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はてなキーワード: ランニングとは

2012-06-16

大学一年現在心境ver1.7

脂肪邪魔だ、気がついたら体重が平均体重プラス20やばいやばすぎる、デブは甘えデブは甘えなんだ。

よしやるぞやってやる。

まず、食生活だ。とりあえず飲み物は水、茶。食べ物野菜。もういいこの際甘えたダイエットなんてしない徹底的にやったる。必ず記録もする。

運動プールランニングだ。

ランニングシューズとランニング用イヤフォンが欲しいぞ

2012-06-13

不整脈期外収縮)のほぼ完治までの道のり

長年悩まされてきた不整脈が、ほぼ完治してきたので、自分なりの方法を書きます

個人ブログはあるのですが、テイストも違うしこちらに。

もし、不整脈に悩まされている方がいましたら、参考になれば幸いです。

結構患者は多いらしいですからね。

■発症

25歳の5月に突然、心臓の鼓動に違和感を覚える。

リズム表現は難しいけど、

ドン ドン ドドン ド ドン

のように、食い気味の拍や、本来は休符の場所に拍を入れる感じ。

今まで、ひどい風邪をひくとたまに不整脈が出ることがあったので今回もそれかな?と思ってたら、一週間続いたのでこれはよくないと思い病院へ。

最初の通院

計3つの病院に行ったけど、最初総合病院循環器科

触診や心電図検査などを行い、診断結果は「期外収縮」。

医者曰く、「よくある病気である。基本的には対症療法しかない。カテーテルアブレーションというのもあるが、そこまでの症状ではなく、普通に運動もできる。なんなら私も不整脈なんだよ」ということを言われた。

最後の言葉は、ちょっと医者としてどうなんだ?と思ったけど、結局これといった解決策もなく病院をあとにする。

運動をしてみる

対策として、あえて運動をしてみた。

やったのはジムで長距離ランニング

走ってて、最初は胸に違和感があったけど、ある程度激しく運動をすると胸のつかえが取れる感覚を覚えた。

その後しばらくは、不整脈が出なくなった。

なんだ、ただの運動不足か、と安心しきってたら数日後あっけなく再発。

また走ればいいやとしばらく放置したのち、再度ジムに行って激しく走ってみたものの、何と不整脈持続。

軽く焦り始める。

■二回目の通院

つまるところ、この手の不整脈は往々にして精神の問題から来るもの、とネットには書いてあった。

確かに、当時の自分は悩める子羊で、仕事の事や将来の事、家族の事など、今となれば「やりゃいいだろ」というような細かいことまで悩んでおり、

それが原因だという自覚があった。

なので次の一手としては心療内科に行ってカウンセリングを受けることにした。

これが解決すれば不整脈も治るかなと足繁く通った。

結果、悩みの一つである将来の事に関しては、転職をしてみようという決意に至り、活動をすることにした。

しかし、不整脈は完治はしなかった。

■サンリズムという薬

この時もらった薬は「サンリズム」というもの

直接療法ではないが、症状を軽減してくれる。

服用後5時間ぐらいはピタっと止む。

仕事に集中できるためしばらくの間服用を続けた。

こんな状態の最中転職活動を行った俺すごい、と一応自画自賛もしとこう。

加えて、こんな状態でも日々の通院や転職活動を容認してくださった前職の関係者の方に、ホントに御礼申し上げます

■三回目の通院

転職を果たし、新たな地に移り住む。

サンリズムを処方してもらうために、近所の循環器科へ診察に。

さすがに三回目となると、こっちとしても説明も慣れたもの

自分で「期外収縮」だと言うと、医者もあまり関心がないのか、たまたまその先生が専門外なのか、あまり親身になって聞いてくれなかった。

「あまり気にしないことですよ。運動もほどよくしたほうがいいです。悩みすぎないように」

という、俺でも言えそうな言葉をもらい、何となく釈然としないが薬をもらうためにしばらく通院。

■薬への耐性

薬も服用を続けると、体に耐性ができてしまって、なかなか効かなくなってきてしまった。

成分の密度が濃いワンランク上の薬をもらうこともできたけど、いたちごっこのようにまた効かなくなるだけなので、もう服用をやめた。

その頃には、多少の諦めもあった。

不整脈が出る周期

長年付き合うと、不整脈が出るパターンも把握してくる。

何か、凄い緊張や不安があった後は、ものすごく乱れる

説明がものすごく難しいけど、胸のあたりにドーンという深い重みが襲ってくるような感覚、一瞬の焦り、息が詰まる、のような体験をすると、翌日には不整脈の激しさが増す。

かといって、打つ手はなかった。もうカンセリングも受けたし、また受けても同じかなと。

ただ、解決策は徐々にわかり始めてた。

自律神経失調症

一般的に不整脈の原因の一つとして「自律神経失調症」があり、副交感神経の働きが弱いと不整脈が出やすくなるらしい。

副交感神経が弱い=リラックス時間が少ないことになる。

そこで鍼をうってもらい、無理矢理にでもリラックス状態になってみたら何か改善されるんじゃないかと思い、試しに鍼灸院に行くことに。

結果、かなりリラックスはできた。

その他、温泉に行ったりマッサージを受けたりと副交感神経が優位になるようなことを行った。

しかし、完治はしなかった。

光明

はいえ、今までなかった「不整脈が出ない日」というのが、ちょっとずつ増えてきた。

何か、もう少しな気がしてきた。

ポイントは、やはり「リラックス

家に居る時は不要な悩み事をしない、腕組みなどの交感神経が優位になるようなことをしない、

などを行った。

そういうクセってなかなか治らないけど、

「もうこれ以上不整脈が続くと、いくら心臓に問題の無い期外収縮はい負担はかかってしまう」

と考えたら、ある種の防衛反応で悩みすぎる事もなくなってきた。

だって死にたくないもん」と考える事で、細かい悩みは持たなくなってきたように思う。

■とどめの対策

それでも症状は出る。

あとちょっとなのになぁ、と歯がゆい気持ちになり、それが悪循環になり症状が悪化したり。

でも、自律神経の乱れが原因と決めつけて、いろいろ調べた結果、以下のことを試す。

それは、「マグネシウム摂取

マグネシウム摂取は、体の神経系の異常を正常に戻す、という記事を発見し市販のサプリを購入し服用を始めた。

すると、服用後1ヶ月でほとんどと言っていいほど症状が出なくなった。

今も再発の不安は残るけど、このまま無くなる気がしている。

買ったのはDHCの「カルシウム / マグ」。

一袋300円弱。すごくリーズナブル。今まで高い薬を買ってたのがアホらしく思える。




■まとめ

というわけで、ここまでご覧頂きありがとうございました。

期外収縮タイプ不整脈にはマグネシウムだ!」

という結論に至るにはちょっと自信ないです。

結果としてそうなったけど、精神的なものの兼ね合いだと思っています

発症後すぐに投与しても変わらなかったのかもしれませんし。

ただ、マグネシウムは安いですし一度お試ししてはいかがでしょうか。

2012-05-21

ももいろクローバーZ

仕事終わってランニングして風呂入って家でビール飲んであたりめ食ってももクロdvd観るのがここ最近の日課!!!

