僕にとっては積み木を積み上げるようなもので、
積み上げた積み木にのって手を伸ばせば、
大きな実を収穫できるような
もしこれが当てもなく積み重ねているようなら、
おそらく途中で自分の手でなぎ払って崩してしまっていると思う。
30分、寒い中、走って、疲れて、何の得もない行為なんだけど、
大脳辺縁系とか海馬とか運動前野、運動野を刺激して、脳の働きを良くする説があって。
それが下地となって、「とりあえずやってみようか。」というモチベーションができる。
まだその時点では頼りないものだけれども。
実際1週間続けてみて、脳の感じがよくなっていると実感したら、
それまで頼りなかったモチベーションが、それなりに強固なものになる。
そのうちにこのくらいやれば、このくらいの効果が得られるというのが分かってくる。
(そもそも効果を測定・評価するという意識がなければこの気付きは得られないのだけど)
そうすると効果とコストのトレードオフで最も効用が高い?運動量を自分なりに決めることができる。
その時点で、おそらくそれはトイレにいくのと同じくらい生活に密着したものとなっており、苦も無く半自動的にやれるようになる。
人から、「そんな面倒なのがよく続くね。」と言われることが多い。
僕は一見すると面倒なことから得られる果実の味を知っている。だから続く。
それは入念な下調べと、試行による効果の評価からの確信があるから。
ただ面倒なだけのことをする人はいない。
面倒さの裏にある果実の味、形がちゃんと見えているからこそ、続く。
つらいことをやれば、「何かがよくなる」
そんな弱い動機で物事が続くわけがない。
もし動機が外から与えられない場合、自分が自ら産み出す必要がある。
その方法論がなんとなくみえた気がする。