はてなキーワード: ロッカールームとは
【初めに】
コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である。
【本文】
ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。
そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。
だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分の全裸、特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。
目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。
とはいえ、男女混浴が可能な場所は国内でも限られている。ましてや、近年は混浴のマナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしまう地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴が誕生した時代とは、私たちの羞恥心の感覚も変わってしまった。
そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツやオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。
もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂な人間ではない。
私は建築や美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムト、シーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである。
日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである。
駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄の香りがしている。そうしたところは我が国の温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルのレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。
ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。
ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。
まずは、せっかくなので水着エリアで温泉を楽しむ。とはいえ、水着エリアは温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である。
これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリーは温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。
他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップルや夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールでほとんど温まらない。日本の温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。
そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イスト・サウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。
なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。
サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである。
サウナの入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。
二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやりと天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。
ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナで読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。
しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本の温泉は露天風呂がメインで、サウナが複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプのサウナがあり、存分に楽しめた。
たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかわからなくなってしまうのだが。
ちなみにこの眼鏡、裸眼で転ばないように、日本でサウナ用の眼鏡をわざわざ購入したもののである。
【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである。
そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチがオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルでサウナの人々に熱風を浴びせるのである。
それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。
そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞の活用が無茶苦茶なドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルト・カルト」(寒い、寒い)などというものだから、思わずその場は笑いに包まれた。
私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。
その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰からも干渉されない時間だけそこにあった。
それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。
人間の身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現の規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたものは普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。
そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】
さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。
その一、スポーツマンタイプ。ものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分の身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアやローマの彫刻そっくりである。スポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。
その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。
その三、老夫婦。なんというか日本の混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気。ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。
その四、比較的若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。
ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。