可愛いダンスと歌一生懸命だし、話もおもしろい!尊敬する!キラキラしている!存在自体が甘酢!俺が高校生の頃なんてクソみたいな思い出しかないな

ちなみに今のショートカットしおりちゃんが一番好きです

2012-05-08

走ることについて語るとき

毎週土曜日皇居を2周してたのが3年前、

途中空白期間があって終業後に週3回くらい皇居を1-2周するようにしてたのが2年前、

また空白期間があって去年の10月ごろからnike+を使い出して累計470kmくらい走っている。

この1-3月は生活環境の変化があったり寒かったりでほとんど走らなかったけど、4月からまた再開。

そんな、断続的なランニング習慣を持つ男、29歳。185cm,約90kg。

体重約90kgというのは生涯最重量。重たすぎるしみっともないので

走ることでどうにか痩せたいという思いはある。

加藤嘉一氏の今日ダイヤモンドオンラインの記事にあった184cm,68kgという数字自分はひどく打ちのめされた。

私は、身長と年が近いということもあり一方的に負けたくない気持ちがあるようだ。大負けだが。

彼のストイックさには尊敬の念を抱いている。)

先月は150km走った。だいたい週に4回くらい走ってて、ペースは平均して6分/kmくらい。

何で続けられているのかよく分からないが、わりと義務的に走っている感じ。

1週間のノルマを消化しないと気持ちがわるい。

個人的には3日坊主にならず継続できていることに、

少なからず達成感を感じている。

しかし、よくある劇的な体の変化というのはまだ無くて、

体重はぜんぜん減らないし、体力は多少は付いてきたなあと思う程度。

あと2ヶ月くらい継続するとなにか変わるかもしれないけれど、

1ヶ月続けられた理由をよく整理して、今月も継続していくための何かを見出したい。

また、後付けの習慣を身につける、という観点から言うと、

たとえば筋トレを習慣化するとか、英語勉強を習慣化するとか

他のことに応用が利くかもしれない。

モチベーション

走ることはめちゃくちゃ楽しいわけでは無く、死ぬほど辛いわけでもない。

ランニングとは息を切らしながら、辛い思いをしながらやるものだと思っていたか

走ることを習慣にしようとしていた頃は、正直、走ることには抵抗があった。

しかし、評判の金さん(金哲彦)の本を読んで学んだ、

LSDという、息が上がらない程度にゆっくり走るというトレーニング方法と、

体幹ランニングという疲れずに長く走る方法

それらを実践してみたら、想像以上に楽に走れるのにびっくりしたことがあった。

それ以降、ランニングがそれほど怖いものではなくなった。

ちなみに、ゆっくり走るというのは結構難しい。

体があったまってくると自然とペースアップしてしまうし、

ゆっくり走ると逆にフォームが崩れやすい。

なお、やっぱり寒い日、暗い日、雨の日はまだ走ることに気合がいる。

走ることは楽しいかというと、最初楽しいけど、すぐ飽きる、というのが

自分感覚

去年からひどく風景の良いところに転勤となって、また、出張が多いので、

自宅の家の周りを走るだけでも楽しいし、

出張先で走るのも、目先が変わって結構楽しい

しかし、少なくとも自分の近所を1ヶ月も走ると、正直な話、飽きる。

飽きたからといって走るのをやめるのもバカらしいので

週末は車で近場まで出て、違ったところと走ると目先が変わってよかった。

どこを走っているのか分からない、ちゃんと帰れるのか分からない、というどきどき感があるのが

自分はいいのかもしれない。

タイム

nike+の自分ランニングのペースを見てもあまり改善が無いのを見ると、

何のために走っているのか分からず、モチベーションが落ちることがある。

ちゃんとストレッチをして疲れを残さないようにして連日走ってもタイム

落ちないようにすることや、

メリハリをつけて、早く走る日、ゆっくり走る日、と目的を持って走ることで

走行時間モチベーションが左右されないようにすることが必要だと思う。

今まではとりあえず走ることが第一の目的だったので、足の疲れなど関係なく走っていた。

ランニングハイ、という感覚最近はない。

一時はそれと思われる感覚を覚えていたが、

最近はあまりそういうことは無いので、ランニングハイを味わいたくて

走るわけではないと思う。

走るときに聞いているもの

TBSラジオJUNKポッドキャスティング。これは聞いてて楽しいが、

走る楽しさとは直結しているのか、疑問。

ただし、何かしら愉快なものを聞いていないと走れない。

加藤嘉一氏に言わせると、英語ニュースを聞いて英語勉強して中国人に伍せ、ということになるのだろうが、

正直、退屈で、ランニングをする気をそぐような気がして気が進まない。

最近髭男爵のルネラジが大ヒット。

SNS

フェイスブックに今週走った距離を載せていて、ありがたいことにそれなりに反応がある。

週に40kmは走りたいと勝手公言しているので、

それを達成しないと恥ずかしい気持ちになるので足りなさそうなときは週末に

まとめて走ったりしている。

しかし、平日に30km、週末の土曜に10kmであれば自分には達成が難しい距離ではないので、

だいたい余裕をもって達成しているのでたのしく皆さんに報告している。

また、単に走った距離とちょっとしたコメント投稿するだけでは

やはり反応が薄いし、いいね!してくれた人にもなにか申し訳ないので、

なにかしらネタを走りのトピックに絡めようとちょっとした目的ができるので

それが自分の中で飽きる気持ちを軽減させているのかもしれない。

NIKE+のGPS機能を使って走った軌跡で絵を描いてみたり、

走っている途中で見かけた面白いものをアップしたり。

食事

痩せるのを目的に走っているのだけど、

どうやら酒を飲むため、飯を食べるための罪滅ぼしとして走っている気がする。

自分への餌としては良いのかもしれないが、本末転倒もいいところだ。

ダイエットのために走っているという目的を完全に見失っている。

走っていればそのうち痩せるだろう、いくら食べても大丈夫だろう、

という根拠の無い思い込みがあってのことだと思う。

これは、先月のデータを見て分かったことなのだが、

150km走っても、12,000kcalしかカロリーは消費しておらず

毎日400kcal分の食事をセーブするのと変わりが無い。

ほぼ毎日飲んでいるワインを1本(570kcal)飲むのをやめると逆にお釣りすら来る計算だ。

体重が減らなくてもモチベーションが保てているのが正直不思議なところだが、

痩せるという目に見えるフィードバックがあればもっと走るモチベーション

上がるだろうし、体も軽くなれば走力も上がるはず。

食事内容はもう少し意識しないとならない。

しかし、この食い物という餌、モチベーションを無しにしてしまうと、

自分はちゃんと走ってくれるのだろうか。不安は残る。

レコーディングダイエットなり、節酒なりを取り入れないと

今月もカロリー収支は大負けすることになると思う。

レコダイ、やってみるか。どうせ続かないが。

自分なりのまとめ

飽き対策

走ること自体はイヤではない。自分が飽きないための工夫。

毎週末は遠出して走る。

あたらしい良ポッドキャストを発掘する。

あたらしいトレーニング方法検討。ペース走とか、ビルドアップ走とか?よく分からんが。

など。

カロリー

口にするものカロリーをもうすこし気にするようにする。

いきなり食うものを減らすのはレコダイ的には反動があるはずなので、

まずは、気にする。気にする習慣が出来たら削ることが出来るものから削っていく。

こんな感じ。また来月も書く。

2012-05-07

某赤信号の記事を見て 思うんだが。

もしかして自称 知識人の人って 歩いてる最中に 歩くことに全力を注いでるのか?

