんだけど、いまさら同人誌なんて中古屋にも置いてあるか分からないし。
水○敬先生がドビッチキャラ改変?洗脳系かなにか?のエロ同人を描いていらっしゃるのは知ってる。表紙だけ見て泣いた。
清楚な彼女たちがエッチなかわいそうな目にあうのは正直イケるので、これが解釈違いか・・・ってなった。
人の萌えが自分に合わなかっただけですのでけして誹謗中傷ではないです。
2曲とも良曲ではあるが、SDS、僕光の感動には及ばなかった。
これ以上続けても下り坂になるだけであり、やはり今終わらせるのが正解なのだろう。
百合を一気にメジャーにした金字塔であり、ごきげんよう言いながらSSを書いたりしていた。
蓉子さまたちの卒業に涙し、レイニー&パラソルにハラハラしたものだ。
しかしその先に待っていたのは人気が出たことによる引き伸ばしだった。
作者が悪いのか集英社が悪いのかは知らんが、祐巳の妹問題は引っ張りまくり、内容もどんどん薄くなっていく。徐々に惰性で買うようになった。
とうとう丸一巻使って話が全く進まないに至り、俺は買うのをやめた。
最終的に祥子さまが卒業して終わったらしいが読んではいない。持っていた分もブックオフに売ってしまった。
μ'sはこうならなくて本当に良かった。
ラブライブサンシャインにはまるかどうかはアニメの出来次第だが、もしコケたとしてもμ'sを再度持ち出すなどという醜い真似だけはしないで欲しいものだ。
萌豚(便宜的に男で、美少女に萌えられる人たちのことを指すとして)が腐女子を語るのは難しい。
萌豚としては、男同士のカップリングは理解しがたい。それは男が男を好きになるのは何だかんだでマイノリティなわけで、それを妄想するのが難しい。BLはセクシャルマイノリティを扱ったものではないにしても共感は難しい。
覗くためのキーワードは百合だ。女性同士の恋愛を扱ったアレだ。百合は、女学校の生徒たちの間で流行ったエスという関係から来ている。女の子はお砂糖とスパイスと何かステキなものできている。エスは同性だけの共同生活でのスパイスであったのだろう、と思う。
百合のルーツは腐女子側にあり、それが萌豚のところにも浸透しているということだ。だから百合をたどることで、BLについて何かが分かるんじゃないか、と思ったりする。
じゃあ、百合って何だ。
萌豚的な百合っていえば、東方の二次創作かなと思う。少女しかいない作品で、その少女同士の恋愛っぽいものがでてくる。マリアリが俺のジャスティスとかそういう感じ。マリアリの何がかわいいのかっていえば、外交的で恋愛には無頓着な魔理沙にアリスが恋してしまって、魔理沙の何気ない仕草にどぎまぎする姿がかわいいのかもしれない。もしくは、完璧で付けいる隙のないアリスが、まだお子様な魔理沙に大人な態度で接する――さらっと魔理沙にキスしたりとか――で、魔理沙が思わず赤面するのがかわいいのかもしれない。
アリスもかわいいし、魔理沙もかわいいし、それがいちゃつけば光と闇が両方そなわり最強に見えるみたいな感じでかいわさが最強だ。
ハーレムものでもあるのだろうし、ごくふつうに青春なドラマでも誰と誰とが惚れた腫れたのという話にもなるだろうけれど、百合の場合のカップリングは特殊だ。
その特殊さは、原作でカップリングが語られていない、ということだ。
原作のストーリーとキャラクターとのなかに、カップルを見出す、作りだしている。目の前に素材があり、その素材同士の関係に萌える。この関係を見出すことが肝だと思う。
東方のカップリングは原作の数少ないセリフや存在しない行間、二次創作での盛りあがりなんかでキャラ同士が関係を持って、それが恋愛に発展して、その恋愛しあうキャラがかわいくて萌えるのだと思う。
魔理沙は魔理沙だけでも可愛いけれど、だれかとカップルになっている魔理沙のほうがもっと萌える。誰かとの関係のなかでいろいろな表情、感情を見せる魔理沙がかわいい。