で、こうして振り返ってみると、比較的若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。
混浴について、猥褻だとか下品だとかいう意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂とサウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそもお風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから、勝手な判断は差し控えるが。
というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。
それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉が気持ちいいのでどうでもよい。
そういうわけで、私はオーストリアの混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナーを一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴の文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。
プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。
個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。
もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。
ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。
最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。
【最後に】
本記事はカクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。
【付記】
ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?
【アクセス】
地下鉄U1の終点、Oberlaa駅
爺婆「着替えるスペースすらないんですが…」
職員「立てるだろ、なら着替えられる」
職員「ふーん」
爺婆「…」
ー1ヶ月後ー
爺婆「扇風機くらい付けさせてください」
爺婆「はい」
爺婆「人が足りません…広すぎて足りないんです」
職員「知るか」
ー2ヶ月後ー
爺婆「一人倒れました」
職員「へー、で?」
爺婆「…」
ー数日後、某所でー
爺婆「○○さん」
○○「あ、いつも応援ありがとうございます」
爺婆「勤務先の話なのですが…」
○○「それはけしからんね、業者の人がいるから綺麗になってるのに」
ー翌日ー
職員「え…?」
偉い職員「え?じゃないよ、お前どういう対応してるの。○○さんからクレームが来たよ」
職員「…」
偉い職員「お前、普段から仕事もろくに出来ないのにそういう態度で業者いじめしてるとはね。覚悟しておいたほうが良い」
ー1週間後ー
爺婆「扇風機^^」
爺婆「ロッカールーム^▽^」
爺婆「仲間が増えた\(^^)/」
私たちは股間であたためた崎陽軒のシウマイ弁当を互いに交換して食しつつ、ハーフタイムを迎えていた。
ふと恋人が言った。
「6万人!」
恋人はなにがおかしいのか、シウマイと蒲鉾の中間物質を噴き出す。すごく汚い。
「6万人が走り回る22本のチンポを真剣な顔して眺めているなんて! しかもリズミカルな応援つき!」
ムッとした私。
前の席でフランクフルトを頬張る頭皮露出中年男性へ弁当を叩きつけて激高する。
「そうやって君はいつもチンポのことばかり考えているんだな。いいか。フットボールにおいて重要なのは22本のチンポではない。ハードワークするプリケツだ。いつもチンポにないがしろにされるプリケツの気持ちを君は考えたことがあるか。君は本当に哀れなケツフォビアだな」
そう言い放って席を立つ。恋人のツイストアンドシャウトが響いているが無視する。
本当はチンポもプリケツもどうでもよかった。
私はアナルに入れていたリモコンバイブのことで頭がいっぱいだった。
ゲーム中、私は選手たちが枠外シュートを放った瞬間だけ、スイッチを入れた。
スタジアムに響く「オオ~ウフン」という落胆の音階と振動はのけ反るほどの快感を与える。
セックスとは異なる種類の性感に至るために必須の三要素は以下の通り。
不連続的な刺激×アイデンティティ・クライシス×ドラスティックなアイデア
落伍者はこの三要素に溺れるあまり、他者を巻き込みギルティの対象となる。
クレバーな賢者は違う。快楽の祭壇に捧げるのは常に己の精神と肉体のみ。
これを読んでいる名もなき同志たちにもぜひ試して頂きたい。
以上を遵守した私の前半はおおむね順調だった。しかし負傷交代で入った初出場選手が発奮しすぎて枠外シュートを放ちまくり、予想を超えて酷使したリモコンバイブの電池が切れてしまった。一刻も早く交換したかった私はトイレへ急ぐ。
「どうも」
後ろから男の声。
「ハハン。どういたしまして」
「あなたの啖呵、拝聴しましたよ。大したものだ。フットボールの真髄はプリケツにあり。その通り。相当な玄人でいらっしゃるようだ」
どうやら彼は熱心なプリケツニスタらしい。シウマイ臭くて返事ができない。
昇天する。
「君はアヌス・フットボールで界ではダニだ。ダニ・アウヴェスじゃない。ただのダニ。ラ・マシアのプレベンハミンのセレクションを受けようか迷っている子供の友達の父親の同僚の会社の清掃員が仕事帰りに立ち寄ったバルの入り口で見かけたセクシーなボルゾイ犬についた一匹のダニ。それが君だよ」
「思い上がるってくれるな友よ。真実はある一つの点に過ぎずそれは世界に無数とある」
ゆらぐ視界。コンクリートの灰色。一点を中心としてぐるぐると回転する。
巨大化してゆく真っ黒の中心点。これは、穴?
ここは地上の天国か。シガーロスのジャケットのようなポーズで私は駆ける。
しかし風が臭すぎて卒倒する。
駆け寄ってくる白ワンピースの少女たち。適当なキス。シウマイ臭い。
よく見るとみなシウマイ男の顔をしている。
チャンピオンズリーグのアンセムがバカバカしいくらい大音量で流れる。
「ハハン! タカハシ・センセイも真っ青だな!」
融合してゆく人糞。巨大な玉となり芝生を飲み込んでいく。
破壊される世界。光に包まれたゴールが出現。私たちは玉の上を走りながら突っ込んでゆく。
叫ぶ私はふと、我に返る。周囲に少女たちの姿がないのだ。
「ここでさよならよ! 元気でね!」
荒廃した大地に取り残される少女たち。悟ったような笑みで手を振る。
私は涙する。ようやく気づいて。彼女たちは私をここから逃がそうとしていたのだ。
光に包まれる中、渾身の投げキッス。この愛よ。どうかあの娘たちを守って。
遠い昔の思い出から戻る。私はハーフタイムのロッカールームにいた。
汗と、スポーツドリンクと男たちの吐息。ミステルと通訳の声が響く。
私はローマ人にクソフットボールを教え、その後現代まで発展を見届けてきた。
あるときはオーナーとして、あるときは監督として、あるときはコールリーダーとして。
後半の入場をスタッフが伝える。私はクソを漏らして手で掲げる。
これがハーフタイムのルールで、選手たちは持ち寄ったクソをフィールドで固めてボールを作る。
「よし! いくぞ! みんな!」
「誰だお前」
締め出された私はスタジアムの外で強盗にあい、素っ裸で由比ガ浜に放り出される。
もう金輪際スタジアムには行かない。
twitterで、ロリコンの権利向上を訴える人に向かって、子供と大人は権力構造があるから云々と的外れな非難を浴びせ、それに反差別・リベラルを掲げる面々が賛同のリツイートしまくってたのが気味が悪くて限界だった。もうほんとおめーらのそのロリコン差別意識をどうにかしろよ。
実在の子どもとセックスするのは(たとえ子どもの「同意」があっても)犯罪。オーケー。異存はない。
実在の子どもを被写体にしたポルノは取り締まられねばならない。オーケー。別件捜査の口実になるとかそういう運用上の懸念はあるが、単純所持の禁止それ自体に異論はない。
(個人的には2回目までは廃棄命令で済ませて3回目以降はじめて送検するというスリーストライク方式でもいいんじゃないのと思うが、それは処罰のやり方への異議であり単純所持禁止そのものには賛成する)
ゆえにロリコンに冷たい目が向けられるのは仕方ない。これは差別ではない。ホワット? ちょっと何言ってるのかわからない。
ロリコンだろうがゲイだろうが成人に欲情する異性愛者だろうが、子どもとセックスしたり子どもを被写体にしたポルノを持ってはいけない。この主張は明瞭でまっとうだ。
なのに、なぜそこにロリコン差別を混ぜ込む必要があるんだろう?