普通は、数式について考えたり、政治について考えたり、 思索することがメインで、ランニングするのは適切な血液頭脳に送るためだと思うんだが・・・

ラニングって知的活動をするためには最適な運動なんだが。なんで、そんなに止まることを嫌がるんだ?

 

知的活動がメインなんで、青信号ですら止まってることがよくあるんだが・・・

からだに、歩道の端ではとまれって身に付いているんで。でないと、あぶない。

 

というか、ぶっちゃけ、赤信号で止まろうが、青信号で止まろうが、考え事してるんで、どうでもよすぎる。

で、おまえは、車の運転だけはするな。といわれるので、しない。

2012-03-14

女友達0からたった4ヶ月でセフレを2人作ったぼくのシンプル方法

四ヶ月前、ぼくはキレイ女の子を抱きたいと思った。いや、その前からずっと抱きたくてはいた。

その気持ちがバケツのなかに溜まっていって、縁から溢れ出したのがどうやら四ヶ月前だったらしい。

でも、まったく女の子の知り合いがいなかった。周りに女の子がいないんじゃ、口説けやしない。

ぼくはけっこうシャイから、友人に紹介してくれとも言えないんだ。どうしようかと考えた。

結論は早かった。そうだ、ナンパをしよう──。

女の子と仲良くなりたい。でも、接点がない。だったら、ナンパするしかない。明快なロジックだろ?

そして、四ヶ月たった今、なんとぼくには二人のセフレがいる。どちらもとびきりの美人だ。

いったいどうやってそんなことが可能になったのか? どんな魔法を使ったのか?

それをここに記したいと思う。女の子を抱きたいと思っている男の子はたくさんいるはずだ。そんな男の子たちの一助になってくれることを願う。

では、今から説明をしよう。だが、その前にちょっとだけきみの部屋にある本棚を眺めてみてほしい。女の子が抱きたくてたまらないときに買ってしまった、恋愛ハウトゥー本はないかい? あったらそれはゴミ箱に投げ捨ててくれ。きみにそんなものは必要ない。

ぼくがこれから書くことだけを、愚直に実践してみてくれ。

数をこなすのは時間、体力、気力の無駄

ナンパ師がよく言うメソッドに「100人に声をかければ1人はゲットできる」というものがある。

確かに多くの女の子に声をかければ、いつかはサクセスすることだろう。

しかしだからといって数をこなすことが目的になってしまえば、ナンパは単なる徒労になってしまう。

ぼくも「綺麗なお姉さんとエッチなことがしたい」という思いが空回りして、銀座で声をとにかくかけたことがある。

しかし、たくさん断られたらそのぶん傷つくし、女の子を探して歩きまわるのは、当然だが疲れてしまう。

それで女の子と仲良くなれたら言うことないだろうけど、心に傷を作ったうえに何もなかったら、わびしい気持ちでいっぱいになってしまう。

一日予定をあけて何時間ナンパをするだなんて、フルマラソンに出場するようなものだ。

訓練を積んでいないと身体がぼろぼろになって、最悪ケガをしてしまう。

ぼくが望んでいるのは何十人もの女の子セックスをすることじゃない。

ひとりでもいいから甘えたい気分のときに抱きしめてくれて、ムラっときときエッチをさせてくれる、そんな優しい女の子が欲しいんだ。

ぼくが編み出した無理のないシンプルナンパ方法

から、長時間ある場所に張って女の子に声をかけるなんていう方法はすぐにやめた。体力がもたないんだ。

そこでぼくのようなライトセフレ待望者でもできる、フルマラソンじゃなくて短距離をランニングするようなナンパ方法を考案した。

ぼくがやった方法はとってもシンプル。普段どおりの生活のなかで、いい感じの女の子を見つけたら声をかける。これだけだ。

もうちょっと具体的に言おう。ぼくが声をかけるので一番多いのは駅の改札を数メートルでたところ。

これは大学バイト先に行っているとき、もしくは家に帰っているとき電車内で見つけたステキ女の子ちょっとストーキングして声をかけているってことだ。

自分から無理やり探しに行くのは疲れるからしない。日常生活のなかで、思わず抱きたいと思うような女の子が通りすぎたときだけナンパする。

ナンパ師が声をかけるとき、いろいろと妙ちきりんテクニックを考えだして実践しているらしい。道を聞くふりをしたり、だとかね。

だけど、ぼくはそんな面倒なこともしない。声をかけるときセリフは完全にテンプレートで決めている。それはこんな言葉だ。

すみません、さっき電車のなかで見かけて……一目ぼれしちゃいました!」

変な飾りつけはしない。ストレートに、シンプルにいく。そもそも技術がないんだ。テクニックに頼ることはしない。

成功確率が高い女の子はひと目見るだけでわかる

ナンパするかを決める基準はぼくの好みに大きく依存しているが、ナイス女の子に片っ端から声をかけても無駄だ。

さっきも言ったようにたくさんの女の子ナンパして、たくさん断られることは心の傷を深めるだけだ。そんな悲劇は避けよう。

では、どんな女の子ナンパに応じてくれるのか? ズバリ言おう。20代後半~30代後半で、小奇麗にしている女の子だ。

ケバかったり、若い女の子に対抗しようとしている女の子は除外した方がいい。そういう女の子はやたら自分価値釣り上げてくる。ババアのくせに。

遊んではいないけど、異性の目を意識してしま・・・そういう女の子が格好のターゲットだ。

移動中の電車のなかで年はいっているけど小奇麗ですてきな女の子がいたら、心のなかで問いかけてみよう。

ちょっとシワはあるけど……うん、抱きたいな」

そう思えるなら声をかけるんだ。ぼくはそうしている。

ナンパが上手くいくかどうかは第一声の反応でわかる

実はナンパ成功するか否かは声をかけたときの反応でわかってしまう。

「一目ぼれをしました」と言った瞬間に、不意をつかれながらも女の子が「あはっ」と笑ってくれること。これが成功の絶対条件だ。

「は?」と反応が鈍かったり、こっちを怪しんでいたり、あからさまに嫌な顔をするときは、これは絶対に上手くいかない。そのあとにどんな言葉をかけたって、どんどん不快な気持ちにさせていくだけだ。こんなときは潔く諦めよう。

こちらのストレートな好意を嬉しがってくれる女の子。こういう女の子は話していると終始口元が緩んでいて、こちらも気が楽になるし、上手くいくことが多い。

第一声で笑ってくれたら、あとは普通に会話をすればいい。どういう人で、どんな趣味か聞いて、自分はどんな人間かを自己紹介するんだ。

ナンパ本には冗談をたくさん言って笑わせろだとか、女の子の持ち物を褒めていい気分にさせろだとか書かれているけど、ぼくの目的普通に仲良くなることだ。そこに高度なテクニックは必要ない。

無理してハウトゥーに書かれている技を実践してみたってうまくいかないし、疲れるだけだ。

余計なことは考えずに、自然体に。それがぼくのモットーだ。

いきなりセックスできることなんて、ない

女の子が大好きだとつい知り合ったその場で抱きしめたり、キスをしたりしたいなって考えてしまうけど、そんなことをすれば逮捕されてしまう。

ナンパ師の自慢を聞いていると、会ってすぐに漫画喫茶に行って生でセックスしただとかいうエピソードが出てくるけども、そんなことは技術力を積んだその人だからできることであって、基礎を学んだ身ではないぼくにはできるはずがない。

一度だけ、ウォーキング中の主婦ナンパして、何時間ウォーキングに付き合っていたらちょうどよくホテルが見えてきたので、そのまま入ってエッチしたなんてことはあった。しかし、その子とはそれっきりだし、初対面で女の子を抱けるなんてことはその一回だけだ。