百合と双子のような関係のBLも、キャラ同士の関係が大事なのだろう。
攻め受けの逆転で別ジャンルというのも納得できる。萌豚以上に関係に拘っているのだ。誰がだれを愛していているのか、愛されているのか。誰というのは、実際にはあまり重要ではないのかもしれない。天井と床とに萌えるという話は、きっと天井と床とがいいのではなくて、天井から見た床がどういうものなのか、床から見あげた天井はどういうものなのか、という関係性に萌えがあるのだと思う。決して届かない、もし天井と床とが出会うときは二人が終わるとき、みたいな関係性を見出したら、それで切なくなれるのかも・・・しれない。天井と床とは、そのときにはそれぞれ違う何かの例えになっているかもしれないけれど。
同性同士の恋愛という点では似たものを持ち合わせていても、どういう関係かといったところには無頓着だから、分かりにくい。
そういう意味で、エスも女学校という閉じた環境、先輩と後輩という関係、同性愛のタブーといった色々な環境のなかでの告白、特別な関係というところが刺激的で心に響いたのだと思う。
たとえば、マリみてを読んでも、萌豚は祐巳が好き過ぎる祥子様に萌えて、腐女子としてはお嬢様で完璧でちょっと抜けたところもある祥子様と平凡で愛嬌のある祐巳とが友人以上恋人未満な関係であるところに萌えているのかもしれない。
リヴァイ兵長が腐女子に人気だ、と聞くとどうしてもリヴァイ兵長個人に焦点を当ててしまいがちだけど、きっとそうじゃない。リヴァイ兵長というキャラが誰かと関係すること、その関係でリヴァイ兵長がどう反応するのか、どういう感情を見せるのか、みたいなところを考えないと分からないのだろうなーと思う。
なんというか、そのキャラ個人が好き嫌いという萌豚と、そのキャラとあのキャラとがどうだから好き嫌いという腐女子とでは、同じ作品でも見てる場所が違うのだろうから、分かりあいにくいよね、ということ。
腐女子にとって「好きなキャラがいる=好きなカップリングがある」であるようなのが不思議
単体で好きなキャラがいる、って状態があんまりないみたいなんだよね。
その感覚がやはりどうしても分からない。
単体でしか好きになれない。
別に分からないのはいいんだけど、自分も小さい頃からオタだったのに、なぜ一般的な女オタの道である腐女子の道を歩まなかったのか、歩めなかった?のか、我ながら不思議。皆いつごろから男と男を掛け合わせて萌えるということにハマったんだろう。
友人があまりに楽しそうだからハマってみたくて、801本をたくさん読んでみた時期があったけどやっぱりどうしてもしっくりこなかった。なんかどう楽しんでいいのか分からない。
てか最大に分からないのは、「好きなキャラを」わざわざ誰か男と掛け合わせるってところ。普通に考えて、好きなキャラが他の人間、しかも男と絡み合ってるとか嫌すぎじゃね?なんで平気でいられる(ていうか寧ろ楽しんでる)のか謎すぎる。
百合はまだ理解できる。例えば祐巳を好きといっても、それは自分が祐巳とアレコレしたいよって訳じゃないから、祐巳と祥子さまのペアをうんうんよかったねって感じで見守れる。
性代替的と言うよりは性逃避的なんだよな、と夙に思います。
自分が惹かれるのが、女の子の仲良し集団を中心に描いたマルチヒロイン系の作品に偏向していることは、随分前から薄々気付いていました。
現実ではモテないから仕方なく二次元の女性に行くというのを代替的と称するなら、それとはやや異なる、逃避的なあり方というものがあるでしょう。
現実の恋愛は煩わしく、それでも女性的な何事かに触れたいと思うとき、マルチヒロイン系の作品は大いなる癒しを与えてくれます。(ちなみに、ギャルゲ、恋愛ゲーと言われるものは一度もしたことがありません。)
主要な要素として、次のことが挙げられます。
A.女の子の間での仲良し具合が中心に描かれる。
B.主人公及びその周りの主要登場人物は、未通女であることがほぼ絶対的に保証されている。