子どもをレイプした男が「いや俺には同年代の妻がいるし、学生時代も同年代の人とばかり付き合ってきたから、俺はロリコンじゃないんだ!」と言ったら罪を軽くすべきとか思うの?
小児にしか欲情できない、というのは、異性にしか欲情できないとか、同性じゃないと性愛の対象として見れないとか、どんな人をも性的欲望の対象にできないとか、そういったものと同じ、単なる性指向の一種にすぎない。
その属性をまとめて蔑視し、彼らの権利向上に反対するのが差別じゃなくてなんなんだろうか。こんな主張が反差別・リベラルの側から流れてくるというのは、反差別を掲げるリベラリストとして地獄感がある。
「ゲイは対等な相手と恋愛/セックスすることが可能だけど、ロリコンはそうじゃないからゲイとは違う」という議論もある。
えっ? ゲイの人たちが求めてたのって「好きな相手と堂々と恋愛/セックスする権利」だけだったの? 違うでしょ?
ゲイであるからといって社会的に差別されない、ゲイ向けの表現をゲイ向けであるという理由で排斥されない、ってのもゲイの権利向上で、ロリコンがそれらの権利を求めることはまったくおかしくないよね。
それこそゲイの中にも非モテとか結婚する気のない人とかはいるだろうけど、だからといって彼らは同性婚には縁がないんだからゲイの権利向上を訴える理由はない、なんてわけがない。
もっと言えば、仮に実際のロリに手を出したやつだったとしても、ロリコン差別に怒っていいんだよ。男をレイプしたゲイだってゲイ差別に怒る権利があるのと同じ。
なぜなら、そいつらの罪はレイプしたことであって、ロリコンであることやゲイであることじゃないからだ。
そいつらは性犯罪者として刑務所に入れられるべきだが、誰もロリコンやゲイであることを理由に投獄されるべきじゃない。
ペドファイルの権利とゲイの権利は切り離せないんだよ。ロリコンを変態と蔑視していいなら、伝統的価値観からいえばゲイだって変態だろ。で、ゲイを差別するその伝統的価値観は間違ってるよな?
子どもを性的に見るなんてこわい、という主張をする人も見かけた。悪いが、ゲイの入団を認めたらロッカールームでケツ掘られる! とかわめいていた連中のことを想像してしまう。
中学校の頃、近所の公園はゲイのハッテン場だから気をつけろ、と言われて、夜に通るときなんかはビクビクしていたが、冷静に考えたらあれは差別だよな。
こわいと思うのは仕方ない、生理的反応だもの。それこそ、ゲイを見てうわキモッと内心で思ってしまうことまで止めることはできない。
でもそれを公共圏に持ち出して特定の集団を差別していいはずがない。
というか公共圏じゃなくても、差別的な反応は内省した方がいいし、内省しないにしてもせめて表に出さない方がいい。もうちょっと自由主義的にいうなら、出してもいいけど、出すなら差別者だと馬鹿にされることを覚悟してね。
何度も言うけど、実在の子どもへの性虐待とか、もっと広範に、立場が上の者、権力を持っている者からの虐待やハラスメントは積極的に罰していくべき、あるいは重罰を科すべき、という主張なら賛同する。
実在の子供への加害(児童ポルノの単純所持も含む)は犯罪なので、性的指向にかかわらず処罰されるべきだけど、小児性愛そのものは何も悪くない。
単にそういう性的指向を持って生まれてきてしまったという点では同性愛者とかと同じ。
男を強姦したゲイは裁かれるべきだし当人は白い目で見られるべきだけど、それはゲイだからじゃなくて強姦犯だから。犯人じゃない他のゲイまで白眼視するならそれはただの差別。
子供とセックスした小児性愛者も同じ。彼らは性交同意年齢前の子供とセックスしたことが理由で罰を受けるべきで、小児性愛者という理由で蔑視されるのは間違ってる。性的指向を理由にした悪質な差別にほかならない。
小児性愛を公言する人がいると不安? ああそうだな、ゲイを公言する選手が同じチームにいるとロッカールームとかで不安、とか言い張ってた人たちもいるんだから、そういう「不安」を口に出す人も一定数いるんだろうな。そういう連中が何と呼ばれるべきなのか、みんな当然知ってるはずだと思ってたが。
職場の女の先輩で、今は育休中だけどもうすぐ復帰するねって人がいて、どんな人ですかって話になったんだけど。
私も入社したばっかりの頃にロッカールームでたまに会うくらいだったんだけどね、課も違う(同じ部門の一課と二課みたいな感じ)のに、わー女の子入ってくれたーってすごくにこやかに挨拶してくれて、
すれ違うときなんかも、すごい笑顔で毎回しっかり挨拶してくれるし、
優しい先輩! …って言うほど接点無いんだけど、気にかけてくれてそうだなって思っててさ、
こんなくたびれた作業着のおじさんばっかの職場なのに、服とか髪型とかお洒落でさ、
なんでこんな人がこんなとこにって感じなんだけど、悪い意味じゃなくてね、すごいなって、
なんていえばいいんだろうなあ、素敵な女性なんだよ〜!