ナンパが上手くいったら、あとは普通にデートを楽しもう。すぐに身体を求めるんじゃなくて、相手が心を許すのを待って、もし向こうも望むのならばエッチをする。そのぐらいの気持ちでいいんだ。

ぼくはそばにキレイ女の子がいるだけで幸せな気分になれるので、結果的にその子を抱けなくても満足している。がっついたって良いことはない。むしろ、傷つく可能性のほうが高い。

からセフレを作れた

ぼくが重視したことはとにかく疲れずにナンパできることと、抱けなくたっていいと目標を低く設定すること。

無理をしたって続かないし、高い目標を設定してしまうと、あとでがっかりすることも多くなってしまう。それは精神衛生に悪い。

そうやって、日常生活から半歩だけ冒険する形でナンパを続けてみて、何人かの女の子と仲良くなれた。

そう、たった数人の女の子だ。でも、ぼくはそれだけで満足だ。たくさんの女の子を抱くことが目的ではない。

いま、ぼくは幸せな気持ちでいっぱいだ。いつだってぼくを受け入れてくれる女の子が二人もいる。

の子たちはぼくが望んだらいつだって会ってくれるし、もちろんセックスをさせてくれる。

情けなく甘えたら頭を撫でてくれるし、身体のどこを触ったって怒らないし、何度も何度もチューをさせてくれる。しかも、美人

二人とも働いているし、一人は結婚しているから予定が合わないこともあるけども、どちらかとスケジュールが合うときは必ず会って、幸せな気分にさせてもらっている。

ナンパを始める数カ月前とはほんとに大違いな、とってもハッピー毎日だ。だって、そうだろう? キレイ女の子を定期的に抱けるんだ。こんな幸せなことってない。

きみもこんな生活を送ってみたくないかい? きみにもできるよ。ぼくの方法実践すればね。

The show must go on. やりつづけるんだ、きみの夢をかなえるために。

2012-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20120227011252

運動がいいよ。

一人でできる運動例えばランニングだと、誰かとスケジュール調整も必要ないかお薦め

あと、ネットカフェとかで漫画の全巻制覇もいいストレス解消になる。

 

ストレスを逃がすことが出来れば、仕事への向き合いかたも変わると思うよ。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

2012-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20120111183047

人月は関係ないよ。


高いところは本当に優秀な場合もあるけど、どっかの人材会社から適当人間を買ってきてその仕事に当ててる場合もある。

逆にいえば安いところの方は、人材から人を買っていない可能性が高い。


実際に見積りとってみるとわかるけど、同じ案件でも開発期間が会社によってバラバラ。

それに一見、開発費用が安いように見えても、保守とかのランニングで考えると結構高くなる場合もある(保守しないで作りっぱなしの無責任会社の方がヤバいけど)。


とりあえず、人月なんか参考にもならないから、そんなのに惑わされないで開発会社性格を見て選んだほうがいいね

2012-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20120109213130

でも、モテを追求する場合デザインのいい靴を買わないとダメなんだよな…

ホームセンターで売ってる1980円のランニングスニーカーじゃあダメなんだろうか

それで済むなら済ませたい

2012-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20120109121759

[書評]睡眠コントロールできる(遠藤拓郎・江川 達也): 極東ブログ

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/02/post-d4ca.html

爺の書評な。日本人睡眠時間すくない傾向があるしな。

あと散歩なり運動もそれなりに必要。出かけるのが嫌ならトレッドミル(ランニングマシーン)もいいよ。

安い奴(イグニオとか)でも普通に使える。

自分トレッドミルの前にパイプシェルフ、ディスプレー設置、DVD見ながら歩いてる。まぁアニメなんだけどね。

2011-11-04

彼女いない歴=年齢の劣等感

30歳になった。

彼女いない歴=年齢の劣等感がつらい。

それ以外は人生に不満はない。

労働条件は悪くない。

ちゃんと余暇をもてるし、やりがいもある。

出世もできそうだ。

財政状態も良好だ。

収入もいいし貯金もある。

健康状態も悪くない。

悪いところなど少し近視になったくらいで、ジム通いのお陰で10代の頃より筋力はあるしハーフくらいならいつでも走れる。

つい最近まで、パソコンと布団とダンベルランニングシューズと風呂さえあれば幸せだと思っていたのに!

クソッ!

2011-10-27

美人に生まれたら

10/28,29 一番下に追記しました

☆これから話すのは、美人武器にできない馬鹿増田個人の不幸話、ということで!

☆わーお、こんなに反響があるとは。心臓がドキドキしていますビビリなので怖いというか馬鹿からいちいち傷ついてしまって消したくなりますが一応全部読んでいます。批判も共感も、読んでいるとなんだか高まって涙がポロポロ出てぶるぶる震えてしまう。昨日から寝ずにF5連打状態でフワフワとした気分です。おそらく、人にぜーんぶ洗いざらい話してしまったのがはじめてだからだと思います。男女関係のことは親にも言いにくいから、同じような悩みを持つ姉にしか話したことがなくて…。理解してくれる女友達もたくさんいるけど、内容が内容だからこんなには話せないし。なんかごめんなさい。

美人、というのは何か違うようなので、「もてる女」ということにしてください。

ブコメTwitter同意してくれたり「あるある」してくれるとものすごーく救われた気持ちになります(人生で初めての体験)。ありがとうございますリアルでは絶対に話せない内容なので。

最初は反応しないつもりだったけど、こんなに反応があってビックリして、リアルに顔真っ赤(真っ青)でプルプル震えながら言い訳してしまう…すいません。




自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは美人だ。小さな頃から美人だ、かわいい、綺麗だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙のレポーター?のようなこともしました。背も167cmまで伸び、ミルクタンクもでかくなりました。高校卒業と同時に、その小さな街のキャンペーンガールにも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした芸能事務所スカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベル女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。

大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"大"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女の嫉妬でしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に惚れる→振られる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺の好意を踏みにじりやがって、みたいに逆恨みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20枚くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、ねちっこい嫌がらせが始まるわけです想像がつくと思うけれど、それが上司場合は最悪だ。色目を使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、能面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「美人から高飛車」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は警戒して近づいてくれないけど、打ち解ければそんな理不尽仕打ちをする人はいなかった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる女もいるけど、グループ内で嫌われるのはわたしではなくそっちなので問題ない。惚れた惚れない関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの当てつけか何かのようにこれ見よがしに、ふつう顔だけど愛想の良い女性社員を猫かわいがりしている。その女性社員から、私のいないときその男普通だということ聞いて、なるほど新種のいやがらせか、と気がついた。

そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどメソメソしていたけれど、地元結構年上の独身の人たちが群がってくるので早々と都会へ戻りました(お見合い的な話が大量に舞い込む 10/29追記)。

大企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない女なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、顔がそこそこ良ければ一応就職先は(受付・秘書・事務職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの事務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ストーカー)の妻から斜め上の訴えを起こされかけるという珍事にまで発展し、わたしは街中にあるカッコいいビル内の本社から埋立地にある工場に付設されたプレハブみたいな事務所に配置転換されました。その事務所には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニーク上司バリバリ派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した弁当菓子パンを黙々と貪る、という稀な現象がおきていました。

