いわゆる定価で本を入れ直すということができるのは出版社なり版元が刷ってくれてる本だけなんでね。
絶版本の収蔵は最大手として国会図書館がやってるし、地域の史料の類の保全も図書館に押し付けられる事が多い。美術館や博物館を持たない田舎だと尚更。
国外にもおしゃれ(建築や美術的価値の高い)図書館はそれなりにあるが、それなり以上の規模や役割(レファレンス等)を備えて利用者のリテラシの担保が確保しやすいから成り立ってる。
自分で新聞や雑誌を買えなくて入り浸る人や、蔵書を利用するわけでもなく、ただ机のある場所として居座る学生はそういう意味では図書館の利用者ではないのよ。
長らく叩かれたツタヤ図書館は名ばかり図書館で公金使って、指定管理者として業界に参入して無実の実績を元に定着を狙ったから。
図書館というのは世界中それなりに一定のルールの元に蔵書管理やサービスが展開されるんだが、その作法を放棄したから叩かれた。
本来の在り方を無視してるのは事実なんだけど実際ユーザーである住民目線だと資料の保管より快適な環境の方が需要があるんだよね ○○町史や○○県史を見ればわかるけど誰も読まな...
本来の在り方を無視してるのは事実なんだけど実際ユーザーである住民目線だと資料の保管より快適な環境の方が需要があるんだよね ○○町史や○○県史を見ればわかるけど誰も読まな...