(以下は、自分の泊まったホテルの話であって、全部に当てはまるわけではないので注意)
A.カプセルは成人男性が座れる程度の高さで、意外と動ける。ただし、残業・出張や就活の遠征でお疲れの人もいるので、騒がないこと。
Q.カプセルの中でできることは?
A.(場所によるが)ラジオやテレビがある。カプセル内での飲食はできないはず。通話もできない。
Q.清潔なのか?
A.カプセルの中には真っ白な布団とシーツが敷かれていた。通常のホテルほどではないが、清潔感がある。周りの客に清潔感があるかは別の話。
A.女性用のカプセルホテルもある。ただし、その性別のトイレしか用意されていないので、LGBTは注意。
↑男性用なら男性用、女性用なら女性用のトイレしかない。性別二元論の空間。(補足)
Q.プライバシーは?
A.カプセルの中身はすだれやドアで隠せるが、防音性はない。ロッカールームや脱衣所で肌を晒すことになるので、性的プライバシーは皆無。
Q.お布団で眠れるのは魅力的。だけど、高そう
A.若者価格・学生価格を設定しているホテルもある。大浴場に入れる場所もあり(追加料金なし)、実質的にネットカフェより安い。
Q.最後に注意点は?
A.頭をぶつけないように気をつけろ。
2段目の人は昇る際に足をつらないように注意。高所恐怖症の人は事前に言っておけば下にしてもらえると思う。
昨日の話。気持ちに整理がつかないので書きなぐり。
母親の職場の上司に当たる人で、実家の近所に住んでる人。正確な年齢は知らんけど、50歳くらいかな。
20年くらい前に、新婚で、うちの実家の近くのマンションに越してきた。奥さんは小柄で可愛らしいひとで、よく近所のちいさな公園でバドミントンやってた。当時小学生だったわたしや、近所の同年代の子どもたちは、よく遊んでもらった。歳が近いから、その当時はおじさんというよりもお兄さんって感じだった。
大学進学と同時にわたしは地元を離れてたけど、たまに母親との電話の話題にのぼったりしたし、地元に帰省したときは犬の散歩してたらばったり会ったりした。いつまでたっても仲良い夫婦だった。子どもは、あえて聞かなかったけどなかなか授かれなかったらしいって風の噂で聞いた。
と、思ったら5年ほど前のある日、おじさんが赤ちゃんを抱いて歩いてたのを母親が見たという。あれ?って思ったけど、その数日後には奥さんが、ベビーカーに赤ちゃん乗せて歩いていたと。何かわけがあってのことだと周りはあれこれ聞かなかった。そしたら、会社の飲み会でおじさんは、「施設から、引き取ったんだ。可愛くてさ。」と、かわいい赤ちゃんの写真を見せてくれたらしい。その後、その子どもとおじさん夫婦�は特別養子縁組をした。そうしておじさんには娘ができて、3人家族になった。
おじさんは本当にその子を可愛がっていて、奥さんのことも大事にしていて、仲の良い家族だった。そのことは母親からの電話でもよく話題に上ったし、わたしも、地元に帰ったときにたまに、散歩してる姿を見た。ステレオタイプかもしれないけど、家族の幸せを具現化したらこうなるんやなって感じの、本当に幸せな光景だったんだ。
上の人になかなかノーとは言えなさそうな雰囲気はあった。でも部下には無理はさせないひとだったらしい。母親はいつも「部長、いつも無理をするから」って言ってた。そんな感じで部下からも慕われてるひとだったみたい。
世間は、三連休だったけど、おじさんがいた会社は祝日も出勤のことが多い。昨日もそうだった。だから土日は家族でのんびり、買い物したりしていたんだって。母親が買い物先で姿を見かけてたらしい。
朝礼の時間になってもおじさんの姿がない。先週、体調悪そうにしてたから、家にいるのかと思って、携帯にかけても奥さんが出た。「いつもの時間に家を出たんですけど…携帯置いていっちゃったみたいで」って。
会社の駐車場に車がない。ロッカールームにも、いない。奥さんに改めて電話をしたら、マンションの駐車場には車があって、だからマンションのまわりを探してもらったら、マンションの最上階、誰も入居していない階の手すりで、首をつってたのを、奥さんが見つけたって。
何があったんだろう、どうしてなんだろう。
奥さんは、娘さんは、どうなるんだろう。