その事務所では、腫れ物のような扱いを受けていて、男は誰も近寄ってこないので楽っちゃあ楽でした。その会社では28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に惚れられてしまったので丁重にお断りすると、仕事で必要な書類を回してくれなくなって、上司からお前のせいだろオーラが漂い始めたので居づらくなってやめました。

学生生活、サークルアルバイト、30歳までの社会人生活に登場してきた男たちは、「自分の好意を踏みにじった独女」と「自分の手に入らない独女(最初から手に入りっこない独女)」が死ぬほど嫌いなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みが遅い)、次はそういうことが絶対に起こりえない職場にしようと思いました。更にこの歳になると、美人というだけでなく、結婚しないの?という圧力がかかってきて二重に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!水商売世界に身を置いてみることにしました。大変なこともいろいろとありましたが、本当に楽しい1年間でした。男の方も「金を払っているんだ」という前提があるので、会社にいた頃のような、わかりにくくめんどくさい好意ではなく、割りと堂々とした好意を受け取ることができました。結婚していなくても良いし、美人ならなお良い、乳がでかいならもっと良い、という世界ですときどきヘンテコなお客さんもいますが、わかりやすいエロオヤジさんか紳士っぽいおじさんが多いのでとてもやりやすい仕事でした。貯金もかなり増えました。会社にいたころとは違い、完全に武装した、変装した、本名とは違う自分として仕事をするので、なりきれるというか、女優のような気分なので男に媚びることも尻をなでられることも簡単でした。

30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていた彼と結婚しました。

わたしより更に美しい姉が26歳で結婚したあとしきりに「結婚すると楽だよー。誰かの女になるって楽よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに結婚してからは、再就職しにくかったですが、入社してからが圧倒的に楽です。綺麗な奥さん、というような扱いで、言い寄ってくる男もほとんどいなくなりました。結婚指輪をしているだけでこんなに楽だなんて。ときどきそのことを知らない営業さんなんかに口説かれますが、結婚してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと引いてくれます

まあ何が言いたいかというと、美人というだけで楽勝全勝、というようなことを言う人が多い(特に男)ですが、そうではありませんよ、と。美人からこその苦労も多い、と言いたかったんです。それと美人の苦労=女の嫉妬、というステロタイプ解釈もやめてください。わたしの人生においては、男からいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、男からの好意(性的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、女の方から多くの賛同を得られます。男は苦虫を噛み潰したような顔になるので、リアルではあまり話せません。

トラバには一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。

追記

☆ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも誠実な人とという風に、きっぱりと断ってみたり、彼氏がいるので、と言ってみたり、仕事を頑張りたいとか、片思いしている人がいるなどなど、また、それらを混ぜ合わせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうと粘着してくる人もいるのです婚約指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう常識が通じない人もいるもので、むしろ軽い付き合いでいいじゃないか、といったノリで更に粘着してきたりするんです。派手派手しく武装しようが、地味にしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、神経を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしか美人とは関係ない話かもしれないけれど、ナンパとかでなく正式な告白を年に10回も20回も受けて、その度に断り方を考えて神経を使い、ストーカーにならないだろうか嫌がらせされないだろうか、と不安かられなければいけないのはツライです

☆なぜ婚約(指輪、または既婚者のフリ)は意味が無いのに、結婚には意味があるか、ということですが、婚約指輪をしていても独身であることはモロバレなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、就職活動する時点で履歴書類や保険面接普通にバレるからです。それに、結婚してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単にバレる嘘だと更にトラブルを呼ぶのではないでしょうか。

☆何で結婚しなかったのかって、ずっと付き合っていて結婚したい人がいて結婚したくても、それができない理由があったかです(不倫じゃないです)。ってその内容も書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独身だと言えば、きっと理想が高いんだろうと言われ、結婚した、と言うと、きっとすごい男を捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。申し訳ない。

☆あと確かに幸薄そうとはよく言われます

☆女の同僚や上司は助けようと動いてくれたりもしましたが、女だけスカート制服アリでリアルお茶汲みをさせられている会社ではあまり派手にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに相談もしにくい内容なので、あまり打ち明けることはなかったです。(相手の男性のこともバラすことになるし、まるで自慢のようだし)

☆なんだかんだ言って女磨きしてるんじゃねーの?、とのことですが、水商売始めるまでは夏含め年中腕毛は生えっぱなし(足はさすがに剃りますが)、眉毛も整えたことがないです(薄いので)。化粧も、日焼け止めにリップクリーム、透明の眉マスカラで眉の毛流れを整えるくらいです。髪も黒いショートカットです。なぜかというとズボラからです。だから風呂も15分くらい。スキンケアもお風呂上りに900円くらいのジェルをひと塗りするだけです。という感じだったのですが、女友達に「そんな軽武装から男が寄ってくるんだよ。化粧を濃くしてcancamみたいにキャピキャピするかoggiみたいにカッコつけてみれば」と言われて、なるほど、と本を読んで勉強して職場常識の範囲内でできるかぎり派手にしてみましたが逆効果、部内強制参加の飲み会の時酔っ払った男性上司陣にいろいろ言われて(思い出したくもないようなこと)やめました。何をやってもダメだし、でもブスには整形できないし、じゃあやっぱり自分責任ワガママなんじゃないか、という自分への怒りとか悔しさとか嫌がらせストレスで抜毛症になって、2年はウィッグをつけて過ごしたりもしました。ミルクタンクが巨大なことも、いちいちネタにされてイヤになったので、ランニング用の絞めつけるスポーツブラのようなものをいつもつけています。特定されるのが怖くて書きませんでしたが、わたしは顔のある部分にほくろがあって、それをことあるごとに「いろっぽいねぇ」とニヤニヤされるのがいやで、レーザーでとってしまいした。そんなだから水商売を始めたときは大変だったわけで、年下の先輩方に手取り足取り教えてもらいました。

☆わたしは無能です。実際。だからお茶くみの仕事に文句はないです。ただそれを普通にやりたかった…、と思ったらだめですね。

☆惚れる男と結婚した男、しかいないわけではありません。もちろん無関心の男性恋愛関係なく仲の良い男性、助けてくれようとした男性、いろいろいます

2011-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20111021111718

筋トレもいいけど、ダイエットもね

ランニング続けてて太るってことは、食生活がどっか間違ってるよ

さすがに30前になって太ってきてやばい

1,2kg落としたいというか、脂肪筋肉に変えたい。

ランニング結構続く(2,3kmしか走らないけど)けど、筋トレは中々続かないんだよね…。

筋トレを続けるいい方法があったら教えてください。

2011-08-19

中学の時好きだった人に出会えた。10年ぶり?