C.男性が登場しても、巧妙に疎外される。
D.人物の性的な魅力(あるいは、身体的な魅力)に関する事柄は、あくまで女性から女性への視点で描かれる。
これらの事柄は、所謂「百合」「ソフト百合」と称される作品、あるいは迂遠に「百合的な視点で鑑賞することもできる」と言われる作品に、ほぼ共通しています。
D.に関連して、どのくらい身体的な事柄が出ているかの指標となるような、良く出てくるトピックというものがあります。それは、「貧乳・豊乳をめぐる話」です。
それでは、ケーススタディをば。
性を直裁に連想させる話が割合多いです。しかし、それとバランスを取るかのように禁圧的でもあります。話を出しておいて全力で否定するという図式。
・吉野屋先生 :本人が自覚している豊乳。想像は良くしているが、未通女であることがほぼ明示されている。
・沙英:本人が自覚している貧乳。同じく想像は良くしているが、未通女。
・ヒロ:男女交際をまだ早いと感じていることを理由にお断りする。
榊さん:豊乳。美人であるが、男性から見てどうかという視点はありません。終盤の話からは「豊乳」が榊さんの母性の可能性を暗示しているように見えます。
「百合」の語を人口に膾炙させた作品です。女性から見た女性の魅力をさまざまな形で提示しています。第一巻で祐巳が自分の貧乳についてショボンとする場面があります。単に何らかの欠落の意識ではなく、特別な対象(祥子さま)と自らを比較して、という文脈の上で出ているのがこの作品らしさなのでしょう。
・泉こなた:貧乳。敢えて意味づけを行うとすれば、彼女の「元気ないたずら小僧のような性質」から類推し、(当然、胸は無いという)少年の身体的特質と関連付けられます。オタク少女ということになっていますが、こなたの魅力は大人の世界の囚われが少ないという意味での「自由な子供」としての特質として描かれているのではと思うのです。
・岩崎みなみ:貧乳。どのような意味で岩崎みなみが貧乳を気にしているのかは語られません。しかし、人物像を考えるときには興味深いです。
・徹底的に、(そしておそらくはかなり意図して)身体的な魅力に関する話題は排除されています。人物の纏う雰囲気についての魅力(アリシアが優雅である、等)は、辛うじて身体的な魅力に近い話と言えますが、やはり人物として備え持つ美徳としての文脈の上にあります。「百合」として捉えた場合、極限まで身体性を取り除いた功績は大きいです。
・アリシアの「結婚」が話の終盤と共にもたらされたのは興味深いです。男性の存在は暗示されたのみで、最後まで登場しません。
・一方で、アリシアの結婚、藍華の恋愛は、大変まじめな扱いを受けています。
・作品の性質上、教育的な配慮からか、身体的な魅力についての話はほとんど出てきません。運動ができる、といった「能力」としての身体は存在しますが。
…いろいろと掘り下げ不足ですが、今回はこの辺で。
IDコールはできないようですが、一応、ね。
・id:kashmir108 さま
やっちゃった(恥)。確かにそんな描写がありました。
・id:gadgetman さま
あれま。がっかりです。ということは、表には出ていない生活の基盤があって、その一部だけを選択的に表現した世界、ということになるのでしょうか。あるいは都市伝説とすれば、背景となっている生活がもっといろいろあるのではないかと読者に思わせるに足る「リアルさ」がある、ということなのでしょう。
・id:junkMA さま
ちょっと偏った言葉を使ってみたかったのです。
・id:kuippa さま
「つとに」ですよー。
・id:wideangle さま
会話の中で、エキセントリックな反応をしている箇所があるのです。(Wikipedia参照。)
・id:wideangle さま
うお!?何やら隠微な雰囲気を醸し出している作品ですね。チェックしておきます。