生きていたらどうにでもなる。でも、死んだら終わりなのに。
そんなに、近い間柄ではなかったから、どうすることも出来ないけど、おじさんの困ったような笑い方とか、幼稚園の制服を着て嬉しそうな娘さんと、それを娘さん以上に嬉しそうな顔で見てるおじさんと奥さんのことを思い出して、泣きそうになる。
奥さんはもちろん、おじさんの同僚だったうちの父親や、おじさんの部下であったうちの母親、母親の同僚、おじさんに関わったひとみんなが、「どうして?」って思ってるし、「どうしてしんどさに気づいてあげられなかったんだろう」って自分を責めている。
奥さんと子どものためには働かなきゃって気持ちとか、辞めたら部下に迷惑をかけちゃうという申し訳なさとかと、働き続けるしんどさ。全部を背負おうとして押し潰されてしまったんだろうな。
そう思ってどんなに周りが後悔しても、おじさんは帰ってこない。
この先、再来年には小学生になる娘さんがランドセル背負った姿を、おじさんが微笑みながら見ることはないし、そんな穏やかな家族の光景をわたしたちが見ることもない。そのことがまだ信じられない。
30代男性ガンバサポです。本日浦和レッズ所属の李忠成選手が投稿した動画について、ツイッター上で騒がれているようなので個人的な見解を書きます。
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昨日行われたJ1第13節川崎フロンターレ対浦和レッズ戦にて、
川崎のエドゥアルド選手がボールを奪おうと浦和の李忠成選手に対してスライディングタックルをしかけたところ、
それにより李選手は負傷交代、エドゥアルド選手にはイエローカードが提示されました。
試合後、エドゥアルド選手はロッカールームで李選手に謝罪しました。
そして本日の午後4時ごろ、李選手は自らのツイッターアカウントにて以下のツイートを投稿しました。
https://twitter.com/ChunTadanari/status/882854959372410881
運と親から授かった身体のお陰と医師から言われた。大事に至らず良かった。 30年間サッカー人生が1プレーで終わるこの様なファールは、サッカーの後輩達の為にも撲滅しなければいけない。一瞬での全ての膝靭帯が吹っ飛ぶなんて悲しすぎる。僕を思う全ての人達に感謝でしかない。ありがとう。
このツイートには自らが受けたタックルのリプレイ動画が添付されていました。
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このツイートに対してtwitter上では様々な議論がなされていますが、最も大きな論点となっているのは「果たしてツイートに動画を添付するべきだったのか」だと思います。
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私としては、李選手は動画を添付すべきではなかったと感じます。なぜなら、エドゥアルド選手の謝罪に関する言及が全くないからです。
エドゥアルド選手が行ったスライディングは、大変危険なプレイでした。家本主審はイエローカードを提示しましたが、足裏を見せてのスライディングという事もあり、やはりレッドカードが妥当だったと思います。そして李選手はそのような危険なスライディングを受け、「こういうのは選手生命を奪いかねない危険なプレイだから、今後はこのようなプレイがないようにしよう」という意味で当該ツイートをしたのだと思います。
しかし、スライディング直後にエドゥアルド選手は負傷した李選手をとても気遣っています。気遣いをしすぎて主審に制されたくらいです。また、試合後にロッカールームを訪れて李選手に対し謝罪も行っています。
このような彼の謝罪の行動について一切触れず、自らが受けたプレイだけを提示して一方的にエドゥアルド選手を非難するというのは、いささか不公平なのではと私は感じました。
もしエドゥアルド選手が意図的に李選手の負傷を狙って危険なスライディングをしたというのなら分かります。それは非難されて然るべきですし、擁護する余地はないと思います。しかし彼のファウル後の行動を見る限りでは、とてもエドゥアルド選手が悪意を持ってあのスライディングをしかけたようには思えません。