もう30を越えたというのに、未だに中学時代に好きだった人のことを思い出す。

朝、駅のホームにいるともしかしたら電車を待っていないかなとか、近所の図書館に行くといないかなとか、

ほぼ毎日そんな期待を胸の中にしまっている。

この前の週末、近所をクルマで走っていて四つ角で一旦停止していると角から急にその彼女が走って曲がってきた。

格好からすればランニングをしていたようだ。

月日が経って、若干太ったような気がしたけどそんなことはどうでもよくて、まだこの町に住んでいたことを

確認できただけでよかった。

また同じ曜日の同じ時間に行けば会えるだろう・・

そんな自分はもう既に結婚もしていて子供もいる。

今になってどうにかしたいという根性もないんだけど、だけど秘めている想いを伝えることができればそれで

いいのかもしれない。

今更、何を思っているんだろう。。

2011-07-22

柴田大輔・映画監督まとめ(3)

第3回。続きになります

それでは早速、本日サイト紹介です。

前回はこちらです。

http://anond.hatelabo.jp/20110708114752

さらば愛しの大統領

http://b2b.jijinjingzhi.net/supply/nova%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94

YouTube - 『さらば愛しの大統領世界のナベアツ柴田監督インタビュー世界のナベアツが、NOVAうさぎCMなどで知られる柴田大輔と2人で映画監督に挑戦!・・・

柴田大輔 - エキサイトトピック

http://topics.excite.co.jp/keywords/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94/

さらば愛しの大統領」特典満DVDが発売 4月20日、2枚組DVDさらば愛しの大統領」 が発売される。世界のナベアツ柴田大輔とともに共同監督を務め、ケンドーコバヤシ宮川大輔が主演した映画・・・

柴田大輔って?|雨のち晴れ、時々ママ日和

http://ameblo.jp/shigetamiwa/entry-10736653133.html

お嬢が息を切らして、何やら叫びながら帰ってきた。あの%#&*@☆△…落ち着け、まず落ち着け!!はい深呼吸~で?学校帰り近くにいる大人に時間を聞いたら凄い人だったと~!!ママ柴田大輔って知っとうやろ!!・・・

柴田大輔-ピープルサーチ

http://ieyasu2011.seesaa.net/

今年は、いつくになく越えなければならない夏である。皆さん、体調だけには十分に注意して、この夏を乗り切りましょう。柴田大輔氏の言葉より。・・・

柴田大輔ファンサイト?(不明)

http://sports.o0o0.jp/

モダンからポストモダンに変質したときのように大きな衝撃があったことは筆舌に付くしがない。いま私たち世界真実なのか。柴田大輔の表現には、そのような問いが隠されている映画なのである

ロック柴田大輔V7

http://v7777777v.blog69.fc2.com/

ロック柴田大輔V7、2回目のコラムです。戦後日本企業の成長・急進は目を見張るものがあった。新規事業の台頭で世界に誇る企業が続々と登場した。これは、日本人お勤勉さ、そして何としても日本復興させるのだという・・・

夏も真っ盛りですが、みなさんはいかがお過ごしですが?

今年は海に行こうと思っているんですが、なかなか「よし、行こう!」とはならず、今年も無理なのかなと、半ば諦め気味です。地域によっても変わってくるでしょうが九州地方はいつまで泳げるものなんでしょうか。

太陽をたくさん浴びて、今年こそは日焼けしたいと思っています。海にいけなくても、日焼けを目指して街を歩いたりと、できるだけ日に当たるように心がけるつもりです。柴田監督も海に行ったりするのかな・・・

とうとう2012年になってしまいましたね。

昨年からこの日記を始めましたが、なかなかどうして更新する時間が取れずにさびしい状態となってしまいました。

あれほど更新頑張ると意気込んでいたのに自分がなさけないやら、つらいやら・・・

今年は!といいたいところですが状況があまり変わってないので約束はできそうにありません。しかし、気持ちとしては前進するつもりでいますのでどうかまだお付き合いいただけると嬉しかったりします。柴田監督は今年も突き進むはずです。私も負けずに少しでも追いつけるよう精進したいと思っています。まだまだ若輩者ですが気持ちだけは負けません!(ほんとか・・・

健康にも気をつけて精力的に映画のことや舞台のことを考え、大輔さんの魅力を少しでも伝えることができればと思っています

はてな日記がに慣れてないのでよく分からないのですが、追加して更新していくということでいいのでしょうか・・・

まあ、伝えたいことは架けるので良しとしておきましょう。

しかし、舞台というのは楽しめ、想像して楽しめる数少ないエンターテインメントだとつくづく感じます

岐路に着くときにもそうだし、帰ってから思い出すことで楽しめることも多い。特に一番印象に残った場面などは何回思い出しても飽きることがありません。

また、インタビュー記事などに目を通すといろいろなことを想像してしまいひとりにやけることも多々あります

いまは平清盛をみて楽しんでいます。江がいまいちだったのでどうだろうかと思ったのですが、僕的には最高に面白い大河だと思っています。おそらく平安時代当時の状況をできる限り再現しているところに現実感があり、見ている最中ドラマだとはあまり感じないところではないでしょうか。1話目はきちんと見れたのですが、2話目は録画になってしまいました。しかし、面白さは変わらず。早く続きを見たいとさえ思いました。3話目も録画になりそうですが、今からワクワク感が止まりません。

知っている人もいますが、なぜ見れないかというと、実はいランニングを週に2~3回しているんですね。その1回が日曜日という、なんともタイミングが悪い日に当たってしまった言うわけです。まあ、走ることは悪くないと思うので、気持ちよく走りたいと思います

それでは、また!

柴田大輔のプロフィール

NOVAうさぎなどの記憶に残るコマーシャルメッセージ制作リゲインアジアンカンフージェネレーションプライベートビデオも手掛け多数の賞を縦走している異才。近年まれに見る映像クリエイターの一人である1973年神戸市誕生する。

2011-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20110502225119

増田~、運動しようぜ~


市民体育館トレーニング室にでも行ってランニング筋トレ小一時間ばかりするだけでビミョーに違うよ。

出来れば週一、まぁめんどうだろうから月2回を目標程度にマッタリやってみなよ。


で、運動し終わったら古くてかまわんから面白い映画ドラマでも見てみなよ。

最近だと仁あたりは手に汗握れるからオススメ

いい感じで時間潰して「あ~今日も何もやってね~www」とか言いながら毎日を過ごしてしまいな~

2011-04-02

シーベルトで発がんリスク比較する

シーベルト発がん性を示す共通指標の単位にしちゃって、

たいに他の発がんリスク比較可能にしてしまうべき。

たばこ業界?うるせーよ。

ちなみに…

ビシッと物理的な量が示されるベクレルと違って、シーベルトはもともと放射線人間健康にどれだけ影響があるかを「だいたいこんなもんじゃね?」とざっくりと示す指標にすぎない。放射線荷重係数って(笑)単位から受ける印象に反してテキトー杉ワロタレベル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88

