自分は例のこども本の森を批判する立場でも肯定する立場でもない
図書館と普通の本屋に違いはあっても、なら建築として子供の手に届かない部分に無意味なダミーを置くことが果たしてどこまで良くてどこまで悪いのか、正直わからない
というより、子供達のコメントの一部分だけを切り取ってさも子供に不評なようにみせていると、自分は勘ぐっている
わかりやすい批判できる部分があれだけだったという可能性は無いのかな?
はてぶや棘ははっきりいってこういうわかりやすい行政の駄目な部分に過剰に反応するが強いので、はてぶが批判しているということは間違っている可能性があるなって経験則でなんとなく判断している
はてぶは禄に資料も見ないで勝手解釈の精神論を披露しやすいからね
例えばコレ
「中身のない虚飾」と「中身を重視した図書館」が相容れない
これは一見まともに見えるが、図書館が中身を重視している施設なら、どちらかというと図書を閲覧する環境や資料の保管・貸し出しシステム、あるいは公共施設としての回遊性やアクセスなどが中身や実用性の部分だろうな。
例えばまともなレファレンスができないとか。この図書館がそういう図書館としての本来の機能をしっかり保てていれば、それ以外の部分で個性を出しても良い気はする。
もしレファレンスが機能していなかったり郷土資料を燃やしているならそっちを重点的に批判すればいい。
単なるわかりやすいデザインの部分だけを批判したって何の意味も無いでしょ。なにせ日本中の大部分の人はこの図書館の利用者じゃ無いんだから。
もちろんその個性が利用者に負担をかけているなら論外だが、実際の利用者はあのハリボテを「図書館にふさわしくなく、不自由を強いるもの」と声を上げているのだろうか
実際に見てきた人ってどれくらいるんだろうか
子供の声を盾にして行政を批判したいだけってことはないんだろうか?
俺もリフォーム番組によって建築家が住む人のことを考えずに意味不明な家にしてるのはどうなの?って思うから
ただ、それをいったらあらゆるデザインが全てノーを突きつけられるからなー