もちろん、「悪意がなければ危険なプレイをしていいのか」という反論もあると思います。エドゥアルド選手のスライディングは、李選手の選手生命を奪いかねない非常に危険なプレイでした。この点についてエドゥアルド選手は深く反省するべきだと思います。
ですが、サッカーは激しい身体的接触が頻繁に起こるスポーツであり、試合中は何が起こるか分かりません。当然怪我はない方がいいに決まっていますが、激しい接触の中で、どうしても試合中の負傷は起こり得ます。場合によっては選手生命が短くなることも、一瞬で絶たれてしまうこともあります。李選手もプロサッカー選手としてプレイする以上、その事は分かっているはずです。
にも関わらず、エドゥアルド選手が行ったファウルが意図的であるかどうかについて一切触れず、また、彼の行った謝罪についても一切言及せずに件の動画をアップするというのは、それはあまりに不公平なのではないか?プロサッカー選手としてどうなんだろう?と感じました。
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以上が今回の騒動に関して私が感じたことです。
単独女性というカテゴリだったので入店に必要なものはなく、飲み物とつまみと服をどれにするか聞かれる。無難に布面積のある服を選ぶと更衣室を案内された。しっかりと鍵のかかるロッカーに荷物を放り込みながら、すごいところへ来てしまったのではと思った。
着替えて出るとソファー席へと案内される。先に着替えていた知人はとっくに誰かと話をしているらしい。店内にはカウンター席もあったのだが、どうやら常連の人が座っているらしく挨拶だけだった。
案内された席の隣には男性が一人で座っていた。彼に挨拶すると、突然『いやあ未成年の頃殺人で留置所いたんだけどさあ』という話を振られた。どう返すべきか考え込んだせいで固まってるところを突然、拳骨で4、5発殴られてさらに困惑。相手のつけていた指輪が頬骨に直撃したせいで皮膚が切れた。打ち所が悪かったのか、カウンターの上でうるさく喘いでいた女性の声が少し遠くなる。
様子を伺ってはいたらしい店員がこちらへ駆けてきて「お客様そういったことは困ります」と言っているのは聞こえた。彼が「ちゃんと同意のうえです」などと言っているので首を振って否定したし声に出して違うとも訴えたのだが、聞こえなかったことにしたらしい。節度をわきまえてくださいねなどと言いつつ、店員はカウンターへと戻っていった。
その後も同じような感じで、平手も含めると計30発近くは殴られたように思う。ちゃんと数えてはないけど。
相手が喫煙所へ立った際に店員にもう帰る旨を伝えると、相手の男性には先に帰ることをきちんと話したか聞かれた。話すわけねーだろバーカ! とは言わずに「殴られて痛いんで帰りたい」と言うと、同意のうえでのことを持ち出されても困るなどと言い出す。同意じゃないって訴えただろと言っても聞いていませんの一点張りで、思わず張り倒したくなった。
ごねまくったのが効いたのか、程なくして帰れることにはなった。見える範囲に知人は居なかったのでどうやら個室で楽しんでいるようだ。
あいつと遊ぶのはもうやめようと決心しつつ男女兼用の更衣室で着替えていたら、急にドアが開いた。先ほどまで喫煙所に行っていたはずのヤツが立っている。そのままこちらへ来てことに及ぼうとされたので、とっさに急所を蹴り飛ばしてしまった。きれいに決まって蹲ったので腹に蹴りを入れた。荷物を持って受付まで戻り、ロッカールームの鍵を返却してダッシュで店を飛びだす。
眩暈がして階段を滑り落ちたけど、最後に仕返しできてちょっとスカッとした気分だった。聞こえ方はちょっとぼんやりしてたし、目の周りは腫れていたけど。
でも蹴りを入れなければ、傷害とはいわずとも警察に垂れ込むくらいのことは出来たかなとはちょっと思った。
ところでいくらハプニングバーでも、カウンターの上で全裸のねーちゃんが喘いでいるのはアウトだった気がするんだけどセーフだったっけ。
「大人になるとストーリー構成がしっかりした映画のような夢を見る」
と言っていた。
=== プロローグ ===
=== 子ネタ ===
=== 息子 ===