2011-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20110330211926

身長:185cm

体重:110kg

いきなりデブ過ぎ。

いい加減にすべき。

年齢20代後半

煙草:吸う

運動:していない

間食:有り(お菓子ジュース

かなり終わってると言う危機感を持った方がいいと思う。

このままなら30になる頃には深刻な健康問題がポロポロと表面化する。

食事

・朝は菓子パン。いっその事食べない。どうせ9時起床だし。

何故菓子パンなのか。

それは健康的な栄養バランスの食事か。

カロリーが合えばいいってモノではない。

また、増田たいデブが食う菓子パンというのは

脂肪たっぷりクリームや揚げ物が挟まっていたりするのでカロリーも別に低くなかったりする。

2個も食ったら朝飯としては重いカロリーになる。

かといって断食はもっての他だし、よほどの事情がないならもっと早起きすべき。

・昼は定食弁当。現状維持。ただし松屋吉野家は禁止。

何故松屋吉野家ダメで、定食弁当はアリなのかがわからない。

ほか弁コンビニ弁当には1000カロリーを優に越えるものも多い。

一方、吉野家で1000カロリー採るには最大サイズの盛りしかない。

・夜はビニ弁。定食にするか、デパート果物でも買って来る。

朝は菓子パン、昼と夜は定食コンビニ弁当

こんな食生活増田にとっては「改善プランであるしいことがヤバすぎる。

何故果物を食うのかもわからない。

栄養バランスの偏りを自覚してるならもっとマシなおかずを食うべきだし

果物を足すぐらいなら野菜をゆでて食うべき。

・間食禁止。ジュースはなお茶飲む。

これは正しい。当たり前。

だが増田レベルのクソデブは守れなそうな気がしてならない。


増田はやみくもなダイエットもどきをするのではな

自分の食事のカロリーを知るべき。

改善プラン」に出てくる食事が軒並み栄養価低い糖分と脂肪分ばかり多い食材なので

食品栄養についての知識が無さ過ぎる。

その知識レベルのままではどれだけ努力してるつもりになっても効果が出ない。

スイーツダイエットが必ず失敗するのも同じ理由。

運動

・健保指定のジムが近場にあるので利用。1回利用600円ほど。

 ランニングマシン筋トレマシンで汗を流して後は泳ぐ。

そんなあいまいな計画では絶対やらなくなる。

カーディオをどれぐらいやるべきかとか考えてるだろうか。

マシンジムの使い方はわかるのか。

筋肉を発達させるにはどれぐらいのトレーニングをすべきか知っているのか。

毎日ウォーキングをして、体を動かすことに慣れる。いきなりランニングは多分足傷める。

賢明予測…と言いたいところが

増田レベルのクソデブウォーキングでも膝や腰や足首を痛める。

さっき言ってたランニングマシンなんてのも無理。

100kg超級デブがやるべきはプールビート板かジムエアロバイク

週3日エアロバイク水泳を40分やる。

水泳が達者で泳ぎ続けられるなら水泳はいいが、休みまくるならバイクがいい。

マシンジムは我流でやらずジムの係員かジムの客の上級者らしい体つきの人に聞く。


3ヶ月後に健康診断があるので、それまでに少し落としたい感じ。

そういう場当たりではなくて

一生の生活習慣を改めるつもりにならないと何も変わらない。

健康的な減量ペースは3ヶ月後までに100kgを切る程度だが

短期間息を止めるような減量をしても必ずすぐにリバウンドする。

そして増田スペックや生活は「健康診断までに少し落としたい」なんて悠長なレベルはない。

そのままやっていけば三十路に入ったぐらいからガタガタと体中が崩壊する。

とりあえずペットボトル症候群の匂いもするので糖尿の気がないか調べるべき。

やたら喉が渇いてジュースを飲みっぱなしだったりしないだろうか。

ダイエット計画

後で見直す。

身長:185cm

体重:110kg

年齢20代後半

煙草:吸う

運動:していない

間食:有り(お菓子ジュース

食事

・朝は菓子パン。いっその事食べない。どうせ9時起床だし。

・昼は定食弁当。現状維持。ただし松屋吉野家は禁止。

・夜はビニ弁。定食にするか、デパート果物でも買って来る。

・間食禁止。ジュースはなお茶飲む。

運動

・健保指定のジムが近場にあるので利用。1回利用600円ほど。

 ランニングマシン筋トレマシンで汗を流して後は泳ぐ。

毎日ウォーキングをして、体を動かすことに慣れる。いきなりランニングは多分足傷める。

3ヶ月後に健康診断があるので、それまでに少し落としたい感じ。

2011-02-06

続けること

料理とか、読書とか、運動とか、仕事は、

僕にとっては積み木を積み上げるようなもので、

積み上げた積み木にのって手を伸ばせば、

大きな実を収穫できるような

そんな期待と確信があるから続けることができる。

もしこれが当てもなく積み重ねているようなら、

おそらく途中で自分の手でなぎ払って崩してしまっていると思う。


最近始めたランニングなんてのは、それだけみると

30分、寒い中、走って、疲れて、何の得もない行為なんだけど、

調べたら、運動ってのは脳の側坐核を刺激して、

大脳辺縁系とか海馬とか運動前野、運動野を刺激して、脳の働きを良くする説があって。

それが下地となって、「とりあえずやってみようか。」というモチベーションができる。

まだその時点では頼りないものだけれども。

実際1週間続けてみて、脳の感じがよくなっていると実感したら、

それまで頼りなかったモチベーションが、それなりに強固なものになる。

そのうちにこのくらいやれば、このくらいの効果が得られるというのが分かってくる。

(そもそも効果を測定・評価するという意識がなければこの気付きは得られないのだけど)

そうすると効果とコストトレードオフで最も効用が高い?運動量自分なりに決めることができる。

その時点で、おそらくそれはトイレにいくのと同じくらい生活に密着したものとなっており、苦も無く半自動的にやれるようになる。

から、「そんな面倒なのがよく続くね。」と言われることが多い。

僕は一見すると面倒なことから得られる果実の味を知っている。だから続く。

それは入念な下調べと、試行による効果の評価から確信があるから

ただ面倒なだけのことをする人はいない。

面倒さの裏にある果実の味、形がちゃんと見えているからこそ、続く。

それは、見ようとしたから見えるようになった。

つらいことをやれば、「何かがよくなる」

そんな弱い動機で物事が続くわけがない。

もし動機が外から与えられない場合自分が自ら産み出す必要がある。

その方法論がなんとなくみえた気がする。

2011-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20110110231213

今、私がつき合っている範囲には、仲間は多いが友人と呼べる人はおそらくいない。

ランニングの仲間や、飲み仲間や、旅行に行ったときに一緒に遊ぶ仲間など。

学生時代の多数の友人とは、今でも友人のつもりだが、ここ10年くらいはほとんど全く付き合いがない。

要するに物は考えようである

2010-11-23

真夜中の世界

その彼との出会いはある日突然の出来事でした。

当時、わたしはジョギングを日課としており、毎晩仕事が終わってから寝るまでの間に1時間ほど走っていました。来る日も来る日も、例え雨の日でも、大体同じようなコースを飽きることなく走り続けていたのですが、こうも日々走り続けていると体がどんどん走ることに慣れてきてしまい、いつもと同じ距離では疲れないし、走り終えた時の達成感が得られなくなっていました。

そんなある日。

いつものようにジョギングをしていたわたしは、ちょっとだけ冒険をしてみることにしました。それは本当に小さな冒険でした。

ふだんであればその場所でUターンをして帰途につく場所を、その日はもう少しまっすぐ進んでみることにしました。そしてその先にある右に入る小道に入り、大回りをして復路とすることにしました。大回りとは言っても距離にすると2km分いつもよりも多くは知ることになる程度のわずかな距離ではありましたが、それでもいつもと違うコースを走っているということにとても興奮しました。

小道に入り、しばらく進むと視線の先に不思議光景が目に飛び込んできました

それは小学校の校庭を掃除するときによく使っていたあの大きな竹ぼうきで歩道を熱心に掃いている男性の姿。それだけでは決して不思議でも何でもないのですが、この時すでに24時20分。真夜中誰もいない歩道、そしてそこは家の前やお店の前などではなく、大きな道と道を結ぶためだけにある細い細い歩道を熱心に掃き掃除し続けている男性の姿はとても異様で、わたしはきょうに限ってこの道を選んでしまったことをひどく後悔しました。

とても怖かったわたしは彼の後ろを急いで通り過ぎようとしたのですが、彼はいくらわたしがそばに寄っていってもわたしという存在にまったく気付かず、それは熱心に掃除を続けていました。それは、まるでわたしがゆうれいかかになってしまい、彼には本当に見えていないのではないか不安を感じるほどでした。先ほどの彼を見たときに感じた恐怖心とはまた別の恐怖がわたしの心に芽生えました

とても細い道なので、彼には少し道を譲ってもらわなければわたしは前に進めません。わたしは思い切って彼に声をかけることにしました。

いません。お忙しいところ申し訳ないのですが通していただけますか。

それまでほうきを動かし続けた彼の手がはたと止まり、そしてその顔をわたしの方へと向けました。年はわたしよりも少し上かという印象を受けたのですが、それほど離れている感じはしませんでした。一生懸命にそうじをしていたせいか、どこかこわばった表情でしたがその顔はすぐに笑顔へと変わり、そしてこう言いました。

あぁ、ごめんなさい。ぜんぜん気付きませんでした。

そういうとほうきを手に道端へと移動し、わたし一人が通り抜けられるほどのスペースをあけてくれました。わたしはありがとうと礼を述べてまた走りだしました。大きな道路へと抜ける直前にふと後ろを見てみると、彼はわたしとは逆の方向へ歩いていました。それを見て何だかとてもほっとしました。

翌日。

その日のランニングコースはどうしようか悩みました。ちょっと怖い思いをしたけれど、わたしは昨日と同じ道を走りたいと思っていました。前日よりはいく分早い時間だったのでもしかしたらその人はいない可能性だって考えられるし、そもそも毎日いるわけではないかも知れない。それにこのコースは走っていて気持ちがいいし、そして何よりもあのコース自体をわたしはとても気に入ってしまったのです。悩んだ挙句、わたしは前日と同じコースを走ることにしました。

走り始めて30分。またもその場所に差し掛かったとき、わたしは思わず「あっ」と声を出してしまいました。同じ人がまた同じ場所を熱心に掃除をしているのです。前日ここを通ったのは24:20だったのですが、今日は22:00ジャスト。2時間以上も早い時間にも関わらず彼は同じ場所に現れました

驚きを感じる一方で、わたしは何となくこの事態を理解していました。理解というのは少し違うかも知れませんが、このコースをとおると決めた時点で何時であろうと彼がここにいるのではないかということは薄々感じていたのです。昨日の時点で彼からはこの場所に対する執着のようなつよい熱意を感じていまし、そしてわたしの直観どおりに彼に再び会うことが出来たことで気をよくしたわたしは、今日は思い切って彼にあいさつをしてみることにしました。

こんばんは。

彼は静かにわたしの方へと顔を向け、その真剣な顔を笑顔に変えながらこんばんはと返してくれました。そして彼は静かに道をあけてくれました。わたしは彼にありがとうと言い残してジョギングを続けました。すがすがしい夜でした。

その次の日も、そのまた次の日もわたしは同じ道を走り、そして彼に声をかけて道を譲ってもらいました。日に日に彼に対する警戒心がなくなってきていたわたしは、徐々に彼がなぜその場所を毎日掃除しているのか気になってきました。雨の日も風が強い日もいつもいつも彼は道を掃き続けていましたが、いったいそれがどういった動機で行われているのかわたしにはまったく理解出来ずにいました。

もう少し顔見知りになったらそれとなく話しかけて聞いてみよう。そんなふうに考え出したある日、その事件は起こりました

その夜もいつもどおりのコースを走り、そしていつも彼が掃除をしている場所を遠目に眺められる場所までたどり着いたときにいつも様子が違うことに気付きました。彼はいつもどおり同じ場所を掃除していたのですが、彼を挟んで向こう側にこちら側へ向かって歩いてくる人が目に入りました。年は10代後半から20代前半の男性でしたが、その人は音楽を聴きながら歩いており、そして掃除している彼の後ろを邪魔そうに通り抜けようとしました。

おい!!

それまで掃除に夢中だった彼が突然大声を上げました。その声はまだ2人の表情が確認できないほど遠くにいたわたしにも十分届くほどの大きな大きな声でした。わたしは驚いて思わずその場に立ち止まりました

音楽を聴いていた彼はその声に反応するように一瞬立ち止まり、わずかに振り向き、そしてなんと全力でこちらに向かって走ってきました。さらに掃除をしていた彼は持っていた竹ぼうきを投げつけ、彼もまた全力で逃げる獲物を追いかけ始めました

つまり、2人の男性がわたしに向かってすごいスピードで向かってきたわけですが、わたしはひどく動揺しました。事情はよく分かりませんが、この2人が本気であることはその様子から伺えました。見る見るうちに近づいてくる2人。両者の表情が見えるようになると、今度はその異常とも言えるほど真剣な表情にわたしの体は固まって動けなくなりました。はたしてわたしがいままで生きてきた中で、これほどの形相は見たことがないと断言できるほど2人の表情はそれはそれは恐ろしいものでした。わたしはいまこの場にいることを心底後悔しました。今日は走らなければよかったと泣きたい気持ちでした。

あっという間にわたしの前まで来た2人を前に、わたしは道の端に体を寄せて2人が走り去るのを待つことしか出来ませんでした。もう早く行ってくれと思いながら2人が過ぎていくのを待ちました。そして2人は風のようにわたしの横を走り去っていきました。わずか1分たらずの出来事でした。

2人が横を通り抜ける瞬間。とりわけ、掃除をしていた彼の顔を見たのですが、いつも見せる笑顔とはあまりにかけ離れた形相はいたいどれほどの怒りを抱えたらそれほどの表情になるのか想像も出来ないほど怖い顔でした。もしこの世で一番恐ろしいものは何かと聞かれたらきっと彼の顔が思い浮かんでしまうのではないかと思うほど、それはそれは恐ろしい表情でした。

2人が走り去ったのを見届けて、わたしは彼らが走ってきた方向へと走り出しました。いつものジョギングペースではなく、わたしの持てるすべての力を出し切り、全力で家まで走りかえりました。距離にして約4km。家にたどり着いたときには疲労と恐怖で足がガクガクと震えて立ち上がることすら出来なくなりました

翌日以降、しばらくは恐怖と筋肉痛で走ることが出来ませんでした。

もう夜にあの場所へ行きたくない。わたしはそれから2週間、走ることをやめました。あの出来事を忘れようと、毎日毎日他の事を考えながら過ごしました。筋肉痛が治り、日が経つにつれて、徐々にわたしはあの日のことを忘れていきました

心の傷が癒えるに従い、その後のことがどうしても知りたくなり、いつも彼が掃除をしていた場所を訪れました。けれどあの日以降、何時に行っても彼があの場で掃除をしている姿は見かけなくなりました

いつも穏やかだった彼が、なぜあの日に限ってあれほどの怒りを表明しなければならなかったのか、あの音楽を聴いていた彼を追わなければいけなかったのか、そもそも彼はなぜあの時間、あの場所で掃除をしていたのかまったく分からないことだらけなのですが、彼に会えなくなった以上、もうそれがなぜなのかは知る由もありません。

けれど当時の様子を思い浮かべたときに、わたしの中にひとつのおそろしい仮定が浮かび上がってきたのです。それは音楽を聴いていた彼は掃除をしていた彼の後ろを通り抜けようとしたのですが、もしかしたらそのことが何かトリガーになったのではないかと。もしわたしが、掃除をしている彼に声をかけずに後ろを通り抜けようとしたとしたら、もしかしたらあの追いかけられていたのはわたしかも知れないのです。そう思うと、わたしはとてもいたたまれない気持ちになり、追いかけられていた彼の行く末を案じずにはいられなくなります

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